2019年03月の記事一覧

改めて「予定は未定であり決定ではない」を嫌と言うほどに知りました

平成31年3月11日

本日は全国老人福祉施設協議会理事会が東京平河町の本部ビルがある塩崎ビル7階で開催されるので時間に余裕を持った対応を66歳を迎える5月までに習慣付けようと、岐阜羽島10時13分発に乗るために9時20分前に施設を出たのですが、関ヶ原インターを入ろうとすると前の車が変な動きをしているのに、まずは「いらっ」。右側のゲートから入ると名古屋方面は通行止めで、係員の誘導でゲートを出ると、メチャ混んでいて車が進まない。裏道を通り何とか少しは進み流れが出てきたように見えた所で本線に合流したら、直ぐに動かなくなり、高速道路の閉鎖がどこまでなのかを知らないことにはどちらに向かって良いのか分からないので、本部施設に連絡すると「養老では駄目なので大垣インターに向かって下さい。」との事で知らない道をナビを頼りに走っていくと大垣インターの表示があり一先ず「ほっ」。今は岐阜羽島のこだまからのぞみに名古屋で乗り換えて東京に向かっているのですが、改めて「予定は未定であり決定ではない。」を知りました。今回は一本遅れで済んだので車内でお弁当を頂けば会議に遅れる事はないのです良かったですが、今の時代は想定外と言われることが沢山おきます。いみじくも本日は3月11日で8年前の今日、東日本大震災だったわけで、一本遅い列車になった事をごたごた言うことではないか。ただしもう一つ言わせて下さい。それは車内販売でお弁当とお茶を買おうとしたときです。私はうっかりして一万円札しか持ち合わせてなくて、申し訳なさそうに一万円札を出すと、「お釣りがありません」と言われたので小銭でも払えないかと財布の中身を確かめてもないので、困って思わず商品を返して昼食なしでも「お腹には蓄えがあるし一食抜いても大丈夫」と自分に言い聞かせていると、販売員の女性の方はおもむろに五千円札と千円札を数えて、「大丈夫です。」だと宣われたので、この販売員の女性の方は釣り銭を数えるのが面倒だったのか、お金がどんたけあるのかも分からずに仕事をされているのか、どちらにしても私は恐縮をして一万円札を出した次第です。あと40分で東京に着きますが今は雨もあがり良い天気になってますので、取り敢えずお弁当を頂いて、本部での理事会に臨み頑張って行きます。(帰りの列車の中では疲れて、コラムが書けないといけないので、行きの列車の中で本日のコラムはクリアです。)

午前6時、午後6時でも明るいです

平成31年3月10日

6時過ぎに起きて施設に行き、入居者さんや職員に挨拶をする為に車を走らせていても、つい最近までは暗くて、楽しくなかったのですが、今朝は明るくて「頑張るぞ」とテンション高く行くことが出来ました。そして、昨日は東京から帰り午後からフォーラムホテルで行われた会議に引き続いての研修会を終えて、途中でタイヤ交換をした車を取りに行っての帰りにも午後6時を過ぎても明るくて、このまま家に帰るのが申し訳ない気分になりました。(実際には東京から帰ってからの大垣での対応だったので直帰させて貰いました。)

しかしながら、入居者さんの傍に行ってご挨拶をするとそれぞれに良い顔をして頂けるので、正直一日の中で一番楽しみな時間だと思います。「朝早くから大変ですね」と言って頂く方もあるのですが、私自身は入居者さんや職員から元気を貰っているので大変だとは決して思っていません。

写真の盆梅の話をします。この盆梅は入居者さんが自宅で丹精込めて育てられたものが、「施設に入居して息子が水をやってくれないので駄目になってしまう。」と言われたので、出入り業者の植木屋さんにユニックを持ってきて貰い家まで行って運んできたものです。新館の入居者さんなので、イベントが本館で行われた時は必ず、職員の水のやり方に注文をつけられるのですが、今は綺麗に咲いている盆梅の花に満足のようです。この入居者さんは施設に入居される前は病院で全く気力がなくて、歩く事すら忘れてしまわれたような状態で、入居当初は眠れないとの訴えも多く、薬への依存も多かったのですが、今は盆梅や盆栽が生き生きしてきたのと同様に生き生きとしたメリハリのある生活をしていただいてます。今朝も朝食にコーヒーで好みのジャムやバターをパンに付けて食事を楽しんでみえました。

2019031007560001 (002) 2019031007562701 (002) 2019031007563701 (003) 2019031007570001 (002) 2019031007581601 (003)

充実した日々の中で

昨夜は二次会を岐阜の役員3人で行い、お酒もしっかり頂きましたが、それ以上に情報交換がしっかり出来ました。18時からの一次会スタートだったので22時までの四時間で終了してホテルの部屋で爆睡していて、午前1時40分にメールが入り「何事だ」と目を覚まし携帯の画面を見ると、午前1時8分に本部施設に震度3の地震があり、館内の入居者さんに混乱はなく、設備も異常がないとの報告。当施設の職員は本当に頑張っていてくれると改めて感謝し、私が忙しく走り回っていても大丈夫な体制が出来ていると思いました。私はと言うと朝風呂に2回入りしゃきっとしたところで、荷物の整理をしていると、本部施設からメールで機械設備の確認をして大丈夫だったとの報告に改めて感謝、感謝。準備を整え、同じホテルに泊まっていた林副会長と共に品川駅から新幹線で岐阜羽島に向かい、本日の富士山は雪景色。(残念ながら乗客がいっぱいで写メはとれませんでした。)岐阜羽島に予定通り着き、大垣で雪タイヤから夏タイヤに換えて貰い昼食を食べて、認知症の連携会議と講演会に参加しました。明日は、6時過ぎから施設の職員と入居者さんに挨拶して回り、その後は決済をしなければいけないし、職員の配置替えについての話をして・・・。明日もバタバタかな。明後日は全国老施協理事会の為にまたまた東京。毎月12日はお墓参りに行くのですが、行けそうにないので明日時間を作って行ってきます。バタバタの中で地に足をつけた生き方を頑張ります。(絶対かっこつけすぎ・・・)

一杯いっぱい

平成31ねん3月8日

岐阜羽島10時13分発新幹線の予約を携帯で取り(久しぶりに予約を取ろうとしたため取り方が分からず吉田部長の協力を得て・・・。)事務連絡をパソコンで確認したり、外線の対応をしたりしていて、車に乗ったらいつもの事ながら「いかん時間がない」駐車場に車を入れ、券売機で切符を手に入れエスカレーターでホームに着くと列車がタイミング良く入ってきて、取り敢えず「セーフ」。車内は混んでいて、お隣が空いてないので遠慮気味に携帯を操作してます。でも、アクシデントがない限り東京までは連れていってくれるので一杯いっぱいの状態は脱出しました。

ところで、9時前に施設に向かってると、あちらこちらで、当施設の公用車を見かけ、つくづく思いました。設立当初は公用車はデイサービスに一台と特養に一台の二台しかなかったのに今は11台もあり、この20年で施設の状況も随分変わったと思いました。

それにしても、新幹線は混みますね。だって、空席は一つもないですから。まだ隣に知らない方が座っていて、足を組み(ちなみに私はお腹が出ていて足を組むことは難しい—-。)スマホとにらめっこされていますが。

本日は、13時30分から全国老人福祉施設協議会正副委員長拡大会議があり、終了後は岐阜県から参加している幹事二人と共にかつて副会長をされた長老との意見交換会を仕組みました。私もこの5月で66歳。次世代への備えをしなければいけない立場だと考えています。かつての大長老の口癖は「老兵は過ぎ去るのみ」でしたから。私はまだ、老兵と言われるにはまだまだキャリアがありませんが、慌ててバトンするのではなく支障が出ないように緩やかな流れを作っていきたいと考えています。

本日は品川プリンスで泊まらせてもらい、明日は西濃地区の認知症連絡会と研修会がありますので、なるべく早くに帰りたいと考えていますが、一日おいて11日は全国老人福祉施設協議会の理事会があり再び東京にいかなければいけないので、10日の日曜日はしっかり施設で頑張りたいと思います。こんなに充実した日々を送れるのも健康であればこそ。油断する事なく精進していかねば。あと一つ私の真骨頂を言わせて下さい。

私は昨日、5日の日に竣工式にお招き頂いたところの理事長先生にパソコン打ちではありますがお手紙を書き、当法人のパンフレットや広報誌とチラシと共に岐阜新聞に掲載して頂いた素描の本を送付しました。今後の理事長先生との交流がどのように進展していくのかワクワクしています。「アクションなくして展開なし」(かっこよく決めたつもりなのですが)

 

 

目が痒いし腰が痛い.

平成31年3月7日

朝のニュースで韓国では、日本での警戒域の2倍以上のPM2.5で視界がかすんでいるとの情報で、その後の報道では西日本にも流れてくるとの事。今の日本ではスギ花粉とのダブルパンチ。当法人は『杉和会』。名前を聞いただけで目が痒くなるような状況の中、外に出ると「目が痒くて」目を掻きむしるか、目ん玉を取ってしまいたいくらいです。いつから花粉症状が出てきたかと言えば、体重がどんどん増えてきた時期と符合する。これは、「布袋様のお腹」等と言ってる場合ではないな。話は変わって先般足の裏が痛くて診療所に行ってレントゲンを撮った結果を聞きに行ったら、「足には全く異常がないです。」と言われてついでに過去のデーターで腰のレントゲンを見て、「一般の方の背骨は曲がっているのに、若山さんの背骨は真っすぐですね。」と言われたので、施設に帰ってその話をすると、「お腹が出ているので、背骨が真っすぐになったんですよ。」と言われ、これも布袋様と関係あるのか・・・。よーし、やせたる。目指せウエスト75センチ。そんだけ細くなったら軽くなりすぎてジャンプが10メートルくらいは出来るかも。それは漫画の世界だからやはりしょせん無理な話か・・・。

3日遅れのひな祭りイベントでの入居者語録さん

平成31年3月6日

93歳女性の方・・・「理事長さんはおいくつですか。」「65歳ですよ」「お若くて良いですね」「いやいや結構な年です。」「何言っとるの。私は93歳でもうだめだけど。」「いやいや、まだまだお若いですよ。」「嘘おっしゃい」「本当にお若く見えますよ。」「ウフフ。嬉しいわ」(そこに、女子職員が加わり、「Mさん可愛い」の一言でチャンチャン。

お酒が好きな男性の方・・・(一番大きな盃に並々お酒を注がれて一気に飲み干され)「もう一杯飲むぞ」「お昼にカツオのたたきが出て美味しかった。前におった施設では絶対にでんかった。」「お昼のカツオのたたきでお酒の飲むと良かったですね。」と言うと「「そんなので飲んだらこれくらいで済まないよ。」

お酒が好きな女性の方・・・(大きな盃の酒を一気に飲まれ「どんどん注いで」に3回注いだところで、職員ストップ。(うーん。もう2回位注ぎたかった。)

最近ショートを開始された男性の方とツーショットで写真を撮ると「焼き増しをして私に下さい。理事長さんとの写真を一生大切に持っていたいから。」(実は、この方は高齢者のみ世帯で、奥様が入院することになり、自分一人で1年でも2年でもパンだけの生活をして家にいる。と頑固な方だったので私が説得に行き、何とか施設に来て頂き、今は「ここのご飯は美味しいし、リハビリにも付き添ってくれるしありがたい」とすっかり施設での生活を納得して貰っています。)「理事長さんの顔を見ると元気が出る」とも言われ、お酒を進めると、「お付き合いで飲む事はあったが自分から飲むことはない。」と言いながら「理事長さんのお腹は立派だけと少しは気をつけた方がいいですよ。」と言われて「お付き合いで節制できないのです。」と答えると「大変な仕事ですね。」と同情されてしまいました。

 いつもと違う何かがあると一日が楽しく幸せな気持ちになって頂けます。この日の為に桜に模した紙細工をしてくれた職員、大きな貝殻で作った雛を作ってくれた職員など、思いのある企画に対しては入居者さん、利用者さんに通じより楽しいものになるのだと改めて知ることが出来ましたし、素晴らしい笑顔をたくさん見る事が出来私も幸せな時間を過ごすことが出来ました。

 

中津川にある施設の全面改築の竣工式典に行って来ました

平成31年3月5日

高速道路を名神高速、中央自動車道を走ったとしても片道130キロあるので、最低二時間はかかると考え10時30分の受け付け開始に間に合わせるには遅くても8時30分には家を出なければと思い、8時には着替えを開始して、8時15分には準備が整い出発しようとすると何件かの電話が入り家で足止めをくらって、気が付けば8時25分。電話の中身によっては、こちらから連絡しなければいけないのもあったのですが、「車の中で車のスピーカーを使って話す機能を使わないと遅れてしまう。」と考えて携帯が外線コールしているのを無視して車に乗り込み運転をしながら話をする形で時間短縮。但し、メールは流石に運転しながら読むことが出来ないので、中央自動車道に入ってドライブインに車を停止させて読みました。(何とも忙しいこと。)

昨日ナビを入れてみたところ、地番までは見つける事が出来なかったので一抹の不安があり、結局その不安が不幸にも当たってしまい車を停めて困っていると、地元の方と思われる若い男女の方に窓を開けて聞いてみると、本当に親切に「道なりに真っ直ぐ行かれると案内の方がみえますよ。」と教えて頂きました。これぞ正しく『地獄に仏』とはこのことか。確かにしばらく道なりに走ると大きな建物が見えてきて、案内してみえる職員さんの姿が見えて「ほっ」と。

予定の時間より早く着きましたが既に沢山の方がみえて、東濃支部の施設長さん達にご挨拶をしていて、親しくさせて頂いている施設長さんに理事長さんは長野県飯田市に本部がありそちらに常駐されているので分からないので紹介して貰い「実は9年前に飯田市の施設でお会いしたことがあります。」とご挨拶すると、不思議そうな顔をされたので、「選挙活動の一貫でお会いしました。」と言うと納得され、理事長さんの方から「実は今は長野県の会長をさせて貰っているんですよ」と言われたので、最近開催されたタウンミーティングについてお話すると盛り上がって話が出来ました。その時につくづく思いました。「9年の月日で随分貫禄と落ち着きが出てきたな」と。2019030512352201

テープカット、竣工式典、祝宴と進み、理事長さんが各テーブルを回られているときに私の席で「しっかり食べて頂けましたか。痩せてしまうと大変ですから」と茶目っ気一杯の会話。う~ん、9年の月日は凄い。岐阜県の最西部から最東部にきたので、皆さんにご挨拶をさせて頂き帰らせて頂きました。折角中津川にきたので、栗きんとんで有名な『すや』で栗きんとんを買おうとお店に入って迷うことなく「栗きんとん下さい。」と言うと店員さんが申し訳なさそうに「一月で製造を止めてます。」との事。このこだわりは凄い。だとすると岐阜羽島駅に売っている栗きんとんは何なんだ。くじけずにちまきを買ったのですが「これぞ本物」本日ボランティアに来ていただいていた『てるてる座』の座員に食べて頂くと本当に喜んで頂きました。経過報告をだらだら書いてしまいましたが本日思考力ぜろ。こんなコラムもあると言う事でリピーターの皆さんお許し下さい。

 

2019030510495601 2019030510501001

お祝い花と祝電についても喜んでいただけました。

養護施設の指導員時代の事を語ります

平成31年3月4日

昨日のコラムで学習担当指導員になって、福祉の世界にどっぷりつかり今に至っていると書きましたが、あまりに、格好いい書き方だったのでそうでなかった事を告白します。それは、養護施設の指導員になって3日目に小学校・中学校・高校の教員免許資格を持っていると言うだけで採用された私でしたが、中学生の数学の問題も解けない事を暴露されそうな出来事が起きました。それは、その当時の中学1年生の一番ちゃかちゃかな女の子が、数学の計算問題の宿題が分からないので教えて下さいと手を挙げた時に勇んで彼女の所へ行ってパニックになった事から始まりました。だって、私はその問題を見た瞬間に『解けない。私は、中学生の時勉強が苦手だった』と言う事を嫌と言うほどに思い知らされたのです。。その時は急場しのぎとして、大学時代の演劇をかじっていたことが役にたちました。それはオーバーアクションで腕時計をみながら、「こんな時間か、この問題を教えるには今からだと中途半端になるので、明日しっかり教えるから。」と言うと彼女も「明日までの宿題なんで困ります。」と言うので「この時間になって言うあなたが悪い。」なんて理屈にならないことを言って、その場を脱出。但し明日まで何もしなければ暴露されてしまうところだったのですが、そこは粘り腰の私は、かつての同僚の数学の先生(彼の結婚式で司会を引き受けた貸しがあったので厚かましく)に電話して「これから行きます」で新婚生活真っ最中の家に乱入していきなり「恥ずかしながらこの問題を明日指導出来るように教えて下さい。」と言うと元同僚の数学の先生は、半ばあきれ顔で、半ば馬鹿にした顔でしたが、全てを理解して2時間徹底的に教えてくれました。私も必死でしたので、吸収するスピードは速くて、多分通常の10時間分の内容を理解して、次の日には彼女に「昨日はごめんね。今日はしっかり教えるからね」と言って教えました。そしてつくづく思いました。私のレベルは昨日の彼女のレベル。だとすると、私が先生に質問したところは同じように分からない筈だと。教えていると何となく分かった気になるもの。そこで私が昨日先生に質問した所を「ここの所は大丈夫」と聞くと「わかりません」の答えが返ってきました。その日の彼女への指導は無事に終わりました。そして、それからの約半年間は週に2回は先生の家を訪ねて指導を仰ぎました。お陰様でその時の半年があったお陰で、中学での問題は大概解けるようになりました。何故なら、数学と理科は元同僚の先生に、英語は元同僚の奥さんに教えて貰い、国語と社会は独学したからです。そして、何年か学習担当指導員をして、ふと思った事は、エリートできた学校の先生の中には生徒が『分からないと言う事が分からない』方がみえるように思いますが、私の場合は『分からない所が分かる』指導者になれたので、自慢した言い方をするとカリスマ的指導者だった訳です。しみじみ思います。中学校時代勉強が出来なくて良かったと・・・。これは決して負け惜しみでなく、人生に無駄なしと言うことで。

3月1日付けの「職親プロジェクト」発足について詳しく書きます

平成31年3月3日

以前から何度も言っていることですが、私は教員を辞し半年間の父親からの勘当(本当のところはわかりませんが)の後26歳から38歳までの13年間養護施設(今は児童養護施設と言います)の指導員をさせて頂き、福祉のイロハを学ばせて頂いたので私の福祉の原点は養護施設にあると今でも思っているのですが、私が26歳で飛び込んだ時の(昭和54年)当時の高校進学率が全国平均95%以上の状況の中で養護施設の進学率は30%を超える位の現状で私は岐阜県初の学習担当指導員として、子ども達の学習力を付ける為に心血を注ぎました。心血を注ごうと決意したのは、2年目の卒業生の7名中6名を進学させ、その子達は立派に卒業して社会に送り出す事が出来たのですが、残り1人の男子は残念ながら、進学が出来ず名古屋市内にある社員寮もある会社に就職しました。

その子が5月のゴールデンウィークに里帰りのように施設に帰って来ました。そして、かつての同級生の部屋で泊り施設の子と一緒に長島スパーランドに遊びに行ったり、レストランへ食事に行ったりと楽しい時間を過ごしていたと思っていたのですが、進学した子達は、部活動の話や新しく出来た友達の話をしている中で、就職したその子は毎日毎日仕事と社員寮との行き帰りだけ。そのことに矛盾を感じたのか、ゴールデンウイークが終わり最寄りの駅まで送り社員寮に帰ったものと思っていた3日後に名古屋の警察署から保護した旨の連絡を頂いてからの彼は、仕事にも力が入らず反社会的な生き方しか出来ていないのです。何度か何度か対応はしたのですが良くなることは出来ず、今は消息も分かりません。

この時私は思いました。申し訳ないが彼を再生させることが出来なくて彼の重しを背負う事は出来ない。だったら私に出来る事は何だと考えた時『第二』『第三』の就職者を出さないことだと決意をして、夜遅くまで「マンツーマン特訓」と銘打って学習指導をしてきました。頑張って努力させても公立高校への進学が叶わない子には私立高校への門戸も開拓しました。そして私が在籍していた残りの11年間は全員進学させました。(ただし、今は私立への門戸を開拓したことにより施設の指導者が安直に進学をさせて中途退学しているのではないかと心痛めています。)(実態も知らずに勝手な事を言ってすみません。)

養護施設にいた35歳の時に厚労省児童家庭局の企画でスポンサーが資生堂の海外研修に行かせて頂き、アメリカの児童施設事情を垣間見て、アメリカの5年後に日本に訪れるのではないかと考え、「施設の指導員は私でなくてもしてくれる方は出てくるが、個別指導に生きるのは私しかいない」等と大いなる勘違いをして38歳の時に養護施設を辞し、紆余曲折の末に今は老人の世界で生きているのですが(どういう経過でそうなったかについては機会があればこのコラムで書きます。)社会福祉法人を設立して22年、特養が出来て21年が経過した今、職員も150人になり、職員寮も20室ある今だからこそ、職親となり、児童養護施設の卒園生で仕事に就けず困っている子を一人でも二人でも頑張れる子に出来たらと思っていました。

私自身岐阜県子ども家庭課に5年程前から提案してきた事が今正に形になったのだから、「職親サポーター企業」としてお役に立てればと考えています。当法人の本部施設には昨年中卒を採用して職員寮で生活しながら頑張っている男子もいます。介護は『誰でもが出来るが、誰もが出来ない職種』だったらどんな人がエントリーして貰えるかと言えば、『優しくて一生懸命な人』と言う事です。職場体験からでも大丈夫だし、住む所は敷金礼金なしで大丈夫です「優しくて一生懸命な方」お待ちしてます。

 

本部職員の結婚式に新郎の主賓として出席しました

平成31年3月2日

10時からの受け付けに主賓が遅れてはいけないと、我が家に8時30分に迎えに来て貰い出発したのですが、家で準備している時に大ハプニングが起きました。それは、昨日持ってきた礼服のズボンがはけない。「おいおい、時間がないしパニックだ。」アイロンもかけてサスペンダーもセットしたのに・・・。取り合えず、もう一組の礼服はもう少し大きそうだからと着てみると何とか大丈夫なようで、でも、私の奥さまかをりさんは背中がくしゃくしゃだとかなんだかんだ言われましたが、私の結婚式でないのでとの私の一言で何とか8時30分に間に合い、本日は土曜日だった為かスムーズに走れて9時35分に結婚式場の駐車場に着き、もう一台の職員の車を待っていと、到着したので一緒に会場に行くとまだ、受け付けが始まっていないので、ソファに座っていると飲み物のサービスがあり、レモンスカッシュがないのでアップルジュースを頼み頂いていると受け付けが始まり、メッセージカードを書き結婚式場に移動。式場には予想通り?鼻の高い神父さんがいて、新郎新婦の入場から式が順調に進み、式が終了後フラワーシャワー。写真撮影が終わり披露宴会場へ。食事のメニューを見ると予想通り洋食。職員に寿司を出前しとけなどとあいからわずわがままを言って・・・。(ちなみに無理な事はわかってます。)披露宴が始まり主賓の挨拶がアナウンスされ新郎の長野君が北欧式トランスファーを頑張っている事を話して、続いて乾杯になり、ビックリしたのはノンアルコールではない純粋なシャンペーンが出されて、車の運転をする方は驚いて・・・。主賓の挨拶はいつものように原稿なしだったけど、何とか笑いと涙を呼ぶ話で次に乾杯を新婦の上司である長浜日赤病院の看護部長がされたのですが、原稿を読まれる真面目な話し。私のスタンスとは違いますがそんはそれで素敵なスピーチ。披露宴が順調に進んでいき、あいからわす食事は洋食。何人かの挨拶にビールを持って行き。無事に終了。お礼の 挨拶を済ませ車に乗った瞬間大垣の馴染みの寿司屋の親父に店を開けさせ、私を含む職員五人でお酒を飲める3人は日本酒とつまみを楽しみお酒を飲まない職員は寿司をジンジャエードを飲み満足して家路に向け運転して貰っています。以上、酔っぱらいの報告でした。

20190302115141 image2 2019030210405901  image1 image4 image3

 

 

1 2 3 4