令和2年10月5日
昨日は早くに家に帰らせて貰ったので、『半沢直樹』の録画を見ていて『感謝と恩返し』と言う言葉を聞いて私の生き様を振り返る事が出来ました。と言うのは私の猪突猛進的な展開で何度となく窮地に遭遇した時にその都度救世主が現れ、直接的に或いは間接的に助けて頂いた事です。但し、母秋江さんと同じ様に『恩返し』をする前に亡くなってしまった方には、地域の方々に間接的に『恩返し』をさせて頂いてます。
私は昨日のコラムで書いたように紆余曲折の結果(今も途上ですが)社会福祉法人杉和会を設立し(1997年7月)、優・悠・邑本館(1998年5月、50床)、優・悠・邑新館(2004年4月、40床)、優・悠・邑 和合(2014年4月、80床)と事業を開始して、現在盲養護老人ホーム80床の建設をさせて頂いていますが、その都度色々な方に『感謝』すべき出来事があったと振り返っています。本日は思いつくままに感謝すべき事について書く事にします。
社会福祉法人設立の際にはその当時の大垣商工会議所会頭だった河合達雄さんに、岐阜県への根回しに奔走して貰い、本来であれば杉和会初代理事長になって頂く手はずになっていたのですが、認可を頂く直前に急逝されました。だから、河合会頭には『恩返し』をする事が出来なかったのですが、法人との関係は持ち続けるのが河合会頭の本意と考え、河合進一社長から河合刀記夫副社長には評議員に就任して頂いています。
法人設立時には私自身全く資金も無く、資金提供の行脚をして行く中で、福祉の師である吉田宏岳先生には多額の資金を寄付して頂き、私にそれ程の価値があったのかと正直にお尋ねしたところ、即座に返ってきた答えが「立派になれ」だったので身が引き締まる思いでした。先生にはほんの少しの『恩返し』として、先生の自坊での月一回のお写経会に、栗ご飯や山菜ご飯をお持ちしたり、四国遍路の先達としての役割は担いましたが、全てが返せたとは思いませんが今の現状には天国で満足して頂いていると思っています。
また、施設建設の話をしていく中で、今とは違い25年前では、理解を示して下さる方が少なかった時に、その当時の長老的存在であった方が、「大きな施設が建てば多くの若い職員さんが働きに来て、ひょっとしたら地元の若いのと結婚する事になるかもしれないし、働く場所になるかも知れないのに今どき何を言って居る。」との発言を頂きその場の雰囲気がガラッと変わりました。その長老夫婦の方のお世話は『恩返し』になったかどうかはわかりませんが、施設が今須の地にあって出来たと思っています。
時にこのコラムにも登場してきた中村博彦全国老人福祉施設協議会会長・参議院議員には、怒られたりいびられたりした印象ばかりが先行しますが、よ~く考えてみるとその時々に素晴らしいアドバイスや配慮を頂いたと思っています。中村博彦会長への『恩返し』は全国老人福祉施設協議会に対する中村会長の道半ばの思いをしっかり完成させる事だと考えています。『感謝と恩返し』の話題には事欠かない生き方ですので、これからも時として書きますのでリピーターの皆さん読んで下さいね。