2023年07月の記事一覧

夏の風です❗️夏の空です‼️

令和5年7月21日

朝4時25分のアラームで目覚め、着替えをする前に朝の冷気を部屋に入れようと硝子戸を開けると、爽やかな風を感じました。「完全に梅雨は開けたな。」と肌で感じる事が出来ました。但し、こんな日は太陽が昇ってからは温度がどんどん上がってくると思いました。雨が多い時期には多くのカエルをお墓で見ましたが、本日久しぶりに六地蔵様のお地蔵様にへばりついている、少し大きめのカエルを見る事が出来ました。

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車の移動中のラジオの情報です

ラジオから投稿記事が紹介された内容に思う所があったので、コラムで紹介します。その内容は、投稿者の父親からの教えの言葉でした。その言葉とは「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」です。もう少し詳しく知りたくてパソコンで検索してみました。「人から受けた恩はその人に返すのみならず、より多くの人に施せ。そして自分が施したことは、その瞬間に忘れよ」と言う意味である。【元々は、仏教経典にあった「懸情流水 受恩刻石」から来ている。ところが、自戒を込めて言うと、この言葉とは逆の状態になっていることが往々にしてある。つまり、自分が受けた恩は水に流し、自分が他人にかけた情けの方を石に刻んでいる。】と書いてありました。

私自身に投影してみました。私は生母秋江さんからの遺言「蒔かぬ種は生えぬ」の教えを、私が事業を行う様になっての25年で精一杯行って来た自負を持っていますが、それは「させて頂けることによる喜び」であって、今の自分があるのは色んな方々の支援があっての事で、私は皆さんの力をお借りして今があると思っています。但し、基本の中に「蒔かぬ種は生えぬ」で一生懸命にネットワークを拡げる事を常としてきました。今も「人の為に」「地域の為に」と思いながらの毎日です。

私の場合は『恩』=『支援』ですので『支援』をして頂いた方の事はしっかり心に刻んでいます。今は拠点施設を3施設持っていますが、常に「皆さんのお陰であり、地域の中で貢献させて頂きたい」との気持ちです。「してあげる」では無くて「させて頂く」の考え方を基本にして法人の役職員が一体になって実践していきますので、リピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

大津の石山寺に行って来ました

令和5年7月20日

実は石山寺の境内の入り口近くに大黒天をお祀りしたお寺があり行く度に升に入った大黒さまを購入して我が家の仏壇には3つ入っているのですが令和元年に行った後はコロナ感染症対策の事もあり行けてなくて昨日5年振りに行ってきました。境内の駐車場に入ると停めてある車の数は少なくて、「今日はお参りが少ないんだな」と思いつつ山門目指して歩いていくと、何軒かあるお店の殆どが開いていないのです。(駐車場からの大きな食事を食べる所は1軒のみで、山門前のお土産屋さんも1軒のみ開いている状態でした。)折角石山寺まできたので大黒天のお寺は本堂のお参りをしてからにしようと拝観料(600円)を支払い境内を進んでいきました。

立派なお寺になると大概のお寺は階段が多く有ります。(京都の東寺は違いますが)石山寺も階段が多くて「いつまで、この階段を一機にあがれるかな」と思いながら上がって行くと大師堂があったので般若心経を1巻唱えさせて頂き、またまた階段を上がり本堂に行きここでも般若心経を唱えさせて頂きました。本堂が一番高い位置にあるので今度は階段を下りるのですが、下りは手すりを使って下りなければいけない体たらくで上りとは違う大変さを感じた次第です。

階段を下りきった所が大黒天の場所なので本堂の階段を上がっても人の気配を感じなかったので「すみませ~ん。」と大きな声を出すと「は~い」と出て来て頂いたので「来るたびに升に入った大黒さんを頂いていたのですが新たに購入すると4つになるのでこのお寺に収める事は出来ませんか」とお話すると「それぞれが仏様ですから家の方で大切にお祀り下さい。」との事だったので「分かりましたが改めて頂きますか」と言うと3種類の仏様を見せて頂き自分の気に入ったのを購入する事が出来ました。

但し、「少し小さいかな」と思っていたのですが大黒様を抱かせて頂くと意外にずっしりしていて5年前に購入した者よりかは大きくて立派である事がわかり安心しました。さて、昨日購入時に頂いた説明書きを読んで改めて理解したのは通称「石山寺大黒天」なのですが正式なお寺の名称は『医王寺』と言う事がわかり『医王寺』は社会福祉法人杉和会の認可時に筆頭理事を務めて頂いた福祉の師である吉田宏岳先生の自坊の名前であった為に、何度か訪れた事を今になって思い出しました。

私が社会福祉法人杉和会を設立して優・悠・邑本館を運営するようになって25年の月日が経過していて決して楽な経営をした事は有りませんが今までここまで何とか経営出来たのも大黒天様に救われた事も何度かあったのだと思いますがこれからもしっかりお祀りさせて頂き、皆さんのお役に立てればと考えていますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

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朝の出会い

令和5年7月19日

朝のお墓参りに行って二人の方にお会いして爽やかさと「なるほどな」と感じた事をお話します。一人目の方は関ヶ原与一の墓でお参りをしていると六地蔵様の近くで車を停めてお墓参りにみえた方の事です。私が順次お参りをして六地蔵様の所に行くと車から降りられた方の姿は確認出来なかったので私はいつもの様に花立に水を入れ蝋燭と線香に火を点け6か所の湯飲みに水を注いでからそれぞれのお地蔵様に祈りを捧げて我が家のお墓に向かう為に振り向くと、私のお参りを静かに待って頂いていたのだろうと思います。

3メートル離れたところに立ってみえたので「私のお参りが終わるまで待って頂いていたのだ。」と思いながら「お先にすみません。」と言うと同時に感謝の気持ちに爽やかさを覚えた次第です。6家のお墓に水を入れ家に向かって歩いている時に家のご近所さんの犬の散歩に出会いました。

そこで私が「朝から暑いですね。」と言うと「本当に暑いね」と答えられたので私は「5時30分に家を出た時にはひんやりしていたのですが。」と言うと「お日様が出て来て照り出すと途端に暑くなるな。」と言われたので「なるほど、その通りだ」と感心してしまいました。こんな事に感心してしまう私なのであります。そしてお墓参りから帰り家に帰っていの一番にするのはコップ1杯の水を飲みお風呂の洗い場で水のシャワーを頭から掛けてから、温くなったお湯に浸かりながら追い炊きの浴槽に浸かっている時は一日の中で一番ゆったりとした気分になれます。

これは単に朝風呂に入って朝酒をしている「おはらしょうすけ」とは違い(※ おはらしょうすけは架空の方の様ですが)雪が降っていても、雨は降っていても今日の様に暑い日でも仏間でお経を唱えてから5時20分過ぎからペットボトルの水8本を背中に背負いお墓参りに行ってからのシャワーとお風呂なので至福の喜びなのであります。

ここ1年以上風邪もひかずに頑張れているのは朝から元気に活動出来ているからだと考えています。天国から見守っていてくれている生母秋江さんの「宏は偉い」との声が聞こえて来るようです。リピーターの皆さん。私はこんな生き方しか出来ないのですがこれからもよろしくお願いします。

 

 

 

入居者さんの笑顔に元気を頂きました。

令和5年7月18日

午前中に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)で、お参りの導師とカラオケ二曲(兄弟船と夢芝居)をさせて貰ったのですが、その時の入居者さんの表情を見させて頂くと、それぞれの入居者さんのお顔が素敵で改めて開設されて3年目に入っている施設のハード面、ソフト面の充実がなされている事を実感する事が出来ました。

平成10年5月に本部施設本館の事業開始から半年程経った頃に苦い記憶があります。それは、入居者さんのフロアで私の顔を見た職員が、全く丁寧な言葉つかいで話をしているのに車椅子に乗っている入居者さんの顔が引きつっているのです。全く不思議な現象なのでその後その職員の対応の仕方を見ていると、色んな場面で命令口調が目立つ事が分かりました。また、その職員が夜勤をした翌朝の入居者さんの中で、いつもとは違い不穏な入居者さんが多かったりとの現象がありました。職員に話を聞きいわゆる『認知症』に対する理解に不充分だった事がわかり、その後キャリアアップのシステムを充実させていきました。その様に考えていくと盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設は最初からしっかりと出来ているのは法人としての積み重ねなのか、吉澤施設長を中心にした職員の意識の高さなのか定かではありませんが本当に有難い事です。

本部施設のボランティアに『てるてる座』の皆さんが来て下さるようになって20年になりますが、いつもてるてる座の皆さんから異口同音に言って頂くのは「本部施設の入居者さん、利用者さんの乗りが良いので何をしていても楽しくさせて頂ける。特に皆さんが参加してのタンバリンの扱いは最高ですね。」と言われてますから、楽しく乗って頂ける対応が出来ているのだと思います。これも積み重ねによって出来た事なのかと思っています。

そう言えば、私もカラオケで月に何回かは歌わせて頂いていますが、気持ちよく歌えるのはカラオケの機材が良いものが入っているのかそれとも私の歌い方が上手いのか・・・。いやいや聞き手が上手だったんだと納得しています。ボランティアでカラオケを歌いに来て下さる方が何人かお見えですが「ボランティアに行く前にカラオケボックスで90点以上出るまで練習してきた。」とか「しっかりキーの高さをチェックしてきた」と言われる事が多いのですが、「私はいつもぶっつけ本番だし、あいからわず台詞を覚えないから画面を見ながらしかできないな。」と全く成長していないのですが、聞き手が上手なので違和感なく歌えている事にリピーターの皆さん感謝なのであります。

朝の空気が変わった

令和5年7月17日

朝のお墓参りの為に我が家を出ると空気がひんやりしているのです。昨日までは空気がもやっとした感じで「梅雨そのもの」と言う感じだったので私の体は「梅雨が明けた」と言う感じです。空も昨日も青空が見えていたのですが、今朝は「快晴そのもの」です。

快適に歩かせて頂き本日は幸福地蔵菩薩様の花立に水をさす所から、三仏(観世音菩薩様、毘沙門天様、不動明王様)の湯飲みの水替えをして、比較的急な石段を8段上がった所にある仏様二仏の水替えをして、関ケ原与一の墓とその周りにある石佛に13体にはそれぞれ水をかけ、地蔵菩薩様が奉られている所にある多くの墓じまいをしたお墓にも精一杯の祈りをして、「常在不滅之塔」では花立てに水を入れると(昨日は暑かったのと花が一杯立てられていた為か)結構に入り(2ヵ所で500ミリリットル缶1杯分)その後水をかけ、六地蔵様に行き花立てに水をさし、湯飲み6ヵ所の水替えをして若山家のお墓以下5か所の湯飲みの水替えをしてから「今日は暑くなるのでお墓と墓誌にも水をかけよう。」と言う事で6ヵ所のお墓で水をかけると丁度8本のペットボトルの水が無くなりました。

満タンに8本のペットボトルに水が入っているのが空になったのは初めての事です。この現象はやはり夏本番と言う事でしょうか。と言う事は夏の間は毎日8本のペットボトルの水が無くなると言う事でしょうか。本日は1時間かけてお墓参りをして帰ってくると、朝の冷気はなくなっていましたので今日は暑くなるぞと感じました。午後の空を写真に収めると夏の青空そのものでした。

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妙応寺奥の護国霊園が妙応寺の墓地の方に移転されていました。

妙応寺の東の道を北に進むと私も最近は全く行った事が無い所に戦没者の護国霊園があり、小さい時には肝試しを兼ねて行った記憶があるくらいだったのです。と言う事は地元の方もなかなか足を踏み入れる事が無い所に設置されていたので、戦後78年が経っているとは言え戦没者の御霊を蔑ろにしている自分に恥ずかしさを覚えました。

と言うのは「何か新しいものが出来ているな。」と思い六地蔵様の奥の所に行って今迄奥の方に設置されていた護国霊園の碑やお墓が整然と安置されていたのです。私は「これでお参りすべきものが1箇所増えた。」と思った次第です。リピーターの皆さんも妙応寺の六地蔵様の奥に設置されています。一度は手を合わせに来て下さい。

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何度かコラムに書いていますが

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「弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス」の言葉は妙応寺本堂の大谷徹奘師(奈良・薬師寺執事長)の日めくりカレンダーの本日の言葉なのですが、妙応寺本堂に入って日めくりカレンダーをめくった瞬間に、弱い自分を強くしてくれた出来事が走馬灯の様に浮かんできました。私がピンチをチャンスに変えて行く時にはとことん厳しい状況の時に救世主がその都度現れてくれたと思います。私が悶え苦しんでいる時に「若山は人の為に一生懸命に頑張っているのだから何とかしてやらねば。」と言う事で救世主が現れて下さったのだと思います。悩み苦しんでいる時には弱い自分にも出会いました。でも、それを乗り越えた時には最高の気分になれる事も事実です。

一番最初にその事を感じたのは、施設建設の計画が突如駄目になった平成8年の時です。具体的に述べるならば、平成8年度に西濃エリアに2つの建設計画が大垣にある事を知らないで、関ケ原の計画が進んでいて1通の電話で白紙に戻った時です。何度も理解出来ないと訴えましたが「予算措置が出来ない。」の一点張りでした。その厳しさの中で、布団の中から出る事が出来ない時期もありましたが「何とか出来る方向に」と奮い立った中で至る所から支援をして頂く方が現れて、翌年の事業計画の俎上にあがり、岐阜県知事からの法人認可を頂いた平成9年7月17日は忘れる事が出来ません。

そして、翌月8月8日には入札が行われ造成が始まり綺麗に整地された土地に立った時には思わず約8000㎡の土地を両手を拡げて走り回ったのを今でも鮮明に覚えています。土地確保の時に地元住民の説明会の時に今須地区には下水道がなく合併浄化槽の設置の説明にはなかなか理解して頂けなくて正直弱気の虫が表に出た時もありましたが、理屈では理解して貰えない現実の中、地元の有力者の方が「現状を守る事ばかり考えているからどんどん人口が減って行く。立派な施設が出来る働く場も提供されるし、嫁さんに来たいと言う人も出てくるのではないか。」との意見を言って貰ってからガラッと雰囲気が変わり25年が経過した今は「この地に特別養護老人ホームがあってありがたい。」と言われるまでになりました。また、本部施設本館の竣工式典の折り、その当時法人常務理事だった私は竣工式を迎えるまでの経過報告をさせて頂いている時に感情の高ぶりを抑えるのに苦労したのを今でも覚えています。

余談・・・昨日金剛杖の話をしましたので本日写真を撮りましたので添付させて頂きました。リピーターの皆さんも金剛杖をついて一緒に歩きませんか。

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金剛杖

令和5年7月15日

高校2年の夏休みに四国八十八箇所の歩き団参に参加してから、金剛杖は私の大切なものになっています。今は三代目の金剛杖です。一代目は、歩いていて強く突いていたためか短くなっていて、久し振りに四国遍路のご縁を頂いた名古屋在住の福祉の開拓者だった私の福祉の師であり、高野山豊山派の住職でもある吉田宏岳先生を四国遍路にご案内した時に新しい金剛杖にしました。吉田宏岳先生、当時の大垣商工会の河合会頭や現在の優・悠・邑家族会会長の吉田儀一さんを初め、多くの方の支援を得て本館施設が事業開始して、過激な施設長であった頃(今もそうではないかと言われる方もありますが、そんな軟なものではありません)、金剛杖を叩きながら話をしていて思わず真っ二つに折れてしまったので、今は3代目と言う事です。

3代目の金剛杖の下の部分はボロボロになっています。でも納得です。昨年6月から朝のお墓参りに行く様になり(う~ん、計算したくなってきた)まる1年(365日)が経過して本日が7月15日。つまり、今年の6月からで45日。そこからコロナの予防接種のあと4日間熱を出して中止したのと、東京出張で東京に泊まった日には歩けなかった日が5日間ありました。つまり大晦日も元旦の日も頑張りましたし、お墓参りに行く様になり、風邪一つひかなくなったので事情が無かった日は皆勤賞なのでうずうずしながら計算します。(365日+45日−4日−5日)×2500歩×0.7m=701.750mと言う事で、約700キロはあさのお墓参りであるいているのですから、金剛杖の下の部分がぼろぼろになっても仕方がないか。

四国八十八か所を一周すると1200キロと言われていますので、阿波(徳島県)と土佐(高知県)を済ませて伊予(愛媛県)の半分を歩いたくらいの距離ですから。ただし、私がいつもお墓参りで歩くコースは殆ど車が通れる様に舗装してある所ですから地面は固いです。片や四国遍路で歩く所の半分くらいは山道ですから、地面が柔らかいから金剛杖もそんなにはボロボロにならないのです。私のお墓参りのコースで橋が3ヵ所あるのですが、橋を渡る時には金剛杖を突く事は有りません。何故かと言うと四国遍路の歩き団参の時に橋の所にくると「橋の下でお大師さんが休まれているかも知れない。杖で叩く様な事をしてはいけない。」と教えて頂いていて、橋の上で金剛杖を突こうとすると誰彼関係なく教えて貰えるので橋に来ると自然に金剛杖を突かずに抱える習慣がついています。体にしみ込んだ事はいくつになっても出来るものです。リピーターの皆さん、これからも『同行二人』と言う事でお大師と共にこれからも頑張って歩きたいと思っています。

流しそうめん

昨日から3日間連続でデイサービス企画による「流しそうめん」が実施されており、昨日の「今日のえりかの里」に利用者さんの嬉しそうな写真と記事が掲載されていました。私は朝から和合の施設に行っていて12時15分に本部施設に帰ってくると、デイサービスの流しそうめん大会(そんな大袈裟に言う事ではないのですが。)は終了していたのですが、私の為に流しそうめんのセットがそのままになっていたので、北島部長の顔を見たので思わず「食べる」と言うと、水野相談員も協力して私の為に流しそうめんがはじまりました。竹に水を流した所からそうめんを流してくれて、例年より水の流れが少なかった為か流れてきたそうめんをことごとくすくいあげることが出来て、しっかりと私の口に入れる事が出来ました。器に入ったものを食べるのとは違い、格別美味しく感じた私がそこにはいました。

本日も10時過ぎから玄関ホールでは賑やかな声が聞こえています。事務所にいた私は笑い声に釣られて流しそうめん会場に行きました。利用者の皆さんは、私が行った事にも気が付かないで、そうめんが流れてくるのを今やおそしと待ち構えて見えました。北島部長から「理事長、今日も食べられますか。」と聞かれたので「もちろん頂きますよ。」と言うと北島部長の助手をしていた私の姉春子さんから「沢山湯がかないと。」と言われたので「そんなには食べれません。」と返しました。デイサービスの利用者さんが「今日一日楽しかったよ」と言って頂けるように、先ずは職員が「この企画で喜んで貰えるかとワクワクする事」こそ大切と職員一同が頑張っていますので、リピーターの皆さんこれからもご支援、ご協力宜しくお願い致します。

余談

本部施設では、昼食の検食をした職員が全館放送で食事内容の紹介や留意点の他に、それぞれに考えたコメントを言うのですが、本日は伊藤課長の担当で、伊藤課長はいつも出だしで歌を披露するのですが、本日は「富士山」を歌ったのですが、実に上手だったので、放送を終えた伊藤課長に「今日は特に上手だった。」と話しかけると「前もって練習してきました。」との事。入居者さんを少しでも楽しませようとの心意気が嬉しかったです。リピーターの皆さん、当施設には色んなキャラクターがいます。一度声をかけに来て下さると嬉しいです。

高野槙のお裾分け

令和5年7月13日

本部施設の西川課長は滋賀信行会(四国遍路の歩き団参を実施している団体)青年部の幹部として(私も40年前は幹部でした。)高野山に行って来たからと高野槙を沢山購入して来て「施設の仏壇にはお供えしたので、残った分を毎日行かれているお墓参りで使って下さい。」と言いう事で、昨日持って帰って家のバケツに水を入れておいたのを、今朝のお墓参りの折り持参して先ずは六地蔵様にお供えしようとして花立てが大きいので少し躊躇しながら少し枝の部分を間引いてお供えして、持参したペットボトルの水はたっぷり入れると1本半入り、6ヵ所のお地蔵さんの湯飲みの1本を入れて2本半を要しました。

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その後若山家のお墓に行き「さてさて6ヵ所の花立にはどの様に入れようか。」と考えながら「若山家のお墓にはある程度のものをお供えしよう。」と考えて花立てに入れた後で残りの5ヵ所のお墓の花立に入れて水だけはたっぷり入れると湯飲みの水にも入れたので丁度8本のペットボトルの水が無くなりました。色んなもののお裾分けはあると思いますが高野槙の枝を間引いてお供えをするとは私自身可笑しく思いながらも「気は心ですから」と自分自身で納得してお供えした次第です。

私は子どもの頃長男の末っ子で尚且つ虚弱児だったのと母秋江さんに溺愛されていたので「分け合う」と言う概念は育たなかったのですが、17歳の時に四国遍路の歩き団参を体験してから「分け合う事の大切さ」を教えて頂いた様に思います。例え少ない量でも気持ちがあれば相手に通じると考えています。それはお墓の主でも同じだろうと考えています。どうして6ヵ所のお墓に毎日お水をお供えするようになったかの次期は定かでありませんがいつの間にか6ヵ所になっています。

6か所になった理由は「お隣さんのよしみで」と言う事で6ヵ所になったのですが「これもご縁」と言う事でしょうか。もっとも若山家のお墓は当然の様に我が家で、その隣の吉澤家のお墓は私の姉春子さんの嫁ぎ先のお墓で、その隣の及川さんのお墓はかつての入居者さんのお墓で、その隣は正にお隣さんのよしみのお墓です。そして少し離れたところの柴田家のお墓は私の小さい頃からの同級生で秋江さんが健在の時は家族ぐるみのお付き合いをしていて特におばさんには母秋江が他界してからも大切にして頂きました。

そして柴田家のお墓の隣も「お隣のよしみ」と言う事です。気持ちの話で嫌な事を思い出しました。私が児童養護施設の指導員をしている時にも高野山に行く事があり、施設の経営者の方に高野槙をお土産に買ってきた時に「高野山の販売所で販売されている高野槙は岐阜の各務ヶ原で作ったのを運んでいるんだよ」と言われた時には「私の気持ちがわからない経営者だ。」と思いました。もしそれが事実であったとしても「わざわざ高野山で買ってきてくれてありがとう。」で良かったのではないでしょうか。リピーターの皆さん最後は愚痴の様になってしまいごめんなさい。

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防災についての私見を述べます

令和5年7月12日

『防災』と言うのは単に自然災害だけではありません。感染症についても『災害』と捉えなければなりません。なぜならば、常日頃から心掛ける事によって被害を最小限にする事が出来ると思うからです。最初に『自然災害』について述べる事にします。最近も雨による土砂崩れや川の氾濫が北九州を中心に起きた時にテレビ等の報道では「何十年に1回の豪雨」と言われています。しかしながらこの言葉を毎年の様に聞きますし、雨についての言葉として『線状降水帯』と言う言葉も聞きなれた言葉となりました。

これは日本を取り巻く自然環境が厳しい状況に置かれていると言う事です。と言う事は今までは線状降水帯の中に入る事が無かっただけでいつ起きてもおかしく無いのです。当法人の本部施設が建っている所の本館の整地をして頂いた時に土を掘り返している時に大きな流木と思われるものが出てきました。その当時、施設の近所の長老の方が毎日の様に建設現場の様子を見に来られていて、その方から「あの流木は伊勢湾台風(1959年)の時に流れてきたものだと思う。

あの時はいつもほんの少ししか流れていない川が溢れていたから。一時水はあるぞ」と教えて頂いたものです。伊勢湾台風と言えば60年以上前の事。だとすると今年にでも起きても不思議ではないと言う事です。勿論起きない方が良いに決まっています。もう一つ自然災害で忘れていけないのは『地震対策』です。何故ならば、日本は元々『地震大国』であり地震を引き起こす地震プレートの上にあると言っても過言ではないからです。施設の建物は『震度7』までは大丈夫な建築工法になっているとは言え実際に起きた時には何が起きるか分からないのです。

最近聞いた話として「震度5でも成すすべがなかった。」と言われました。「備えあれば患いなし」の為に本部施設では「防災備蓄倉庫」を所有して食料品と水については1週間分を準備して、炊き出しが出来る様に大きな寸胴と大鍋と大釜も揃えていますが実際に大きな災害が来た時に対応出来るかは甚だ疑問なので今後は防災の専門家であるびわこ学院大学教授の烏野先生に本腰を入れて訓練を重ねなければいけないと考えています。『感染症』についてはこの3年のコロナ感染症対策において実際に経験して来て『手洗い』『うがい』『手指消毒』『マスクの徹底』が成されてきて、インフルエンザの罹患が極端に減った事実があったにも関わらず、最近はインフルエンザによる学級閉鎖等を耳にする事も度々です。

また5月8日にコロナ感染症が2類から5類になり、観光地にも賑わいが戻ってきて経済効果は出ている状況ではありますがコロナ感染症が9波に突入したとも言われています。「喉元過ぎれば」ではなく、感染症対策は平穏な暮らしに戻ってもしっかりとしていかなければいけない事だと考えています。リピーターの皆さんも『防災』についてはお互いに留意していきましょう。

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