2025年10月の記事一覧

昨日は私にとっては1本の凄い電話がかかってきました。

昨日は9時から関ケ原町役場で副町長さんや住民課長さんらとデイサービス事業に対する今後の考え方についての話し合いがあり、本来の予定では10時30分から本部施設において2か所のお参りを午前に予定していたのですが、話し合いが熱を帯び11時30分までかかったので午前のお参りも含めて、本来午後のお参りは13時30分からなのですが、13時スタートで一機に4か所のお参りを行い、大きな声で15時過ぎまで行ったので涼しいはずの気温だったにも関わらず背中は汗が流れている状態で事務所に戻ってきました。

五次副施設長から、「理事長が学生時代に教えて頂いた先生の娘さんからお電話があり、何かお願いしたいことがあるそうなのでまた電話を掛けて見えるそうです。」と言う事で先生の名前を聞いて「そんなの信じられない」と言う事で電話番号が聞いてあったので早速連絡して、先ずは私の方から「どうして私の事を知られたのか」と言う疑問を投げかけると「知り合いの方がホームページの理事長コラムに私の父の事が書いてあると教えてくれて、今父の回顧録を書いていてかつて若山さんが書かれていたのを想い出してぶしつけだとは思いましたが連絡しました。」との事で「出来たら、若山さんが書かれたものを回顧録に載せたいのですが。」との事で、私はかつてとてもお世話になった(と言うより私の人生を救ってくださった先生・・・)先生の回顧録に載せて頂けるのは有難い」と思いながら「大学時代、先生に顧問をして頂いた『郷土研究の会』のメンバーにも先生とのエピソードを書いて貰えるように働き掛けましょうか」と言うととても喜んで頂けました。

しかしながら縁もゆかりもない方が私のコラムを読んで頂いていて、かつて本当にお世話になった先生のお知り合いの方である娘さんに教えられたと言う本当に細い細い糸の繋がりで電話を下さり、20代前半の学生時代の記憶が一気に蘇り新たな関係を作る事が出来たと言うのは素晴らしい事だと思っています。これからも色んな糸で結ばれて素敵な展開が作れる様に頑張っていき、『理事長コラム』もより充実させていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

毎日のように熊の被害情報が報道されています。

正直言って『熊』だって好き好んで里に出てきているのではないと思います。しかしながら過去30年の熊の出没情報は右肩上がりに増えていると言う事なので感覚的な印象ではなくてデータとしての裏付けがあるようです。特に東北・北陸では農地や住宅地のすぐ傍での目撃が増えているので、テレビでの報道が増えているのは頷けます。かつて「熊の出没は秋に集中」していたのですが、春や夏にも姿を見せるようになっているようです。また、熊の出没は夜や早朝と決まっていたのが昼間に住宅街に現れるケースも増えているようです。

熊の出没が増えた最大の原因は『人里の荒廃』だと思います。つまり、過疎化や高齢化が進み、かつて人が手を入れていた里山が放置され、その結果、山と人里の境界が曖昧になってきた事によって住宅地や農地が『山の延長』の様になっているのではないかと思っています。地方においては(関ケ原も同じ状況なのですが)人口減少と高齢化により草刈りや間伐が出来なくなって熊の進出が進んできているのではないかとも思っています。

耕作放棄地の問題の他に動物保護みより植物連鎖の崩壊も考えられると思います。それは、かつて日本の山にはオオカミがいて、シカやイノシシの数を抑えていたようなのですが、明治時代にオオカミが絶滅してから天敵がいなくなったのと鉄砲打ちの方が激減した事も大きく影響していると思われます。(ここ40年で鉄砲打ちは4分の1になったとの事です。)自然保護と狩猟制限によってシカイノシシが過剰に増えた事で熊を頂点とした生態系が崩れて熊の餌が減った事も大きな原因の一つだと思われます。餌が減った事によって人間の暮らしの中に入り込んできたのだと言う事なのかと思います。近年の温暖化によって雪も少なくて冬に冬眠をしない熊までいると言うのも困った現象ではありますが現実です。

1990年以降、動物保護や生物多様性の高まりにより春熊駆除制度が廃止、そして2002年の「鳥獣保護法」改正により、春先の一斉駆除は不可能になってからの熊の被害が多くみられ北海道では2023年に条件付きで春期管理捕獲が再開されたとの事。北海道のみならず被害が頻繁におきている現実の中、人への被害をなくすための手立てが必要だと思うので、制度変更を速やかにしていかないと『山菜採り』や『山登り』も出来なくなるのは無しにして貰いたいものです。

『ねんりんピック岐阜2025』の開会式に参加しました。

令和7年10月19日

正式には第37回全国健康福祉祭ぎふ大会「ねんりんピック岐阜2025」の開会式典が長良川競技場で昨日開催され、私にも岐阜県老施協会長としての招待状がきていたので喜んで参加させて頂きました。当日の開会式は10時からの予定でしたが岐阜県老施協の事務局長さんから「恐らく大勢の方が参加されるので、出来たら8時30分までに駐車場に着かれた方が良いと思います。」とのアドバイスを頂いていたので7時には家を出て岐阜県から事前に頂いていた駐車場に向かいました。

これも事前に石川県加賀市での通夜から本部施設に帰って運転をかってくれた吉田副施設長がナビに入れてくれた通りに運転して行ったので順調に行けて8時20分に、入り口で誘導して下さっていた係員の方に駐車券を提示したところスムーズに駐車場に入る事が出来、まだ早かったので楽に駐車出来て、駐車場からの階段を上り会場受付がある所を目指して行くと既に多くの方がリラックスしながらみえて、受付を探しても分からなかった時に『総合案内所』のテントが見えたのでそこを目指して行き招待状を提示しながら受付がどこかと聞くと係員の方がわざわざ受付まで案内して下さり「ここまで徹底した体制を取っているのだ」と感心しました。

受付をしたのが8時35分で受付近くで立っていると関ヶ原町長の西脇さんから声を掛けられお話をしていると老人会長として招待されている本部施設の家族会の吉田会長もみえて3人で立ち話をしていると「9時になりましたので4番或いは5番入り口からご入場下さい。」とのアナウンスが入り吉田会長と共に会場に入りました。この大会は岐阜県内全ての市町村でスポーツを始め、文化やレクリエーションなどが行われるのです。

ちなみに関ヶ原町においては『グランドゴルフ』が実施されます。開会式前に大きな画面に映し出された県内の市町村長さんのコメントが紹介されその間に全国から集まられた選手団の方が続々とグランドに集結され、定刻10時に岐阜放送のアナウンサー二人の進行で始められ最初に江崎岐阜県知事の開会宣言がされ、その後、三笠宮家の彬子さまから「大会を通して健康と福祉に対する理解を深め、参加者同士の友情を育んでいただくことを祈ります」とのお言葉を頂きました。

次に岐阜県選手団長を務める竹内正康さんとインディアカ協議に出場される林豊子さんが「全国の皆さんと笑顔で健康長寿の輪を広げる事を誓います」と選手宣誓が行われてから、炬火が行われ、4日間にわたる祭典が開幕してから夏の甲子園大会でベスト4になった岐阜県立岐阜商業高校の応援団による、甲子園での応援を再現してくれました。総勢1万3000人による開会式典に参加させて頂けた事に感謝しながら、無事に尚且つ盛大に開催されたのは岐阜県民の一人として誇りに思った次第です。

昨夜の久藤先生のお通夜の報告です

昨夜は石川県加賀市での久藤妙子先生の通夜に行き、18時前に駐車場に着いた時には「まだまだこれから」と言う感じだったので、夕食をコンビニのパンとおにぎりで済ますために、吉田副施設長の運転で近くのコンビニに移動して、パンとおにぎりを車の中で食べてから再び斎場に戻ると、既にメインの駐車場には入れない状態だったのですが、吉田副施設長の機転で「玄関先で降ろしたら出ますので」と言うと入る事ができて、駐車場係りの方が親切に誘導して最も近い所に停める事が出来て、車から降りて受付を済ませると焼香の長蛇の列が出来ていて、最後尾に並ぼうとしたら元全国老施協の石川会長から声を掛けられ、近づくと元参議院の園田先生もご一緒だったので私もご一緒させて貰い、メイン会場に入って行くと福祉関係と医療関係のお花が所狭しと並べられていて、改めて久藤先生の交友の広さを理解しました。

焼香前に行った時に久藤先生のお嬢様の赤澤先生から声を掛けられ、改めて記憶力の良さに驚きました。その後、焼香を済ませお棺の中の久藤先生のお顔を見させて頂くと、綺麗にお化粧が施されていて、いつもの様におしゃれな服を着てみえたのには「家族の方の思いが分かるな」と思った次第です。焼香を終えると赤澤先生がわざわざ私たちの所に来て下さり、多くの椅子が用意されている最前列に案内して下さったので、3人が横並びに座らせて貰い、導師に合わせて正信偈も一生懸命に唱えさせて頂きました。お経が終わり導師が退席された後、喪主の長男の奥様から、長男さんの文章を代読された後、赤澤先生からも喪主としてのご挨拶があり、その挨拶は思いの籠った挨拶でした。参加者が退席された後、3人で改めて久藤先生のお顔に手を合わせ退出しようとすると、法人の幹部の方がお見送りに来て下さり、私に対して「若山会長、これからも老施協で頑張って下さいね。」との声掛けをして頂いたのには「重く受け止めなければ」と思った次第です。

その後吉田副施設長が待っている車の方に行き、出口を出ようとすると石川会長が歩いてみえるのが分かったので挨拶をすると、石川会長から「加賀温泉駅まで乗せてくれないか」との事で「車の中がしゃくしゃだ」と言う事で、吉田副施設長が手際よく片付けてくれて、全国老施協事務局の方を含めて3人が何とか乗って頂き、加賀温泉駅まで送る事が出来たのですが、この様な事もあるのでいつも車の中も綺麗にしていかないといけないなと思った次第です。

実は本日も『ねんりんピック岐阜2025』の帰りに、家族会の吉田会長(老人会の会長としてご招待を受けてみえたのです。)をお乗せして「やはり、車の中は綺麗にしておかなければ」と思った次第です。

本日は3つの対応で多分22時過ぎまで目一杯です。

令和7年10月17日

10時から EPA で、当法人の職員として 12月から来てくれることになっているインドネシアから来て今は大阪の研修センターで介護及び日本語 そして日本の風習について勉強している子が二人 来てくれるので、中間としての報告 会が あり 本来であれば 大阪の研修センターに行きたいところですが 午後から岐阜県 老施協西濃支部の 主任介護職員研修会が盲養護老人ホーム優・悠・邑和で開催され 主催者の責任者として最初のご挨拶もありその対応をしなければいけないので残念ながら大阪へは行けないのでリモートでの参加をします。

すでにインドネシアの職員は 本部 施設に在籍しているので なおかつ 今回来る 2人のメンバーは後輩に当たるということですので 通訳も兼ねて一緒に参加させる予定でいます。

 

インドネシアの子の意見交換会は和やかに出来、終了後 急いでお餅を焼いて昼食代わりに頂いて これまた 急いで 盲養護老人ホーム優・悠・邑和に行き、参加者を出迎え 予定の時刻 13時30分になり 和合の北島部長の進行で研修が始まりました。

最初に 主催者として 私が今の介護事業所の置かれている現状も含めてご挨拶の中でさせていただくとともに 今回の研修の認知症に特化した研修 有意義性をお話しさせていただきました。 16時には 吉田副施設長の運転で石川県加賀市での通夜に参加するために今は北陸自動車道を走ってもらっています。

久藤先生はいろんなところで活躍していただいていたので 大勢の人が参加されると思うのでなるべく早くに 現地に着きたいと考えて ナビで行くと18時前に行く予定ですが 早く着いたらいろんな方とご挨拶ができたらと考えています。

多分 順調に帰れても 22時過ぎになると思うのですが 明日は岐阜県においてねんりんピックの開会式があり 岐阜県から招待を受けているので 会場に8時半までには入りたいので家に着いたら急いでお風呂に入り ゆっくり休みたいと思っております。忙しい中でも少しでも体を休めれるようにと 運転を買ってくれた 吉田副施設長に感謝です。

久藤妙子先生を悼む

昨日、石川県老人福祉施設協議会から、久藤妙子先生の訃報のメールが届きました。最近はお元気なお姿を見る事が出来ず、体調が優れないご様子をお聞きしていたので心配はしていたのですが、「もう一度お元気なお姿を見たい」と思っていたのですが、叶わぬ事となってしまいました。そんな中で、本日のコラムは、大変お世話になった久藤妙子先生との思い出を書くことにします。

私と久藤先生との接点は、私が岐阜県老施協の副会長になった2003年(平成15年)に、初めて東海北陸ブロック正副会長会議に参加させて頂いた時にご挨拶をさせて頂いたので、実に22年も前に遡ります。その時既に、久藤先生は全国老施協でも中心的な存在でしたので、遠くから眩しく見る様な状況でしたが、全く偉ぶった所はなく、私が遠慮気味な態度を取っていると「若山さん、若いところの意見をどんどん遠慮なく言って下さいね。」と言われたのには「心温かい先生だな」と思ったものでした。あれから22年が経過して、今も東海北陸ブロック正副会長会議には、岐阜県老施協会長として参加させて頂いていますが、あの時の久藤先生の教えは、今の私のスタンスに大きく影響しています。

そして私が全国老施協の総務委員会の幹事として、全国の役員として出て行く様になった2006年(平成18年)からは、役員会でお会いするたびにお声を掛けて頂き、恐縮するばかりでした。また全国での会議に出る様になり、久藤先生が石川県選出の国会議員の森元総理とのパイプが太くて、会議中でも、森元総理とのホットラインで「森先生、久藤でございます。」と言ってお願い事をされているのを見るにつけ「凄い方だな」と思っていました。一時体調を崩されてから復帰された大きな大会で、私が舞台袖にいた時に、久藤先生が階段を上がられる時に手を差し伸べると、さっと私の手を取りすたすたと階段を上がられたのも、私にとっては思い出深いものの一つでした。

また、本部施設の夏祭りに招待状を出させて頂いた時に、わざわざ、「若山さん、せっかく招待状を送って貰ったけれども行けんので、お酒を送っておいたので、みんなで飲んで楽しんで」との電話を頂き、2日後に石川県でも最高の銘酒と言われている『菊姫』を1斗樽で毎年送って頂いたのは、全くの驚きでした。また、全国介護福祉施設政治連盟で選挙の責任者をさせて頂いていた時に、役員同士の調整が上手くいかなかった時にも、久藤先生には何度となく助けて頂きました。

話題には事欠きませんが、自分の法人の事は勿論の事、全国老施協、政治連盟と色んな所で中心的存在であった久藤妙子先生とお会いする事が出来ないのは寂しい限りですが、久藤先生の教えを守りながら、これからも頑張っていきますので、高い所から見守っていて下さい。そしてゆっくりお休み下さい。

和合の施設でお経とカラオケを実施するようになってかれこれ2年が経過するのですが

和合は3階建てなので3フロアを順番に回って、午前が『お参り』午後が『カラオケ』を、時間が許す限り実施しています。最初の内はお参り『正信偈』を唱えていても、殆ど誰も声を出してくれる入居者もみえない状況でしたが、今では多くの方が唱和して下さるので、正直私が間違ってお経を言っても間違いが分からないくらいになってきました。また、明らかに認知症でなかなか意思疎通が出来ない方なのですが、経本も見ないで、明らかにお経を口ずさんでみえる方だあったのには感動したので、家族の方が面会におみえになった時にそのことをお話すると、「母は毎朝お仏壇でお参りしていましたから、しっかり覚えているんですね」と涙声で答えて下さったのは、本当に嬉しかったです。

午後のカラオケについても、最初の内は私のワンマンライブのような状況でしたが、今では私が1曲歌うと、次に入居者さんが歌って下さるくらいにまで歌って下さる方が増えてきました。そこで不思議な話をします。1階のフロアは18名の入居者で、2階と3階はそれぞれ40名の入居者さんがおみえになりますが、どのフロアもバランス良く、歌い手がおみえになると言う事です。つまり、1階は18名しかおみえにならないのに、ちょうど良いバランスなのであります。歌い手の入居者さんの中には「私は歌った事が無い」と言われて、マイクを持たれるとセリフも含めて堂々と歌われる方がおみえになるかと思えば、「声が出ないの」と言いながらも、きっちりと歌われる方、いつも歌って下さる方には、かつて歌われた曲をデンモクで入れてからマイクを渡すと、しっかり歌われる方と様々ですが、楽しんで頂いています。歌は歌われないのですが、自分が聞きたい歌を必ずリクエストして下さる方もみえます。私が全く歌った事が無い曲もあるのですが、何となくイントロが流れてくると歌う事が出来て、そんな中で今では得意になった曲があります。ちなみに『宗右衛門町ブルース』であったり、『舟歌』であったり、『天城越え』です。本日は『無法松の一生』がリクエストされて初めてだったのですが、出だしは上手く入れたのですが途中から自信を持って歌えなかったのですが、最後はしっかり歌えたので、「3回ほど練習してからまた歌わせて貰います。」と落ちを付けたお話もさせて頂きました。

2年が経過して、フロアに行くと手を振って応えて下さる方も多くなり、ここでも『継続は力なり』と思っています。こんな毎日ですので、私はお坊様にも歌手にもなれそうな錯覚を持ってしまっているのですが、リピーターの皆さん、こんな私をどう思われますでしょうか。

「思いは色々だと改めて思いました。」「改めて体のメンテは大切だと思いました。」「26年ぶりの再会です」

思いは色々だと改めて思いました。

朝はいつもの様に不思議なのですが、5時過ぎに目覚め、これまた5時25分から行動開始をして、これまた、朝のお参りに行きました。

いつもの光景なのですが、本日は何故かお墓にお供えしてあるものに焦点が当たり、お供え物を確認するたびに「ここに入られている方は「たばこが好きだったんだな」とか「この方は日本酒が好きだったんだ」「この方はビールが好きだったんだ」と理解しながら、7軒のお墓に水を手向けながら「父進さん、生母秋江さん、養母英子さんは何をお供えしたら良いのかな」と考えても「特にこれと言うものはないな」と思いながら「今、家で飲んでいる水道水を、私たちと同じ様に頂いて貰うのがベストなんだ」と改めて思った次第です。

父進はお酒はお付き合い程度だったし、たばこも戦争に行って覚えた様で、特に好んで吸っていたようには思わないし、「特に思い当たるものはないし、食事については、どんなものが出ても美味しいと言っていたし。」「何を持ってお供えするより、元気な姿を見せて我が家の水をお供えするのが何より」と自分で勝手に思っています。

 

改めて体のメンテは大切だと思いました

一昨日12日に久しぶりに整体に行き、しっかり施術をして貰い「本日は絶好調」と思い久しぶりにスキップしたいような気分でした。と言うのは、整体に「もう限界の限界」と思っていった朝には、階段を降りるのも大変で少しの段でも大変な状況でしたが、正直「足のコントロールがしっかり出来る事に感動です。」いつも思うのですが、限界の限界になる前に施術をすれば、それ程苦労しなくても良いはずなのにとは思うのですが「分かっちゃいるけど」と言う事なので、体のメンテに気を付けたいと今は思っています。

 

26年ぶりの再会です

本日午前中に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設で地域向けの『カフェ』があり、今年の4月から実施されているので7回目にして初めて参加させて頂き、初めの挨拶を理事長としてさせて頂き、その後大垣市民病院眼科の視覚聴覚士の方のお話が終わり、散会したのですが、椅子に座っていたら親しく話しかけて下さる方がおみえになったのでお話を聞くと「本部施設が開設してすぐの頃に見学に行き、理事長さんのお話を聞いた事を懐かしく思い出しました。でも、あの頃と随分変わられたので、正直最初は分からなかったのですがお声を聴き、話されている事を聞いて、あの時の理事長さんだと気が付きました。」と言われて、若干複雑な思いを持ちましたが、26年前の私を覚えていて下さり、親しく声を掛けて下さったのは本当に有難かったです。

コラムリピーターの皆さんにネタバレです

令和7年10月13日

今月はハロウィンの月だと言う事で本部施設は10月28日に、和合の施設は10月31日に計画されているのですが、私は「どの様に変身したら良いのか、例年だとドレスをきて馬車に仕立てたリヤカーに乗って歩くのだけど。

今年は少し趣向を変えてみたいな」と独り言の様に本部施設で話していたことを聞いていた職員が昨年とはガラッとイメージを変えた衣装を用意してくれていたのを見て、私はワクワクしてきたので水野係長に「ネタバレしてコラムで書きたいので」と言って撮って貰ったのを掲載した次第です。

オオカミのかぶり物とマントだけでも凄いのですが、ネパールに一時帰国した職員からお土産で貰ったアルコール度数42.8%の剣に仕立てた入れ物のラム酒を持って、本来であれば介護実習等で使う人形『さくら』にもハロウィンの恰好をして貰っていたのでツーショットで写して貰いました。リピーターの皆さんなかなかのものでしょ。

 

パソコンでの情報で「アメリカでは怖いものに変身する」との説明がありましたので「今回は完璧」と思ったのですが。だって、ドレスにロングのかつらの時には『怖い』というより『不気味』だったと思うのですが、今回の変身は『怖い』に徹した変身ファッションなので私的には写真を見ながら満足しています。

さてさて、和合の施設ではどの様な変身をすることになるのか、私自身ワクワクしています。但しリピーターの皆さんの皆さん本日の情報はご内密にお願い致します。

昭和おじさんは困ったものです

本日は8時から、大垣市全市のクリーン活動と言う事で、6時30分に朝食を摂り最も大きい『つなぎ服』を何とか着て、7時に家を出発して、日曜日と言う事もあり道路が空いていたので7時35分和合の施設に着き、職員玄関のテンキーを操作して施設内に入ると、一緒に行く事になっている職員が「理事長さん、今日のクリーン活動は延期になっていますよ」と言うので「雨も降っていないのにどうして」と言うと、「昨日の内に延期の連絡がきていますよ」言われて「ぴん」と来たのは「いつもラインの連絡を朝一で確認するのに、バタバタしていて今朝は見ていなかった」と言う事で、通勤してきた職員も参加してワイワイ話をしていると、事務所の早出の職員がわざわざ「ラインにしたのですが御免なさい」と言いに来たので、「ラインを確認しなかった私が悪いのですから、謝らなくて大丈夫です。でも、全く昭和おじさんの私は困ったものです。」と言って苦笑いをして、再び家に向かい、10時から本部施設においてお茶会があるので、若干の休憩を我が家でしてから本部施設に行きました。

お茶会は既に盛り上がっていて、東京の宮内先生から送って頂いた一口大のフルーツゼリーが大好評で、入居者さんも職員も喜んでくれていました。

本日は午後の予定を入れていないし、腰がバンバンに張っているし、腰からだと思うのですが、右足首が痛いので久しぶりに整体の施術を受けようと予約の連絡をすると「13時からなら空いています。」との返事を貰ったので、昼からは1時間たっぷり整体で体をほぐして貰い、その後はリラックスをして、明日からの過密スケジュールに備えたいと思っています。万全な体を維持することも理事長としての役割だと思っているので。しかしながら、文字通り『月月火水木金金』の生活ですが、自分でも「良く頑張っているな」とも思っていますが、3施設を経営して、安心・安全で今日一日楽しかったよ、を日々実現するためだと考えているので、リピーターの皆さん、ご理解とご支援を宜しくお願い致します。

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