2023年04月の記事一覧

長い方は9連休とか言っています

令和5年4月30日

昨日からいわゆるゴールデンウィークと言うのが始まりました。テレビのニュースで「5月1日、2日を休みにすると9連休になります。」などと報道して、空港の様子であったり、新幹線の様子であったり、或いは高速道路の渋滞などを映しています。この様なニュースを見ていつも思う事は大企業などが一斉に機械を停めるのであれば再起動までの期間が長い程経費の節約になり、勤めている方も「長期の休みは有難い。」と言う事になるので『一挙両得』と言う事なのでしょうか。

最近の新卒者の就職情報の選び方としての傾向として休日が年間で120日以上が基本の様に考えられていると言う事です。さて介護業界はそのような流れに乗れるのかと言えば「とても考えられない」と言うのが常識になっています。何故なら簡単な話です。特別養護老人ホームにおいて、「年末年始は10間休業します。」とか「ゴールデンウイークですから長期休業にします。」等と言う事が出来ない事はリピーターの皆さんにもご理解頂けると思います。

岸田総理が現職の総理として安倍元総理以来としてメーデーに参加されて参加者と一緒に賃金アップのステージに立たれたとの報道がありました。と言う事は国を挙げて「賃金アップに取り組む」と言う事なのでしょうが介護業界は「休日問題」も「賃金問題」も蚊帳の外の様な感が否めません。だからこそ、介護の面を地域の方々に代わって謙虚にしている職員達の社会的評価を上げる事が肝要だと考えています。

そう言う意味では「評価を上げる為に自らが立ち上がる事も必要だ」とも思っています。「特別養護老人ホームの職員が入居者さんに虐待をして殺人罪で逮捕された。」等と言う報道はでかでかされるのに、介護業界の介護人材不足であったり、なかなか賃金アップが望めない状況や物価高騰による施設の厳しい状況についてはなかなか報道されないのが現実です。

勿論、全国老人福祉施設協議会では会員施設11000事業所の声を反映させる為に色んな事業に取り組んだり、現在の食材料費の高騰であったり、電気代の高騰について各都道府県や区市町村への陳情や請願への取り組みについてのひな形の提供等に力を入れています。例えば介護職員の定着率が低いのにはどの様な問題が内在しているのか、おきてはいけない虐待が何故おきてしまうのか、その様な事へのサポートとしてどの様な研修を開催すべきなのか。

経営へのサポートとして外国人材、ロボットICTに対する情報を如何にして提供していくべきなのか等々について・・・。述べ出したら多くの課題がある事に対して「他人事」ではなくて「自分事」としての展開に介護職員30万人が結束できる為にはどの様な道筋を立てて実践していくのが良いのか・・・。リピーターの皆さん良い手法があれば教えて下さい。

 

昨夜の護摩供養から

令和5年4月29日

東福寺の静慈彰師の護摩木の入れ方がそれほど大きくない入れ物の中で(一説によると天ぷら鍋を活用しているとか)火の勢いがあまりに凄まじいので「大丈夫なのか」と思ったり「火の粉がいっぱい飛んでるがな」とか思うと共に凄まじい勢いの火に負けないようにご真言を唱えさせて頂きました。(然り気無くガラケーの携帯で写真も撮っていますが)

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静慈彰師の護摩供養の祈りをされている姿は祈りの言葉は鮮明であり一つ一つの仕草が真剣勝負であり、護摩供養後の静慈彰師の様子を見ていると「エネルギーを全て費やしたな」と思った次第です。その様な状態であっても段を降りて来てからのお話は明快で分かり易く色々な事を教えて頂けたのはありがたかったです。

例えば私が印象に残っているのは、1つには「あ」と「うん」(本当は「ん」)のお話でした。金剛力士像の口が開いているのが「阿形像」で口が閉じているのが「吽形像」で日本語の50音順の最初が「あ」であり最後が「ん」であるのは「サンスクリット語」から来ているとの話を聞いて「やはり日本の国は仏教がベースにある。」と思いました。そして、私がよく静慈圓前官大僧正の書を指しながら「梵字です。」と言っていたのですが、この梵字と言うのはサンスクリット語から来ている事が理解出来ました。

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2つ目に印象に残ったのは例えば薬師如来様の真言を唱える時に「おん ころころ せんたり まり そわか」と言うし、地蔵菩薩様の真言は「おん かかかび さんまえい そわか」だし、文殊菩薩様は「おん あらはしゃ なう」で「おん」と言う言葉が最初につくのですが、この「おん」と言うのは人を呼び止める時に「おい」と言う風に言う事が語源だ。と言われてみて「そうなんや」と思った次第です。

こんな事を書いていて30年程前に私の福祉の師である吉田宏岳先生(私が出会った時は日本福祉大学中央福祉専門学校の校長であり、「教育と福祉を考える会」と言う研究集団の代表者でその頃の私はその研究集団の末席にいました。)から、「お経の中身を読み解くと綺麗な文学の世界が書いてある。」と言われたのを思い出しました。

そして本日の妙応寺本堂の大谷徹奘師の言葉には「その一言 待っている 人がいます」に、色んな配慮をするにも相手に対する言葉かけの大切さを改めて知りました。

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私が今後の展開を考えての私の真意が伝わらず、私の言った言葉にしんどい思いをする方がいるとしたら、私の思いは何の意味も成さない事になります。「う~ん。阿でいくより吽でいくべきなのかな。でもそれでは私らしさが出ない。リピーターの皆さん、私はとても悩んでいます。何か良きアドバイスがあれば宜しくお願いします。

 

ゴールデンウィークが既に始まっているようです

令和5年4月28日

昨夜は久しぶりに東京で泊まらせて貰い全国老施協の事務局の朝礼に平石会長と大山新会長(昨日の選挙で正式に決まりました。)と秦副会長と私が参加する事になっていたので「早目に事務所に行く事にしよう。」とホテルを8時15分にチェックアウトをして歩いて事務所に行くと8時30分で早くに着いたので控え室で新聞を読みながら待っていると続々とみえて、平石会長と大山新会長がおみえになったとの連絡を貰い 役員室に移動して話をしながら9時の朝礼に備えました。9時になり職員が呼びに来たので事務所に移動して平石会長、大山新会長、私、秦副会長の順に挨拶をしました。

挨拶を終えて役員の皆さんに挨拶をして東京駅に向かいました。東京駅に着き改札に向かいながら「明日からゴールデンウィークだと言う事なので前取りで出掛ける方が多いのか人波が凄いな。」と田舎者の私は思った次第です。もう1つ思ったのは「多分ゴールデンウィーク前と言う事なので関ヶ原駅で指定を取っておいたのは正解だった。」と言う事です。指定の列車に乗らなけれいけないので30分程立ちながらガラケーの携帯でコラムを打っていたので時間をもてあます事はなかったのですが今ようやく列車に乗り込み座席に座る事が出来ました。

昨日東京に向かうときに迂闊にも眠ってしまい最高の富士山を見られなかったのですが本日は大丈夫かなと思っています。ホッとして今気が付いた事を2つ書きます。

1つ目は「昨日は東京で泊まったので朝のお墓への散歩がなかったので毎日の朝の歩数3000歩が出来なかったな。」と思っていたのですが今歩数を確認すると2956歩と言う事で「ホテルから事務所までタクシーにも乗らずに歩いたので帳尻があったな。」と思うとタクシー代はかからずにしっかりと歩けたのは良かったと思っています。但し、朝から暑かったので汗はしっかりかきましたが。

2つ目は本日が28日と言う事で護摩供養に彦根の東福寺に行かなければいけないと言う事です。「勿論行きますよ。」と強く思った次第です。ところで今は名古屋駅で5分の待ち合わせで窓からホームを見ていると外国人の団体客と思われる方が沢山歩かれているのを見ながら「おいおい誰一人マスクしとらんがね」と言う事で「観光に来て貰えるのは結構な事なのでしょうが少し困った事だな」と思った次第です。後10分で岐阜羽島です。岐阜羽島からは車を運転して我が家で着替えて、急いで昼食を食べてタケノコの湯がきをする事になっています。

施設に帰るといくつかの電話対応をしてタケノコの湯がきをするのですが職員の方で全ての段取りをしてくれているので、私は上手に木を組んである中に着火剤の付いた木を入れるだけなのです。私が火の番をしていると面会におみえになった家族の方が興味を持たれたのか見にみえたのでどうしてこの様な事を実施するのかをお話させて頂きました。

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今は15時15分なのですが多分書類の整理をしていると17時になってしまい彦根の東福寺での護摩供養に出掛けるので「今日は1日何をしていたのか」と言う言い方もありますが、充実した1日との言い方もあるのでリピーターの皆さん、是非充実した1日と思って頂けたら有難いです。

 

朝5時25分に外に出ましたが清々しくて気持ちが良いです

朝5時30分前後にお墓までのお参りでの歩数3000歩は、雨の日でも(昨日のように)雪の日(今年の冬は少なかったですが)でも頑張れますが、本日の様に爽やかな青空で既に明るくなっていて、暑くもなく寒くもなく爽やかな風も吹いていて、小鳥の囀りが聞こえるなかで歩くのは最高です。本日は岐阜羽島8時32分発の列車で東京への出張で久しぶりに泊まります。本日はとても大切な会議があるのでやや緊張してます。会議自体は13時30分から砂防会館で行われるのですがその前に 全国大会が11月に岐阜市で開催される打ち合わをしたいので早くに家を出た次第です。時間は有効に使うと言う事を実践してます。昔からよく言われますが「仕事を頼むのなら忙しい人に頼め。」と言うのは自分で言うのも如何かと思いますが当たっていると思います。 と言う事で今も岐阜羽島で新幹線に乗って直ぐにコラムをガラケーで打っている次第です。だって東京に着いてからじっくりとコラムを打つ時間など無いと思っているからです。全国老施協事務局での打ち合わせを効率よくする為に岐阜県老施協の事務局長に話し合うべき論点をまとめて頂くように昨日16時頃に電話で依頼したのですが、昨日の内にまとめて頂いたのをメールで送信して頂いていたので昨夜の内にプリントアウトして本部施設職員が自宅に届けてくれたので私はその書類を鞄に入れておいたので、コラムを打ち終えたら目を通して打ち合わせの中身を考えて効率的に打ち合わせが出来るようにしたいと考えています。今は9時11分で車内アナウンスで「次の停車は浜松です。浜松では5分停車です。」と言ってます。しかも車内掲示板で静岡、三島にも止まってから新横浜だそうだからいつもよりは時間がかかると理解しました。(迂闊にも少し眠ってしまいました。)再びアナウンスがあり、覚醒しました。アナウンスは「まもなく三島です。三島の次は新横浜です。」と言ってます。目が覚めて思った事は「しまった。こんなに良い天気の日の富士山をガラケーで写真を撮る事が出来なかった。」と言う事です。でも、「ま、良いか。富士山が無くなるわけではなしまた次に見れば良いか。それよりは本日は夜までの長い対応になると思うので少し体力温存が出来て良かった。」と相変わらずのプラス思考で東京での対応に頭を切り換えます。それではリピーターの皆さん私の活躍を祈って頂くとしてその報告は明日の新幹線の中で書きます。

今年11月29日~30日に全国大会が岐阜の地で開催されます。

正式な名称は「第2回全国老人福祉施設大会・研究会議~JSフェスティバルin岐阜」がメイン会場を国際会議場と隣接している岐阜都ホテルで開催されるのです。

実は本日は地元開催県の第1回実行委員会が開催されるので、昨日、事務局長と事前打ち合わせをしました。全国大会が岐阜県の地で開催されるので「岐阜県らしさを如何に出すか」と言う事で知恵を絞らなければいけないと思っています。事前に可能かどうかは考えず(予算の問題、相手のスケジュールの問題等は配慮せずに)提案を出して貰っている段階です。オープニングセレモニーに「ゆず」を呼べないか。記念講演に池井戸潤が良いのではないか。楽天にいた嶋さんはどうなのか。場を盛り上げるのに野口五郎さんとか清水ミチコさんが良いのでは?などなど、事前の段階で話をしていたのですが、開催に対しての企画立案のお手伝いをして頂く、サンケイ会館の担当者に事前の確認をして貰ったら池井戸潤氏については「少なくてもここ10年は講演を一切お断りされていて例外的に1度だけサラリーマン時代の依頼によりUFJ銀行でされたのみ」との回答を得たので「もはや絶望的。でも地元からのプッシュなら可能性があるかも」との粘り腰で「出身地である中濃支部長のほうで可能性を探って欲しい。」と本日の実行委員会で話をしました。

池井戸潤氏が駄目だった中での健闘をすべきだと言う事で「三人寄れば文殊の知恵」ではありませんが出てきました。具体的には脚本家の北川悦吏子氏、東京芸大学長の日比野克彦氏、現在はフリーアナウンサーで元フジテレビアナウンサーの近藤サト氏と言う名前が出て来たので「岐阜県出身の方にも凄い方がおみえになるな」と思った次第です。

オープニングアトラクションについては「織田信長公おもてなし隊」などうかとか「岐阜長良川鵜飼ショー」はどうかとか、地元の大道芸人である「風船太郎」さんはどうだろうとの意見が出たので、具体的な状況を探る事になりました。音楽公演についてはLiSA氏と清水ミチコ氏と野口五郎氏などの意見が出ましたが私達では何ともならないのでサンケイ会館の方で状況を確認して貰う事で話を打ち切りました。

こんな風に書いていくと単なるイベントをする様にリピーターの皆さんから誤解されそうなのでお断りしますが研究発表も大きな柱ですが、その点については全国老人福祉施設協議会大会フォーラム委員会の方々との連携で地元開催県は下支えの役割りなので今後はしっかり全国と連携を取ると共に地元の会員施設の協力を得て実りある大会にしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも温かく見守っていて下さい。

週刊現代の事

令和5年4月25日

昨夜20時30分頃、本部施設の全体会議を終えて新聞受けを確認すると「週刊現代」が入っていました。実は地元の本屋さんに前金で一万円を払っては週刊現代を届けて頂いているのですが、前回届けて頂いた時に過不足が出ているのに気が付いていたのに、前金を届けに行くのを忘れていたので「今回から届けて貰えないかな⁉️」て思っていたので新聞受けに入っていたのを確認して「これは25年の信頼の証だ。」と思うと共に「明日にはお金を届けに行こう。あっ明日は火曜日だからお店が休みか。行こうと思った時が休みだから忘れてしまうのか。」と勝手な事を言っている私がいます。

さて、昨夜届けて頂いた週刊現代の記事の中に興味を引くタイトルがあったので、一番に読みましたので次に紹介します。タイトルが「降圧剤はもういらない❗️ベストソング50」「血圧を下げるカラオケ」です。本ページを開くと「脳と全身が活性化してボケ防止も フォークソングと演歌が圧倒的に効きます」「血圧を劇的に下げる カラオケソング50」との大見出しがありました。その見出しを見た時は、フォークソングも演歌も私が得意なジャンルだ。

そう言えば最近は本部施設の突き回のお参り5会場で、お経の後にそれぞれの会場でカラオケで歌わせて貰っているし、これも月1回地元の方とのジョイントカラオケ5会場で1会場に3~5曲は歌わせて貰っているし、盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の突き回のお参りの後でも2曲は歌っています。しかも血圧を下げる50曲のリストを見ていて思ったのは「知っている曲が殆どだし、良く歌わせて貰っているのが多くある。そう言えば、最近血圧が落ち着いている。」と変に納得した次第です。

ちなみに私が50曲の中でよく歌うのをリストしたのが以下の通りです。「いつでも夢を」(橋幸夫&吉永小百合)「函館の女」(北島三郎)「真っ赤な太陽」(美空ひばり)「夜霧よ今夜も有難う」(石原裕次郎)「今日までそして明日から」(吉田拓郎)「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)「神田川」(かぐや姫)「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)「なごり雪」(イルカ)「およげたいやきくん」(子門真人)「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)「いい日旅立ち」(山口百恵)「贈る言葉」(海援隊)・・・。

50曲の内の25曲のリストの中で自信を持って歌える曲を並べてみました。後の25曲も書いてしまうと「ええ加減にしなさい。」と言われそうですが敢えて後半25曲の中で特に気持ちよく歌える歌のみ追加させて下さい。「兄弟船」(鳥羽一郎)「とんぼ」(長渕剛)「酒よ」(吉幾三)※出来たら北島三郎の「北の漁場」も入れて欲しかった。でも、「函館の女」が入っていたから止む無しか。

リピーターの皆さん私が「入居者さん利用者さんの為に」と思ってしてきた事が私の健康の為になっていたと言う事は「巡りめぐって」と言う事なのでこれからも色んな事を頑張っていきますので宜しくお願い致します。

大釜でのご飯炊きなので

令和5年4月24日

ご飯が炊けてからの蒸らしの時間が欲しいので点火式の時間をいつもより30分早くして10時からにしようと考えています。と言う事はタケノコを刻んだり柏肉を刻んだりする時間も全体に早くしなければいけないので、気合いを入れて頑張っていかなければと考えています。それに「タケノコ祭り」なので祭りらしく法被を着て釜戸の前に立たなければとも考えながら本番前からワクワクしてます。(実はここまでは昨夜の内に打ちました。)そして朝のお墓参りの時の事ですが、六地蔵様の帽子が昨日と同じ型の帽子は頭からまたまた飛んでいました。「う~ん。六地蔵様に遊ばれているのか」とも思いましたが何回も帽子を被せる為に上に乗っているので乗り方が上手になった事は間違いありません。

さて、9時に本部施設に行くと既に吉田部長、伊藤主任、若園管理栄養士が筍とカシワ肉を小さく刻んでいてあまりに一生懸命に刻んでいるのでなかなか声を掛けずらい状況でしたが感謝を込めて声を掛けました。IMG_9575 IMG_9578

事務所に行き水野相談員に「祭りらしく法被を出しておいて。」と声を掛けると「用意してありますよ」との返事が返ってきて「流石に本部施設職員の気の配り様な凄い。」と思った次第です。ウロウロしていて具材を入れて大きなしゃもじで交ぜたりしていて10時の点火時間になったので先ずは大釜に点火をしました。

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木を入れる口が大きかったので上手に木が積めていたので本当に上手く火が回り順調そのものだったのですが「始めちょろちょろ中ぱっぱ。」と言われているのですが最初から全力の燃え方で「蓋を開けるな」のタブーを無視して何度も開けました。と言うのはあまりに早く蒸気が上がって来たからです。10時30分には隣に設置した味噌汁用の大鍋の方にも点火をしたのですが木を入れる口が小さかったにも関わらず沢山の木を入れたのでなかなか上手く燃えなかったので木を全部だして積み直しをしてからはしっかりと燃えました。

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11時30分になり大釜のご飯を大皿に入れました。「これぞ男の大胆料理」と思いました。大皿6個に入れてもまだまだ残っていました。そして、今回の『おこげは底の方だけ』と言う事で私自身は大満足な結果でした。次に味噌汁も家庭用としては滅茶苦茶大きな鍋に移してから、それぞれのフロアに取りに来て貰いました。全てが落ち着いてから私も外の木のテーブルで頂いたのですが自分で言うのも変ですが「旨い」の一言でした。但しただ米と餅米の割合を7:3にしたのですが次回からは8:2或いは9:1でも良いのではないかと思ったので早速若園管理栄養士にその旨を伝えました。

結構にご飯が余ったので本日は19時から全体会があるので伊藤主任と水野相談員がおにぎりにしてくれました。そしておこげはあまりないと思っていましたが底の所にはしっかりありました。

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正直2つの大きな寸胴の火の番は流石に疲れましたが入居者さん利用者さんの笑顔が見られたので良かったです。しかしながら本部施設の男子職員はこう言う時は素晴らしい。でもこう言う時の女子職員は出番が無いのも凄いです。リピーターの皆さん、本部施設はこんな所ですが機会があれは来て下さい。

 

お墓参りでの出来事です。

令和5年4月23日

妙応寺の本堂でのお参りと今須稲荷様のお参りをして六地蔵様の所に行って唖然となりました。と言うのは六地蔵様の帽子が6人の内3人が脱げており、しかも社の奥の方に重なる様に一番奥に転がっているのです。そこで、先ずは金剛杖を使って帽子を引き寄せ、3つの帽子を確保してから膝をついてお地蔵さんが設置してある結構高い所にお地蔵様の助けを借りて(お地蔵様に抱き付くようにして)何とか上がり(昇り?)、その上に立ち上がりそれぞれのお地蔵様の頭に帽子を被せました。しかしながら、お地蔵様に毎日の様に帽子を被せているのですが、最初の内は一人のお地蔵様だけだったのに最近は2人になり、本日は3人とは・・・。この調子でいくと、4人、5人、6人となって行くのでしょうか。もしそうだとすると、完璧にお地蔵様に遊ばれているのかなと思っています。いやいや、最近私の膝の可動域が狭くなってきたように思うので、お地蔵様によってリハビリをして貰っているのか等と真剣に考えています。

② ③ ④ ⑤ ⑥

六地蔵様のお参りを終えて若山家のお墓に行くと、写真の様にお墓の字が彫ってある所に上手い具合にカエルさんが入っているのです。しかも昨日もいたのですが、少しだけ位置が変わっているのを確認して「このカエルさんは24時間の間に何をしたのかな」と考えると、可笑しな気分になりました。若山家のお墓の湯飲みの水替えをして、吉澤家(姉春子の嫁ぎ先)及川家(かつての入居者さん)の水替えもして、柴田家(最も仲が良かった同級生でとてもお世話になったおばさん)のお墓に行くとここにもカエルさんがいて、しかもお墓の字の中で行儀よく座っている様に見えたので、改めて若山家のお墓カエルさんを見て、若山家のお墓カエルさんは「随分厚かましい姿勢だな」と思った次第です。

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今原稿をパソコンで打ちながら、どうでも良い事を長々と書いている私に自分自身呆れています。と言う事はそんな記事にお付き合いして頂いているリピーターの皆さんも、随分人間の出来た方だと思った次第です。

昨夜は、デイサービスのコンサルの為に来て頂いた方と強かお酒を飲み、頭の回転が悪い中のコラムなのでお許し下さい。但し明日は待ちに待った『タケノコ祭り』としてタケノコの味噌汁とご飯を炊きます。ご飯の中に入れるタケノコは凄い量ですし、かしわも2キロ買いました。どんな風になるか今から楽しみです。この記事は気合を入れて書きますので楽しみにしていて下さい。

 

久しぶりに未明の対応をしました。

令和5年4月22日

午前3時過ぎに管理宿直の五次部長から入居者さんの対応についての連絡があり、夜中の事では有りましたが、施設側で判断が出来ないので家族に夜中の事では有りますが私の方から連絡をしました。夜中の事ですからなかなか出て頂けませんでしたが何とかつながりお話をした結果病院が開いてからの受信対応にする事になりました。その結果を施設に連絡をすると共に指示を与えました。

電話対応を終えたら3時40分で、再び寝ようとしてもなかなか眠れず4時25分のアラームがいつもの様に鳴った時にはこのまま起きるか眠るかの葛藤をしていると、何故か我が家の猫「おもち」君が部屋の前で「ニャーニャー」と結構に鳴いているので「これは天の声」とばかりに「エイやー」と跳ね起きベッド体操から仏間のお参りお墓参りとこなし今はお風呂に浸かってコラムをガラケーで打っています。未明の対応については吉田部長に引継ぎ病院対応については家族同伴のもと吉田部長の対応にしました。

さて、朝食時に朝刊の一面(岐阜新聞)を見ると『41年振りの上昇幅、3%超え半年、負担長期化』との見出しに『41年振り』の意味を私なりにインターネット情報も加味して述べてみます。私が先ず着眼したのは『41年振り』と言う事です。41年振りと言う事は1981年ですので日本の高度経済成長期は終了しているとは言え、1970年代~1980年代の成長率は4%台だったわけで、1990年代以降の1%台とは違います。

最近よく耳にする言葉に『低経済成長期』と言うのがあります。それに習った様に物価もそれ程上がらずにきたので生活苦をさほど感じる事無く過ごしていたのです。【2022年度は、ロシアのウクライナ侵攻を受けた資源高や外国為替相場の円安を背景に、エネルギーや食品、日用品と幅広い品目で販売価格への転嫁が進み、歴史的高水準となった。月次の物価上昇率は2022年10月に3.6%を付けて以降3%超えが続く。今年1月の4.2%ををピークに2、3月は政府の電気・ガス料金の補助金効果でエネルギー価格が下がり、3.1%と上げ幅を縮めたが、依然高水準が続く。エネルギーの低下を相殺するように、食品や日用品などの上昇が目立っている。】(パソコン検索;静岡新聞)でも今は違います。給与倍増等と景気の良い事を言う様な状況にはありません。

確かに一部大手企業においては給与を大きく上げた事が報道されていますが、世間一般の話として理解する様な状況ではありません。特に介護業界は介護報酬によって決められているので勝手には価格を決めるわけにはいきません。節約にも限度があります。公的支援をしっかり打ち出して頂かないと経営が出来なくなります。岐阜県に於いては岐阜県老施協が中心になって老健協、グループホーム協の3団体で国が決めた地方交付金の追加措置7000億円への対応を既に行いました。組織を守るにはいち早く情報を得て素早い対応が必要です。これからもこのスタンスで頑張っていきますのでリピーターの皆さん私の動きにも焦点を合わせて下さい。

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目がさめたら 生きていた 死なずに 生きていた

令和5年4月21日

妙応寺駐車場入口の掲示板の言葉だったのですが、最初に見た時は一瞬「ドキッ」としました。確かに眠る前に明日があると言うことを当たり前だと思って生きているけれども、ある意味不可思議な事だと言えるし極端な事を言えば奇跡だと言えるのかも知れません。心臓が間違いなく動いているのは「当たり前」と思っていますが本当は「当たり前ではない」のです。

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だって精密機械でもトラブルを起こす事があるし、「平和」と思っていても1秒後に大地震が起きないと言う事を断言する事が出来る人はだれ一人いないのですから。現に最近も自衛隊の幹部の方が乗ったヘリコプターは通常通りの飛行をしていて2分後には消息が分からなくなり海の底に沈んでいて遺体が見つかったとの報道がされていました。

最近も岸田総理が和歌山県の選挙応援に行きパイプ爆弾で襲われると言う事件がありました。少し話題が違う方向に行きましたので戻します。私も来月16日に誕生日を迎えると70歳になります。自分では「まだまだ若い」と思っていても20代の様な動きは出来ない自分がいます。今原稿をパソコンで打ちながら大谷徹奘師の講演でお話頂いた「若いもんには年寄りの気持ちはわからんよ。」と大谷徹奘師が薬師寺での修業をしてみえた時のおばあさんの言葉を引用してから「病気をして健康の有難さを知る」との言葉を思い出しました。

そして、今70歳を目の前にして父進が42歳の時に生まれた子どもである私は私が28歳の時には父進は70歳と言う事で28歳だった私は「何をもたもたしているのですか。もう少しちゃっちゃと動けませんか」と思っていた様に思います。しかし、私が今その年齢になって父進さんの動きは今の私より動けていた様に思うと正直申し訳なく思います。めちゃくちゃ迷惑を掛けて甘えてばかりいた私ですが一つだけ息子らしい事をした事があります。

それは私が言うのも変ですが聡明な父進が突然認知症の様な症状が出現して息子である私の事も義母の事も分からなくなった事がありました。その頃の父は関ケ原町内の町医者にかかっていたのですが私は常日頃から薬の量が異常な位に多かったので不信感を持っていたこともあり半ば強引に大垣市民病院に連れて行きました。

その結果診察をして頂いたお医者さんが当時13粒もの薬を飲んでいたのを3粒だけに減らす様に指示して頂き3日もしない内に認知症の症状は無くなり父親も苦しむことが無くなったのを思い出しました。この経験から私は薬は本当に飲まなければいけないもののみにすべきだとの考えになりました。本日の結論は「当たり前の生活に感謝。そして死ぬまで皆さんの為に役立つ生き方をしていきたい」です。

 

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