2019年10月の記事一覧

ラグビー準々決勝をテレビ観戦して感じた事

令和1年10月21日

ラグビーワールドカップ日本大会予選は日本が大会前の予想を覆す破竹の勢いで4戦全勝で勝ち上がり日本中に「もしかして世界制覇」と大いなる期待と錯覚をもたらした中での準々決勝が昨夜行われ全くラグビーのルールも知らない私も試合を観てしまいました。ただし、事前の予想をする方々が勢いの中で『絶対に勝てる』的な騒ぎ方をされているのにはやや懐疑的に見ていました。そして、その思いは試合前のセレモニーで確信に変わりました。その理由は国歌が流れてきた時に日本の選手の何人かが泣いているようにみえたからです。そして、南アフリカの選手は『これでもか』と言う位に大きな口を開けて歌われていたのです。この光景を見たときに私は『戦わずして負けたな』と全くラグビーの知識がない私は思ってしまいました。試合前の予想する方の中に「南アフリカの選手は重量級ばかりなので後半はバテて動きが悪くなった時がチャンスだ」等と勝手な事を言っているな等とも思いました。そして試合が始まった早々に南アフリカにトライを決められ5点を先行されました。予選でも先行を許す事が多かったので私もここまでは『いつものパターン』と見ていたのですが、スクラムを組んでいるときに南アフリカに押されっぱなしのように思えた時に「予選とは違うな。日本に対してマジできている」と思いました。勿論予選を相手国が手を抜いてきたわけではないのでしょうが長期的な戦いを考えた作戦にたったものを相手国は考えた戦いをしていて、日本は一戦一戦を最大限の力を出し切った戦いだったのではないかと素人の私は勝手な評論をしてしまいました。そして、南アフリカは後半になっても予想に反して縦横無尽に走りパスをつなぎトライをもぎ取って行きました。その時に私が注目したのは南アフリカの陣容は選手が綺麗に横一線に戦っているのに対して日本の選手の陣形はバラバラなように見えました。「これでは日本のお家芸であるチーム力を生かした戦い方ができていない。それどころか南アフリカに日本のお家芸を取られてしまっているな」と思った次第です。しかしながら、試合終了のホイッスルがなる瞬間まで手を抜かず全力を尽くす姿には感動しました。(ここまでの原稿は朝4時に目が覚めコラムを打ちたくなり5時過ぎまでに打ったものです。)

私はラグビーの事を全く知らないので私の見方が正しいのかがわからなかったのですが、朝の報道番組を見ていて「ベストエイトに入る事がラグビーの世界では大変な事で素晴らしい事だったんだ。」と気付き私は選手達の前回大会から4年間の血の出るような努力を理解せずに語った事を恥ずかしく思っていると同時に何も知らずに叱咤激励をしていた自分に対して恥ずかしさを覚えると共に自分が限界まで頑張っている時に「もっと頑張れ」と言われた時の焦燥感を思い出しました。そして改めて何事も全力を尽くした時の美しさを今回の日本のラグビーに感じました。しかし、本音で言えば「もう少し長く観ていたかったな。」と正直思いました。あっ、これは日本中の本音だったか。でも、選手達は新たな歴史を打ち立てたので、次のステージを見させてくれると信じてます。決して日本大会だったからと言う事のないことを信じています。最後に楽しい夢をありがとう。インターネット上の情報ですが昨日のNHKの実況放送の視聴率は40パーセントを越えたとの事。これは間違いなく日本中に夢と期待を与えた数字だと思います。一見乱暴な格闘技のようなスポーツにみえる競技でしたが実は激しいスポーツだからこそマナーがしっかりしているのだと理解しました。まだまだルールもしっかりわかっていない私ですが引き付けるものを応援していきたいと思います。日本の選手の信じての血が出る程の練習の結果を私も見習っていきたいです。

古き良き時代の甘えん坊。その名はヒロシ君

令和元年10月20日

虚弱な私が小学校に入学して1年生から3年生までの担任の先生は塚原先生と言う女性の先生で甘えん坊のヒロシ君はその当時は日曜日にも『日直』のシステムがあり、塚原先生が日直だとわかると私の母親秋江さんに塚原先生とヒロシ君の二人では食べきれないくらいの食べ物を作ってくれて1日中塚原先生の近くにいてにこにこしていたように記憶してます。塚原先生は結構わがままな先生でその当時の学校給食に出てくる脱脂粉乳がお嫌いで飲まれないのを知っていて私は好きでもないのに塚原先生に褒められたい一心で塚原先生の分まで飲んだ記憶があります。こんな対応の仕方を小さい頃からしていたからでしょうか、相手の身になって自己犠牲ができるようになったのかとも思います。(つまり、アクションに無駄なし)塚原先生とは中学校を卒業して大学を卒業するまでは結構接点を持っていたのですがそれ以降は年賀状のやり取りくらいだったのですが、私が今の事業を始めて3年ほど経過した頃に塚原先生が住まわれている近江長岡での老人会の記念講演に講師として呼ばれた時に塚原先生も講演を聞きに来られていて、わざわざ控え室に来て下さり「宏君が高齢者施設で頑張っている事は聞いていて、あのひ弱だった『ひろっちゃん』が凄い事してるんやと嬉しく思っていたんやよ」とお声を掛けて頂いたのはとても嬉しかったのを覚えています。その後はお会いすることもなかったのですが、10年程前に塚原先生の妹をなのる女性から『姉が闘病生活をしていて、妹である自分が介護をするのにも限界があり、介護事業をしている私にアドバイス等を頂きたい』との主旨の手紙を貰い、次の日には入院先の病院に行きました。そこで、塚原先生から「妹に付き添いをして貰っているがずっとは出来ないのでなるべく早くに家政婦さんを頼みたいが何とか探して貰えないか」との事だったので、施設に帰り直ぐに関係する所に連絡してなるべく早くとの私の意向を受けて翌日に病院に行って頂く手際よさで対応して貰ったのですが、わざわざ大垣から長浜まで出向いて貰ったにも関わらず「まだ大丈夫」と返事されたと依頼した事業所から連絡を貰い、またまた直ぐに病院に駆け付け「そんなに都合良く手配していただけないのを無理して都合をつけて来ていただいた方を断るのは考えられない。私も面倒見切れません。」と言ったきりになっていて、ある時看護師の面接に来た塚原先生の住所近くだった方に動向を確認すると塚原先生は既に亡くなっていると聞き、酷いことを言ったきりになっていてそのままにしておいた事を悔やみその日の夜に先生のご自宅に訪問すると妹さんがたまたま家にみえてお線香と共にお経をあげさせて頂きました。頼られていながら中途半端な対応しか出来なかった出来の悪い私でしたが月に1度しか通って来られない妹さんによって家に入る事が出来たのは塚原先生も私にお経をあげさせお許しを頂けたのかと勝手な解釈をしているのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

奇想天外な母秋江さんの事

令和元年10月19日

10月9日に母秋江さんの事について書いた時に「フィーバーフィーバー秋江さん」の奇想天外な事について書きますとお約束した事について本日、書くことにします。

私は小さい頃病弱だったのですがラッキーな事にその当時には『今須診療所』と言うのがあり、本多先生と言う女医さんがみえて、若山家の縁の下には酸素ボンベが置いてあるような事もありました。多分私は本多先生が今須に常駐されていたお陰で今があると言っても過言ではありません。そんな大切な本多先生なのに母秋江さんは息子の診察を丁寧に診て貰えなかったのが納得いかなかった時があり、診療所まで怒鳴り込み本多先生が我が家に見舞いの品を持ち謝りにみえた時には私も子どもながら驚きました。

病気がちだった私も何とか小学校に入学して5月に遠足があり母秋江さんは、虚弱な私が遠足に参加するのが心配だったのだと思います。ここで私の母秋江さんのフィーバーは、親しくしている同級生のお母さんを伴いその当時の事ですから(60年前)歩いてる一団の後ろをリヤカーを引きついてきたのです。その時の母秋江さんの論法は「我が息子の宏は全部歩く事が出来ないと思うのでいつでも乗れるようにしよう。但し、他にもえらい子は乗せるのだから文句ないでしょ。」と言うことだったと思います。この行動力は今須の生え抜きの娘だったからこそのものだと思います。このような事は後にも先にもこの一回だけですから。

そして、冬のシーズンになりまたまたフィーバーを起こしました。それは、前回のコラムで書いたように私の手足は冬のシーズンは霜焼けで大変なのですが、その当時の学校はコークス(石炭を再利用したもの)のダルマストーブで、その当時は安全策がしてなかった事に目をつけた母秋江さんは小学校の全学年分(6個分)の金網の柵を寄付する事をその当時の校長先生の所に行き話しすると共に交換条件を飲ませたのです。その条件とは①虚弱な息子である宏をストーブの一番近い席にする事。②豆炭アンカに足を突っ込める袋を作成し学校に持参しても良い事③霜焼けで靴も履けない状態になったら姉光子(その当時中学1年生)におんぶされて学校に行く事を許可する。と言うとんでもない条件だったのですが、母秋江さんの勢いに押されたのか全ての許可がでたのです。今だったら考えられないような事ですが息子を思う親心で叶ってしまいました。

その当時の私はそんな状況にも何の疑問も持たない軟弱な子だったのです。但し、ストーブの真ん前の席で足元には豆炭アンカがあり、授業中は『熱くて熱くて』先生の話は全く耳に入らず「早く授業が終わらないか」とばかり考えていました。また、姉光子さんにおんぶして貰うのを「楽ちん楽ちん」と思ったのは3日間位で、痛い足に我慢して靴を履き滅茶苦茶時間を掛けて学校に行った記憶があります。こんな母秋江さんは私が小学3年の頃子宮癌がみつかり、不思議な事に「もう駄目だ」と言う状況になると胃癌、肺癌、最後は骨癌となり、その当時の事ですから痛み止めはモルヒネしかなく錯乱状態になる事もありましたが、私が中学1年の12日の日には遺言のようにしっかりと「宏は長男だからお父ちゃんを支えなあかんし、これからは一杯種蒔きをしなさい。」と言ってくれました。私の自己本位的な考え方で言うなら、私にこの言葉を言う為に癌の転移を繰り返し痛みの中、モルヒネで頭が錯乱してでも生きてくれていたのかと考えると、母秋江の思いは半端ないと思っています。

リピーターの皆さん。私は今生かされていることに感謝して母秋江が生きれなかった分も生きて頑張りますので今後とも宜しくお願いいます。

 

 

昨日は全国老施協関東ブロック役員との懇談会がありました。

令和元年10月18日

全国老施協では今年度から全国8ブロックに出向き組織強化と会員入会促進の為に各ブロックのそれぞれの代表者との懇談会を持つ事になり、先陣を切って関東ブロックでの懇談会が東京飯田橋にあるホテルメトロポリタンで開催されました。

この企画の仕切りは総務・組織委員会なので委員長として参加させて頂きました。当日は全国老施協役員としては平石会長、鴻江副会長、大山副会長、峯田副会長、北條専務理事に参加頂きました。関東ブロックは東京都、神奈川県、 千葉県、埼玉県、群馬県、茨城県、栃木県、長野県、静岡県、新潟県の1都9県に政令都市も横浜、川崎を始め沢山あり、役員の方も沢山おみえになり、役員の中には本部役員をされてみえる方も多くおみえになりましたが、初めての方も多く参加されていたので、会議が始まる前に名刺交換をしてお話もしっかりさせて頂きました。

最初に関東ブロック会長の川邊先生が開会の挨拶をしていただき、先般の台風15号に引き続いた19号による被害が関東地区にも甚大で、全国老施協との連携もしっかり取りたいとの発言に今回の懇談会のキーワードの一つがあるように感じました。川邊ブロック会長に引き続き全国老施協の平石会長が挨拶され、新規会員施設の獲得の為に何をなすべきかをしっかり、この懇談会の中で理解出来たらとの挨拶を頂きました。その後、全国老施協の役員紹介を全国老施協総務・組織委員会幹事の田中君にして貰い、次に全国老施協の今後の展開について話題提供も含めて森岡副委員長にしてもらいました。その後は意見交換会になり、台風19号への援助体制についての話しについては、平石会長の他に静岡県の災害対策委員長と担当副会長の峯田さんが答える形で進んでいきました。私も全国老施協が推し進めているDWATの隊員として当法人の職員を派遣出来る旨を話ししたかったのですが、時間の関係で出来なかったのは残念だったので派遣要請している埼玉県川越市の役員の方に懇談会終了後直接お話させて頂いて、切実な問題だと感じました。

意見交換では全国老施協の問題点について厳しいご意見を頂きましたが平石会長は一つひとつ誠意を持って答えて下さり素晴らしい懇談会になりました。但し、この懇談会はこれで終わりではなくて、意見集約をして、今後の展開に生かしていかなければ単なるガス抜きだと言われかねません。勿論そんな展開にするつもりもありません。8ブロック全てで懇談会があり私も委員長として全てのブロックに参加させて頂き、可能な限りの手立てをして全国老施協がより良い活動を展開して新規会員促進に私なりに汗をかきたいと考えています。全国にはまだまだ多くの論客、知識人がおみえになるとおもいますので『わくわく』とした気分です。リピーターの皆さん。ますますバージョンアップしていき、このコラムもより充実させていきますので今後とも宜しくお願いします。

 

東京の地下鉄に初めて一人で乗りました

令和元年10月17日

昨夜は全国老施協正副会長委員長会議があり、本日は午後から全国老施協関東ブロック役員との懇談会があり平河町にある都市センターホテルで泊まらせて頂いたのですが、チェックアウトが10時だったので懇談会までにはたっぷり時間があるのでタクシーで行くのも勿体無いし、時間がある時に『地下鉄も乘れるようにしよう。』と言う事でホテルをチェックアウトする時にフロントで聞くと、「麹町から地下鉄有楽町線で1本です。麹町までは歩いて5分です。」と教えて頂いたので地下鉄の麹町を目指して歩きました。

そして地下鉄の入り口までは確かに5分位だったのですが券売機で切符を買うのに、地下鉄のルートが掲示してあるのを見てもなかなか『飯田橋』が見つからない。「そうだ。有楽町線は何色だ。」(偉いです。何がって?『有楽町線』と覚えていたことが。)有楽町線のルートが黄土色だったので先ずは現在地を確認してから飯田橋を探すと2つ目だとわかり券売機で切符を買おうとしても操作が違っていたのか現金が入らない。何度も焦りながら操作をやり直して(多分まだやり方を理解しているとは言えません。)何とか買うことが出来ました。しばらくホームで待っているとホームに凄い勢いで10両の列車が入って来ました。(関ヶ原駅のようにゆっくりとは入って来ないのでホームに落ちられたら助からないのは当たり前か。)

そして楽々で座って6分で飯田橋駅に着きました。目指すメトロポリタンホテルの出口がわからないので「どうするかなあ」と改札出口を出ると案内板がありました。メトロポリタンホテルは『A-2』と書いてあったので標示板を見ながら歩いて行くとこれが結構な距離です。しかしながらここまで来たら案内板に従うしかない。何とか『A-2』にたどり着き上に上がりまたまた案内板で目指すメトロポリタンホテルを探し掲示通りに歩いて行きましたが、不安になるくらいになかなか着かない。確かに「大丈夫か」と思いながら歩いているので長く感じたのも事実ですが。

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途中で聞く所もなく私の地理的感覚を信じて歩いていて諦めかけた時に目指していたメトロポリタンホテルが見えて来ました。大きな荷物をガラガラ引いていたので、ホテルの方から声を掛けられました。(決して怪しくて声を掛けられたのではありません。)午後から会議があることを話して、まだ時間があるので休憩場所を聞くと案内してくださったので、今はソファーに腰掛けながらコラムを打ってます。そして、初体験の『一人の地下鉄の旅』が成功裏に出来たのは、自分の口と耳と目を駆使出来たからだと思いました。そして改めて大きな荷物を転がしながら旅をされている外国人の方に敬意を表します。リピーターの皆さん66歳になって初めて東京の地下鉄に乘って目的地にまで行けた私に拍手を・・・。

 

 

本日から東京への出張ですが朝6時15分から頑張ってます

令和元年10月16日

昨夜はくたくたで21時過ぎに寝たので4時前には目が覚め(年寄りか、いやいや年寄りなのですが)、いかにも早いので5時50分に起きて、出張の準備もして施設に出掛け本日清掃するフロアの本館2階に行くと、本日の起床介助は殆ど終わっていて(もう少し寝ていたかった入居者さんにはご迷惑を掛けてしまいました。)吉田部長、西川課長、西村課長が一生懸命にベットの隠れている埃の掃除をしていました。声を掛けると「こんなに埃があるなかで寝て貰っていたんですね。」との答えが返ってきたので、今回の徹底的な清掃の意味の40パーセントは成果を収めたと思います。

残りの30パーセントは幹部が理解した事を全職員に周知し理解させることで後の30パーセントは理解した事を形にして継続することだと思います。私は本日も出張でいない訳だし、全職員が「何故そうするのか」の意味を理解して、法人の思い、施設の思いを理解した展開をしてくれる事を私は理事長、施設長として節に願っています。

今は(午前1028分)浜名湖を越えた辺りを新幹線で通過しましたが、本日は全国老施協正副会長委員長会議があり、私は本部役員になり13年が経過した今、中村会長が礎を築かれた組織が弱体化している事について是は是、非は非でしっかりと意見を言って行くのが私の役割と思い頑張っていきたいと考えています。だって、岐阜からの交通費、宿泊費(明日関東ブロック役員との懇談会に総務・組織委員長として参加させて貰う為)を本会の会員からの会費で支払って頂くのだから。総務・組織委員長としては、会員促進の為にどのように汗をかくかに尽きると考えています。但し、この事を推し進める為には、各委員会との密なる連携を取る為にも若手である幹事の方々の相談を受けながら委員会の運営が円滑に行くようにしていく事であり、時には事務局員達との連携も取っていかねばいけないと考えています。

今、全国老施協では、ウェブアンケートを会員施設の職員(勿論、施設長等の幹部職員も)に対して実施しているのですが、回答してくれる方が少ないと聞いています。この現象は会員施設の上層部と言われる方々の意識の無さに基因していると考えています。勿論全国老施協の役員がウェブアンケートの重要性を理解する事から始めなければいけない事も百も承知で言っています。5年先、10年先いやいや30年先を見通して展開していかなければ組織は弱体化していきます。私が出来るのは良く出来て後10年です。今、30代40代の方を叱咤激励をしつつ良き方向性を見いだしていきたいと考えています。

さてさてリピーターの皆さん、私を取り巻く環境は内外共に厳しいものがありますが蒸気機関車のようにガタイ強く頑張っていきますのでこれからも宜しくお願いします。

 

朝から『嫌味じじー』をやってしまいました

令和元年10月15日

全館清掃の2日目は新館1階だったのですが、昨日と同じ新館のフロアと言う事もあり、朝6時30分に現場を見に行くと、既にフロアからの誘導を開始していたので、安心して入居者さんの見守りに徹しました。

そして、見るとは無しに新館1階の共有スペースに設置してある仏壇の中を見ると線香立ての灰が溢れんばかりになっていたので、大きな紙を敷き線香立ての中身を全部紙の上にあけて、灰を手でかき分け灰でないもの(大体は線香の残りかす)をみつけては排除して、灰だけを元の線香立ての中に戻す作業をしました。私がしている作業を見た職員の中には「嫌味じじー」と思ったかも知れません。

でも、線香立ても綺麗になり朝食までには20分程時間があったので、お経さんを私が導師になって『正信偈』をあげだすと、お経の本も無しに声を出して唱えて下さる方が複数人みえ、声を出されない方も静かにお経を聞いて下さいました。昨日のカラオケと日本昔話では、全員の方が興味を持たれたわけではありませんでしたが、本日は全員参加で出来て、気分も乗ってきて朝食までにはまだ若干余裕もあったので般若心経も唱える事ができました。自己本位の思いですが「これで一先ず新館は浄化したかな」と思うと共に、明日からの2日間で本館もこの調子で浄化出来たらと考えています。

但し、明日は全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議が有り、明後日は関東ブロック代表者会議があり総務・組織委員会委員長として出席する為に明日早くに本館2階の確認だけしたら東京に向かわなければいけないので、職員に任せて出掛けます。現場の職員の働きをじっくり見る機会は殆どないので今回の全館浄化の中での職員の動きの中や考え方を理解出来、今後の対応にとってもプラスなったなと考えています。これは正に『転んでもただは起きぬ』の真骨頂かな。

新館2階の清掃がなされている時ではありましたが10時30分から垂井町役場内で新規施設に対する打ち合わせがあり、垂井町側からは、副町長さんを初め総務課、建設課、健康福祉課の課長さんを含む担当者が参加して下さり話し合いを持ちましたが、自分で話をしながら自分で言うのは絶対におかしいと思うのですが敢えて言わせて貰うと「よくもこんなに理路整然と話が出来るな」と思うと共に、中学生までの思っていながらも話が出来なかった頃の事しか知らない母秋江さんは自分の息子の事が歯痒かった事と思います。

(今パソコンを打ちながら思い出した事を書きます。)私が小学生の頃はいわゆる『学芸会』と言うのがあり、いつもいつも私はその他大勢組だったのですが、何年生の時かは忘れましたが、最後に一人で登場する白髭を生やしたお爺さん役が決まり、家に帰って母秋江さんに報告するととても喜んでくれて衣装等を作ってくれるのを見ていて、「実は台詞が無く、中央まで歩いて行き黙って会釈をするだけ」とは言えずに本番を迎え、張り切って息子の姿を見に来た母秋江さんは家に帰って息子の私に「老人のように上手に歩けて良かった」と言って貰ったのを思い出しました。だから、母秋江さんにとっては息子である私が大きく育つか、社会人としてやっていけるか等々心配なまま私が中1の1月に他界したので、今、しっかり話が出来るのは、ひょっとすると父進さん、母秋江さん、姉光子さんが私の耳元でささやいでくれているのかも。もしこれが本当なら吉兆の息子さんと変わらんのかも知れない。いえいえ決してそんな事はないですから。(当たり前か)「AB型」の私が何らかの事をきっかけに変わったんです。変わった出来事も分かっているので何れこのコラムで書くことにします。

 

 

カイセン撲滅初日

カイセンと断定された方は一人だけですが、『疑いがある事は疑え』でカイセンなどは決して目に見える代物ではありませんので、「この際徹底的にきれいにする」との意志を鮮明にしてその思いを職員に理解して貰い協力して貰う体制を取り、本日『カイセン撲滅』の初日を迎えました。私自身5時50分に目覚め着替えと洗面を済ませて6時ジャストに家を出て(町報が鳴ったので間違いないと思います。)6時10分に施設の駐車場に入ると本館の玄関前に吉田部長が玄関が開くのを待っている。(宿直者は本日がどういう日か知らないのか)私が車を停めて玄関を入る時には開いていたので、入ろうとすると本日の清掃場所の責任者である西川課長も来たので若干の打ち合わせをして新館2階に行くと、2階の共有スペースへの誘導が始まり、いつもと違う場所での朝食についての戸惑いもありざわついた感じは否めませんでしたが、職員の頑張りでクリアしていきました。業者の方が7時40分にみえたので簡単な打ち合わせ後2階に上がり具体的な話を現場になる居室で行い、8時10分に消毒を開始して貰いました。9時前まで入居者さんの状況把握をして1段落したので早くから頑張っている職員の為にパンを買いに行ったり、作業状況を見にいったりしていて、いつもと違う環境に戸惑いと苛立ちを持っている入居者が多くおみえになると感じ、本館に設置されているカラオケの機械と『日本昔話し』のDVDを取りに行き、カラオケについては恥ずかしながら10曲程歌わせて頂きました。その後『日本昔話し』を映しだしてみてつくづく改めて感じたのは、『楽しい』と感じてもらうのは人それぞれだと思いました。と言うのは私が歌っているのに手拍子をしたり体を動かして『楽しんで貰ってるな』と思える方が歌を止めたら落ち着いていられなかったり、私の歌には全く興味を示さなかった方が日本昔話しになってからはテレビをしっかり見られたりと言う事で『人生いろいろ。趣味もいろいろ』と言う事です。新館2階の清掃もベットメーキングまでが17時には終了しました。明日は新館1階が行われますが本日よりエリアが広いのでより効率的に頑張らなければいけないので、明日に向け早くに帰り明日に備える事にしました。この頑張りがより施設を良くなることを信じて明日も頑張りますのでリピーターの皆さんもこの考え方に賛同してもらえると嬉しいです。

明日から4日を掛けて全館の居室を綺麗にします

疥癬撲滅の為に消毒噴霧の業者とベットの清掃業者とリネンの業者に協力して貰い14日に新館2階、15日に新館1階、16日に本館2階、17日に本館1階と順次対応して貰うのですが、単に業者任せにしたのでは、同じ失敗を繰り返す事になったのでは意味がないので先般10日の日に緊急全体会を開催して、本館開設2年目に疥癬が出て大変な思いをした事(見た目が綺麗な施設だと言う職員の思いの中から掃除がおろそかになり埃や皮膚の脱落がありノルウェー疥癬まで出てしまった)を話すると共に各エリアに分かれて業者に作業をして貰っている時の入居者さんの対応についての話し合いをすると共に、同じことを繰り返さない為の業務の見直しをしました。そもそも疥癬が何なのかも理解していない職員もいる中での検討会でしたので、最初意味も分からない職員の中には眠たそうにしているものもいたのですが、話をしているうちに「きちっとした対応をしなければいけない」との意識が出来てきた中、昨日はフロアの責任者を順次呼び『清潔・不潔』についてや『フロアで不充分な事』等について話し合いをしました。居室が綺麗になるのと同時に他の事もしっかりと出来るようにしたいとの思いからです。さて、本日は台風19号が去り関東方面が大変な状況で私なりに電話連絡で状況把握をしたりもしつつ、台風一過で爽やかな天気(被害にあわれた地区には申し訳ありませんが)で、朝6時から施設の外回りを見て回りその後、明日の対応でベットを運びながら座られていないソファーのマットを何気なくめくってみて目が点になりました。と言うのは想像を絶するほどに汚れていたからです。いつも座ってみえるので確認が出来なかったのですが、あまりの汚れに久方ぶりに『瞬間湯沸かし器』のようになり、そのソファーを外まで運びハイターと洗剤を駆使して納得がいくまで洗いました。なかなかしつこい汚れも落ちましたが大げさな言い方ではなく200本以上の髪の毛がマットの下でこびり付いていました。毎日の仕事の中で細やかな対応を誰か一人でもしていたらと思うと『夏祭り』だとか『バイキング』とかの外向けの事ばかりに目が向くと足元をすくわれるとの思いを強く持ちました。昨日の幹部の意見の中にも「午後からボランティアがある時の昼食後の口腔清拭が出来ない。」との事でした。その時は、「昼の分も含めて夕食後にきちんとしたらどうか」と話をしましたが、本日のような事象にあうと、『地道にこつこつ。そして尚且つ入居者さんが喜んで頂ける企画を』と言う事かな。リピーターの皆さん私の思いも『一歩後退二歩前進』で行きますのでこれからも宜しくお願いします。

昨日東京からの帰りの新幹線は凄まじかった

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昨日は東京で全国老施協総務・組織委員会が予定されており、本来であれば会議終了後に懇親会も計画されていたのですが台風19号が東海・関東地区に大きな影響をおよぼすと4日程前から報道されており、担当副会長の皆川さんと幹事の田中君と事務局と私の判断で「懇親会は止めにしても来週からの総務・組織委員会の展開を考えると委員会は開催しなければだめだ」との判断で昨日13時から東京平河町にある塩崎ビルで行われると言う事で事務局とも事前打ち合わせをしたいと言う事もあり、いつもより30分早い9時48分発の列車に乗り12時過ぎに会場に入って行くと既に森岡副委員長と田中幹事が来ていたので事務局の国井君も入れた四人で事前打ち合わせを(私は塩崎ビルの近くにあるコンビニで買ったパンと牛乳を頂きながら)しました。定刻の13時前にぞくぞくと委員さんが会場入りされて、定刻通り委員会が開催され、私の委員長としての挨拶から始まりました。総務・組織委員会の各委員さんは誰もが論客揃いなので一つひとつの議案に対しても突っ込んだ内容で討議されていきました。東京へ向かう列車の中で明日の名古屋~東京間の新幹線の全便欠航のアナウンスが何度となくされていたのですが、会議室に入るなり田中幹事から「本日は最終列車まで予約が一杯で取れませんよ。」との事だったので「何とか立ってでも帰るから。」と会話していたので、会議が16時20分に終了して直ぐにタクシーに乗り東京駅に向かう中でいつものように切符の手配をしようとしても出来ない。東京駅に着き券売機でエクスプレスカードで操作しても上手くいかないので結局現金を入れて切符を手に入れ16時50分発の『のぞみ』に乗る為に17番ホームに行ってビックリです。最初は1号車~3号車が自由席なので取り合えず3号車を目指したのですが、人ひとヒト人で前に進む事も出来ず3号車にたどり着かず4号車の通路に立つ事にしようと入場が始まって1段落した時に車両に入り名古屋まで立つつもりで通路を進んで行くと、通路は意外と自由がきく位のポジションで上着を脱いで座席の後ろの所に掛けさせて貰い昇降口はぎちぎちに立ってみえたので私は昨年8月のお盆の出来事を思い出していました。(このコラムでも書きましたが急遽長崎に行った時の事です。)その時の経験から昇降口ではなくて通路の中程の方が楽に立っていられると言う経験をしているので座ってではありませんが楽に立っていられる状況の体勢を確保出来ました。品川、新横浜と立ったままだったのですが私が立っている前の席が一つだけ空いていて、新横浜の次は名古屋ですから誰も座られないなら指定席料を払ってでも座りたいと考えていたタイミングで車掌さんが通られたので、お金を払って座らせて欲しいと聞いたところ指定券を持った方がみえたら譲って頂ければ大丈夫との事で新横浜を過ぎた所から座席に座る事が出来ました。そして無事に名古屋で降りると凄まじいばかりの方がみえて、『こだま』の乗り換えまでの15分の間に3本の『のぞみ』に乗る方は満員電車さながらでした。私は名古屋から岐阜羽島の席は楽々で家に8時過ぎに帰る事が出来ました。本日はどのテレビの番組も台風のニュースで。先程名古屋駅周辺についての情報でしたがどこも閑散としていて。そりゃそうですよね。連休の2日分を1日でこなしたのですから。このことからも、リピーターの皆さんバランスが大切だと思ったのですが如何でしょうか。

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