理事長コラム

母秋江さんのフィーバーシリーズその②

昭和30年代初期は日本も高度経済成長時代前でまだまだそれほど豊かで無くて、何故か卵の値段はその頃も1個10円と言う事でなかなか貴重な時代でした。そんな中で姉2人は1個の卵を分けあっていたのですが、末っ子の私だけは1個を食べる事が出来たのです。

母秋江さんの考え方は「ヒロシは体が弱いし食も細いので食べれる物をしっかり食べないといけないのでお姉ちゃん2人は半分で我慢しなさい。」と言う事でその頃の私は「それが当然な事」と思っていました。姉2人も母秋江さんには逆らえない雰囲気があり、私が少しでも家の仕事を手伝ったりするとめちゃくちゃ褒められて、姉2人は「やって当然な事。」と言う事でそれが当然な事と思っているヒロシ君なのであります。そんな状況に不満を持っていたのが次女春子さんだったのです。だからその頃の天敵は次女春子さんだったのであります。しかしながら、母秋江さんがしっかりガードしていてくれたので太平楽でいられたのです。

※春子さんに悔しがられると思うのですが父進さんの夢を見たのです。ひょっとしたら母秋江さんのコラムを書くと宣言したから「ヒロシ、お父ちゃんも宜しく」と言う事で夢に出てきたのかな。