2019年08月の記事一覧

コラム掲載の連続更新が1年出来ました。

令和元年8月21日 2008年から「理事長コラム」コーナーが出来て書くことになったのですが、1年前までは極端な時には月に1回程度しか書けず、しかも文字数も300字程度しか書けていなかったのですが、昨年の8月22日からは、「毎日書く」が継続しています。毎日書こうと考えたのは「当法人のホームページを多くの方に読んで貰う為にはしっかりと書き、リピーターを増やしていく事が肝要で理事長として範を示していけば、ホームページも充実して職員採用にもつながると考えたからです。毎日書くことにしてからは、「これは記事になる」と閃いた時に携帯機能の『メモ』に記録し、時間が出来た時に(殆ど家に帰ってからですが)文章を打つようにしています。何事もそうなんでしょうが続けていく事によって書くスピードも速くなり中身も充実してきているのではないかと思います。

さて、『一年連続更新記念』の話題は昨日の静慈圓先生との話題です。実は私が8月7日から10日間入院した事はこのコラムでも書きましたが、静先生も昨年の11月に私と同じ帯状疱疹になられて非常に痛い思いをされたとの事です。しかも私と同じように頭から首にかけてだったそうです。ただし、私のように入院はされず法印としての任を粛々とされたとの事です。静先生とのお話は多岐に渡ってありましたが、最後にお話し頂いた『気』の話には特に感銘しました。そしてその流れの中で『腹式呼吸』についての話は生活の中に絶対に取り入れていきたいと思いました。

昨夜は午前様になるぎりぎりでコラムが完成してホテルで爆睡して5時30分に目が覚め、直ぐに朝風呂に入り6時30分に本部施設の宿直者に昨晩送信したコラムのアップを依頼して、その後フロントに花田夫婦がタクシーの予約をしてないかの確認をすると案の定「7時30分に予約するように承ってます。」(「遠慮は3流」)との事なのでタクシーをキャンセルして私が大垣駅までお送りする事にして、荷物を片付け7時15分に1階に下りていくとちょうどチェックアウトをされていたのでご挨拶をして、車に移動し大垣駅までお送りする中で静先生との出会いについて話題を振ると奥様が興奮気味にお話をされ、最後に「静先生へのお礼はどの程度されたのですか」との質問に私はかなり動揺しながら「静先生はお金で云々のレベルの方ではないので、お礼は一切してません。私の生き様に共感して来て頂いていると考えています。」と答えました。

無事に大垣駅にお送りして、花田夫妻のおもてなしは終了し、再びホテルに帰ると8時前だったので太田親子に連絡をしてご一緒に朝食を頂きながら太田一平先生と意見交換をしました。その間息子さんは私たちの話を一字一句逃さないように聞き耳を立てられていたのには感心しましたし、彼は間違いなく将来の福祉の担い手の一人になると確信しました。朝食後部屋に荷物を取りに行ってから和合の施設に移動してまたまた意見交換をして、10時30分に太田親子を見送り全て終了。病み上がりの身ではありましたがそれなりに充実したおもてなしが出来たと思っています。

さて、明日からはコラム連続更新2年目に入りますがさてさて、どんな出会いや話題と巡りあえるのかわくわくしながら明日に向けて頑張っていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも共にわくわくして貰えるように頑張りますので今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

高野山法印の任を終えられた静慈園先生が2年ぶりに本部施設にみえました

令和元年8月20日

昨年の3月から今年の3月までの一年間高野山から下りることなく『法印』としての役割をされていた事情により昨年の今日である8月20日には来て頂けなかったのですが、静先生曰く「何があっても行きます。今は隠居の身だから自由が効きますから。」との事で、とても凄い役割を終えられた先生とのご縁を色々な方に持って貰いたいと声を掛けたところ、福岡県の花田理事長がご夫婦でおみえなることが決まったら愛知県新城の太田理事長が四男と共にくることになり(四男は私の事を尊敬しているらしい。)評議員の堀さんらを含め総勢10名で関ヶ原の料亭『末廣』で会食をすることになっていて、花田夫婦は大垣駅に13時の約束で迎えに行くと既に大垣駅に着いてみえたので車に乗って貰い一先ず本日の宿泊先である大垣フォーラムホテルに行きチェックインだけ済ませて、話を聞くと明日は9時30分に名古屋で長男さんと合流して福岡に帰られるとの事だったので急遽、和合の施設のをバタバタでしたが見学してもらい、本部施設のお参りの時間を30分遅らせて私の導師でお経をあげ(花田夫婦にも参加して貰いました。)その後抹茶のおもてなしをしてから施設見学をして貰いました。しばらくすると、本日のメインゲストの静先生がみえ、花田夫婦を静先生に紹介し、静先生の導師でお経をあげて、末廣へ。太田親子は一時間程遅れられるとの事で、静先生に話をして貰いその後評議員の堀さんの乾杯の音頭で会食を開始。静先生を囲んでの話で盛り上がり19時前に太田親子もおみえになり、またまた盛り上がり21時に代行が来たので大垣に移動して、花田夫婦と太田親子と私の5人で飲み直しを一時間して今はフォーラムホテルで遅ればせながら今(23時38分)コラムを携帯で打ってます。今からでは宿直者を起こしてホームページへのアップは申し訳ないので、朝イチのアップになりますが8月20日の掲載と言う事でご容赦下さい。本日一番嬉しかったのは静先生から「若山さんは実践者として頑張ってみえるので素晴らしい。」と言って下さったことです。そしてもう一つ「何事も気合いを入れる事が大切で複式呼吸こそ大切」と言われた事を実践していきたいと思います。明日は花田夫婦は朝早くの出発を見送る事と太田親子を和合の施設にお連れしたいと考えています。明日、しっかりコラムを書ければコラム連続掲載丸一年になるので記念すべき明日のコラムは必然的に気合いを入れたいと考えています。私の真骨頂は継続です。これからも毎日頑張ってコラムを書きますので乞うご期待と言う事で・・・。

 

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退院後初めてフルタイムで仕事をしました

8時過ぎに施設に行き8時15分から幹部との打ち合わせをして、8時45分に岐阜市にある介護労働安定センターによる会議が10時から開催される為に車を走らせ9時45分には指定の駐車場に着いたのですが、関係者以外の車がたくさん駐車されていて、駐車スペースをさがしている内に一番奥まで行ってしまい、Uターンをする所もなく、仕方なくバックで出口までたどり着き、携帯で実情を連絡すると、「玄関前に駐車スペースを確保して待ってます。」との事でしたが、玄関先には確かにぎりぎり一台のスペースがあったのですが誘導してくれる人は見つからず久しぶりに縦列駐車を試みましたが、駐車した後入った状態を確認して『よくもこのスペースに入れたものだ。』と自画自賛して会議の会場に入ると介護労働安定センター長の挨拶が始まっていましたので皆さんに黙礼をして着座。労働局、岐阜県高齢福祉課、岐阜県社協介護人材センターの説明の後、意見交換になりいつもの事ながら一番最初に意見を言わせて貰いました。会議の中で一つだけ気になったのは、ある団体の代表の方は本来事務局長さんが委員なのですが、事務局長さんの施設の事務員の方が代理でみえていて意見を言われているのには違和感を持ちました。私の考え方では、事務局長さんが参加出来ないのであれは、組織の中のしかるべき方が参加をすべきだと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。定刻の12時に会議が終了して、高齢福祉課長さんや地域福祉課長さんと話をして、15時からは和合の施設でお参りと幹部会があるので和合で時間を合わせる事も出来たのですが一時間で帰れるので例え一時間でも本部施設で打ち合わせがしたいと急ぎ本部施設に向けて車を走らせていて、樽見鉄道の踏み切り手前で救急車のサイレンの音がしたので、動かずに待っていると、右側車線に入って救急車が踏み切りに入り私の車を通過するときに「ご協力ありがとうございました。」と聞こえてきたのには驚きましたが、今時は我先にの車も多いので、感謝の意を表して下さったのかも知れません。14時15分まで本部施設にいて和合の施設に行きお参りの導師をしながら和合の入居者さんのお経の声も随分しっかりされるようになったと思うとやはり、『継続は力』だと改めて思いました。お参り後の幹部会では、その都度気付いた事を指摘して、17時20分に終了して、車を走らせているとデイサービスの利用者さんの意識レベル低下で家族の方にも来て貰い救急車で搬送されたとの報告だったので対応をした看護師さんに話を聞くと吸引をして意識レベルも戻ったとの報告を受けたので対応が良かったと感謝して、取り合えず久しぶりのフルタイムを終える事が出来ました。

御首神社でご祈祷をしてきました

令和元年8月18日 今月7日から10日間大垣市民病院に入院した事は既にコラムに書きましたが、今回の帯状疱疹になる主たる原因は『過労』と『ストレス』だと言われていますが、『過労』については、基本的には休みなく働いているし、夏祭りで忙しかったと言うのも例年の事だし、職員が殆どの準備をしてくれたので『過労』を理由にするのには無理がある。だとするともう一つの原因である『ストレス』と言う事になるのですが、大方の見方は「若山に限ってストレスなど無縁だ」と言われる位に厳しい(私自身はそれ程意識した事が無いのですが、客観的にはストレスがかかるような事を跳ね除けてきたらしい。)状況を跳ね除けてきたにも関わらず今回は『ストレス』によって帯状疱疹が最も繊細な頭から首にかけて出て、しかも炎症反応(CRP)が30にまで上がり、39℃の高熱まで引き起こしたかを明日からの過密スケジュールを前にして考えてみました。そして一つだけ強烈にストレスがかかった事を今もなお整理して総括出来ていない事にぶち当たりました。

それは、7月に行われた参議院議員選挙で、全国老人福祉施設協議会及び全国介護政治連盟が組織内候補として立候補した『かくた充由』君を岐阜県老人福祉施設協議会会長として悔いのないように後援会活動及び選挙活動をして多くの票が出るものと確信していたにも関わらず予想していた票の5分の1しか出ず、しかもかくた君が落選する状況になり、頭が真っ白になると同時に極端な言い方をすれば『人間不信』に陥り、傍で見ていた職員の中には「はっきりと落胆されているのが分かった」と病院に見舞いに来て話してくれる者もいて、自分ではみんなに悟られないようにしていたと思っていたのですが「反省、反省、反省」です。そして、私が選挙での盛り上がりに欠けていると感じて、東京で実施された会議の中で勢いを鼓舞する為と自分自身をより追い込む為に発言した事に対して結果を出せなかった事を悪く言う者もいて、益々落ち込む結果となりました。但し、3年後の選挙の為にも泥仕合のような事はしたくない。 しかし点滴をガンガン打って取り敢えず炎症反応の熱も下がりましたが、このままでは私自身の収まりが付かずまたまた帯状疱疹が出ても困るので私の総括を神様に収めて貰うべく大垣にある御首神社でご祈祷をして貰い『恨みっこ無し』で先に進む事にして、早速御首神社に行きご祈祷をして頂きました。 2 3

どうして御首神社にしたかと言えば、首より上にご利益があると思ったからです。受付を祈祷料8000円を納める時に10000円札で支払ったら、おつりは2000円のはずなのに、8000円を戻そうとされたので私の方で指摘をして2000円をお釣りとして頂いた時に受付の方が照れ隠しのように「暑くてぼーっとしてしまいすみません。」と言われたので良く見ると社務所の中には冷房が入っていませんでした。しかしながら控室はしっかり冷房が効いていました。(流石に参拝者ファーストです。)このスタンスの神社であればご利益間違いなしと思った次第です。リピーターの皆さんご祈祷をして頂いてスカッとした私の明日からの展開をみていて下さい。

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暑いです

令和元年8月17日

昨日、10日間の入院生活から解放され、夕方に本部施設で幹部会があり施設から迎えに来て貰い会議に参加した時にはそれ程感じなかったのですが、本日は久さしぶりに自分の運転で施設に行こうとして家から出て「暑い」を痛感しました。

本日は14時から「亀山さん・岡本さんの歌のボランティア」があり、亀山さんは鮮やかな青紫のブレザーで岡本さんはこれまた鮮やかな黄色のロングドレスの衣装を着て昔懐かしい歌を1時間に渡って歌って頂きました。(岡本さんに「艶やかな衣装ですね。」と投げかけると「もっと派手な衣装がありますよ」と返ってきたので、私が何を言いたいのかを瞬時にくみ取って頂けたのは大変嬉しかったです。)今回2回目のボランティアなのですが、入居者さん、利用者さんは歌に合わせてタンバリンや鈴を上手に叩いていました。 一時間のショーが終わると参加した方々に職員が機敏に準備したかき氷で喉を潤して頂きました。暑い時のかき氷は水分のこまめな補給にも最高ですし職員がこのような配慮をしてくれるからこそ「熱中症」対策がしっかり出来ていて本当にありがたいと思うと暑さも吹っ飛ぶように感じました。こまめな水分補給の事を思った時に先般の台風10号に伴う雨の多さについて、2日間で1000ミリの雨量だった所もあったとの報道や長良川の増水により鵜飼船が壊れたり流されたりした報道に対して思うのですが、一時に降った雨は表面を流れてしまい色々なトラブルになることを思うと、「過ぎたるはおよばざるが如し」の格言のように思うと水分も一気に飲んで貰うよりはこまめに飲んだ方が良いのだと思います。

つまり、単に数量にとらわれずこまめに飲んで頂く事が肝要だと思った次第です。 確かに、一気に飲んで頂いた方が業務的には一見効率的に思えますが、結果的に熱発されたり食欲が進まない状況になれば結果的には入居者さんは勿論の事、職員も大変な思いをすることになると思うのです。居室を掃除したり、清潔保持をしっかり行うのもその一貫だと思います。最後に、ぴったりの格言ではありませんが「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」誰でもそうですが人間「楽」な方が良いですよね、退院した我が身だからこんな事を考えるのかな。とにかく「健康が一番」です。

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10日間の入院生活を終えて退院しました

 

令和元年8月16日

入院してからの3日間は寝ていても頭が痛くて熱も39℃近くも出て、「こんなことで治るのか」と途方に暮れながらの入院生活でしかもトイレもない個室でトイレまでが遠くて、まるで尋問を受けているような日々でしたが、熱が下がってくるのと平行するように頭の痛みも少しづつ軽減してきて、この二晩は9時前には眠くなり、22時からの点滴は夢の中て言う順応の良さ。4日目からは施設の有り様についてじっくりと考える時間となり、日本中が暑さと台風で騒いでいる時に施設職員には申し訳ない位にゆったりとした時間を過ごす事が出来ました。そして本日12時からの点滴治療の後、昼食を頂き入院費用を医事課で支払い病院を後にしました。

家に帰りつきしばらく横にならその後17時15分本部施設の幹部会に参加して、夏祭りの事やバイキングや本部施設の現状について、病院生活で温めていた事を熱く語れました。その中で20年の実績により怠惰になっていることについては『是は是。で頑張ればその思いは必ず通ずる。』との思いを改めて熱弁しました。会議が終わり久しぶりに家のお風呂に浸かり遅い夕食をしていると昨夜の就寝時間ははるかに越えて眠い中でコラムを書いているので中味なしで話も乱れていますがご容赦下さい。明日は本日のぶんも頑張りますので本日のコラムは単に明日に繋げただけですが継続できた事をご理解下さい。(コラムを打ちながら目が閉じてまう。)

台風10号が猛威をふるっています

令和元年8月15日

流石にNHKは台風情報をずっと流してます。私はまだ明日まで退院許可が出ないので、職員の頑張りで対応してもらうしかないのですが、今(13時33分)では高知に上陸し中国地方を縦断するとの事で、台風の目からは遠いのですが台風の目から東に大きく影響すると言う事で、午前中にデイサービスの責任者である北島部長から、「副施設長とも協議をして、利用者さんの家族にご理解を得て14時に終了して家にお送りする体制でいきたいのですが。」との連絡を受け、「家族にご迷惑にならないように理解を得てケアマネさんともしっかり連携を取り実施して下さい。」と連絡を取り合いました。

『嵐の前の静けさ』なのか病室だからわからないのかは定かでありませんが、利用者さんを安全にお送りする体制を取ってくれると安心してます。私にとって『台風』と言うと何と言っても昭和34年に発生した『伊勢湾台風』です。私は当時6歳でしたが、小さい頃ながら記憶にあります。その頃父進さんは赤坂小学校の教頭で母秋江さんの実家に母秋江さんと子ども三人を預けて父進さんはその当時の事ですから自転車で赤坂小学校に向かったのを覚えています。今でこそ、父の判断を理解出来ますが、その当時は複雑な思いだったと記憶してます。

伊勢湾台風がすさまじいものだった事を思い知らされたのは、23年前に今の本部施設の本館工事での造成の時に土の中から大きな木が掘り出された時に当時の地元の長老の方が毎日のように工事現場の様子を見にみえていて掘り出された巨木を見て「あの巨木は伊勢湾台風の一時水で流れてきたものに違いない。」と教えて頂きました。昭和34年の伊勢湾台風以降に大きな影響を受ける事なく今に至り、岐阜県事業で土砂災害防止の大々的な工事と谷からの一時水が土砂を運ばないようにと大きな砂防ダムを計画実施して頂いている事に台風10号のニュースを見て改めて感謝の気持ちを持ちました。『備えあれば憂いなし』です。

勿論今以上の備えを法人としてしなければと考えています。先程「8メートルの街路樹が倒れて道路を塞いでいる。」とのニュースを聞いて、倒れた巨木の映像を見てつくづく思いました。土の上は8メートルと立派だけれど、根っこはほんの1メートルあるかないか位で、「これでは簡単に倒れるな」と思いました。そう言われれば桜の根っこはどんどん伸びるので山に雑木があるのが大切何だと思いました。自然を守るには100年戦略が必要だと台風を前に思った次第です。

 

入院して思う色々なこと

毎朝6時に点滴をして貰うのですが、その時の看護師さんの対応も様々です。点滴を施行してもらう時に元気良く声をかけてから点滴の業務に取り掛かる方もあれば黙って黙々とされる方もある。それよりも何よりも驚いたのは、夜中にあまり眠れず「点滴中は朝の食事になる8時まで寝れたらいいな」と思っている時にいきなりブラインドを開けられたのにはビックリしたし目が覚めました。親切のつもりでされているのなら一声かけて欲しかった。

点滴が終了する時の対応も色々です。点滴は大抵一回当たり一時間なので終了間際に看護師さんが確認に来ていただくのですが、ある時、明らかにまだ点滴が残っているのに「あと少しだから終了します。」とさっさかさっと『回収作業』をされる看護師さんがおみえになるかと思いきや今朝の看護師さんは(本日点滴の入りが悪く一時間の予定が二時間かかって)8時になり点滴が止まったような状態で「あと少し」と言う時にナースコールを押して看護師さんに来て貰い「もう少しだし、針から抜いて下さい。」と言うと「抜きますが折角の薬が勿体無いので」と言って針の所に手を当てて早く点滴が落ちる配慮をして全部点滴が終了するのを見守ってから針を抜いて下さいました。また、薬の対応についても色々です。ある看護師さんは薬を袋から出して薬を私の手にのせて頂き、薬を飲んだのを確認される方、ある看護師は袋のまま手渡して帰られる方で、本日昼食後の看護師さんは私の昼食が遅かった(退院後のスケジュール調整を携帯でしていたため)何度も様子を見に来て下さった上に昼食が終わっているのを確認して薬の袋から薬を私に手渡し私が薬を間違いなく飲んだのを確認して薬の袋の回収もしっかりして頂きました。どこまでが業務かも私にはわかりませんし、患者さんの状態によっても対応が違うのは私も特養の仕事に従事させて頂いているのでわかりますが、入院した身だからこそわかるコミュニケーションの大切さとちょっとした配慮の大切さを改めて感じています。

今、コラムを打ちながら本日付けで奈良薬師寺の執事長になられた大谷撤奘師の講演でのお言葉を思い出しました。「病気をして健康のありがたさを知る」。やはり蘊蓄のある言葉だと改めて思いました。私は施設を造るまでの6年間は無納税者で厳しい生活を経験したので贅沢をしたいとは思いませんが、入居者さんの笑顔の為、地域の福祉の為にお金を遣う事はいといませんが、有効なお金の使い方をしないのは駄目だと思っています。話題がそれましたが来月の敬老週間はお金を使って実施するのも大丈夫ですがお金を使うのではなくて職員と入居者さんの共同作業のイベントも企画に欲しいな。職員が頑張っていることはわかっていますが今以上の施設にする為に。今に甘えることなく切磋琢磨を頼みます。リピーターの皆さんより良くなる施設になるための支援を今後とも宜しくお願い致します。

昨日のコラムに対して『律儀』に答えます

令和元年8月13日

昨日のコラムで『千巻経』か『千願経』かと私の中の葛藤のように書きましたが本日朝6時からの点滴が始まって右腕を拘束されている時間帯にインターネットで「どっちやねーん」と検索してびっくりしました。と言うのも検索して出てきた一番目は当法人のホームページの2016年9月22日付けの『今日の優・悠・邑』が出てきたからです。そして、2番目に2017年9月10日の私のコラムが出てきたのにはまたまたビックリです。そして私のコラムを改めて読むと朝のご挨拶回りの時のやりとりで『千願経』か『千巻経』かについて入居者さんとのやりとりが書いてあり、入居者さんに突っ込まれながらも本心ではない正論を答えているのです。だから今でも私自身おもわず『千願経』と書いてしまうのです。

しかし、2016年の『今日の優・悠・邑』に掲載されている写真を見ると『千巻経』になっていましたので、「昨年は千願経だった」は間違いですが、頭の良い入居者さんだから間違えられたのではなくて、きっと話題提供をして下さったのか、この話題を一年間温められていたのか。どちらにしても、病院のベットの上では入居者さんとの会話も出来ないので早くに退院出来るように優等生の患者でいたいと考えています。

しかしながら、インターネットの情報システムはどのようになっているのかわかりませんが、『千巻経』と検索して出てくると言うことはたまたま何かを検索して我が法人のホームページに巡りあって下さる方もあると言うことなので今後も色々な角度から書きたいし表題の付け方は最初に明確な言葉を入れるべきだと思いました。だって検索した結果が当法人の記事だったんだから。 つまり表題は例えば前置きなどせずにズバリ『敬老週間』とか『バラ風呂』とかにすると違うところにも載せて貰えてホームページのリピーターも増えていくのかな。いやいや現在のリピーターさんから見放されない為の切磋琢磨こそ大切だと思います。私のコラムを見ていてくれている職員の皆さん入居者さん利用者さんへの切磋琢磨による『今日一日楽しかったよ』と同時に新たな職員確保の為にもホームページの更なる進化を宜しくお願いします。

✳最後は職員向け発進になったことをお詫び申し上げます。ただ、何と言ってもベットの上の籠の鳥状態での唯一の発進の場だと言うことをご理解下さい。

入院中ですが仕事ができました

令和元年8月12日

昨夜はしっかり眠れ、しかも祭日だと言うのに担当医が朝の9時に来て下さり、患部の治りぐわいがとても順調だと言って頂け、気分を良くしていて、8時間毎の点滴が10時に開始され、しばらくすると施設から「来月の千願経は22日だと聞いていたのに14日との情報もあり、どちらですか。」との連絡が入ったので、「22日から変わったとの連絡は滋賀信行会の内藤会長から聞いてないので22日だと思うが一度内藤会長に聞いてみる。」と返事をして、直ぐに内藤会長に連絡すると「22日で連絡済みだから22日で大丈夫」と言われたので、折り返し施設にその報告をすると「千願経が22日で決まったのなら、恒例になっている、笑福亭伯枝師匠の落語と大垣の老舗寿司屋の寿司吉さんの日程調整をお願いして頂いて敬老週間の一週間の日程を決めます」との依頼があったので「調整してみます。」で先ずは伯枝師匠に連絡すると「9月16日前後なら大丈夫なんですが・・・。」と少し口ごもった話ぶりなので、「本当に大丈夫ですか」と聞き直すと「実は2月に大腸癌の手術をしましたんや」との答えが返ってきたので「だったらあかんじゃないですか」と言うと「いやいや高座にも出てますし行くことは出来るんですが、お酒と甘いものがあかんのですわ。」と言われたのでこれは突っ込みで返すべきかと悩みつつ「師匠、お酒を飲みにきはるんやのうて落語をしに来てくだれるんやから大丈夫です。お酒飲まれんでも美味しいものは一杯ありますし、なんやったらお酒飲まれんでも師匠のお好きなキャバクラ行きますか。」と言うと師匠から「絶対に行きます。」まるで落語のような会話でしたが、和合の日程も調整しますで、和合でも、毎年して貰っているねで事務長に連絡して調整後本部の翌日が都合が良いとの事だったので再び伯枝師匠に「16日、17日の2日間でお願いします。」と連絡すると「必ず行きます。」との元気な声が返ってきました。なお、伯枝師匠は笑福亭仁鶴師匠の弟弟子で大阪落語の席亭のトリを勤めれる実力者です。次に寿司吉の大将に連絡すると「理事長の都合で決めて貰って結構です。」との事だったので落語と千願経の中日と言う事で19日で調整させて貰いその報告を施設にして、来月の敬老週間は9月16日から22日の1週間に決め、千願経と落語会には早速招待状の手配をしなければいけないし、寿司吉さんの目の前での握りのパフォーマンスは入居者さん利用者さんの人数確認の他にもテーブルの配置や職員の対応を決めなければいけないので、夏祭りが終わったばかりなのに準備に忙しいですが『今日一日楽しかったよ』を実現するために職員が一丸になって頑張ってくれるのです。ちなみに、寿司吉さんの本格的な握り寿司は職員さんも食べて頂きます。(くるくる寿司でなく本格的な『とろ』もついてます。)三つの他にも週二回のお風呂の中で好評の『バラ風呂』を一回実施してあと一回のお風呂を『酒』『牛乳』『よもぎ』などの候補が上がっていますし、とにかく、一週間を通してのイベントを実施してますます良い笑顔で過ごして貰えるようにしていきます。リピーターの皆さん良ければ入居者さん、利用者さんとその家族、そして職員の素晴らしい笑顔を見にきませんか。

((追記・お断り))

『千願経』と書きましたが、本来は『千巻経』と書くべきなのです。何故ならば『般若心経』をみんなで千巻唱えて幸せを願うからです。しかし私的には『それぞれの願いを叶えて欲しい』と思うから。✳本当を言うと最近になって『千願経』を『千巻経』に変えたのに混乱しているのは私自身だったのを認めない私の駄目なところが出ただけです、やっぱり『千巻経』で行きますのでご留意下さい。

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