2022年10月の記事一覧

家に入った瞬間は「温かい」と思いました。

令和4年10月11日

いつものようにお墓参りまでは変わらない行動だったのですが、あまりによい天気なので、「田圃の草刈りを同級生に無理を言ってして貰って、彼の事だから完全に仕上がっていると思うので確認に行こう。」と言う事で六地蔵様の蝋燭の火を消してから、行くのを嫌がっている自分がおり、田圃の方を向いたり本堂の方を向いたりを何回か繰り返したあと「えいっ」と決断して田圃に向かいました。何故躊躇したかと言うと「朝露で足元が濡れるから。」と言う他愛ない理由だったのですが、マジで悩むのが私のわけのわからない性格だと自分でも思います。しかしながら、今の私は少々の誘惑には負けない強さが備わっているので(そんなに大袈裟に言わなくても良いのですが)我が家の田圃に向けて歩きました。

案の定、草が伸びている所を歩くと間違いなく靴の中に水が入ってきました。しかしながら頑張って我が家の田圃に行くと草は綺麗に刈ってあり、今迄草を刈って頂いていた藤下(とうげ)の高木さんが植えて下さった栗や柿の木が大きく成長している事も確認出来ました。(写真参照)そして改めて母秋江さんの教えであった『蒔かぬ種は生えぬ』を理解した次第です。

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家に帰り玄関の戸を開けて家の中に入った瞬間に「温かい」と実感した次第です。そして、シャワーを浴び朝食を頂いた後、いつもの様にコラムを書く為に2階に上がり部屋に入ると、これまた「温かい」。と言うのは私の部屋は南向きで本日は天気が良く日差しが温かい為だとこれまた改めて思った次第です。そう言えば本日お墓に行く為に外に出た時に見た東の空の「朝焼けが綺麗だったな」と思ったのと「吉兆の印」と都合の良い事を思ったのを思い出しました。(あいからわずのプラス思考です。)天気が良いからでしょうか妙応寺に向かっている時には薄暗かったのがみるみる明るくなってきて、西の空の朝焼けが綺麗で「これまた吉兆」と言う事で・・・。

さて、本日本部施設南側に砂防堰堤の為の調査に入る為の事前打ち合わせの為に10時と言うお約束で業者の方が3人来て頂きました。既に施設の西側には50メートルと言う大規模な砂防ダムを作って頂き、施設の南斜面はコンクリートで綺麗にして頂き入居者さんの安全を守る対策を岐阜県の予算でして頂いています。この様に大規模な援助をして頂いている施設であるからこそ地域の安全・安心に寄与出来る事を色々と考えて取り組んでいく事は、当法人にとって大切な事だと社会福祉法人杉和会の理事長として常に考えています。

具体的に言うならば『防災備蓄庫』や『ガスバルクにより緊急時の電源確保』その他に余暇活動も兼ねての寸胴による味噌汁やご飯作りは緊急時の『炊き出し』(1回に200食は作れます。)に必ずや役に立つと考えています。施設が如何に安全で快適な場所であるかをアピールする事は地域の安心にもつながると考えています。そう言う意味では昨日の『てるてる座』のイベントでの皆さんの笑顔は最高でした。リピーターの皆さん入居者さんの笑顔は最高だと思いませんか。 P1000768 P1000769 P1000771 P1000772

やっぱり・・・最近の気候はおかしいです

令和4年10月10日

本日は祭日だそうですが(『趣味は仕事』と言っている私には関係ないですが・・・)何の祭日かと言えば『体育の日』なのであります。どうして『体育の日』が10月10日と決められたかと言えば、リピーターの皆さんもよくご存知だと思いますが1964年10月10日に初めて『東京オリンピック』があり、その開会式典が開催された日なのであります。私は当時11歳のか弱き少年(本当にか弱かったのであります。)でしたが、オリンピックの開催日になった理由は統計学的に『晴れ』の確率が高くて、その当時の偉い方々で決定されたのだと思います。(ここまで書いた所でインターネット情報を確認すると私の大いなる思い込みが分りましたので訂正して書き加えます。)

先ずは『体育の日』と書きましたがいつの間にか『スポーツの日』になっておりました。私的には『体育の日』の方がしっくりくるのですが、国の方で決めた事ですから本日の祝日は『スポーツの日』と言う事でリピーターの皆さんに訂正してお詫び致します。インターネット情報によりますと【スポーツを楽しみ、他者を尊敬する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う。『スポーツの日』は、昭和41年の祝日法改正により、『体育の日』として設けられた国民の祝日です。『スポーツの日』(旧『体育の日』)は国民がスポーツを親しみ、その精神を通じて健康な精神を培って、明るく住みよい社会を建設することを願い、祝日とされました。この日は、当初『体育の日』と言う名称で、10月10日とされていました。これは、昭和36年に制定されたスポーツ振興法において10月の第一土曜日が『スポーツの日』とされていたことを尊重し、あわせて昭和39年のオリンピック東京大会を記念し、その開会式の日が選ばれたものです。体育の日は、平成10年の祝日改正により、平成12年から、10月の第二月曜日となりました。また、平成30年の祝日改正法により、令和2年から、名称が、『スポーツの日』に改められ。その趣旨についても、「スポーツに親しみ、健康な心身を培う」から「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うと共に、健康で活力ある社会の実現を願う」とされました】(文責:政府広報オンライン)

自分で資料を打ちながら自分の知識の無さには改めて驚かされます。本題とはかなりかけ離れた内容になったと思いつつ書いてしまいましたが。私が言いたかったのは近年の異常気象によって色んな事が変わってきていると言う事です。だって昔から『秋晴れ』とか『天高く馬肥ゆる秋』等と言う言葉がある様に「秋は天気が良くスポーツだけでなく野外活動に適しているから『運動会』『祭り』『各種イベント』等の企画も多いのだ」と思います。にもかかわらず今年の秋は休日になると雨の日が多くて一昨日に開催された『関ケ原 夜想語』は夜と言う事もあり「メッチャ寒い」状況だったし、昨日と今日に渡り『大関ケ原祭2022』が繰り広げられていますが、雨と寒さで開催する側も参加される側も折角の企画なのに残念な事だと思います。

異常気象は色んな条件が重なり進行しているのだと思いますが、何らかの対応を考えて実践しないと将来的にはもっと厳しい状況になると思うのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

2日酔い?3日酔い?

令和4年10月9日

一昨日も酔っいていたわけだから『3日酔い』になるのかな?勿論本日は昨日よりはかなり大丈夫なのですが・・・。まだまだ本来の自分の体調かと言うと「そうじゃない」と言う程度なのですが・・・。昨日は車の運転は流石に自信なかったので迎えから送りまで運転はしていただいての1日でした。久しぶりの2日酔い・・・、いやいや3日酔いの状態ですが、私は何事も『転んでも、ただでは起きない。』性格になってしまったので3日酔いとはどんな状態になるのかを先ずは報告します。

昨日は4時25分のアラームが鳴っていたのを知らなかったのです。ただし、5時30分には何と無く目が覚めて、5分位「起きて行動するかどうか」の葛藤をしてから「エイヤー」で起きて昨日コラムに書いたように、仏間でのお参りは中止にして、お墓への歩きのみを実行したのです。歩き方はふわふわだったと思うし、お賽銭は忘れるし、ペットボトルの水は持つ元気はなかったです。最大の現象は妙応寺の本堂でいつもの様に経を唱えようとしても声が出ないのです。(本日はしっかり出ました)当然ですよね。ご本尊様にしてみたら「2日酔いでお経など唱えるな。声が大きいと酒の匂いがこちらに届くだろうが」と言われていたのではないかと思っています。

さて、昨日開催された岐阜県主催の『女性の活躍フォーラム』が15時30分から関ヶ原ふれあいセンターで開催されると言う事で当法人は『エクセレント企業』(※女性の仕事環境を整えているとの認定。当法人の場合は事業所内託児所や短時間勤務での就業、限定正職等々に対する取り組みへの評価)としてのご招待があり参加しました。関ケ原ふれあいセンターに15時に行くと多くの車が来ていて「賑わっているな。交通整理の方も沢山出て頂いてるのに駐車代は無料とは太っ腹」と思いました。ふれあいセンター大ホール前で受付を済ませて中に入ると、既に多くの方だ座られていました。

15時30分の開始で先ずは古田岐阜県知事の開会挨拶と『ぎふ女(じょ)のすぐれもの』の認定式が行われ、引き続き佐藤美加氏、坪内知佳氏(2人共に有名な方の様なので経歴等は興味があったらインターネットで調べて下さい。)と古田知事の3人によるトークセッションがありました。16時40分に終了して18時30分から行われる『関ケ原夜想語(やそうがたり)』が笹尾山駐車場特設ステージで行われる為に場所移動をするのですが、これまたシャトルバスが無料で運行されていて(これまた太っ腹)バスに乗って現地に送って頂いたのですが、どうも帰りは歩きになる様なので、送って頂くところから近い所に知り合いの駐車場があるので、連絡すると了解が頂けたので送って頂いたバスに乗り元に戻り車に乗り、知り合いの駐車場まで行き会場入りをしました。丁度会場開始時間の17時30分だったので、指定された場所に行き座った瞬間に思ったのは「じっと座っていると寒い」と言う事でした。

開演が18時30分なのでおおよそ1時間開演を待っていたのですが「寒い」だけで無く音楽も何もない状態で待っていたので大変でしたが、開演になって最初に関ヶ原合戦の時の武将の子孫の方の紹介と挨拶がありました。最初に再び古田知事のご挨拶と関ケ原町長の挨拶があり、花火の打ち上げにより開演されたのですが、『高台院(淀殿)日記異聞』の朗読を竹下景子さんがされる形で進行していったのですが、舞台が野外と言う事もあり迫力のあるスケールでオペラ歌手(角田和弘氏、城宏憲氏)の素晴らしい歌声は意味がわからないとは言え素晴らしいものでした。(演奏も生の迫力で素晴らしかったです。)そして最後には「これでもか」と言う位の花火が打ち上げられ終了しました。芝居が終わった後は皆さん関ケ原町が用意した駐車場に向けて歩かれていましたが私は近い所に車を置かせて頂いたので最後には楽をさせて頂けました。

岐阜県の主催だから出来た大掛かりな企画でしたが『関ケ原』は良く知らない方でも『関ヶ原合戦』の事は良く知っていても私は関ケ原に住んでいても大したメリットは無いと思っていましたが「この様なイベントが出来る所」と言う事が認識出来たのは良かったと思います。雨の確立が高かった中でしたが雨が降らなかったのは良かったですがリピーターの皆さん「本当に寒かったです。」

久しぶりに強か飲みました

令和4年10月8日

今年の4月1日から岐阜県老人福祉施設協議会が一般社団法人となり、事務局が岐阜県社会福祉協議会への委託から独自の事務所と職員の体制をとってます。私が全国老人福祉施設協議会の役員になったのが平成18年8月8日からなので15年にはなるのですが、その間に残念ながら他界された中村博彦会長からいろんな事をお教え頂いた中の一つに「何かをして頂く方には徹底的に誠意ある対応をしろ」と言われたものです。その最たる教えとして中村会長が参議院議員2期目で総務大臣政務官の要職に就かれた時に政務官室に行かせて頂いた時に「政務官秘書官の職員には一生懸命に仕事をして貰う為に目一杯配慮をしている。」との話しには『深いな』と思った次第です。

そんな教えを受けて事務局を担って貰っている常務理事兼事務局長と事務職員の2人の方に私の考え方をしっかり伝える為に酒席を持ちたいと思っていたのですが、コロナ感染症対策の一貫でなかなかその機会を作る事が出来ずようやく昨夜その会を持つことが出来ました。しっかりと私の考え方や人生観を伝えたいとの想いで3人のみの酒席としました。そこで3人のみでゆっくりと出来る様に個室を手配して、二人共岐阜市の方だと聞いていたので私の車で迎えに行き、帰りは電車で帰れる様にと大垣駅の近くでと配慮をしての企画でした。

岐阜県福祉会館まで迎えに行き、二人をお乗せすると早速私は生まれてからの話をさせて頂きました。そして、個室に入ってからも殆ど私が話をしていた様に思いますが事務局長ももう一人の事務職員も聞き上手で、最初の1杯は生ビールで乾杯しましたが、その後は「熱燗が嬉しい時候になった。」と言う事で岐阜県のお酒で辛口の『三千盛』でぐいぐいと飲んで飲めば飲む程に舌の回転が良くなり正直強かに飲みました。一次会を終えて「会長の歌が聞きたい。」等と言われてかつて馴染にしていたスナックを予約しました。ところが5年ぶりに行くのとお酒がかなり入っていた為か道案内すべき私が道案内が出来ずにお店の方に迎えに来て貰う体たらく。目的は私が歌を歌うと言う事でしっかり歌いながら本当に久しぶりにウイスキーをロックで頂きました。私も絶好調で歌いましたが局長の歌も素晴らしかったです。

2人が電車で帰る時間になり、私は代行を呼んで貰い家までは順調に送って貰いました。ところが強か飲んだ為と代行の運転手が私の家を知ってる方だったという安心感も手伝い、車に乗って殆ど直ぐに爆睡して気が付くと車庫に車が入っていたので車を降りて車の鍵をしようとしたのですがリュックサックの中に鍵がなくて大慌て。「鍵が無い」と言う事でお店に連絡して代行に問い合わせて貰うと「間違いなく渡しました。」との事でフラフラの中結局自分が座っていたところに落ちていたのを発見して一件落着。

お風呂にも入らず爆睡して気が付いたのは5時30分。「4時25分のアラームに気付かなかったのか」と思ったら何故かアラームがオフになっていたのです。「全く不思議な話です。」まだまだ頭もフラフラだったのですが「我が家でのお参りは無しでも仕方が無いが妙応寺の方丈様が本堂のお線香を点けて頂いていると申し訳ない。」と言う事でフラフラしながらもいつもの様に歩きました。ただし、お賽銭を持たずに(これは完全に忘れたのです。)水も持たずに「とにかく手を合わせに行く」と言う事でフラフラでしたが何とか歩けました。

家に帰りシャワーではなくてゆっくりお風呂につかり、しっかりお水を飲んだのですがまだふらついていて、そんなタイミングの中6時35分に昨夜ご一緒をした事務局長からお礼のメールが来たのでお風呂の中で返信メールを送りました。本日は午前中はゆっくりさせて頂きお昼に味噌煮込みうどんを食べるとお酒が味噌で吸収されて(徳山村での増山さんの民宿で居候をしていた時に増山さんに教えて頂いたのです。)シャキッとなりましたので15時から関ケ原ふれあいセンターで行われる『清流の国ぎふ女性の活躍推進フォーラム』と『関ヶ原ないと2020』はしっかりと参加させて頂く事にします。リピーターの皆さん、本日はコラムを書く事しか出来ませんでしたが「こんな日があっても良い」と思っているのですが・・・。

雨の中でも頑張りました。

令和4年10月7日

本日は4時21分に目が覚めたのですが、何故か律儀に4時25分のアラームが鳴ってから行動に移しました。面倒臭い性格だと自分でも思う事もありますが直りません。と言うより直す気はさらさらありません。何故ならば、それが『若山宏』そのものだと考えているからです。しかしながら、『やると決めたら必ず形にする。』と言うのを実際に形に出来ているのは今が元気だからだと思います。小さい頃の私なら雨の中を帰ってきた瞬間に熱を出していたと言う事実があるからです。健康だからこそ頑張れる。69歳の今もやるべき事が一杯あるのは幸せだと本当に思っています。

昨日は公益認定社団全国老人福祉施設協議会の緊急理事会が16時からあり本日は10時30分から同じく全国の常任理事会があり、本日の一番の課題はデイサービス部会で慎重に討議してきた要介護1、要介護2が総合支援事業になると言う流れがあるのを阻止すべきだとの提案をデイサービス部会の担当副会長として提案説明をしなければいけないのでいつも以上に気合いが入っています。この事は、単にデイサービスの事業所の経営が難しくなると言うだけでなく、要介護1、要介護2の方がデイサービスの利用が難しくなることによって身体状況が厳しくなったり、認知症に対する知識が乏しい方の対応によって混乱を招いたりすることが懸念されるからです。(そう言う意味ではデイサービスの事業所はより専門性の高いものを構築していかなければいけないと考えています。)少し話題が替わりますが『公設あるいは社会福祉法人のみが特別養護老人ホームの経営が出来る。』との考え方を民間にも認めるべきだとの意見が出ているのは事実です。私はこの様な考え方が出てくるのは社会福祉法人の大切な使命の一つである『地域貢献』と言う役割を蔑ろにしている法人があるからだと思っています。

本日10時30分からの公益社団法人全国老人福祉施設協議会の常任理事会では総合支援事業に要介護1、要介護2が組み入れられる事への反対意見の為の方針が決まった後で、収支状況等調査についての提出の締め切り延長の話題が出て特に30床規模の提出が芳しくない結果を目の当たりにして、正直唖然としてしまいました。と言うのは介護保険制度に切り替わった2000年からの介護報酬の考え方は『スケールメリット』の考え方の中で小規模特養の経営は年々厳しくなっているにも関わらず、言葉を選ばない言い方をすれば「経営が厳しくなると言いながら収支状況等調査にも協力しないと言うのは如何なものか」と言う事です。「今が忙しいのにそんな調査何かやってられるか。」と言うのであれば、「いつの間にか埋没してしまいますよ。」と言う事です。自分で出来る事はお互いに精一杯していく事を念頭に置いて活動すればきっと良い方向に行くと思っているのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

岸田総理が国会で立ち往生です。

令和4年10月6日

確かに決めたことを批判するのは簡単だと思います。ただし、決める側は「これは大切な事だ。」と確信を持って推し進めて行かなければいけません。『批判はどこからでも出来る。』しかしながら決断する側は信念に基づいてやりきる覚悟が必要だと言う事です。私がトップに立っての社会福祉法人杉和会も規模的には比較になりませんが、考え方は同じだと考えています。

国葬問題でも色んな批判を浴びていますが、私は拙速に決めて何の根回しも出来ていない(されているのかも知れませんが)中で岸田総理が発表した時には正直「今までの手法と違いすぎていて大丈夫なのか。」と当初から懸念していました。賛否が分かれたとしても信念を持って実行される為にも慎重な根回しが必要だったと思います。

また、旧統一教会の問題にしても、私は『信教の自由の観点』からも「関連しているもの全てが悪」の考え方は如何なものかと私は思っています。勿論、常識では考えられない行為についてはしっかりと掌握して救済を含めてしっかりとした体制を早急に構築して対応して行かなければいけない事は当然なことだと考えています。

国会の場で党首質問に対して窮した対応の中岸田総理の長男さんが首相秘書官に任命されたニュース聴いた瞬間に正直「岸田総理は今の状況を把握した上で長男さんの処遇を決められたとはとても思えないし、その事に対して進言する方がいなかったのか」と思うと凄い違和感を持ちました。確かに長男さんは優秀で人当たりも良く地元でもしっかりと汗をかかれているようです。だからと言って『何万段飛び』としか思えない人事がまかり通るのは今後の対応に苦慮される事が想定される。尚且つインターネット情報によると、岸田総理の長男さんの他にもう一人の政務担当の首相補佐官は経済産業省の事務次官までされた方との事なので「適材適所」との言い分にはかなり無理がある様に思えます。私の個人的な見解では政治の世界で言葉を選ばない言い方をするならば常に寝首をかかれる状態の中で「ほっ」とする空間を持つために身近な所に気の置けない身内を置きたい気持ちはわかりますし、後継を育てる為にと言うのも理解出来ますが、その事を理解した上でも『衆議院議員 岸田文雄の政策秘書』と言うのであれば、資格を取得した人として採用したと言う事で何の問題もないと思うのですが・・・。そんな形で『箔』を付けなくても後継者として地元での選挙も頑張っておられた様だし、如才ない人当たりで配慮も出来ると言う事であれが・・・。「う~。やっぱり拠り所が欲しかったのかな。」しかしながら厳しい状況だからこそ誠意ある対応が望まれるのでは無いでしょうか。リピーターの皆さんはどの様にお考えになりますか。

教えて下さい。

令和4年10月5日

リピーターの皆さん、或いは最近から私のコラムを読んで頂いている皆さん、私は何度もこのコラムで4時25分のアラームで行動開始していると書いていますが、そんな中で6月初めからは外を歩く様になり実際に外に出るのは仏間でのお参りを終えてからだから、だいたい5時30分前後なのですが・・・。そこでコラムを見て頂いている方で分かれば教えて頂きたい事があります。

それは、今朝真剣に悩んだ事なのですが、5時30分に外に出ると夜の様に真っ暗ではありませんがほんの少しだけ明るくなっている様な状態なのです。本日が10月5日で、今年の冬至は12月22日ですからまだ冬至までに2か月以上あるのです。と言う事はまだまだ明るくなる時間は遅くなると言う事です。教えて下さい。12月22日の冬至の日には何時位に少しでも明るくなるのですか。真っ暗の中を歩くのは駄目だと思うものですから・・・。

さて、話は変わって朝のお参りで六地蔵様の線香立てを写真に収めました。どうして写真に収めたかと言うと線香立ての灰を綺麗にした後私の右手の手形をしっかり付けているのを確認して欲しかったからです。これは私が六地蔵様との戯れの写真です。

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六地蔵様は決して怒られない事が言いたくて、敢えて写真をアップしました。昨夜23時35分に施設からメールにて夜勤をしている職員が頭痛と吐き気があり、早退させたとの連絡を受け、一人いない中での対応についての指示をして再び眠りについたのですがなかなか熟睡には至らない中でしたが4時25分のアラームで起きました。(正直なところ10分位は葛藤していました。)6時30分には家に帰りシャワーを浴びてからコラムをガラケーの携帯で打っていた6時53分に職員2人の欠勤の報告、7時40分にも1人の職員の報告があり、職員配置への配慮と吉澤施設長のトランスファー研修がある事への配慮の中、大垣市民病院に入院されていた入居者さんの退院対応に行かせて頂きました。

私がお迎えに行ったので家族の方は恐縮されていましたが私なりに代わりの対応は出来たと思ってます。そんな中で新聞をめくると茨城県立病院の宿直医が宿直勤務中にビールを飲んでいた。(500ミリリットル缶6本との事)しかも看護師に口止めしたり、点滴の医療行為をしていたとの報道には開いた口が塞がりません。だって飲酒していた医師には職業倫理としての自覚があるのか。

しかも口止めをすると言うのは悪い事と知っていて(当然ですが)の行為であり、看護師に口止めすると言うのは『上から目線での行為』と言われても仕方が無いのでは無いでしょうか。また、飲酒の上での医療行為は法律上の規定が無いのは『想定外』であり『論外』だからでは無いでしょうか。私は500ミリリットル缶を6本も飲まれていたと言う事は確信犯だと思います。医療行為を舐めている方にはいくら頭の良い方であったとしても診て頂きたくないと思うのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

 

蝋燭を持って行かなければいけないのに・・・

令和4年10月4日

毎朝お参りさせて頂いている妙応寺境内の一画の六地蔵様の蝋燭を持参しなければいけないと、毎朝六地蔵様の所まで行くと忘れた事を思いだすのです。と言う事で毎朝反省と後悔をしています。ただし、六地蔵様の右端に引き出しがあって、ライターやバラの線香や束になった線香が入っていて、理由は分かりませんが小さく切って数を増やしたとしか思えない蝋燭が沢山入っている引き出しがあるのです。私はいつもバラの線香を2本頂いて立てると共に線香立ての中の灰をかき混ぜて線香の燃えきらなかったのを取り出して新たに火を点けて最後まで燃やす事にしています。但し、灰を交ぜながらいつも不思議に思っている事があります。毎日毎日灰を交ぜて線香の残りを取り出しているのだから、線香は2本しか立てていないのだから線香の残りも2つのはずなのに本日も4本を見つけました。そのような行為をしている時に最後には灰を綺麗に整えてから私の右手の手形を点けてその上に線香を立てているのです。(深い意味はありません。)

本題から離れてしまったので戻します。本日も小さく刻んだ蝋燭を六地蔵様それぞれに点けさせて頂きました。妙応寺でのお参りとお墓参りでの1時間が6月初めから既に3か月以上続いているのは色んな『遊び心』を持って実践しているから続いているのだと思います。だって幸福地蔵菩薩様には、誰かが私のしている事を見られていたら、抱き付いているとしか見えませんから。また、六地蔵様では1日に1か所しかお賽銭をあげませんから順番にお賽銭が並んでいくのを楽しんでいるし、今須稲荷様では1円玉、5円玉、10円玉、50円玉を一個ずつ入れて「チャリン」との音を楽しみながら「いいですか(1円)ご縁を(5円)充分(10円)頂いて、五重に(50円)幸せでありますように」と祈っているのです。リピーターの皆さんふざけている様に思えるかも知れませんが私は大真面目なのであります。

本日は財政審議会が推し進めようとしている、総合支援事業に要介護1、要介護2を組み入れる話を振り出しに戻す為にどの様なアクションを起こすべきかと言う事で全国老人福祉施設協議会デイサービス部会5役会議が17時から行われるのですが、会議が円滑に進む為の根回しを朝から担当副会長としてさせて頂きました。要介護1、要介護2が総合支援事業に組み入れられたら極端な事を言うならば古い時代の言葉ではありますが『保険あってサービス無し』と言う事にもなりかねないと思っていますのでしっかりとエビデンスを構築してより良い形になる様にしていきたいと思います。

【追記】

3枚の写真は3日連続の写真です。お地蔵様の傍が良いのか3日間動いていないのです。あるいは同じ所に戻って来ているのかは定かでありません。

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昨日田圃の確認をしておいて良かった。

令和4年10月3日

いつもの様に幸福地蔵菩薩様の方に向かって歩いていると私が気付いていない間に(『目指せ幸福地蔵菩薩様』で歩いていたからだと思います。)田圃の草刈りをして貰っている同級生が私の隣にいたのに気が付き慌てて挨拶をすると共に一緒に幸福地蔵菩薩様にお参りしてから、「昨日、田圃の確認に行ってあの草刈りは大変だったと思いました。」と投げ掛けると「まだ途中だけど、一年に3回草刈りをすれば、機械を使って綺麗に刈れるよ。」との事だったので、「来年からはその様に頼みます。」と話をしてから本日も色んな話をしたのですが、正直昨日靴や靴下がべたべたになりながらも田圃に行ったのは正解だったと思っています。

施設に着くと岐阜県から頂いたコロナ感染症対策の一貫で実施する週1回の抗原検査が正に始まろうとしていたのですが「理事長は一番最初にして下さい。」と言う事で会場となっている会議・研修室に行くと準備が整っていたので、鼻の中をぐるぐるして15分の結果待ちはしないで事務所に戻り(大丈夫との結果を今頂きました。)本日、13時30分から岐阜県老人福祉施設協議会の常任理事会が開催されるのに合わせて、全国老人福祉施設協議会が実施ている『収支状況等調査』の報告件数が少なくて3回目の延長をしたと言う連絡を受けたので、全国老人福祉施設協議会本部事務局に今現在の岐阜県の提出状況をメールで依頼すると共に岐阜県老人福祉施設協議会事務局にメールが来たら転送するので本日の資料に追加して欲しいと依頼しました。私には収支状況等調査を提出しない理由が理解出来ません。

何故かと言うと3年に1度の介護報酬改定にとっての大切な資料になるものを出さないで「介護報酬が厳しい。」と言っているとしたら可笑しな話だと思います。岐阜県からはしっかり提出して貰える様にして行きたいと考えています。朝の妙応寺の本堂での話をします。本堂のお賽銭箱の横に木彫りの仏さんが安置されているのは知っていたのですが、毎日の様にスルーしていたのですが、昨日井尻信一作品展を見に行ったからか気になってじっくり見ると『福徳円満和尚は当山前住職をモデルに作製された』と書いてあったので、私は前の住職の事は記憶にないのですが急に親しみを覚えました。と言うのは「私に似ている」と前々から思っていたからです。

そう言えば井尻信一作品展のチラシのモデルは本部施設新館の『結』のフロアに設置してあるものなのですがあの大黒様も「私に似ているな。」と思っていたので、「どうしてそんなに似るのかな」と考えてみると、気が付きました。「仏さんは基本的に福耳に象徴されるようにふくよかなんだ。ガリガリの仏さんは未だ見た事がないな。」と言う事です。確かに幸福でいる為には「ふくよかな懐の深さが大切なんだ。」と思うと共に「小さい頃の私はギスギスしていたわけではないけど痩せていたから仏様とは似ても似つかぬ体形だったな。」で、リピーターの皆さん私は今も厳しい状況ではありますがふくよかさを維持出来ている事に感謝です。

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昨日は異常に眠くて

令和4年10月2日

昨日は姉夫婦の交通事故もあり、コラムこそ書けましたが神社に神酒を届けたのと佐藤施設長との打ち合わせ以外に大した事が出来なかっので「どうして活動的になれないのか。」と考えつつ、「こう言う時は早く帰るべし」と言う事で17時には早々に家に帰り、「異常に眠い」と言う事で自室にて眠ることにしました。

余程眠かったのか直ぐに眠りに入り、目を覚ましたのは19時30分だったので、1階に降りてお風呂に浸かり夕食を頂き21時30分には再び眠る体制にはいり、「寝付けるかな」との心配をしたのですが、お陰さまで午前0時30分に一旦目を覚ましたので「これからの時間は眠れないパターンが多いな」と思いつつ眠りにつき、意外にも4時25分のアラームがなるのに「うそだろう。」と思いつつ時間を確認すると間違いなく4時25分だったので「しっかり眠れたな」と言う事で、昨夜肩と首が痛かったのでシップ(バリテリンはよく効くのかな)貼って寝たのですが、こちらの方もかなり改善されていました。

昨日のお参りの最中に同級生から、「大変だったので全部は草刈りができていないが、一度見に行って来て。」と言われていたので我が家のお墓参りを終えてから田圃の状態確認に行く事にしました。鹿除けの柵を開けて歩き出すと足元の草に朝霜があり、靴も靴下もしっかり濡れてしまいました。(気温がグッと下がった証しだと思いました。何とか我が家の田圃に行き、昨日同級生が「大変だった。」と思うと共に「これでは一日で出来ないと言う意味が理解出来るわ。」と言う事でした。

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本日は9時30分に、昨年竣工した盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)のある地区の氏神様にお参りする事にしていたので8時45分に家を出て和(なごみ)に行くと、既に駐車場で吉澤施設長が待っていたのでお酒1升を持ち出掛けました。梅谷地区の民家の一番奥の所に神社はあったのですが、思っていたよりははるかに立派な造りで石の階段もしっかりとしたものでした。私は、初めてのお参りである事の非礼をお詫びしてから一生懸命にお参りをさせて頂きました。お参りを終えてからは気分が随分軽くなったように感じています。

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一旦施設に戻り、その後、虎姫時遊館で昨日から開催されている『井尻信一(号 翠空)作品展』に参加させて頂きました。と言うのは平成16年に事業開始した本部新館の祈りの一つとしてオリジナルの彫り物を各ユニットに井尻信一さんに作って頂いた『結』のエリアの『大黒様弁天様和合像』がポスターになり作品展にも出品されているのです。(代わりの物として今は立派な観音像が設置されています。)お祝いを兼ねての参加なので和(なごみ)の帰りに従兄弟の洋菓子店で手土産を購入して行ったので、直接、井尻信一さんに手渡すと他の来館者に説明されていたのですがわざわざ説明をして頂けました。会場の入り口中央に当施設がお貸しした『大黒様弁天様和合像』が展示されていたのは本当に嬉しく思いました。展示してある中の1点である鷹の作品を寄贈して頂けると言う事で実直な事をしていると良い事があるものだと思ったのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

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