2024年04月の記事一覧

デイサービスの検討会が17時からあります

令和6年4月11日

全国的にデイサービスの経営は厳しくなっているので、当法人が運営している『デイサービスセンター えりかの里』も例外に漏れず厳しい状況です。しかも、当法人のデイサービスは、本部施設の事業開始(1998年)の翌年から年中無休での事業所で、介護保険が開始された2000年からは、開始時間は9時15分から(その時間までに送迎を終了させておく)15時30分までの事業と、開始時間は同じで終了が17時までの事業(終了時間から送迎です。)の2事業を行ってきました。事業を開始してからの2年間は関ケ原町との委託事業であったので、正直コスト意識を持たなくても良かったのですが、介護保険になり、コストも考えながらの運営であっても『社会福祉法人の使命』として『地域のニーズに合わせた事業』という事で展開してきました。

しかしながら、ここにきてデイサービスの赤字幅が大きくて理事会においても指摘を受ける様になり、昨年の6月から経営コンサルも導入して、コストカットによる経営の健全化を検討してきました。その検討会がコンサルの方とリモートで行われるのです。18時30分までの1時間30分のリモートによる検討会では、現在のデイサービスの不充分性が明確になると同時に、今後の進め方についてコンサルのサポートを受けながら実施していく方向性までが示されました。リモート会議を終えてから、デイサービスの参加者2人に改めてやるべき事を説明して今はコラムを打っているのですが、自分ですべき事はどうしても最後になると自嘲気味に思っています。

明日は本部施設において午前9時から業者との打ち合わせで、10時からは本部施設の主任会議で、午後からは岐阜県老施協の理事会があり、頭の切り替えをしながら頑張っていきたいと思っています。リピーターの皆さん私の事ですはありますが、褒めて貰えると嬉しいです。昔から言うでしょ「褒めて伸ばせ」と。この言葉は永遠に不滅で真理だと思っていますので・・・。

考えてみたら我が家も高齢者のみ世帯です

来週4月16日は私の奥たま『かをりさん』の66歳の誕生日です。

その日は次男夫婦と孫娘も参加して誕生会をするのですが、誕生会の事をふと考えていて「66歳と言えば高齢者の仲間入りで奥たまも高齢者の仲間入りをしているんだ。本来であれば昨年気が付くべきだった。」と思った次第です。私は来月16日に71歳になるので当然の事ながら『高齢者』ですから、夫婦のみの家族で二人共『高齢者』ですから文字通り『高齢者のみ世帯』になるわけです。

平成4年に児童養護施設を退職して、個別指導だけでは若山家の生活は火の車だったので児童施設の拠点を造るべく(情緒障害児短期治療施設)奔走して土地の確保(親戚の方が20000㎡を無償提供する確約を頂いていました。)をしたうえで建設計画としてパーツまで作成してその当時の岐阜県児童家庭課に持ち込んだのですが、「若山さんの思いは理解出来るが児童施設はこれから少なくても10年は造らない。」との回答を得て、思いっ切りの挫折を味わいながら沈んだ時期(3カ月程)を経て、中部地方でその当時福祉の中心者であった吉田宏岳先生(社会福祉法人杉和会設立時の筆頭理事)からのアドバイスで高齢者施設の立ち上げを決意しました。

そして一番最初に行った事は関ケ原町の高齢者実態調査でした。その当時も私は関ケ原町内に住んではいましたが、殆ど町内での活動をしていなかったので町内の民生委員児童委員の方にアンケートの依頼を1軒1軒していくのも苦労しましたが、どの民生委員児童委員の方も心良く引き受けて下さり、その集計については吉田宏岳先生の言葉添えで大学等の教科書を手掛けられている(私もいくつか執筆させて頂きました)出版社の社長にして頂きました。今から30年近く前の事ですがその集計結果でも、独居の高齢者も高齢者のみ世帯の方も多くみえました。その頃の私は40台前半で自分の問題として捉える事は出来ませんでしたが、44歳の時に法人認可を頂き、45歳の時に本館の事業を開始してから、がむしゃらに25年が経過していく中で本部施設に新館を建設して、大垣市に和合の施設を垂井に盲養護老人ホームの事業開始をして200人近くの職員を抱えるまでになりました。

リピーターの皆さん、私は決して欲得で施設を造ってきたのでは有りません。地域に必要だと考えたから頑張って来たのです。気が付けば『高齢者のみ世帯』です。しかしながら頑張れる限りは頑張りたいと考えていますので健康に留意してこれからも地域の為に頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

4月20日のカウントダウンが始まっています

令和6年4月9日

「4月20日のカウントダウンとはどう言う事」と思われるリピーターの皆さんの為に敢えて説明をさせて頂きます。その日は『聖はじめ一座』が和合に来演して下さる日です。聖はじめ一座のショーは既に本部施設で実施して、聖さんの歌や小春さんの歌に合わせて花魁の踊りがあり、ベリーダンスもあり、極めつけは2人の花魁とドレスで着飾った男子職員を従えて『ひろ奴』(別名『不気味奴』)の『花魁道中』が繰り広げられたのです。

その聖はじめ一座のショーを和合の施設で実施するのが4月20日なのであります。本部施設での『ひろ奴』のお披露目の時は初めての本格的化粧を小春さんに仕上げて貰いかなり舞い上がってしまっていたので、今度はもう少し余裕を持って楽しみたいと思っているからです。今から、体型を細くすることもでかい顔を小さくする事も出来ないのですが、2回目の花魁への変身ですから『不気味奴』ではなく『ぽっちゃり可愛奴』くらいになれば良いなと考えると4月20日までのカウントダウンがドキドキワクワクと言う事なのであります。

本部施設でのドレスは水野係長と伊藤係長が帯同してくれたのですが、さてさて和合の施設ではだれがドレスを着てくれるのかと思っていたのですが「案ずるより産むがやすし」と言う事で本日午後からの2階のカラオケを実施している時にカラオケを手伝ってくれた職員に「花魁道中の時にドレスを着ないか」と投げ掛けると「やってみたい」との返事を貰ったので「入居者さんが喜んでくれるのなら頑張ってドレスを着よう」と思っていてくれていると思うと本当に嬉しくなりました。勿論一人では駄目なので、複数の職員に声を掛けて何人かにドレスを着て貰いたいので明日も声掛けをしていきたいと思います。万が一「僕もやります」と言う職員が沢山になったら・・・。嬉しい悲鳴になると嬉しいのですが。リピーターの皆さんのなかで「見たい」と言う方があれば先着5名様で・・・。そんな奇特なリピーターの方はいないか。決して無理強いはしませんけど・・・。

朝食を6時30分(正確には6時40分)に食べて出掛けました。

令和6年4月8日

岐阜県庁健康福祉部次長へご挨拶に行く予定を立てていて、県庁受付前に8時45分に岐阜県老施協役員と待ち合わせをしていたので、ローカルな話しですが、大垣まではそれなりに走れても橋を渡って瑞穂市に入ると考えられないくらいの渋滞にはまるといけないのでと言う事で、タイトルの通り6時30分(正確に言うと6時40分)に朝食をとり、スーツに着替えて7時10分に家を出ました。家を出て到着時間を確認すると8時5分には到着するとの事なので、「時間があればスマホでコラムを打って時間調整をすれば良いかな。」と思い出発しました。私の予想していた「大垣までは順調」と言うわけにはいかず、垂井の交差点で若干渋滞したので、到着時間は8時10分になったのですが、その後は再び順調に走れたのです。瑞穂市内(旧巣南町)に入ってもそれなりに走れたのですが、ナビの表示ではもう少し行ったところからの道が真っ赤になっていたので覚悟はしていたのですが旧穂積町に入った所でパタッと車の流れが停まってしまい、牛歩の如くになってしまい、県庁の手前まで行ってようやくスムーズに動き出しました。

結局8時5分の到着が8時30分になったのでスムーズに走れる時よりは25分も余分にかかりましたが『想定内』の所要時間で、待ち合わせ場所の受付前には一番乗りで着いたので迷惑を掛ける事は無かったので良かったのですが、コラムを書く様な余裕はありませんでした。本日は県庁での挨拶を終えてからの(言うべき事、お願いする事はしっかり話させて頂きました。)10時30分から岐阜県老施協の常任理事会があったので岐阜県福祉会館に移動して役員が揃うのを待って定刻の時間に会議を始めました。

新年度になっての初めての会議だったので検討すべき課題が多くて12時の終了予定を15分オーバーしました。その後本部に着くとボランティア集団『てるてる座』の方々がみえていたのでご挨拶をした後急いで昼食を食べて、書類の整理をしていると第一興商の方がカラオケの買い替えの契約にみえて話をしていると『てるてる座』のおおとりを私がする事になっていたので「男と女 東京25時』のイントロが鳴りだしたので慌てて地域交流スペースに行き気持ちよく歌わせて貰い、てるてる座の皆さんにお礼を言っての大車輪でした。毎日が充実している事に感謝です。だって、病気や怪我をしたら走り回る事が出来ないのだからとしみじみ思っています。明日も全力で頑張ぞとの思いでいますのでリピーターの皆さん明日もよろしくお願いします。

本日日曜日の天気は3日前までは悪いと言われていたのですが

令和6年4月7日

関ケ原周辺は何処に行っても桜・さくら・サクラで、3日前までは本部施設の花見は雨に祟られると思っていたのですが、昨日の夕食時の天気予報では『快晴』との事。正直「どういう事」と思うと共に「企画する職員の心掛けが良いからか」と思うと「願いは通じる」と言う事なのでしょうか。5時30分にカーテンを開けて外を見ると『快晴』と言う事で私の心も踊っています。

3日前に心身共に活力をつけようと大切にとっておいた(埼玉県の偉い先生から送って頂いたものです。)『獺祭』(純米大吟醸 磨き2割3分)の包を開けてビールグラス2杯を飲み「これは美味い。大切に飲もう。」と考えていたのですが昨日の関ケ原診療所での血液検査で「お酒は控えた方が良いですよ。」と言われたので「家で飲むのは止めて外でのお酒のみにする。」と奥たま『かをり』に宣言すると「外では飲むのですか」と言われたので私は即座に「平成17年に一時ゴルフを始めたて面白さが分かってきた翌年の8月に全国老人福祉施設協議会の総務委員会の幹事として役員になり、役員になった限りは半端な事はしたくない。

と言う事ですっぱりゴルフを止めて外でのお酒を飲めないなら、何を楽しみにしたら良いのか」と言う事で、折角美味しく飲もうと思っていた『獺祭』ですが、「飲まない」と宣言したばかりで挫折するわけにはいかないし「丁度良い機会」と言う事で殆ど残っている1升瓶を本部施設の花見で活用する為に抱えて本部施設に持ってきました。10時から開始で職員が準備していて、お汁粉にパンを浮かべたものとポップコーンの試食をさせて頂き、あと5分で開始時間なので今カラオケから音楽が流れてきました。

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これから会場に行きます。「ワクワクワクワク。」(この報告は後程にします。)10時に会場に行くと既に多くの入居者さんがおみえになり、食パンを焼いて小さくしたのをお餅の代替えにした『ぜんざい』と『ポップコーン』と『かっぱえびせん』等々のお菓子が準備してあり、そこに私が『獺祭』の一升瓶を抱えて乱入して、一段と盛り上がり、お酒のお好きな方に紙コップに注いで、注ぎながら私も一言二言三言と声を掛け一通り飲める方に注いだのですが、2杯目3杯目の希望があり、大忙しの中でカラオケも「王将」「北の漁場」「浜防風」と歌わせて頂き、あっと言う間の1時間でした。それぞれに良い笑顔を頂いたので私も幸せな気分を味わう事が出来ました。

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【余談です】獺祭が残ったら吉田副施設長にプレゼントする事になっていたのですが、三分の二は振る舞ったのですが、吉田副施設長は昨日は宿直だったので、家に帰って美味しく飲んでくれるものと思っています。

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桜以外でも春を感じています。

令和6年4月6日

本日は10時の約束で大野町の法人の理事長に会いに行くのですが、運転をしていると、どこを走っていると桜が綺麗に咲いていて、正に春爛漫と言う感じです。昨日のコラムで桜の木を切った事を書きましたが、その時に疑問を持った事を書かなかったのでここで書く事にします。それは例年だったら本部施設本館北側の川辺りのソメイヨシノが咲いてから新館南側の川辺りの枝垂れ桜が咲くのですが今年は枝垂れ桜の方が先に満開を迎えたのです。そう言えばいつもはこの辺りの桜が散り始めた頃に咲く根尾の淡墨桜が既に咲いているとの情報を得ました。

これも異常気象のなせる技なのかと思っています。大野町への往復の運転中に感じたのはバイクが多く走っているなと言う事とオープンカーで走っている車が増えたなと言う事です。バイクが増えたのもオープンカーが増えたのも暖かくなってきたから。但しオープンカーは快適かも知れませんが花粉症の方だったら大変だ等と要らぬお節介と言われそうな事を思ってしまいました。本日は14時15分の予約で関ヶ原診療所の定期受診があるので今は血液検査を済ませて主治医の診察を待ちながら待合室でコラムを打ちながら待っています。スマホでコラムを打てる様になったので時間を有効に使えています。

診察が早く終わったら本部施設のデイサービスの花見に乱入したいと考えています。私が植えた桜の苗木が26年経過して立派な花を咲かせたのを利用者と一緒に見ることが出来るのは嬉しいものがあります。もしもまだ花見をしている時間に帰れたら和合の施設で上手く歌えるようになった村田英雄さんの王将を歌いたいと考えています・・・。残念ながら本部施設に戻ると片付けが始まっていたので、本日の『王将』のデビューは叶いませんでしたが、またの機会は何度もあるとおもいますので次回を楽しみにします。

昨年8月から和合に籍を置き「私が出来る事で入居者さんとの接点を持つには」との考えのなかで『お参り』と『カラオケ』を精力的にしていく中で選曲が随分変わってきた中で村田英雄さんの王将にも出会いました。自分で言うのも如何なものかと思いますが「聞き惚れています・・・。」そんな性格になったからこそ思いっ切り声を出せているのだと思います。多分このコラムを読んでいて私の唯一の姉春子さん(久々の登場ですが)はきっと、「音痴で人見知りの激しかっ宏が、変われば変わったもんだ。」と言っているのが聞こえそうです。4つも年上の姉春子さんは「お兄さん元気」と言われて喜んでいるのも私にとっては驚きなのですが・・・。

 

朝一で本部施設の桜の木を切りました。

朝一で本部施設の桜の木を切りました。

 

桜の木を切るのは駄目だと言われていますが敢えて切りました。理由は2つです。1つには近々施設の奥の所に岐阜県の予算で砂防ダムを作って下さるので大型ダンプが通って桜の枝を折ってしまう事が考えられるので、その前に邪魔になりそうな枝を切っておいた方が良いのではとの理由。2つ目には和合の花見が本日からで花見外出に参加出来ない入居者さんに少しでも花見の雰囲気を感じて貰いたいとの理由からです。正直たくさん枝を切りました。とは言え枝を切ってくれたのは水野係長なのですが・・・。本部施設の枝なのですが殆ど和合に持っていき3フロアに飾って貰いましたか。3階のフロアでは入居者さんの中で華道の師範の方がおみえになるので活けて貰ったとの報告を聞き「持って来たかいがあったと思った次第です。

私が枝を持って和合の施設に行った時に北島部長が花見に行く為の準備をしていたので、入居者さんが車椅子用のリフトの昇降の手伝いをさせて貰いました。第1班の入居者さんは4人だったのですが(本日は4グループ)久しぶりの外出での花見と言う事で、それぞれに良いお顔をされていて、軽口も出ていたので、「この企画は正解だった。」と思った次第です。

枝を水野係長に切って貰っている時に私は社会福祉法人杉和会の先代理事長(義父)が他界される前に病院へ入院されていた時にも桜の枝を頂いて病室に届けて花瓶に入れてベットの中から見て貰った時に喜んで貰った事を思い出していました。私の自己満足であったかも知れませんが「花見に行けないけど、何とか桜の花を見て貰って喜んで貰いたい。」との気持ちを義父は受け取ってくれたと思っています。今回の枝切りも同じような気持ちでした。と言うのは本部施設には本館の建設をして頂いていたタイミングで岐阜県から桜の苗木を頂きました。その苗木を1本1本私は植えさせて頂きました。その当時は「こんなに間隔を開けて大丈夫だろうか。」と思っていたのが、今では間隔が狭い位に立派になっています。それから10年程経過して新館の川べりに家族会の方々によって枝垂れ桜を植えて頂きそれも今では立派に花を咲かせています。そこで改めて思ったのは生みの母秋江さんの遺言である「蒔かぬ種は生えぬ」でした。桜の木の大きさは施設も頑張ってきた証しだと思うと考え深いものがあります。和合でお参り(2階)とカラオケ(3階)を終えて16時からリモートでの会議があると言う事で本部施設に帰ってきたら、明日からの予定だったデイサービスの花見を1日前倒しで実施して大変喜んでいただけたと言う事で、もう一つ満足した次第です。リピーターの皆さん関ケ原の本部施設の桜は最高の見頃を迎えています。良かったら見に来て下さい。ちなみに入場料はいりません・・・。当たり前か。

2018年8月24日から連続更新していますが・・・。

連続更新しているコラムの話です。

5年7カ月以上毎日更新出来ているのに自分ながら感心感動しています。私は小学生の夏休みの日記すらまともに書けなかった私だからなおさらです。連続更新をする様になったのは、ホームページの充実を理事長として提唱している以上率先垂範する事が大切だと考えたのと、私のコラムのリピーターだと言う方が増えて来たことによります。

時には誤字や意味不明の文章であっても肝要な気持ちで読んで頂いている事にも感謝です。勿論、意味不明のコラムであっても私の言いたいことを理解して頂いているからこそ続けて見て頂けているものと思っています。

但し、最近は少し時間に余裕が無くて「短くて端的なものにしたい。」と弱気になる事がしばしばだったのですが、ホームページのリニューアルを法人としてする事になり、プレゼンテーションを実施して業者が決まって打ち合わせをしていく中で『理事長コラム』の重要性を再認識した事により、改めて頑張って書かなければと考えています。

多分私の計算が合っているなら2050回連続更新と言う事なのですが、振り返ってみるに「よくも2050回も毎日書くネタがあったものだ。」としみじみ思っています。時には実名で書いてひんしゅくを買った事もありましたが、とにかく書き続けるだけの『ネタ』がある生き方に自分自身『自画自賛』です。

正直ネタ探しに苦慮した事もありますが「書かなければいけない。」と言う使命感の中「これは」と言うネタに出会った時に今は通信が出来なくなった(ガラケーの番号をスマホにしたため)ガラケーの携帯でメモをして、時間を見つけてはコラムを書く様にしています。

但し、最近は時間を見つけることが出来なくて、仕事を終えてから書く事が多くなり負担を感じていたのですが、思いを新たにしてコラムの更新を頑張りたいと思っています。

GTO PART2

令和6年4月3日

『GTO PART2』と言いながらも反町隆史からの関連からのコラムです。GTOとは「グレート ティチャー オニズカ(鬼塚)」の略なのですが、教師役の『過激版』と言う事なのでしょうが、教師役の『ほんわか版』と言えば水谷豊さんが主役をされていた言わずと知れた『熱中時代』と言う事になるのですが、二人の教師役の共通点は水谷豊さんの長寿番組『相棒』と言う事になります。

リピーターの皆さんの中でご存じないといけないのでお断りしておきますが主役の水谷豊さんの相棒役を7年も務められたのが反町隆史さんなので不思議な縁を持たれていると思います。水谷豊さんが熱中時代をされていた時は私が25歳で神戸北小学校の4年3組の担任をしていた時で熱中時代の水谷豊さんが3年生の担任役で番組の中で「フィーバー」を起こしているのと変わらない様な先生をしていたのを思い出してしまいました。

役者さんは与えられた役柄に沿った演技をされて感情移入をされるのだと思うのですが私は芝居ではなくてそのまんまだったのですから45年前とは言え「良くも良くもあんな事がよく出来たものだ。」と自分の事ながら思っています。私の場合はぶっつけ本番で1回限りの事ですから「常に真剣勝負」と言う生き方だったのだと思います。但し、周りの方々にはかなりご迷惑をかけたと思います。その事は『GTO リターンズ』を見てしみじみ感じました。(気付くのが遅すぎると言われても仕方が無いのですが)だって、半グレ集団を一人でやっつけて生徒を救出するなどはありえない。

でも私も火中の栗を拾う事は数えきれないくらいにあった様に思います。火中の栗を拾うのは決して自分の為では無くて『組織の為』『相手の為』なのであります。正直「腹を括る」様な状況に置かれた事も数えきれないほどありましたが今も頑張れているのだから「まっ、良いか」と言う事で。でも言っておきますが植木等さんの歌われていた『スーダラ節』的な事ではありませんから。勿論植木等さんも役柄としてやられていたのですから・・・。悪しからず。

昨夜は夜ふかししました。

令和6年4月2日

夜更かしと言っても22時40分までですから、夜ふかしと言うほどではないのですが、最近の私にしては夜ふかしなのでをあります。何で遅くなったかというと、夕食の時に私の奥様かをり様が「21時からGTOがあるよ」と言われて「とても23時近くまで起きているのは無理だから、ビデオで録画をしておこう。」とセットはしたものの、21時になりチャンネルを合わせると21時ぴったりに番組が始まり、かつて聴いていた懐かしい音楽が聞こえて来たので「少しだけ見よう」と眠い目を擦りながら見ていると、だんだん目が冴えて来て結局最後まで見てしまったので、番組が終了したのは22時40分。番組が終了したので寝る体制に入ったのですが、なかなか寝付けなくて23時過ぎに寝た様に思います。

GTOの番組が最初に放送されたのは1998年と言う事ですが、その頃の私は本部施設が事業開始をしたばかりで、テレビを見る余裕など全く無くて、多分再放送で見たのだと思いますが、ネットで調べたところ1998年放送と言う事は26年前の番組ですから、主役の反町隆史は現在50歳と言う事なので当時24歳だったわけですが、26年経過したにも関わらず全く変わらない役柄でされているのには感動もんでした。そしてその頃高校生役で出演されていた窪塚洋介さん、小栗旬さん、池田博之さん、山崎裕太さんが、26年後の教え子として出演されていても、全然違和感が無いのにも驚くばかりです。最も驚いたのは、松嶋奈々子さんが主役の『鬼塚英吉』の奥さん役で、正直26年前と変わらない美貌でいたのも「凄い」の言葉以外出てきません。

私は知らなかったのですが、インターネット情報でGTOで共演したのが縁で本当の夫婦になっていたのには時代遅れだと言われても、これまた「凄い」ことだと思いました。夫婦共に26年前と変わらないで、役柄も変わらないでテレビの画面に出ているのを見て、これまた「凄い」です。

私は70歳ですから、26年前と言えば本部施設の事業開始で、自分自身にも借り入れもあったので施設長として慣れない職員集団の為に昼夜を問わず飛び回ると共に、先代理事長と共に市町村回りと、大学の非常勤と家庭教師と大車輪でしたが、今は職員の頑張りもあり、少し落ち着いた生活になった為か、体型は随分変わってしまいました・・・。確かに体型は変わりましたが情熱は変わらないので全力でこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも応援宜しくお願いします

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