2019年12月の記事一覧

施設~東京~埼玉~金沢へ行き施設に帰ったご報告

(12月18日からのお話です。)岐阜羽島から東海道新幹線で東京に行き平河町にある全国老施協本部がある塩崎ビルで北條専務(今年の9月末まで厚労省のキャリアとして審議官をされていた方)、北村事務局長を交えて今月23日に行われる代議員総会での総務・組織委員会での経過報告をどのようにお話したら良いのかの打ち合わせをしました。その内容は東海北陸ブロック、関東ブロック、近畿ブロック、東北ブロックとの役員さんとの懇談会で組織拡大の為の忌憚の無い意見を、どのようにまとめあげて形にしていくと良いのかの方向性についてでした。

最終的には私が総務・組織委員長として意見を集約して20分程度で話をしなければいけないのですが非常に重大な報告なので正直明日(22日)1日悩みたいと考えています。しっかり話をしていきたいと考えています。

次の日(19日)は埼玉県老施協の総務委員会の皆さんと来年2月に開催されるタウンミーティングの事前打ち合わせが、9時30分から開催されるので東京駅の近くで泊まらせて頂きました。翌朝ははじめて行く所なのでホテルを早くに出て東京駅まで歩き八重洲口にあるみどりの窓口で大宮の二つ手前の与野駅に行く為の相談を兼ねて行きました。大宮まで新幹線で行って戻るべきかをお聞きすると「時間に余裕があるので京浜東北線の普通列車で大丈夫です。乗り場は3番線です。」と親切に教えて頂きました。(東京で初めて親切に教えて頂けました。)

与野駅へは一回乗り換えは有りましたが約一時間で着き、時間に余裕があり駅近くのコンビニに行きお茶と玉子サンドを会駅前のベンチでムシャムシャ食べていると副委員長の森岡君が私をみつけてくれて本当の意味でホッとして、残りの田中幹事と事務局とも合流して約15分歩いて会場入りをして、埼玉県の総務組織委員会の方々と名刺交換をして会議が始まり予定の11時を15分延長して意見交換は終了して再び与野駅に歩いて戻り、駅前のお店で飲み物を頂きながら次回(24日)の総務・組織委員会の打ち合わせをして、私は田中幹事に誘導してもらいながら大宮から北陸新幹線で金沢まで行き遅れての参加ですが、東海北陸ブロックカントリーミーティングに合流しました。そして翌日の閉会式では次期開催権挨拶をさせて頂いた事は既にこのコラムで報告させて頂いた通りです。

しかしながら、前回に引き続き実に移動距離の長い旅をさせて頂けるしコラムネタに困らない毎日です。実は今の時間は午前4時18分で遥かに日付けをまたいての原稿になっているのは垂井町の乾町議の後援会の忘年会に顧問と言う立場で参加させて貰い新規事業の地元の方々が多く参加されていたのでしっかりお酒も頂き私の思いもしっかりお話もさせて頂いたので21時過ぎには家に着きコラムを書く予定だったのですが、睡魔に勝てず目が覚めて翌日になりましたが、頑張って打ちましたのでリピーターの皆さんご容赦下さい。(宿直者が6時過ぎのアップになりますが重ねてご容赦下さい。)

大垣市和合のこだわり

平成24年度に大垣市から80床の特養の建設募集があり、当法人も手を挙げました。

当法人の提案は『大垣市の 地域ニーズを形にしたい。』と言う事で大垣市における施設の実態調査をしてわかった事は、特養のベットの個室率は75パーセントで、ショートステイに至っては個室率80パーセントを越えている実態が明らかになりました。この調査でわかった事は大垣市においては平成15年以降の施設建設が多く、国の意向を受けて個室の割合が増えている実態が浮き彫りになりました。

そこで多床室だけれども個室のようなプライバシーを守れるもので、木の温もりのある施設であり、重度化に対応出来る導線を確保した居室の確保もしたいとの思いの中、岐阜県の単独補助として岐阜県産の木材を圧縮したものを床と腰板1メートルに活用をしました。

そして、平成26年4月2日(1日は日柄がよくなかったから2日なんです。)からの事業開始前に幹部職員への理事長としての指示は『大垣市の意向を聞いて厳しい方から入居して貰う』事を念頭にした展開と『地域の意向を積極的に取り入れていく』と言う事での運営を心掛けての展開でした。

その中で例えば『多目的ホール』では、定期的に地元の野球少年団の会議が開かれたり、大垣花火では『和合に3階建ての建物が建ったことにより花火が見にくくなった』と言われないように、花火に合わせて花火見学用に椅子を用意して『焼きそば』『かき氷』『ねぎま』『綿菓子』『ビール・お茶』等を用意して地域の方々に喜ばれているし、その時のイベントといて小学生以下の方限定で『菓子まき』もしています。

和合の施設もお陰さまで6年の月日を重ね地域の信頼も確実に得て来たように思っています。来年は岐阜県にはない施設である盲養護老人ホームの建設を考えています。何故今盲養護老人ホームなのかと言うと私が相談を受けていて「盲養護老人ホームが岐阜県に無くて近い所で探してもなくて、やむ無く千葉県の施設に入居させて貰ったがあまりに遠いので面会にもなかなか行く事が出来ない。」との話を聞いて、「岐阜県老人福祉協議会会長として何とか岐阜県でお困りの方があっては申し訳ない」との思いと「病気の為に途中からの失明者の行き先がなくなってはいけない。」との思いから当法人の理事会・評議員会への理解を得て実施したいと考えています。

福祉の原点は措置施設のセーフティネットだとの考え方の中、厳しい経営を強いられても地域の方々と職員の理解を得て頑張って行きますので、リピーターの皆さんますますのご支援宜しくお願い致します。

尚、今日のコラムは石川県金沢市で開催されたカントリーミーティングで次期開催県挨拶を閉会式の時にさせて貰い、職員の車に乗せて貰いながら携帯で打ったものなので本日は写真のみの掲載として明日カントリーミーティングについては書く事にします。

image1

新館の時の思い

令和元年12月19日

昨日は本館への思いについて語りましたので今日は新館について語ります。

館が事業開始したのは平成10年でその頃の制度は老人福祉法による『措置』であった為に、医療機構からの借り入れについては民改費相当額についてのみ返済に当てる事ができるシステムだったので、実績のない法人に寄付をしていただくのはなかなか難しく厳しい2年間でしたが、介護保険制度になり借り入れに対しての返済に活用出来るようになり、尚且つ介護報酬の単価も今よりも高かった事もあり、資金を蓄える事ができたので、その頃の地域貢献は施設の増床が一番と考え新館の増床40床を計画しました。

その当時ユニットの建設を岐阜県での先駆けとしてする事にしました。そこでのこだわりはユニットであればプライバシーに重きを置くべきと考えて一番のこだわりは部屋を出たところが見えにくい構造にしようと考えました。次に考えた事は本館の時の反省から荷物を入れる所を多く設置したことと個室のトイレを部屋の外に出したことです。祈りの面で、本館は仏壇は館内の中心にと考え仏壇を置くスペースを1間半にし、仏壇の暗いイメージを払拭するためにステンドグラスを嵌め込む事にして、滋賀県長浜市にあるガラス細工製造をしている黒壁で作って頂きました。新館の場合の祈りは、各ユニットにオリジナルの仏像を彫り物の集落である滋賀県丹生の彫物師に作って貰うと共に、高野山の大僧正であり日本一の書家である静慈圓師に書いて頂きました。

もう一つこだわったのは家具です。何故なら個室料を頂く以上はそれなりの物を導入したいと言う事で色々と検討した結果飛騨家具に決めました。飛騨家具は重厚感があり百年家具と言われるだけに雰囲気も最高で、見させて頂いていっぺんに好きになりましたがかなりお値段が高いのですが、百年で考えたら大丈夫かと思っています。但し、最近気になるのはこだわりについて理解していない職員がこだわりがわからず大切な椅子に洗濯物を平気で置いたりするのを見たりすると愕然となってしまいます。やっぱり常に語り続ける事が大切だと今更ながら思っています。リピーターの皆さんこだわりのある法人に対してご理解とご支援を宜しくありがとうございます。

 

今日は『こだわり』について書きます

私にとって初めての施設は平成10年に完成した本部施設の建設です。

その時は資金がない中での工夫をするため、講演依頼を受けた時に講演した近くの施設を見学に行かして貰ったり(だって旅費が浮くでしょ)、その当時の最大の支援者だった吉田宏岳先生(その当時日本福祉大学中央福祉専門学校校長)から紹介して頂いた施設に行ったりしていました。

具体的に補助金が付くと決まってからは、お金の工面は大変でしたが(まだ、組織が無いので全て自前でしたから)、瓦を見に愛知県高浜にある瓦を製造している所に行ったり、静岡県や愛知県の特殊浴槽の製造工場を見に行ったり、名古屋にあるベットのモデルルームに行ったりしました。

建築が始まってからも、一週間に一度のペースで作業の進捗状況を設計管理を任せている設計士と一緒に建築途中の本部施設を回りました。(正直2階へ行く仮設の階段を歩くのは何度歩いても平気な気分にはなりませんでした)

つまり、文字通り『自分の目で確かめたい。』との思いでした。その当時指示を仰いでいた、吉田宏岳先生から「図面を見ても理解出来ない事があったとしても、例えば鉄筋の数を数えたりする事をすると業者さんは『手を抜けないな』と思うものだ」との教えを守ってのパフォーマンスでしたが、頑張って数えたものです。段々と形になって行くなかで私は図面では気が付く事が出来なかった事で私自身が疑問に思い設計士に疑問をぶつけて大きく修正して貰った事があります。

それは浴室内の蛇口の位置でした。その位置は極普通に一般家庭の位置と変わらなかったのです。私は、特別養護老人ホームの入居者さんは身体的に厳しい方が殆んどだし、入浴で介助を必要とされる方が殆んどだから蛇口の位置は介助する職員に負担がかかりにくい所にすべきだと考えたわけです。でも、介助が必要でない人にとっては不便だと思われる方もおありだと思いますが、いやいや違いますよ。文字通り逆転の発想です。立ち上がりが出来る方であれば屈伸運動が出来てより元気になって貰えるのではないかと考えています。

最近思っているのは、『思い』は語り続けないと形骸化してしまうと言う事と思いと共に、関わりを持たないと記憶が薄れていくスピードが早いのではないかと言う事です。と言うのは本館の時には図面を舐めるように見ていて総面積は3429.25平米で浴室は1階が99.9平米を3つに仕切り、2階は33.3平米と66.6平米にしてある。等とすらすらと出てくるのに新館や和合については私自身が書類を作っていないので、具体的数字まではでてきません。

勿論、新館にも、和合にも思いは沢山ありますので語らなければいけないとの思いを最近富みに持っているのでこのコラムで書いていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも私の思いを共有して貰いますます私を理解して貰えたら嬉しいです。

新しい職員が2人やってきました

 

EPAによる介護福祉士候補生としてインドネシアから二人がやってきました。

当法人では10年前から御縁を頂いており、先輩が後輩を呼んで来るような形で、毎年インドネシアから職員として採用してます。介護業界の人材不足は年々厳しくなっていて当法人にとって貴重な存在と言っても過言ではありません。インドネシアの場合は日本語検定の4級程度を(ちなみにベトナムは3級)取得して日本にくる、いわゆる『選ばれた優秀な人材』です。だってインドネシアで約半年でクリアしてくるのですから。

少しEPAによるシステムについて説明すると、インドネシアの看護大学を卒業して看護師として3年の経験を持った者は看護師候補生としてエントリーをして、3年の経験がない者は介護福祉士候補生としてエントリー(インドネシアでは一年契約なので3年の経験クリアが難しい)をして、選りすぐられた方がインドネシアで半年間の日本語の勉強や介護について学習してその後日本に来て半年間(当施設に来た職員は豊田の研修所)の研修を終えて本日無事に迎える事が出来たのです。

今日やってきた二人には6月に日本にやって来ての入講式の時と10月に行われた中間発表会の時に会いましたが、毎年の事とは言え、6月の入講式の時でさえ平仮名、カタカナ、ローマ字と簡単な漢字を書けるのにはおどかされるのですが、日本にやってきてのほんの4ヶ月での成長ぶりには舌を巻く圧巻さがあります。そして本日施設にやってきて、緊張気味にですが不安な顔と同時にキラキラした目の輝きは感動しかありません。

日本でのニュースでは元農水省の事務次官の息子殺害事件や保育所のハラスメント(昨日のコラムで社会福祉法人云々と書きましたが本当は株式会社でしたのでお詫びをすると共に実はホッとしてます。)と言うあってはならない事件でテレビで放映されているのに引き換え、インドネシアから来てくれて職員になってくれた職員は母国を思い母国の親達に仕送りをするのが当然なような生き方をしてます。私は父進さんが亡くなる直前まで(嫌々亡くなってからもかも知れませんが)甘えに甘えてきた生き方なので人にあーだこーだと言う資格は無いのかも知れませんが敢えてコメントするならば『日本の豊かさ』が色々な問題を起こしているように思います。『相手を思いやる心』が育つ土壌と『感謝する心』があれば決して『自己本意な考え方』にはならずに何処かで抑止力が働くと思うのは私だけでしょうか。『不満を嘆くよりも、自分のいたらなさを理解して向上心を持つ』ことかな。私も親を中心に甘えてばかりいたときには見えてこなかった事が、今の事業をやらせて頂くようになってから少しは理解できるようになってきたように思うし尚且つ今日の新たな仲間を見て改めてその意を強くしました。

リピーターの皆さんこんな私ですが人となりを少しでもわかって頂けたら嬉しいです。

静岡県の認定保育園での『ハラスメント』報道を見て

令和元年12月16日

保護者説明会の様子が映りだしており大きな怒号が飛び保護者からの怒りの強さが伝わってきましたが、保育所の待機が常態化している地区においては「違う保育所に行く」と言う選択肢が難しいのであれば、(ちなみに当事業所内保育所は現在対象者がいなくて休園中)「改善してもらって通わせたい。」との思いも強いと思うので園長や専務(園長の夫)が土下座して謝る姿を見るにつけ、『保護者の気持ちは土下座して欲しいのではなくて通園する子どもや保護者にとって楽しくて安心な場所』にして欲しいのだと思います。専務は説明会は最初からの参加でなくて、(体調が優れないとの理由で)説明する声は聞き取れないようなか細い声で話していて『こう言う声で同情が引けると思っているなら大きな間違いだ。

是は是、非は非でしっかり説明すべきだし、少々体調が優れなくても大変な時だからこそしっかりすべきだ。』と思いました。保護者の中には「コラムニストのようにコラムの為に園児を犠牲にして写真をとる時に写真にならない子を無理矢理排除していた。」との事で、私も毎日コラムを書いているものとして、「コラムは良く見せる為にするものではない。」と大きな声で言いたい。セクハラ、パワハラ、マタハラ等々がまかり通っていたような報道だったが、だとすると今まで誰もそのことを指摘しなかったとすれば園長さんはよっぽどの権力者だったのか、なんなのか理解に苦しむ現象としか言いようがない。

そして園長は「ハラスメントだと言われればハラスメントだと思います。」との発言には居直りとしか受け取れない。少なからず社会福祉法人としての認識の中で地域貢献の中には保護者の方々も含まれているはずだから。また、専務と呼ばれる副園長がどのような方なのかはわかりかねますが、保護者や園児や職員に対して上から目線の発言や行動があったとしたら、顧客に対する考え方にも大いなる疑問を持たざるを得ないし、職員を大切にしない経営者だったとしたら経営者失格の烙印を押されても仕方がない。一斉に18人の辞表が出るには色々な事が考えられるが、私の経験上「こうなる前に何らかの兆候をつかめなかったとすると、経営者側と職員とのコミュニケーションが出来ていなかったとしか言い様がない。職員にとって働きやすい職場作りが良い保育と資質向上につながりやりがいが持ててこそ素晴らしい職員集団が出来ると思っています。

リピーターの皆さん社会福祉法人が全てこんな独善的な運営をしているわけではありません。いやいや、立派にされている所が殆どだと言っても過言では無いことを理解して頂ければありがたいです。

お歳暮注文の催促がきました

日頃お世話になっている方々へお中元とお歳暮の年2回の贈答品は長良川上流で獲れた『鮎』をお中元は『生』を、お歳暮は『甘露煮』と決めて既に10年以上になります。

何故いつも鮎なのかと言うと私は長良川で獲れた鮎が日本一の鮎だと思っているからです。勿論折角贈るのであれば「最上級のを送りたい」との思いがあり、郡上からの帰りに通りかかった『やな』で食べた鮎が最高だったので、その時お店の方に贈り物で手配できるかと聞いたところ、「住所のリストをファックスで送信して貰ったらこちらで手配して送らせて貰います。」との事で、それからのご縁で頑固にさせて頂いています。

本当は大好きなのに「岐阜には鮎しかないのか」とからかってきた故中村会長に対しても「すみません。私には鮎以外に思いつきません。」とその後も贈り続けました。(今も健祥会にも送っています。)

(本題に入ります。)

2日前に私の携帯に鮎を手配して貰っているお店からの電話でした。携帯がなり相手先が『鮎のみやちか』と画面に出た瞬間に私は「しまった。お歳暮リストが出来てない」と・・・。携帯に出ると正にお歳暮の話しでした。相手の方の話を聞けば聞くほど私は「ありがたいなあ」と思いました。と言うのは、お店の方が「例年11月末にはご注文のファックスを頂けるのに未だ届いてないので今年は良かったのですか」との事で私は慌てて「そんなことはありません。忙しさにかまけて送れてないんです。」と言ってから厚かましく「いつものように子持ちのしっかりした鮎をお願いできますか」と言うとお店の方が「若山さんの為に選りすぐりの鮎を残してありますから大丈夫です。と言われたのでほっとすると共に「今日中にリストを作成しなければ」と思っていたにも関わらず、結局2日遅れて本日ようやくリストが出来てファックス送信が出来ました。

ほっとすると共に鮎を贈るようになってからの鮎にまつわる話を思い出しました。特に印象的な出来事を紹介しますと、平成18年8月8日に初めて全国老人福祉施設協議会の役員として参加するようになった初めての忘年会に『お国自慢の1品』で私は迷うことなく鮎の甘露煮を持ち込んだのですが、その当時全国老人福祉施設協議会会長だった故中村会長はいの一番に鮎の甘露煮を美味しそうに食べて頂きました。

しかも、あっと言う間に5匹も・・・。

先ほど書いたように可愛い憎まれ口を叩きながらも本当にお好きだったのだと思います。ある時等は中村会長本人から電話は入り、「今日は時間が取れたので何人かの役員を連れて岐阜の鮎を食べに行くので案内しろ」との事。私は当然のことながら『万障お繰り合わせ』で体制を取り、岐阜羽島へお迎えに行き、高速道路に乗り郡上郡美並村(現在は郡上市美並町)の『やな』へお連れして、『やな』の仕掛けで無邪気に遊ばれると共に『鮎のフルコース』を堪能して頂きその日の内に東京へ帰られる為に再び岐阜羽島駅へ。まるで嵐のようなスケジュールでしたがひと時を楽しんで頂きました。何故長良川上流の鮎が日本一だと思うのかと言うと、流れが急でしかも綺麗な川で餌になる『藻』も綺麗だからだと思っています。リピーターの皆さんも是非長良川の鮎をご賞味下さい。

近年の忘年会事情

令和元年12月14日

朝7時からのNHKニュースで『忘年会事情』について報道していたのを見て、介護業界での展開をしている者として非常なる違和感を持ったのでコラムに書きます。その報道によると「若い社員に幹事を押し付けられて嫌だ」とか「超勤が付くなら参加してもいいかな」とのインタビューを聞いていて「おいおい」と思っていたら『幹事業務を請け負う会社が存在する』との話まで出てきて、だめ押しは『一人忘年会』なるものを楽しんでいて、そのようなお店が増えているとの話まで出てきては思わず『絶句』。もし、当施設の職員が来年2月に実施予定の新年会に参加せず『一人新年会』なるものに行くとしたら『思わず絶句』では済まないと思います。

何故ならば介護は『チームケア』『多(他)職種連携』が大切(当たり前の事ですが)だと言われている中で「一人が良い』と言う職員がいたらケアの充実は図れないから。確かに職種によっては一人で黙々と仕事をするのもあるのかとも思いますが昔の格言で毛利元就が『三本の矢』の話はあまりに有名ですし、今回のラグビーの盛り上がりの中で『ワンチーム』の言葉も拡がりました。『飲みにケーション』と言う言葉は死語になってしまったのでしょうか。介護業界においてコミュニケーション能力は絶対に大切です。

つまり、「一人が良い」ではコミュニケーション能力を身に付ける事は出来ないし、仮に大学等の講義で『コミュニケーション学』なるものを学んでいて知識としては理解していたとしても対面での場面を多く体験して『相手の気持ちを理解した会話』が無くては『絵にかいた餅』になってしまいます。今でこそ「三時間ぶっ通しの講義でも大丈夫」と豪語している私ですが、中学校を卒業するまでは『対人恐怖症の赤面症』だったし、38歳の時に大垣女子短期大学幼児教育科の学生に初めて講義をした時は80分の講義なのに60分で話す事がなくなり4月なのに背中を滝のような汗が出たのを鮮明に覚えています。

ロボットであれば黙々と作業をこなせば良いのでしょうが人が繁栄したのは火を克服して言葉を話し仲間を構成して一人では勝てない相手に打ち勝ってきたのだと考えています。『8050』の問題も地域との隔絶が招いた事。この引きこもり問題は一言で語れるものではありませんので後日に語りたいと思います 。

話題を戻します。私が非常勤講師を週に13コマしているときですから今から25年程前に遡った頃の短大生でも2列前の友達への挨拶をメールでしていたのを見ていて「おかしな事をするな」と思っていたのですが、それから四半世紀が経過してスマホはより便利になって、ますます対人関係の希薄化は進み話すのは必要最低限との考え方が強くなった今でも当施設の職員は報告・連絡・相談の徹底を実践できるのはありがたい事。さてさて私は本日中学時代の同窓会です。中学時代に対人恐怖症だった私がホスト役とは天国の母秋江さんは生きていた時には絶対に思わなかった事だと思うのですが、さてさてリピーターの皆さんはひ弱な宏君と一見怖そうな宏君とどちらがお好みですか。

昭和43年度今須中学校卒の同窓会が明日あります

今須中学校の昭和43年度卒業生は男子21名、女子13名の総勢34名なのですが、昨年初めて当法人の本部施設の敷地内にある『コミュニティーハウス』で同窓会で活用して貰ったら、非常に好評で「来年も是非ここで出来たらお願いしたい。」との事で私は当然のように快諾をしておいて、(約束を忘れていたわけではないのですが全く連絡がなかったので、今年はないのかと思っていました。)1か月程前に世話役の岡島さんから(私たちは親しみを込めて『玉ちゃん』と言っていますが)「今年も頼む」との連絡を貰い本日は明日の準備をわくわくしながらしました。

折角来てもらうのであればと、味噌汁とおでんとおつまみを用意してと買い物をしてコミュニティーハウスではジャンバー等が掛けれるハンガーラックを2階から降ろしたり、窓を全開に開けて空気の入れ替えをしたりとコミュニティーハウスの1階と2階の階段を何回となく上り下りして・・・。だって、お受入れする以上は『お・も・て・な・し』の体制はしっかりしないと。

わたしはこのコラムでも何度か書いた通り中学時代までは虚弱児で勉強も出来なかったので、いろんな意味で自信のない目立つことのない中学生で、中学時代までの私しかご存じない方にとっては、全く別人のようなイメージしか持てない方も多いと思うのですが『事実は小説より奇なり』なのです。34名中13名が参加しての同窓会で、1年ぶりに会う方が殆どですが、会えば50年の時空を超えて会話が弾む事と思います。

お互いに66歳にはなっていますがお勤めや自営業でばりばり頑張っている方や、専業主婦で孫のお守りや介護に明け暮れたりの方が日頃の大変さを忘れてガヤガヤわいわいの会話が途切れたら(多分17時からなので21時過ぎかな)カラオケタイムになってと今年も延々と続くんだろうな。

コミュニティーハウスの利点は例えば一般的なお店なら『飲み放題食べ放題』と銘打って時間規制があるのですがそのような事は全く考えなくて良いのです。しかも、雑魚寝で良ければ何人でも泊まっても良いのです。(ちなみに昨年も2人が泊まられました)コミュニティーハウスは、飲食は自由で準備と片付けをきちっとして頂くことと、室内禁煙を守って頂ければ使用料は1時間当たりワンコインなので、ワンコインは500円ではありません。100円です。「どうしてこんなに安いの」との意見もあろうかと思いますが、これは社会福祉法人の地域貢献の一貫と考えているからです。

リピータの皆さん社会福祉法人杉和会は全方位型でこれからも頑張っていきますので宜しくご支援下さい。

なお、明後日15日(日曜日)15時からは本部施設で『介護者教室』を開催します。内容は『防災対策』についてでメイン講師は、びわこ学院大学教授の烏野先生です。参加して頂ける方は当日の午前中に連絡をして頂ければ大丈夫です。急な話ですが沢山の方が来て頂ければ嬉しいです。

本日、本部施設で幹部会(経営戦略会議)が開催されました

令和元年12月12日

予定の定刻の17時15分から5分遅れで烏野先生(びわこ学院大学教授)がおみえになり幹部会が始まりました。幹部会は課長が3名、部長が4名に副施設長と烏野先生と私の10名で会が開催され課長、部長の7名がそれぞれの立場で提案をして(事前提出)その提案について、検討をして決定をして全体会で全職員に周知する形を取っているのですが幹部のメンバーはこの3年は変わらなくて、提案内容も充実してきたと、家に帰り今(午後8時12分)お風呂に浸かりながらコラムを打ちしみじみ思っています。『継続は力なり』だとも思っています。最初から今日のような提案と検討が出来たわけでなく、最初の内は私一人が話していて検討会ではなかったなと思うと意義深いものを感じます。そして最近の出来事として、確かに飲み込みの悪い全介助の方とは言え『誤嚥事故』がありましたが、お陰さまで厳しい状態を脱して通常の状態になって頂いた方については色々な立場から提案があり、色々な不十分性が見えてきたのですが、最後に私が「平和ボケして伝えなければいけないことを浮き掘りにして貰えて有り難かったので、研修体制の充実を図っていきたい。」と話すると、北島部長が「途中採用の職員に対する研修体制もしっかり取り組みたい。」との建設的な意見も出て、幹部職員の成長には感謝しつつも、『慢心しない』体制も作らなければとも思いました。私はより良い体制に対して貪欲なので委員会活動の再編と充実、ボランティアに対する体制の充実、より加算がとれる為の体制について語ると共に一人の職員に全ての役割を持たせる体制ではなく、牽制がとれる体制を後20日を切った今年中に提案出来るようにしていきたい。とも語りました。22年の経過の中で確かに職員の退職者も殆どなくて日々落ち着いてはいるものの、より充実した対応と共に臨機応変な対応と気付きの充実を図り、より素晴らしい笑顔を醸し出していきたい。その事が地域の信頼をより強固なものにしていくとも思っています。この3日間お腹が張った状態が続き身心共に動きが悪かったし食欲もない状態でしたが、今日は朝はまだ本調子でなかったのですが、午後になり段々と身心共に動きが良くなり食欲も出てきました。そして当施設の働き振りを見ていても思うのですがしっから食事を食べる職員は良く身心共に良く動くと。『馬鹿の大食い』と言うのは真っ赤な嘘だと思いました。リピーターの皆さん。私はこれからもガンガン食べて、ガンガン呑んでガンガン仕事していきますので私の動きをこれからも見ていてください。

1 2 3 4