お陰さまで本部本館施設が事業開始して23年目を迎えていますが、私の生き方は『未知の世界に飛び込んでから感性で動いてきた結果』のように思っています。
最初の『未知の世界』は児童養護施設に飛び込んだ時です。『福祉』の『ふ』の字も知らないでの船出。仕事に就いた当初は「紹介して下さった方に申し訳ないので来年3月までは勤めよう」くらいの、その当時の若者の軽さだったと思いますが、世間知らずの私には注意をされる毎日が新鮮だった事と自分があまりに幸せな日々を送ってきた事に対しての反省にたった時、『自分が出来る事を精一杯やらなければ』との思いでした。
そんな日々の中で、子ども達の学習プリントを一人ひとりの学習習熟度に合わせて作っていったのが私の今を築いてくれたと言っても過言ではありません。指導しなけれはいけないのに自分が解けない問題の時にはその都度頭を下げて手土産を持って教えを乞いに行ったのも今となっては私の財産になっています。38歳で児童養護施設の指導員時代の13年間の間に得意になった事の一つに夏休みの宿題の読書感想文が書けない子に代わって沢山書きました。その時には小1であれば小1の子になりきり、中1の子であれば中1の子になりきって書きました。そんな事をしている内にそれぞれの子の気持ちがわかってきて指導にも一層磨きがかかってきたように思います。
つまり、相手の身になって何をすべきかを考えて実践してきた事により自分を成長させて貰ってきたように思っています。38歳で児童養護施設を辞し非常勤講師で週に13コマも担当していた時には、講義をしながら学生達の反応を見ながら話題を考えながらの講義で『学生達が望んでいる講義』の流れが出来てきて、今ではどんな状況であっても話が出来るように学生達に鍛えて貰ったと思っています。
未知の世界と言えば『特別養護老人ホーム』の展開も未知のものでしたが、相手の方が何を望まれているかを考えながらの対応で段々と高齢者の対応が理解出来るようになってきたと思います。入居者さん利用者さんが何を求めているかを考えての実践です。勿論すべてを受け入れる事は出来ませんが出来る事は形にしていくスタンスです。それは家族の願いも含めて言える事だと考えています。私の拙い生きざまであっても精一杯形にしていく事で結果的には私自身を成長させて頂いている。何と幸せな人生なのかと感じています。
本日はバテバテで17時に施設から帰りコラムを打っていて知らぬ間に眠りについてしまい、眠る前に書いた文章を読み返すと支離滅裂のように感じましたがリピーターの皆さん書き替える気力もないのでハチャメチャなコラムになってしまいましたが勘弁して下さい。今(午後7時24分)はお風呂に浸かりながらのものですが、お風呂からあがったら菊姫をコップ一杯だけ頂いて明日に備えて明日は理路整然とした文を書く事をお約束して、限界ですお風呂から出ま~す。