2023年04月の記事一覧

本日はめっちゃ暑いです。

令和5年4月20日

朝の仏間でのお参りの時から「寒い」と思う事も無くいつもの様に薄手のジャンバーを着る事も無くお経を唱えていても背中に汗が滲んでくるのが分かりました。そしてお墓参りの為に外に出ても風邪が「心地よい」と言う感じでした。本日は午前中に優・悠・邑 和(なごみ)でのお参りと全体会があり入居者さんとのお参りの時から長袖の服を腕まくりしてお経をあげさせて貰いました。

お経を終えるとカラオケ用の大きなスクリーンまで準備して頂いているので布施明の『シクラメンのかほり』と北島三郎の『北の漁場』を気持ちよく歌わせて頂いたのですが、思いっ切り声を出させて貰った為かここでも背中から汗が噴き出ました。歌を終えて入居者さんには「本日は気温が25℃を超えるとの事ですが寒暖の差が激しい時期ですので服の調整をしっかりして頂き美味しいものを食べたり、楽しい事をして頂いて元気で過ごして頂き来月も元気にお参りに参加して下さい。」とお話をさせて頂きました。

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その後会場を職員の全体会が出来る様に手際よくして貰ってから全体会に挑みました。全体会では前向きな提案が多くされて11時30分に終了して吉澤施設長と共に昼食を頂きながら打ち合わせをして、13時30分には優・悠・邑 和合に着き、14時からの全体会に挑み、終了後は途中で買い物をして本部施設に戻り17時からのリモート会議に参加して今は18時でパソコンの画面を見ながらコラムを打っているのですが今も腕まくりをしながらの状態ですから本日は4月20日ではありますが本当に温かい日なんだと思っています。

さて、話は変わって来週の月曜日の24日の日は文字通り『タケノコ祭り』なのですが、「タケノコが沢山必要だ。」と言う事でわざわざ自分の家の竹藪から沢山のタケノコを持ってきてくれたり、ダメ押しの様に施設の北側の竹藪で「これでもか」と言うくらいのタケノコを掘ってきてくれたりしたので、22日のタケノコの湯がきは寸胴の大鍋ではなくて一斗焚きの釜で湯搔かないと入り切らないと打ち合わせをしています。この様な状況になるのが本部施設の職員のパワーだと思っています。

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これは職員が「入居者さん利用者さんの笑顔が見たい。」との思いがあるからだと思っています。リピーターの皆さん山に囲まれた自然豊かな優・悠・邑、えりかの里は最高ですから是非に遊びに来て下さい。

逃げれば こわさが ましますよ

令和5年4月19日

妙応寺本堂の大谷徹奘師(奈良 薬師寺 執事長)の日めくりカレンダーの言葉なのですが、1カ月に1回は目にしているのですが、本日の朝の受け止め方がいつもと違っていたのでコラムに書く事にします。

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今の私は何事にも正面からぶつかっていく性格になったと自他ともに認めている次第ですが、小さい頃の私はぶつかっていきたい気持ちがあってもぶつかる事が出来なくて結果が出てからうじうじしている様な性格だったのです。「今とは真逆な性格だね。」と思われるとリピーターの皆さんも多くみえる事と思います。「だったらどうして今の様になったのか」と疑問に思われる方もあると思うので、その事についてお話をします。

このコラムでも何度か書いていますが、私は生まれつきの虚弱児で尚且つ生母秋江さんは私を溺愛されていたので何もしなくても母秋江さんの命令下で父進さんと姉2人がしてくれたので今の私から言わせると「何も考えなくても良い」生活だったと思います。そんな中で母秋江が中学1年の1月16日に他界したのですが、6歳年上の姉光子さんが文字通り『母親代り』でこれまた何もしなくて良い生活だったのです。ところが母親代りだった姉光子は私が高校2年の4月7日に急逝して私の生活は一変しました。

正直悲しくて、寂しくてそれでいて私の心の中の箍が切れたのだと思います。高校2年の1学期の間は凧の糸が切れた様に荒れ狂った様な生活に一変しました。普通だとこの段階で人生が狂い始めるのでしょうが私の人生の狂いを救ってくれたのは2つのラッキーがあったのです。一つには色んな形で迷惑を掛けた事に対してその頃小学校の校長をしていた父進が根気よく謝り続けてくれて問題が大きくならない様にしてくれた事と2つ目はその年の夏休みに熊の様な伯父さんに進められて四国遍路に行って私でも役に立つ事があるのだと言う事を理解した事です。

その勢いでその年の秋には生徒会会長になり、自分に出来る事を精一杯する事を学んだし今も四国遍路のつながりで色んな展開が出来ています。つまりは色んな人に恵まれたから『逃げる』どころか『火中の栗』でも『わしがやらねば 誰がやる』とばかりの人生になっています。本部施設にある日めくりカレンダーの本日は『覚悟のない道は行き止まる』とありました。

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この言葉も私の心にスッと入ってきました。つまり、『覚悟があるから突き進む事ができる』と言う事です。確かに火中の栗を拾う事は大変ですがやり切る事が人の為地域の為と考えているから頑張れるのだと考えています。こんな私ですがリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

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本日は関ヶ原町議会選挙の出陣式があります

令和5年4月18日

町内の同級生が、3期目に立候補するので出陣式の司会をすることになっているのですが、昨夜は本部施設において幹部会があり、20時過ぎに帰ってきて、出陣式のシナリオが届いているかの確認をすると「届いていない。」との事で「それはないよね。」と言う事で、立候補する同級生に連絡すると「出来ているけどいるの。」との返答に「おいおい、それはないよね。」と言う事で「明日が出陣式の本番で私が司会をするのに、式の流れも理解していなくてはいくら何でも対応出来ないよ。」と強めに言うと「これから持って行きます。」との事で「無投票当選の確立が高いからと言っても出陣式に参加して頂く方に失礼だ。」と思った次第です。「こんな調子だと出陣式本番も大丈夫なんだろうか」と思った次第です。

出陣式の、地域の方々の集合時間は8時となっていたので歩いて会場に出向くと、流石に地元の方々は義理堅く8時前にも関わらず大方の方がみえていて、手持ち無沙汰の様に待ってみえました。候補者本人と区長さんと私で簡単な打ち合わせをして、その後は私の事ですから、あちらこちらに挨拶をして回り8時30分になったので候補者の所に行くと「立候補の受付に行って貰った者からの連絡を待っている。」との事だったのですが、8時50分になって参加者の方が流石にイライラしているのが分かったので開会の宣言をしようかと思っていたら、手続きに行っていた方が帰ってきたので「いったい連携はどうなっているのか」と一瞬考えましたが「今ごたごたするのは得策ではない。」と考え直して、出陣式の開会を宣言して本部長である区長さんの挨拶から始めたのですが、司会の私にも、挨拶をして頂く区長さんにも音響設備がなく地声でのものでした。(ここまでの準備が出来ていないと絶句です。)音響設備も無事に対して候補者本人に確認すると、「前回は前区長さんが持って来て下さったけど、今日は参加されてないね。」との返事に再び絶句です。

そんな中ではありましたが、祝電披露、候補者本人の決意表明、ダルマの目入れ、頑張ろう三唱と続き、選挙カーの出発へと流れていったのですが、ここでももたもたしているのです。と言うのは選挙カーに乗る役割も徹底していないし、ポスター張りに行く役割もしっかりしていなかったので候補者自身が出発前にウロウロしているのです。私は取り敢えず候補者は車に乗る様に言って、「白い手袋がない。」「腕章がない。」「鉢巻が無い」と言う事で私自身行ったり来たり・・・。絶句の連続でした。私は議員選挙に出た事はないので本当の事は分かりませんが、私の人生の歩みの中で何度となく建物の起工式と竣工式がありました。正直起工式は殆ど業者の方が準備をして頂くのでどちらかと言うとお客様の様な状態なのですが、竣工式は業者の方も協力して頂けますが施主がしなければいけない事が多いのです。式の流れから来賓の招待と対応を含めて、文字通りぶっつけ本番の失敗は許されないので「これでもか」と言う程に練ったものにしてきました。だから少なくとも会場に音響の準備が無い等と言う事は考えられません。町会議員と言えども政治家は緻密な考えに基づいて将来展望を担うわけですからもう少し計画性を持った対応をしないと支援者が逃げてしまうのではないかと他人事ではありますが心配しています。

でもねリピーターの皆さん。私も他山の石としてとらえて今まで以上にしっかりと事前準備をしていきますので気が付く事があればご指導ご指摘宜しくお願い致します。

本日は10時30分・13時30分・17時15分と予定がありました.

令和5年4月17日

午前10時30分からは岐阜県庁への陳情を岐阜県老施協、老健協、グループホーム協の3団体で行う為10時15分岐阜県庁1階の受付前での集合だったのですが何か不都合が出来て送れるといけないと家を早くに出たので大垣市内の工事の為に若干の渋滞はありましたが9時50分には県庁の駐車場に着いたので陳情する時の挨拶をどうするかをもう一度おさらいをして待ち合わせ場所に行きました。

既に老施協の事務局長は来ていてくれたので2人で待っているとグループホーム協会の代表理事の方と、老健協の事務局長、次いで老健協会長と全員が揃ったので受付をしてエレベーターで12階に上がって暫くすると次長さんを筆頭に高齢福祉課長さんらが来て下さり15階に移動しました。

と言うのはしっかりとした別室を準備してい頂いているからです。部屋に入って暫くご挨拶をしていると新聞記者の方も来て頂き、課長さんの進行で先ずは3団体を代表して岐阜県知事宛ての要請文を読ませて頂き、3人から次長さんに要請文を渡させて貰い、その後3団体からの意見を述べさせて頂きました。私からは介護施設は公定価格なので諸物価が上がっているからと言って勝手に価格を上げる事は出来ないので公的な援助をしっかりとお願いしたいと言う事とコロナ感染症の為に職員が疲弊している事や職員確保にも苦慮している事を話させて頂きました。

陳情を終えて本部施設に帰る途中で猫田孝県議会議員事務所と優・悠・邑 和(なごみ)にも寄り、本部施設に帰ったのは12時30分を回っていたので急いで昼食のおにぎりとパンを食べて書類の整理をしていると13時30分からのお参りの時間になり、本館1階の早瀬主任が呼びに来て慌てて1階に行き既にお参りの用意が出来ていたので早速正信偈と般若心経を皆さんで唱えさせて貰った後、

「1曲カラオケを」との事だったので1曲歌わせて貰い、「2階の皆さんがお待ちなので」と言う事で急いで2階に行き、ここでも正信偈と般若心経を皆さんで唱えさせて頂くとここでもカラオケが準備してあり「それでは1曲」と言うと既に曲が流れてきて北島三郎の『まつり』を歌わせて頂きました。

本日のお参りは本館1階と2階だけなので2曲目を山崎ていじの『浜防風』を歌わせて貰うとアンコールの声が上がったので、北島三郎の『北の漁場』と山崎ていじの『おまえしか愛せない』を歌うと「4曲は縁起が悪い」と私が言って結局5曲目に山崎ていじの『昭和男唄』を歌わせて貰いました。

本館2階の皆さんは職員共々乗せるのが上手なので私は少子に乗って「来週月曜日の24日は大きな鍋と釜でタケノコの味噌汁とご飯を作りますからお酒も飲んで貰います。」と言うと「理事長さん約束はしっかり覚えていますから」と言われたので「約束は守らねば。しかしながら口は禍の元だな」と思いつつ「ささやかな楽しみ位いいよね」と思った次第です。

本日は後は17時15分からの幹部会を残すのみですが新年度最初の階なのでこれから理事長として言うべき事をノートにまとめます。リピーターの皆さん私の毎日はこんな風に流れていくのですが健康だからこそと感謝しています。

本日は天気を良くしてもらえそうです

朝の仏間でのお参りを終えて5時25分にお墓参りの為に家の玄関を出ると「雨が降っていない。ラッキー。」と言う事で軽やかに歩いて行くと(昨日は床屋さんの後、整体にも行き体のリフレッシュもしたのも良かったのだと思います。)風は強くて雲が東に急いで流れています。「これは天気が良くなる証だ。」と言う事でますます軽やかに歩いて行く事が出来ました。

いつもの様に幸福地蔵菩薩様、妙応寺の本堂、今須稲荷、六地蔵様、お墓参りと終えて妙応寺の駐車場を抜けて旧中仙道の町道を歩き出すとチューリップが家の玄関先の庭に咲いているのを見て思わず『咲いた、咲いた、チューリップの花が、並んだ、並んだ、赤・白・黄色。どの花見ても綺麗だな。』を口ずさみながらガラケー携帯の機能を使って写真を撮りました。チューリップの花の色も種類が増えているかも知れませんが「今須ではオーソドックスに赤・白・黄色だ。と言う事はシンプルユアベストだな」と思った次第です。

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10時30分からの寸胴による八丁味噌でのタケノコの味噌汁作りは予定通りに準備万端だったので無事に行う事が出来ました。本日もたくさんの入居者さん利用者さんが見学に来て下さったので温かいお茶と頂き物のお菓子を振る舞って賑やかに行いました。天気は良くなったのですが本日は風がきつかったのでやや肌寒い感じはありましたが、火の傍でわいわいがやがや楽しい会話が出来ました。

予定通り11時30分には仕上がったので各フロアの鍋に移し各フロアの職員が取りに来てくれたので味噌汁が入った鍋をそれぞれに渡しながら喜んでいる顔を浮かべています。職員にもそれぞれに振る舞い片付けは水野相談員と吉澤さんにお任せして13時30分からの藤下の高木さんとのジョイントカラオケに頭を切り替えて曲目を考えています。コロナ感染症対策で会場が密にならないように5会場に分けていたのを少し緩和する為に3会場にして本日から行う事にしました。と言う事は1会場当たりの曲目を増やした企画にしなければいけないので少し頭をひねっています。

午前はタケノコの味噌汁祭で午後はジョイントカラオケと言う事で入居者さん利用者さんに楽しんで頂く事によって『免疫』をしっかり付けて元気に毎日を過ごして貰おうと考えて展開しています。この様な展開が出来るのは職員の協力があればこそだと思っています。リピーターの皆さん、こんな施設に遠慮なく遊びに来て下さい。

次回のねらい目は4月24日(月)の12時前後かな。だって、タケノコの味噌汁とタケノコご飯が振る舞われるから。※良かったらタッパー持参で来て下さい。でも限定5名様かな・・・。

久しぶりに対外的なものが何も入っていません

令和5年4月15日

明日はタケノコ祭りとカラオケジョイントがあるのですが、本日はスケジュール管理の所には何も書いてないのです。スケジュール一覧の中でチェックがない日は殆んど無いので、本日は自分の体のメンテと片付けの1日にしたいと考えています。

明日のタケノコの味噌汁の準備の為にゲンキーへの買い物を終えて帰ってくると、私を夜勤明けの伊藤主任が待ち構えていて「何かな」と思いながら話を聞くと、「明日もタケノコの味噌汁を提供して頂けますが、出来たらタケノコの味噌汁とタケノコご飯の起案の打ち合わせをしたいのですが。」との事なので話を聞くと、既に大枠の計画は立ててきているので私のスケジュールと無理のない計画にする事を話し合いました。問題になったのは味噌汁とご飯を同時にするので、タケノコの湯がきは2回しなければいけない事と、タケノコの確保をどの様に行うかと言う事と、職員の人員を手厚くするための日程についても話し合いました。

15日の本日はしっかり雨が降っているのでタケノコもしっかり確保出来ると思うので、19日までに湯がきの1回目をして、毎日水替えをしてタケノコ祭りまでしっかり確保する事を話しました。2回目の湯がきは22日に行い、24日の月曜日に本番を迎えるように打ち合わせました。当日の企画の中で米は7.5キロで、餅米を2.5キロ行うとの事です。米と餅米で10キロと言うと、来月には70歳になる私は6.6升さと計算をしてようやく「凄い量だ。」と思った次第です。しかも6.6升の米にかなりの量の具材が入るのですから今からワクワクです。特に今回はいわゆる『かやくご飯』ですから、醤油やお酒やみりんも入れるわけですので当然の事ながら味付きのおこげが出来るわけですから、ワクワク感は倍増です。

かやくご飯の香しい匂いの事をイメージすると、今から入居者さん利用者さんの笑顔が目に浮かびます。多分企画書を持ってきた伊藤主任も同じような思いでいると思います。本部施設は25年の歴史を刻んでいるんで色んな思い入れを持った職員がいます。その中でもお祭り男や女は頭抜けて多いのは理事長である私自身がお祭り男だからでしょうか。

笑顔と笑い声は健康の源だと考えています。手洗いうがい手指消毒と換気をしっかり行いコロナもインフルエンザも吹き飛ばして頑張っていきたいと思っていますので、リピーターの皆さんホームページをしっかり見て当法人の展開をしっかり確認していて下さい。

自己本意の考え方を反省しています

令和5年4月14日

いつもの様に4時25分のアラームで行動開始をして、昨夜寝る前に戦略を練っていたことをどうしてもライングループの仲間に言っておきたくて、1階に降りた段階で打ち出したのです。しかしながら、ガラケーの携帯でコラムの文章を打つようには上手くいかず、2回もわけわからない文章を送ってしまいようやく3回目で言いたいことが書けてホッとしていると当然の事ながら上手く打てなかったのも含めて3度送られているのでグループの一人の方から「高齢者の朝は早いでしょうが若者はまだ寝ています。」とのご指摘を受けて私も「最もなる話だ。いくら私の中でテンションが高くなっているからと言っても身勝手な行為だった。」と反省しつつ、自分自身の毎日が自己本意過ぎるのかと反省しています。いくら私が朝早くから走り回る毎日だからと言っても相手には関係のない話なのだからとこれまた反省しています。

さて、本日も10時30分からタケノコの湯搔きの為の点火式が行われるのですが、本部施設の職員には入居者さんや利用者さんを喜んで頂いてワクワクするのが沢山いる事に驚かされます。

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さて、本日も朝のお参りで妙応寺の本堂でお参りをしている時に『関ヶ原ブランド認定書』なるものの写真を撮りしみじみとその内容を見てみると、妙応寺であ『クコ料理』のいわゆる精進料理が提供出来て関ケ原町のブランド認定まで受けているとの事。

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そう言えば私の記憶の中にもクコ料理を食べる事が出来ると言う事で観光バスで沢山と方がみえていて、近所のおばちゃんが働きに行っていた事を思い出しました。「今もその体制が出来ているか」と言えば「絶対無理だ。」と言わざるを得ない。だって手伝いに来ているのは80歳になった我が家の隣のおばちゃんだけ。単発にで行かれているような話も聞いた事が無い。もし今大々的に展開されているのであれば観光客が沢山来て頂けて賑わっていることだと思います、待てよ。もしそんな展開になっていたら私は我が家の軒先で団子を売って悠々自適の生活を・・・。

私は何事も軌道に乗るまでには時間がかかるかも知れませんが我慢して頑張って継続できる根拠を作っていかなければいけないと思います。もっと端的な事を言うのであれば地元が潤う事の長期的計画が必要だと思うのです。関ケ原合戦記念館と言う素晴らしい建物を岐阜県が造って下さいました。でも、見ていて「凄いな」と言うだけでは地元は潤いません。沢山の観光客が来て下さり地元で作ったものを買って頂いてこそ、地元に受け入れられるのです。その典型が今行われている高山祭の朝市です。関ケ原のみんなで知恵を出し合わないと関ヶ原が消滅してしまうと言う事もあるかも知れない。そうなる前に何とかしなければ・・・。

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昨日は黄砂が凄かったです

昨日岐阜県老施協事務所での帰りに運転をしながら西の空を見ると晴天とのはずなのに靄っているのです。それは間違いなく「黄砂」の為だと思いました。天気予報でも「黄砂」を連発しています。それでは「黄砂」とは何なのかをスマホで調べてみました。「黄砂とは、中国やモンゴルのタクマラカン砂漠やゴビ砂漠、黄土高原などにある砂やちりの名称です。低気圧や強風などによって上空に巻き上げられた黄砂は、偏西風に乗って日本にやってくることがあります。日本では2月から5月にかけて黄砂が多く観測されています。」とありました。3月の頃はアレルギー性鼻炎の為か目が痒くてどうしようもない状態だったのですが今は鼻がズルズルでくしゃみの連続です。中国の奥深いところから黄砂が飛んでくるとは驚きです。鼻がズルズルでくしゃみの連続の他にも洗濯物を外に干すわけにはいかないのは困ったものです。私は高野山の静慈圓大僧正が西暦3世紀頃の書家で将軍であった王義之の墓誌の隣に碑を建立された除幕式に随行させて頂いた時に中国へ行きました。その時に中国の川は日本の川より圧倒的に広いのに流れている川の水は茶色いのです。私が中国で見た川はみな茶色かったです。そして何泊かさせて頂いたと思うのですが夕食は大抵同じようなメニューであり、必ずと言って良いくらいに大きな煮魚がテーブルの中央に置いてあり、みんなで食べることになるのでうが、私は茶色い流れの中で捕れた魚だと思うと食べることができなかったことを思い出しました。そんなにいろんな国に出掛けているわけではありませんが日本ほど綺麗な水が流れているところはないのではないかと思っています。と言うことは食べ物の安全性も日本の食べ物は安心して食べれるのではないかと思っています。はるか遠くから風に乗ってやってきたものでもこんなに影響があると言うことは中国大陸の方々はどのように黄砂対策をされているのかと真剣に考えてしまいます。生まれた時からだから大丈夫だとは考えにくいのです。だって私は生まれながら今須の杉の山に囲まれた中で生活を70年近くしていても杉花粉によるアレルギー性鼻炎を克服出来ていないのだから・・・。本日は朝から優・悠・邑 和合で幹部会とお参りの導師をさせて頂き、13時30分から岐阜県老施協理事会が福祉会館であり昼食はコンビニのおにぎりとパンで済ませて16時からは再び優・悠・邑 和合に戻りリモートでの会議を済ませて何度か車の運転をしましたがその都度大きなくしゃみを連発していました。いつまで黄砂が続くのかは分かりませんが黄砂に負けずに明日もタケノコを湯がいて16日の日曜日にはまたまたタケノコの味噌汁を作る事になっています。リピーターの皆さん黄砂にも負けない私にご声援をよろしくお願いいたします。

物価高騰に対しての国の援助をいただく為に

令和5年4月12日

今朝の新聞の1面に6月から電気代の値上げの記事が掲載されていました。電気代の高騰については今既に起きていてその対応に苦慮している中での値上げの記事なので正直耐えられない思い出その記事を見ていたのです。政府の方でも有力電力会社に対して厳しく接している中で『4月からの値上げは阻止した。』と書いてありましたが、今迄は意識をしていなかった電気料金の内訳に『燃料調整費』と言う項目があり、「マイナス」数字だったのが「プラス」になっていて電気代がどんどんと上がっているのです。そんな中で政府が物価高騰に対しての援助として地方交付金の形で7000億円の予算を準備して下さいました。

リピーターの皆さんの中にも地方交付金の仕組みをご存じの方もおみえになるかと思いますが敢えてお話をさせて頂くなら、地方交付金は都道府県及び市町村の裁量で決定する事が出来るのです。と言う事は「介護施設の経営が厳しいから出来るだけ多く補助金として配分したい」と言う配慮が頂けるように色んな手立てを講じる事が肝要だと考えた私は「岐阜県老施協会長としてしっかり根回しをしなければいけない。」と考えて、昨日は岐阜県庁内の人事異動で高齢福祉課長さんと地域福祉課長さんとが代わられたのでそのご挨拶を兼ねてお話をさせて頂きました。

そしてその中で「6月の補正の議会ではなくて5月のゴールデンウイーク明けの県議会選挙後の体制作りの議会に上程していけば」との助言を頂いたので早速「アクションの成果が頂けた。」と言う事で昨日のコラムでは13日の16時から老施協、老健協、グループホーム協会の3団体で協議して嘆願書の打ち合わせをする段取りをしていたのですが同じ時間に急遽別件の緊急会議が入ったので2団体の方にご無理を言って本日16時から老施協事務局で打ち合わせをします。

勿論最終的には県議会での承認が必要ですので議会に対する根回しも今後必要になってくると思いますが色んなネットワークを駆使して頑張りたいと思っています。よく会員施設の方から「会員メリットは何か」と言われるので文字通り具体的な成果を上げてその成果を岐阜県老施協のホームページでしっかりと情報発信していきたいと思っています。当施設の様な介護施設は「経営が厳しいからと言って、勝手に利用料を値上げ出来る事は絶対に無いので、補助金をしっかり引き出して健全経営をしなければいけません。食材料費の値上げが続くからと言って単価の安いものに変更する等と言う事は決して許されないから岐阜県老施協会長としてこれからもしっかりも頑張っていきますのでリピーターの皆さん宜しくご理解下さい。

今は「みなもホール」前の木の椅子に腰かけています

令和5年4月11日

新しい岐阜県庁舎に来るのも何度目かになり、少しは余裕を持って入って行くことが出来る様になりました。本日は4月の異動で高齢福祉課長さんと地域福祉課長さんが赴任されたので岐阜県老施協の事務局長と一緒にご挨拶に10時のお約束で行くのですが、健康福祉政策部の福祉担当次長さんのお計らいにより次長室でお会いすることになっています。今は早くに着いたので(待ち合わせ時間は1階受付前で9時45分なのですが)木で作られた立派な長椅子に腰掛けてコラムを打っている次第です。

9時45分に事務局長と無事に合流が出来、受付で手続きをしてエレベーターに乗り12階に行きドアが開くと高齢福祉課長さんが待っていて下さり次長室に案内して頂きました。次長室に案内して頂く時に高齢福祉課長さんに「久しぶりに高齢福祉課に戻られましたね。」と声を掛けると「覚えて頂いたのですか。7年振りです。」と返して頂いたので「7年も前の事ですか」と話しながら次長室に入って行き、改めて高齢福祉課長さんと地域福祉課長さんと名刺交換をしてから、私の方から岐阜県老施協が抱える問題についてお話をさせて頂きました。

40分くらいの面談でしたが非常に有意義な時間となり、面談で得た事を具現化する為に岐阜県庁から岐阜県老施協事務局に場所を移して今後すべき事を協議して、本部施設に帰ってからは、物価高騰に対する岐阜県への陳情書に対して3団体(老施協、老健協、グループホーム協会)でお願いに行く為の根回しをしています。6月の定例議会に上程して頂くつもりでいたのですが、5月の議会で上程出来たらとの話しでしたので、即のアクションを起こしている次第です。

この行動は正に『行動の老施協』の一貫だと自画自賛です。「会員メリット」が目に見える形にしていくのはこの様な展開だと思っています。老健協とグループホーム協会の代表の方に連絡が着き13日午後4時から老施協事務局で陳情書の中身について検討する事になりました。中身が決まれば岐阜県への陳情書を手渡しする日程を決めて3団体の代表者で直接お渡しをする段取りを決めていきたいと考えています。リピーターの皆さん私は決して岐阜県老施協の事ばかりしているわけではありませんよ。

当法人内のデイサービスの厳しい経営状況の改善の為に4月22日~23日に大阪からコンサルの方に来て頂いて話し合いを持つのですが、その前段階として本日16時30分から関ケ原町デイサービスセンターの管理者の方との意見交換会を持つことになっています。来月16日に70歳になる身ですが後悔の無い生き方をこれからも全力でやっていきますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

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