2025年08月の記事一覧

静慈圓前官大僧正の話題は広範囲で「あっという間の3時間半」でした。

80歳を超えてもかくしゃくとしてお元気なのには、全く舌を巻くばかりですが、20年前にお会いした時から全くお変わりが無いのも驚きです。と言うよりも「益々お元気だ」と思った次第です。

「どうしてこんなにお元気なのか」との答えはお話をしている中で理解しました。それは、「今なお、やらなければいけない事が多くある」と言う事です。今年だけでも中国に4回もいかれていて、さりげなく「仕事の依頼があってですよ」と言われたのにも「本当に凄い先生だ」と思いました。

広範囲の話題の中で、静師が学生時代には「とことんお酒も飲みました。その当時はビールもラーメンどんぶりでとことん飲んだものです。」との武勇伝も聞くことができ、「私の学生時代と同じだ」と話をしました。

中国から伝来した仏教なので、今もお寺はあるとの事でしたが『密教である真言宗のお寺』は全て無くなっていたのを、静氏が若くて優秀な青年を中国から招いて自坊で面倒をみて、真言宗の僧侶の資格を与えて、真言宗の再興に尽力されたことや、弘法様空海が遣唐使で航海されて、難破して漂着したところから、その当時の都である長安までの2400キロのルートを30年の年月を経て発見され、その功績を中国の高官が認めた事により『空海ロード』が築かれ、『空海ブーム』がおき、最近では中国人によって『空海』と言う交響曲が作られ、色んな国で上演されているが、その時にはそれぞれの国においての一流の交響楽団が演奏を担っているとの話には「どこまでも凄い話だ」と思いました。

また、合唱団は中国から派遣され、観客については全て無料との事で、「半端でないお金持ちがこの様な企画をするのも凄い」と思いました。社交ダンスの話にも「出来ないのは駄目だ」と言う事で社交ダンスのレッスンにも参加して出来る様になった話にも「好奇心旺盛で素晴らしい」とも思った次第です。最後には来年も必ず来ます、とのご返事を頂いたので今から楽しみです。

本日、高野山前官大僧正静慈圓師が本部施設に来て頂けます

令和7年8月20日

静前官大僧正とのご縁は平成15年度の補助事業で本部施設新館(平成16年4月事業開始)の計画の中で滋賀信行会内藤会長に『祈り』のものの計画を相談したところ「静慈圓さんの書を各ユニットに入れたらどうか」との提案を受けて内藤会長の協力も得て各ユニットの名前『喜・笑・天・結(き・しょう・てん・けつ)』に相応しい梵字を書いて頂き各ユニットに飾らせて頂きました。と言う事で開所した平成16年から毎年8月20日と決めてコロナの時期も含めて高野山のお山から下りて本部施設に来て頂いています。但し、1回だけ来て頂けなかった年があります。

それは静慈圓師が高野山法印として1年間を通しての弘法様に代わって催事を執行する為に高野山から下りる事が出来なかった年だけです。と言う事はとんでもない方が毎年来て頂いていると言うのは本当に有難い事です。16時までは滋賀信行く会の長浜本部での行事を終えて(梵字教室が開かれていと聞いています。)から本部施設に来て頂き仏間(図面上はデイサービスの静養室)でお経をあげて頂き、その後は関ケ原駅前の料亭『末廣』で親しく交流をさせて頂きます。参加して頂くのは静前官大僧正と随行の滋賀信行会内藤会長の他に日頃お世話になっている本部施設家族会吉田会長と本部施設第三者評価委員であり大垣市会議員の田中さんと本部施設長と理事長の私の6名です。

静慈圓師は20年前から全く変わらないのですが話の内容は中国での展開など話題がグローバルなので本日も楽しみにしています。当法人に関わる方々は目に見えない力で守られているのは静前官大僧正様のお陰もあると思っています。今後共このご縁も大切にしながら社会福祉法人杉和会が地域の幸せの為に益々貢献出来る様に頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからもご支援宜しくお願い致します。

 

本日は午前9時から関ケ原町長と面談し、午後は法人の理事会が行われます。

昨日は東京出張で東海道本線も東海道新幹線も遅延していたので苛々しながらも何とか開始予定の14時には間に合い、懇親会も終えて家に帰れたのは23時過ぎだったのですが、7時前には元気に目覚め町長との面談は9時からでしたが当法人の評議員の淡川さんに同席して頂くことになっていたので定刻の15分前に役場の駐車場に着き淡川さんと合流して町長室で面談しました。

今の西脇町長は私が事業計画を立てている時にその当時の住民課の主幹でなにかと立ち上げについて相談に乗って頂いた方なのでその当時の出来事にも話が行きました。

本題についての話についても真剣に向き合った話が出来今後の展開の方向性が見えてきました。

評議員の淡川さんも色んな根回しについての協力をして頂けるとの言質を得て、改めて「色んな方の協力があってこその法人経営だ」と思った次第です。

午後からの理事会においては下半期に向けての大切な会議なのでしっかりとした検討をしていきたいと思いますし、必要に応じて評議員会の開催もしていかなければと考えています。

介護報酬改定は3年に1度なので今の現状のままでは厳しい状況が続きますので是は是、非は非の展開の中ではありますが『今日一日楽しかったよ』と言って頂ける様に職員一同で頑張っていきますので、今後共にご支援宜しくお願い致します。

本日は東京へ出張です

令和7年8月18日

本日は10時から本部施設の幹部会、13時30分から岐阜県老施協常任理事会が予定されていたのですが、全国介護福祉政治連盟の事務局会議の日程が他のメンバーの方の都合が良い日が本日しか無くて、私にとっては最後の会議なのでけじめを付ける為にも予定を変更してでも参加したいと言う事で幹部会は9時に時間変更をして、常任理事会は日程変更を理事に了解を得て対応する事になりました。

と言う事で9時からの幹部会を終えた後は関ヶ原駅まで職員に送って貰い東京に向かいます。「けじめ」と書いたのは今回の参議院議員選挙の対応に疑問を持った為に岐阜県での対応は一生懸命にしましたが全国での対応は殆どしなかったし、再生に力を注ぐ事が出来ない状況なので「けじめ」をつける為に東京まで行きます。

一生懸命に出来ない状況である事を会議の中で理解して貰える様に話をして、解散式出来な懇親会が会議に引き続きあるのでそれにも参加させて貰うのですが明日9時から関ヶ原町長との面談があるのでいつもの様に岐阜羽島まで車で行くのでは無くて在来線で名古屋に行き新幹線に乗る予定でいました。関ヶ原から大垣までは予定通り行けたのですが踏み切りでの事故の為にいつ動くか分からないとの事だったので、取り敢えず岐阜までの列車に乗り名鉄に乗り換えて名古屋に行く判断をしたのですが岐阜駅に着くと岐阜発の普通列車が出るとのアナウンスがあったので急ぎアナウンスされたホームに急ぎました。

今は取り敢えず名古屋に向けて列車が走っています。何とか予定の14時の会議には間に合いそうです。いつも思う事なのですが、予定は未定で決定では無いようです。9時からの幹部会では私が最初に話をさせて貰い理事長としての今後の考えを伝えられたので、次には全国介護福祉政治連盟での会議でもしっかり意見を言わせて貰い、懇親会では立つ鳥跡を濁さすで今後に繋がる様にしたいと考えています。

 

 

『ゾンビたばこ』なるものがあるそうです

テレビで『ゾンビたばこ』と言う耳慣れない言葉を聞いて、その中で異常な行動が画面で紹介されていたので、改めてインターネットで検索してみたところ、色んな情報が書いてありましたので、私なりに情報を基にコメントします。

『ゾンビたばこ』と検索すると『ゾンビドラックとは』とのタイトルで説明がされていました。【『ゾンビドラック』とは、北米(アメリカやカナダ)を中心に乱用され、多数の中毒死を引き起こし大きな社会問題となっている薬物の事を指します。『ゾンビ』と言う言葉は、特に『フェンタニル』という麻薬性鎮痛剤を違法に入手し、過剰摂取した人々の様子から使われるようになりました。過剰摂取により意識が朦朧とし、体が前のめりにしたまま立ち尽くしたり、フラフラ歩いたりする様子が、まるでゾンビのように見えることから、これらの薬を称して『ゾンビドラック』と呼ぶようになったようです。】

元々は医薬品の鎮痛剤や麻酔薬として開発されたものなので、正しく医者が投与するのであれば全然問題はないのでしょうが、昔の諺で『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の様に、乱用すると常習化して命の危険もあるとの事です。

ここまで書いてきて私は、生母秋江さんとの記憶が蘇ってきました。母秋江さんは、私が中学1年の1月16日に子宮癌~胃癌~肺癌と転移して、最終的には骨に癌が転移して亡くなったのですが、60年程前のことなので、その頃の医療対応で痛みを抑える(骨に癌があるのですから、想像を絶する痛みだったと思います。)為にモルヒネの投与がされたのですが、治療の一貫で慎重な処置がなされていたとは思いますが、所詮は『麻薬』ですので、脳に異常をきたしてきたと思うのですが、大きな声を出したり暴れたりと言う現象になってきました。そんな時でも父進は怒る事も無くじっと見守っている姿には、今でも尊敬しています。

本題に戻ります。何故医療的な処置でも無いのに、自分を傷つけるような行為を若者を中心にしてしまうのでしょうか。『ゾンビたばこ』が、体にとって害になる事を承知で手を出してしまうのは何故でしょうか。私の母秋江は激痛に耐えられずに『モルヒネ』を投与していたのですが、健康な体を蝕む行為をしているのは、母秋江の姿が中学1年の時に焼き付いているので、腹立たしくてたまりません。

途中からでしたが最後まで見てしまいました

主語の無いタイトルにリピーターの皆さんは「またまた理事長は何が言いたいの」と思われた事でしょう。実は昨夜20時30分頃眠い目を擦りつつベットに横になったのですが「いくら何でも寝るには早すぎる」と言う事でテレビのチャンネルをポチポチしていると懐かしい歌が流れていたので「少しこの番組を見てから寝る事にしよう。」とその番組を見ていて結局22時前の最後の曲まで見てしまいました。

改めて昨日の新聞のテレビ欄で確認すると『メーテレ(6チャンネル)』の「昭和の名曲 伝説歌手40組の売り上げ№1曲集結今聴きたいTOP40」と言う番組でした。どうして「結局最後まで見たか」と言えば(多分28曲目からだと思うのですが)次々紹介されるもの全ての曲が私自身も口ずさむ事ができるものでした。レコード(決してCDではありません)の売り上げ枚数だけで言えば『およげたいやきくん』が断トツでしたがこの曲は何故かベスト10には入っていませんでした。その理由は「今聴きたい曲」と言う事だからだと思います。この番組の視聴者は50代から70代に焦点が当てられていたのだと思います。その理由はテレビの画面に視聴者の感想が映り出されていたのですが50代から70代の方のコメントばかりだったからです。但し、第一位が『異邦人』と言う私にとっては余り馴染みの無い曲であった事に「最後まで見ていたけど最後にモチベーションが下がった。」と思いました。そこで『異邦人』について調べてみると、1979年に久保田早紀さんのデビュー曲と言う事が分かりました。勿論この曲も口ずさむ事は出来ますが「まさかこの曲が1位とは」と言う事です。ただしこれは私の独善的な考えに基づいているので強く推すものではありません」。ただ言える事は1979年と言うのは私が児童養護施設の指導員になった年なのでテレビとは無縁の生活をしていた時代とぴたり会いますのでその点はご容赦下さい。

最後にピンキーさんが『恋の季節』を歌われた時には私自身コメントしたかったです。と言うのは私が15歳で父親に頼んで中古のステレオを買って貰って最初に買ったレコードがこのピンキーとキラーズの『恋の季節』であり、57年前の歌声と変わらない声量で歌われたのは感動でした。と言う事で慣れ親しんだうたを思いっきり聞けたのは幸せでした。リピーターの皆さんはどんな歌が好みなのかを教えて頂けると嬉しいです。

たまたま朝の連続テレビ小説を見たら

朝の番組『あんぱん』を何となく見ていた時の事です。(私には朝の連続テレビ小説を見る習慣は無いのですが)その中で漫画家を目指す(『アンパンマン』の作者柳井崇さんがモデルです。)柳井さんの奥さん(こちらが主人公なのですが)が、稼ぎの少ないご主人に代わってダブルワークの様に仕事をしているのに対して「ご苦労なさっているのですね」的な事を言われた時にきっぱりと「私は苦労だと思っていません。」との言葉を聞いた時に「凄い一言だ」と思い、私なりのコメントをこのコラムでしていきたいと思います。

そこで、先ずは柳井さんの情報を得る事にしました。1919年生まれでテレビアニメ化がされたのは1988年と言う事なので、実に69歳の時だと言う事にも驚きましたが、『アンパンマン』事態が元々は、ヒーロー物へのアンチテーゼ(アンチヒーロー)として作られた、大人向けの作品を子ども向けにアレンジしたものだと言う事には本当に驚きました。

経歴を読んでいく中で、2つの事に思いを馳せました。一つには「苦労と思っていません」と言う奥さんの旦那さんの才能を信じて支えている事で、二つ目は正直な生き方の中で、著名な方々とのネットワークの築きです。私はその築き方は決して打算に基づいたものではなくて、自分の正直な生き方から生まれたものだと思います。また私は今でもたまにBS放送でアンパンマンを見ることがあるのですが、そんな時に「よくこんなキャラクターを思いつくな」と思っていたのですが、インターネット情報で『登場キャラクターが最も多いアニメシリーズ』としてギネス世界記録に認定されていると言うのにも納得です。

最後に言いたいのは、柳瀬さん事態に素晴らしい才能が有った事と、柳瀬さん事態の人柄が素晴らしいのは間違いないと思うのですが、その才能と人柄を信じて連れ添った奥さんの存在は限りなく素晴らしいと思います。そしてかく言う私も『ちら見』(「うん、どこかで聞いた様な言葉だけど」)した番組でここまで書けるのを自画自賛です。

先進的な取り組み

『天変地異』が起きてから後悔しても遅いので法人として出来うることをしておきたいとの思いから本部施設においては10年ほど前に『防災備蓄庫』を造りその中に食料品と水は1週間分確保して、簡易トイレ、段ボールベット、リヤカー等が準備されています。

その他に他には無いものとして一斗炊きの大釜と200食分の味噌汁を作れる大鍋も確保していますので、停電になったりガスが使えない時にも薪を確保(今須にはいくらでも提供して貰えますだけの根拠があります。)しておけばある程度の安心が持てる体制です。

和合の施設長になって3年目を迎えている私としてはある程度の状況もわかる様になってきたので和合にも防災庫を造りたいとの思いで計画していくときに「和合の施設では洪水に対する備えもしなくてはいけない」と言う事で本部は違う対応をしなければ」と言う事で地元の業者さんとも話をして『高床式倉庫』を計画しています。

高床式倉庫で有名なのは『登呂遺跡』がありますが、この時に高床式倉庫にしたのは『湿気とネズミ対策』だったと思うのですが、今回、高床式倉庫を思いついたのは、万が一揖斐川の堤防が決壊して施設にまで水が来た時にも倉庫の下を水が流れる様にしたらどうかとの考えからです。

確かに1m以上地上から上げた倉庫であれば基礎もしっかりしなければいけないのでコストは高くなりますが万が一の時には役にたつと思っています。

この事を大垣市の職員の方にお話をしたら、「一度見に行きたい」と言う事で今月20日に本部施設に来られる予定です。先進的な事を実践するのは一見無駄な事の様にも思えますが『備えあれば患いなし』色んな経費を今なお以上に節約して資金の捻出をして実施したいと考えています。

職員には「けちと節約は違うし節約に努めるには気付きが必要だ」とも話をしています。

施設での習慣

令和7年8月13日

本部施設本館が事業開始をして26年の月日が経過する中で私が施設館内を歩いている時の習慣があります。それは本部施設本館、新館、和合、和(なごみ)のそれぞれの施設でも同様の習慣です。それは何かと言うと廊下を歩いている時は上と下を適度な間隔で見ているのです。上とは『天井』であり、下とは『床』の事です。天井を見ている時は「天井に染みが無いか」と言う事。何故ならが『染み』があれば天井の上の所で『漏水』が起きていると言う事です。どうして拘るのかと言えば「自分の顔に染みがあっても気になりませんか」と言えば「絶対に嫌です」との答えが返ってくると思います。それと同じように心血を注いで建設した建物に染みがあれば「何とかしなければ」と思うのと同じです。気が付いた時に適宜修理をすれば、大変な状況になる前に対応出来常に綺麗な状況を保てるからです。

昨日19時過ぎに和合1階の倉庫の天井に水漏れの報告を受け、19時過ぎですがメンテ契約をしている業者さんに応急処置の為に来てもらい、本日は建設をして頂いた業者さんにお盆休みと言う事は分かっていたのですが理事長である私の性格を知っている責任者が休み返上で来てくれました。本格的な対応はお盆休暇明けになりますがそれまでの対応についてはして頂きました。今回私が見つけたわけではありませんが、職員に対して常に「施設は大切に使う様に」と言っていたので、気付いた職員が報告してくれた事により初期対応が出来たと言う事です。なお、床の確認については「濡れた所があったら転倒リスクが高める」と言う事での対応です。

この様にしているのは特に本部施設本館開設当初はコンクリートが完全に乾ききっていない為に床がべたべた状態になっていたので私は出勤時の一番の仕事は床の濡れている所をモップで拭く事でした。だって床が濡れていて転倒されたら申し訳ないからです。その外には「居室空間に嫌な臭いがないか」「ベットメイキングはしっかり出来ているか」も見て回ります。この習慣はかつてのコラムで書きましたが私が小学4年3組の担任の時にその当時の若原校長先生が窓越しに見てみえた事の教えです。誰もが完璧な人はいません。

最も私の若い頃はチャランポランタンだったので特にそうなんですが貴重な教えはしっかり守りその教えを大切に継続することが大切だと考えています。まだまだ不十分な私ですが今後も貴重な指摘を大切にしながら頑張っていきますので今後共よろしくお願いいたします。

「このお菓子大好き」とか「このプリン美味しい」は、素直に嬉しかった

昨日の午後に実施された本部施設での『てるてる座』のボランティアに、座長のお孫さんで東京八王子から参加してくれた小学1年生の女の子に、控室に行きお菓子をプレゼントしたら「このお菓子大好き」と素直に喜んでくれて、私の方まで嬉しくなったものです。そして、ボランティアが始まる前に入居者さん、利用者さん一人ひとりに自ら手を差し伸べて握手をしてくれていて、入居者さん、利用者さんが本当に嬉しそうな顔をされているのを見た時は、感動して涙をこぼしそうになってしまいました。その後オープニングで『アンパンマンアニメソング』をけれんみなく歌ってくれたのには、清々しさを覚えたものです。

1時間の企画が終了していつものようにコーヒーとケーキを出した時に「小さい子にはケーキではなくてプリンの方が良いのではないか」と考えてプリンをケーキ屋さんで購入して出したのですが「このプリン美味しい」と言って、パクパクと食べてくれたので私自身「しめしめ」と思うと共に「素直に口に出して表現できる事は素晴らしい。」とも思った次第です。

そんな中、本日10時から我が家において父進の命日法要とお盆の先祖供養を兼ねたお参りがあり、次男家族と共に昼食をとったのですが、2歳3か月の孫娘の食べっぷりが良くて、気持ちよく何でも食べてくれて、口に入ると「美味しい」「美味しい」と言ってくれるのには「じいじはメロメロ」と言う事ですし、「素直に表現出来るのは素晴らしい」と言う事です。孫娘は2歳3か月で孫息子は生後9か月ですから、孫と一緒にお酒を楽しむにはあと20年待たなければいけませんので、その頃には90歳になっていますが、孫と楽しくお酒が飲めるまで元気に頑張りたいと考えています。

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