理事長コラム

訂正とお詫びと共に感想です

昨日のコラムで『正信偈』と書くべきところを『小信偈』と書いてしまいました。先ずは「昨日のコラムを読んで頂いたリピーターの皆さんに深くお詫びを申し上げると共に訂正致します。」・・・。

長く私のコラムを読んで頂いている方であれば恐らく「何を今更。しょっちゅう誤字脱字があるくせに」と思われた事と思います。実はそこに本日のコラムの本題があるのです。つまり、私の真骨頂である『転んでもただでは起きない。』を書く事にします。(2年以上毎日このコラムが継続出来たのは、重箱の隅の事も話題にしてきたから続いているのですが。)本題に戻ります。

私は『正信偈』と言う字を間違えない為に経本に書いてある『正信偈』と言う字をしっかり見て一字ずつガラケーの携帯で打ち込んだつもりでしたが、「『正』を『小』と間違えたのには人間の心理としての落とし穴に見事にはまった為だと言っても良いのではないか」等と知ったかをしている学者のように述べてみました。もう少し解りやすく説明します。『正信偈』の文字の中で一番間違え易い難しい文字は『偈』だと考えられます。事実私は『偈』と言う文字を正直マークしました。そして、あとの2文字である『正』と『信』の字は「当たり前の文字」として軽く考えて、思い込みの中で『正』の字を『小』と打ち込んでしまったのです。このように思い込みの中で間違いをしてしまう事は結構あるのではないでしょうか。そして、思い込みの中で間違えている事を堂々と話しされているのに間違いを指摘せずにいる事って以外に多いのではないでしょうか。今回の私の間違いは「お経さんの事は間違えたらあかん」との心理が働き、読み返しても思い込みの世界の中で『偈』と言う日頃先ずは使用しない文字の事ばかりに気が集中した結果だと思います。つまり、難しい事をクリアした時に油断が生ずる事です。

野球で例えてみます。前の打席で滅茶苦茶難しい変化球がきたのを上手くすくい上げてホームランを打ちました。そして次の打席では、さして早くもないストレートに空振り三振。人生とはこんなものです。などと知ったかぶりをしている私は何者なのでしょうか・・・。等とわけのわからない事を書いてしまったので、最後のまとめはきちっとしたものにします。

私は44歳にして色々な方の支援とご理解により法人と施設を設立することが出来、今では、150人の職員と多くの協力企業と地域の方々(家族も含めて)のご理解により円滑に法人運営をさせて頂いていて、今も盲養護老人ホームの建設に着手してますが、勢いがある今だからこそ足に地がついた対応をしていきますので、リピーターの皆様。これからも変わらねご支援宜しくお願い致します。