理事長コラム

『どんな自分を育てていますか』

朝のお参りでの妙応寺本堂にある奈良薬師寺執事長(私がお会いした時は、副執事長さんでした。)の、大谷徹奘氏の日めくりカレンダーの今日の言葉です。

何回も『6日』の日の言葉として目にしているはずなのに、本日はこの言葉が心に引っかかったので本日のコラムにします。何度もコラムで書かせて頂いていますが、小さい頃は生母秋江さんに『溺愛』して頂いた事によって、何に対しても依頼心が強くて、何か主張をしたいと思っていることもしっかり言えない様な状態だったのが、13歳で生母が他界して、17歳の時に文字通り母親代わりだった姉光子さんが急逝して、四国遍路に巡り合ってからの私は「相手の事を考えたら、何かをして差し上げなければ」との考えが芽生え、自分の運命の中で『やるべき事』を真摯に捉えて、頑張ってきた生き方であったと思います。ただし、『自分の考えを押し通す中で』と言う、考え方によっては「やっかいゴーインマイウェイ」だったのではないかと言う事で、不安を覚えた瞬間でもありました。

26歳から勤めた児童養護施設の指導員時代には「私は大学5年間も肝心な授業もそれほど受けずに、学生会活動に重きをおいていたし、教員を辞めての5か月間は、旧徳山村で飲めや語れの毎日だったので、長期の有休を貰っていたので公休などいらない」と豪語して、10時には施設に行き、23時まで子どもの学習指導に打ち込む生活で。30歳と10日で結婚してからもその生活は変わらなかったので、2人のこどもが出来てもその生活は殆ど変えなかったので、家族揃っての朝食とか夕食が無くて、めったにない夕食を共にする時は、子どもが喜んでいたとの話を今になって奥さんから聞くと、忸怩たる思いになります。

児童養護施設を退職してからも、在宅で大変な思いをしている子供たちを何とかしたいとの思いと、生活の糧は何とかしなければいけないとの思いで、大学等の非常勤講師の依頼は目一杯受け、尚且つ家庭教師もさせて頂いての生活も『私の思いを形にしたい』との事で、我が家の事は何ら考えていない生活だったと思います。『どんな自分を育てていますか』と仏さんに聞かれた答えは「家族の生活より、自分の思いを突き進む」と言う事だったと言う答えに辿り着きました。

「お酒は家での晩酌はしないで、外でのお付き合いの時に浴びる程飲みます。」と言うのも自分の考えの中での問題であって、家族には何にも関係の無い話だと思っています。『地域の為に。入居者の為に。福祉の為に』とは言え、少しは色んな意味での配慮が出来ていなかったと思いました。これからは少し力を抜いて、ぼちぼちとする事にも心掛けなければと思っていますが、自分の蒔いた種を刈り取るまでは正直無理かもと思う自分がいますし、今頃気が付いたのと言う気持ちも多分にあります。