2025年10月の記事一覧

本日、和合の施設でハロウィンが実施されます

4日前にハロウィン企画を主体的にしている職員から、「各フロアの出し物の前に、カボチャの格好で4名の職員が出てきますので、中心に理事長が立って貰って『おもちゃのチャチャチャ』の曲を『おもちゃ』を『カボチャ』に替えて歌って貰えますか。」と言ってきたので「せっかくの誘いですから、頑張ります。」と言ったのですが「正直小さい頃の私は虚弱だったので、飛び跳ねて歌を歌った覚えが無いので『おもちゃのチャチャチャ』の曲はしっかり歌えないな。」と思っていて、不安だったので昨日2階でのカラオケでも「しっかり覚えていないので、台詞が早くて歌えない」と言う事が分かり、本日、朝食の後スマホで『おもちゃのチャチャチャ』の曲を検索すると、「スマホは本当に便利です。と言う事で、歌を何回か聞いて車を運転しながらも『おもちゃのチャチャチャ』の曲を聴きながら運転しました。「予習と言うのをしたことが無い私が予習したぞ。でもぶっつけ本番で大丈夫か」と思いながら本番前にコラムを打っている私です。

ところで、本番を翌日にした昨日に職員に「どんな催しにするの」と投げかけたところ「理事長さんであっても言えません。明日を楽しみにしていて下さい。」と言われて、正直感じたのは「和合の施設の施設長になって2年3カ月で、職員自体がワクワク感を持った企画が出来る様になったのは、素晴らしい事だ」と思いました。そう言えば、自分の休憩時間にどうみても「ハロウィン企画で走り回っているな」と思う事が度々あったので「この2年3カ月で随分動きが変わったな」と思うと共に「13時30分からの本番を楽しみたいな」と思っています。

本日のハロウィンのワクワク感は明日のコラムで報告します。

本日11月11日の介護の日の取材があります。

令和7年10月30日

先ずは『介護の日』の説明からさせて頂きます。『介護の日の目的』は【介護サービスを利用する人々やその家族、介護に従事する人々、そして地域社会全体が介護についての理解を深め、支え合うことを促進するために制定されました。特に高齢化が進む中で、介護の重要性を広く認識してもらうことが求められています。】『由来』は【2008年に厚生労働省によって制定されました。日付は「いい日、いい日」と言う語呂合わせから11月11日に決定されました。

この日は、介護に対する感謝や理解を深めるための啓発活動が行われる日として位置づけられています。】『介護の日の関連イベント』は【全国各地で様々なイベントが開催されます。これには、介護技術コンテストや講演会、トークイベントなどが含まれ、介護に関する知識を広めることを目的としています。また、介護の日の前後2週間(11月4日から11月17日)を「福祉人材確保重点実施期間」として、介護従事者の確保や定着を促進する取り組みも行われます。】『まとめとして』介護に関する理解を深め、地域社会全体で支え合うことを促進する重要な日です。

毎年11月11日に行われるこの日を通じて、介護の重要性を認識し、より良い介護サービスの提供を目指すことが期待されています。】少し長い説明になってしまいましたが、次に私の私見を述べさせて頂きます。当法人の理念は『すべてに優(やさ)しく・いつまでも悠(ゆとり)ある・やすらぎの邑(ばしょ)でありたい』と共に『今日一日楽しかったよ』なのです。この理念通り「施設での毎日が楽しくなければ意味が無い。」と言う事で職員は頑張っています。だから『毎日が介護の日』なのですが、世間では自分の問題として抱えるまではなかなか理解して貰えないのが実情です。

勿論、家族の歯車が要介護状態の方が現れて困られた時の為に施設は存在しているのですが、ただの『安心・安全』だけでは無くて『楽しい毎日に』なる様に頑張っていることを『介護の日』のイベント等を通して理解して貰えればと思っています。その為には『職員の確保と育成によって定着する』様にしていく事が肝要ですが、世間の評価を上げていき職員の処遇もしっかり理解して貰えるように訴え続けていかなければとも思っています。本日もバタバタで意を尽くせないコラムになってしまいましたが、とにかく明日の和合の施設でのハロウィン企画でも弾けたいと思っています。

改めて昨日の本部施設のハロウィン報告をします

令和7年10月29日

昨日のコラムで『狼男は暑かった』とのネタバレをしてしまったので本日、原稿を打とうとしたときに一瞬「何を書こう」と躊躇したのですが『案ずるより産むがやすし』で「考えたら、ネタはいくらでもあるわい」と思いなおして、昨日実施したハロウィンについて書く事にします。

13時20分に玄関ホールに仮装する職員が集合する事になっていたので玄関ホールに行くと既に仮装をした職員で盛り上がっていました。仮装しているものを見ていて職員に声を掛けると「職員と入居者さん(利用者さん)と一緒に作りました。」と生き生き応える職員がいて、「本番前にハロウィンの事を話題にしながら手作りしたのは素晴らしい。」と思った次第です。私的に一番受けたのは『白鳥』だったです。「どこが」と言われたら「入居者さんに喜んで貰いたい」と言う気持ちが良く出ていたし、「あそこまで徹して頑張れるのは凄い。私の花魁と引けをとらないな」と思った次第です。

 

また、さくら高校の実習生の2人も仮装をして参加してくれて入居者さんから「可愛い」と言われて恥ずかしそうにしながらも頑張ってくれました。

デイサービスの作品ではデイサービスの利用者さんが折ってくれた一杯の花を付けた『花の妖精』やそれに対抗した特養1階の『白の妖精』もそれぞれにその気になった男性職員がこれまた頑張ってくれました。本館2階の職員も入居者さんと一緒に作った『ロボット』は身動きがままならない中ではありましたが頑張ってくれました。それぞれに思いがある仮装の中、私は『狼男』になったのですが、和合のネパールの女子職員がお土産として持って来てくれた剣の形の容器に入ったお酒の瓶を手に持ち狼の被り物をして黒のマントを前と後ろに羽織り頑張りました。

       

それぞれに仮装した職員の紹介があり、水野施設長からお菓子のプレゼントの後、歌を披露させて貰ったのですが、歌を歌っていて1番が歌い終わった段階で「暑い」と言って狼の被り物を取ってしまって歌いました。今回の企画は職員と入居者さん、利用者さんが一体になっての素晴らしい企画となりました。実は31日には優・悠・邑 和合の施設でもハロウィン企画が催されるのですが和合ではどんな『ワクワク』が展開されるのか楽しみです。

 

本部施設の風物詩がまた一つ・・・

令和7年10月28日

長くて暑い夏がようやく終わったら雪の話題が入ってくると言う目まぐるしい季節の代わり方に動揺を隠せない状況ですが、本部施設の秋の風物詩である『吊るし柿』を入居者さんの協力を得て写真の様に見事に出来ました。勿論、柿ちぎりは水野係長が一手に引き受けてしてくれた事が大きいのですが。

但し、本部施設がある今須地区では私が小さい頃は大概の家の軒下には吊るし柿が干してあったのですが「今は全く見かけない」と言う事で、吊るし柿が生っている木もあまり見かけなくなって「柿を確保するのも大変だ」と思っていたのですが、ある時デイサービスのお帰りの時間に和合の施設から移動して本部施設の駐車場を歩いていると、デイサービスの車の中から「理事長さん、理事長さん」との声が聞こえたので声のする方に行くとデイサービスの利用者さんが「屋敷の木に一杯柿が生っているのでちぎりに来て下さい。」との事で、水野係長が利用者さんの家に行って収穫してくれたのを入居者さん、利用者さんが皮を剥いてくれて吊るしてくれたのです。

『昔取った杵柄』とはよくいったもので、職員が何とか1個剥いた時には3個は剥いて下さり、「職員さんはやったことがないのなら私が剥くから『かしゃ―』と言う状況なのであります。甘く熟して猿が屋根からどどっと押し寄せる前に回収しなければと思っています。

   

『ハロウィン』の予告をします。。

本日13時30分から本部施設職員の『ハロウィン仮装』行列がありました。詳しくは明日のコラムで書きますが一言だけ「オオカミのマスクは熱かった。でも、皆さん大盛り上がりで最高でした。」

   

メディファクスの記事から

メディファクスというのは、医療・介護・福祉に特化した、いわゆる業界紙なのですが、10月24日付けの記事で『入浴介助でやけど女性死亡』『浴槽の湯60度、府警が捜査』の見出しが私の目に飛び込んできました。その記事によると【大阪市の介護老人保健施設で8月、入浴介助を受けていた入所者の90代女性がやけどを負い、約1か月半後に死亡していたことが22日、捜査関係者などへの取材で分かった。市によると湯の温度は60度ほどあり、介助職員は施設側の聴き取りに「いつも通りの温度設定であるはずと慢心があった」と説明。府警が、業務上過失致死容疑を視野に調べている。

捜査関係者や大阪府によると、8月4日、職員が女性を専用の椅子に座らせて湯船に入れたところ、女性が「熱い」と訴えたため、浴槽から出した。女性は足首や上半身にやけどを負い、皮膚がめくれていたという。9月17日に死亡した。市によると、8月2日、浴槽に高温の湯をためて消毒する作業が施設で実施されていた。作業に当たった別の職員2人は終了後、蛇口から出る湯を通常の温度設定に下げていなかったという。介護職員は4日、そのままの設定で湯をため、暑さを確認せずに入浴させたとみられる。大阪市は故意性はないとしたものの『重大事故』と判断し、施設側にマニュアルの作成など再発防止を徹底するよう口頭で指導した。】

この記事を読んで一番びっくりしたのは『いつも通りの温度設定であるはずと慢心があった』とのコメントには思わず「絶句です」。しかも8月2日に高温での消毒をして、8月4日に高温の設定であるままで使用する前に元に戻す事がされていないのも驚きですが、特浴期の湯の温度を確認もしないでお風呂に入れているのも驚きです。90代の女性が「熱い」と言われながら皮膚がめくれていく状況を思った時「何とも言えない感情になりました。介助が必要な方は、介助する職員に委ねるしかない。自分がお風呂に入る時に「お風呂のお湯は適切かな」と手で確かめますよね。その行為が自分で出来ないから、その行為を職員が当たり前の様にするのは、マニュアル以前の問題だと思うのですが・・・。尚且つこの施設にはマニュアルも無かったのでしょうか。入浴の研修もされていないのでしょうか。重ねて言います。『慢心』と言う事で片付けて言い訳が無いと思います。

介護職員はやるべきことをしっかりしながら、入居者さんと共にワクワクする毎日にしていかなければいけないと思うと共に『他山の石』として本日18時からの本部施設での全体会でもしっかり徹底していきたいと思っています。

私の矯正術は・・・

令和7年10月26日

いつもの様に5時25分のアラームで行動開始をしようと思いベットから起き上がろうとした時「腰が張って痛い」と言う事で尚且つ外はどんよりしており、雨が降っているようなので「今日の朝のお参りは中止にしようか」と一瞬『弱虫の宏クン』になりそうだったのですが「今の宏はそんなにやわくない」と力を込めて起き上がり、リュックサックの中の空になったペットボトル9本に我が家の水道水を入れて(およそ5キロの重さです。)背中に背負い左手に傘を右手に金剛杖を持ちお墓を目指して歩きました。

幸福地蔵様でのお参りを終えて妙応寺本堂では大きな賽銭箱に両手を付いてお経を唱えながら屈伸運動や片足ずつ大きく足を上げたりと、いつも以上に気合を入れて行いました。(誰もいない本堂での祈りの時間だからできますが、誰か見ている方があったら出来ないかも・・・。いやいや、今の私は逆により頑張るかも知れません・・・。)そして、今須稲荷様、3仏様等々にお参りをして六地蔵様から我が家のお墓に行きお水を手向けたあとはいつも以上に気合を入れて般若心経を唱えました。

そして雨の中でしたが背中はほんのり汗をかき、我が家に帰って「あったかい」と感じて、コップ1杯の水を飲み「最高に上手い」と思ってからぬるくなった湯船に浸かり追い炊きで段々温かいお湯になって行くのを「最高」と思い、湯船の中で背筋を伸ばすと「腰の痛みが無くなっている」と言う事で「これが正しく私の矯正術」と言う事です。

小さい頃は寒くなると両手両足がボンボンに霜焼けで歩く事も出来なくて、その当時母秋江さんが学校から帰って来る息子の為にゴボウの湯がき汁と水の入った洗面器を用意して待っていてくれて、湯がき汁と水にかったりばんこで手を突っ込み霜焼けの手の血行を良くすることをしてくれていた事を懐かしく思い出しながら、天国で私を見ていてくれている母秋江さんが「宏も強くなったね」とほほ笑んでいてくれていると思っています。「お母さん、これからも見守っていて下さい。私は地域の方々の為にこれからも走り回って頑張りますので。」と呟いている私なのであります。

和光会グループ100周年記念式典に参加しました

令和7年10月25日

和光会グループの礎は創始者山田光継先生が1925年8月に岐阜市中吉町(現 東金宝町)に『山田内科小児科医院』を開業されたのが始まりだそうです。その当時から往診を積極的に実施されていて、開業当時は自家用車がまだ珍しくて人力車での往診が主流だったころから、自転車、オートバイを経て、3年後にはゼネラルモーターズ製のシボレーを購入し、自動車による往診を始められたとのことですが名古屋を含めても他に例が無いとの記録が残っているとの事で、先見の明があったと思います。(なるべく早くに診て貰いたい患者さんにとっては有難いことだったと思います。)

また、岐阜の開業医として初めてX線装置を導入されたとの記録を目にして「創始者としてのご苦労は沢山おありになったと思いますが、患者さんの思いを最優先にされていて訪問診療に注力されていた思いが今にも生かされているのだ。」と思いました。

そして、山田光雄先生が1957年に京都大学医学部助手の職を辞し、創始者の基で副院長になられて、1961年に2代目院長になられ医療法人和光会理事長に1966年~1995までされ、尚且つ1998年~2016年社会福祉法人和光会の理事長も勤められて、医療のみならず介護・福祉でも素晴らしい展開をされていた事が理解できます。

そして3代目を継がれた地守研三先生が3代目を継がれ、今は山田豪先生が立派に4代目として和光会グループを牽引されているので、「100年は途中経過」と言う事なのだと思います。今では80事業所以上で『医療』『介護』『子育て』『障がい』の事業展開で職員が2000人と言う大組織になっても『地域貢献』の旗印の中での展開をされていて、常に先を見据えた展開をされています。

当法人の社会福祉法人杉和会は設立28年と言う事で全く歯がたたない状態ではありますが、身の丈の中ではありますがこれからも地域の中での安心・安全と生き生きした毎日の為に頑張って行きたいと本日の式典に参加させて頂き思ったしだいです。

逆打ちで歩いたら

いつもの様に5時30分過ぎからお参りの為に歩いて行き、妙応寺の駐車場内の幸福地蔵様に抱き付きながらのお願いをしてから2つのトンネルの中で歩きながら「南無大師遍照金剛」を唱えて本堂に入ろうとすると大きな門が開いていないのでぐるっと回ってお墓の方からお参りすることにしました。

若山家のお墓に行く手前の六地蔵様で花筒とそれぞれのお地蔵様の湯呑に我が家から持ってきたペットボトルの水をお供えして、蝋燭と線香に火を灯してそれぞれに立ててから、それぞれのお地蔵に手を合わせながら「おん ころころ せんだり まり そわか」のご真言を3回ずつ唱えてから我が家のお墓に向かいました。若山家、吉澤家(姉春子さんが嫁いだ家)、及川家(かつて優・悠・邑に入居されていた方)柴田家(大変お世話になったおじさんおばさんで、おばさんは優・悠・邑で看取りまでさせて頂いて恩返しが少しは出来たかなと言う方)の他にお隣同士のお墓も入れて7軒のお墓の湯呑に水を手向けてからいつもとは逆の順番にお参りをしていくのですが、お参りを終えてからの向かう方向がついついいつもの方向に向いてしまい、「今日は違う」と思って方向修正をしながら次の場所に移動する状況だったので「慣れと言うのはこの様な所にもあらわれるのか」と思うと、慣れからくるケアの思い込みは絶対にしてはいけないし、昨日とは違う今日の変化を見逃さない事の大切さを改めて理解した次第です。と言う事は『転んでもただでは起きない』の真骨頂だと自画自賛している私がいるのですがリピーターの皆さん、こんな私の事をどう思われますか。

褒められるのは悪い気持ちではないです。

就職を希望されての施設見学におみえになった方に取り合えず理事長としての思いを話させて頂いてから館内の案内を吉田副施設長に委ねて事務所で待機していて(私が案内する事は簡単な事なのですが、私が案内をすると他の職員がするよりも遥かに説明に時間がかかってしまうのと、他の職員が説明した方が事実に近い形だと思って貰えるのではないかと考えて)案内をした吉田副施設長が「案内を終えました」と報告してくれたので、再び会議室に行くと私が行くのを座らずに待ってみえたので「礼儀正しい方だ」と思いながら再び話をしようと席に着くといきなり「素晴らしい施設をみさせて頂き感動しました。」と言われるので「具体的に何が良かったですか」と聞くと「浴室の蛇口の位置が通常より遥かに高い位置にあり、その理由を副施設長さんからお伺いして思いのある温かい施設だと思いました。」との話を聞いて「思いの部分を理解してくれる方がいたのは有難い」と思った次第です。

そして平成8年に施設の図面を見ながら色んな事を検討して、平成9年に建物の造成と建築が始まった時の事を想い出していました。造成が出来て段々の田圃だったところに石墨をして貰い8050㎡がフラットになった時には敷地内を両手を広げて走り回ったことや、建物が建ちだして毎日現場を歩き回って、「そう言えば浴室の蛇口の位置が家庭用と同じ位置だったので設計士の先生にお願いして、私がお願いした時には現場監督は嫌がられていたけど設計士の先生から言われた事には素直に聞いて頂いて今の位置になったな。」と考え深いものが蘇りました。一つの現象の中に色んなものが内在されていることを、見学された方は理解して頂けたのだと思うと嬉しさが倍増しました。

職員が楽しくなければ入居者も楽しくないと言う事で働きやすい環境を作ることがより良いケアに繋がり、ワクワクする企画が多くあれば入居者さんも元気でいて貰えると考えています。これからもワクワクを大切にした施設を心掛け頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

皆さんのご迷惑を顧みず

昨日、和合地区の民生委員児童委員の皆さんが14名、施設見学と理事長のお話を聞きに来て下さいました。私の基本的な考え方は「地域の多くの方に施設を理解して頂き、共存共栄で地域の安心安全に寄与していきたい。」と言う事で、和合地区の民生委員児童委員会代表をして頂いている方には、社会福祉法人杉和会の評議員のメンバーになって頂き、私が和合の施設長になって2年余りでようやく、地元の民生委員児童委員の方が施設に来て頂きました。

それぞれの車でお見えになり、全員の方が揃われた段階で施設内に入られ、一先ず1階の研修室に揃って頂いた段階で、民生委員児童委員の代表者(当法人の評議員)の挨拶に続いて、理事長である私が挨拶をさせて頂き、その中で「どれほどの時間を頂けますか」とお聞きすると「全体で1時間程度で、若干延長しても大丈夫です。」と言う事をお聞きしたので「私は時間指定されないと、永遠に話をしてしまうものですから」とさり気無く「しっかり話がしたいんです。」と意思表示をしてご挨拶を終えてから、伊藤副施設長に館内の案内をして貰いました。元の部屋に戻ってみえた時には「廊下も広くて、木を多く使われていますね。」等々のお話をお伺いしてから、全員が戻られたのを確認して、私のお話をさせて頂きました。

先ずは「皆さん民生委員と言われていますが、実は民生委員児童委員なんですよ。」との話から始めました。そして、「私がその様な事を理解しているのは、大学を卒業して教員として勤めたものの、2年で退職してしまい見事に父親から勘当されて、ダムで沈んでしまった旧徳山村の民宿で居候の、飲めや歌えの生活をしてから、児童養護施設の指導員を13年してから、紆余曲折を経て社会福祉法人杉和会の認可を頂き、本部施設を関ヶ原に造って7年の月日になり、10年前に和合の施設を、そして4年前に盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)が出来、3拠点を走りまわっている毎日です。」「3拠点共に『優・悠・邑』が冠にあるのは『すべてにやさしく いつまでもゆとりある やすらぎのばしょでありたい』であることと『今日一日楽しかった』の毎日にしたいとの思いで、職員共々頑張っています。」との前置きをしてから、今年度に入ってからのイベントをスクリーンに映しながら、お話をさせて頂きました。

話が1時間近くになった頃に、責任者の方が時間を気にされていることが分かったのですが、参加者の方々は一生懸命に私の話を聞いて頂いているので、「もう少し、もう少し」と話を続けさせて頂きました。お話を終えて駐車場までお見送りしていく中で「私は同じ班なのに、初めて来たよ」と言われる方があったので「これからは気軽に来てください。」等と答えていて、次の予定があったのかも気にせずに、時間延長をしたことに対しては、皆さんが納得されたご様子だったので「まっ、良いか」と全然反省していないわたしなのであります。

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