2024年08月の記事一覧

台風10号について

今回の台風10号は奄美地方を襲っていた時には最大風速70メートルと言う事で『風』に対する情報が多かったのですが、それ以上に話題になっているキーワードは『駆け足並みのゆっくり』であり『進路を予測し辛い』と言う事で天気予報官を悩ますと同時に鉄道の運転中止等での混乱も著しくて外出するにも判断が難しい状況があります。

昨日、愛知県東部の友人に「大丈夫ですかコール」の連絡をしたところ、「横浜に出張に来ていて新幹線が動かないので足止めにあっていて大変だ。でも、パソコンを持参していたのでホテルに籠って仕事をしています。」との事だったので、「台風が来ているのに出張とはご苦労さんです。」と返しました。

今朝も和合の施設に向かっている時に我が家を出る時には『ぽつぽつ』の雨だったのですが、関ケ原から垂井に入った時にはバケツをひっくり返すような雨になり、運転するのも大変な状況で緊張しながらハンドルを握っていました。

和合の施設の手前で激しい雨で無くなったので車から降りた時もそれほど濡れる事はありませんでした。

和合の施設で揖斐川の水位が厳しくなった時の打ち合わせをしてから、盲養護老人ホーム「優・悠・邑 和(なごみ)」の状況を確認に行くために車を走らせていて、低い土地にある道路では走るとかなり厳しい状況の中でこれまた緊張しながら走らせたのですが、そんな事はお構いなしで走る車に違和感を覚えた次第です。

盲養護老人ホーム「優・悠・邑 和(なごみ)」の確認に行くと、施設事業開始時には雨が降ると駐車場のあちこちに水道が出来ていたので心配だったのですが、その後かなり改修したこともあり、確認した段階では大丈夫でした。

今は(15時)本部施設にいるのですが、どんよりした雨雲が垂れ込んでいますが雨は降っていません。

但し、関ケ原町も大雨警報が発令されているし、台風の進路によっては台風から熱帯低気圧に変わったとしても線状降水帯が現れると本部施設と和(なごみ)の施設は土砂災害を、和合の施設は水害に留意しなければいけないので気が抜けない状態である事は間違いないので、テレビ等の情報やインターネット情報を駆使して、判断を間違いなくして対応していかなければと考えています。

先程三重県津市のお友達から「関ケ原町に警報が出ているけど大丈夫?」との連絡を頂きました。

現代社会は情報が早いので、改めて「ありがたいな」と思った次第です。

リピーターの皆さんも、台風に万全の備えをして下さい。

トンボがいっぱい飛んでいます。

令和6年8月30日

35℃以上の日が毎日続いて冷房無しでは寝られない様な毎日でしたが、突如現れた台風10号によって、天気予報は「熱い日が」から「雨が」或いは「線状降水帯が」と言うものに変わり、時速10キロから15キロと駆け足並みのスピードの台風に一喜一憂している毎日なのです。

昨日の夕方、本部施設の玄関を出るとトンボがいっぱい飛んでいるのに気が付きました。「ここまで秋が来ている。」と私らしくない(らしいのか?)叙情的な気分になりました。そして昨夜は冷房無しで眠ることが出来ました。

本日午前中は和合の施設で設備の確認(電気錠とか自動ドア)を兼ねての避難訓練があり、避難訓練終了後、本日14時30分までに本日中に振り込まなければいけないものがあり、本部施設に行き手続きをした後、取引銀行である大垣共立銀行関ケ原支店に向けて車を走らせていると、本部施設を出た時には薄日が差していたのですが旧関ケ原町内に入った途端、車の屋根に激しく打ち付ける様に雨が降ってきました。ラッキーな事に、銀行の駐車場に入った時には小降りになっていて助かったのですが、手続きを済ませて車に乗り込んだ時も雨は降っていましたが、再び本部施設に戻ると青空が見えていました。「このような現象を文字通り『ゲリラ雨』と言うのだな。」と思った次第です。

それにしても、今回の台風10号の天気予報官をも困らせてしまう台風にも困ったものです。どこかに出張で行くにしても予定が立て辛く、台風に文句を言うわけにもいかない。先般の東南海を襲った地震によって混乱して、今回の台風でも混乱して尚且つ収穫期を迎えている米農家の方のご苦労を考えると、自然災害が来て、自然の偉大さを感じないではいられません。8月24日の岐阜新聞の一面トップは「コメ価格17%高騰」には、物価の高騰は施設経営にとっても大きな問題なので「自然の神様落ち着いて下さい」とお願いする係です。リピーターの皆さんも自然の偉大さに手を合わせて頂けるとありがたいです。

岐阜新聞に連載されている「ホームレスはどこへ行った」」の特集について思う事。

令和6年8月29日

車上生活者が道の駅を夜の拠点にしている話がありました。色んな事情で路上生活になったのだとは思います。

昨日の記事の事例紹介の中で【車内には3人。うち一人は認知症がある90歳の女性で、決まって後部座席座っている。60代の義理の娘が運転し、助手席にはその夫。(中略)「家をリフォームしとるから。たまにホテルに泊まることがあるの」と義理の娘。そうした生活を、昨年10月から続けている。福祉関係者の話を総合すると、実際には一家には家がない。家賃が払えなくて、住まいを追われた。90歳の女性らの年金は入るが、金銭管理を担うのは主に、住まいがあった当時に同居していた30代の孫の男性。家を失った時点で市役所へ相談には行ったものの、孫は車を手放すのを嫌がり、市側が生活保護の受給を提案しても拒んだと言う。】との記事の中に生活保護の難しさや家族の序列によっての難しさがある様に思いました。

一つには生活保護法の考え方が硬直しているからだと思っています。つまり、「車の所有は生活保護の観点から許されない事なのかと言う事です。そこで改めて生活保護法の理念が書かれている条項である日本国憲法第25条の条文を記載します。『すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての部面について社会福祉・社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』岐阜県内の多くの地域では車がないと生活が不便なところが多くあります。それを十把一絡げ的な基準でいいのか。措置制度も同じです。『持ち家があるから措置できない』と言う基準もどの地区を基準にしているのか。基準は基準として杓子定規な対応は改めるべきでないかと思っています。

最近私がコロナ感染によって入院した時に隣のベットの方と話をしていて、基礎年金だけの生活でとても生活出来ないとの事だったので「生活保護の選択もありますよ」と言うと「車を手放すと生活できない」との言葉に返す言葉がありませんでした。また、家族の中でイニシアティブを持っている方が、他の家族に厳しい生活を強いているのであれば何とか手を差し伸べたいが、なかなか、そこにメスが入らないのには言い表せない苛立ちを覚えてしまいます。今回のコラムでは言い尽くせないのですがリピーターの皆さんに少しでの伝われば幸いです。

市場から米が消えたと言うのに

令和6年8月28日

施設の職員との会話の中で「なかなか米が手に入らないので5キロの米を3000円で手に入れました。」と言うので「おいおい、この間10キロ3500円で手配してあげたよ。」と言うと「米が無ければうどんやパンを食べますから。」との返事に「おいおい日本人ならお米を食べなければ。」と話をしていたのですが、今も市場からはお米が消えた様な状態が続いているにも関わらず、農林水産省のコメントは「新米が市場に出回れば大丈夫」的な見解を出して、政府も「国の備蓄米を拠出する段階ではない。」との見解を聞いて、私は思わず「備蓄米を拠出するなら今でしょ」と思っているのですがリピーターの皆さんはどの様にお考えになりますか。

かつての政治家さんの中には、「貧乏人は粟を食え。」の様な無茶な事を言う事は無いのでしょうが、市場に米が無い状態に対して、悠長に構えた対応で良いのかと思っています。先般のコラムで書きましたが「米不足は東京だけの問題だった。」と言って大垣の状況を聞いて驚かれている様に、政治家さんや役人さんが市場の状況を理解しないで統計上の数字のみで判断されているとすると「庶民の生活を理解していない」と言う事になる様に思います。

お医者さんが検査の結果の画面のみを見て、患者さんと向き合わない方がおみえになる様に、庶民の生活を大切にした対応にならないと辛いものがあります。台風10号は速度が時速10キロ程度と言う事で、今朝も米を提供して貰っている農家の方と話していて「収穫時期にあまりに長く稲刈りが出来ない状況は困るし、ましてや稲が倒れたり水に浸かったりして米の収穫と共に品質に影響すると困ってしまう。」との話で、2日も3日も台風に居座られたり雨が降り続けたら全国的に影響を及ぼすと大変な事になるなと思っています。

降水量が1000ミリを超すところもあるとの事。1000ミリと言えば満遍なく1メートルの雨が降るわけでその雨が一機に土砂に含まれたり川に流れ込んだりしたら「ぞっ」とします。しかし、最近の自然災害の多さは何を意味しているのかをみんなで考える時が来ているように思うのですがリピーターの皆さんはどの様に考えられますか。良ければご意見を下さい。

今回の台風10号について

8月23日に開催された当法人の理事会が始まる前に、「今回の台風は大きいと言う事だし、台風が通り過ぎるのを待って稲刈りをしなければいけない。」とたくさんの米を作られている理事の方からの話だったので「稲が倒れなければ良いですね。」と言うと「稲が倒れたとしても何とかしますよ。」と言われていたのですが、今回の台風10号は本当に進み方がゆっくりで、先週の情報だと本日27日から28日には日本を縦断するとの事だったのですが本当にゆっくりな台風なので地元でお米を作られている方もスケジュールが決められなくて困ってみえます。

台風が来る前から青空が見えていたかと思ったらザーッと雨が降ってくるし、時には雷も鳴ったりして不安定な天気が台風の通過が8月30日、31日と言う事なのでまだ3日以上鬱陶しい天気と付き合わなければいけないかと思うと「うんざりです。」

私は「うんざり」だけで済むのですが、収穫を前にした農家の方々はもっと複雑な思いで見えるのでは無いかと思います。

今回の台風で米の収穫にダメージを受けて今は農林水産省が「新米が採れれば米不足が解消されるから何ら心配する必要はない。」との報道をしていますが、今回の台風で大きなダメージを受けて「米不足が続く」と言う事になったら、米の値段が上がれば施設の経営にも影響してくるので私も言いたいです。

「台風10号よ、国民の生活が困るような事は止めて下さい。」と。

我が家の植木も早々に車庫に移動したので水まきをしないと花が枯れてしまうがね。

水不足は解消されたかも知れませんが、今度は雨が降り過ぎて土砂崩れを心配しなければいけないのも困ったものです。

この現象は日本は自然崇拝を重んじてきた国民だったのが蔑ろにする国民が増えたからなのでしょうか。

リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

昨日の大垣花火大会の報告です

令和6年8月26日

昨日は10時30分から家族会主催の誕生会があり、昼食を頂いた後は本部施設で9月16日からの1週間を『敬老週間』と決め、大阪落語の真打である笑福亭伯枝師匠を招いての『落語会』を始め、1週間を通しての催しの企画の責任者との打ち合わせをしてから和合の施設に移動して、19時30分から実施される大垣花火の施設の中での花見の打ち合わせ等をしてから、ソフトピアジャパンで開催されている「絵本物語」の案内を頂いていたのでご挨拶を兼ねて参加させて頂きました。

会場責任者の方とのご挨拶後に会場に展示してあるものを見させて頂き、最初のコーナーは文字通り、絵本の展示と共に説明がしてあるもので、懐かしく手に取って読ませて貰ったりしていたのですが、次のコーナーで『昭和から平成・令和の時代へ』があり、それぞれの時代のものの展示や説明書きがあり、絵本以上に興味を引きました。私も既に71年生きているので、私が若い頃には「明治は遠くなりました。」と言う言葉を良く聞きましたが、つくづく「昭和も遠くなってきたな。しかも私は昭和でも早い内だから、懐かしい展示物も一杯だな」と思いました。高齢者の脳の働きを良くするものに『回想法』と言うのがありますが、施設の入居者に、この展示物を見て色んな事を話して貰うだけでも素晴らしいケアの充実になるな。と思った次第です。(本題にようやく入ります。)

ソフトピアジャパンに行き地下の駐車場に車を停め「会場が何階か分からない。」と言う事で取り敢えず1階に行くと、浴衣姿の若い女性の方が大勢見えるので「こんなに早くから浴衣を着て凄いな。」と思いながら掲示物を確認すると「浴衣の着付けコーナー」と大きく書いてあり、私が目指す会場は3階である事も確認しました。

19時に和合の施設に戻り見学会場になっている2階及び3階に行くと、入居者さんの中には浴衣を着てみえる方もみえて「今や遅し」と待ち構えてみえたので、入居者さんがみえるところをウロウロしながら雑談していて「元気になられましたか。」とか「また、歌いに来てね」と言われて、私自身「もっと頑張らなければ」と入居者さんから元気を頂きました。3階の見学する所の時計が19時30分になると、入居者の方から「19時30分になったのに花火が上がらんな」との声がかかったので「その時計は2分進んでいるから、もう少し待っていてください。」と言うとほんの少しの時間が経ったら見事に立派は花火が上がりました。

花火が上がるたびに歓声があがり、改めて「皆さん花火がお好きだな」と思いました。花火が上がってからは飲み物の要求もなく一生懸命に花火が上がる方を見られていました。20時15分終了だったのですが最後はドンドンと花火が上がると共に、最後を飾る大きな花火が上がり終了しました。皆さん花火の余韻を楽しみながらお部屋に職員が誘導して無事に花火鑑賞会は終わったのですが、多くの入居者さんから、「また歌いにきてね。」と言われたのには「9月からはしっかりギアを上げて頑張らなければ」と思った次第です。

昨夜の強烈な雷と稲妻の話

令和6年8月25日

昨夜は夕食を頂いている時に雷の「ゴロゴロ」と言う音が聞こえていたのですが20時30分頃に雨が降り出し、(たいした雨ではありませんでした。)21時頃になると稲妻が鮮やかに光って本日の大垣花火の予行演習ではありませんが見事に光った瞬間に「た、ま、やーーー!」と声を掛けそうになってしまいました。雷さんが太鼓をたたいているわけではありませんが昔の人はロマンがあったのか上手いものを生み出したと改めて思いました。『稲妻(いなずま)』の言葉をインターネットで検索してみました。

そこには「稲が良く実りますようにと雷が多い今の時期にあわせて『稲妻』と言う字が当てられている。」との事です。日本は自然崇拝が基本なのでその血を受けついている私も自然崇拝は大切にしています。(例えば寸胴に大鍋で火を焚き味噌汁や餅つきの時には周りに塩とお酒を撒く事を常としています。)小さい時に「雷が鳴ると雷さんはへそを取りに来るからへそを隠せ。」と言われて、私は小さい頃ガリガリに痩せていたので『出べそ』では無かったのですが『半べそ』の様な状態だったので雷が鳴ると一生懸命に『おへそ』を手で押さえていたものです。「えっ、今ですか。リピーターの皆さんは良くご存じでしょう。

肉が盛り上がっているので肉の中にめり込んでいます。本日、昨日の雷と稲妻の話を本部施設での家族会主催の誕生会のイベントを終えて会議室で家族会の吉田会長としていて、今須は大した雨で無かったが関ケ原の町では凄く降っていたとの話が出て、週明けに来ると言われている、台風も出来るだけ逸れてくれると良いのにとの話になりましたが、どこかに逸れればどこかに被害がでるのでよくよく考えてみると自分勝手な考え方だとは思いましたが、だからこそ日本は自然崇拝を大切にしているのだとも思った次第です。

米の収穫を前に大きな台風が直撃?

令和6年8月24日

稲穂が黄金色になって、「正に収穫期直前」と言う事で、週明け25日からはあちこちでコンバインによる稲刈りが始まると思っていたのですが、来週の火曜日、水曜日に強烈な台風が来るとの天気予報に「少し西寄りになった。いやいや東寄りになった。」と一喜一憂です。以前のこのコラムで「米不足」と書きましたが、今までの米不足にこの台風が追い打ちをかけるのではないかと今から心配しています。

本部施設と和合の施設の米を供給して貰っている地元の農家さんは、「少し早い稲刈りだけれども、少しでも天気の良いうちに稲刈りをしておきたい。」と言う事で、本部施設近くの田圃の稲刈りを忙しくされています。

関ケ原町今須のお祭りは10月2日で9月半ばが稲刈りの最盛期だったのですが、最近は段々と稲刈りの時期が早くなってきて、8月後半から9月前半にされる様になってきました。早くなったのには色んな理由があろうかと思うのですが、主な理由は本州を襲う台風は1959年(私が6歳の時です。)9月26日の伊勢湾台風に象徴される様に、9月後半に台風があるので、9月半までに収穫を終えたい。との配慮からだと思いますが、今回の台風は伊勢湾台風より1か月も早いので色んな意味で大変だし、収穫にも影響があるのではないかと考えています。

米不足で諸物価が上がれば生活は厳しくなるばかりです。何とか被害が少なくなることを祈るばかりです。

有難いメールがきました。

私の8月21日付けコラムに対する評価を頂きましたので、先ずはその全文を本人の了解もなしに、あまりに嬉しかったので掲載します。【貴先生のコラムを拝見させて頂き朝のスタートを切るのが毎日の習慣になっております。さて、大僧正のお言葉は正に若山先生のために選ばれた尊い仏性の真理であろうかと恐れ多くもついつい有難く正座合掌をさせて頂きました、有難うございました。】とあり、私の方が思わず『合掌しなくては』と思った次第です。

本日は10時から本部施設において理事会が行われました。

昨日は17時に和合の施設を出て本部施設に行き理事会の資料の確認をしたのですが、私自身が12日間コロナ感染の為入院していた関係で事務的な事を任せてしまっていた反動なのか不十分な資料であった事にイラつきながらも理事長特権の様に業者さんにも協力して頂いて何とか20時過ぎには形になりました。

ほっとした瞬間に自嘲気味に思ったのは『手をぬいた事はブーメランの様にはねかえってくる』と言う事です。10時から理事会と言う事もあり、8時過ぎには本部施設に行き最終確認をして、余裕を持って理事会に挑む事が出来ました。

もし、昨日本部施設に行かなかったら、朝から大パニックになっていたと思うと「何事も余裕を持って対応することの大切さ」を改めて思った次第です。

なお、本日の理事会も無事に終え、午後からはホームページリニューアルでの理事長担当の原稿3つも書き終えて最後にコラムも書き終えました。

まだまだ頑張らなければいけない事を自覚した次第です。

米が消えた?

令和6年8月22日

昨日の会食を伴う懇談会の席で、同じテーブルの(私を含めて4人)方との話の中で「最近米がない。」と言う話題になりました。一人の方は大きな会社のオーナーの方で「新聞で騒がれているが、この辺りでは関係ないと思っていた。」と言われると、同じく女性で会社を経営されている方が「スーパーに行っても米のコーナーには米がないのです。」との話に「東京の話だと思っていた。」との話に続いてもう一人の上場企業の重役の男性が「東北の米を必要に応じて送って貰っていたんだが、最近送ることが出来ないと連絡があった。」との事だったので、「本部施設と和合の施設は、本部施設がある関ケ原町今須の米を地元の農家から購入していますが、分水嶺から流れてきた冷たくて綺麗な水で育った米で皆さん喜んで貰っています。」と話をすると共に東日本大震災の時、全国老施協でお世話になっていた公認会計士の先生から、東京には米が無いので送って貰えないかと連絡があり、我が家にストックしてあった米を送ると、今まで買っていた米は高いのに不味いことがわかった。と言われてから、ずっと送っていて、喜んで貰っています。」と話すと、3人が3人共に「一度食べてみたい。」と言う事で、昨夜の内に米を供給してもらっている、本部施設の家族会の吉田会長に連絡したのですが上手くつながらなかったので、7時に改めて連絡すると、「サンプル5キロをそれぞれに準備する。」との事だったのです。

その後しばらくすると「家に帰って嫁さんに話をすると直ぐに欲しいので午前中に嫁さんと一緒に本部施設に行きます。」との事だったので急ぎ吉田さんに連絡すると「サンプルは施設に届けたが60キロの米は明日持って行く。」との事でした。10時からの3施設合同幹部会が終了してしばらくすると、お約束通りおみえになり、奥さんの方から「娘と息子も困っているので頼みたい。」との事で、改めて日本の食卓から米が消えることは大変な事だと思うと同時に「私がは米の営業をして嬉しく感じる私がいることを誇りに思っています。

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