本日は岐阜県老施協の総会及び記念講演会があり、会が終了後は講師を勤めて下さる全国老施協瀬戸副会長と岐阜県老施協役員との懇親会があるので、コラムを書く時間は午前中しかないと考えて、いつものお墓参りを終え、シャワーを浴び、朝食を食べた後(昨夜の夕食の残りではありますが朝カレーです。)スマホと睨めっこしながらコラムを書いています。
さて、本題に入ります。昨日一昨日と若いころのハチャメチャは生き方について語りましたが、その時に思った事を素直に書くことにします。私は生母秋絵に溺愛をされ、守られ続けの幼少期でした。そして中1の時に溺愛してくれた母秋絵が他界する前にいった「蒔かぬ種は生えぬ」を常に念頭においた事を展開してきたつもりです。そんな生き方の中、振り返ってみると「我が事の様に色んな展開をする」事によって「相手の身になって」と言う事が出来たのだと思います。つまり、相手の身になって一生懸命な展開している中で実は自分自身が成長してきたと言う事です。
例えば高校受験も大学受験もなんら努力をしないでいて、気が付いたら児童養護施設の指導員になったものの中学生の学習指導をする学力がなくて、「中学生に教える為に」と言う事で必死に元同僚の先生に数学と理科を、その奥さんに英語を教えて頂いて結果的には自分の自信になったり、「関ヶ原町の高齢者施策の一助になりたい。」と言う事で特別養護老人ホーム優・悠・邑を設立して地域の為になったり、和合に施設を建設した時は西濃地区に低所得者の方でも入居出来る施設をとの思いで、また、盲養護老人ホームを建設したときは、「富山県、岐阜県、鳥取県、沖縄県に盲養護老人ホームがない現実はダメだ」との思いでした。結果的に自分の欲得ではなくて展開してきたから今があると。もちろん自分だけの力では無く多くの方の色んな支援を頂いたからこそ今があるのは言うまでもありませんが。
福祉の『福』にも『祉』にも『示(しめす)辺』があります。この『示』は「全ての人が幸せになる」と言う思いがあります。私は一生懸命の生き方の中で『慈悲の心』を得ることが出來たのだとすると私は本当に幸せな生き方をさせて頂いているのだとつくづく思ったしだいです。