2019年05月の記事一覧

今(午前8時22分)は列車の中です

令和元年5月21日

昨夜は飲み会がありましたが、今は『ひかり』に乗り東京に向かってます。本日は平河町にある都市センターで日本介護支援協会の役員会が午前にあり、午後からは総会があるからです。会議が終了後東京プリンスホテルで清和研究会のパーティーにも参加させて貰うので、恐らく新幹線の中でコラムを打たないと昨年8月22日からの連続更新が途絶えてしまうので、頑張って携帯とにらめっこしてます。私の口癖と言うより座右の銘と言った方が良いかな『継続は力なり』です。この「必ず書く」と言うエネルギーは何処からくるのかと言えば、色々な方から「毎日見てます。」とか「よくも、あれだけのボリュームで書けるね。」等と声を掛けて貰うのできっとその言葉に勇気付けられているのだと思います。先般のコラムで『5月18日が特養の事業開始』について書きましたが(ちなみに本日5月21日はデイサービスの事業開始日)この事業を始めるにあたって、色々な方に「絶対に特養を完成させ地域の安心に貢献したい。」と言い続け今があると思います。確かにしんどくて逃げ出したい時がなかったかと言えば嘘になります。但し、一生懸命に頭を動かし体を動かしていると、不思議と助けて下さる方が現れて今があると思います。昨夜の飲み会には私の長男も参加していて、立ち上げ時の申請書類の多かった事が話題になった時に「殆ど寝ずに頑張っていたね」の言葉を聞いた時には、「親の背中を見ててくれたんだ。」と嬉しくなりました。今日のように出張もけっこうあるのですが、職員がしっかり施設を守っていてくれているから出掛ける事ができるんだと思うと色んな意味で手を合わせた毎日でないといけないとコラムを打ちながら思った次第です。リピーターの皆さん私がスランプになった時には支えの方を宜しくお願いします。

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たいがい酔っぱらっています

1日バタバタしていて、飲み会の18時に間に合わなくてガンガン携帯がなって慌てて連絡をしながら、今は便利ですよね。運転をしながらも連絡が出来るとは。料亭に25分遅れで着くと店の方や職員が待っていて、私が席に着くと飲み会が始まり私の乾杯で始まりました。

料理が出てきて一つひとつに気を配った料理に舌つつみを打ちながらガンガン冷酒で岐阜の銘酒「三千盛」をいっぱい飲み、二次会では思いっきり歌いました。豚もおだてりゃ木に登るで調子良く歌いました。

本当に上手なのか、そうでないのかは酔っぱらっている私には判ませんが、とにかく判断はリピーターの皆さんに委ねたいと思います。今は、私の車を代行の方に運転して貰っていますが、なーんも話してくれないので眠くなってうとうとしていると「お客さん着きましたよ」で気が付きお陰様で今は家の車庫に着きました。

明日は岐阜羽島を7時過ぎの始発で東京にいきますので21時過ぎの帰宅は限界に近いですが無事に家に帰ってきたし、明日もガンガン頑張りますので宜しくお願いします。

猫が「ニャー」っと鳴くのは・・・

令和元年5月19日

5月17日に報道されたNHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』で「何故、猫は『ニャー』と鳴くのか」を見ていて、興味深かった事と、我が家の猫『リット』を重ねて、述べてみたいと思います。回答者の皆さんの反応は「何でそんな当たり前の事が質問になるのか」との動揺がわかり大変面白かったのですが、私自身も同じような感覚でいました。回答をする方は大まじめに「10000年前の人間と猫との関係」から説明され、人間が米を貯蔵するようになり、米俵をかじるネズミを捕獲する為に人間が猫を飼うようになり、例えば猫が人間に餌を要求する為に『ニャー』と鳴くようになったとの事です。確かに子猫はうるさい位に『ニャー、ニャー』鳴きます。これは、母猫に「お腹が空いた」と訴えているので、うるさい位に鳴くのです。でも、自分で餌を確保するようになったら『ニャー』と鳴く必要がないから鳴かないのだそうです。もし鳴くとすれば、相手を威嚇するとき位だとの説明でした。そして、その事実を理解させる為に猫カフェで猫だけでいた時には確かに一切鳴かなくて、世話をする人が入って行くと傍に来て『ニャー、ニャー』と鳴くのです。と言う事は大人の猫同士では鳴く必要がないと言うことです。さて、我が家のリットの話ですが、飼い主であるはずの家族が何かをしても殆ど鳴く事がなく、自分が気に入らない事があるのうなり声を出すような猫だったので、可愛げがないので私自身は可愛がることなく怒ってばかりいたので、私が家に帰って来た事が分かると退避するような猫だったのですが、18年も生きている今、ようやく仲良くなり傍に来て甘えたりすると可愛く感じるようになりました。最高で10キロの体重が優にあったのが今は7キロ位になり、歩き方もヒョコヒョコ歩きで、階段の昇り降りはヒョコタンヒョコタンです。。そして最大の違いはメッタヤタラに鳴くのです。しかも、朝の4時から私のベットの傍で・・・。しかも、私が起きて餌のあるところで食べるのを見ていろとばかりの増長ぶりです。こんな事なら仲良くならなければ良かったかな。と思いながらも可愛く思う感情は何・・・。

本日5月18日と言う日

平成10年の今日は特別養護老人ホーム優・悠・邑の事業開始の大切な日です。つまり、21年の月日が流れ22年目に突入しました。丸21年とさらっと言える程簡単なものではありませんが、難産に難産の末に平成9年4月18日に国からの内示を頂き、同年7月17日に杉和会の法人認可を頂き8月8日に建設に伴う入札を行ったのですが、入札を2回行っても不調に終わり、一番低い数字を入れて頂いた大日本土木との協議の末にお互いに同意する内容になり、建物を建てる条件が整いました。かつては米を作っていた所もその当時は2メートル近い草が生えていたのを、6メートルの高低差をならして8000㎡の平らな土地にして貰った時には正直両手を広げて走り回った記憶が甦ってきます。単年度事業だったので、時間がない中での工事だったにもかかわらず、その年の12月1日にはまだ屋根もないなかで、40㎝位の雪がドンと降り、その当時の監督さんが真っ青な顔で対応されていたのを覚えています。そして事業を開始したものの新卒者が殆どで、私自身も児童福祉の理念で突っ走り、職員との温度差も半端でなく、当時の職員にコスト意識は全くなくてストレス一杯の毎日だったです。事業開始して1年経って理事会の理解を得て自ら施設長の職を解いて貰い、現場の業務をしながら私の思いを話しして、少しつつ理解者を増やしていき、目指す方向を示していくなかで、職員からおむつの検討をしたいとの提案があり、おむつの吸収性やはき心地を試したりしていて、私自身、おむつの中で排泄を試みてもなかなかでなくて腹圧をかけてみてようやくでだして、おしっこが温かい事を理解すると共に長い時間そのままにしておくとおむつの中が氷のように冷たくなることを知り、尚且つ、便秘になった事も経験しました。その経験によって、「寄り添いケア」と言いながら、寄り添ってない事に気が付きました。このような事は教科書のどこにも書いてありません。そんな事を繰り返す中から、ケアの充実と地域貢献に留意してきた21年でした。この21年で私の体型は変わり、施設の対応も向上してきた今、より一層の地域貢献を役職員一同頑張っていきますので変わらぬご支援宜しくお願いします。

なお、写真は施設の奥(西側)に今、県の予算で施設の安全への配慮の為、砂防ダムの工事を実施して頂いていて、その工法がダムが土砂で埋ったら土砂を取り除く工法でして頂いている為に大型のダンプの乗り入れが可能な道路の整備をして頂く為に沢山の木を切り明るくなって立派な道路が出来ているのを撮影したものです。

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1年に一回の誕生日は最高でした

令和元年5月17日

昨日のコラムでも書きましたが、私の誕生日と言う事で昨夜の会議の後の懇親会の最後に岐阜県の副会長四人が誕生日のサプライズをしてくれ、参加者全員で祝ってくれました。その後二次会に行った席では当番県である福井県の若手役員が誕生ケーキを用意してくれており、ローソクの火を消すセレモニーがあり、またまた盛り上がりました。但し8本のローソクの火をイッキに消すのが一杯いっぱいで、こんなところで66歳に老いを感じるのは嫌だから、乾杯後はいっぱい一杯歌を歌いました。昨日は松山千春の曲をめっちゃ上手く歌う名古屋市の会長がいなかったので、『私のワンマンショーか』と思っていたらみんなが積極的に歌われみんなで盛り上がりました。私は本日11時から業者との打ち合わせがあり、福井駅を8時38分のしらさぎに乗り本部施設に帰ります。昨日の成果は東海北陸ブロック研修大会の最終調整、1市6県による防災対策の具体的な検討、会議後の参議院議員選挙の組織内候補予定の角田みつよし君の各県の活動状況の話の中では、岐阜県で頑張って10000票を取ると宣言すると(あいからわず、自分にプレッシャーをかける生き方だと自分自身つくづく思いますが、角田君が参議院議員になって介護、福祉の社会的評価を上げたいと考えています。)他の県からも頑張りますの言質を貰えたのは成果だと思います。また、懇親会で石川県の久藤会長の隣の席で親しくお話をさせて頂く中で今年の夏祭り(8月3日の予定です。)にも昨年同様に石川県の銘酒『菊姫』を1斗樽を送って頂けるとの事で、リピーターの皆さんもよければ飲みに来てください。7月には参議院選挙が行われ(ひょっとしたら衆議院との同日選挙)ますので、8月の夏祭りは準備良くしていかないと大変な事になるなとコラムを書きながら思っています。しかし、その前の6月には供養祭もあるので確実に実施していきたいと思います。なお、供養祭の案内はご縁を頂いた方には近日中に案内を出しますので是非お越し下さい。

本日は私の年に一回の誕生日です

令和元年5月16日

本日は福井市で全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議が開催され、会議の後懇親会もあるので泊まらせて頂くので、いつもよりは少しゆっくり施設に行くと事務所の私のデスクの後ろに大きく『祝66才おめでとうございます  職員一同』の張り紙があり事務所にいた職員が「おめでとうございます」と共に拍手がおき、職員代表でデイサービス責任者の北島部長からプレゼントを手渡され、早速包みを開けると立派な鞄が入っていて、良く聞くと係長心得以上の役職者がお金を出し合いプレゼントをしてくれたと知り、感謝カンシャかんしゃです。鞄はリピーターの皆さんにも見て貰いたいと思い写真を撮ってもらおうとの思いから、鞄を手渡された時にはしていなかったネクタイを結び記念写真に納まりました。しかしながら、本部職員は私が出張時等に適当な紙袋などで出掛けるのを気にしていたのかな。それとも、66才になった私に「もっと気合いを入れて頑張れ」と叱咤激励をしているのかな。どちらにしても私はまだまだ元気だし、色々な使命があるのであれば66才まだまだ元気「やったるぜ」の気持ちを強く持ちこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんますますのご支援宜しくお願いします。そう言えば本日の会議でも私がガンガン意見を言って全国老施協の新しい方向性を示したいと考えています。只今13時52分で鯖江です。後5分位で福井なのでその後は事前打ち合わせ、会議、懇親会と続くので本日のコラムは列車に揺られながらの原稿ですので、文章も揺られていたらごめんなさい。

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朝の報道で思った事

令和元年5月15日

どんな報道だったかと言えば『岡山市には用水路が多くあり用水路と道の境に何の施策もしてない所が多くあり、用水路に落ちて亡くなられた方が多く見えるが予算が付かないので手付かずの所が多くある』との報道でした。確かに夜に歩いたり、自転車で通ると危なかったり、道路が狭く(報道している画像を見ると)車が通ると自転車や歩行者が危ないように思いました。実は私も養老サービスエリアで食事をしようと外から入り食事後に水路の上に橋が架かっていて、橋があると思っていた所には橋が無くて2メートル近く落ちた覚えがあります。そこは幸か不幸か70センチ近くヘドロが貯まっていて、ズボズボっと言う感じで落ちたので怪我はなかったのですが、とにかく臭いが凄くて家に帰りお風呂に直行しました。(お風呂で良かった。これが病院だったら洒落にならない。)良く考えてみると、私の長男が小さかった頃(約30年前)は我が家の前も用水路があり、(結構な幅で深さは2メートル位あったと思います。)今から思うと「よくぞ落ちる事無くいたものだ」と言う事ですが、色々考えると、30年前は今ほど車は走っていなかったし、地域の方々の声掛けもしっかりしていた。我が家の地区の高齢化は顕著で(私も明日で66歳です。)昼間に外にいる方は殆どいません。用水路に蓋が設置された時には、冬場の雪解けが大変だとの声もありましたが、車の量が多くなったのと、車が全体的に大きくなった事もあり、不満の声は聞かれなくなりました。事故が起きてからでは遅いので何とか予算的配慮をして頂ければと遠い岡山の事ですが思った次第です。そういう意味では、本部施設の南側に大々的な予算を岐阜県でつけて頂き土砂防止の工事をしていただけているのは大変ありがたい事です。

ベトナム留学生について

今年度から初めて留学生の受け入れをすることにして、ベトナムから男女一人づつ二名が3月24日に当法人の職員が迎えに行きご両親にも挨拶をする予定でしたが、出発前直前に書類審査で不備があり、ビザが下りないとの連絡が来たのですが、ベトナムで両親共々不安になっていると考えると、予定通りベトナムでご両親や本人達に安心してもらう為に3月24日にベトナムへ職員に行って貰いました。

そして、それと共に急遽大学に状況把握の為に行くと、大学側の説明は「補助金を当てにした書類では審査が通らない」との説明を繰り返すばかり。「そのように書類を指導したのはそちらやろ」と思いながらも、「今年来れなくなるのは絶対に駄目だから、しっかり指導して貰う為に忍・忍」と考え直して説明を聞いても今一理解できないので大学を出て行政書士の先生の所に直行して完璧な書類に仕上げ、翌朝大学に書類を届けると「5月の連休明けにはビザが下りると思いますので、学習計画を作り直し体制を整え直します。」との事だったので、連休が開けるまで首を長くして待っていたのですが、ようやく本日大学からビザが下りたとの連絡を頂き正式に日本に来て学ぶ体制が出来ました。ひと安心すると共に難産の末に来てくれる二人を大切に育てて行きたいと考えています。

しかしながら、このケースで改めて感じたのは、情報収集の大切さです。確かに、東京福祉大学のように留学生を食い物にするような事例を作るとビザの交付が厳しくなるのは仕方がないですが、真面目に申請を出したにも関わらず、昨年同様の指導をしたことにより、ベトナム人留学生やその親および法人側にも迷惑をかけてしまう体制はいかがなものか。指導する大学側にしっかりとした情報収集のシステムがあれば、まるまる二ヶ月も遅れての入国はなかっただろうし、いらぬ心配もせず入国出来たと思います。私自身も情報が入らず方向性を間違えない体制を心掛けて行きたいと改めて思ったしだいです。

先般のコラムで『病院は患者を待たせても平気』的な事を書きましたが

令和元年5月13日

2日前から、右耳が聞こえにくくなり、昨日の信輪会の竣工式で県会議員の猫田先生や参議院議員の園田先生に話し掛けられても右側から話し掛けられると聞きつらく対応するのに苦慮したので本日は朝一番に大垣市にある森耳鼻咽喉科医院に来ています。まずは受付をして問診票に必要事項を記入して待っている時に、待合室を見回すと空気清浄器に『うがい』『手荒い』を促すシールが貼ってあり、小さい子の遊び場も設置してあり、尚且つ、予約が簡単に出来て待ち時間に対する配慮がしてあるのに感心して、地元の関ヶ原診療所とは随分違うなと思いました。先生も看護師も受付の事務職員さんも礼儀正しくて、パソコンやスマホで時間待ちへの配慮がされているのには感心させられました。色々と感心しているとそれほど待つことなく診察室に案内して貰い、診察台に座り院長先生に状況を説明すると悪い方の右耳を診て、「耳垢で塞がれていて、耳栓をしたような状態になっているだけですから耳垢を取りますね。」と言われ1分もしないで、「聞こえますか」と言われた時に、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分でしたが、この体験から色々な事を学びました。一つ目に決して綿棒を奥に入れない。(66歳のわたしが理解擂ることか)二つ目に耳垢が貯まっていると思ったら森耳鼻咽喉科に行って除去して貰う。三つ目は長男が学生時代に神経性難聴で片方の耳が全く聞こえないので、大変な思いをしている事を身を持って理解しました。私の人生は『災い転じて福となせ』なので、この体験をどのように考えて行くかを今は考えています。本日15時からNHK岐阜時局の記者が取材に来ました。主たる取材内容は『養護老人ホームの措置びかえ』についてでしたが、社会福祉法人改革、介護人材等についても私の持論を話させて頂きました。今すぐの撮影ではないのですが、近い将来世論を巻き起こせる形になれば素晴らしい事だと考えています。だってリピーターの皆さんこんなに一生懸命に頑張っているのだから・・・。そのように思って頂けたら有りがたいです。

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ブタもおだてりゃ木に登る

令和元年5月12日

昨日北島部長が最後の筍として、8本竹藪で掘ってきてくれた筍を朝から大鍋で湯がいていて、しっかりぐつぐつ煮たってきたタイミングで、玄関先にある地域交流ホールを通ると、10時30分からの企画で『母の日』イベントをしていて見守りをしていた職員から呼び止められたので、「どうかしたの」と(半ば期待をしながら)聞くと「理事長に最後の締めで歌って欲しい。」と言うので、『てるてる座600回記念公演』でプロ歌手砂田おさむの持ち歌『人生夢の途中駅』を本人を前にして歌った歌をエントリーをして、準備が出来る時間を利用して「私の母は私が小学3年の頃から病気の為に入退院を繰り返し13歳の時に他界したので、母親と何かを一緒にしたとの想い出はあまりありませんが、今は多くの皆さんが母親のような存在で、良い思い出を作る為に精一杯歌います。」と挨拶をして一生懸命に歌いました。そして、母の日イベントが終わりその場を離れて再び湯がけた筍の片付けをしようとホールを離れようとしたら、ショートステイの男性利用者の方(いつも比較的お話をされない方)が私に握手を求められ「理事長さんはお経も上手だけど歌も上手いな」と言われたので、「ありがとうございます。また歌いますのでまた聞いて下さい」と言って(かなり気分良く)外に出て、かたつけをしていると、面会を終えられて外に出てみえた、男性の方がわざわざ私の所まで来て「理事長さんは歌がお上手ですね。」とお褒め頂いたので、私は「利用者さんに家族の方が私の歌を上手いと言って頂いた。これはひょっとして本当な私は歌が上手いのかも知れない。」と自惚れています。昔から言いますよね。『ブタもおだてりゃ木に登る』と。私もその口かもしれません。だれからも上手だと言われるように精進して、頑張りますので、これからも宜しくお願いして下さい。

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