理事長コラム

母秋江さんのフィーバーシリーズPART3(表示を変えました。)

令和5年11月6日

私が小さい頃の我が家での役割は玄関の土間(土間と言ってもコンクリートだったと思いますが)の掃き掃除と風呂焚きだったと思います。長女光子さんは何事も出来るので母秋江さんから怒られる事はなかったのですが次女春子さんは何かにつけて要領が悪かったのか怒られる事が多くてむくれ顔が度々で・・・(今は決してそんな事はありませんよ。

それどころかいつもニコニコ顔で弟の私の事を「お兄さん元気」等と言われて喜んでいるくらいですから。)ところが末っ子の私が少しでも仕事をすると母秋江さんはめちゃくちゃ誉めてくれるのです。小さい頃に掃き掃除と風呂焚きをしていたので今でも掃き掃除は得意ですし、風呂焚きを薪でしていたので寸胴での薪での火の管理は上手ですよ。

但し、正直26歳で児童養護施設の指導員になった時にはそれ以外の事が出来ていなかったので苦労しました。母秋江さんは自分が早くに病気になり亡くなる事を理解していたかの様に姉2人には家事仕事をしっかりしつけた様に思います。

本当は単なるわがまま娘を貫いたと言う考え方もありますが・・・。甘やかされて育ったわがまま娘が目の中に入れても痛くない育て方をしたのですから私が最悪な人間だった事は間違いない事実です。私がめちゃくちゃ勉強をしたのは26歳で指導員になり学習指導をしなければいけない立場になった時です。

本当にとろくさい人間だったら「中学生に勉強を教えるのは無理」と言ってすぐにでも辞めてしまうのでしょうが母秋江さんの遺言である「蒔かぬ種は生えない。一杯種を蒔け。」の教えがあったからこそのいまだと思っています。