今の私が存在しているのは節目、節目に素晴らしい出会いがあったからだとつくづく思うので本日は自戒を込めてそのことについて書きたいと思います。
何と言っても最初の出会いは私を生んでくれた母秋江さんの存在です。
母秋江さんは『今須生まれの今須生まれ』で今須の顔役だった春吉じいさんの末娘で跡取り息子がいるにも関わらず分家を作り父進さんを養子に迎えると言う超ウルトラをしているのです。
そんな中で生まれた私は長男の末っ子でしかも虚弱体質だったので文字通り『溺愛』される存在でした。
そして私が生まれた(71年前)時代には我が家から200メートルも離れていない場所に関ケ原病院の付属施設として今須診療所があり、そこには本多先生と言う女医さんが住み込みの様な形でおみえになり、しかも我が家の川向うには伊藤つるをさんと言う看護職員がおみえになり、虚弱体質の私のフォローを全面的にして頂いたからこその今です。
母秋江さんは虚弱な私を真綿に包むように、しかも外的の存在はことごとく撃沈していく母秋江さんでした。
そんな母秋江さんが私が小学年の時に癌に侵され闘病生活をするようになってからは6歳年上の姉光子さんが文字通り母親替わりで姉光子さんも姉御肌で私をガードしてくれる存在でした。
そんな姉光子さんですが、私が高校1年生の10月に結婚をしたのですが、同じ関ケ原町内と言う事もあり、寂しいと思った時には会いに行ける状況がありました。
しかしながら、その姉光子さんは新婚半年後に突如くも膜下出血で「痛い、痛い」と言いながら急逝しました。と言う事で高校2年の1学期間は荒れた毎日でした。
そんな時に当時学校長をしていた父進さんは、私を起こる事もなく高校へ何度か謝りに来てくれました。そんな荒れた生活中、クマの様にがっしりとした体格の鉄砲うちの伯父さんが四国遍路に導いて下れて「人の役に立つことの大切さを教えて下さいました。(※明日に続きます)