2024年02月の記事一覧

2度ある事は3度ある

令和6年2月19日

本来「昨日から介護保険崩壊について執筆します。」と声高らかに宣言したにも関わらず、その関連については「最後に少しだけ書きます。」と言う事でタイトルにある「2度ある事は3度ある」について書くことにします。

昨日は午前中は和合の施設での対応をしてから、本部施設に移動して、地元のボランティアの藤下の高木さんとのジョイントカラオケをしてから、事務所の奥にある施設長室で決済等をしていて、五次副施設長に立替分のお金のやり取りがあり、財布や鍵等を持ち歩く為のショルダーバッグをいつもとは違い施設長室に持ち込んでいたのです。その後、事務所でコラムをパソコンで打ち込んでいた時に、水野施設長が施設長室の鍵をしてから帰った事は理解していました。そして、コラムを打ち終えて帰ろうとして、いつも事務所の机の右下に置いてあるはずのショルダーバックが無いのです。そこで、事務所にいる職員を巻き込んでショルダーバッグの捜索が始まりました。皆で頑張って探して貰っても無いのです。そこで落ち着いて考えるに「施設長室に置いてあるかも知れない。」と結論を出しました。ショルダーバッグが施設長室に入っているとしたら、車の鍵は無いと言う事で「家に帰れない」と言う事で、水野施設長に何度も連絡してもつながらない。「早く帰りたいのに」と言う事で丁度帰ろうとしていた吉田副施設長に家まで乗せて貰う事にしました。

そして朝を迎えて施設に電話して、今度も吉田副施設長に迎えに来て貰いました。99%施設長室に置いてあるとは思うのですが、水野施設長に施設長室を開けて貰い机の上にあったショルダーバッグを確認するまで正直不安でした。

そして本日、13時30分から岐阜県福祉会館で健康福祉部浅井次長さん、高齢福祉課長さんとそれぞれの担当係長さんに来て頂いての岐阜県老施協正副会長委員長との懇談会があり、2時間、目一杯の懇談会を終え「16時に本部施設で看護師さんの面接を予定していたので急いで帰らなければ」と、先般パサーダに置いて来た(忘れて来た)かごを西川先生持って来てくれたので、それを右手に持って私の車が置いてある所に行き、いつもだと車に近づいただけで鍵が開くのに開かないのです。何度試しても駄目で、ハタと気が付いたのは「鍵や財布が入っているショルダーバッグを会議室に置いて来た。」と言う事に気が付き慌てて会議室まで戻って事なきを得ました。昔から言いますよね。「2度ある事は3度ある。」明日はどんな形でショルダーバッグのトラブルを起こすのやら・・・。

さて、週刊東洋経済「介護保険崩壊」について少しだけ述べます。本日の懇談会でも大きく取り上げられたのは、『介護人材不足』です。そこで私は「2月17日付の週刊東洋現代で30ページ以上の特集が組まれていました。その中で一番訴えたい事は、人材不足が介護保険崩壊を招くと言う事でした。と言う事は今から準備すべき事の援助を岐阜県としてお願いしたい。」と述べさせて頂きました。一日に色んな役割がありその切り替えをしていると、自分の事が疎かになるのか。ショルダーバッグに気を付けて明日は頑張りたいと考えています。

2月17日付け、週刊東洋経済「介護異次元崩壊」の記事から

令和6年2月18日

33ページにも及ぶ特集なので、とても一回のコラムでは語り尽くせませんので、何回かに分けて執筆させて頂きます。尚、昨日の岐阜新聞朝刊で「ホームレスは、どこへ行った。―岐阜の現場から―」の連載が始まりました。と言う事は高齢者対策が 今後の問題としてクローズアップされてきていると言う事なのでしょうか。私も我が事として考えないといけないかと思うと、しっかりとした考え方でコメントしていきたいと思います。

最初のページには、『訪問介護』のヘルパーさんの高年齢化にストップがかからない状況が書かれていましたが、取り敢えず40ページ~41ページの「22人に1人だけで特養は崖っぷち」―綱渡り状態の過酷な夜勤体制。介護職員への重圧は大きい。」とのタイトルに私は確かにそうだ。特別養護老人ホームの入居が要介護1から出来た時には、介護に対する比重が少なかった方も一定量おみえになり、コールされる方もセンサー対応をしなければいけない方も少なかった様に思う。2015年から重度の要介護3以上の人しか入居出来なくなった事により、特に夜勤対応が厳しくなった事は間違いない。入居基準が要介護3以上になった段階で職員の配置基準が見直されることも無く改正されたのは理解に苦しみます。それどころか内閣府の規制改革推進会議では入居者3人に対して介護職員、看護職員の人員配置を4対1に減らす事まで検討された経過があります。これは、全く実態を理解していない暴論であり流石に3対1のままではありますが、政府は完全に4対1の考え方を諦めたわけではありません。

確かに介護職員の人材不足は訪問介護だけの問題ではなくて、介護事業全般の問題です。人口動態調査において、75歳以上の後期高齢者の数は2040年に向けて加速度的に増えていき、反比例するように就労人口は減って行き、訪問介護の訪問介護員のみならず高齢化が進んで行く事は目にみえています。

もう少し具体的な話をします。先般、岐阜県高齢者安心策定会議に参加されていた、介護養成校代表の委員から「養成校へ入学する生徒の数は年々減少していき、外国人留学生の入学でクラスを存続させているのが現状です。」との話を聞くまでもなく、日本人の新規採用者が新人として採用出来る事が年々難しくなっているのが現実です。要介護者と就労者のアンバランスを改善しなければ益々厳しい状況が続き、事業の存続が出来ない自体になる恐れすらあります。職員を増員したくても採用する新卒者がいなくて、尚且つ動員する資金も無い状況になったら八方塞の状態になってしまいます。確かにロボット・ICT化を進めて行き業務の効率化を進めていくことも大切ですし、その様な方向性も大切です。しかしながら、抜本的に就労人口を増やす施策を具体的に進めて行かなければと思うのですが、正直私自身も妙案は浮かんできません。仮に妙案が確立されたとしてもその成果が見えて来るのは少なくとも30年後だと思います。

やはり「失われた30年」と言う事なのでしょうか。今の状況の中では正直外国人に頼るしか方法がない。だとしたら、もう少し外国人の就労にお金がかからない様にして、外国人介護職のスキルを上げる為に国も力を入れて行くべきではないかと考えています。勿論当法人においても努力はしていきますが国をあげての施策が望まれているのではないでしょうか。

与えられた役割に全力で向き合えるのが幸せです

令和6年2月17日

一昨日(2月15日)に昨年11月30日の全国大会岐阜大会の分科会の事例発表の優秀作品7事例の中から最優秀賞を選ぶ審査を動画でさせて頂きました。正直どの発表も素晴らしかったです。複数の審査員が選ばれているのは、それぞれの立場で「考え方の違いがあるから」だと思っています。最優秀賞を選ぶ審査員に選ばれた事を有り難く思うと共に責任の重さを感じています。

昨日も岐阜県高齢者安心策定委員会の委員として参加させて頂き、来期からの高齢者安心策定計画の方向性を決める大切な会議に参加させて頂き、岐阜県としての考え方を聞き、その提案を基にして修正を加える委員の立場である事に対して自分の与えられた立場の中でしっかりと意見が言える事に対して感謝しています。私は岐阜県老人福祉施設協議会を代表しての立場ですから、今最も提案していかなければいけないのは、要介護者の安心を守る為に介護人材の量の確保と質の向上をするために何を提案すべきかと言う事だと考えて発言させて頂きました。

高齢者安心策定委員会での発言は担当課を通じて県議会にも上程され政策に反映されます。と言う事で責任の重さを感じずにはいられません。また、今は能登を中心に大きな被害があった施設等への支援にも力を入れています。災害はいつ、どこで発生するかはわかりません。今回は能登を中心にしたものでしたが、本部施設と和(なごみ)の施設は山崩れ、和合の施設は洪水の被害が想定されます。「災害を我が事」として考えて文字通り「共助」の考え方で災害派遣の隊員を精力的に集めて要請があればいつでも派遣出来る体制を私は岐阜県老人福祉施設協議会会長の立場でリーダーシップをとり頑張って行きたいと考えています。

私がこの様に頑張らせて頂けるのは、特養老人ホーム及びデイサービス事業を始めさせて頂き入居者さん利用者さんの笑顔を頂けるからだと思います。先般本部施設のフロア責任者会議において、3施設でそれぞれにカラオケをさせて貰いますが施設によって歌う曲は違います。と話をしました。つまり、入居者さん利用者さんの笑顔を見て選曲をしているからと言う事です。私が今を元気に飛び回れているのは皆さんの笑顔を頂けているからだと改めて思っています。

特に昨年8月から和合の施設の施設長に就任して入居者の笑顔こそ大切だと確信したからです。明日は本部施設において地元のボランティアの高木さんとジョイントカラオケなので本部施設の入居者さんが喜んで頂ける曲の選曲をしました。余談ですが明日のコラムの予告をします。と言うのは、全国老施協議会の監事を長くして頂いた宮内先生からメールがきて2月17日付けの週刊東洋経済に介護保険の特集がしてあるので目を通された方が良いですよとの事で早速本屋さんで購入したので読んだ上でコメントします。東洋経済は辛辣な記事を書く傾向があるのでしっかりと読み解きたいと考えています。

今(17時50分)になって、急激にお腹が空いてきました。

令和6年2月16日

昨日のコラムで書きましたが、本日も朝起きたらお腹の腫れがやや治まったもののまだ違和感があったので、大食漢の私が今朝の朝食はパン1個と牛乳1杯だけにしました。

本日は10時に岐阜県老施協前会長の施設に、パサーダの西川先生の車で行く事になっていて、和合の施設に迎えにきてくれる事になっていたので、家を8時に出て途中で手土産を買って、和合の施設に行き西川先生を待っていると9時ジャストに来て下さり、直ぐに井上会長の施設に向かい10時丁度に施設に着き、井上会長の政治連盟に対する意見を聞き、話の流れの中で岐阜県選挙管理委員会で指示を仰いだ方が良いとの結論になり、11時15分と言う時間で「お昼の休憩時間前に着きたい」と言う事で急いで井上会長の施設を退席して岐阜県庁の受付をしたのが11時58分。「13時まで待つように」と言われるのを覚悟して受付から連絡して貰ったら「今すぐ7階まで来て下さい。」との対応に感謝しつつ7階までエレベーターで行くと、エレベーター前で担当の方が待っていて下さり会議室まで案内して下さったので、「本当に有難い対応だ。」と思いながら、相談の趣旨を私の方から話させて頂き、書類の書き方もしっかり教えて頂きました。

その後14時から岐阜県高齢者安心策定会議が水産会館(岐阜県庁の向かいにあります。)であるので和合の施設まで西川先生に送って貰い、直ぐに水産会館に向かいました。少しは時間に余裕があるので食事をしようかとも思いましたが、お腹が空いた状態ではなかったのですが「少しは食べなくては」と思いコンビニでパン1個と牛乳パックの一番小さいのを買い、岐阜県庁の駐車場で食べてから会議会場まで歩いて行きました。13時30分には会議会場の受付を済ませたので、一番乗りだったのです。早過ぎるとは思ったのですが、本日の資料が当日渡しだったので事前に少しでも目を通しておきたいと思ったからです。車の中で食べたパンと牛乳は違和感なく治まってくれたのでホッとしながら、14時からの会議に挑みました。

委員の皆さんはそれぞれにお立場のある方ばかりなのですが、事務局の説明を聞いた後は質問の時間になり、先ずは座長の飯尾中部学院大学学部長さんから質問され、その後を受けて私が質問をさせて頂きました。会議は15時40分には終了して、委員さんや県の次長さん以下の方々に挨拶をしてから本部施設に向けて車を走らせました。運転をしている時に無性にお腹が空いてきたので「これでお腹の調子は良くなった。」と思い、本部施設に着いて食べ物を探していたら水野施設長から「ここで無茶食いをしては駄目です。」と言われ「忍忍」と言う事で今(18時45分)でコラムを打ち終えたら家に帰るのですが、お風呂に入ってからの夕食は「軽く軽く」して、本当に体調が万全になった時に美味しいものを食べれるのを頭に浮かべて我慢します。

絶、不調です。

昨日は関ヶ原町の会議として「介護保険策定会議」と「関ヶ原診療所運営委員会」の2つがあり、私は両方の委員を勤めているので13時から16時30分まで会議に参加しました。どちらの会議でもしっかりと意見を言わせて頂きました。但し、和合の施設の一階で入居者の皆さんとお参りをしているときからお腹が張っているのが気になり昼食はきしめんのみ食べて会議に挑んだのですが、会議中もお腹の張りが気になり、会議終了後は家に帰らせて貰い、パジャマに着替えて横になりました。19時にお風呂にだけ入り、少しの牛乳と胃腸薬を飲み夕食は食べずに寝る事にしました。明日の朝には治まっていれば良いのですが・・・。

残念ながら朝になってもお腹の張りは変わらず全く食欲は無く、昨日の夕食に続き、朝食も昼食も食べないで本日は一日頑張りました。お腹の調子が悪かったのですが全国老施協の全国大会岐阜大会の各分科会の優秀作品の中から最優秀作品を決める為の審査員として動画を見ながら評価をする役割の締め切りが近いと言う事で8時前に本部施設に行きメールで届いている動画を開けようとしても動画が重たい為かなかなか開かずに各発表の3事例の評価をした段階で10時からのフロア責任者会議になり、慌てて会議室に行き、11時30分までしっかり会議に挑み、「昼食を取らないのなら、せめて1発表だけでも見ておこう。」と言う事で、何とか1事例を評価して、慌てて岐阜県福祉会館に向け出掛けました。

と言うのは岐阜県DWATが平成29年に設立されて初めてのチーム編成をして石川県金沢市にある1.5避難所に向けて出発する出発式に健康福祉部の次長さんも参加されると聞いているのと岐阜県老施協の会員施設の職員も参加するので会長として参加させて頂く為です。13時30分から福祉会館玄関前でセレモニーがあり隊員たちを激励して14時前に隊員たちは出発しました。その時に児童養護施設の代表の方もみえたので挨拶をして名刺交換をすると、私の名刺を見て素っ頓狂の声を出されたので「?」と思うと「若山先生ですか。雰囲気が全く変わられていたので分からなかったのですがお会い出来て嬉しいです。」と言ってから、「写真を撮らせて下さい。」と言われたので写真を撮って貰いながら私は『32年振りかな』と声掛けをしました。(とってもテンションが上がりました。)その後慌てて和合の施設に行き、幹部会に挑みました。

16時に終了して再び本部施設に向かい審査の残りを評価すると共に今(19時10分)にコラムも打ち終えました。食事を取らない分休憩もなかったので本当に中味の多い一日でした。なお、夕食までは控えていきたいと思っています。

 

朝から面接をしました。

令和6年2月14日

当法人には外国人介護士の方もたくさんいますが今回は初めてミヤンマー人の面接をリモートにて実施しました。いつもいつも外国人の面接をする度に思うことは日本語の習得が素晴らしいと感じます。もちろん日本語が出来なければ入居者さんとのコミュニケーションが取れないので介護士としての仕事は出来ないのですが、本当に驚かせられます。

 

介護保険料の改正について思うこと。

 

本日13時から関ヶ原町介護保険策定委員会があった中で介護保険料の制度改正によって収入によって支払い額が9段階になっていたのが3段階までの低所得の方は安くなり、4段階から9段階の方は変わらず10段階から13段階の新しい段階が出来てこの段階の方は年間に支払う金額が高くなるのです。このシステムは高齢者であっても収入が多い方は支払いが多くなると言う事です。私は収入に余裕が有る方が多く負担するのは良い事だと思います。ところが、そのシステムが理解できない方がおみえになるのです。そんな方の中には「俺は元気で介護保険料を払うばかりで損をしている。」と言われる方がいるのです。私は「元気で働いているから支払いが出来るんでしょ。」と言いたいのです。健康だから頑張れる。「互助の精神は大切だし、そうでなければ誰もが幸せになる事は出来ない。」とも思います。「世話する者、世話される者の構図ではない」社会を構築していくのが大切だと考えています。

深夜にコラムを書いてます。

令和6年2月13日

只今午前1時49分。ひと眠りをして目が冴えていて時間が勿体無いので夜が明けて10時からの3施設合同幹部会議の来年度の方向性を決める骨子について考えています。夜中に考えている事は通常だと霧の中に消えてしまうのですが、私はガラケーの携帯に打って記憶が消えないようにしています。先ずは根本的理念の変更です。設立当初は「すべてに優(やさ)しく、いつも悠(ゆとり)ある、やすらぎの邑(ばしょ)でありたい。」から「邑(ばしょ)を実現します。」に変えたのですが、今の現状は「場所を実現します。」にはなっていないと思うので元に戻すのが良いのか或いは「場所であり続けたい。」に変更すべきかと悩んでいます。もちろん、夜が明けてからの幹部会で検討するので理事長として提案をして行くことになると思います。「言葉は力なり。」と思うので頑張って検討していきたいと考えています。

朝起きた時には眠りが浅かった事もあり頭が重かったのですが、10時からの3施設合同幹部会では私の思いをしっかり話しをさせて貰ってから、幹部職員の意見を聞きました。その中で「理事長が方向を示して貰った事に 対して邁進していきますので、4月からの変更について示して下さい。」との結論になったのでもう少し時間をかけて結論を出して示していきたいと考えています。その他にはホームページのリニューアルをどのようなコンセプトで構築していくのかと言う事での検討をしました。その中でホームページを見てもらう方の焦点化が必要だと言う事で先ずは人材確保に力点を置いたものにして、検索しやすいシンプルなものにしていきたいとの方向性を打ち出しました。

また、その事にリンクするよう給与に付加するものについても検討しました。私が理事長として一人で考えていた時には出てこなかったアイデアも多く出して貰ったので、集約をしてインパクトがある形に整理したいと考えています。午前中の会議に時間がかかり、慌てて昼食を食べてから和合に行き、2階のフロアでカラオケを実施して、終了後は和(なごみ)に移動して古いピアノを頂いたのがリニューアル出来たので搬入作業を確認してからまたまた本部施設に移動して外国人材の登録機関との打ち合わせをしました。但し、登録機関の方が関ヶ原駅で降りられてタクシーが無くて約束の時間より遅かったのですが色んな話をしていて、19時を過ぎたので私の車で関ヶ原駅まで送りバタバタの一日が終わり今は21時になりましたと言う事はめちゃめちゃ長い時間をかけてコラムが書けました。リピーターの皆さん。こんな日も有りますよと言う事で。

白と黒、三寒四温、てるてる座のボランティア

令和6年2月12日

白と黒

「白」とは我が家の猫「おもち」であり、「黒」(正確にはミケ)とは「まる」の事です。童謡に「猫は炬燵で丸くなる。」の通り、いつも日の当たるところで寝ているのですが、ある時両方の猫が日の当たるところで寝ていたので、それぞれの体を触ってみると、白い方の「おもち」は冷たいままでしたが、黒い方の「まる」は温かくなっているのです。と言う事は白いのは比較的温かい所で生活しているのかと考えていて、「だとすると、ホッキョクグマは氷の所で生活しているぞ」と考えると「絶対」と言う事は無いのだと思った次第です。

白黒

三寒四温

今朝は屋根が薄っすらと雪で白くなりました。1月24日に関ケ原はゲリラ雪(ドカ雪)に見舞われましたが、アッと言う間に雪は解けてしまいました。本日は2月12日でその間も温かかったり、寒かったりと言う事ですが、3月1日からの東大寺のお水取りを境にして「春が来る」と言う事ですが、リピーターの皆さん間違いなく三寒四温で春に向かっています。私は小さい頃は冬場は『霜焼け』で両手両足がボンボンになる程に腫れて真っ赤になったので「冬場は嫌い」と思っていたのですが、高校2年生の冬からは一切霜焼けになっていないので、寒い冬も暑い冬も嫌いでは無いのです。だから、健康でいられるのだと思います。但し、30歳に結婚した時は50キロ位だった体重が、今は半俵の米を担いでいるような体重に自分でも驚くばかりなのですが、風邪もひかずにいられると言う事は「ベストの体重」だと豪語して自分自身で慰めているのですが、食事を美味しく食べれて健康なので大丈夫だと考えています。

てるてる座のボランティア

本日午前は和(なごみ)の施設で、午後は本部施設でのショーがあったのですが、午前の和(なごみ)の施設では挨拶だけして急遽和合の施設に行ったので、午後の本部施設でのショーのみに参加させて貰ったのですが、本部施設の入居者さん利用者さんの笑顔は素晴らしいものがあると改めて思いましたし、最後に歌に合わせてのタンバリンの動きは感動もんでした。ショーが終わってからてるてるの方と話をしている時に「どの施設よりも乗りが良いので楽しい。」とまで言って頂けました。これは25年の蓄積の賜物と思っています。

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しっかりとデイサービスの在り方について検討しました。

昨年6月から「トラピ」と言うコンサル会社にデイサービス「えりかの里」の今後の方向性や現状の改善点についてのコンサルをお願いしていて、本日は年度が変わってからの事業展開について、トラピの3人の方に本部施設施設まで来ていただき11時から15時過ぎまで話し合いを持ちました。えりかの 里の伊藤係長、谷田主任と水野施設長に理事長である私を加えて総勢7名での検討会です。

最初に理事長である私から今の現状と今後への方向性について語り、トラピの責任者である鎌田さん、計画立案者の山崎さん、そして、実際の指導に当たって貰っている斎藤さんにも適時指摘をして貰いながら進めて行きました。話しに熱が入り、気が付けば13時を回っていたので、今須唯一の喫茶店に電話をして、皆さんにランチを予約して効率よく時間の節約をして昼食を食べて貰いました。

ランチの内容が充実していたのを、大阪、東京、福岡とそれぞれから来ていただいた三人三様に内容を誉めて貰いながら「田舎は物価が安いのでお値打ち何です。」と話をして、再び本部施設に戻りました。

昼食後は理事長である私と水野施設長は会議に加わらず2人の職員の意見がしっかりと出るように配慮しました。デイサービス事業経営は全国的に厳しい状況がある中ではありますが、地域のニーズに応えながらも効率性を求めて行く必要性を理解した展開になるようにしていくように、最終的な方向性については2月末を目途にして、断続的に決めて行くことに決まりました。もちろん「決めて終わり」と言う事ではありません。決めた事を利用者さんとその家族に理解して頂ける様に努めていかなければいけないし、地域の理解を得ていかなければいけないので単純な作業では有りませんが本日の話し合いで行くべき方向性は見えて来たと思います。地域のニーズに応えつつも経営の視点も理解した展開でなければ行けません。

最近よく耳にする「持続可能な」展開をしていかないと「職員に霞を食べて頑張れ」と言うわけにはいきません。「えりかの里へ行くのが楽しみだ」と言って頂ける様に職員一同で頑張っていかなければいけない。そのためには職員の処遇も良くしていかなければいけないし、職員のスキルも上げていかなければいけない。やるべき事は山積みですが一つひとつクリアしていきたいと考えています。

リピーターの皆さん素敵なアイデアを宜しくお願い致します。

我が家の2匹の猫について語ります。

令和6年2月10日

20年頑張って生きてくれた我が家で初めての飼い猫「リット」が亡くなり、真っ白な「おもち」が我が家にやってきて、少し我が家が明るくなったのですが、ある日奥様かをり様が玄関の戸を開けた瞬間に家出をした時の奥様は真っ暗な状態が続き(但し、我が家に戻る半年の間に奥様はなかなかやろうとしなかった足の手術が出来たので結果往来なのですが)「限界だ」とのタイミングで飼い猫第一号のリットにそっくりの「まる」が我が家に来て、尚且つ半年近くみつからなかっなかった「おもち」がインターネット情報で「そっくりな猫が掲載されています。」との情報を得て、保護していただいていた家に受け取りに行ってから、我が家には2匹の猫がいるのです。2匹になった当初はお互いに警戒していて、あとから飼いだした「まる」が先住猫の様に振る舞っていて私的には「まるは可愛くない。」と思っていました。最も「おもち」も私には警戒心を持ったままですが。昨夜2階の自室に行く途中で「おもち」だけが寝ていたので「チュールをあげて仲良くなろう。」とチュールを持って来て、椅子に腰かけてチュールを「おもち」にあげようかと思ったら「まる」が忍者の如く私の前に現れたのです。私は仕方なく「まる」からチュールをあげる事にしました。半分くらい「まる」にあげてから「おもち」を見ると大人しく座って待っていたので、残り半分を「おもち」にあげました。その時「まる」も大人しくしていたので、このような状況ならこれからもチュールを2匹共にあげる事が出来るなと思った次第です。そして本日は朝から仲良く重なる様に寝ていたので、私は「ようやく若山家の住猫になれたな。」と思った次第です。2匹共に仲良く長生きをしてくれたらと思いましたし、これからもチュールを機会ある毎にあげたいと思います。と言うのは、チュールをあげるときだけ2匹共に大人しいので・・・。

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「朝から気分が良い事がありました。」

 

8時に家を出て和合の施設に向かっている時に垂井から大垣市に入る交差点の信号が赤だったので車を停めると右折するために停まっていたバスがあり、最後尾に座っていた子が私に向かって手を振っているように見えたので私も一生懸命に手を振るとガラス窓の曇りを手で綺麗にしてまたまた手を振ってくれたのです。そして、バスのガラス窓を開けてくれたのです。その時に信号が青に変わり車が動きだした時に私も車の窓ガラスをあけて「バイバイ」と言うと小学高学年くらいの女子だったと思うのですが「バイバイ」と手を振って応えてくれました。私にとっては爽やかな出来事でした。見知らぬ子がめっちゃ身近な存在になり爽やかな気分になった次第です。

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