第42回ふれあい広場の案内がきました
1979年にユネスコが『国際児童年』の宣言をした年で、いみじくも私が『児童福祉』の世界に足を踏み入れた年でもあります。全国各地で『児童』を対象にした催しがされた年でもありました。その年の9月から、私は児童養護施設の指導員として働くことになったのですが、施設を中心にした企画が11月23日に行う事は決まっているたのですが、正直「企画は決まっていても、準備らしい事は殆ど出来ていない」と言う事で、子ども達には手作りのポスターを作製して貰い、私自身は来る日も来る日も看板作成の為に、のこぎりと金槌と釘との格闘の毎日だったのを覚えています。実は、大学時代も授業に出るより、看板作りを頑張っていたので苦にはならなかったのですが・・・ 。
私は名誉ある第1回目から関わらせて頂いたのですが、特に1回目から3回目までが印象に残っています。と言うのは、第1回目は施設がある小学校区でのものだったのですが、校区内のPTA、子ども会育成会、老人会、民生委員児童委員協議会、婦人会、青年団、商工会等々の団体が模擬店、バザーや各種イベントを行って下さり、実に1500名の参加を得たので大成功でした。1回だけの予定であったのですが、「来年もやろう」との機運が高まり、旧穂積町4校下を巻き込んで実施する事になり、実に3000名の参加者になりました。「流石に毎年実施するのは大変だ」と言う事で、実行委員会の反省会で「取り合えず来年は実施しない」と決まったのですが、その年の12月にNHK財団の後援依頼があり、急遽第3回が実施される事になり、実に6000名の参加が得られたので、旧穂積町を挙げてのイベントになったので、今も継続されていると言う事です。
私自身は13回目までの関りだったのですが、招待状を頂くと、その当時の事が懐かしく思い出されます。但し、最初の熱い思いを持って関わらせて頂いた私ですので、敢えて『面倒くさい事』を言わせて貰います。『招待状』を見させて貰うと、それなりの『絵』も描いてあるのですが、私が関わっていた時はプリントゴッコで1枚1枚印刷したり、色鉛筆で色塗を子ども達と一緒にしていたのですが、その様な形跡が無いのは残念に思っています。そして、第1回から実施されている『バザー用品の寄付のお願い』の別紙も同封されていたのですが、47年の経過の中で「贈答品や引き出物などが家庭に多くあるのか」と思うと、「違う方法を考えなければいけないのではないか」と思ってしまいます。
30年以上離れている私が、一生懸命に実施している方々に指摘するのは如何な事かと思いますが、『これが正しく昭和おじさんの真骨頂』と言う事で、リピーターの皆さん宜しくご理解下さい。