2023年09月の記事一覧

和合の施設で突然だったのですがカラオケをしました。

令和5年9月10日

1階の利用者さんにご挨拶をしてから2階に上がって各入居者さんにご挨拶をしている時に、入居者さんの中で「立派なお腹やね」と言われた事に私は敏感に反応して「このお腹は歌を歌う時にお腹一杯に声を出した方が上手に歌えるからなんです。」と言ってから、「今のサブちゃんより上手いです。」とぬけぬけと答えると、入居者さんの方から「だったらカラオケ聞きたい。」との事だったのでフロアにいた職員に断りを入れてから事務所前に置いてあるカラオケの機械を2階に運び、カラオケが出来る様にセットしていると、2階の職員も協力してくれてギャラリーが出来ました。「一気に盛り上げたい。」との思いで、「サブちゃんより上手い」と言った手前「18番中の18番の北の漁場を歌おう。」と言う事で頑張って歌いました。

マイクが良かったのか私が上手だったのかはわかりませんが、ギャラリーの皆さんがしっかり聴いて頂いている事がわかったし、手拍子をして頂いている方も多くみえましたし、リズムに合わせて指揮を取る様に聞いて頂いている方がみえたりして、いきなり私自身絶好調になり、2曲目は18番中の17番の鳥羽一郎さんの『兄弟船』を、これも気持ちよく歌わせて頂きました。その後も「あと1曲、あと1曲」と調子に乗って歌わせて頂いたのですが、2階のフロア全部に響くような歌い方だった為か、急遽駆け付けて下さる方もあり、ギャラリーへの参加が増えていきました。自分で言うのも変ですが、入居者さんの表情が豊かになった様に思いました。

最後の曲は松村和子さんの「帰って来いよ」の替え歌で「桃から生まれた桃太郎」「まさかり担いだ金太郎」「亀に乗ってる浦島太郎」の繰り返しを歌っていると、口ずさんで下さる方が多くみえて楽しそうにされていたので、7曲歌い終わってから「カラオケに呼んで頂けたら喜んで飛んできます。いやいや飛んでは来れませんが、時間が合えば喜んできますので宜しくお願いします。」と言うと、自然と皆さんから拍手が頂けたのには私自身が幸せな気分になりました。

1階の事務所に戻ろうとすると遅出の職員が出勤してきたので、「今度はカラオケでデュエットしようね」と軽口を叩くと「私カラオケだめです」と困った様に言われたので「私は小さい頃音痴だったけど回数こなせば上手になるよ。」等と話をしました。まだまだ和合の施設長としては新米ですが、私が出来る事を頑張ってやっていきたいと考えています。

本格的に朝のお参りとお墓参りをしました。

令和5年9月9日

9月4日で合宿を終えて、「翌日から朝のお参りを復活させなければ」と考えていたのですが5日、6日とはアラームが鳴っても起きる事が出来なくて7日の日に何とかのたうち回りながら起きたのが5時30分だったので仏間でのお参りは無しにしてお墓参りには何とか行く事が出来、8日の日には仏間でのお参りもお墓参りも出来たのですが、お水を持って行けずとの体たらくでした。しかしながら本日は4時25分のアラームで神棚と仏壇のお水替えをして、神棚での祈り、七福神での祈りとお仏壇でのお経を終えて玄関先で靴を履き、リュックサックを背負って出発しようとしてリュックサックのペットボトルの水が空っぽだった事に気が付き再び台所まで行き8本のペットボトルに水を入れてようやく家を出ました。

外に出ると秋らしい空気に変わっていることに気が付きしゃんとしていなかった体がシャキッとして完全復活のギアが入りました。と言う事で本日は爽やかに歩く事が出来て、幸福地蔵菩薩様の花立に水をさし、幸福地蔵菩薩様にもしっかり抱き付きお願い事もしっかり出来ました。国道21号線、東海道本線下のトンネル内では「南無大師遍照金剛」をそれぞれに2回づつ大きな声で唱える事が出来てトンネル内に響き渡って、ますます気合いが入りました。

本堂では護摩木に「心願成就   今須門前    若山宏」と書かせて頂きました。お経を唱えているとご住職が本堂にみえたようなのですが、私の存在に気が付かれた為か本尊様の後ろ側に回られたので「凄いご配慮だ。」と思いつつお経を唱えさせて頂きました。引き続き今須稲荷に行き、ここでも一生懸命に願いを込めて祈らせて貰い、かしわ手を打った後で『気』を入れると素直に空に向かって届いた様に感じられますますテンションが上がりました。

3仏様(観音菩薩様、毘沙門天様、不動明王様)ではそれぞれの湯飲みに水を入れさせて頂き、「久しぶりで ごめんなさい。」と手を合わせました。3仏様の左手向こうに2つのお社があり6段上がり「久しぶりにお水を替えさせて頂きます。」とつぶやいて、花立の花が枯れているのが気になったのでリュックサックから広告の紙を取り出し、花を半分に折り、広告紙に包んでリュックサックに入れて家に持って帰る事にしたのですが、あまりに花立が汚れていたので水道場に行き綺麗にさせて貰いました。花立ても綺麗になり気分も良くなって、手を合わせた後に『気』を入れるとこれまた天まで届いた様に感じました。

その後に関ヶ原与市のお墓でも久しぶりに10体の小さい石仏と関ヶ原与市のお墓にしっかりと水をかける事が出来ました。次に無縁仏の中央にいる地蔵菩薩様のお姿を見ると前掛けはされているものの帽子をかぶられていないので階段を登って確認に行くと帽子がかなり 飛ばされていたので最初は金剛杖で少しずつ手前に引き寄せていたのですが途中から上手くいかなくなったので、無縁仏様の上に体を乗せて何とか帽子を引き寄せる事が出来たので帽子をしっかりかぶせさせて頂きました。

階段から下りて帽子の確認をするとしっかりかぶれていたので、改めてご真言を唱え、続いて常在不滅之塔の所に行くと六地蔵様が仲良く寝てみえたのは何となく微笑ましいと思ったのですが「寝させておくのならばせめて枕を頭の下に敷いて欲しいな。」と思いました。六地蔵様は何の文句も言われないとは思いますが・・・。

最後に若山家のお墓に行き久しぶりに我が家の水をお供えする事が出来ました。いつも以上に気合を入れてお墓参りが出来たのでリピーターの皆さん「完全復活」と言う事で明日からも頑張りたいと思います。

 

素晴らしい講演会でした

令和5年9月8日

昨日13時30分から岐阜県図書館において岐阜県主催による「認知症講演会及び岐阜県認知症希望大使委嘱式」が開催され、若年性認知症の方の講演会と言う事で興味があったので私も一般申し込みをしておいたのですが、主管されている岐阜県高齢福祉課長さんが前日に電話を下さり「若山宏さんと言う名前が参加者リストにあったのですが、会長と同姓同名の方がおみえになるのですか。」との連絡だったので「私自身、興味があったので申し込みをしたのですが。」と言うと「会長さん自らが申し込みをして頂いたのなら、受付で名前を言ってもらえば、係りの者が指定席に案内しますし、7月から厚労省より出向された新任の健康福祉部長にもお会いして頂ける様にしますので、宜しくお願い致します。」との事で「色んな意味で配慮して頂けるのは有難いけど、少し窮屈だな。」と思った次第です。

昨日は13時30分からの開始だったのですが、「健康福祉部長にご挨拶をさせて頂けるのならば早く行かなければ。」と言う事でナビを頼りに行ったのですが、13時には岐阜県図書館に以外と早く着いたので、余裕を持って受付か出来、係りの方に最前列に案内して頂くと、高齢福祉課長さんが迎えて下さり、新任の健康福祉部長さんを紹介頂き名刺交換をすると共に、当法人のパンフレットと11月29日、30日に岐阜で開催される全国老人福祉施設協議会岐阜大会の開催要項もお渡ししました。

13時30分に予定通り始まり、開会の挨拶を高齢福祉課長さんがされた後、新岐阜県認知症希望大使の委嘱状交付を健康福祉部長から手渡され、13時50分から「認知症とともに笑顔で生きる~聞こえますか、認知症当事者の声~」との演題で、講師はおれんじドア代表・国認知症本人大使「希望大使」の丹野 智文氏の講演を聞きました。講師の丹野氏は39歳の時にアルツハイマーによる若年性認知症と診断されて10年になられるとの事です。講演では元気な声で生き生きと話されるのは凄い事だと思うと共に、アルツハイマーと診断された時には、目の前が真っ暗になられた事は39歳の働き盛りの時ですから、当然な事だと思います。但しお話を聞く中で丹野氏を取り巻く環境が良かった為に、仕事の内容は変わっても(営業職から事務職に)会社を辞めなくて良かったのは幸運の持ち主だと思いました。また、周りの人の配慮も素晴らしいものがあり、正に『共生社会』と言う事か。勿論さり気無くお話をされていましたが、記憶を失くした時への工夫をされての生活の姿を理解する中で、丹野氏は稀な方だと思いました。つまり「苦労を苦労と思わない性格」であったが為に、講演の端々に自信の漲った話し方がじんじんと伝わってきました。私もどちらかと言うと人並み以上に稀有な生き方なので全く生き方は違うが親しみを覚えた次第です。

 

事前に教えて頂いていたので大丈夫でしたが

3週間の合宿の後の2日間は実行出来なかったのですが、本日から4時25分のアラームからの平常の生活に戻ることが出来ました。

仏間でのお参りを終えて外に出て「正に秋じゃ」と思いながら軽やかに幸福地蔵菩薩様に行くと、帽子と前掛けが新しくなっていたのは良かったのですが「笠がない。」と言う事だったのですが、これまた以前の様に幸福地蔵菩薩様に抱き付きながらお願いしていて幸福地蔵菩薩様の背中をさすろうとしたら笠が背中に有りました。

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「夏は帽子だけで良いので、雪の時期になったら傘をかぶって頂いたら大丈夫と言う事か」と安心しました。

本堂に行きお参りをしようとすると線香立てにお線香が一本立っていたので、感謝と共にお経に気合いが入りました。

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その後に今須稲荷、三仏(観音様、毘沙門天様、不動明王様)関ヶ原与市の墓とお参りして行くと「六地蔵様の社が無い。」とわかったのですが、デイサービスの運転手さんから合宿中に「六地蔵様がなくなっていますよ。」と聞いていたので「何処かに移築してあるはずだ。と余裕を持って確認することが出来ました。そして常在不滅之塔の所に建物が有り、六地蔵様はその横に寝てみえました。「何らかの理由で場所が移動したのやな。」と思った次第です。

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もしも、事前に聞いていなければきっと私の事だから頭が真っ白になった事だと思いますのでここでも「情報が命」と改めて思った次第です。リピーターの皆さんもネットワークを大切にして下さい。

なお只今18時25分ですが19時から岐阜県庁で感染症対策連携会議があるので、会議終了後にコラムを書く気力は無いと思うので、若干短いですがこれにて県庁に移動します。

疲れが出ているのか、それとも・・・

3週間の本部施設ゲストルームに泊まり込んでの朝5時からの5ヶ所での挨拶とお参りからの合宿が終了して、畳に薄い敷き布団にタオルケットをお腹に乗せるだけの夜具だけの生活から我が家でのベッドの生活に戻り、起きあがる時に「よっこらしょ。」がない生活になり、「人間は楽を覚えると際限がない。甘える生活が堕落させる。」と言うことで自らを律しようとしても我が家に帰って律しきれていない我が身に「情けないけど少しくらいは良いよね」と勝手に決め込んでいます。「明日からは頑張るぞ」は「明日からでは頑張れない。」を実践していて今は5時50分なのにベッドに横になりながらコラムを打っている体たらくです。但し、体調も戻りつつある今は「明日からは4時25分からのアラームで起きて、我が家での仏間での祈りから妙応寺経由の我が家へのペットボトルに我が家の水を持参してのお墓参りを復活させ様と考えています。これぞ正しく「有言実行が私の真骨頂」と勝手に自画自賛している私です。わけのわからない話にリピーターの皆さんをお付き合いさせてしまいすみません。取り敢えず本日は7時の朝食からスタートさせて頑張ります。さてさて、本日はどんなわくわくがあるのか、この後の事は後程と言う事で、宜しくお願い致します。今は本部施設に戻りと言うかお邪魔してというかでコラムを打っています。朝は7時からの朝食をとり、洗濯が出来た物を2階に運ぶ私の役割を終えてからスーツに着替えて8時30分からの和合の朝の申し送りに間に合う様に家を出ました。ところが車を運転しているとバケツをひっくり返す様な雨が降ってきて思うようには走れなくてそう言う時だからか国道21号線に入る為の交差点では3信号も待つ事になりましたが、何とか申し送りには間に合いました。申し送りを終えてから書類の確認をしていると空気清浄機の故障の報告が2階と3階から出ていたので夜勤責任者に案内をして貰い確認をして直ぐに業者への連絡をしました。その後、購入伺いの書類を見ていて購入の仕方に無駄がある様に思ったので早速事務係長に状況を確認して、今後の進め方について指示を出しました。気が付いた事については間髪入れずに対応することで効果があると思うからです。職員の出勤に合わせて極力話をしたいと考えて実践しているのですが、なかなか全員に満面無く行う事が出来ていませんが、出来るだけ速やかに実施していきたいと考えています。10時から岐阜県老人福祉施設協議会事務局(岐阜県福祉会館)で外国人材の会社の方の挨拶を事務局長と共に受ける事になっていたので、目一杯の対応をして福祉会館に向け車を走らせました。運転中に突然凄まじい雨に襲われる事がありましたが10時10分前に事務局入りができ、お客様がおみえになり、全国老人福祉施設協議会の事、岐阜県老人福祉施設協議会の事や11月29日と11月30日開催の全国大会についてもしっかり話をさせて頂きました。昨日はあまりに待ち時間があるとの事で出来なかった理髪を本部施設に戻る前にして、さっぱりしてから本部施設行き、遅い昼食(ゲンキーでパンと牛乳を購入)を頂き、銀行に行って医療機構への返済手続きを取り、ついでの様に支店長との打ち合わせをして、本部施設に再び戻りコラムの原稿の仕上げに取り掛かっています。リピーターの皆さん秋への移行時期なのか不純な日々が続きますので、お互いに健康には留意していきましょう。

ゆっくりは出来ない様になっています

令和5年9月5日

21時過ぎに久しぶり(3週間ぶり)に自分のベッドに横になりました。直ぐには寝るのがもったいないと考えて合宿中に録画した今話題沸騰の(多分)日曜日21時からの「VIVANT」を見ることにしました。(久しぶりに朝寝を決め込んだからです。)本当は眠いはずなのにあまりにも展開が次々に変わって次へ次へと見てしまい、気が付けば22時20分。「これから寝ても6時30分に起きるのなら大丈夫」と思い眠りにつきました。

いつもの事ながら「予定は未定で決定ではない。」と言う事で午前3時51分に和合の夜勤責任者から連絡があり、血尿がでて病院に受診した方が「薬を出して様子を見て下さい。」と言われて施設に帰って来られた方が急変して家族からは「何かあれば救急で対応して下さい。」と言われていて、「家族の方は病院で待っています。」との事で、夜中の対応になりました。本部施設、和合の施設、和(なごみ)の施設で200人からのお世話をさせて頂いているわけですから、なかなか『平安之福』とばかりにはいかないのを常と思っています。

楽しいひと時を過ごして頂ければ元気で寿命も延ばして貰えるのではないかと考え、本部施設では9月10日からの1週間を『敬老週間』として、「今日一日楽しかったよ」をより充実させていきたいと考えています。具体的には『千巻経』(滋賀信行会の協力で、家族会も共催※「般若心経を皆さんで千巻唱えます)『笑福亭伯枝師匠(関西落語に真打で6代目笑福亭松鶴の弟子)の落語会』『てるてる座の敬老会』『フロアイベント』『バラ湯』『杉の湯』など一週間を通して開催されます。勿論、和合の施設でも、和(なごみ)の施設でもそれぞれの趣向で開催されます。

職員が企画の段階でワクワクする企画にする事によって入居者さんにいつも以上の楽しみを味わって貰える様にしたいと考えています。その様にすることによって、生き生きとした生活を送って頂く事により、職員の対応も良くなっていくと考えています。施設がより良くなるために頑張って行きますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

合宿生活3週間が終了します

令和5年9月4日

今朝5時からのお参り5ヶ所で、それぞれのフロアで「毎朝の皆さんとのお参りを3週間続けて、本日が最後の日になりました。お参りに参加して頂く方もだんだん増えてきたのは本当に有難いことです。しかし、今回は3週間と決めての事でしたので一先ず、今回のお参りは今日を最後にします。しかし皆さんとの朝のお参りについて、これからも1週間に1回は実施していきたいと考えていますので、これからも宜しくお願いします。」と各フロアでお話をさせて頂きました。お参りを終えての感想を職員に聞くと、「いつも朝起きてくるのが遅かった方が早くにデイルームに来て、理事長がおみえになるのを待っていました。」との話を聞くと、私がお参りに回っていたのが業務の省力化に寄与していたのだと思うと、これからも頑張って実施しなければと思った次第です。

また、体調が優れず自室にこもってみえた方の部屋に言って暫く話し込む日が続いた方が、私と話をしている事によって、本日は元気に話をして頂けたのも業務の省力化に寄与したと思っています。但しこのケースは家族との連携が上手く行った事も大きかったと考えています。

本日は午前中は和合の施設に行き、午後からは13時30分からの岐阜県老人福祉施設協議会常任理事会があり、11月29日、30日の全国老人福祉施設協議会の全国大会岐阜大会の計画遂行の為の話合いが長引き、フォーラムホテルでの地元の国会議員の国政報告会が16時30分からだったので急ぎ移動して何とか受付に間に合いました。報告会の後は懇親会もあり、懇親会が始まってからは、同じテーブルの方に名刺交換をしたり、地元の町長さん等にご挨拶に行ったりしました。特に成果があがったと思うのは、西濃圏域の県会議員にご挨拶をして物価高騰に対する県の補助金についてのお願いが出来た事は、10年以上に渡って岐阜県老人福祉施設協議会の会長をしている事で出来た事かなと思っています。懇親会を終えて本部施設に戻り、本日は全く書けなかった今(20時20分)パソコンの画面を見ながら頑張って書いています。本日の懇談会のおり、かつて施設建設のおりお世話になった方から「コラム毎日読んでいるので理事長さんのご様子が分かります。癌も克服されたようで良かったですね。」と声を掛けられました。この様に声を掛けられると「まだまだ続けなければと勇気が湧いてきます。」と言う事で、これからも頑張ってコラムを書きますのでこれからもよろしくお願いします。

訪問介護220ヵ所休廃止の記事がトップに

本日の岐阜新聞一面トップ記事です。サブタイトルが「収支悪化 5年で13%減」でした。休廃止の大きな理由が「ヘルパーの高齢化や人手不足、事業の収支悪化などが響いている。」とのコメントがあった。どの業界も人手不足が言われている昨今において、若者が就職の門戸を開かないのには『訪問介護に魅力を感じない。』と言うのがある。政府は「住み慣れた地域で最期まで暮らせるように」と言う理念を掲げるが、厳しい現実が浮き彫りになった。」と言っている。ところが「民間を含めた訪問介護事業所は全国的には近年、微増している。首都圏などでのニーズの高まりが要因だが、地方では訪問先への移動距離が長く、事業の効率化が難しいといった事情がある。社協では人口減に伴う利用者の減少や、高齢化したヘルパーの退職なども重なり、訪問介護は赤字というケースも多い。今後も同じ傾向が続くと、各自治体の中心部から離れた地域に住んでいたり、支援が難しかったりする高齢者が自宅で生活を続けられない例が増える可能性がある。」との説明が書かれているのを見た時に介護保険前夜(介護保険導入は西暦2000年です。)に今は廃業した『コムスン』と言う会社がバンバンとコマーシャルをテレビで流していたのを思い出しました。そのコマーシャルは、山の上の一軒家に清々しい制服を着た若い男女が携帯用のお風呂を持って訪問して「こんにちはコムスンです。」と爽やかに画面に出てくるのです。私はそのコマーシャルを見た時に「こんな事は現実的ではない。でも、政府の考え方はこのコマーシャルの通りなんだ。」と思いました。あれから23年の月日が経ちますます、『老老介護』『忍忍介護』『独居家庭』『高齢者のみ家庭』が増えている現実の中でもまだ、政府は「地域包括ケアシステムと銘打って、重い要介護者状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最期まで続けられるようにする事を目指してきた。訪問介護は本来、その要となるサービスのはずだが、ヘルパーの在宅ケアの重要性が評価されず、低い賃金に抑えられてきた。そのために深刻な人手不足が続き、各地の社協が訪問介護から手を引く大きな要因になっている。」と書いてあった。確かに理想的な事を考えると『住み慣れた環境』と言う事になり、自宅での生活が最適な様に思えるが現実的でないのもこれまた事実であると思います。今回の記事で理解出来るワードは「首都圏のニーズが増えている」だと思います。つまり、都市部と地方では状況が全く違うと言う事です。つまり、大きなマンションだけで事業所の収支が成り立つ都会と次の訪問先まで車で10分20分とかかるところでは状況が全く違うのに同じシステムで制度を押し通そうとしている事に私は違和感を持っています。ましてや雪深い地域での移動などは訪問したくても出来ない状況にある事をどの様に考えられているのかと言わざるを得ません。現実に沿った路線の構築に向けての運動が必要だと思います。そしてもう一つ「自宅でサービスを受けることができないため、老人ホームなどの施設に移らざるを得ないといった例が出ているのが実態だ。」との書きぶりに私は施設において『今日1日楽しかったよ』の為に日夜頑張っている職員の為に言いたいです。施設での生活を満喫して頂く選択肢が『悪』の様には言って欲しくない。リピーターの皆さん私の提案をどの様に思われますか。

8月14日からの合宿もあと2日となりました。

令和5年9月2日

本日と明日の2日間本部施設の本館1階のゲストルームで寝れば今月4日の日には我が家のベットで眠る事が出来るので「後二晩か、忍忍」と思っています。ゲストルームでは畳に布団でタオルケットと言う事で、朝布団から立ち上がる時に「よっこらしょ」と言って膝に手を付き起き上がるのに苦労しています。と言う事はベットからの立ち上がりがどれだけ楽かと思っている次第です。

しかしながら立ち上がりに苦労しながらも頑張っているのは健康体を作るトレーニングだったと思うと少し残念な気持ちもありますが、その分は手すりを使っての屈伸運動を適度にやらなくてはと思っています。

さて、8月14日の翌朝から、本部施設5か所でのお参りも定例化されて、あと5日で終わると私自身指を折って数えている頃になって「理事長、毎朝のお参りありがとうございます。感謝の気持ちを込めてコミュニティーハウスで理事長の慰労の意味での飲み会をしたいのですが。」との話を聞いて「嬉しい話だけれども合宿生活も9月4はまでだよ。」と言うと「それでは9月2日の日で計画します。」との事だったので「楽しみにしているは。お酒は私が用意するのでカラオケもしたいので宜しく。」

と言っていたのですが、昨日になって「日程的に出来なくなりました。」と言って来たので「急な話だったので仕方が無い大丈夫だよ。」と返していたのですが、本日朝のお参りを終えて本館2階のスタッフルームに入って行くと伊藤係長が大きなビニール袋に入った魚を見せながら(多分ハマチ)「昼食の時間までにさばきますので食べて下さい。慰労会に代わるせめてものしるしです。」との事だったので、和合の施設に向かう時に「12時30分までには帰ってきて、伊藤係長の腕前を確認します。」と出掛けました。ところがいつものことながら『予定は未定であり決定ではない。』の通りになりました。

と言うのは和合の入居者さんの方の中で血尿が激しいと言う事でご家族さんに連絡して救急対応をさせて貰い、気が付けば12時20分。本部施設からは「立派にさばいたお刺身が出来ましたが理事長が戻ってみえないとみんなが食べるわけにはいきません。」との事で急いで本部施設に戻り、さばかれてお刺身になったハマチをひとしきり見てから内線で伊藤係長に「板長立派なお刺身有難う。

帝国ホテルのシェフに負けないくらいの出来倍です。」と話をして大きく切られているお刺身を堪能してから職員にもお裾分けをしました。つくづく「社会福祉法人杉和会も200人のスタッフになり、色んな特技を持っている職員がいる。」と思った次第です。リピーターの皆さん、こんな集団である社会福祉法人杉和会ですがご縁を頂く為に是非一度施設にきてみて下さい。

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朝から気分が良いです。

令和5年9月1日

本日も朝5時からお経を5か所で唱え、8時30分までには和合の施設で『てるてる座』の座長にお会いしなければいけない約束を昨夜電話でしたので、急いで朝食を食べて和合に向かう事にしました。車に乗って施設の方を見ると本館2階の屋根の所にあるトップライトがしっかりと開いていたのです。「流石にしっかり対応が出来ている。この様な地道な『当たり前』の積み重ねが良い施設になっていくのだ」と思い朝から気分が良いです。8時15分に和合に着くとてるてる座の座長だけでなく、『あんドーナツさん』と『亀ちゃん』(長い付き合いですが本当の名前は知りません。)も一緒に来て一生懸命にビー紙大に書かれた多くの歌詞資料の整理をして下さっていました。

一生懸命にして頂いたので先ずはご挨拶をして、ペットボトルのお茶とお菓子をお持ちしました。作業を終わられた段階で敬老週間初日にてるてる座のボランティアが実施されるので施設行事とのマッチングにする為のお願いをすると、快くお受け頂けたので敬老週間初日の企画に華を添えて頂ける結果になりました。話題はガラッと変わりますが先般本部施設で全体会が行われた時に「9月1日は何の日ですか。」と聞いたところ手を挙げて答えてくれた職員が「防災の日です。」と答えてくれました。そんな答えを想定していなかった私ですが、動揺する事なく「防災の日に決められたわけは何ですか。」と再び聞くと「分かりません」との返事には流石に動揺しながら「関東大震災から100年なんです。」と言うと今度は多くの職員が大きく頷いてくれました。

100年前の事ですから当然私は知りません。但しテレビ等の情報によっての知識はあります。「東京が火の海に包まれた。」と言うイメージです。災害に100年周期があるとすれば緊張感を持たなければいけないのだと思います。今朝の新聞の情報では私の中にある大変な地震は2011年の東日本大震災(2011年)の時の死者・死者不明者が2万2217人で阪神淡路大震災(1995年)が6437人なのですが、関東大震災では10万5385人と言う事ですから文字通り桁外れの大災害であったと言う事だと思います。

100年周期があるとした時に海なし県の岐阜県にまで津波が来ることはないと思いますが(来たら日本沈没ですよね。)仮に東南海地震が襲来した時には三重県及び愛知県からの避難者の受け入れを円滑に行う為の計画をより具体的に考えていかなければいけないと考えています。災害が起きた時には地域力を高めていかなければいけないと思う方も多くおみえになると思いますが「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが日頃から地域力を高めていく事が災害時にも役に立つと思いますので今後も心していきたいと考えています。

 

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