施設の事業を開始した44歳の頃の写真を見ても、極端なロン毛ではありませんが七三にビシッとと言うわけではなく比較的髪は長かったのです。では、何故に今は丸坊主なのかと言う話をリピーターの皆さんの中には「早く本題に入れ。いつもの事ながら前置きが長過ぎる。」と思われているかも知れないので、本題に入ります。因果関係をお話するには、どうしても平成18年当時の、全国老人福祉施設協議会の中村会長の話をしなければいけません。私が全国老人福祉施設の役員として始めて東京本部があった当時のTBRビル(日枝神社入口)に行くようになり、中村会長には随分「馬鹿じゃ、あほじゃ、とろくさい」と言われながらも随分可愛がって貰い役員として一年も経たない時に何故か『総括幹事』と言う役職に大抜擢されたのは良いのですが、大きな大会や研修があるときは幹部の末席にいたのですが、忘れもしません神戸市て全国大会があり、中村会長と同じホテルに泊まらせて頂いたのですが、早朝5時に中村会長から電話があり、半分寝ぼけながらも「もちもい若山ですが」と言うと中村会長の声がしたので、私は緊張しながらも「何でこんなに早い時間なんだ。」と思っていると、「今から部屋に来い。」との事で、取り敢えず着替えを済ませて急いで中村会長の部屋まで廊下を走って行きも部屋に入ると中村会長からいきなり「何じゃその乱れた髪は。そんなことでは三流にもなれんぞ。」と言われて、私は内心「寝ていたのを慌てて来たんだから髪が乱れているのは当たり前やろ。」と思ったのですが、黙って立っていたのを覚えています。すると中村会長が「長い髪をしてるから直ぐの対応が出来んのじゃ。」と言われたので、私は出張から帰って直ぐに大学生の時にパーマをかけて下さった我が家の直ぐ近くの床屋に行き、殆んど角刈りに近い状態にして貰い、次に東京出張した時に中村会長の所へ行き、「会長、頑張って髪を切りました。」と言うと中村会長は一言「まだまだやな。」と言われたので、思わず私は絶句。だから、東京出張から帰ってまたまた、床屋に行き「丸坊主にして下さい。」でさっぱりと丸坊主になり、次の東京出張の時に中村会長の所へ行くと流石に「まだまだ」とは言われなかったのですが、一切のコメントは無し。それ以降はずっと丸坊主なのであります。中村会長が亡くなられて随分な年月が経過していて、考え方によっては「中村会長は亡くなったし再び髪を伸ばしても良い。」との考えもあるのでしょうが、私は丸坊主の頭を見る度に中村会長との貴重なやりとりを思い出す事が出来るので今も丸坊主なのであります。そして、もう1つの理由は頭を洗っても簡単に乾くしメッチャ楽なのです。そして、もう1つの理由は丸坊主にしたからか68歳の今も禿げないのではないかとも思っています。リピーターの皆さん。私はこう言う生き方しか出来ない、非常に不器用な人間なのであります。
理事長コラム