理事長コラム

昨日の記念式典の報告です

令和4年12月19日

昨日は13時から16時の予定でワークプラザ岐阜において『岐阜アソシア80周年 岐阜はもんの会50周年「80/50感謝の集い」』が開催されて、私も『社会福祉法人岐阜アソシア』の評議員として参加させて頂きました。コロナ感染対策は1階の入り口と会場である5階の大会議室入り口でのチェックと厳重になされていて、受付をすると指定席と言う事で係りの方に案内して頂き正直「こんなに前の方で良いのかな」と思って椅子に腰かけると真後ろの席の溝口副会長から声を掛けられ恐縮至極です。

本部施設から充分に時間に余裕を持って出掛けたつりだったのですが、池田トンネルを抜けたところから結構な吹雪に見舞われ思うようには走れなかったこともあり5分程度遅れたので、山田所長の開会の挨拶が始まっていましたが、基本的には事なきを得ました。

今回の催しは岐阜アソシアの80周年と共に岐阜はもんの会50周年の記念事業だと言う事ですが、正直私自身は昨年の5月に垂井町梅谷地区に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)が出来るまでは、視覚障碍者の方々との接点は岐阜県庁の新庁舎の為のユニバーサルデザイン検討会で、残念ながら他界された清水前会長や溝口副会長にご挨拶をする程度だったので、岐阜アソシアの歴史やましてや岐阜はもんの会の事など全く理解していなくて門外漢のような参加になりましたが、式典が進むに従って状況が次第に分かってきました。

最初に理解したのはアソシアの元を築かれたのは『聖公会』であり、聖堂会が設立されたのが立教大学である事もあり、社会福祉法人岐阜アソシアの理事長さんは立教大学の総長さんが担っている事も知りました。式典の中で岐阜はもんの会でのボランティア活動設立当初からされている方も何人かおみえになり「50年も活躍されていると言う事は一体おいくつ何だ。仮に25歳の時から関わられていたとしても75歳にはなられていると言う事だけれども、全然そんなお歳には見えないな」と感心してしまいました。

最後の企画は意見交換会と言う事だったのですが、意見交換会のオープニングで少し失礼な言い方なのですが、結構なお歳の全盲の方がピアノで素晴らしい演奏をされたのには驚きと共に感動してしまいました。何曲か演奏して下さったのですが当然の事ながら譜面など無しで難しいテクニックを駆使して演奏して頂いた事で改めて「参加させて頂いて良かった。」と思いました。懇談会では参加者の方々が積極的に意見を述べられたのにも敬意を表したかったです。ただし『愛盲館』時代の苦労や楽しかった事を生き生き話されるのを聞いていて、仲間が多く見えると言うのは心強い事なんだと思いました。

そう言えば盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)においてもお互いに励まし合って楽しくされている姿があるなと改めて思いました。『愛盲館』は視覚障害者生活情報センターに変わりエレベーターがついていて土足で大丈夫と言う事も有難いと言われたのは「随分な苦労があったんだ」とも思いました。80年或いは50年の積み重ね等と簡単に言えるものではないのでしょうが、改めて『継続は力なり』と思った次第です。

リピーターの皆さん私は改めて苦労を重ねて今があるのだから年老いてからの安心な生活の為に盲特養への返還を頑張って勝ち取らなければいけないと思った次第です。

R4.12.19