2019年12月の記事一覧

39・3℃まで熱が上がりました

令和元年12月31日

異常に頭が痛いので朝起きて昨日飛び込みで行った病院に電話をすると9時からは診察しますが、昨日の先生ではありませんが良かったら来て下さい。との事なので車に乗せて貰って出掛けました。

本日は内科の先生が一人だけなので10人位の患者さんなんですがなかなか診て貰えず、苛々してしまい熱が上がってきたように思っていて、「インフルエンザは大丈夫か検査して下さい」と言うと「熱が出て3日も経っているならもしインフルエンザであったとしても薬の効果は無いですから意味がないですよ」と言われたので「私は色々な方とお会いする仕事なのでお願いします。」と言ってから不思議な事を思い出しました。と言うのは職員が熱を出してインフルエンザの検査をしたが、熱を出したばかりなのでインフルエンザだとの判断が出来ないと言われたとの報告を受けていたからです。早くても遅くても駄目だとすると検査の意味があるのか不思議な気がしてきました。

薬を貰うのにも時間がかかり、結局二時間半も病院にいたので、多分私が苛々したためか家に着いた時にはふらふらで家に着くなり熱を計ると38・9℃に上がっていて、直ぐに頓服を飲み横になったのですが頭はガンガン痛いし体はガタガタ震えるしで30分後にもう一度熱を計ると39・3℃で思わず絶句です。とにかく眠くて約三時間眠ると(その間は頭がガンガンでわけのわからない夢ばかりみていて)、目を覚ますと汗をかいていたので全部着替えてさっぱりして一階に下りて熱を計ると37・5℃で少し落ち着いて来ましたがまだ頭の痛いのはあいからわずです。

本日は大晦日ですが明日が元旦で全国的にお正月ですが、私は気力で生きているのかも知れません。12月29日の午前中に咳き込んではいましたが何とか話をすることが出来たのですがその後は寝っぱなし。寝正月とは情けないですが、毎年私がしていたのし餅を切る仕事やお正月用品の購入は出来なかったのですが私の代わりに職員がしてくれた事に感謝して一年間の疲れを癒したいと思います。ところでこのコラムがいつもより短いですがリピーターの皆さん頭がガンガンですのでご容赦下さい。

人間は基本的に気力によって成り立っているのかな

令和元年12月30日

昨日無事にお餅つきが午前中で終わりました。ちぎり餅で『大根おろし』『きな粉』『あんこ』の3種類を入居者さんの分を除いてちょうど10升つまり15キログラムを作って貰ったので(例年より2升多い)頑張ってくれた職員には各フロアで食べて貰い、残った分を手伝いにきてくれたボランティアや職員に持って帰って貰うと共に、日頃お世話になっている方々に配りに行き再び施設に戻り遅い(13時30分)昼食に私もお餅を頂き、「さてさて今年の大きな催しは終える事が出来たし残り少ない今年の時間は片付けをしなければ」と思った瞬間から私の体に異変が・・・。

そんなに大袈裟に言う事ではありませんが急に咳き込むようになり、咳き込むと結構体力を使う為かかなりしんどい状態になり早くに帰らせて貰い、早くに横になり眠ろうとすると体が熱くなるからなのか咳き込みがひどく、長い時間寝たはずなのに体が気だるい。但し、本日は9時30分からのお約束があり着替えて出掛けて二時間近くお話をさせて貰いながら出来るだけ咳き込まないようにしていて喉スプレーをしてなるべく相手の方に不快な思いをしていただかないようにして、お話を終了して車に乗ったらどっとしんどくなったので、その足で病院に飛び込みました。

有り難い事にそれほど待つ事なく診て貰え、病院前の調剤薬局で薬を頂き、食欲が無い時はパンと牛乳とバナナが一番と途中で買って家に帰り、昼食前に食間の薬を飲み、パンと牛乳とバナナを頂き、ベットに横になると、昨夜しっかり眠れなかった為かそれとも体が睡眠を要求したのか二時間程眠る事が出来(あいからわず咳は出ますが)少しは体が楽になり、継続しているコラムを打ってる次第です。しかし、午前中は話し合いをしっかり対応出来ましたが、終わった瞬間からの体たらくは、改めて人間はやるべき事があった時には頑張れる。つまり、しんどくてもどこからか補助エンジンが作動するのかな。と言うことは『やるべき事』が毎日のようにあるから私は頑張れているのかな。国の方針が『働き方改革』と言う名の『働かなくて良い改革』で年末年始は『休むぺし』と言うことで私の体が順応してしまったのかも知れません。等とコラムを打っていると小さい頃の嫌な思い出を思い出しました。

それは母秋江が癌の転移の期間だけ比較的元気になり(不思議な現象ですが事実です)退院して家にいて楽しそうに話をしているのを聞いていた近所のおばちゃんが聞こえよがしに「あきちゃんはあんなに元気なのにのほはんと入院していて羨ましい」と話をしているのを聞いて私の感情の中で増悪が生まれた事を思い出したのです。こんな事を思い出すのは本来の自分でないからかも知れません。リピーターの皆さん。私が体調が悪くて負のスパイラルになっている事から脱出出来るように『元気玉』を私の為に送って下さい。✳最後の件は『ドラゴンボール』愛読者しかわからない話でした。

今年最後のイベントとして餅つき大会が行われました

餅米を蒸す回りにお酒とお塩を撒き、盛り塩もして9時ジャストに火入れを行いお餅つきのイベントが開始されました。

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今は火入れに新聞紙に点けてと言うまどろっこしい作業をしなくても着火剤と言う便利な物があり上手に火が回り勢い良く燃えてくれ、30分もすると三段目のところまで勢い良く湯気が上がって餅つき大会も絶好調。

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今年の餅つきには、高橋工務店の社長一行が10人(息子さん夫婦と娘さん夫婦と子供さん。つまり高橋社長の孫がいっぱい)とかつての入居者さんの孫さんが母子で来て下さったり、職員の子どもさんも沢山来てくれ、また、夜勤明けの職員も沢山手伝ってくれたり、休みの職員も来てくれたりで大賑わいの餅つきになりました。

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3升の石臼に2升の餅米なのでつき手は楽勝なのか、子ども達がパプリカの曲に合わせて踊ったり、太鼓をついて雰囲気を盛り上げたりと楽しい雰囲気の中で2臼はのし餅を作り、3臼目の前に入居者さん利用者さんもホールに揃われたので火の番を高橋工務店社長にお任せして、職員に餅を食べて頂く為の留意事項を改めて話しすると共に参加されている方々に「お餅は一杯ありますから慌てずにゆっくり味わって下さい。」と話をして、食前体操とお茶を飲んで貰い、お餅を楽しんで貰いました。

私はほとんど火の番だったのですが、ギャラリーの方々のお餅の最初のつきをさせて貰いましたが30回もつくと正直『限界』だったのでバトンタッチをしました。

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綺麗につけた餅を小指の爪程にちぎり、大根おろしとあんこを付けて、ゆっくりと味わいながら食べて頂きました。入居者さん、利用者さんは昔ながらの餅を堪能して頂くとそれぞれに満足して頂けたようです。お餅を食べて頂く行為は、特別養護老人ホームにおいては無謀な事と言う考え方があることも充分理解してます。しかしながら、充分な配慮をして実践していく事で満足して貰えれば素敵な時間を持って貰えるのではないかとの思いを職員がいわゆる『ワンチーム』になって取り組めば、思いは通じるし、入居者さん利用者さんの笑顔をみればおのずと「来年も頑張ろう」との気持ちになると考えています。

話しは変わりますが、高橋工務店の社長と話をしていて、社長が施設に来る車の中で中学3年生になるお孫さんに話された内容に嬉しさを感じたので蛇足的なはなしですがさせて下さい。その話しとは「年々優・悠・邑のお餅つきには多くの方が来られるようになってきた。どんな事でも、人が集まって下さると言うのは素晴らしい事だから人が集まって下さるような生き方をしなさい。」と話をしたとお聞きして改めて思いました。「お餅つきの企画も最初から沢山の参加があったわけではなかった。」と。リピーターの皆さん『千里の道も一歩から』です。これからも自分を信じて頑張りますので今後とも宜しくお願い致します。

大谷徹奘師の言葉から

令和元年12月28日

大谷徹奘師の日めくりカレンダーの今日の言葉が私の心にすっと入ってきたので、その言葉を書くと共に私の思いを書く事にします。

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先ずは本日の師の言葉は『自分が大切だと信じるものを   自分が大切に大切に育て続ける   それがすべてだと     私は思う』です。私は師の言葉から一番最初に思った事は『自分でやると決めた事は諦めず、腐らずやり通す事。』私は生まれ育った関ヶ原町今須の地で特別養護老人ホームを作るんだと決めて4年の月日が経過して出来た優・悠・邑は正に師の格言通りでした。何故なら私自身が資産家でもなければ沢山のお金を稼ぐ人間でもないし。ただ、「これからは高齢者を支える施設が無いと家族介護では限界がある。その事に気づいている私が色々な人の理解と協力を得て地域の為に特別養護老人ホームを作らなければいけない。」と思ったわけです。

最初の内は誰もが単なる法螺吹きだと思ってみえたと感じましたし、相談に行った役所等も全く相手にしてくれませんでした。しかしながら『絶対に作るんだ』との思いで語り、一人二人と理解者を増やしその方の中から支援をしてくれる方が現れてきて、一歩一歩形にしていきました。そして4年の月日がかかりましたが平成9年5月に国からの内示を頂き、7月には岐阜県知事から法人認可を頂き、8月8日に建設の入札をして、翌年5月15日に竣工式、18日からの事業開始に漕ぎ着けました。

しかしながら、『思い』だけで作ったので私も正直舞い上がっていて、その当時は職員との考え方に大きな開きがあり、胃に穴が開くのではないかと思えるような経験をして、施設の再編にも信念を持って頑張り今は職員達も私の考え方を良く理解してくれて頑張っていてくれてます。その一つの現象が一昨日のクリスマス会の賑わいだと思っています。

22年前には施設の存在に疑心暗鬼な方も多くみえた事は否定出来ませんが今は地域のセーフティーネットとして欠かせないものと思って頂いてます。これからも、地域の方々のセーフティネットとしての展開をしていきたいしそうでなければ社会福祉法人杉和会の存在価値はないと考えています。私は理事長として10年先、20年先の地域での必要性を考えた展開をしていきたいと考えていますのでより一層のご支援をリピーターの皆さん宜しくお願い致します。

『三太郎』に思う

令和元年12月27日

昨年のクリスマス会で『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』の格好をした職員が登場し私が『帰ってこいよ』の替え歌を歌い非常に盛り上がったので、今年も同じ出し物をさらにパワーアップして、入居者、利用者、家族や来賓の方に喜んで貰おうと本館、新館、デイサービスで代表者を決めて衣装や小道具は共同作業で競わせて、昨日がそのお披露目だったのですが、衣装合わせも練習も一切無しの文字通りぶっつけ本番。

それぞれの担当での準備は万全で落ちこぼれていたのは歌を歌う私だけが落ちこぼれで。歌の方は最近の飲み会で披露していて常にバカウケしていたので自信があったし、歌の披露には私は立派なお腹で歌うわけだし大丈夫とたかをくくっての本番だったのですが、最初に登場してくる『桃太郎』が大きな桃の中から出てきたのに圧倒され、『金太郎』ではかなり恥ずかしい登場で、しかも金太郎は熊の縫いぐるみを着た北島部長が金太郎を乗せての登場で、金太郎を乗せたまま入居者、利用者の回りを歩く姿に感動し、最後に登場した『浦島太郎』の登場時には『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』が私の回りを歩き回られ、私は嬉しさから正直舞い上がり、「亀に乗ってる浦島太郎」と歌わなければいけないのにも関わらず『桃太郎』だったのか『金太郎』だったのか『浦島太郎』だったのかがわからなくなってしまい、三番の歌い出しを間違えてあたふたしてしまいました。

しかしながら、災い転じてで逆に大うけでした。私自身は一曲目で失敗したのが尾を引く形となり二曲目の『夢一夜』は上手く歌えたのですが「早くに終わりたい」と言う気持ちがあったのか三番があったにも関わらず終わってしまい、私自身はメロメロでしたが、聞き上手な方に助けられた次第です。

私の次の出し物は職員のダンスによるパフォーマンスだったのですが、私は見ることが出来なかったのですが大変好評だったようです。そしてクリスマス会のメインゲストの山崎ていじ歌謡ショーでは、私の出番をていじさんが作って下さったので、ここは名誉挽回をするため赤のズボンに緑のジャケットでていじさんのヒット曲である『おまえしか愛せない』を歌わせて貰ったのですが、私が歌うときにはていじさんは段から下りて私が段に上がらせて貰っても、横にいるていじさんの方が背が高いのは許せん話だけど仕方がないか。でも、本人を前にしてもしっかりと歌えたのは良かったです。

クリスマス会も終わり、ていじさんと来賓の方々でケーキを食べて頂き最後は記念写真で盛り上がりました。29日にはお餅つきもあるし、一つひとつ楽しみを大切にしていくのが優・悠・邑及びえりかの里の真骨頂。リピーターの皆さんこれからも応援宜しくお願いします。

 

『夢一夜』の世界です

昨日は朝早く東京の都市センターホテルで目覚め(5時前に)ゆったりゆっくりお風呂に浸かり、その後荷物の整理をして着替えを済ませ東京駅に向かいました。(時間に余裕がある時はタクシーも直ぐに確保出来るのは不思議です。)6時35分には東京駅に着き7時発の新幹線に乗りました。(この時間だと朝まで飲んでいた方何でしょうか若い女性が介助されていてもふらふらと歩かれて何故か大きな声で泣かれているのは何と理解して良いのやら)券売機で切符を手に入れホームに行くと既に列車が停まっていたので乗り込み座ると同時にコラムを打つ手際良さ(だって施設に帰ったら丸2日間施設を空けていたので目一杯のスケジュールが待っているから)コラムの打ち込みに集中していて、新横浜を過ぎた頃に販売車が来たので迷う事無く『おむすび弁当お茶付き』500円を買って、お弁当を頂きながらコラムを打ちながら私は「これからも、何回このお弁当を食べる事になるのか」と思いました。だって、元気に飛び回れるからこその『おむすび弁当お茶付き』何だから。施設に帰ったのは9時30分過ぎで、11時からは葬儀の参列やら、13時からは順次お客様が来て間隙を縫ってクリスマス会の打ち合わせをして、もう一つ間隙を縫ってやらなければいけなかったクリスマス会での私のステージ衣装の検討が全く出来てなくと本日の本番を迎えてしまい、午前中は年末の挨拶にお見えになった方々との挨拶で終わってしまい、12時前には本日のメインゲストの山崎ていじさんと世古口緑さんがみえたのでご一緒に昼食をとっていると次々にお客様がみえて、いつもの事ながら「開会の挨拶が全く考えてない」と言う事ですが何とか不手際もなく挨拶をして、来賓の猫田先生の挨拶後は私の出番の為に施設長室で着物に着替えるのですが、鏡に写した私の姿はどこから見ても『相撲取り』のようで、北島部長に借りた帽子はアルカポネのようにカッコ良いものではないけど「まっ良いか」と言う事で。ばたばたで歌い出して思ったのは「この企画はぶっつけ本番で大丈夫かと言うより大丈夫にしなければ」で三太郎では、職員の準備の良さに気をとられて失敗ばかりでしたが何とかクリア。次の『夢一夜』ではしっかり歌えたと思って「やったー」と思っていたらまだ途中だったの大失敗。でも一生懸命に頑張ったと言う事で。今(17時14分)から大垣の中華料理でていじさんを囲んで飲み会ですが取り合えず本日のコラムはクリアと言う事でリピーターの皆さん「飲み会に行ってきます」※テーマと全くあってませんが私が衣服を脱ぎ散らかしたと言う事でご容赦下さい。

予定より1時間30分早い列車に乗りました

令和元年12月25日

昨日は全国老施協の午前9時30分から正副会長委員長会議があり(宿泊させて頂いた都市センターホテルだったので助かりました。)午後からは本部事務所がある平河町にある塩崎ビルまで皆川副会長と歩いて移動する途中で昼食にお蕎麦を頂き、会議をする会場に入る前に事務所にいる職員に挨拶をして(私は当然の行為だと思うのですが、今の若い役員はしないのが多いので、常識教育をガンガンしていくのも私の役割だと考えています。)会議会場に行き雑談していると私の長男である和合の事務長が同じビルの中で行われている研修に来ているとの情報を得て携帯で呼び出し役員の方に挨拶をさせていると総務・組織委員会のメンバーが揃ったので、定刻(13時30分)より10分早く始めました。総務・組織委員会幹事の田中君の進行で始まり、先ずは担当副会長の皆川さんの挨拶な引き続き委員長である私が挨拶をさせて頂き会議が進んで行きました。総務・組織委員会は全国老施協の魅力を引き出す為に全国8ブロックに出向き役員さんとの意見交換をして意見集約をしたものを業務執行役員会に上申すると共に各委員会に魅力ある提案実践が出来るサポートをして、会員事業所を増やすと言う大切な役割を担っているのでそれぞれの委員さんも各地で重責を担っていて尚且つ論客揃いで、活発な議論で昨日のコラムでもご紹介したように予定の終了時間を遥かに越えての委員会でした。

会議終了後は『良く学び、良く遊べ』で、忘年会に場所移動をしてお腹を膨らせながらの飲み会で一次会を終え、参加者全員が東京都のタウンミーティング終了後二次会で東京都副会長で全国老施協の広報委員長の案内で連れていって貰った歌えるお店に移動して歌もガンガン歌いましたが、参加者全員が歌を良く知っていて尚且つお上手。自分も含めて言うのは恐縮ですが『出来る奴はやっぱり凄い。流石に総務・組織委員会のメンバーは選りすぐりばかりだと思いました。そして昨夜は23時前にベット入り、前夜とは違い直ぐに爆睡出来たので5時には目覚め、お風呂に入り再び横になるより早く帰って仕事をしたいと東京を7時発の新幹線に乗り今(午前8時11分)は列車の中で本日のコラムを打っています。明日は新規事業の打ち合わせに垂井町長、副町長、担当課長、担当課長補佐が施設に9時に来て頂く事になっていますし、午後は山崎ていじも来ての1日遅れのクリスマス会もあるのでパワー全快でいなくてはいけないし、どんな展開が待っているかはわからないのが今の私の立場ですからコラムも打てたし、リピーターの皆さん、こんな私の生きざまに対して今まで以上に応援して下さい。(と、まで書いて大変な事に気がつきました。明日は本部施設でのクリスマス会で私の出番があるのに本番で着る衣装が決まってない。このままだと南こうせつの『夢一夜』の宏君バージョンになってまう・・・)

昨日のご報告

昨日の新幹線で東京への移動までは書きましたのでそれ以降の事を書きます。

12時10分に東京に着き、代議員総会が行われ宿泊先でもある都市センターホテルに移動して、まだチェックインは出来ないので荷物だけ預けました。昼食にハヤシライスを食べて(これ以上必要ないのに、肉がたっぷり入っていました。)会議の受付をして会場入りしました。

時間が早く(開始時間の1時間前)一番乗りだったので総務・組織委員長としての役割として4ブロック(関東・東海北陸・近畿・東北)で行われた役員懇談会の意見集約と方向性についての発表原稿の最終チェックをしていると定刻の14時になり、厚労省の動きについて北條専務(この9月末まで厚労省の審議官だった方です。)から説明があり、人材確保についてコンサルティングを行っている方の興味ある話を聞いて、偉そうな言い方で恐縮ですが当法人の考え方に近いものがありましたが、具体的資料については追い付いていないと感じました。

その後15分の休憩を挟み代議員総会が始まり、平石会長、石川顧問、園田常任理事(参議院議員・厚生労働委員長)の挨拶があり、その後質疑応答があり、最後のブロック懇談会の話をさせて頂きました。私的には全国の代議員さんの前で話をするプレッシャーはありましたが、昨夜もずっと話の内容をシュミレートしていて最終的には会議前にも考えていたので、本番では自分なりに上手くいったと思っています。会議終了後平石会長からも「コンパクトにまとまっていて説得力があった。」とお褒めの言葉を頂きました。

その後懇親会もありましたが、前夜はしっかり眠れなかったのと、朝から看取り対応をして正直バテバテなので、二次会には行かずに部屋に帰り早くに横になりました。それに、翌朝は9時30分から正副会長会議があり午後からは総務・組織委員会があり、会議終了後は委員会の忘年会があるので、大人しくおとなしくの対応です。

自分らしからない行動で昼間の抑揚感があったためか、いざ横になって寝ようとしても目が冴えて寝返りを何回もうって、あまりに眠れないものだから電気を付けてテレビを見たりして再び横になったりして、何とか朝になったのですが、こんな事なら二次会で外へ飲みに行った方が良かったかな。でも、肝臓が悲鳴をあげそうだから眠れなくても横になっていたのは良かったのかな。何事も良いように考えれる私は幸せ者ですかね。リピーターの皆さんdどう思われますか。

親子はこんな所も似るんだな

令和元年12月23日

昨日和合の施設での全体会が終わり帰り際に私の長男(事務長)と長男の嫁と孫の翔が私を見送ってくれた時に前日の乾町議の後援会の忘年会で参加された方々としっかり話をするためにしっかりお酒を頂いて家に帰ってからラーメンを作って貰い、食べるときに多分酔っぱらってだと思われるのですがラーメンをこぼしてしまい嫁さんに怒られたとの話を聞き、我が家にはインスタントラーメンなるものはストックしてないのでラーメンを食べる事はないのですが、お酒を飲んで帰ると異常に食欲が湧き、いつもおやつで食べる大きなあられをばりばりと食べてしまい、翌日になって後悔するのですが、こんな所まで父親のDNAを受け継ぐのかと思うと、ますます親父の背中をしっかりとしていかなければと思いました。

朝からバタバタでしたが充実した展開にしたいです

本日は全国老施協の代議員総会があり、総務・組織委員会委員長としてブロックの役員さんとの懇談会の中間報告と方向性についと話をしなければいけないので早朝の4時30分には目を覚ましお布団の中でイメージ作りをしていて、6時には起きて施設に行こうと考えていて、5時58分のタイミングで看取りの入居者さんが厳しい状況との事で10時15分岐阜羽島発の新幹線に乗るのにどの様な展開になっても良いようにスーツに着替え施設に行き嘱託医の先生と家族の方を状況把握をしながら待っていて、家族の方(実は中学までの同級生)、そして嘱託医の先生の順に来て頂き7時25分に嘱託医の死亡確認をして頂き、その後は家族の方と今後の段取りについて話をさせて頂きました。いつもの事ですが亡くなられた入居者さんをお風呂に入れさせて貰い身繕いをさせて貰いご自宅にお送りする事にして、家族の方には家の片付けの為に帰って貰い、昨日の昼食で食べなかったジャムパンと飲み物で朝食を済ませて本日な報告内容の検討をしていると9時を回ったので車で岐阜羽島に行き今は(午前11時10分)で新幹線の車中ですが、いつもの口癖『予定は未定であり決定ではない』の教えを守りコラムを早々に打ってます。現に今朝も想定外の看取り対応があったわけだし。本日の会場である都市センターホテルには会議の1時間30分前には着くのでホテル内でもう一度話すないようについておさらいをして、後は私の経験してきた事を信じて誠心誠意を尽くして話をしたいと考えています。予習も復習も学生時代全くしてこなかった私ですが今のこの変わり様を天国の母秋江さんが知ったら(多分天国で見ていてくれるとは思いますが)ビックリですかね。リピーターの皆さんこんな私ですがこれからも頑張りますので応援宜しくお願いします。

令和2年度の戦略について話し合いをしました

本部施設の令和2年4月からの体制について理事長である私と副施設長とびわこ学院大学教授で当法人顧問の烏野先生の3人で二時間をかけて話し合いました。烏野先生は金曜日の20日から災害があった長野県長野市の被災地に行かれていて、直接本部施設に来て頂いたとの事で、烏野先生のタフさに敬服すると共に会議では、しっかりアドバイスを頂きました。主な話題は最近の本部施設の課題は『平安之福』は大変良い事なのですが『平和ボケ』しているところが随所に見られるので、引き締めを図りつつ、お互いが牽制機関の役割を持てる組織 にして、尚且つ『今日一日楽しかったよ』の実践をしていける体制を確立する取り組みをと言うものでした。職員一人ひとりがモチベーションを高く持ちながらキャリアアップに取り組む為にはどのような体制が必要かについて、私と副施設長が意見を言って烏野先生が取りまとめると言う形で進め、今日話し合った事を3ヶ月の根回しにより確実に形にして行く事にしました。実は18時から和合の施設で全体会が予定されていたので、17時15分には烏野先生の車(ちなみにベンツに乗ってみえるのですが、烏野先生は全国を車で飛び回ってみえるのでガタイの丈夫なベンツに乗られているのです。)で和合に乗せて頂く予定でしたが時間が延びて5分遅れで会議に参加しました。和合では会議の前に『ヒヤリハット』の研修がされていて、ちょうどグループ討議がなされていました。その内容はグループ毎に絵が渡されどこにどんなヒヤリハットがあるかを探すものでグループの代表者が見つけたものを発表しているのを聞いていて、「これだけの気付きがあるのであればしっかりとした対応は出来るはず」と思いました。昨日はお酒をたらふく飲んでいたのでコラムを打ち出したのに知らない内に眠りにつき気がついたら午前3時過ぎで何とか送信記録を確認すると4時29分に送っていて、再び寝ようとしていた4時40分に緊急の連絡が入り電話でのやり取りをしていたら6時を過ぎ(救急車で病院に行って貰いましたが再び施設に帰ってみえました。)再び寝ようとしてもすっとは寝れず、ぐたぐたしていて施設でも頭の働きが悪いなか明日の全国老施協の代議員会での総務・組織委員会報告(与えられた時間は20分です。)のまとめがなかなかまとまらなくて昼食後は家族会主催の誕生会に引き続きの会議で和合からの帰り道とその後のお風呂でクリアしたのですが総務・組織委員会については内容がまとまらないので、ここは居直って明日の朝早くに考えをまとめて、10時15分岐阜羽島発の新幹線に乗って東京にいかなければと考えています。リピーターの皆さん時間がない充実した日々を送っていれ宏君に拍手をお願い致します。

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