令和2年9月8日
昨日18時30分から、大垣共立銀行関ケ原支店の100周年記念式典が関ケ原カントリー内のレストランで行われ、私もご招待を頂きましたので参加させて頂いた事は既にこの理事長コラムで書かせて頂いているのですが、その折り、開会前に大垣共立銀行土屋会長(前頭取)に改めて名刺交換をさせて頂いてからご挨拶はさせて頂いていたのですが、その後同じく招待を受けられていた関ケ原駅前の料亭『末廣』の女将が、8月20日に静慈圓先生を囲んでの懇親会の折りに飾ってあった静慈圓先生の書の事を聞きに見えたので、あの字は梵字で『あ』と書いてあった事を話しすると共に、「いきなりどうしたのか」と聞くと「土屋会長が先日末廣に来て興味を持たれたので」と言われたので、それを聞いた私は直ぐに土屋会長のお傍に行き「来年の8月20日には是非とも同席して頂けたら」とお話させて頂くと「8月20日ですか。迷惑でなかったら参加したい。」との事だったので、本日は早速土屋会長さんに向けアクションを起こしました。具体的には土屋会長充てに手紙を書き改めて、来年8月20日の件を書かせて貰うと共に静慈圓先生の著書2冊と当法人のパンフレット等大きな封筒に入れて関ケ原支店長にアポイントメントを取り支店長に届けたいと考えています。
このようなアクションは私の真骨頂だと自画自賛です。今でこそこの様な対応が出来て、私の事業展開においてどれだけプラスに生かされたか計り知れないものがあります。但し、中学時代までの私は真逆な対応しか出来ず「行動に移したいのに移せなくて」実行出来なくて後からうじうじと考えていて益々臆病になっていたのを覚えています。どうして今の様な対応が出来る様になったのかとつらつら考えるに、一つの分枝点は高校入学だったと思います。私の通っていた小学校、中学校は1クラスしかなくクラス替えも無くて、小さい時の印象をずっと引きずり『消極的な子』との印象を払拭出来なかったのですが、高校に入学すると1学年で11クラスもあり、私の消極的な子のイメージを知るものがいなかったのと、大垣日大高校が自由な校風であった事も幸いしたように思います。もう一つ大きな出来事は高校2年4月7日に母親代りだった姉光子が急逝して、やけくそな日々を1学期間過ごした(父進さんには大変ご迷惑とご心配をおかけしました。)事と、その夏休みに四国歩き団参に参加して『私でも役に立つ』と言う事が理解出来た事が大きかったと思います。何が転機になるかは分からないですが、『人生に無駄なし』でもリピーターの皆さん。私は沢山の素晴らしい方に恵まれたから今があると思うと本当に幸せな人生だと改めて思っています。と言う事で本日も家に帰ったらお仏壇でお経をあげます。