2025年08月の記事一覧

明日は次男家族が我が家にやって来ます

大垣市内に住居を構えているので、いつでも会える距離なのですが、私の都合もなかなかつかず、お正月とお盆の他はそれぞれの誕生日に昼食を楽しむくらいです。そんな状況の中、明日はお盆と父進の命日に合わせて我が家にやって来ます。

法要についての私の役割は、仏壇の確認とお寺さんの確認くらいなのですが、蝋燭を購入しに行った時に、2歳の孫娘と昨年11月に生まれた孫息子が喜びそうなお菓子を、ついでの様に購入しました。実は蝋燭がメインでは無くて、孫たちのお菓子がメインの様に自分でも理解しています。

先般「お米が欲しい」との事だったので、次男の家に持って行った時に2歳の孫娘が「じいじ、有難う」と言ってくれただけでメロメロになった私としては、日々成長していく孫が明日は来ると言う事で、何となく「うきうき」しています。明日の昼食は次男夫婦の希望により地元のうなぎ屋『魚しげ』さんに無理を言って(最近は遠くからもお客さんがおみえになるようで、結構な人気だと言う事です。)12時にウナギが焼いて貰える様にお願いをしました。

明日はお寺さんに10時に来て頂き、父進の法要と共に、お盆供養のお経も唱えて貰ってからは『メロメロじいじ』を楽しみたいと思っています。ただし、明日も雨が降るとの事だったので、その事だけが心配ですが、我が家は丈夫に出来ているので孫たちを濡らさないようにすれば大丈夫だと思っております。『もう一つ寝ると♪孫が来る♪♪』と歌い出す様な気分でいる私です。

お盆の帰省等の交通ラッシュの報道を見て

「10連休だ」とか「12連休だ」とテレビで報道していますが私はいつも「自分の立場から言って連休を取って海外旅行に行こうと言う状況ではない。」し、決して強がりでは無くて「人込みや交通渋滞の中でどこかに行きたいとは思わない。」とか「大きな工場が一斉に休みを取って機械を再稼働するのならば長期休暇にして再稼働した方が経費的に安く済むから」等と言っているのですが、10年程前に1回だけ何ともならない込々の列車に乗った経験があります。

それは正に10年前の8月10日の日から11日の出来事でした。その日の事は絶対に忘れる事が出来ません。具体的な話は出来ませんが8月10日に東京出張がありその日はホテルも取ってあり翌日の切符の指定も混むことを想定して取ってあったのですが、『予定は未定で』1本の電話があり、出来るだけ早くに長崎県まで行かなければいけない事情が出来、本部施設の職員も2人同行して貰わなければいけない状況の中、東京での会議の後「とにかく今日中に家に帰って朝一番の列車に乗って長崎まで行こう」と言う事で東京駅に行き、指定席を取ろうと思ったら『本日の指定は全て売り切れ』の告知がしてあったので取り合えずホームに行くと『立錐の余地なし』と言う状態で、2本の列車を見送り3本目の列車が出る間際に飛び乗ってドアに持たれた状態で名古屋までの1時間40分立ちっぱなしで、しかも運悪く隣には女性の方だったので考え過ぎかも知れませんが女性に触れて誤解を招くのも如何なものかと思い両手は上にして所謂『フォールドアップ』の状態でいたのは大変でした。

もっと大変だったのは、翌日の事です。私を含めた3人の職員の移動で当然の事ながら指定席は取れていないので新幹線は米原から大阪までは座れたのですが大阪から博多までの3時間近くの時間は当然の様に立ちっぱなしで、博多から長崎までは駅前で予約してあったレンタカーで職員の運転で目的地に着きました。あの時の事を考えると「お盆中には車や列車での移動はしたくない。」との思いを持っています。でもね、お盆休みにしか移動できない方にとっては移動しないわけにはいけないと言う事ですから「なんで混むと分かってでも行くの」とは言わない様にします。

何とか地元和合新町の夏祭りが出来そうです。

朝からどんよりとした天気で、岩田理事との打ち合わせを終えて本部施設に行くと「理事長、今日の夏祭りは雨で出来そうも無いですね。」と職員から言われたので「絶対に出来ます。」と言う根拠のない言葉を返していたのですが、今(13時30分)は青空が見えてきたので、私的には「しめしめ」です。夕方からの企画なので「明日が土砂降りでも良いので、20時までは雨が降らないで下さい。」と勝手な事を考えています。

私が和合の施設長になって丸2年が経過して、私が施設長として力を入れて来たものの一つに『地域貢献』があります。つまり、「地域の中で安心・安全な施設の存在」を理解して頂く為には『地域との繋がり』が無ければ何もできません。そこで和合の施設が事業開始する段階で、和合地区の連合会長さんと民生委員児童委員の方に当法人の評議員になって頂いてはいたのですが、地域との交流と言うまでにはなっていなかったのですが、地域の清掃活動などに参加させて頂く中から「お祭りの企画に参加して貰えたら」と言う事で、施設としての企画として『輪投げ』『的当て』の遊びコーナーと『ポップコーン』と『石焼き芋』の販売をさせて頂く事になっています。

『石焼き芋』については、本部施設で所有している本格的な機械を運び、本部施設の水野係長がボランティアとして取り仕切ってくれる事になっています。「こんな暑い時に石焼き芋はミスマッチだ。」との声もありましたが「匂いだけでも楽しんで頂ければ」と思っています。和合地区の皆さんがどんな風に思って頂けるのかと考えると『ワクワク感』が増してきます。

この様な地道な活動が地域からの信頼を産んでいくと言う事で、私も和合地区の方々としっかり交流していきたいと考えています。後は天候だけですが「思いは通じる」と思っています。

今の天気は訳がわからない・・

鹿児島県で線状降水帯が発生して、車が流されてひっくり返っていたり、土砂が流れて道を塞いでいたり、道路と思われるところを警察官が住民を誘導しているところなどの映像が映し出されていて、「凄い事になっているな。」と思いながらテレビを見ていて「天気図で確認すると、この線状降水帯は梅雨の末期の様な形です。」とのコメントに「最近の天気は訳分からない」と思った次第です。

岐阜県においては「今年の梅雨ははっきりしていなかったな」と思うと同時に「季節がぐちゃぐちゃだな。」とも思いました。例年の梅雨は、じとじとした日が続いて梅雨の終わり頃に豪雨に見舞われる事が常だったのにと思うと、世界中の気候はどうなってしまうのだろうと思っています。本部施設は谷に挟まれた所に位置していて、台風などの雨に見舞われると敷地内に流れている川に土砂が流れてきて、川から土砂を取り除く作業があったのですが、岐阜県の災害対策の一貫で大きな砂防を作って頂いたので、土砂が流れてくることが無くなったので「備えあれば患いなし」を岐阜県の方でして頂いたのは、大変ありがたいことだと思っています。

その恩返しと言ってはおこがましいのですが、本部施設では防災倉庫を建てて食料品や水はもちろんの事、簡易ベットや簡易トイレ等も確保しています。尚且つ地域の方にも貢献出来る様に、かつて地域の炊き出しで使われていた大鍋と大釜を防災倉庫で管理させて貰い、タケノコのシーズンには、タケノコの味噌汁を200食くらいは作っていますし、大釜は一斗炊き(10升)で、炊き込みご飯もさせて頂いていますが、流石に一斗は食べきれないので、5升を炊きました。余暇活動の一貫でしているのですが、これも『備えあれば患いなし』だと考えていますし、実際に大変な状況になった時には地域に安心してもらえる対応をして、文字通り『地域貢献』をしていきたいとも考えています。

雨は鬱陶しいですが・・・

令和7年8月7日

昨夜我が家の2階に上がって行く時に突然強い雨が降って来て西からの風も強く雨が吹き付けていたので慌ててガラス窓を閉めました。実は昨夜から目が充血してシカシカしている事もあり、かつて診て頂いていた病院に連絡すると予約が無いと大分お待ちして頂く事になりますが受診は出来ますよとの事だったので9時過ぎに家を出ようとしたのですが外は凄い雨の降り方だったのですが「エイヤ」で車庫まで走りました。

車に乗り込み運転している時も強くなったり弱くなったりで病院の駐車場に車を枠の中に入れるまでは弱い雨だったのに車を降りようとしたら土砂降りの強い雨になったのでしばらく様子をみていたのですが弱くなりそうに無かったのでここでも「エイヤ」で玄関口まで走りました。今は眼科の待合でコラムを打ちながら待っていてガラス越しに外を見ると陽が指してきました。そんな状況だったので改めて思ったのは、「雨が降らなくて暑いと雨が欲しいな」と思うのですが、いざ土砂降りの雨が降ると「こんな降り方をしなくても良いのに」と思ってしまう自分がいるのです。

私自身は米を作っていないので『雨不足』でも一向に困らないのですが米農家や野菜を作っている農家においては切実な問題だと思います。(いやいや、米不足になって米が手に入らない状況になれば困りますが・・・。)天気予報を聞いていると石川県には線状降水帯が発達して『水不足から一転土砂災害の問題』で心痛められているとの事。その現象を理解した時に改めて『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の言葉が自然に浮かびました。

何事も『ほどほど』が一番なのですが世の中はそんなに甘くは無いし増してや『自然災害』については科学が進歩した今でも解決出来ません。だから昔の人は自然を恐れ敬ったのですが私も含めて自然の恵みを当たり前と考えているのではないかと思っています。線状降水帯のニュースを見て改めて考えて行くべき事が見つかった様に思います。つまり『備えあれば患いなし』と言う事です。

 

テレビを見ていて蘇った記憶

日本列島のどこかで連日の様に『40℃超え』のニュースが報道されています。

本日のニュースの中でも「水分補給をしっかり行う様に」とのコメントに「毎日の様に報道されている事なのに何故か本日は高校時代に高校野球岐阜県大会の時の急遽組織した応援団の事を思い出した。」と言う事です。

と言うのは応援団の指導を元日本大学で応援団をしていたとの触れ込みであった先生が本番の試合の時に「応援団は選手が必死に頑張っているのだから裸足で応援すべきです。」と言う事でその頃の高校生は『素直で純粋』でしたから応援席のコンクリートの所で裸足で応援するのを「熱い、熱い」と言いながら足元に水を掛けて貰って頑張ったものでした。

また、試合が始まってからも「選手たちも頑張っているのだから、応援団が水分補給をのんびりするのは申し訳無いので氷を口に含んで我慢する様に」と言われて、この事も『素直』に受け入れて頑張ったなと言う事を懐かしく思い出していました。

今の時代にそんな指示を出す先生がいたら大問題になるのではないでしょうか。

最もそんな指示を出しても今どきの高校生が指示に従うとは思えないし、ましてや父兄が黙っていないと思います。

でも、当時の暑さは熱くても32℃程度だから凌げたのだと思います。

しかしながら40度超えを記録している中、高校野球を主催者や選手を預かる関係者の方は色んな対応をしなければいけないので大変なご苦労をされていると思います。

だって試合中に選手が一人でも熱中症で救急車で搬送されたと言う事実が出たら大変な事になると思うからです。

改めて思う事は批判はどこからでも出来るけれどもと言う事です。

昨日の東京青梅への出張で思った事

令和7年8月5日

東京から青梅までの列車に乗った時に思ったのは「東京の人は寝ているかスマホを操作しているかだ。」と思った次第です。「でも考えてみたら私自身もスマホでコラムを打っているのだから同じことか。」とも思いました。東京駅での乗り換えで予定より一本早い列車に乗れたのでお昼を青梅駅前でする事になり、「お昼時の中途半端な時間に施設に行くのはご迷惑だ。」と言う事で食べ物屋さんを探したのですが結局食事が出来そうなところはレトロな雰囲気(大村崑さんの看板がありました)が漂うお店が1軒しかなくて結局そのお店でスパゲッティと餡トーストと言うとりあえずお腹を膨らす物を頂きました。

昼食後にタクシーに乗り施設まで行き、予定より少し早かったのですが、理事長さんから事務所の職員さんには連絡が行っていたのでスムーズに案内して貰い理事長さんの他にも事務局長さんも同席して頂いてこちらからの質問に誠意を持って応えて頂きました。相談を終えると若い職員さんが駅まで送って下さり大いに助かりました。話し合いの中で色んなアドバイスを頂いたので早速今日からアクションを起こすべく、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     午前中は和合での事務所会議に参加したあと本部施設に行き午後は関ケ原町連合会長を長年に渡り勤められ、当法人の評議員をして頂いている方に、昨日の内容を基に意見を求めてアドバイスを頂きました。今後の展開についても色んな方々に相談してアドバイスを頂きながらより良い方向性を社会福祉法人杉和会理事長として頑張って行きたいと思っていますので今後ともよろしくお願いいたします。

東京青梅に日帰りで行ってきます

朝食を6時40分から頂きスーツに着替え本部施設に行き、本日出掛ける東京青梅の施設への資料を準備しに行き家に戻ると同行する盲養護老人ホームの吉澤施設長が迎えに来てくれたので吉澤施設長の車に乗り込み、岐阜羽島に行き今は新幹線の中でコラムをスマホで打っています。東京とは言え青梅駅に着くのは岐阜羽島を8時15分発に乗っても12時12分に着くと言う事で東京とは言え遠いなと思っています。

吉澤施設長が隣の席にいてしみじみ思う事は法人設立前の事です。と言うのは今回青梅にある施設に行くのは盲養護老人ホームか開設されて4年の経過の中入居者がなかなか措置されてこない現実の中で盲養護老人ホームを先進的に展開されている施設の理事長さんに色んな事を教えて頂く為の出張です。そこでしみじみ思っているのは組織内に行動している今は出張費から手土産まで法人持ちだと言う事です。法人設立前には全て自前でその当時私の収入が少なかった中で厳しいものがあったなと言う事です。

しかしながらその頃の節約の経験は今に生きています。それは必要なものは購入するが無駄な事はしないと言う事です。その最たる例が施設のエレベーターには荷物を持っていたりお客様を案内する以外は使用しないのです。勿論私も例外では有りません。目に見えた結果としては分かりませんがその考え方を浸透させると他の事にも波及すると思っています。

結構贅沢に演歌歌手を呼んだりパフォマーを呼んだり真打の落語家を呼んだりして贅沢しているとのご意見もあるかと思いますが、私は決して贅沢でも無駄でも無いと考えています。だって入居者さんの目力が分かりますし、その事を理解したら私自身も元気を頂けます。雨が降らないから節水するのでは無くて常に無駄を無くしてお金を有効に活用する事が肝要だと考えています。本日の出張も将来的に役に立つようなものにしたいと考えています。

人生の分岐点が多くありましたが、その都度助け人が現れたのは幸せです。

令和7年8月3日

大学を卒業して教員になった時には私の父進さんの大いなる助言がありました。但し、私が生涯を遂げる世界ではないと思った私は早々に教員を辞して自分探しをする為とあんなに優しい存在だった父進さんから勘当されたのですが、その時には徳山村戸入で民宿を営んでいた増山たづ子さん(徳山村の語り部で写真家)の家に居候を決め込んだ時にも増山さんは二つ返事で引き受けて下さり、反って快適な日々を送ることが出来ました。

但し、あまりにも居心地が良くてどっぷりその生活に浸かってしまい、自分探しと言う目的が薄れてきた8月末に、その当時大垣市内の中学校の校長先生をされていた馬淵先生がわざわざ徳山村まできて頂いて児童養護施設の指導員の道を切り開いて下さいました。児童養護施設の指導員時代は文字通り『フレックス』で自分が決めた通りに思いっきり子ども達との生活に没頭して、その活動を評価して頂いた結果、その当時の厚生省が後援して頂いていて主催は資生堂財団による海外研修(ボストン会は37年の経過の中でも活動しています。)に35歳の時に参加させて頂きました。この研修は私にとって最も大きな分岐点になりました。

何故なら団員は私を含めて17名だったのですが私が3年後の38歳の時に児童養護施設を退職した時に色んな意味で支えになってくれたのはボストン会のメンバーだったからです。(特に大阪の大久保先生はいつも諭す様に励まして下さいました。)紆余曲折が有り、社会福祉法人を立ち上げて特別養護老人ホームの建設に対して力を貸して下さったのがその当時、日本福祉大学中央福祉専門学校の校長先生であった吉田宏岳先生(法人設立時の筆頭理事)であり、平成8年度の設立で順調に進んでいたはずの計画が大垣市に2つの大規模施設が計画されていると言う事で暗礁に乗り上げた時は、その当時家庭教師をしている教え子の祖父に当たる大垣商工会会頭だった河合達雄氏に窮状を訴えて、猫田県議を紹介して下さり岐阜県庁での話し合いを持つ事が出来て、1年遅れではありますが平成9年7月17日に法人認可を頂き、翌年5月15日に竣工式典を行う事が出来ました。

その後本部新館が平成16年に、和合が平成26年に、そして令和3年に盲養護老人ホームの新築と盤石な歩みを辿ってきたのですが、盲養護老人ホームはいわゆる『措置施設』と言う事で4年が経過した今も入居される方がなかなか入らない中で経営的にも厳しい状況で私自身法人の理事長として非常に厳しい状況の日々が続いています。そんな中でも理事会、評議員会の皆さんのご理解を頂きまた、色んな方のお骨折りを頂いた事により、少し明るい兆しも見えてきました。

明日は、盲養護老人ホームを先進的に行ってみえる東京都青梅の本間先生にお知恵を借りに行って来ます。明日の展開も私にとっても大きな分岐点になると思っていますが、電話をしただけで快く面談を受けて頂いた事にも感謝です。この様な展開が出来るのは私自身ネットワークを大切にしてきたからだと思うので、その生き方のスタンスはこれからも変えずに頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからの社会福祉法人杉和会を今まで以上によろしくお願いいたします。

8月には夏祭りがあり、9月には秋祭り及び敬老月間と企画満載です

早速8月9日は地元和合新町の地域のお祭りにイベント参加をします。

地域からお誘いを頂けるのは本当に有難い事なので子どもさんが喜んで頂ける様に『ポップコーン』の販売と『千本くじ』でお菓子を引いて貰う企画と大人向けに遠赤外線の本格的な石焼き芋の販売をします。「夏の暑い時期に石焼き芋は売れませんよ」との意見もあったのですが「優・悠・邑 和合ではこんな事も出来ますとのアピールと共に香しい匂いを楽しんで貰うだけでも良いのでは」と言う事で実施します。施設においてもそれぞれの施設で入居者さんとの夏祭りがあり、職員がワクワクしながら準備に取り組んでいます。

9月には敬老月間と言う事で毎年お馴染みになっているゲストを中心にした企画が盛り沢山3施設で計画されています。具体的に言うと和合と本部では香川県からクラウン・アキオさんによるパフォーマンスを地域を対象にしたお祭りの中で披露して頂きます。(13日に和合で、14日に本部施設において)また、大阪落語の笑福亭伯枝師匠(笑福亭松鶴師匠のお弟子さん)には3施設でそれぞれに独演会をして頂きます。(21日午前和(なごみ)、午後本部施設、22日午前に和合で)また、本部施設においては滋賀信行会さんの協力を得て23日午後に『千巻経』を行います。理事長としてその対応をしっかりしながら9月2日3日は金沢で東海北陸ブロック正副会長会議があり、尚且つ9月17日~20日は経営協の全国大会が福岡で開催されるのに引き続き福岡は花田先生のお膝元と言う事でボストン会が開催されるので特に9月は文字通り『過密な毎日』なのですが私がすべき役割があれば頑張りたいと考えています。全国大会は必ず行かなければいけないものでは無いのですが花田先生のお膝元であり、来年に経営協の全国大会が岐阜の地で開催されると言う事もあり、参加しなければと言う事です。

こんなスケジュールであっても健康であれば対応できると考えています。と言うのも私は高野山真言宗前官大僧正静慈圓師から「若山さんにはお不動さんが付いている」と言われているので「行けないときはお不動さんが止めて下さる。」と思っているので。

私はこんな生き方だと言う事をリピーターの皆さん、是非ご理解ください。

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