理事長コラム

非常事態だからこそ

40年以上前、旧徳山村のダム建設により移転問題が最終段階に差し掛かっている頃に旧徳山村で生活をしていて、(既に何回もこのコラムで書いていますが)純朴でのどかだった村の住民の考え方が一変していく様を見てきて、複雑な思いで生活していた事を思い出しました。それは、補償金が入る事によっての生活の価値観が変わっていく人と新天地の生活を余儀無くされる事による不安と言う両極端なものでした。

今回は新型コロナウイルスによる先が見えない事による混乱によっての色々な価値観の違いによる報道の記事を見て複雑な思いを感じていることを書く事にします。

1つ目は山梨県内の実家に帰省している時に陽性が判明したにも関わらず高速バスで東京に戻られたとの記事です。記事を詳しく読むと4月26日には味覚と嗅覚に異常があったにも関わらず28日までは仕事をされており、30日には友人宅でバーベキューに参加されていて、翌5月1日に東京の勤務先の同僚が陽性になっていたと言うことで検査をして、2日に判明して公共交通機関で東京に戻られたと言うものです。

今は情報が『これでもか』と言うほどに入手出来る時代に、味覚と嗅覚に以上があったにも関わらず勤務されて、尚且つ山梨県からの呼び掛けについても無視する形で高速バスに乗っての東京へと言う記事には「今時の若い奴は」と簡単に言えるものではないと思っていますが、殆どの方は国や地方行政の指示に従われていて、十羽一からげでの考え方は間違いだとは思うのですが。

2つ目は川辺や海辺でバーベキューをしているグループに対して、市町の職員や警察の方が注意を呼び掛けても、「罰則がないなら文句を言うな」的な発言に私は「誰も好き好んで注意しているのではないぞ」と言いたい。

3つ目は5月6日までの営業自粛だと思って従い、7日からの営業を心待ちしていた方が『自粛延長』に悲観して自殺されたのは、国や地方行政の対応に忸怩たる思いはありますが『未だかつてない出来事』の対応に対して、『何処まで現場の状況を把握した対応が出来るか』は『単なるお役所仕事』では済まされないものを感じています。

4つ目は医療従事者の子どもが差別的な扱いを受けているとの報道には日本人が大切にしてきた『互助』の心は何処にいってしまったのかと思うしかない。そう言えば介護保険の考え方の中心に『互助の精神』をおくようになっているのですが、国が『互助』を強調しなければいけない状況が現実なのだと痛感しています。このように考えていくと、新型コロナウイルスからのメッセージは『コミュニケーションの不十分性』『協調性のなさ』に警告をしているように思っているのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。