2025年07月の記事一覧

3年毎に行われる参議院選挙の結果から思う事

令和7年7月21日

今回の論評は私の思いでしかありませんので批判があれば忌憚なく申し出て下さい。先ずは地元岐阜選挙区の結果から思う事ですが、いつもだと自民党の候補者の開票が始まると同時くらいに「当選確実が出ました。」と言う形が殆どでしたが今回は『当確』がなかなか出ずに結局23時過ぎにようやく自民党公認で公明党推薦の若井あつこ候補の『当確』が発表され岐阜県の『自民党王国』のメンツが保たれた形で落ち着きました。前の衆議院議員選挙では前々回の自民党独占から4区の現職が落選して比例復活も出来なくて野党の議員が多数比例復活でも議員になるような結果となりました。

その流れと『自民党員の裏金問題』もあり自民党にとっての逆風は岐阜県においても例外ではなかったと言う事だと思います。私見としては立憲は自民党の敵失に対しての攻撃により政権交代を訴えるばかりで政権を取ってから何をしたいのかのビジョンが私には全く理解出来なかったので、取り敢えず若井あつこ氏が参議院議員として岐阜から出て頂ける様になったのは、一先ずは良かったと思います。「取り敢えず」と書いたのは『世界4連覇』の頑張りを政治の場で活躍して頂ければと言う事です。

比例については自民党、公明党、共産党には厳しい結果となり、立憲民主党が大きく議席を伸ばすと言う状況にはならずに国民民主党と参政党が躍進した結果となりました。今回の中で特に着眼したのは、今まで選挙に行かなかった層が投票に行った結果参政党が大躍進したように私は理解しています。つまり、今の政治・経済等に対する『閉塞感』の中での現象では無いかと思っています。参政党にとって凄い風が吹き議席も大きく伸びましたのでこれからは国民にとっての日本人ファーストだけでは解決できない問題や課題についても真摯に受け止めつつの制度設計が出来るのかが寛容かと考えています。政治は複雑です。

こちらが良ければあちらに問題が出来るのでは困るからです。今回の選挙でも大きく取り挙げられたのに『米問題』があります。米の生産者にすれば「米を高く買って貰いたい。」であり、購入側においては「安い方が有難い」と言う相反する課題に対してどの様に取り組むのか。一つの方法として消費税を廃止するとの考え方もあるのでしょうが消費税導入の経過は社会保障の永続性の中から出来た制度です。

単純に「廃止する」では解決しない問題です。自民党の大敗は単に『裏金問題』だけではないと思います。イギリスの福祉政策の根幹に『揺り籠から墓場まで』と言う事が言われていましたが単なる票集めの政策ではなくて、国民も負担をしながらの全ての人が幸せに暮らせるための制度設計になる事を念頭に置いた責任政党であって欲しいと願っています。今回の選挙で与野党共に介護職員の賃金の低さについて論議していたので今後の展開に期待しています。

大垣日大のコールド勝ちの瞬間をテレビで見て

大垣にある当法人の施設がある地区の八幡神社等の草除去の奉仕活動が、7時30分現地集合であると言う事で我が家を6時過ぎに出て、北島部長が公休にも関わらず来てくれていたので、一緒に八幡神社に歩いて行くと、7時15分と言う事で定刻前にも関わらず、数人の方が作業をされていたので、ご挨拶をしてから草取り作業をしようとすると、役員の方から「施設の方ですね。助かります。草刈り機で作業をされている方も見えるので、気を付けて下さい。」と声を掛けて下さったのには恐縮してしまいました。

八幡神社での作業が終了した段階で「お茶を貰ってから、桜並木の方に移動して下さい」との指示が出て、北島部長と一緒に移動すると、女子職員2名が桜並木での作業に加わっていたので、それぞれに声を掛け、桜並木の立派な木の周辺の草をとっていると、段々と人数が少なくなってきたので、職員に声を掛け施設に戻り、事務所に退席する旨を伝え家に直行して、つなぎ服を苦労して脱ぎ(体が大きくなった為か、縫製業をしている同級生から貰った時はダバダバだったものなのですが・・・。)

お風呂でシャワーを浴び、少しゆっくりしようとベットに横になりテレビを点けると、高校野球岐阜大会で、大垣日大対高山工業戦をやっているのを見出したら、大垣日大が9対0で勝っていて、アナウンサーが「この回に、大垣日大が1点取った段階でコールドゲームになります。」と言ったと思ったら1点が追加されて、10対0でコールドゲームで大垣日大が勝利したのを確認してしみじみ思ったのは、私が高校2年生の時の出来事でした。

私は当時の生徒会で会長をしていて、元々あった応援団が他校とトラブルを起こして廃部状態になっていて、「試合に出ても応援団が無ければ駄目だ」と言う事で生徒会のメンバーが中心になって陸上部やバレー部に声掛けをして応援団を急遽結成して、自称元日大応援団の先生の指導を受けて練習をして1回戦に臨んだのですが、見事1回戦で敗退したのですが、今となっては楽しい思い出です。

本日の試合後の画面を見ていると、大垣日大の桜にちなんだ大きめのタオルを持っているのがおおぜいいて、大きなメガホンを口に当てている女子高生がいて、なにより学生服の男子より多くのミニスカート姿の女子高生がいたのには、感動すると共に55年の年月により、野球部も強くなったし、応援団も充実した事を改めて知りました。55年と言えば半世紀は経過しているので、「時代は変わっていく」と言う事で、社会福祉法人杉和会も半世紀後にどの様になっているのか、私には知る由もありませんが、強固な組織で地域からも信頼される存在である為に27年が経過している今、より頑張って『礎』を作っていく為に、益々ギアを上げていきたいと思っていますのでリピーターの皆さん今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

岐阜新聞の1面の記事を見て

『県内増加、参院選争点に急浮上』『外国人共生在り方問う』の記事を読んでの、介護事業をしている立場でのコメントをします。介護事業だけでなく、他の産業においても人材不足が言われています。そんな中での記事の中で【多くの政党が外国人労働者の受け入れ制限や外国人の不動産所有への厳格対応、外国人比率抑制などを掲げ、外国人政策が主要争点の一つに急浮上した。外国人材受け入れは歯止めのかからない人口減少対策として拡大しており、県内でも、昨年末、外国人県民が過去最多の7万人を突破した。そんな中で聞こえてくる「排外主義」「外国人への規制強化」と言った論戦――。】と言う記事を見て、確かに私が1998年(平成10年)に事業開始した時は、大学・短大・専門学校・高校の新卒者の募集を掛けると、何の苦労も無く集まってきたし、仮に退職者が出ても、その為の手立てに苦労した事は無かった。

本部新館が事業開始をした2004年(平成16年)の時にも、苦労した記憶はありません。しかしながら、私は全国老施協の役員(創設したばかりの総務委員会幹事)で、東京の本部(当時は日枝神社近くのTBRビル)で役員との雑談での話題の中心が『人材確保の難しさ』と言う事で、EPAによる外国人介護福祉士候補生の導入で、インドネシアから男女2人の4人の採用から、EPAに引き続き特定技能の介護取得者の導入と留学生から職員にとの対応もしています。

大学・専門学校の介護系の実態は、学校によっては外国人留学生の方が多くを占めているとも聞いています。そんな中で外国人介護職員の導入が無くなってしまったら、大変な事態に陥ると思っています。当法人の外国人介護職員の状況を次に示していきます。

最初に紹介するのは、当法人で一番最初にEPAで来た女性は3年の経験で介護福祉士の資格を取得して、和合の施設開所に合わせる様に母国であるインドネシアに1カ月帰国して結婚式を挙げて、旦那さんを呼び寄せて10年。最初のアパートは法人側で、施設の傍にあった古いアパートの改修をして二人が住めるようにして、二人の子宝にも恵まれ、子どもが大きくなりアパートが手狭になったと言う事で、自分でアパートを探し、車の免許も取得して子どもの送り迎えをしながら、今ではフロアの責任者をしています。

また、留学生で介護福祉士の取得をして正式採用したのが4人いて、そのうちの2人はフロアの責任者をしています。そして、特定技能で採用した職員の中でも、介護福祉士の資格を取得してフロアの責任者をしている者もいます。外国人介護職員を採用する時には、居住についての対応が大切だと思うので、本部施設では1Kのアパートを敷地内に20部屋を確保して(外国の職員だけでは無く居住しています。)、部屋が不足していたので古民家を確保して改修工事をして、4人のネパール人がシェアしています。集落に出ての不安もありましたが、地元の方からは「気持ちの良い挨拶をしてくれる。」と高評価を頂いています。

人口減少に歯止めがかからない状況の中、コミュニケーションがしっかりとれるだけの日本語能力があれば、心優しい職員ばかりですから私は排除すべきではないと思っています。何事もそうなんでしょうが『是は是、非は非』での対応こそ大切だと思います。

『仕事は趣味』とは書きましたが・・・

『仕事は趣味』と格好よく書きましたが、私の生き様は「そんな単純なものでは無い」と言う事を敢えて書かせて頂きたいと思います。

26歳の時に児童養護施設指導員になった時は「私との関りの中で子ども達が生き生きと成長していく事に生きがいを持ち、公休日であっても仕事に行って、基本的には14時頃に出勤をして一人ひとりの子に合ったプリントを手作りをして16時からは小学3年生から順番に学校から帰って来た子の宿題や本読みの確認をして、18時から19時には小学1年生から高校生と夕食を共にして19時~22時までは中学生の集団学習で、その後は『マンツーマン特訓』と銘打っての個人指導を時には午前零時を過ぎても実施したりしました。その時代は「子どもの成長が私の喜び」の様な生活でした。

38歳で児童養護施設を辞し、大学等の非常勤講師をしながら、自分なりの想いを実現すべく奮闘したのですが、現実的には生活が厳しい状況になり、自分の想いを児童福祉から高齢者福祉に種別替えをして「自分が理想とする施設作り」を目指し、44歳の時に本部施設本館が事業開始をしたのが1998年5月でそれからの27年間は片時も携帯を離さず、寝ている時も3回以内のコールでの対応をして、家での晩酌は一切しない毎日にしました。その理由は「お酒が入って直ぐに動けない状況にはしたくない。」との『頑固な思い』からです。(外で飲むときは職員に任せています。)

『仕事は趣味』とは言え『辛い事』も『厳しい状況』になることも一杯あるのが現実です。でもそんな事は入居者さんにも職員にも関係のない事なので『今日一日楽しかった』の実現の為に頑張るのみ。この様にさせて貰えるのは『福祉が天職だから』いやいや『使命感』の中で精一杯生かされているから。

とにかく私が出来る事を精一杯頑張るのみと言う事でリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。今回も格好良すぎですよね。

『骨太方針2025』を閣議決定について思う

6月13日に「経済財政運営と改革の基本方針2025・・・『今日より明日はよくなる』と実感できる社会へ・・・」(骨太方針2025)の閣議決定の抜粋を改めて読みました。その中に『第3章 中長期的持続可能な経済社会の実現』の中に【医療・介護・障害福祉の公定価格の分野の賃上げ、経営の安定、離職防止、人材確保がしっかり図れるよう、コストカット型からの転換を明確に図る必要がある。このため、これまでの歳出改革を通じた保険料負担の抑制努力も継続しつつ、時期報酬改定を始めとした必要な対応において、2025年春季労使交渉における力強い賃上げの実現や、昨今の物価上昇による影響について、経営の安定や現場で働く幅広い職種の方々の賃上げに確実につなげるよう、的確に行う。このため、2024年度診療報酬改定による処遇改善。経営状況等の実態を把握・検証し、2025年末までに結論を得られるよう検討する。また、介護・障害福祉分野の職員の多職種と遜色のない処遇改善や業務負担軽減等の実現に取り込むとともに、これまでの処遇改善等の実態を把握・検証し、2025年末までに結論を得られるよう検討する。】との文面を確認した時に、「政府がここまで明確なものを提示してくれた事は有難い。」と素直に思うと共に、政府がこの様な発信をするためには、業界研究において多くの苦難と努力の結果だと思います。

介護事業所の賃金は全国平均賃金よりも月83,000円も低いと言う現実の中「やりがいはあっても生活が苦しくなっては、飛び込むことが出来ない」業界になっては良い人材の確保は難しいのが現実です。少なくても全国平均と同等を頂ける根拠を制度の中で作って貰い、より安心できる国作りの一翼を今まで以上に出来る様にしていきたいと思っています。

『仕事が趣味』の私ですから、常に入居者さんの事を考えている毎日ですが、夏バテで思考が低下していた私ですが、本日からほぼ回復しましたのでコラムにも気合が入り改めて『骨太方針』を読んでみてのものです。リピーターの皆さんからのご指摘・ご意見をお待ちしています。

夏バテと言いながら食欲が落ちたのは一日だけでした

令和7年7月16日

『夏バテ』の現象だったと思うのですが、丸一日は気持ちが悪くて食欲も無い日があったのです。気持ちが悪くても食欲が落ちたのは一日だけで、その日は『おじや』と『パン』のみだったのですが、その他の日は普通に食事を頂いて、満足がいかないと大好きな『大きなあられ』を食べようとすると、「食べても良いですが、より気持ちが悪くなってもしりませんよ。」と言われて「う~ん。痛い所を突いてくる。」と言う事で、諦めの日が続いています。本調子になるまでは「忍忍忍です。」

梅雨は解除されたと言うのに、ジメジメとした暑さは誰もが大変だと思います。EPA(経済連携協定)でインドネシアから介護福祉士候補生として来た職員に、「日本の夏は、インドネシアと比べてどうですか」と聞くと「日本はジメジメしていて、暑いです。」と答えてくれたので、「日本は過ごしにくい国なんだ。」とも思った次第です。

午前に本部施設の幹部会があり、リモートで法人顧問の烏野先生(びわこ学院大学教授)と、リアルで盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長も出席して貰って実施しました。この幹部会では『経営』と『運営』の事について真剣な話し合いがされて課題が見えてくると共に、具体的プランも見えてきました。後は実施するのみと考えています。と言う事で『夏バテ』ですが、頑張って熱い夏をクリアしていきたいと考えています。

我が家がある関ヶ原町今須は『東海3県』では無いような状況です

令和7年7月15日

昨夜の天気予報では、東海3県は雨並びに洪水に注意するようにと言う事で、特に「深夜から夜明け前までが大変な状況になる。」と言う事で『線状降水帯』に対する注意がされていましたので、寝ながらも注意をしながら朝を迎えて「厳しい状況にならずに良かった。」と胸を撫で下ろした次第です。そんな中で7時のNHKニュースを見ると、岐阜県内でも大変だった地域があったようですので一先ず安心したのですが、洪水に見舞われた地域の方々についてはお見舞い申し上げます。

さて、本題の『今須は東海3県では無い』。と言う事について語ります。確かに岐阜県は47都道府県別の面積で7番目に広いので、東西にも南北にも広いです。そんな中で、今須は岐阜県の最西部にあります。しかも県境は基本的には山の頂にあるのが基本(四国遍路でそのように思っています。)ですが、旧中仙道においては関ヶ原宿から今須宿に行くのに『峠』を越えなければいけないのです。(前にもこのコラムで書いた事があるのですが、滋賀県との県境は1mも無い小川なのであります。)ですから、環境的には滋賀県の天気予報の方がより正確なのかも知れません。だから『東海3県』とは言え、少し違った見方をしなければいけないのかも知れません。

少し話題は変わりますが、本日午前中に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)のお参りの後の全体会で『水分』の話題が出ました。「水分は最低でも1.2ℓは飲まなければいけないけれども、一気に飲んでも駄目で、少しづつ飲んだ方が体の為には良い。これは自然環境においても同じ事が言える。と言うのは一気に降った雨は表面を流れてしまうので困るばかりである。」との話をしました。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』昔の人は上手い表現をしてますよね。

コラムを書きながら思ったのは、夏バテからの完全復活になっていないので、バラバラの事を書いているなと。でもリピーターの皆さんの事だから言いたいことは理解して頂けたと思っています。

午前10時からの和合での『てるてる座』に参加させて貰って

令和7年7月14日

やや夏バテ気味だった事もあり、あまり動き回る事をせずに、入居者さんと共にてるてる座の催しを見させて貰いながら(入居者さんの様に馴染んでいます。)、入居者さんの様子を見させて貰うと、多くの方がご存じの歌は、一生懸命に口ずさんで見えるのがわかりました。またそれぞれの手にタンバリンを持ってみえる方は、曲に合わせて手を動かされていて一生懸命なのが分かり、改めて歌は人を和ませてくれると思った次第です。また、いつもの事とは言え、てるてる座のメンバーは入居者さんの為に一生懸命に握手をされたり、声掛けをされているのを見ていて、私も含めて職員が見習わなければいけない事が多くあると思った次第です。

てるてる座のメンバーが和合に来て頂けるのは、奇数月の第2月曜で、偶数月は盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)であり、本部施設は毎月来て頂いています。本部施設は20年近く継続して来て頂いています。ボランティア活動とは言え、衣装から小物作りまでして頂けるのは感謝以外にありません。和合での会が終わる段階で、進行をしていた北島部長が「本部施設のタンバリンは本格的なタンバリンなので、上手にタンバリンを叩かれますが、和合のタンバリンは中身の皮が張ってないので、振って貰うだけですね。」と言われて私は改めて「確かに本部施設の方は上手に叩かれている」と思ったので「これは和合においても本格的なタンバリンを買わないと、てるてる座の方にも失礼だ」と思ったので「早速手配をしなければ」と思ったしだいです。

しかしながら、北島部長は私の性格をよく理解しているな」とも思いました。てるてる座の企画も益々進化させて頂きたいと思っています。

本日は和合の施設で供養祭があります。

一昨年の8月に本部施設の施設長から優・悠・邑 和合の施設長に就任したので、和合での供養祭は2回目になります。

優・悠・邑 和合の事業開始が平成26年4月ですので10年余の年月で残念ながら亡くなられた入居者さんが254名で供養祭会場正面にお名前を張り出させて頂きました。

私は社会福祉法人杉和会の基盤を作った者として『世話する者、される者と言う構図ではない。お世話させて貰う者もいずれはお世話をして貰う側になる。と言う事は世話される側になった時にどのような世話をして貰いたいかを考えたものにしていきたい。』

つまり、『自分も入居したいと思える施設を目指して行く』との思いは今も全くぶれる事無く思っています。

と言う事で昨日の『疥癬撲滅』もその一貫です。

また、本日の供養祭についても『ご縁を頂いた方についてはいつまでもご縁を頂きたい』との思いです。

かつての入居者さんの家族が来て頂いて施設での生活を色んな形で語って頂ける事が最大の供養だとも思っています。

さてさて、かつての入居者さんの家族と職員とでどんな会話が飛び出すのかを準備を終えて今はワクワクしながら皆さんがおみえになるのを待っています。

和合に疥癬が出ました。

令和7年7月j12日

疥癬が出ている状況に具体的な対応が出来ていない事に「入居者さんに申し訳ない」と言う事で、2階の責任者に企画書を作成させて、本日は『疥癬撲滅大作戦』と言う事で朝から頑張りました。

本部施設が開設されて間もない頃、私には『疥癬』の知識が無くて「日本ではダニはどこにでもいるものだ」と言って、医者の指示通りの事以外何の対応もしなかった時に、疥癬が一気に広がり、いわゆる『ノルウェー疥癬』と言う状況で、職員にまで広がってから疥癬が収束するまで大変な思いをして、その時の体験から「疥癬が広がる施設は、介護の質が低い施設だ」と思った次第です。と言うのは疥癬が広がるのは掃除が行き届いていなくて、環境がしっかりと整っていないからです。そんな事を常に思っている中での疥癬の発症ですから、どのように改善していくのかと思っていたのですが、なかなか提案も出されずに、ましてやアクションが起きない状況に対して『怒り』すら覚えて、3施設合同幹部会の席で幹部職員に「待ったなしで提案して2日後には行動に移せる様にしろ」と言っての本日の『疥癬撲滅作戦』でした。

「2日後に実施する」と言っておいたにも関わらず、具体性の無い企画書であったのをより具体性のある企画書に替えて書き直し、本日を迎えました。朝の内に部屋の片づけをして、衣服はビニール袋に入れて、天気も良かったので一先ずブルーシートの上に天日干しをしました。(作業をしている段階で「こんなに多くの衣服があるんだ。」との声が職員から上がりました。)その次の段階で『バルサン』を噴霧してから、噴霧したのが部屋の外に出ない様に布テープで養生して、1時間30分後に部屋に風を通してから、床は掃除機で、ベット等は水拭きをしました。掃除機と水拭きを終えてから天日干しをした衣服を、それぞにビニール袋に入れて洗濯場に運び『疥癬撲滅作戦』を終了して、作業を手伝ってくれた職員と共に、外のベンチで、事前に準備したおにぎりとお茶で遅い昼食を頂き、全てが終了しました。

作業を実施してくれた職員は、作業を通じて色んな気づきがあったと思うので、その気づきをみんなに伝えてくれたら最高だと思っています。

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