2022年11月の記事一覧

昨日の施設見学にまつわるお話からです。

令和4年11月20日

東京青梅の施設に行って来たのですが、東京も広いんですね。

朝8時15分に吉澤施設長に我が家まで向かいに来て貰い岐阜羽島まで行き、私がいつも駐車場として使っている24時間まで550円の駐車場を案内するとまだ、9時前だと言うのに『満車』なのであります。よくよく見渡すとその近くにある駐車場は全て『満車』の標示ばかり。「おいおい、多くの方が紅葉を楽しみに出掛けられるのか。私は決して遊びでは無いのに・・・。」と思いながら吉澤施設長の運転で駅からより遠い所にあったパーキングに何とか止めて岐阜羽島駅に行きました。正直、「時間に余裕がある設定で良かった。と思った次第です。

昨日大阪に行く前に米原駅で切符を手に入れた時に駅員さんから「この列車は込み合っていますので通路側2席で準備します。」と聞いていたとは言え、名古屋を出る時には満席状態です。「コロナに対しては感覚が鈍くなっているのか。勿論経済が回る様にするのも大切な事だけど。」と思いながら列車に乗っていました。そして、一日の中で時間があるのは列車の中だけだと思ったので品川に着く前にコラムは完成させる事が出来ました。

東京駅からの乗り継ぎは中央線なので2番ホームに向かったのですが、構内は凄い人で賑わっていました。3番ホームの所までは順調に行けたのですが「2番の掲示がない。」と吉澤施設長共々に焦ってしまいましたが、そのまま歩いて行くと奥の方に2番、1番の掲示が確認出来てホッとした次第です。東京が始発の筈ですが、ぐるぐると回っている為に車内にはある程度の乗客がみえましたが二人ともに座る事が出来ました。いくつかの駅に停まる度に乗客が増えて来て「流石に東京は人が多いんだな。車両も10両つないでいるとの放送が入ったけど、関ケ原では2両か4両だよね。」とこれまた感心してしまいました。

降りる駅は『東青梅』なのですが、東青梅が近づくに従って正直田舎の風景に変わってきて改めて「東京と言っても色々だな」と思った次第です。そしてもう一つ思ったのは、乗っている列車は『青梅』止まりなのに私が降りる駅は『東青梅』と言う事は青梅よりは手前で東青梅と言う事は列車は西に向かっていたんだと東青梅を降りた時に思った次第です。つまり、私はどちらの方向に走っているのかも理解しないで乗っていたと言う事なのであります。

東青梅駅で降りると駅員さんは誰もみえなくてシャッターが閉まった状態・・・。実際に改札を済まして駅を見ると「関ケ原駅と変わらんがね。」但し、『モスバーガー』『ラーメン屋』『派出所』は駅前にありました。但し、タクシー乗り場にはタクシーが停まっていなくて少し不安になりましたが、取り敢えずお昼をラーメン屋で食べようと行きましたが外の椅子で待っている方がいたのでモスバーガーの店に行き、吉澤施設長に注文を任せて待っているとしばらくして吉澤施設長から「機械が故障したので20分は待って下さい。」との話しで再びラーメン屋に行くとすっと入れたので2人共にメンマラーメン・半チャーハンを頼みました。ご夫婦二人でされてみえるお店の様ですが『メンマラーメン』と言うだけにメンマは沢山入っていました。(チャーハンは絶品でした。)

昼食を終えタクシー乗り場に行くとタクシーが待機していたので乗り込み、本間先生の施設である社会福祉法人聖明福祉協会に向かいました。3施設が一山の中に建っている感じで、本部施設がある盲養護老人ホームでタクシーを降りて玄関を入って行くと本間先生が出迎えて下さり先ずは本間昭雄会長にご挨拶に行きました。本間昭雄先生は年明けには94歳になると言う事ですが全く凜とされているので「私も90歳を越してもこうありたい。」と思った次第です。色んな話を聞きたいとお伝えしてあったので、30年は勤務されている職員で事務方の責任者の大野さんと介護の責任者の浅見さんの2人も同席して頂き色んなお話が聞けました。本間先生の配慮には本当に感謝するしかありません。

色んな話が出来、終了後は東青梅駅まで大野さんが送って下さったお陰で17時33分発のひかりににも乗れ予定よりも早く帰る事が出来ました。私は改めて『持つべきものはネットワークだ』と思った次第なのですがリピーターの皆さんもそう思われませんか。

昨日はとんでもない催しでした。

米原駅を9時50分発の新快速姫路行きで順調に大阪駅に着きリーガロイヤルホテル行きのシャトルバスの乗り場に内藤会長の案内で無事に着き、リーガロイヤルホテルへ。降ろして頂いた所から会場まではまるで迷路の様にして何とか着きました。

会場前の受付で会費を支払って会場内に入る前に静大僧正を中心にした作品を観賞しようと思っていたら静先生の奥様が目敏く私を見つけて下さりご挨拶に来てくださり、尚且つ作品の説明までしていただき恐縮するばかりでした。私の事ですから、ちゃっかりと「写真を撮らさせて良いですか。」と聞くと「何を撮って頂いてもかまいません。」と言われたのには少し驚いてしまいました。

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入り口前の作品を観賞した後、会場に入ると本日の主役の作品が左右に掛けられており、その二点に挟まれる様に大きな作品があったのですが、(具体的には後述します。)その作品を見た瞬間に「会の中でパフォーマンスで書の披露があるんだな。」と思いました。

いよいよ会が始まりました。正面には『大伽藍金堂内陣両壁画完成披露会』の大きな看板が掲げられていて会場内は関係者グループにテーブルが別れていて、滋賀信行会は7人のグループで前から2列目の配置だったので静先生のご配慮に感謝です。と言うより、たくさんの僧侶も参加されていましたが、そのような方は比較的後ろの方の席になっていたのは静先生のお考えの素晴らしさを感じました。

先ずは発起人代表挨拶を高野山真言宗宗務総長の今川泰伸師が静慈圓前官の功績の偉大さと80歳にしてのますますの向上心の凄まじさと昭和の始めに書き替えられて以来の偉業についての話に改めて私は「そんな偉大な方と親しくさせて頂いている事」に改めて感謝の気持ちが湧いてきました。次にお祝いの言葉の一人目は徳島    立江寺    長老で静先生と高野山大学の同級生だった庄野光昭師の挨拶では、静先生と同級生であり、同郷であったので得をした事が一杯あった。との話にますます静先生の素晴らしさを感じると共に私自身の事として40年以上前に19番立江寺で泊まらせて頂いた時の血気盛んな40歳前の長老の姿を思い出していました。もう一人兵庫医科大学名誉理事長の新家荘平先生のご挨拶がありました。先生は90歳を越された年齢でしたが、誠意の伝わるご挨拶でした。

そして、いよいよ披露会の主役である静慈圓前官が舞台に立たれて今回の製作に対する思いを語って頂き、引き続きデジタルフォトの先駆けである小川勝久さんが作成された大きな台紙に静慈圓先生が書によるパフォーマンスには身震いする思いでした。静先生のお話の中では小川勝久先生の誘いによって、製作意欲に火がついたと言われたのは驚きでしか無かったです。

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食事をしながらのものではありましたかあっと言う間の二時間で閉会が宣言されて殆どの方が帰られた後、(静先生が一人ひとりの方を見送られてから)滋賀信行会のメンバーは残ってゆっくりと静先生ご夫妻と親しく話をさせて貰うと共に記念写真もしっかり撮って頂きました。結構緊張する二時間でしたが普通では味会う事が出来ないのは事を体現させて頂きました。

本日は東京青梅の本間先生の施設に吉澤施設長と行く為に今は新幹線のなかてすが本間先生の施設でも有意義な時間が持てるように頭を切り替えて行きます。リピーターの皆さん。やるべき事が多くある日々に感謝した毎日なのでコラムも充実している事に感謝です。青梅情報は明日には書きます。

今は6時38分ですが、ワクワクしています。

本日はいつも以上に軽やかにお墓までの行程を歩きました。それは、以前のコラムで書きましたように、高野山前官の静大僧正が金剛峯寺に大壁画を納められる前に、静大僧正とご縁を頂いている方々に特別な企画として大阪で披露の為の会が催されるからです。

滋賀信行会米原支部に車を置かせて頂き、米原駅まで5分ほど歩いて行き、米原駅で合流する内藤会長を含めた5名を待つことにしたのですが、かなり時間に余裕があるので、明日東京青梅に吉澤施設長と施設見学に行くので切符の購入をする事にしました。切符の手配をしながら、指定をとるのに結構手間がかかったので、「時間が有るときに手配できたので苛々することもなくて良かった。」と思った次第です。

9時50分発の新快速に乗るのに最後に余裕綽々で9時35分に現れたのは予想通り内藤会長さんだったのですが、旅なれているから当然なのかとも思った次第です。米原から在来線に乗るのは多分生まれて初めての体験ですが本日、大阪で何が起きるかは明日のコラムに譲りますが、久しぶりにお会いしたかつての青年会のメンバーにお会いして、「お互いに歳をとったな。」とか「最近は目が見にくくなって夜の外出は控えとる。」等の話題で盛り上がるのは寂しい限りですが齢(よわい)70歳を間近にしているのだから仕方がないのかなと思っています。

今は列車の中なので段々と大阪に近づいているので静大僧正の事を考えていて、静先生は昭和17年生まれと聞いてますので、私より11歳年上なので考えてみたら80歳なんだ。しかしながら、あのエネルギッシュなパワーは何なんだと改めて思っています。今回作成された作品を実際に見ていないのでしっかりとは言えませんが、今回の作品は歴史的価値があることなんだろうと理解してます。

今日のリーガロイヤルホテルでの出来事は明日に譲るとして帰りの行程について書くことにします。リーガロイヤルホテルは滅茶苦茶広くて送迎用のバスの乗り場に行くのに一苦労でしたが、何とか乗り場にたどり着き大阪駅の改札に行くと新快速が10分遅れていて、丁度乗ることが出来て「ラッキー」と思って乗ったのですが、時間調整の為か結構時間がかかり、京都に着いたら、この列車は普通列車になるとの事で慌てて列車を降りて新快速を待ち乗り換えたので、結局大阪駅から米原駅まで二時間もかかってしまいました。

リピーターの皆さん。本日も予定は未定の事が起きてしまいましたが、何とか家には帰り、いつもより早い時間ですが明日は東京青梅まで行くのでゆっくり寝ます。

(追記)帰りの列車で久しぶりに懐かしい日除けの列車でしたのでガラケーで撮りました。

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『できるとき、できること、できるだけ』今朝の大谷徹奘師の言葉です。

「そうや、この言葉は私が一番心掛けた事や」と思っています。勿論、小さい頃から出来たのではありません。と言うより26歳で児童養護施設の指導員になり、世間知らずの私を徹底的に叩き直してくれる本当に厳しい指導をして下さる方がみえて、私は世間知らずが故にその教えを素直に聞いて実践してきたから今の自分が形成されたのだと思っています。多分私が少しは世間を知っていたのなら馬鹿馬鹿しくて13年も続かなかったと言うより半年も我慢出来なかったと思います。そう言う意味では何が功をこうするかは分からないものだと自分の事なのに第三者への評価の様に述べています。『出来る事を出来るだけ頑張ろう』と思えるようになって、私は児童養護施設においては、施設に入居している子どもの殆どが低学力の学力遅滞児だったのです。勤めだした頃は衝撃の毎日でした。この現象は子ども達自身の能力が無いのでは無く、親が子どもの学習に対して全く興味を示さない事に起因している事を勤めて3か月も経過する中で理解しました。「磨けば良いものを持っているのに磨かれていない。だったら、私が学習担当指導員何だから私が何とかするしかない。」と言う事で『できるとき』は・・・「気が付いた今でしょ。」『できること』は・・・「どの様にしたら良いのかわからないので、父進さんは教育者としては素晴らしい功績を築いた方なので聞くしかない。」と言う事で必死な思いで聞きました。その答えは「特別支援学校を紹介するので行ってきなさい。」と言うものでした。今考えると少しピントは外れていたのですが、私は藁おも掴む思いで特別支援学校に行きその当時の教務主任の先生から教えを請いました。『できるだけ』は・・・それを元に一人ひとりの計画を立てて一人ひとりに合うであろうと思われるプリントを手作りする毎日になりました。それと共に、中学生については集団学習の後がマンツーマン指導を実施すると言う事を自分で決めた事とは言え(納得をしてついてきてくれる素直な子ばかりで助かりました。)生活が一変しました。つまり、それまでは、14時から22時の就業時間が10時から23時の休みも殆ど取らないものになりました。勤務時間に対しては「勤務時間はフレックスで大丈夫」と豪語していました。そんな毎日の中、厚労省が後援している海外研修団『ボストン会』に参加して「在宅で大変な子どもに手を差し伸べたい。」と言う事で退職を決意してからは、紆余曲折が一杯山の様にありましたが、その都度のたうち回りながらも「今も生きて頑張っている。と言う状況です。昨日のコラムで『出過ぎた釘は打たれるけれども、出過ぎた釘は打たれて倒れる事はない』的な事を書きましたが、その真実は「自己責任が伴う」と言う事です。失敗をして成長する事もあるのでしょうが、私の場合は『火中の栗を拾う』ような事をしては多くの方に助けて頂いて今がある。」と思うとリピーターの皆さん「私は何と幸せな人生なんだ。感謝・感謝でこれからも頑張らなければ」と思っています。

弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』

朝のお墓までのお参りの時に妙応寺の本堂の大谷徹奘師(奈良:薬師寺執事長)の日めくりカレンダーの本日の言葉を見た瞬間に、昨日若い職員が研修会の申し込みで締切日にも関わらず手続きが出来ていない状態で色々な職員に迷惑かけたと言う事で反省文を持ってきたので、改めて私から厳しく指導をしました。私も若い頃はしっかりと出来ていない事で厳しく注意された事が多々ありました。(若い頃は並外れた常識のない人間だったのです。)ただし、理不尽な指示も時にあったので、そんな指示については『他山の石』として、そのような理不尽な事はしないように心掛けています。ただし理にかなっている教えはしっかり心に秘めて実践しています。やらなければいけない事がわかっていながら出来ないのは当然の事ながら『弱い自分』です。そんな時は「前以てしっかりやっておけば良かった。」と思うのですがそれが出来ないから失敗したり、迷惑を掛けたりするのです。

今回多くの職員に迷惑を掛けた事を肝に銘じて今後は頑張って欲しいと考えています。自分の事として改めて『弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』について述べて行く事にします。私は自分の生き方にリスクがあるとわかっていても突き進んでしまう生き方をしてきて後悔はしていませんが『難関』にぶち当たると時には『弱い自分に出会う』のです。胃に穴が空くのでは無いかと思う事に悩んだり、頭から布団を掛けて出てこれなかったりした事も何度かあり、そんな時は弱い自分が現れます。

だだし、私はその都度救世主が現れて今があります。施設を始めようと土地探しをしていた時にも根回しが悪くて暗礁に乗り上げましたし、事業を進めて行く中で資金繰りに困った事もありました。そんな時には「何で私はこの様な事業をやろうとしたのか。」と思いながらのたうち回るのです。そして、救世主が現れて問題解決していく毎に私は強くなっていった様に思います。

私は調子が良い時は「私が今この様に事業が出来ているのは話が出来て、お酒が飲めて、カラオケが上手だったから。」等と軽口を叩いているのですが、そんな簡単なものでは無いですよね。でも、周りの方々が私を理解して支援をして頂いたからこそ今があり、強い私がいるのだと思います。勿論、これからも弱い自分が登場する事はあるのでしょうが「出る釘は打たれるが、出過ぎた釘は打ち切れない。」等と言っているので少々な事では弱音は吐かないつもりですが・・・と書いていて「おいおい、忘れるなよ。今年の1月、2月は寒い中でも寝汗を毎日かいていたがね。」と頭に浮かびました。そうです、人間の能力の一つに『悪い事は忘れて、良い思い出だけが残る習性があるんや・・・ほんまかいな。」若山宏と言う人間はプラス思考の強力な生き方をしているのです。だからリピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。

 

 

朝から嬉しかった。

令和4年11月15日

いつもの様に我が家のお墓に行き若山家、吉澤家、そして及川家、柴田家にお水をお供えして回るのですが(もちろん、手を合わせてお祈りをしていますよ。いやいや『祈り』と言うよりも『会話』ですかね。)そんな中でめっちゃ嬉しかった事があります。それは、『及川家』のお墓に綺麗なお花がお供えしてあったからです。及川家の家族の方は県外に住んでみえると記憶しているので、滅多に今須に来てのお墓参りはできないのでしょうが、昨日お墓参りに来られたのだとわかり嬉しくなり、私の脳裏に鮮明に及川さんの顔と会話した事思い出した次第です。4軒のお墓に水を手向けた後には我が家のお墓で般若心経を唱えるのですが、手先が冷たくていつもの様に手を擦ってもなかなか温まらないので両頬に手を持っていって擦りました。私は頬は温かいものだと思っていたのですが頬も冷たかったので「頬は温かいものだと思っていたのに。」と69歳になって今更ながら感心している次第です。こんな調子で世間知らずの宏クンなのであります。そう言えば今朝のお参りでは吐く息が白くなっていたのも感動でした。だって今は秋そのものですよ。それは、これも朝のお参りで歩いている時に感動した事なのですが妙応寺の境内にある銀杏の木は見事に黄色く、紅葉だか楓だかは私は承知していないのですが(リピーターの皆さんご存じだったら教えてください。)赤く色ついていました。

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朝はゆったりとした時間が流れていたのですが、本日は10時からは全国老人福祉施設協議会の代議員の検討会が外部委員も入って頂いてありました。この会議では過去の歴史にも詳しい副会長として参加させて頂いたので自分なりの意見をしっかり言わせて頂きました。予定では12時までだったのですが課題も多くて活発な意見が交わされたので12時30分までと言う事で30分の延長もあり、13時30分から優・悠・邑 和合で行われる幹部会に参加しなければいけないので、昼食は急ぎラーメンを作って貰い胃袋に流し込み出発しました。途中で我が家で書類を取りに行かなければいけないし、ガソリンの残りがうっかりしていて、残り140キロと掲示されているし「う~ん、困った。とても間に合わない。」と言う事で信号で停まった時に「10分程度遅れます。」と連絡してガソリンの給油は帰りにする事にして優・悠・邑 和合に急ぎました。結局は5分弱遅れての到着で直ぐに会議を開いて頂き、15時20分(予定15時まで)その後、お参りが15時30分からあり、16時10分に和合の施設を出て、本部施設に帰る前に司法書士事務所に寄り書類を渡すと共に打ち合わせをして、本部施設に戻ると、先般柿を沢山持って来て頂いて私と共に仏壇でお参りをいたかつての入居者さんの家族の方がまたまた沢山の立派な柿を頂き、今回は職員の方にも食べて貰って下さい。との事だったので柿の分け方を指示して((盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)にもお裾分けする為の連絡もしました。』)今は18時25分ですがバタバタの中でも今日も充実した一日であった事に感謝です。ちなみに今週の18日(金曜日)は大阪で静慈圓大僧正の『大壁画披露会』に滋賀信行会の皆さんと参加して、翌19日(土曜日)は東京の青梅にある盲養護老人ホームと盲特養を運営されている本間先生の施設へ吉澤施設長と行く予定をしてます。ハードですが元気にいるからこその展開に感謝と言う事で・・・。

これを不思議と言わないわけにはいかない。

令和4年11月14日

本日は大垣市民病院の放射線科で12月から始まる放射線治療の為の初めてのレクチャーがあるので、朝のお参り等々の色んな事を簡略化して家に帰ったら6時1分前だったのでびっくりしたのです。だって30分以上節約出来るとは思わなかったから・・・。ゆったりとお風呂に浸かり朝食を摂り家を出る7時15分まで休憩をとってから出発しました。若干の渋滞はありましたが8時前に大垣市民病院に着いたので正面玄関前の駐車場に停める事が出来ました。

9時の予約でしたが8時40分には呼んで頂き、お医者さんの問診の後はCT でお腹の状態を確認して貰いました。効率良く放射線を当てて頂く為の準備だと理解はしているものの、慣れない事なので大変です。CTを何度も撮り直しでなかなか開放されません。本日は盲養護老人ホーム『なごみ』に13時の予定で奈良県からバスで20数人の見学があるので、話す内容も含めて準備していたのですが今は11時なので苛々しながら待ち合いでコラムを打っています。しかしながら、健康であっての色んな展開なのでここは「忍忍」です。どこまでいっても『予定は未定であり決定ではない。』だと思った次第です。苛々しながらコラムの見直しをしていて、はたと気が付きました。それは、本日のタイトルとは違う話題で500文字以上を打ってしまったことに。(私のコラムでは良くあるパターンなのですが・・・)と言う事で演題の『不思議』について述べます。

不思議に思った事は朝のお墓参りでの事です。それは家を出た時はお月様がしっかり見えたのに若山家のお墓のところまで行くと月が隠れてしまっていたのですが、「お経を唱えたらきっとまた綺麗なお月様を見ることが出来る。何故ならお墓の主がその様にして下さる。」と根拠のない、それでいてお墓の主にプレッシャーをかけてしまったのです。しかしながら私のご先祖様は律儀に綺麗なお月様をお経を終えて空を仰ぐと見させて下さったのです。しかしながらよくよく考えるに私のご先祖様は大変ですよね。だって色んな事をこの様にお願いしてしまうのだから。でも正直ありがたい事だと思っています。まあ、毎日お墓に水を持っているし、仏間のお水も換えているので「よし」としましょ」と考えている私なのであります。

再び大垣市民病院の話に戻ります。CTは結局5回の撮り直しと途中でMRIが入ったので12時40分になってしまい、最後のCTが終わった時には「練習がもう一回あるので来週で調整しましょう。」と言われ、その後は会計等を終えて駐車場に向かいながら『なごみ』の吉澤施設長に「施設見学を先に済ませておいて。昼食が出来ていないので何でも良いので準備しておいて」と連絡をして急いで向かいました。「踏んだり蹴ったり」とはこの様な事を言うのでしょうか。車を修理に出している関係で代車にのっているのですが『空気圧が低いのでゆっくりと安全な所で停車して下さい。』との警告が出たのでガソリンスタンドに飛び込み空気圧を計って貰うと前輪の左のタイヤが少し少ないとの事で空気を入れて貰い『なごみへ』既に吉澤施設長がスライドを使って説明をしているので隣の席で状況把握をして、吉澤施設長の話が終わったタイミングで私が挨拶と共に話を引き継ぎました。

奈良県生駒市の民生委員児童委員の皆さんは聞き上手で、ついつい話に熱が入り見学時間をかなり削ってしまいましたが、私なりにお話をさせて頂きました。見学されている間の5分間で準備して貰った、大きなおにぎり3個とインスタント味噌汁を頂き再び仏間に見えた方々に祈りのこだわりについて話をして、もう一度会議室に入って頂き、沢山頂いたラムネ菓子とマスクのお礼を言って質問も受けながら15時20分のバスの時間まで有効に使えたと思っています。説明の中で高野山の静慈圓大僧正の話もでたので、静慈圓大僧正の本をお送りする約束をしたので、本部施設に帰って早速手配しました。

私はこのようなご縁を大切にしていくスタンスですのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

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昨夜は強か飲みました。

令和4年11月13日

夏祭りで手つくり神輿で地域に出て頑張った職員の慰労会をてるてる座の座長のお店『くんくん』を貸し切りで行いました。本部職員は私を入れて7人でてるてる座からは座長を入れて3人の合計10人です。座長がお寿司を手配してくれて、私が唐揚げ等々を途中のバローで買っての持ち込み何でも大丈夫での実施です。どのみち職員を慰労するなら徹底的にと言う事で昨日かつての入居者さんの家族が富有柿を沢山持って来てくださったのも車に積み、この会の為に確保していた菊姫と私の奥さま『かをりさん』が作ってくれた梅酒も積み込んでの参加です。最初の進行も私が行い乾杯の発声は神輿の提案者であり、作製の中心者であった伊藤主任を指名して会が始まりました。乾杯にはビールあるいは烏龍茶で行いしばし腹ごしらえをと言う事で、私はお寿司をつまみながらビールは一杯だけで飲み、菊姫に切り替えて頂きました。

その後カラオケタイムになり、私が一曲歌って次に歌う職員を指名する形で実施しました。(と言う事で私は一杯歌うのです。なおこの会に出掛ける前にも高木さんとのカラオケが各フロアであり10曲以上に歌っているのですが)カラオケは次々エントリーをしてくれて、歌いっぱなしの中でも職員の交流を図りました。

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さて、先に『柿を頂いた。』と書いた事についてもう少し詳しくお話をします。11月8日のコラムで7日の日にかつての入居者さんの家族から柿を頂き全国老人福祉施設協議会会議が久しぶりに集合方式で開催されたのでスーツの上からリュックサックを背負いその中に大きな富有柿を8個も持って行って参加された役員の方から絶賛された事は書きましたが、7日の日に柿を持ってきて頂いた時に私は施設にいなくて柿を頂いたと言う内容のメールが送信されて折り返し電話をしてどんな対応をしたかと確認すると「沢山頂いたので各フロアに分けます。

との事だったので「このかつての入居者さんの家族の方は誰も家にみえないので本部施設の本館仏間で写真を飾らせて頂いているので柿を持って行くのを口実にお参りにみえたのに仏壇にも上げなかったのか。」と忸怩たる思いになったので改めてお礼の電話をすると共に「関ケ原の方におみえになったら遠慮なく仏壇にお参りに来て下さい。」と話を向けると「関ケ原に行く事はないけどまた柿を持って行きます。」と言われていたのですが昨日各フロアのお参りの為に本館1階にいた時にピッチで連絡があったので本来、このまま本館2階に行くのを急遽変更して玄関先に行くと柿を置いて帰られようとしていたので、

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「折角来て頂いたのですから私と一緒に正信偈を唱えましょう。仏壇の中のお母さんが喜ばれますよ。」と声を掛けると遠慮気味ではありましたが仏間にあがられ先ずはお母さんの写真がある事を喜んで下さり、仏壇には初めてだとの事だったのでしっかり見て頂くと、ステンドグラス入りである事に驚かれると共に彫り物も褒めて頂きました。椅子に腰かけて貰い私が導師となり正信偈を一緒に唱えました。(私の家と同じ檀家なので)正信偈を唱えたあと話をしていると、お仏壇でお母さんの写真に手を合わせたのが本当に嬉しかったようです。その時に思ったのは私がして欲しいと思う事をしっかりと伝えていかないと色んな対応がちぐはぐになると思った次第です。

さて、今は16時20分でパソコンのキーを叩いているのですが、13時30分からデイサービス及び新館1階・2階のお参りがあったのですがお参りのあと、デイサービスではカラオケを1曲、新館2階に至っては1階の入居者さんも飛び入り参加をされたので「もう1曲、もう1曲」と歌ったので結局本日も10曲は歌わせて頂きました。リピーターの皆さん、私はカラオケで2日間に40曲位歌った事になります。自分でも感心する位に喉の調子は良いようです。これは健康な証と思うとこれまた『感謝』です

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本日は4つの話題をお届けします。

令和4年11月12日

『登録していない番号からの電話でした』

昨夜19時前に家に帰りゆったりとお風呂に入ってリラックスしている時に登録してない番号からの電話(私は1500件位電話登録しているのでめったに番号で知らせる事は無いのです。)少し警戒気味な低温の声で「もしもし」と出ると高校時代の同級生からの電話に急にテンションを上げて話をしていると、私が病気をしていることを知っているので「どうして私の病気の事を知っているの」「どうして私の携帯番号を知ってるの」と質問している自分がいました。多分、私の病気の事は私のコラムを見ている同級生からの情報だろうとの予測をしたのですが、電話番号については予測が出来なかったのですが「かつての連絡網で調べた。」との事だったので、「そんな事もあったな。」と思い出しながら話をしていた時に「70歳になった事だし、同窓会で旅行に行きたい。」との話だったので「まだ、60代ですよ。」と言うと「私もこの12月には70歳になる。」と言うので「おいおい、今度の誕生日で69歳になるのだよ。」と言うと「えっ、そうか」と不思議な事を言うので、私は思わず「歳に対する拘りはないのか。」と思った次第です。しかしながら、今は全く連絡を取り合っていなかった高校の同級生の連絡も嬉しいものだと思った次第です。

 

『朝靄が凄いです。』

5時30分に家を出て六地蔵様のお参りを終えて(6時過ぎです。)お墓まで左手に田圃があり、その田圃から朝靄が凄い勢いてあがっているので「夜中が冷えて急に気温が上がっているからかな」と思った次第です。

 

『手の先が冷たい』

我が家のお墓で手を合わせながらお経を唱えていると所謂末梢神経がある手の先が冷たいので両手で手を擦り合わせました。そして擦り合わせていると、母秋江さんが一生懸命に暖めていてくれているような錯覚に陥りお経を唱えているのに何故か涙が溢れてきました。私はお墓の中の母秋江さんに今でも甘えている事を改めて自覚した次第です。

 

『頭の良い方には落とし穴がある』

今朝の新聞一面のトップに法務大臣の更迭記事が掲載されていました。その方は東大法学部を卒業され警察官僚となり、国会議員の娘さんと結婚され秘書の経験を積まれてから議員になられたとの情報を得て私は「文字通りのエリートの道を歩まれた方だ。」と思うと共に「頭が良い方の中には何事も自分の思い通りになると思っている方がいるのだな。」と思うと同時に、頭が良いと思っている職員の中にも『この程度の事をメモする必要はない』とメモしない職員がいたりします。私は『うさぎとかめ』の寓話を持ちだし「亀であってもコツコツ確実に頑張る職員を評価します。但しうさぎであっても謙虚に積み上げればそれに越したことはない。」と言っています。更迭された前法務大臣は多分政治パーティでの挨拶なので『うけ狙い』のつもりで言われたのでしょうが『苦労』と言う文字をご存じなかったのだろうと勝手な論評をしています。但し『他山の石』として今後も気を付けて話し方をしていきますがリピーターの皆さん、万が一『可笑しな言動』に気が付かれたらビシバシ指摘して下さい。

会いたいと思っていたら相手側から連絡がありました。

令和4年11月11日

今の事業展開で相談出来ると良いなと思っていた方から昨夜連絡を頂きビックリです。電話の用件は「明日どこかの時間でお逢い出来ませんか。」との事だったので、「スケジュールを確認して折り返します。」と言って携帯のスケジュール管理で確認すると午前中は全国老人福祉施設協議会の常任理事会が有り、会議が延びたとしても14時には終わると考えて折り返しの連絡をすると「14時過ぎに参ります。」との返事だったので、改めて『持ちつ持たれつ』の関係に感謝です。どの様な内容かはわかりませんが私に出来る事なら頑張って対応しようと考えています。

さて、本日も朝の仏間でのお参りと妙応寺へのお参りに引き続いて我が家のお墓にお水を持って行くのですが、仏間でのお参りを終えて5時30分に外に出るとまだまだ真っ暗。(岐阜の日の出は午前6時24分)真っ暗な中でも街灯が適当な位置にあり、歩くのには苦労しないのですが、最近は暗いが故に困った事があります。と言うのは本堂までは月明りも入ってこないし、街灯の光も入ってこないし、灯かりらしい灯かりも無いのでお賽銭を確認するのも一苦労です。「お賽銭はポケットから出すだけなのにどうして。」と思われるリピーターの皆さんもおありかと思うので私のお賽銭投入のこだわりについて述べる事にします。

私はお参りの為に家を出る前に『1円玉2個』『5円玉2個』『10円玉3個』『50円玉1個』(※毎月1日には護摩木の分としてプラス200円を持って行きます。)をジャージのズボンの左側に入れて出発します。先ずは妙応寺の本堂で「良いですか(1円玉)良縁ご縁を(5円玉)充分に(10円玉)頂けますように。」」と順番に大きな賽銭箱に入れます。ちなみに、今須稲荷神社では「良いですか、良縁ご縁を、充分に、そして五重(50円玉)の喜びを」と言っています。残り1個の10円玉は六地蔵様に順番にお供えしてそれぞれのお地蔵様に5枚が並んだ日に「30日が無事にお参り出来ました。」とお礼を言いつつ10円玉を回収して大きな器に入れる事にしています。

昨夜電話を頂いた方が14時2分前におみえになったので、色んな面の意見交換をしてお互いに協力し合えることについての話し合いもしました。先般頂いた富有柿を出して貰ったら「会長この柿はコラムに出て来た柿ですか。」と言われたので一講釈コラムについても話をしました。毎日コラムを書くようになって3年以上になると思うのですが色んな方が私のコラムを読んで頂いている事にも感謝です。これは読んで頂けることに感謝と共に3年以上続いて書けたと言うのは健康であり、毎日の話題に事欠かない状況があると言う事にも感謝です。リピーターの皆さんも今生きている事に感謝しませんか。

 

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