2019年08月の記事一覧

田舎者の新大阪駅での大失敗

昨夜は大阪泊だったので、新大阪駅まで行き朝食がまだだったのでお店が何軒かあるところに行き、先ずはチケットを買う所でうろうろ。と言うのも色々なお店が、それぞれの所でチケット販売をしているのですが、入り口の所でずらっと並んでいたので、一旦並んでみたのですが何となく違うようなのでふらふらっと歩いて行くと私が目指していたお店があり(うどん付きの朝定食)何とかチケットをゲット。

空いているテーブル席に座るとテーブルに『お求めの品物はそれぞれの販売所でお求め下さい。』の掲示があったので、「座るまでわからない掲示は意味がない。」と思いましたが、他のお客さんは戸惑う事無しに対応されているようで感心してしまいました。

もう一つ田舎者の話をします。私は東京への出張が多いので新幹線の『エクスプレスカード』を持っているので携帯で切符の手配をしたところ指定席と自由席が同額だとわかり指定席を手に入れたのです。そしてホームに行くためにエスカレーターに乗りホームに行きました。20分位時間に余裕があり掲示板で私が乗るべきものを見付けようとしたのですが見つからないのです。そしてはたと気が付きました。「新大阪駅は大きいのでホームがいくつかあるのだ。」と。慌ててホームから降りて10時16分のひかりを探してもないのです。結局は新大阪の東京方面行きホームは『23、24、25、26、27』の5つあり、私が乗るべきホームは27番だとわかったのですがこれまた困った事に27番ホームだけがどこにあるのかわからない。勿論掲示板を頼りに27番ホームにたどり着き今は無事に新幹線に乗っています。いつも乗る岐阜羽島駅はいつも同じホームしかないので疑問を持たなかったのと、東京駅ではホームを探して乗る習慣がついているのでこう言う失敗はないのですがそれほど行くことがない大阪ではこんなものです。

そう言えば先日、東京への出張時の出掛ける前に姉の春子さんから「よく一人で東京へ行く事ができるね。感心するわ」と言われたので「私を今でも子ども扱いですか」と思った次第ですが、考えてみたら、私より田舎者は私の姉春子さんですかね。

話が変わって先程京都に着き私の座っている席の通路側隣に乗客が乗り込まれました。通路側には座られていて、窓際の席に着かれる方の対応に驚いたので原稿にします。それは通路側に座られている方に何も言わずにしかも一杯荷物を持って迷惑をかけているのに「俺が座るのに邪魔しやがって」と言う振る舞いで、しかも自分が座ったら買い物袋からお弁当を出して黙々と食べられるのです。この方はコミュニケーション能力がないのか、常識がないのか、それとも余程お腹を空かしてみえたのかは分かりませんが兎に角『世の中色々』『人間も色々』と感じました。お互いに注意をしない世の中になって『障らぬ神に祟り無し』的な風潮が蔓延していますが私は是は是、非は非でいきたいと考えています。東京での役員会の時も言うべき事はしっかり言ってますが評価はまちまちです。私は自分の生き方を変えるつもりはないし変える必要はないと考えています。リピーターの皆さん、こんな私ですがこれからも宜しくお付き合い下さい。

本日は大阪で研修です

令和元年8月30日

独立行政法人福祉医療機構による『特別養護老人ホーム経営セミナー』の為『グランキューブ大阪』に来てます。テーマは『認知症高齢者の支援など重度化する利用者を地域で支えていくための特養の役割』だったので法人が担うべき対応のヒントを貰えるのではないかと勇んで参加したのですが、正直私の中では期待はずれで消化不良をおこしています。

一番最初に厚労省の行政説明だったのですがあいからわす目新しい内容に乏しいのは仕方がないのでしょうか。しかも、持ち時間を20分も残しての終了はいただけません。講演をするのであれば時間配分をしっかり頭に入れてやっと欲しかった。だって、研修に間に合うように私は8時前に施設を出たのにその後の福祉医療機構貸し付け部の説明も10分もなくて、11時30分からの昼休憩が11時からになり一時間の休憩が1時間30分になり、休憩時間をもて余してしまいました。

午後からの再開は12時30分からで講演は新潟県の大きな法人の方で『認知症を理解し、地域で育てよう』とのテーマで簡単に言うと地域全部が施設のような考え方で文字通り、包括ケアの優等生的な話しだったのですが、これは国がモデル事業として推進している中での展開であり、当法人ではとても参考にして出来るものではないと思いました。尚且つこの講演も予定時間よりも20分早く終わられ10分の休憩が30分になりました。

30分の休憩の後、仙台市の方が『地域包括ケア拠点としての役割』とのテーマでしたが、新潟県の法人とは真逆な考え方で拠点施設へ地域の方が足を運ぶ仕掛け作りを聞きました。その中で、本来厚労省が『小規模多機能』と言っているのを講師の方が『大規模多機能』と言って事業展開されているのを聞いて嬉しくなると共に『大規模多機能』の言葉を最初に文字にしたのは『岐阜県高齢者安心策定委員会』で私の意見を取り入れて書いて貰ったのに、私と同じような考え方をされる方が講師として堂々とされているのは嬉しかったです。

最後に福祉医療機構経営サポートセンターの方が経営分析報告をされたのですが、特養の経営は人材の確保が厳しい中でますます経営が厳しくなるとの報告を聞き、杉和会も更なる一手を進めなければいけないと思いました。経営が厳しくても地域にとって欠く事の出来ない施設として、今まで以上に何をすべきかの発信と展開をしていきますのでリピーターの皆さん杉和会の今後を見守ると共にご支援を宜しくお願いします。

嶋聡さん(元ソフトバンク社長室長)からメルマガが頂きました

令和元年8月29日

題名は『思考の三原則を再考する』とありました。その中に『松下政経塾で歴代総理の師であり、「平成」の発案者と言われる陽明学者、安岡正篤先生から「思考の三原則」について学びました。
1)短期でなく長期で考えること。
2)一面的でなく全面的に考えること。
3)枝葉末節にとらわれず根本的に考えること。
「「現場はどうしても短期に考え、一面的な事象、枝葉末節にとらわれる。だから、リーダーたるもの、長期的に、全面的に、根本的に考えなくてはいけないというものでした。」孫正義の思考はこの三原則に基づいていましたし、私も「孫正義の参謀」時代には、この原則に基づき、発言、行動していました。」」との原稿を読み、私は理事長として果たしてこの三原則に近い形で杉和会の方向性を持って出来ているのかを考えてみました。

私は全国老施協元会長であり、参議院議員だった中村博彦先生の噛んで含んだ教えであった5年先、10年先を見据えた展開をしろと言われ続けてきた最後の愛弟子だと思っていますので(かなり自惚れた考え方ですが)目の前の損得勘定での展開は決してしてないと思っていますが、果たして他の方からはどのように映っているかはわかりませんが、38歳で児童養護施設の指導員を辞し色々な方のご支援を頂き44歳で特養の事業開始をして22年の月日の中で立ち上がったばかりの時には正直、私自身舞い上がった時期もありましたが、それ以降は『地域の為に何をすべきか』『入居者ファーストで』を貫いてきた結果が今の状況だと思っています。もちろん順風満帆であったわけではありません。下腹に力を入れて話をしなければいけなかった事も一杯ありました。しかしそんな時に色んな方に助けて頂き今があります。

私の施設に色んな方が見学におみえになります。そんな時に私は職員の協力を得て精一杯のおもてなしをします。それには理由があります。それは、高齢者福祉の事を全く知らなかったので色んな機会を通して見学に行きました。恐らく30施設以上行ったと思いますが、その当時は組織がないなかでの事ですから文字通り手弁当の世界だったし、名刺の肩書きは『関ヶ原高齢者施設設立代表』と言う何者かが全くわからないようなものでしたが、訪問した施設の方々はどこも丁寧に案内して下さりアドバイスも一杯頂けました。だから私はその時の恩返しのように、一生懸命に案内し私が知りうる限りの事を話しさせて貰います。施設を始める前も後もそして今も人には恵まれて今があると思っています。

いみじくも今日も消費税アップに伴う対応でわからない点が出てきたので徳島県の桝田先生と広島県の本永先生に連絡して聞くと本当に親身になって教えて頂けました。これも人間関係によってもたらされたものだと思うと、これからも私が出来る事は精一杯頑張り次へのステップにしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんこれからの杉和会の展開も見守っていて下さい。

参議院選挙で角田君の票が伸びなかった理由を改めて考えても答えが出ない

昨日、全国介護政治連盟の会議が参議院会館であり、阿比留事務局次長から多方面からの分析をして説明して貰ったのですが、確かに各県の数字による分析があり、「今時の選挙はSNSを駆使しなければいけない。」とか「職員に徹底したとは思えない。」等との反省点は出たのですが、岐阜県の場合選挙の公示前に会員施設を後援会活動の一貫で各支部長さんの案内を得て2回まわり(一回で1240キロ)、その集大成として6月24日に岐阜グランドホテルで『かくた君を励ます会』に800人の参加者を得て、励ます会の後の参加者の反応では「若いのにしっかりとした話が出来て好感が持てた。」と言うのが多かったのです。私は色々な観点から「悪くても5000票、頑張れたら10000票は入れて貰える」と胸算用していたのですが、開票の結果は2000票にも届かない結果でかくた君は残念ながら当選出来ず頭は真っ白。「どうして、こんな結果になったんだ。」と考えだすと正直脱力感と共に人間不信にもなりました。昨夜は本日が全国老施協正副会長委員長会議の為に東京で泊まらせて貰って、午前中は色々な役員さんと選挙結果について話をしても次からの方向性が出ない。だって、後援会活動に引き続いての選挙活動でもめっちゃ雰囲気良かったから。私の反省としては『会長である私も副会長である支部長も一票を投じて貰う重さについて安易に考えていたから上っすべりの活動に周知したとしか思えない。』全国介護政治連盟の会議に角田君も出席していて、悔しさや無念さがあるにも関わらず明るく振る舞われたのにはただただ頭が下がる思いでした。平成12年4月から介護保険制度が導入され、介護報酬改正も制度改訂も政治的観点が強くなり、介護施設の経営も厳しさを増している中で国会の場に角田君を輩出出来なかった事の現実を理解して、今後の舵取りをしていく事の厳しさを噛み締めながらでも、社会福祉法人杉和会の思いを構築するにはどのような舵取りをしていくのか、岐阜県老施協会長として、全国老施協総務・組織委員長として何をしていくべきかをじっくり考え行動に移していきたいと思います。ここで天の声を「おい、若山宏。落ち込んで帯状疱疹何かに負けていてどうするんだ。自分に与えられた役割を自分らしく頑張らんかい。」それに対して宏君は「医療のお陰ですっかり治りました。だから本日の会議でもしっかり意見を言うことが出来ました。」そして、もう一言。『くよくよしていても一日。生き生きしていても一日。』だったら、どちらが素敵な生き方かは賢明なリピーターの皆さんならお分かりですよね。明日からハツラツ宏君で行きますのでこれからも宜しくお願いします。

退院後初めての宿泊を伴う東京出張です

令和元年8月27日

10日間入院して16日に退院してから10日しか経過していないし、帯状疱疹は完治するのに最低1ヶ月はかかると言われていて、しかも頭に出た帯状疱疹なので後遺症も心配したのですが頭が重くてたまに異常に頭が痛くなることもあるのですが、自分に役割があり、無理をすれば行けない状態ではないので出張に行く事にしました。

一旦施設に行き、持っていく資料を確認して5月16日の私の誕生日に本部職員がお金を出し合ってプレゼントしてくれたカバンをまだ使っていない事を家を出る前に思いだし初めて使わせて貰う事にしました。幹部職員の思いに感謝して浮かれたように思わず記念写真を撮った次第です。

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岐阜羽島10時15分発のひかりに乗りもうすぐ豊橋に着くとアナウンスがありました。昨日は19時から全体会があり、最初に9月から配置替えになる職員の辞令を渡しながら一人ひとりに配置替えで期待する事を話ししました。会議の最後は総括を含めて私が話をしたのですがその中で精神的なストレスは病気に直結する事を今回の入院の例を示して話しすると共に、大垣市民病院で順番がくるのを待っていて、しんどくてお茶を買いに行く発想にもならず熱中症のような症状が出たので、入院中に施設での入居者さんの報告をメールで受け取った時の返信メールでは必ず『水分の提供をしっかりして欲しい。』と打つと「本日はスイカの提供をします。」とか「かき氷の提供をします」との返信メールがきてこの暑い夏の時期に厳しい状況になられる方がなかった事に感謝の言葉を添えると共に「これからは朝晩は気温が下がり体調を崩される方がないように今まで以上に個別的対応の充実をして下さい。」

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(ちょうどタイミング良く販売車がきたのでお茶をゲットしました。)との話しと共に「来月は一週間を通した敬老週間があります。当法人の理念である『今日一日楽しかったよ』と『すべてに優(やさ)しく、いつまでも悠(ゆとり)ある、やすらぎの邑(ばしょ)でありたい』を構築するためには職員の理解と頑張りが必要です。頑張りの中には必要経費を捻出するために無駄な経費を節約することも大切です。節約はけちになれと言うことではありません。

節約の気持ちの実践は細やかなケアである気付きの充実にも繋がり、入居者さんの笑顔にもつながると思います。それが職員のやりがいにも繋がると思います。」と話をしました。本部施設が事業開始をして22年目にして、このような話しに耳を傾けてくれる職員ばかりである事に感謝し、ますますのケアの充実をしていきますのでリピーターの皆さんの温かいご支援を宜しくお願いします。

働き方改革にもの申す

令和元年8月26日

地元の農協さんが『移動販売』をしている情報があり、その資料を谷口町会議員がファックスで送信してくれたのを持って、一番近い今須農協に16時5分に訪れたら既に閉まっていたので、かつての関ケ原本店なら大丈夫だと急ぎ行ったのが16時20分。しかしかつての本店も閉まっている。この現象がいわゆる『働き方改革』によってもたらされたものならば私は「うーんうーん」と悩まざるを得ません。確かに職員を大切にすることは良い事です。しかしながら、「16時は地元のニーズにあっていると言えるのかなー。」と思った次第です。

私は法人の職員に常に『入居者さんファースト』と言っていますし、当法人の業務は当然のことながら『年中無休で24時間体制』です。働き方改革で「有休をしっかり取りなさい。」と言われても基準以上の職員配置を敷いていても勤務表を作成するのにも四苦八苦の状態です。例えば本部施設の職員80名に1週間の長期休暇を取って貰おうとすると、1年は52週なので52週の内の28週は⒉人の職員に休暇を与える事になるのですが、そんな事をするだけの職員を確保するのは人材不足と経営的観点から今の状況では考えられないのが実情です。

今日の農協さんにしても役所にしても戸が閉まっていたら「明日にすれば良い」と言う事何でしょうが、特養のように365日24時間体制の所は『本日終了だから業務はしません』と言うわけにはいかない事は明白です。であれば24時間体制に見合った『評価』に対して具体的に示していく必要があると思います。具体的に言うならば『介護に関わる職員に対する社会的評価を確実に上げていく事』だと考えています。介護に関わる職員が『誇りとプライドを持って障害頑張って仕事が出来るようにするために今まで以上の努力をしていきたいとも思いました。リピーターの皆さんも絶大なるご支援をお願いします。

 

職親制度についてNHK岐阜支局の記者に熱く語りました

 本日9時の約束だったのですが、8時40分にお見えになったので、ボランティア室に案内して私の考え方を熱く語りました。

就職に対して親の支援を受ける事が難しい児童養護施設の子ども達に対して職親がすべき事は何なのか。私は28年前まで児童養護施設の指導員をしてきた経験から、本部施設にアパートを1Kではありますが20室確保していて、食事についても入居者さんと同じものを提供して、メンタル面について児童養護施設の職員との連携を取れればマッチングは上手くいくのではないかと考えています。但し、その条件を確実なものにしていく為には、愛知県で展開し成功されている『ルーキーズ』のような展開をする組織を岐阜県でも確保することと児童養護施設の施設長さん達が本気で職親制度に対して向き合う事が大切だと思っています。28年前からの思いなので時代にそぐわない事もあろうかと思いますが私も微力ながら貢献していきない。但し、児童養護施設の卒業生ばかりに焦点をあてるのではなくて、地域の子どもの中にも問題を抱えている子もいると思うので、そのような子に対しても支援の手を差し伸べて行きたいと思っています。それが28年前に児童養護施設の指導員を退職した最大の理由ですから。つまり「児童養護施設の指導員は私でなくても出来ますが、地域の子どものサポートをするのは私しかいない。」と大いなる勘違いをして紆余曲折はありましたが今こそ地域の問題にまで関われる状態になったと思っています。つまり、社会福祉法人の使命である『地域貢献として』関わっていく事が手法は違いますが私がしたかった事だとしみじみ思っています。

 

『変われば変わるもんだ』の話しと『痩せていると老けて見える』の話しです

『変われば変わるもんだ』の話しは昨日のコラムに引き続いて『リット』の登場です。リットが我が家に来た頃は、私と長男はどちらかと言えば猫は苦手だったので、あまりリットを可愛がる事なく嫁さんと次男が滅茶苦茶可愛がっていて、嫁さんと次男は「リットに噛まれた」と嬉しそうに話をしていたのを「噛まれて喜んでいるなんて信じられん」と思っていましたので、その当時のリットは私の車が車庫入れしてる音を聞き分けて私から逃げてばかりいたのです。しかしながらお互いに歳を重ねて何となく仲良くなった為か最近は私に『スリスリ』してくる事が多くなり、私の方も何となく可愛く思うようになってきたのです。そんな関係になった正しく今朝、私が出掛ける為に玄関に行くとリットがどこからともなく現れてちょこんと間違いなくお見送りの為に座っていたので思わず写メで撮ったしだいです。逃げまくっていたリットがわざわざお見送りの為に座っているのを私もメロメロになりながら写メを撮るとは『変われば変わるものだ』としみじみ思った次第です。

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私は介護の極意を改めて、この現象から学んだように思いました。つまり、相手の事を知り楽しく会話をするためには相手を好きになること。そうすることによって介護も楽しくなるのだと改めて思いました。

 

二つ目の話題で『痩せていると老けて見える。』

の話しは、本日本部施設の月一回の家族会主催の誕生会だったのですが、家族会会長のお母さんの誕生月だったので兄弟姉妹の方の参加があり、最後に一家揃っての記念写真を撮りプリントアウト(今は便利な時代です。)して差し上げたところ、皆さんで見られていて家族会の会長さんが「弟よりわしの方が若く見えるな」と言われたら妹さんが「一番上の姉の方が私より若く見える」と言われてその事で話が盛り上がりました。その話を聞きながら、「私も決して痩せてないので大丈夫。若く見られるぞ。」等と思ったのですが、実は最近四つ上の姉春子さんが「理事長の妹さん」と言われ複雑な思いだったのですが、結局は見かけではなく『ハツラツ』とうごめいているかどうかが肝要なので、今は帯状疱疹等と言うストレスによる病気になりまだまだ本来のハツラツさには程遠いですが、必ずストレスも克服してハツラツさを取り戻しバリバリと頑張りますのでリピーターの皆さん今後とも私の展開を見守っていて下さい。

我が家の猫『リット』の話しと私の髪の毛が抜けたお話し

令和元年8月24日

先ずは我が家の猫の話しです。

リットの話しはこのコラムでも何度か取り上げていますが今年の11月23日には満18歳になるのですから猫年齢だと100歳前後だと思うのですが歩き方は見るからに『お年寄り』と言う感じですが、何とか我が家の階段15段を『ひょこたん、ひょこたん』と言う感じではありますが歩いています。そんな彼が私がパジャマのまま朝食を食べに行こうと廊下を歩いていると彼専用の『流れる水』を飲んでいるのです。そして、私の姿を首を曲げてチラッと見て、またまた水飲みを再開しました。「少しはご主人様に愛想を振りまけよ」と言う感じです。どうして流れる水を飲んでいるかと言うと嫁さんの実家で産まれたのですが、水を飲ませる水の世話が面倒だったからなのか井戸水の蛇口を少し開けたままにしてあり、そこから水を飲む習慣が付き、流れる水しか飲まないのです。何とも贅沢な猫だとリピーターの皆さんは思いませんか。正に『三つ子の魂百まで』の話しですが、この流れる水は電気で動いているので、地震でもきて停電になって流れない状態になった時にリット君はどうするのだろうと心配してます。

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次に頭の髪の毛が抜けた話しですが、帯状疱疹になり髪の毛の所が赤くなり発疹がいっぱいでた写真はこのコラムでも紹介しましたが発疹が殆どなくなり鏡を見たら、髪の毛があるべき所に無いことに今朝気が付き思わず写メで撮ったのですが、今は髪の毛がなくても仕方がないと理解は出来ますが問題はこれから先に髪の毛が元のように生えてくるのか心配です。私の父進さんは30歳を過ぎた頃から髪の毛が薄く『わかはげさん』と言われていたとか。母秋江さんは「自分の旦那さんは禿げていても納得して結婚したのだから仕方がないけど、我が子宏は『わかはげさん』と呼ばせたくないとの思いが強かったのか「昆布をたべろ」と口癖のように言っていて実践したからか『わかはげさん』状態ではないのですが今になっての髪の毛がない状態は「嫌だ」と言うことで、「秋江さんの教えを守って今まで以上に海草類を食べるとしようか。」等と考えています。勿論、髪の毛が生えてこなくても私は私なのでリピーターの皆さん髪の毛が生えてこなくても今までと変わらねご支援宜しくお願いします。(「つまらない事で悩んでないでバリバリ仕事しなさい。」と言われる前にバリバリ頑張りますのでますますの支援をお願いします。)

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退院後の受診に行きました

令和元年8月23日

「大垣市民病院の駐車場確保は大変だ」と聞いていたので9時の予約だったのですが、8時に病院に着き、要領がわからないので裏玄関に待機されている看護師さんに聞くと親切に受付をする機械の所まで案内してくださり「ここに診察券を入れて下さい。」と教えて頂き受付をしたら『外来パスポート』の用紙が出てきて受診の前に採血があることを知り二階にある採血受け付けに行ってビックリです。

何故なら採血受け付けにずらっと並んでみえて何とか受け付けが出来て整理番号が『110』。掲示案内板を見ると25分待ち。思わず絶句。ここは『忍・忍・忍』です。順番がきたので採血室に入って行くと5人の方が並んで順番を待ってみえ、採血する所が10箇所はありてきぱきと採血されているのです。「この調子だと皮膚科も耳鼻科も大変だ。」と思い思わず慌てて採血した腕を動かしてしまい、カットバンをして貰った所から血が出てきたのでティッシュで押さえて止血をしていると受け付けの方が「採血に時間がかかるので先に耳鼻科に行かれた方が良いですよ」と言われたので「そうさせて貰いますが、採血をした所から血が止まらない」と話しすると看護師さんを呼んで頂き看護師さんがカットバンを張り直して下さり尚且つ私が血がついたティッシュを持っているのをめざとく見つけて「捨てておきますよ」には良い意味で驚きました。

耳鼻科に行くと9時の予約になっていたのでぴったり電光掲示板に番号が出て中に入ってからは30分近く待ったのですが鼻からカメラを挿入して貰った結果は異常無しだったので待ち時間に対するイライラは解消。尚且つ皮膚科に行くと「順番がきてますので中の待合室にお入り下さい。」との事で予約がしてある事への配慮には素晴らしいものがあると思うと共に主治医の医師から「順調な経過ですから薬の量を少しずつ減らしていきましょう。」と言われて気分を良くして、会計と薬については慣れていないのでもたもたしましたが、「わからない事は聞くべし」で三度尋ねてクリア。想像していたよりも早く終わったので、13時30分からの岐阜県老人福祉施設協議会正副会長委員長会議までには一旦施設に帰っても昼食をとっても一時間以上の時間があると考えて、施設に帰り来週のスケジュールの対応等をして、岐阜県福祉会館に向かいました。

会議の冒頭には「参議院選挙の結果にショックを受けそれに起因してのストレスで帯状疱疹で頭から首までの神経にそって帯状疱疹になり10日間の入院をしました。」と話をしました。会議は無事に終わってから雑談になり、中西副会長が「参議院選挙が終わってからの会長は至る所に掻き傷があり、ストレスが凄いと感じていて体調を崩されなければ良いけどと思っていましたが神経をやられたのですね。それに帯状疱疹は痛いと聞いてます」と言われたので、「痛くて3日間は眠れなかった。」と答えました。しばらくは帯状疱疹の話題でもちきりでしょうが、ストレスを溜めずにバリバリ仕事が出来る体制を作らなければと今は考えています。

コラム連続更新2年目に突入しました(宏君を褒めてやって下さい)

常に理事長として「継続は力なり」と言ってきた私が率先垂範できていることにかつてのマラソンランナーの有森さん流に言えば「自分を褒めてやりたい」と言う事になるのですが、有言実行出来た事に正直「ホッ」としながらも、「まだまだ続けるぞ」と自分を奮い立たせています。

しかしながら正直連続更新をしてきた1年の間にも何度か「ヤバい時(とき)」がありました。例えば昼間バタバタしていてそのまま飲み会があって代行で帰ってきて、家に入り冷たい水を飲みながら「本日のコラムが書けてない」と気付き、携帯に向かって書こうとしてもタイトルも浮かんでこなくて時間ばかりが過ぎて、すっかり酔いが醒めてようやくタイトルが決まって書き出してからも一生懸命に書いているつもりが、眠気が襲いいつものようなペースでは書けなくて外が白々としてきてようやく書けた事もありました。(こんなケースは正確には一日遅れと言う事になるのですが、宿直者が起きる6時までには送信して尚且つその日の内にもう一つ書いているので私的にはオーケーと言う理屈です。)

本日から2年目になるのですが、これからの一年は垂井町営住宅の跡地に岐阜県初の盲養護老人ホーム(47都道府県の内でない県は岐阜県を含めて4県のみ)と養護老人ホームの併設施設の計画を遂行していく事になっているので、その計画についての報告も多くしていく事になるかと思います。養護老人ホームの稼働率は全国平均でも70パーセント台なので「今の時期にどうして計画するのか」との意見を多く頂きました。

しかしながら、西濃地区には大垣市と揖斐地区にしか養護老人ホームがなく、関ケ原町は勿論の事、垂井町、養老町、安八町、輪之内町、神戸町、海津市のエリアにない状況を続けていくのは許されないし、ましてや盲養護老人ホームは岐阜県内にない状況を解消しなければとの思いを強く持ち、岐阜県老人福祉施設協議会会長の責務だとの思いも抱き、社会福祉法人杉和会の理事会や評議員会のご理解も得て実施する次第です。稼働率が低い事は制度上の問題も大きくのしかかっていると思いますので制度の見直しに対するアプローチもしていきたいと考えています。

お金も土地もなかった私が社会福祉法人の認可を平成9年7月にその当時の岐阜県知事から頂き、翌10年5月に本館の事業開始をして16年4月に新館増築をして、26年4月には大垣市和合に新築の建物が出来職員も150人を抱えるまでになったからこそ地域のニーズに応えるものを構築していく事が社会福祉法人の使命と考えていますので今後の展開をリピーターの皆さんも末永く見守っていて下さい。(2年目に対する所信表明のようになってしまいましたが諸般の事情をくみして下さい。)

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