令和2年3月10日
本日は10時30分から岐阜県老施協正副委員長会議があり、最初に会長としての挨拶も新型コロナウイルスに対する話からさせて貰い、議題に入ってからも今月25日に予定していた午前中の役員会は場所を変えて実施することにして、総会については書面承諾を頂く事にして、総会後の全国老施協桝田委員長の講演は介護保険制度や書類の簡略化についてのものなので、コロナウイルスの終息に合わせて実施する事に決めました。その後来年度の事業計画、予算計画について検討して、その後はまたまた、コロナウイルスに対する対応と午後に予定している岐阜県高齢福祉課へ持っていく古田知事宛の要望書についての打ち合わせをしました。午後1時30分からの予定で県庁に陳情に行くので昼食の弁当を頂きながら陳情の流れを打ち合わせしました。
その後県庁への移動をしたのですが、駐車場が一杯で車を停めるのに一苦労しましたが、時間通りに私を含めて役員4人で高齢福祉課に行き、話し合いをして最後に要請文を課長さんに渡して無事に終了して本部施設に帰る前に和合の施設に寄り人事の内示の話をしてから佐藤施設長と打ち合わせをして本部施設に帰り書類の整理と決済をしていると薬師寺執事長の大谷徹奘師(私が初めてお会いした時は副執事長さんでしたが)とソフトバンク元社長室長の嶋聡氏からのメールがきていて、大谷徹奘師の内容は新型コロナウイルス感染拡大防止の為に公開講座等々が中止になった連絡と共に最後に『日々の勤行で、皆様方が感染しないこと、そして早く感染拡大が治まることをお薬師様にお願いさせて頂いておりますが、今は一人一人の心がけが大事な時です。どうぞご自重の上、ご活躍頂くようお願い申し上げます。お薬師様のご守護がありますようご祈念申し上げます。合唱』この終わり方でつくづく思いました。単に祈るだけでなく、正しい生活こそ平穏への道と。(少し格好良すぎかな)
もう一方の嶋さんの内容な新型コロナウイルスについて縷々書いてありましたが最後に嶋さんらしい提言があったので書き写します。『「大風呂敷」と言われた明治の政治家、後藤新平は関東大震災の後の帝都復興計画で有名ですが、元々は医者でした。西南戦争の時は、大阪でコレラ対策を行い、日清戦争後は当時中国で流行していたコレラの蔓延を防ぐために、陸軍検疫部の事務官長として帰還兵の検疫を指揮しました。下関、広島、大阪の沿岸の島に検疫所を設け687隻、23万3千人の検疫を2ヶ月で済ませ、「世界に誇りうる成果であった」とされています。時の陸軍次官は後に日露戦争の参謀長となる児玉源太郎。「で、経費はどれくらいかかりますかな」と聞く児玉に対し「まあ、ざっと百万円」同席した人達は大風呂敷なとてつもない金額にハラハラしたそうです。児玉はしばらく考えて言いました。「後藤さん、百五十万用意しましょう。完全な検査をやってください」日本政府も明治の先人を学び、大風呂敷な政策を断行していただきたいと思います』は故事に習った大胆な提言だと思いました。
もう一つ『湘南通信』のコーナーにも面白いと言うか納得の記事が載っていましたので書きます。『「四耐」という言葉があります。「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑(はまの意味)に耐う」というものです。この中で一番難しいのが閑(ひま)に耐えることとされます。多くの皆様は、多分出席予定の会合が次々にキャンセルされ、時間が出来ていると思います。私もお願いされていた講演がすべて中止になり、湘南の海を見ながらゆったり過ごす時間が出来ました。この機会を活かそうと帝王学の古典「貞観政要」新釈漢文大系を買い求め、読み進んでおります。守屋洋先生の要約本は40代の時に読んだのですが、原点は圧倒的な面白さです。さらには5月から仕事で必要なので、挨拶が出来るように韓国語の勉強も始めました。大変な事態でありますが、伝染病の蔓延とそれを克服してきたのが人類の歴史。コロナもいつか克服されます。その時にそなえた「閑」を活かしたいと思います。』には、『出来る人は常にピンチをチャンスにされる』と思うと共に私も明日から余裕が出来た時間をより充実させていきたいと考えています。つまり、「忙しくなるまでの前にやるべき事を今から準備すべし」で頑張りますのでリピーターの皆さん私の動きにも留意していただければ嬉しいです。