2024年09月の記事一覧

コロナ感染症を経ての『まつり』に対する考え方

令和6年9月30日

コロナ感染症対策としてとにかく『蜜を避ける』『手洗い』『うがい』『マスクの着用』を徹底する中で、『まつり』の企画も大きく様替わりしてしまいました。とは言え当法人の「今日一日楽しかったよ」の考え方をコロナ感染症対策だからと言って180度変えてしまって「何もしない考え方では、法人の理念にそぐわない。」と言う事で『まつり』をフロア単位でそれぞれのフロアの職員が起案して実施してきました。

昨年5月にコロナ感染症が2類から5類になったとは言え、地域の方々の参加を得てのものにすることは見送っていたので今年は入居者さん、利用者さんの企画と地域の方々とに分けての祭りにすることにしました。入居者さん、利用者さんを対象にした祭りは文字通り『夏祭り』として行いました。そして、地域向けの祭りについては11月初旬に実施する予定で敬老週間も無事に終わり、これから具体的に企画を練っていきます。地元の方々も期待されているのでワクワク感のある企画を作っていきたいと思っています。社会福祉法人において『地域貢献』は当たり前にしていくことだと理解しているので頑張って実施したいと考えています。特に本部施設は26年の積み重ねがあるので地域の期待に沿える様に頑張ります。リピーターの皆さんには日程が正式に決まったらこのコラムででもお知らせしますので是非来て頂けたらとおもいます。毎回好評の1cm以上の厚みがある大きな鉄板で作り焼きそばもありますので・・・。勿論、それ以外にも一杯いっぱい・・・。

昨夜の護摩炊き供養の報告です

令和6年9月29日

彦根市内に入り高野山東福寺に行く前に、早い時間でしたが(17時)『餃子の王将』で夕食を頂き(中華そば、キムチチャーハン、餃子・・・お店に入ると食べ過ぎなくらいに注文してしまいましたが完食しました・・・。)東福寺の駐車場に入ろうとしたところ、いつもは人が立っていることが無いのですが、駐車場の手前で車を停められました。「どうしたのですか」とお聞きすると「本日の護摩炊きは外で行いますので、お寺の上の所にある道路沿いに移動して下さい。」と言われ改めて車を停めてからお寺に行きました。お寺に着いて理解したのは、先般千巻経でお世話になった滋賀信行会のメンバーの方がおおぜいみえていたので「滋賀信行会の協力を得て、外で行うのだな」と言う事で、いつもとは違い受付があり、青年会のメンバーが受付を担っていました。

受付を済ませ護摩木に願い事を書き、椅子が準備されていたので座っていると、蚊の集中攻撃を受けたので滋賀信行会の内藤会長に「蚊が元気なので早く初めて蚊がいない様にしてくれよ」等と冗談を言っていると、間もなくして住職の静慈彰さんと2人の伴僧の方がリンを叩きながら入ってみえて、護摩供養が始まりました。いつも以上に丁寧なお経があり、(蚊に刺されたのが痒くて長く感じたのかも知れませんが)いよいよ蠟燭の火からドラム缶に火が移され、燃え盛る火の中へ参拝者が護摩木にそれぞれ願い事を書いたのを入れていきます。私も法人への願い事法人に関わる皆さんの健康を、そして私自身の健康と家内安全の願いを書いた護摩木を燃え盛るドラム缶の中に1本1本願いを込めて入れさせて頂きました。

皆さんの護摩木がドラム缶に入れられる間は、不動明王さまのご真言である「のうまくさまんだ ばーざらだんせんだりまり そわか」を無心に唱えさせて頂きました。その間にドラム缶の中での火の勢いを凝視していると、龍の形になっているのを目の当たりにして「思いは通ずる」と思った次第です。昨夜の出来事を午前中に行った和合の3階のお参りに参加された入居者さんにお話しすると、真剣に聞いて頂けたのは本当に有難かったです。リピーターの皆さん、私にはこの様な形で拠り所がある事に感謝しています。

18時からの護摩供養です。

令和6年9月28日

令和3年3月から彦根にある東福寺で行われている『護摩供養』に行ける限り参加させて頂いています。東福寺は長い事無住であり、荒れ放題の寺だったのですが、平成16年の本部施設新館の各ユニットに書を書いて頂いてからご縁を頂いている静慈圓大僧正の次男の静慈彰)さんが住職としてお見えになり、文字通り荒れ寺をほとんど一人で改修され、護摩供養が出来るまでになったとの情報をたまたまインターネットで知り、参加するようになりました。

最初に参加した時は拝殿のみが何とか座れるような状態で5人も参加したら『満員御礼』(とっても失礼な表現でした。)の様な状態で住職である慈彰さんは寝るところも無くて車の中で寝ておられたと聞いています。と言う事で一か月に一回お参りに行く度に少しずつ整えられて今では客間まである立派な造りになっています。慈彰さんは本当に器用な方で大工仕事だけでなくて廊下に立派な鯉の絵を描かれたりもしています。時には駐車場の隅に石仏が寝かされていてびっくりしたりするのですが次に行くと石仏が立派に立っていて関心したりもします。

ある時住職の慈彰さんが「参加者が増えてこないし続けるのは難しい。」と言われた時に私は間髪入れずに「最初はなかなか増えないかも知れませんが続けていく中で必ず結果は出ますから。」と言ったのです。その事を護摩炊きが終わっての話の中で話をして頂きました。私も大変な時に静慈圓大僧正に手紙で弱音を吐いたときに私の為に祈って頂いて『諸障退散』『七難消滅』のお札を送って頂けたのには力を頂いたので、私も可能な限り28日には参加したいと思っています。

護摩炊きの炎は龍の頭に見えるのは私だけなのでしょうか。リピーターの皆さんはどう思われますか。

兵庫県斎藤知事に対する私見です

令和6年9月27日

本日岐阜新聞の社会面(21面)に『兵庫知事失職、出直し選へ』『パワハラ疑惑 議会解散せず』の記事を見て私自身は、マスコミは色んな事を報道していたが斎藤知事の落としどころは、出直し選の選択しかなかったんだ。だって辞職したら任期は今の残りになるんだから。しかも「解散は私の中でなかった。」と格好付けたことを言ってみえますが、「無駄なお金を使うな」と言う声にこたえただけだと思います。

尚且つ、高校生から手紙を貰って涙を浮かべたとのくだりになると「涙を流すところが違うだろうが」と私は思ってしまいます。確かに斎藤知事は兵庫県の刷新の為に汗を流されていたことまで否定するつもりはありません。しかしながら自殺者を出した事に対しての謝罪はなく、「自分は正しいことをしてきたのに何が悪い」と言う感覚は如何なものか。人の痛みが分からないで自分の痛みに寛容なのは人間性が問われるのでは無いでしょうか。

一生懸命に自分は頑張っているのだから自分は何も悪くない。では世の中は通らない。その事が分かっていないから、出直し選に出ると言う事なのだと思います。結論から言うなら「失敗体験が無い人生が生涯続く事は絶対に無い」と思うのですが。私は失敗体験の中から色んな事を学んできて今があると考えているので。

体重増からみえてきた事

優・悠・邑の本部施設にかつて103歳で入居され109歳まで生活して頂いた方がおみえになりました。その当時では岐阜県一の長寿者と言う事でしかも受け答えもしっかりした方で朗らかな性格と社交的な方だったのでテレビや新聞でもよく取材をして貰ったものです。その方は文字通り『ピンピンコロリ』で天寿を全うされました。長寿で元気だった彼女の事を私の体重増を絡めての話をします。

103歳で入居された時には末娘さんが60代後半で末娘さんの好みなのか本人の希望なのかは定かではありませんが着られる服は『赤』だったり『紫』だったりと目立つものばかりでした。その面では私も決して引けを取っていないと思っています。性格的に『おおらか』と言うのも基本的には同じです。(『基本的に』とわざわざ書いたのは『時に阿修羅になる』からです。でもこの差は大きいかも)私と彼女の大きな違いは彼女には余分な肉が付いてなくて私には「一杯いっぱい肉が付いている。」と言う事・・・。しかも、彼女は1回に食べられる量が少ないのに対して私は満足感と言うのをなかなか感じないと言うより感じた事が殆ど無い生活習慣なのであります。だから・・・。余分なものを食べないと宣言して3日です。

努力は数字に表れるもの。2日で500グラム減りました。と言う事は1日で250グラム減る計算で行くと20日で5キロ減るのか。1か月後が楽しみだと一人ほくそ笑んでいます。でもね、肉が一杯付いている人でも長寿の人はいるし、71歳でも元気に飛び回っているので良しとします。

腰が痛くてトホホなのです

昨日の朝、起きようとした時に「腰が痛くて動けない。」と言う事だったのですが、何とか1階に降りて行き我が奥様『かをり様』に「腰が痛いです。」と言うと冷めた口調で「体重が増えて限界なのでは無いですか。」と言われたので「体重がピークの時は今より2キロは多かったよ」と言うと「若い時は大丈夫でも年を重ねると堪えるのです。」とこれまた冷めた言い方をされたので「昨日、本部施設に行き、お腹の空腹感を満たそうとして、何か食べるものが無いかと言うと『かっぱえびせんがありますよ』と言うので持って来て貰ったら小袋では無くて普通サイズだったのですが、『止められない止まらないかっぱえびせん』と言う事で全部食べてしまったのが駄目だった様です。」と言うと「かっぱえびせんはカロリーが高いのです。」とのこれまた冷めた言葉が返ってきたので『売り言葉に買い言葉』ではありませんが・・・。「今日から余分なものは食べません。食事も減らして貰って構いません。」と言うとまたまた「何日続きますかね~。」とこれまた冷めた答えが返ってきました。冷めた答えが返ってくるのは仕方がない事なのであります。だって過去にも何度かこの様な会話があったので・・・。『昨日の今日』の結果ですが、今朝起きてみたら昨日の様な痛みは無いのです。と言う事は、これ以上体重を増やすと腰が痛くなるとの警告をされているのだと思うと「頑張るぞ。と豆腐の様な決意」をしていますが、ストレスが多い、または、緊張感の多い毎日の中で「何日続くのか」と自信のない言葉が出てきます。

「体重が多くてお腹が突き出ているのは職業病だ」と思ってしまう自分に「トホホ」です。リピーターの皆さん、こんな私の事をどう思われますか。

素晴らしい

令和6年9月24日

朝、和合に向けて車を走らせている時の事です。横断歩道の所に人が立っているのを確認したら、対向車のトラックが当たり前の様に横断歩道の手前で止まりました。勿論私も止まって歩行者を見届けたのですが、対向車のトラックは大手の宅配便だったのですが、マナーの良いドライバーさんだと思うと宅配便の会社自体が素晴らしい会社だと思いました。

多分、宅配で家の前で迷惑をかけている分、親切な対応をされているのだとすると、この行為は、介護事業として送迎をしているので、当施設の職員も見習うべき行為だと思った次第です。

我が家がある『今須』は涼しいです。

令和6年9月23日

我が家の道路を隔てた車庫に行く為に玄関を出ると爽やかな風が吹いていて「気持ちが良いな。」と思わず口から出ました。「そう言えば昨夜は冷房を点けなくても大丈夫だったな。」とも思った次第です。車の中は締め切っていたので『もあっ』としていたので車のエアコンは点けて車を走らせ和合の施設に着いて車から降りた瞬間に「熱い」と思って事務所に入って行き職員への挨拶は「大垣は熱いな」と言うと職員から「朝起きた時は涼しかったですよ。」と返されたので「郷土愛は素晴らしい。」と思った次第ですが、正直『今須』と『大垣』では正直2℃~3℃は温度が違うなと改めて思った次第です。とは言え昨日は『秋分の日』でお彼岸の中日。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年の彼岸入りでは涼しさを感じませんでした。だからでしょうか、彼岸入りの頃には『彼岸花』が田んぼの畔に咲き乱れる状況があるのですが今年は残念ながら『咲き乱れる』と言う事が無かったので「今年の夏は暦通りには行かなかったな。」と思った次第です。彼岸花と共に遅れているのが『蚊』の存在です。本来なら今の時期なら耳元で煩いくらいに鳴くのですが、未だ気にならない状況です。でも、涼しさを感じる事が出来る様になった今、リピーターの皆さんも蚊に刺されない様にして彼岸花で真っ赤に染まった光景を楽しんで頂けたらと思います。但し、この光景は田園風景のある所の話でした。都市部には都市部の良さがあり、地方には地方の良さがあるのだと思いますのでお互いに『住めば都』と置かれた環境を謳歌して頂ければと思います。

敬老週間最後の企画は『千巻経』です。

令和6年9月22日

9月16日の神輿行進に引き続いての笑福亭伯枝師匠による落語会に始まり、本日が敬老週間最後として『千巻経』を本部施設本館の仏間で開催しました。千巻経は平成10年の事業開始の年から毎年開催しているので、27回目の実施です。これだけ続けて行えるのは、滋賀信行会の内藤会長のご理解を頂いて、滋賀信行会の会員の方々の参加を得てのものです。今年のメンバーは、9月13日から連休を利用して殊の外熱い中を、四国巡礼の歩き団参に参加された方が中心になっての参加だと聞いています。

『千巻経』とは、参加者皆で般若心経を千巻唱えると皆さんの願いが叶うと言うものです。本部施設でのお参りですから、特別養護老人ホーム『優・悠・邑』及びデイサービスセンター『えりかの里』に関わる皆さんの幸せを願ってのものです。私が初めて滋賀信行会による四国歩き団参に参加したのは、高校2年生の夏団参からです。その頃の団参は滋賀信行会本部から長浜駅まで歩いて普通電車で大阪に出て船に乗り、高徳線で坂東と言う小さな駅で降りてと言う文字通り「これまた修行」の様な旅で、勿論全て歩いての行程だったと記憶しています。私の生き方はここから始まったと言っても過言ではありません。(それまでの私は何をするにも人任せだったように思うので。)

四国団参に参加したことにより「人の為になる事の尊さ」を知ってからは、何事にも積極的に出来る様になったと思っています。13時30分スタートの予定だったのですが、米原支部の会員の方は13時前に来て下さり、13時30分のスタート時には滋賀信行会会員の方が18名も来て下さり「本当にありがたいな」と言う事で、千巻経を始める前に家族会会長の吉田会長から米寿祝いの4人の入居者の方に賞状を手渡して貰い、改めて理事長として開会の挨拶と吉田会長からも挨拶を頂き引き続き、内藤会長から千巻経の意味をお話しして貰ってから、内藤会長の導師で初めて頂きました。

般若心経を21巻休憩なしで唱えて頂いたのですが、入居者さんも利用者さんもしっかり参加して頂けたのは凄いことだと思いました。千巻経終了後に、滋賀信行会の方は地域交流ホールに移動して貰い、施設の概略を話させて貰い無事に千巻経の企画も終え、1週間通しの敬老週間の企画を終了出来ました。改めて本部施設職員の頑張りに感謝です。

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早着替えで頑張りました。

令和6年9月21日

昨日は月1回開催している地元の方とのジョイントカラオケでした。但し、敬老週間に合わせてのジョイントカラオケと言う事で「いつもとは違うジョイントカラオケにしたい。」と言う事で、1曲目は石川さゆりさんの『天城越え』のイントロに合わせて大きな扇子で顔を隠しつつ、ジュディオングの様にはいきませんが『モドキ』の様な衣装で登場しました。

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先ずは歌い始める前にデイサービスの利用者さん、本館の入居者さん、新館の入居者さんの順に両手を拡げてのポーズをして、皆さんの笑顔を頂き、思いっきりの声で歌いました。勿論曲の合間に両手を拡げてあちこちポーズをとって歩きました。

1曲目を終えて私の持ち歌までの早着替えには地元ボランティアの高木さんと水野施設長の2曲を挟むのですが、2曲目は山崎ていじさんの『浜防風』なので「ビシッと」決めたいと言う事で、上下赤のスーツに早着替えです。勿論、山崎ていじさんの股下90cmのカッコ良さには遥かに及びませんが、インパクトのある色のスーツと言う事で利用者さんから「似合ってますよ」の声援に満足しながら「やってられないよ」の所には特に力を込めて歌う事が出来ました。

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3曲目の北島三郎さんの『函館の女』を歌う前の早着替えは、上着を着替える(金ラメの入ったおしゃれな上着)だけだったので余裕があり、カラオケのキーを2つ下げて貰っていたので、楽に歌う事が出来ました。(和「なごみ」でのような失敗をすることっもなく)

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4曲目は梅沢富美男さんの『夢芝居』だったので、本当なら花魁の姿で現れたったのですが、流石にそんな時間も準備も出来なかったので、着物を帯び無しで頑張りました。

5曲目、私も持ち歌最後は勿論、北島三郎さんの『まつり』です。この曲に合わせて和合の夏祭りで着た法被の長くて(私の背が低くて長く見えるのでは無くて、本当に長いのです。)派手なデザインのを着て登場しました。私の『十八番』(おはこ)なのですが、いつも以上に気合を入れて歌わせて頂きました。

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私が5曲で水野施設長が4曲でボランティアの高木さんは11曲(80歳を前にした方ですが凄いです。)、締めて20曲で1時間30分の長汀場でしたが、入居者さんも利用者さんもしっかり聴いて頂けたので、私たちの思いが通じたのだと思います。リピーターの皆さん、『今日一日楽しかったよ』の施設に遊びに来てください。

 

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