2025年11月の記事一覧

焦りました

和合でのカラオケを終えて、15時30分に本部施設に、和(なごみ)の事務課長が決裁書類を持って来ることに急遽なったので、我が家に寄ってから本部施設に行く予定だったので、家での用事を手短にするための連絡をしようと、ブルートゥース機能を使って車の中からスマホを使える様にしてあったので、その機能を使って家に連絡をするのですが、何度か連絡をするのですが声が聞こえなくて、しばらくすると電話が切れてしまうような状況になり、私は真っ青になってしまいました。と言うのも「家への連絡だけなら良いけれども、その他の連絡も出来なかったら最悪だ」と言う事で、本部施設にもかけても家と同じ様にしかならないので「もしもこんな状態で、緊急的な要件が出来なかったら」と思うと焦りました。

家での要件をバタバタで済ませながら、携帯がつながらなかった事を確認すると「声は聞こえているけど、無言状態だったので切りました」との事だったので、ますます焦ってしまいました。家での対応はそこそこにして本部施設に行くと、丁度事務課長が来たので決裁を済ませてから、「スマホが上手く繋がらない」と話をすると、「一度自分の携帯でかけてみます」と言って私のスマホにかけて貰ったのですが、家とのやり取りと同じ状態になったので、色んな形で見て貰ったのですが治らなかったので、電源を切って再起動をして貰ったら通常通りにかかったので安心した次第です。色んな機能がついて非常に便利になったのですが、一旦使えなくなると、滅茶苦茶に不安になるものです。私の様に文字通りの昭和おじさんは、これからも色んなものが便利になればなるほど、この様な場面が多くなるのかなと不安ですが、機械の事を覚える事には全く無関心なので、どうしようもないと諦めると共に、今回の様に対応をしてくれる職員を確保していなければとも思っています。

急いでいると判断を間違える事があるものなのですね

9時前に国道21号線バイパスで和合の施設に向かっている時の話です。私は3車線の道路の一番左車線を比較的ゆっくりと走っていて、信号の300m位手前の所で真ん中車線を走っていた車が急に左車線に入ってきたので、急ブレーキを踏んで事なきを得たのですが正直その瞬間は焦りましたし「いらっ」としました。急に進路変更した車は直ぐに左に曲がって行ったのですが曲がった先はマクドナルドだったので「急に食べたくなったのであれば余程お腹がすいていたのか」と今は思える余裕がありますが、「命がけでマクドナルドに行かなくても」とも思いますし、「とっさに思いついての行動だとすれば、そのような行為は止めて欲しい」とも思いました。この様な行為を私は絶対にしないと言う自信はありませんので「事故にならなかったのだから私への警告」と思えば、相手の方に手を合わせなければいけないのかな・・・。いやいや私はそこまで仏様の様な寛容さがあるとは思えません。

26日に人間ドックで最初に血圧測定をして頂いた時に若干高めの数値で、その日の夕方にはかかりつけ医の受診があり17時のお約束だったので、16時30分に本部施設を出たのですが、本部施設を出る前にイライラする事があり、かかりつけ医の先生に血圧を測って貰ったのですが3度測り直しをされたので「どうしてですか」と聞くと「数値が高いのでキャンセルになってしまうんです」と言われたので「施設を出る前にイライラする事があったからですかね」と言うと「数値は正直ですから」と言われたので「苛々すると寿命を縮めるのか」と思った次第です。と言う事は多分今朝の急ブレーキを踏んだのは間違いなく寿命を縮めたと思っていますが、事故にならなかったのは昨夜彦根東福寺での護摩炊き供養のお陰かと思うと「有難い。守られている」と考えた方が良いのだと思う様にします。

今須は『秋本番』です

令和7年11月28日

昨日は人間ドックだったので(胃カメラも含めて異常なし)朝のお参りをしなかったのですが、本日は朝5時25分のアラームで元気にお参りに出掛けました。玄関を出る時に「もっと寒いのでは」と思っていたのですが、それほどでも無く元気に歩くことが出来ました。歩いていて先ずは最初に気が付いたのは幸福地蔵様の前掛けと帽子が新しくなっていたので「赤い布が殆ど白く禿げていたので新しくして頂けたので良かった。

気にかけて下さる方がおみえになるのは本当に有難い事だ」と思いながらいつものように幸福地蔵様の身体中を擦らせて頂きました。その後2つのトンネルを抜けて本堂まで進むと本堂の玄関が閉まっていたので玄関前でお参りをして今須稲荷様に1円、5円、10円、50円のお賽銭を投げ込むと爽やかなリンの音がして何か素敵な予感がしました。その後お墓の方に進んで行くと銀杏の絨毯が一面にあり、思わずスマホで写真を撮りました。

     

本堂内の銀杏の木は既に葉っぱが落ちてしまっていたのですがその事に気が付かなかったのは本堂内と言う事で葉っぱを綺麗に集められていた事と銀杏の実の方に気を取られていたからだと思います。銀杏の木が黄色く色付き落ち葉となっているのは『秋本番』から『冬本番』へとの予感がします。伊吹山に3度目の雪が積もったら今須にも雪が降ると言われていますが既に2度の雪を確認していますので「12月早々には雪が降るのか」と思うと「そろそろ冬支度をしなければ」とも思った次第です。

薄っすら積もった雪景色は情緒もあり、思わず『綺麗』と言葉に出してしまいそうですが50cmを超える積雪になると思わず『絶句』する事になります。昔から『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の諺がありますが、雪も降らないと水不足を心配しなければいけないので『ほどほど』であって欲しいと思っています。

本日は人間ドックです

昨年の5月に検査をして貰って以来、1年半ぶりの人間ドックなのですが、前回は検査の当日にバタバタと書類を作成して大変だった記憶があったので、今回は3日前に書類を書いて、余裕を持って出来て、検査キットへの月日についてもしっかりと記入できていたので、本日も余裕しゃくしゃくのつもりだったのですが・・・。本日の検便の容器が「ない、ない、ない」と言う事で、出掛ける直前まで探していたのですが、結局見つからず「準備万端の余裕のつもりが・・。」こんな状況を「気が利きすぎて間が抜けた」とでも言うのでしょうか。

とにかく、8時30分までに受付をしなければいけないと書類に書いてあったので、7時40分に家を出て8時15分に病院の駐車場に付いて、車を降りて玄関に急ぐと玄関の自動ドアが開かないので「8時30分までに来るように書いてあったのに、どういう事だ」と思いながら車に戻り、自動ドアが開くのを待っていると、8時30分にドアが開いたのが分かったので、玄関を入り受付の方に「人間ドックに来ました。」と言うと「玄関を出て左に行って下さい」といわれたので、言われた方に行くと専用の玄関があり、玄関前で看護師さんが待っていて下さったので「正面玄関が開くのを待っていました」と言いながら人間ドック専用の受付で検尿、健啖、検便を渡しながら「本日の検便の容器が見つからなかったので、改めて頂けますか」と言うと直ぐに出して頂けたので「私と同じ様な方がみえるんだ」と思った次第です。

受付が終わり更衣室に案内されて検査着に着替えると、身長、体重、血圧、視力、聴力等を手際よく検査して頂いたあと、血液採取を5本も採って頂いている時に「検査項目が多いので」と申し訳なさそうに言われたのには、私の方が恐縮してしまいました。その後も部屋を移動しつつ色んな検査をして頂き、最後は胃カメラだったのですが、鼻からカメラを入れて頂くようにお願いすると、看護師さんが鼻の中に麻酔液を噴霧して頂き、5分程して先生が来て頂き「少し大変かと思いますが、頑張って下さい。」と言われて、鼻からカメラを入れて頂いたのですが、鼻の通りが良かったのか鼻の穴が大きいためか・・・。いやいや先生が上手だったので、何ら問題もなく検査が終了して、しばらく外来の待合で待っていると、胃カメラをして頂いた先生から呼ばれて、写真を見せて頂きながら問題が無いので1年後にまた見せて下さい。と言われ、午前中で人間ドックは全て終了して、今は本部施設で昼食を頂いて(朝食抜きだったので一杯食べました。)コラムも掛けたので、これから関ケ原町役場に行って住民課長さんとの打ち合わせに行ってきます。

人間ドックに行って色んな検査をさせて頂いたのですが、どの検査の先生も親切丁寧だったので気分よく受診することが出来ました。だから、来年もしっかり人間ドックを受けなければと思っています。

本日は和合での芋煮会です

令和7年11月26日

8時40分に和合の施設に着くと職員2人が野菜を一生懸命に刻んでいて、芋煮会場の方に行くと既に釜戸の準備も薪を井桁に組むことも出来ていたので、私の役割は盛塩とお酒を釜戸の周りに振る舞う事と火の番と最終的な味見くらいになっているので「流石に3回目にして有難い事だ」と思った次第です。9時40分になったので薪に着火剤を塗りこみライターで火を点けて芋煮を開始しました。

本部と違って普通食の鍋と刻み食の鍋に分かれているので2つの釜戸の火の番をさせて頂いたのですが、我が家を出た時には雨が降っていたので家の玄関を出た所で『雨雲を切る行』を真剣にしてから運転して行ったのですが、私の祈りが天に通じたのかどうかは分かりませんが 和合の施設に着いた時には青空になっていたので各フロアの入居者さんが順番に見学に来て下さったので軽口を叩きながら楽しむ事が出来ました。

11時30分に出来上がった芋煮をそれぞれの鍋に入れフロアに持って行って貰い昼食の味噌汁として食べて頂きました。その後、打ち合わせに来た業者さんにも芋煮の中に冷凍のうどんを改めて煮たものを食べて貰ったのですが「滅茶滅茶美味しい」と言って貰ったので私のテンションは益々上がりました。業者の方から「煮込んだうどんの腰があるままなのは不思議だ」との話をしている時に厨房業者の方も仲間になって、厨房のかたから「冷凍のうどんの腰は比較的固いままですよ」と教えて頂いたので一つ知識が増えたと思った次第です。

和合での芋煮会は今回で3回目なのですが年々盛り上がって来ていることが嬉しくて「このワクワク感が堪らない」と思っていますし、「次には何をしてワクワクして貰おうか」と考えているとまたまたワクワクしてきました。この瞬間があるからまた頑張れるとも思っています。

本日15時から12月支払いのボーナス査定を行います

午前には和合1階でのお参りを行い、午後には本部施設に移動して15時からのボーナス査定を行います。3施設の責任者が揃い、最終的には理事長である私が最終決裁を行い、12月15日に支払われます。ボーナス査定の方法は事前に本人評価をしたのを基にして、現場の責任者が一次評価をしてから、管理者が2次評価をしたものを、最終的に本日15時から社労士の北村先生にも参加して頂き決定するものです。自分で自分の評価をするのも難しいものですが、人の評価をするのは責任が重いし大変難しいものです。

『相手を評価する』もんの中に『文字通り人を裁く』のが裁判所なのですが、先般行われた「100歳を越した明らかに認知症がある親を、20年以上に渡って介護していた方が親を殺した罪での判決」がテレビで報道をされていたのを見て、私自身が心傷んだものです。「親の介護は当然のもの」としてみなされてしまうと「殺人に至るまでに、何とかならなかったのか」と忸怩たる思いになります。

先般、介護労働安定センターは県の委託を受けての会議があった時に『ケアらー』の方の仕事への援助の様な事が話題になっていました。私は30年くらい前に『教育福祉カウンセラー』と自ら名乗って色んな展開をしていた時に、その当時はあまり世間的には使われていなかった頃に、文字通り『ヤングケアラー』であった中学1年生の男子に出会いました。私にとっては初めての経験だったので、その子から教わるばかりだったのですが、その会議の中で「ヤングケアラーの子も、いずれ大人になった時の支援も大切だ」との意見も出させて頂いたのですが、「介護している方が孤独な状況にならない様にすることの大切さ」についても、きちんと整理しなければいけないと思っています。

査定の話題に戻します。査定をした特に全員の職員が納得するのはとても難しい事ですが、しっかり話し合って客観性のあるものにしていきたいと思っています。だって、せっかくボーナスを出すのですから、それぞれの職員が「これからも頑張るぞ」と思って貰えるようにしたいですから。

頬被り

令和7年11月24日

朝のお参りを復活してから何日か経つのですが、玄関を出た時にいつも思うのは「頭が寒いし首元も寒い」と言う事でした。ちょうど床屋さんでしっかり丸坊主にして貰ったばかりだった事も大いに関係していると思います。私は児童施設に勤務していた38歳の時まではいわゆる『ロン毛』で大学生の時は肩の所まで髪の毛を伸ばしていてしかもパーマをかけていました。流石に児童施設ではそこまでではなかったですが、それなりに『ロン毛』でした。

髪の毛は文字通り『純毛』ですから冬場にマフラーをしてなくても良かったように理解しています。何日かの後悔のあと本日は「首に巻いている赤い比較的長目のタオルを頭の上に載せ首元で結んで歩くことにししよう。」と言う事でその様にしたところ、これが意外と暖かいのです。5時30分過ぎの旧中山道の町道を歩いている人はいないので「あいつ大丈夫か」と思われる方もいないし、仮に誰かにお会いしても多分今の私ならば堂々と「おはようございます」とさらっと挨拶が出来ると思うのですが。

暖かさを感じながら空を見上げたら当然の事ながら以前にも書きましたが東の空は明るさを確認出来ましたが西の空は真っ暗だったこともあり西の空にはいくつかの星を確認することが出来ましたが東の空に星を見ることが出来ませんでした。

リピーターの皆さんの中には「そんなの当たり前だろ」と思われる方もおありかと思いますが小さい頃『ぼーっと』生きていた私が今は元気で活動的なのでこの年になって『感動』しているのです。この様な気付きの多い少年であったならば多分『利発な少年』になっていたと思うのですが、70歳を越してからなのですが「だからこそ今が楽しい」と言う事なのかもわかりません。

和合の地区祭りに出店しました

和合地区の堀連合会長さん(社会福祉法人『杉和会』の評議員)からの依頼を受け、施設としての参加をさせて頂いていて、今年は『石焼き芋』『フランクフルト』『ペットボトルのお茶』を販売する計画を立てて、サツマイモはのサイズを昨年より1ランク上げたのを、地元農協で1本160円で100本購入して、1本200円で販売することにして、石焼芋の責任者を本部の水野係長に依頼したところ「宿直明けなのですが、頑張って協力します。」と言う事で、実施することが出来ました。またフランクフルトについては、昨年同様150本を1本あたり70円で購入して、施設の厨房でボイルして貰ったのを、管理栄養士の小栗さんが担当して手際よく頑張ってくれました。またお茶については、秋祭りの時に協賛して頂いたものが残っていたのを、1本100円で販売することにして、私が担当しました。

石焼き芋は、先ずはプロパンガスの火力を使っても、石を温めるのにも時間がかかり、出来上がりに、たっぷり1時間はかかりましたが、出来上がってくると良い匂いに惹きつけられて、販売が大忙しで「午前中だけなら手伝えます。」と言ってくれた近藤主任が、これまた手際よく販売をしてくれました。追加の芋もそんなに簡単には出来上がらないので、お待ち頂きながらの販売だったので、待って貰っている方にご不満がたまらない様に、私が間をつなぐこともしながらですが、混乱する事もなくできました。

150本のフランクフルトが先ずは完売して、少しは待って頂きましたが、出来上がったらすぐに売れてしまう盛況のなかで、石焼き芋も12時には完売することが出来ました。石焼き芋の最初のものが出来る前のタイミングで、私の次男が2人の子ども(私にとっては孫)を連れて来たので、その時だけは『じいじ』になって孫娘と手をつなぎ、向かいのコーナーにクリスマスバージョンのビスケットがあったので、しめて220円の支払いをメロメロになりながらしました。その後は文字通り『金庫番』として、右側の石焼芋と左側のフランクフルトと私の前にあるお茶の支払いを頑張りました。

1度だけ大変なミスをしました。と言うのは千円札だと思っておつりを渡したところ、「1万円を出したけど」と言われて慌てて確認したら間違いなく1万円札があったので「すみません、しっかり確認もしないで」と言いながら、9千円を改めて手渡しました。私の思い込みでの失敗ですが、「まさか、100円200円の支払いで1万円札を黙ってさし出されるとは・・・」この様なハプニングはありましたが、無事に終了して片付けを済まして、お世話方の方にご挨拶をして施設に戻り、釣銭の分と売り上げの分を整理して職員に手渡すと、ドッと疲れが出たのは『慣れない事』をしたからだと思いました。

ガス代や袋代やアルミホイル代を加味すると、人件費は全く出ていない状況ですが、地元の方々とより近い関係が構築出来たのは良かったと思うと、疲れた中でも心地よいものを感じています。これからも、地域貢献にも益々貢献していきたいと思いますが、会場を出る前に会場の責任者の方から「芋が好評だったので、もう少しあっても良かったかな」と言われたのは誉め言葉と理解しましたが「少し足らないくらいがちょうど良い」と勝手な解釈をしています。

昨日のお参りでの出来事

昨日は本部施設において午前に本館1階、本館2階。午後にはデイサービス、新館でのお参りを入居者さん、利用者さんとさせて頂いたのですが、お経前に若干のご挨拶をさせて貰った時、或いはお経が終わってお話をさせて頂いた時。それに引き続いてのカラオケで歌わせて頂いている時の皆さんのご様子が、色々と違うのがとても楽しくて嬉しい限りです。一番愉快な話としては、どのフロアでもお経に入る前に「私も大きな声でお経を唱えますので、皆さんも大きな声でお願いします。」と言うのです。その時に各フロア共に、それぞれが頷かれているのは理解できるのですが、デイサービスの利用者さんとの掛け合いが楽しかったので、紹介します。

私が「大きな声でお経を唱えて下さい。」と言ったら「理事長さんに負けんくらい頑張るは」との声がしたので「私もいつも以上に大きな声で唱えます。」と言ったら「ほんなら、頑張って唱えるは」とのやり取りだったのです。リピーターさんの中には、ひょっとしたら「なんだそれだけの事」と思われた方もおありかも知れませんが、私にとってはこの『他愛ない会話が心地良いのです。』お経を終えて少しお話をさせて貰うのですが、昨日は本館1階、2階共にお参りする所に『南無阿弥陀仏』の掛け軸が掛かっているので、先月彦根東福寺での護摩炊き供養の折り住職の静慈彰師(静慈圓前官大僧正の次男さん)が、「南無と言うのは仏さんに呼びかける為の言葉なので、簡単に言うならば『お~い、仏さん』と声掛けの意味です。」と聞いてきたので「お~い阿弥陀さん、私の願いを聞いて下さい」と言うような意味になるそうです。と話をさせて貰ったら、それぞれのフロアの入居者さんは大きく頷いて下さいました。

お話の後ではカラオケのセットをして貰っているので、本館2階の方は山崎ていじさんの歌を好まれる方が多いので、山崎ていじの曲を歌わせて頂いた後は女性演歌歌手である石川さゆりさんの『天城越え』と八代亜紀さんの『舟唄』を歌わせて貰いました。本館2階で歌って帰ろうとすると、本館1階の職員が「1階でも歌って下さい」と言われて「喜んで」と言う事で1階に降りてから坂本九さんの『上を向いて歩こう』と水戸黄門の『ああ人生に涙あり』を歌った後は、北島三郎さんの『北の漁場』を歌わせて貰ったのですが、毎月のお参りの時の入居者さんの反応を見ながら曲の選定をしていると、何となく曲目の傾向が決まってきているように思っています。フロアの雰囲気に合わせた対応をするのも楽しいものです。

欲しいのは自分に負けない心です

実は最近朝のお参りに行けてないにも関わらず「理事長さんは朝のお参りを欠かさずに行かれていて凄いですね」と1か月振りに行った床屋さん(今は『理容院』と言うのですか)でバリカンで綺麗にして貰っている時に言われて「最近行けて無いのに否定するのもな・・・。」と思い曖昧な言葉で返してしまったのを今朝目覚めた時に鮮烈に思い出し「5時過ぎに目を覚まして朝からモタモタしているのは勿体ないではないか。それに曖昧な言葉を言うのも嫌だな。」と言う事で準備をして5時30分に玄関を出ました。

家を出て思った事は「まだ真っ暗で街灯が明るくみえる。」と言う事と「私が吐く息が白い」と言う事でした。

久しぶりのお参りは快適に歩けて妙応寺の駐車場の幸福地蔵様に綺麗な花がお供えしてあったので花筒に持参した水を手向けると2本の花筒で1本のペットボトルの水が空になったので「やっぱり私が毎朝お参りに来てお水のお世話をしなければいけないな」と思った次第です。トンネル2つを通ってお寺の門が開いていたので「暗い内から開けて下さっているのは有難い」と思いながら本堂に行くと玄関の戸もカギが開いていて本堂の仏様の戸もお参りが出来る様に開けておいて下さったのには思わず「感謝」です。お経を唱える前に日めくりカレンダーを本日の21日までめくると表題の通り『欲しいのは自分に負けない心です』と書いてあったので「仏さんにはお見通しだな」と思った次第です。

私の小さい頃は夏休みの課題であった絵日記もなかなか書けなくて直ぐに諦めてしまう『甘ちゃん』でしたので文字通り「自分に負けてばかり」だったのですが毎日のコラムも頑張れているので色んな方から「凄いね」と言われる事が多いのですが、本当の私は『意志薄弱』で『自分に負けてばかり』だった事を十分に理解しているので、今の自分は『自分に厳しいノルマを課し継続出来る様にしていく』を実践しています。小さい頃の私への反動が今の自分を形成しているのかとも思っています。だって、それなりに規模の大きな施設を3施設も経営して200人からの職員を抱えているのだからそのくらい自分に厳しくなければいけないのだと思っています。

自分が強くなれたのは周りの人たちのお陰だとも思っています。それにもう一つ今の私があるのは虚弱だった私が病気抜けした事も大きいと思っています。と言う事で特に不動明王様と薬師如来さまと勿論ご先祖様のご加護のお陰だとも思っています。

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