2022年11月の記事一覧

2日間出張で疲れた上に最後のだめ押しで・・・。

令和4年11月30日

昨日は全国老人福祉施設協議会の本部事務所に14時集合と言う事で荷物を宿泊する都市センターホテルに預けてから昼食を食べて13時過ぎに事務所に入り、事務所内の職員に挨拶をしてから会議室に行くと既に来てみえた役員さんと話をしていて、14時から広報誌の1月号の為の写真撮影があり、15時から正副会長と事務局の幹部の方との懇談会があり、18時30分からは正副会長だけの懇親会がありました。サントリーのお店の個室でよく話をしてしっかりお酒も頂き22時でお開きになり、素直にホテルに帰りお風呂は止めて爆睡しました。

流石に本日は4時25分にアラームが鳴ったのは気が付きましたが6時まで寝させて貰いました。その後はゆっくりとお風呂に浸かりしっかりと汗をかいでシャキッと鳴ってからこれまたしっかりと朝食を頂き8時になったのを確認してからスーツに着替えて、チェックアウトをして、歩いて本部事務所に行きました。8時30分には着いたので先ずは事務局の職員に挨拶をしてから会議室に行くと私が一番乗りだったのですがデイサービス部会の打ち合わせをしていると9時から朝礼で話をすることになっていたので、会長さんもみえて、9時に再び事務所に行き1分スピーチをさせて貰いました。

その後は12時まで正副会長での打ち合わせをして、昼食のお弁当を頂いてから13時30分からの理事会の時間まで雑談をして外部理事さんがみえたりしたので、この間にコラムが書けたらと思っていたのですが出来なかったので、今(午後5時29分)新幹線の車中で頑張ってます。本日のタイトルに『だめ押しで』と書いた事について書きます。

それは、理事会が16時に終了して、会長らに挨拶をしてから事務所にも行き挨拶を済ませて本部事務所前でタクシーを拾い東京駅丸の内に着いたのが16時25分で「急げば16時33分のひかりに乗れる」と言う事で「昨日岐阜羽島駅で往復切符を買っておいて良かった。」と思って改札を通り抜けようとしたら通る事が出来ない。直ぐに駅員さんが来てくだれたので切符を見せると「急行券が昨日の日にちになっていますので、改めて購入して貰わなければいけません。」と言われたので「自由席なのに駄目なの」と聞くと「申し訳ありませんが改めて購入して下さい。」との事なので「急いでいるので駅員さん私のカードで購入してくれる。」とささやかな抵抗。

新たな切符を手に今度は無事に改札を通れましたが予定していた16時33分のひかりには乗れなかったので『のぞみ』で名古屋まで行き『こだま』に乗り換えて帰るしかないのです。「すんなりと改札を通れたら16時33分の『ひかり』に乗れたのに」と思うと共に「自由席特急券だったら日にちを指定しなくても良いのに。不思議なシステムだな。」と思うと共にドット疲れを覚えた次第です。リピーターの皆さん、世の中には理不尽なルールがあるものですね。

明日から12月です。頭を切り替えて頑張ります。ただし、4時25分の行動開始は頑固に続けて行きます。何故ならば元気の源だと思うから。と言う事でこれからも宜しくお願い致します。

『その一言待っている人がいます』

令和4年11月29日

いつもの大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、いつもの事ながら『深い』と思うと共に『私自身の振り返りをしなさい。』と感じましたので、本日は全国老施協本部への出張があるので新幹線の中で色々と考えたいと思います。

今はお墓参りから帰ってきてお風呂に浸かりながらコラムの書き出しを書いているのですが、脱衣場で服を脱いでいるときにいつも以上に汗をかいていたので、「今朝は雨が降っていたのに温かかったのでいつも以上に汗をかいたと言う事は私の体は正直なんだな。」と思った次第です。

突然ですがラッキーでした。と言うのは本日は東京への出張で2日間施設をあけるので出張前に施設に 出向き昨日、コロナ感染で職員派遣の依頼を岐阜県から受けた対応として職員依頼をしてきた施設に連絡をして、事務局長さんに指示を出してから岐阜羽島に向かう事にして、施設に行くと明日締め切りの決済印を事務部長が押して欲しいと施設に着くなり言われたので「私が施設に来るとの前提で仕事をするな。」と言ってから決済を済ませて、予定通り職員依頼をしてきた施設に電話をすると電話に出た方が私が名乗った段階で「担当に代わります。」との事で、しばらくしてから電話に出られた方は、私が内容を話すると「その用件でしたら担当に代わります。」と言われて、次に出られた方とようやく具体的な話が出来ました。

確かにクラスターが発生している施設だからバタバタされているのは理解できますが私は昨日も16時過ぎにかけたのですが、その時は「担当がいませんので明日9時過ぎに連絡をして下さい。」にも参ってしまいました。ただし、この時も大変な状況だから仕方がないなと理解はしたのですが。「すみません。ラッキーの話がどっかに行ったしまっています。慌てない慌てない。」

以外と施設で時間を取ってしまったので職員に指示を出してから急いで車に乗り込み「10時10分のひかりに乗れると良いけど最悪は次の列車でも昼食の時間を節約すれば大丈夫かな。」と思いながら羽島で高速を降りていつもの駐車場に着いたのが10分3分。「切符を買って乗り込むには無理だな」と思いつつ券売機で切符を買って改札口に行くと10時15分の標示を見たのが10時12分と言う事でこれまた急いで改札を入りホームに行くと列車が停まっていてくれたので、ここで「ラッキー」と言う事です。尚且つラッキーなのは、この列車に乗り込めた事によって、名古屋での乗り換えもなくてゆったりと座って東京に迎えるし、昼食も久しぶりにゆったりと食べる事が出来ると言う事です。本日は14時迄に本部事務所に入り、写真撮影があり(だから中村会長から頂いた赤の勝負ネクタイを絞めてます。)15時から久しぶりのリアルでの常任理事会があり、夜はこれも久しぶりに懇親会があり、明日も9時30分から常任理事会、13時30分からは理事会があり、明日の会議終了予定時間16時30分で終了次第に帰らせて貰うのですが家に着くのは順調に行って20時位かな。

結構ハードなスケジュールですがリピーターの皆さん。役割を受けたからには目一杯対応するのが当たり前。こんな私ですが今後も宜しくお願い致します。

(追記)

昨日参加したごま供養の写真と我が家の家族『お餅君』の写真もせっかく撮りましたので載せさせて貰います。ごま供養は大迫力だし、『お餅君』は可愛いでしょ。お餅君にはでれでれです。

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本日は本部施設において認知症の研修があります

令和4年11月28日

長野県松川市から認知症の指導者を招いて認知症の実践者研修もしくはリーダー研修の受講が終了している職員を対象に研修を行います。講師の先生は朝5時30分に家を出られて8時30分には施設におみえになったので「責任感の強い方だ」と思いつつ私の名刺をお渡しすると「すみません。名刺を持ち合わせておりません。」と言われたので、私の悪い癖で「名刺も持たずに挨拶するのは3流だよ。」と言ってから「これは、私の恩師のひとりの方の受け売りですから気にしなくて大丈夫です。」と言うと「確かにその通りです。」と返されたので「めっちゃ真面目な方だ。」と思った次第です。どんな研修も研修終了後の展開が始まってからがスタートなのに、受講しただけでその後の展開が無いのでは意味が無いにも拘わらずその様な展開の方が多いのが現実です。

研修に送り出す側は『費用対効果』を求めますがなかなか望んだ通りに行かないのが現実です。当法人は医療については嘱託医と何人かの看護師がいるだけの施設です。そう言う意味では『認知症に強い施設』を目指すべきであると共に『今日一日楽しかった』を確立したいとの思いで出来る手立てを講じています。その意味では今回の研修は『フォローアップ研修会』と言う事です。私は社会福祉法人杉和会理事長としてより良い施設にしていく為には『人材の確保と育成及び定着』が大切だと考えています。そこで、理事長として考えて実行してきた事をこの機会にまとめてみます。

先ずは「人材の確保が難しくなるぞ」と意識したのは平成18年から介護養成校の入学者が右肩下がりになり、外国人留学生を積極的に入学させてもまだ歯止めが効かない状況があります。そんな中で当法人は子育て支援として事業所内保育所を建設すると共にEPAによるインドネシア人介護福祉士候補生の導入も視野に入れてアパートの建設もしました。今では1Kではありますが20部屋を確保して古民家を改修して4人がシェア出来るものも確保しました。これによって外国人については特定技能及びインターンシップの導入も出来、中卒の職員も安心して働ける環境を作った事によって『確保』については今のところ順調に推移しているので『資質向上』に力を入れていく為の一環としての企画が本日の『認知症フォローアップ研修』と言う事です。今後驚異的に増える予測が立てられている認知症についての知識を持った展開は大切だと考えてのものです。

また、平成19年に全国老人福祉施設協議会による全国研修岐阜大会が開催された折り、記念講演でデンマーク在中の小島ブンゴード孝子さんのお話を聞いて腰に負担がかかりにくい『北欧式トランスファー』の話を聞いて「長く勤めて貰う為の一つの手立てだ。」と思った私は岐阜県内4ヵ所(高山・中津川・岐阜・大垣)に小島先生を招いて研修会を企画したり、本部施設に小島先生に来て頂いての研修をしたり、現在盲養護老人ホーム優・悠・邑和(なごみ)の施設長をしている吉澤施設長にデンマークの小島先生の所でホームステイをしながらの研修に派遣して全員がトランスファーが出来る体制を構築しました。

しかしながら、フォローアップ研修をしないでいるといつのまにか『持ちあげない介護』でないものの蔓延に、しびれを来してあらためての構築に努めている次第です。リピーターの皆さん、私は社会福祉法人杉和会理事長としてより良い環境を構築する中で『今日一日楽しかった』が常に言える状況にしたいと考えていますので今後共ご支援ご理解をよろしくお願いいたします。

 

『日々に感謝』とは・・・

令和4年11月27日

禅問答の様なタイトルで恐縮です。ただ、本日の朝のお墓参りの時にふっと浮かんだ言葉を本日のコラムで正直な気持ちを書いてみたくなったので、リピーターの皆さん申し訳ありませんがお付き合いして下さい。

私は38歳の時に初めて大学の講義をさせて頂いた時に(大垣女子短大幼児教育科)「福祉の『福』にも福祉の『祉』にも『しめすへん』がある。このしめすへんの元は神様に供える為の三宝(仏教の世界では『三方』)を表しているそうです。つまりお供えするものが無ければ三宝などは意味のないものになってしまう。と言う事は豊かさがあってこその福祉なのです。この世界を超越した教えは仏法の中にはあります。手塚治の『ブッタ』と言う作品の中でお釈迦様に何も差し上げるものが無いと思った兎は、自ら火の中に飛び込みお釈迦様に食べて貰おうとして昇天して天国に召されると言うのが有りますが、その様な事は現実にはあり得ないのです。だから、福祉を語る時には、先ずは豊かな国を築かないといけないのです。」等と話したのを今でも覚えています。

現代において理不尽な事がまかり通っているのが統一教会の手法だと思います。つまり、寄付が出来る根拠も無く多額のお金を寄付するのは断じて許される行為ではありません。(そんなのは宗教でも何でも無いと思います。)

さてそろそろ本題に入ります。(いつものことながら本題に入るタイミングが遅くてすみません。)『日々に感謝』が出来るのは日々の生活が満たされているから「ありがたい」と言う言葉が自然に出てくるのだと思います。勿論、日々の生活で完璧に充足されているかと言えば、そんな事は有り得ないと思います。しかしながら、不足を言えば切りがないので、今の状況の中で『感謝』の気持ちを持った日々こそ幸せな生活だと思います。

そう言えば『感謝』とは少し話題が変わりますが、最近楽しみが一つ増えました。それは我が家に『お餅君』と言う家族が増えた事です。お餅君は所謂『野良猫』を一年近くしてきて野良猫の仲間の中では「臆病のいじめられっ子」(可哀そうに尻尾の先の毛が無いのです。)だった為かなかなか家族の中に溶け込めなくて猫部屋の中の隅っこに隠れてしまい、顔を見せてくれないのです。それでいて皿に入れられた食事はしっかりと食べてあるのです。我が家に来た当時は「可愛くない猫じゃ」と思っていたのですが最近は朝私が4時30分に猫部屋の前を通ると廊下に近い所に座っていて「ニャー」と鳴いてくれるのです。それに対して私は優しく「おはよう、お餅君」と話しかける様になりました。もっと劇的な事は私が寝にいく為に猫部屋の前を通るとこれまた「ニャー、ニャー」と鳴くので猫部屋に入ると私に絡んでくるので『チュール』と言うスティックを1本食べさせるのにお付き合いしているのですが「めっちゃ可愛い」と言う事で癒されている事にこれまた感謝です。

本日は14時から社会福祉法人杉和会の理事会が開催され無事に終わった事にも感謝です。リピーターの皆さん、つまらない一日より感謝の一日の方が幸せだと思いませんか。

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自分からひとりにならないで

朝の大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉ですが「お陰さまで私には無縁な言葉だ。」と思っています。

と言うか一人になったら生きていけない。でも、沢山の師がいて、支援して下さる方も沢山いて下さり、慕ってくれるよき友も沢山いて下さるのは本当にありがたい事です。

ただし、昨日は少し厳しかったです。と言うのは昨日のコラムで書きましたが昨日午前1時15分に看取りの方の連絡が施設の管理北島部長から入り、強引に目を覚まし6分後に再び嘱託医と家族に連絡がつき6時に嘱託医と家族が来て頂く事になった。との報告があり、「いつもの4時25分のアラームでの行動開始で大丈夫」と言う事で再び寝る事にしたのですが『ヤクルト1000』の効果よりも『目が冴えて』の状況の方が勝ってしまいウトウトとしか眠れないままに4時25分のアラームで行動開始をしました。

仏間のお参り後は施設に行き、妙応寺の本堂とお墓でのお参りをして、遅い朝食を獲り、休憩も無いままで約束の10時に岐阜県老人福祉施設協議会事務局に行く為に車を運転していて車の中が温かい事もあり、睡魔に襲われた様な状態には参ってしまいました。どんな状態だったかと言うと眠くなった時に大きな声で歌を歌うと大抵はクリアになるのですが、昨日は大きな声を出す事も出来ず、信号で停まるとウトッとするような状況だったのですが、何とか岐阜県福祉会館の駐車場について5分だけ目をつぶって生気を取り戻しました。但し、打ち合わせに入った時にはしっかりと頭が働いている事が自覚出来たのは良かったです。

打ち合わせ後に昼食をとり、岐阜県共済会の理事会及び永年勤続表彰の会に行く時には眠気は吹き飛んでいました。私の生き方は文字通りソーシャルアクションを起こしながらの展開ですから『孤独』と言うのには無縁の生き方ですが、人生には「もしもこんな風な生き方だったら」等と言う中で、仮にネットワークを構築出来ない生き方をしていたら、今の様な展開は全く考えられないものになっていたと思います。

そして本日は10時のお約束でインドの奥地で技能実習生の教育に当たってみえる方を岐阜県老人福祉施設協議会の西垣制度政策委員長が案内して下さったので色んな提案を聞いている時に60年振り位に我が家の川西に住んでみえた方が突然みえました。と言ってもお互いが名乗らなければ分からない位に変わっていたのですが。話をしていると間違いなく話題が合います。但し、相手の方は「本当に宏クンか。小さい頃は身体がひ弱でよくお袋(今須診療所の看護師さん)に注射して貰っていたのを覚えているけど本当に宏クンなの」と言われて、「お陰様でこんな体になってしまいました。」と半ば自虐的に話をした次第です。そう考えると今の様な状態になるとは60年前の私しか知らない方にとっては考えられない事何だと思います。でも、『現実は小説より奇なり』ですからリピーターの皆さんこんな人生もある事をご理解下さい。

先生早や過ぎです

 

 

真夜中の午前1時15分に本部施設から電話。「厳しい状況の入居者さんが亡くなったか」と電話に出ると、管理宿直の北島部長が「夜中にすみません。看取り対応をしていた〇〇さんが息を引き取られたのを確認しました。」との事。いずれは対応しなければと覚悟をしていた方だったので冷静に「先ずは主治医の先生と家族に連絡をして、その結果を連絡して下さい。」と言うと6分後の1時21分に再び北島部長から「先生は6時に死亡確認に来て頂けるとの事で、家族さんにもその様に連絡しました。」との事だったので「先生は言われた時間より早くみえる事があるので5時30分過ぎには施設に行きます。」と言って電話を切り、「5時30分過ぎに施設に行くのであればいつもの様に4時25分のアラームで行動開始をして仏間でのお参りだけして施設に出掛けて看取りの家族対応をして家に帰る途中で妙応寺の本堂のお参りとお墓参りを済ませる為に出掛ける時にはいつものお賽銭(1円玉2個、5円玉2個、10円玉3個、50円玉1個)を持って行かなければ」と考えてから再び眠る事にしました。

再びの眠りは浅いものでしたが予定通り4時25分のアラームで行動開始をして、5時23分に仏間でのお参りを終えて家を出ようとした5時25分に施設から電話「先生がみえました。」と言う事で「おいおい、いくら何でも早過ぎと違うんかい」と思いながら車に乗り込み施設の駐車場で先生の車に出会ったので車を停めてお礼を言って施設に入り家族を待ちました。勿論待っている間にコラムを打っていたのは当然の事です。先生がこんなに朝早くても対応して頂けるのは本当にありがたい事です。多分施設を出られた先生はそのまま往診に回られるのだと思うのですが地域医療には欠かせない存在だといつも思っています。6時との連絡に合わせて高齢のご主人とともに子どもさん3人で来て頂きましたので感染症対策の為にガウンを身に付けて頂き居室に行って頂いた後、家族の方に対して施設側がお手伝い出来る事について説明して私自身は本来ご自宅までお送りするのですが本日は10時から岐阜県老人福祉施設協議会の事務局と来月行われる常任理事会の打ち合わせがある為に私自身の対応が出来ない事をお話して、玄関先でお見送りをした後は、事務局との打ち合わせの後は岐阜県退職共済会の理事会に引き続いての永年勤続表彰が岐阜市柳ケ瀬にあるグランヴェールホテルがあり、終了したのが16時20分で、急ぎ本部施設に帰る途中で夕食用のパンと金ちゃんヌードルを購入したのを食べて19時からの全体会前に何とかコラムを打ち終えました。

リピーターの皆さん、私は急いで食事を取ってしまったので満腹感がなくて一杯食べてしまうのでお腹が際限なく出ている事は知っているのですが「わかっちゃいるけどやめられない」状態です。優雅に食事を取る日がくるのかなあ。こないだろうなあ。だって趣味は仕事と言っている私だから・・・。

すべて自分が蒔いた種だね

いつもの様に奈良薬師寺執事長の大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉です。この言葉通りに『良縁も悪縁も自分で蒔いたもの』と言われると「ずしり」と堪えます。勿論私の場合は生母秋江の教えの通り「種を一杯蒔きなさい」の結果として、高校2年生からの四国遍路のご縁が色んな形で実を結んでいる『良縁』が沢山あります。例えば滋賀信行会の青年部のメンバーである内藤会長との縁もその一つだし、児童養護施設を退職してから、『教育と福祉を考える会』の責任者である吉田宏岳先生も先生が真言宗豊山派のお寺であり、四国遍路のご案内をした事に寄り素晴らしいご縁・良縁を頂く事が出来たし、本部施設の新館建設(平成16年)の時に内藤会長の紹介を受けて新館に沢山の書を書いて頂いてから毎年8月20日と決めて施設に来て頂き交流をさせて頂く事になった静慈圓前官様とは、中国の杭州での王義之の墓誌の隣に静慈圓前官の碑の除幕式には随行させて頂く事が出来ましたし、先般も弘法大師生誕1250年記念行事が高野山金剛峰寺金堂に静慈圓前官の壁画が設置される前の披露宴にも参加させて頂く事が出来たし、38歳の時に児童養護施設を退職して大学の非常勤講師の傍らで家庭教師をさせて頂いた事に寄り教え子の祖父がその当時大垣商工会の会頭をされていて、私の事業が厳しい状況の時に手を差し伸べて下さった事もありました。また、私が関ケ原町今須の地で高齢者の施設を建てたいとの話題を聞きつけて3学年上の吉田儀一さんが『今須後援会を設立しよう。』と駆け付けて下さり、今でも本部施設の家族会の会長を勤めて頂いています。この様に書いてくると私は本当に多くの良縁を頂いて今があると言う事です。私の生き方は「相手の身になって出来る事をする。」であり「引き受けた役割はしっかりさせて頂く。」です。そんな中で良縁を沢山頂けているのかと考えています。『悪縁』なんて見つからない。だって悪縁だと思っていたかたもみんな良縁に変えて来たから・・・。確かに私にとって困った存在の方は出てきます。でも、困って悩んでのたうち回っているうちに良い関係になっていく。それはそれで有難い。私の弱い部分を強くしてくれる為の存在と思えば大丈夫。勿論厳しい状況に追い込まれている時には弱音も出ますし、恨み言を言う事もありますが厳しい状況が良い形で展開して行った時には厳しく辛かったことはすっかり忘れて良い事しか覚えていない。そんな風に思えれば辛い事を含めて『蒔いた種』なのだから自分で刈り取る。今も厳しい状況は続いていますが『北風と太陽』の様にいずれは良い展開になる様に頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも私の展開を見ていて下さい。

日々のくりかえし、これに飽きた人が負け

令和4年11月23日

奈良・薬師寺執事長 大谷徹奘師の妙応寺の本堂日めくりカレンダーの言葉です。この言葉を確認した時間は今朝の5時50分頃で、本堂は真っ暗で街灯が境内には無いので遠くからの光が僅かにあるだけの状態。しかもその時間帯は今にも雨が落ちてきそうな天気(今は13時10分で雨が降っています。)で。と言う事は暗くてカレンダーの文字を読めるような状況で無かったのでガラケーの携帯の灯りで何とか読んだ次第です。

本題に入ります。『日々のくりかえし、これに飽きた人が負け』の文字を確認した時に自嘲気味に「私には無縁の言葉だな」と思った次第です。と言うのは先ず『日々のくりかえし』の言葉に対して「私は毎日が変化に富んでいるので『くりかえし』とは無縁の生活だ。」と思うと共に「『生活に飽きる』と言う生活とも無縁だな」と思った次第です。事実本日もデイサービス朝の送迎に始まり、送迎が終了次第岐阜市司町で昨日から開催されている『ささえあいフェスタ』(介護機器等の展示や講演等)の様子を見に行くと共に挨拶に回る為に出掛けました。

色々な機器を見て回りながら、介護用品の日進月歩の状態には舌を巻く思いでした。施設での導入を考えても良いのでは無いかと思えるものについては、担当されている方に名刺をお渡しして出来たら施設に来て頂いてのプレゼンテーションが出来たらとお願いしました。ぐるぐるッと回らせて頂き、途中では筋肉の割合を調べて頂く為に靴も靴下も脱いだりして(年齢の割にはしっかりした数値だと言われていい気分でした。)11時25分になり急いで本部施設に帰り、本日は『寿司バイキング』と言う事で私も頂きました。

そして13時35分(予定より5分遅れで)から本館1階及び本館2階のお参り及びカラオケの披露をさせて頂き、今は15時と言う事で、本日17時30分には次男が我が家に来るのでこのコラムが打てたら本日は帰らせて貰い、仏壇のお花を買いに行ったりテイクアウトで予約してある品物を取りに行ったりしたいと考えています。つまり、公私共に充実した日々に感謝すると共に「今日は何して過ごそうか」ではなくて「如何に効率的に時間を使いながら過ごそうか」と言う事にも感謝です。

ただし、朝のお参りの時に六地蔵様でお線香に火を点けている時に指を火傷して我が家のお墓に行った時には「お母さん火傷して痛い。」と甘えると「ペットボトルにある水を火傷した所に掛けなさい。」との声がした様に思ったのでその通りにすると痛みが治まったのには、「お母さん、痛く無くなった」と話しかけると「良かったね」と返ってきたので、険しい生き方には何ともない私なのにいつまでも母親に甘えているのは不思議な思いをしています。リピーターの皆さんこんな私ですがこれからも宜しくお願い致します。

明るくなるのが段々と遅くなります。

令和4年11月22日

確かに仏間でのお参りを終えて家を出たのは5時23分と言う事でいつもより少なくとも7分は早かったとは思いますが、それにしても外は真っ暗でしたがラッキーな事にお星さまは綺麗に見ることが出来ました。しかしながら、冬至の日まではまだまだ日にちが有り、日の出は遅くなり、日の入りは早くなるのだから、「朝のお墓参りは少し暗さ対策をしなければいけないな。」と考えています。さて、話は変わりますが高齢者の人身事故の話題がよく新聞やテレビで報道されているので、本日はその話題について私なりの考え方を述べる事にします。

一昨日の19日に福島市で97歳の高齢者の方により5人もの死傷者を出した事件についてはリピーターの方の中にもご存じの方もおみえになるかと思いますがあまりにも悲惨な事故と言わざるを得ません。勿論個人差はあるにしても97歳で運転されていたのは驚きです。インターネット情報ではありますが97歳で容疑者となられた方は福島県歌人会に70年以上かかわられていて、会長も勤められて今も顧問をされているとの事が掲載されていました。

私はこの記事を見た時に「先生はいつまでもお元気でうらやましい。」等と言われていて、「まだまだ若いもんには負けんわい。」と思われていたのではないかと思います。だからこそ、97歳でも色んな所に出掛けられていたのだと思います。しかしながら、自覚症状がないまま、知らず知らずの内に身体機能も認知機能も衰えていたのだと思います。きっと周りの方でも「いつか事故を起こすのではないか。」と思われている方はあったのではないでしょうか。事故が起きてからでは取り返しがつかないのです。「だったら免許証の返納をすればいいではないか。」との意見が何処からともなく聞こえてきそうです。私もその意見については賛成すべきだと思いますが『ただし、その考え方には条件付きでの賛成なのであります。

つまり、家族が「車の免許を返納すべき」と言うのであれば、今迄自分で運転をして好きに出掛けられた分のせめて半分でも車の運転を家族がすべきだと思います。と言うのは車の免許証が無い事によって『行動範囲』は絶対数減ります。つまり、毎日毎日の生活の中にメリハリのある生活が保障されないのです。私は高齢者の色んな面を見て来た者として免許証を返納された方の厳しくなった生活を沢山見てきました。私の父進は生涯車の免許を取らなかったので、私が大学生になり免許をを取得した時には取得した日に中古車とは言え車を購入してくれました。そう言う意味では息子に対して非常に甘い親であった事は間違いありませんが、車を運転する事が嬉しかった事もあり、可能な限り父進が行きたいと言う所には運転して行きました。

だから、80歳で他界する2か月前までは関ケ原歴史民俗資料館で好きな仕事をしていました。他界する2か月前に病院に入院するまでは。リピーターの皆さん私は思いっ切り親には甘えてきましたが、その分私が出来る事は精一杯してきました。それが私のスタンスなので、お世話になった方には今でも全力で対応します。お世話になっていると言う意味では地域の皆さんにもお世話になっているので私が出来る事は精一杯頑張ります。と言う事は今私が「私の趣味は『仕事です』」と言えるのは今の仕事が天職だからだと思うとまたまた『感謝です。』

 

癌治療の準備の2回目です。

本日は大垣市民病院の受診が9時の予約であるのでいつものように仏間とお墓のお参りを済ませてお風呂に入り7時から朝食を頂き7時30分に家を出発しました。1週間前の1回目の時はCTを何度も撮り直しだったので家を出る時も車を運転している時も気が重かったです。時間帯が時間帯なので渋滞はしましたが、8時20分に大垣市民病院の駐車場に比較的楽に停める事が出来、受付は『パスポート』なる機械でして、放射線科に行くと直ぐに担当の先生に呼ばれて今後の対応の説明を受けて、検査着に着替えてから恐怖のCTの順番を待っていました。だって、一週間前は本当に大変だったから。そして順番が来てCTの台に寝た時には正直ドキドキものでした。

ところが『案ずるより産むがやすし』で1回目で上手く撮れたので嬉しいし、午前の時間にも仕事が出来るしと言う事で嬉しい限りです。ところが放射線科を終えて会計の所に行ってはたと困りました。と言うのは駐車券が無いのです。ズボンのポケットにも上着のポケットにも背中に背負っていたリュックサックの中身を全部見ても無い、ない、無いのです。「ここは居直って会計で正直に言うしかない」と言う事で係りの方に言うと「玄関前の警備員室で駐車券を失くした。と言って貰ったら対応してくれますよ。」と言われて警備員室に行くと、私と同じ様に失くす方がいるのか、パスポートの紙を見せると書類に必要事項を書いてから「このまま駐車場に差し入れて下されば大丈夫です。」と言われて「ありがとうございます。」と言ってジャケットの胸ポケットに入れようとして「はっ」と気が付きました。と言うのは胸ポケットに入れた事を今迄忘れていたにも関わらずその事を新たに発行して貰った駐車券を胸ポケットにいれた瞬間に最初に受け取った駐車券が胸ポケットに納まっている事を思い出したのです。

リピーターの皆さん、あと3分で本部施設の幹部会なのでここまでにします。多分幹部会が終了した時にはくたくたでコラムを書く気力は萎えていると思いますのでここまででお許し下さい。なお、明日も岐阜県庁に行ってから本部施設に帰ってのリモート会議の13時には間に合わないので岐阜県老人福祉施設協議会事務局でリモート会議の対応する事になるので明日も目いっぱいです。体に鞭打って頑張ります。

 

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