2022年10月の記事一覧

今朝(5時30分)外に出ると息が白かったです

天気予報での岐阜県の最低気温は7度との事でしたので、多分我が村『今須』の気温は5度位だと思うのですが自分の吐いた息が白かったのには感動しました。だから外に出た時には「さむいな。」と思いましたが歩きだすと寒いのは気にならなくなり、橋の欄干で屈伸運動をしていた時にはじわっと背中に汗をかいているのがわかり「健康的だ。」と思った次第です。

本日は盲養護老人ホーム『優・悠・邑    和(なごみ)』で10時から入居者さんと一緒にお経を唱え、引き続きカラオケで私が歌を歌わせて貰い、その後、会議が出来るように会場を設定した後に全体会があります。14時からも緊急の大切な会議があるのでほっとする時間はありませんが、本日は本部施設の昼食はバイキング料理なのですが、昼間は外ばかりなのでバイキングの様子を見ることは出来ませんがバイキングについては職員に任せて理事長としての仕事を頑張りたいと考えています。

寒くなると思い出す事があります。それは高校1年生まで悲惨だった『霜焼け』の事です。特に小学生の頃の私は11月の声を聞くと両手両足の手首足首までリンリンに腫れてまっ赤、赤のてかてかで、学校から帰ると母秋江さんがゴボウの湯がき湯と冷水を準備して待っていて、湯と冷水の入った中に10秒ずつ手を入れる事を繰り返しするのが日課でした。

リンリンに腫れている時はしくしく泣いていて、少し良くなって布団の中に入るとむず痒くて「痒い、痒い」としくしくしていて、自分の事だったのですが今となったら「面倒な子」だったと思います。小学校へ行く時には靴を履くのも痛いと言って小学3年生までは姉光子さんにおんぶして貰っての通学だった様に記憶しています。(御免なさい。春子お姉さまにはカバンを持って貰っていたのですよね・・・。「ですよね」と書いたのは私の中での記憶は無いのです。「すみません。」)小学4年からは何とか自分で歩いて行ったのですがその理由は姉光子さんが中学校を卒業していまい、春子お姉さまにおんぶを頼むのは恐れ多かったのだと思います。

中学生になり、流石に『軍手』の様な腫れ方はしなくなりましたが、間違いなく高校1年の冬までは霜焼けがありました。では、高校2年生の時から霜焼けが出来なくなったのはどうしてかと言うと私は高校2年の夏休みに四国遍路に行ってからだと記憶しています。(私はこの現象を「ご利益を頂いた」と思っています。)

そして、本日10時から盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)のお参りで正信偈と般若心経を唱えてから「お経さんを大きな声で唱えさせて頂くと汗が出てきました。これは身体が活性化されている証です。」とお話をさせて頂きました。と言う事は今の私は小さい頃の私とは全く違った体質になっていると言う事で「ありがたい」とつくづく実感しています。その他にも春子お姉さまに「小さい頃の宏は音痴だったのに。」と言われているのですは、お話のあとで、しっかりとカラオケで2曲(『シクラメンのかほり』と『浜防風』)歌わせて頂きました。

リピーターの皆さん、私はますます進化していますので、これからもよろしくお願いします。

【追記】今朝の妙応寺の本堂にある大谷徹奘師の日めくりカレンダーには『ほしいのは 自分に 負けない 心です』とありましたが今の私は「負けとるわけにはいきません。」の考えしか浮かんできません。だからと言って奢った気持ちは全くありませんので。つまり、今を活かさせているのが嬉しくて嬉しくて・・・。

P1000791

議題・2題。

① 蛙さんの変貌術

妙応寺の境内にある三佛様(本尊様、不動明王様、毘沙門天様)の所まで行ってしきびの葉っぱが3枚落ちているのを拾おうとして3枚目が上手く拾えないと思ったら実は葉っぱではなくて蛙だったのです。「う~ん。実に上手く変貌術を使ったものだ。」と感心していると慌ててピョンピョンと佛様の方に逃げて行きました。そこで私は「この蛙は佛様に守られているのか。」と思った次第です。

P1000790 P1000789

② 先代の理事長を守らなければ

先代の理事長とは私の奥様の父親。つまり私の義父なのですが、義父は私が今の事業をすることに対して絶大なる理解と協力と支援をして下さいました。私は施設が完成して事業開始をした翌年のお正月に義父と二人でお酒を酌み交わしている時に私からしみじみと「多くの資金を投入して頂けたのには感謝と共に申し訳ない気持ちでいます。」と話しすると、「立派な建物が建ったのだから素晴らしい財産になったのだからそれで大丈夫だよ。但し、建物が建ってからの方が大変なんだから頑張る様に」的な話をして頂き「ずっと頑張らねばいけない。」と思ったものでした。盲養護老人ホームの経営が厳しい中で色んな方々に相談したりすると共に寒い時期にも関わらず(1月、2月)2時間くらいウトッとすると寝汗をかいて眠れないので、ウォーキングマシーンで歩きながら『祈り』に没頭した時期もありました。

今は、他の施設に頼りながらではありますが経営の目途が立ち、6月からは朝早くからの仏間での祈りも妙応寺の本堂でのお参りや我が家へのお参りも落ち着いて出来る様になり、自分自身に少し余裕が出て来た為か昨日の朝の仏間でのお参りの時に「先代の家の仏間は悲惨な状況だと聞いているのに私は何の手立てもしていない。これではあまりに無責任ではないか。」と思ったのです。

それで、仕事はしていたものの上の空の様な状況で、全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議でもしっかりとした発言が出来なくて、この事もまたまた尾を引くような状態があり、大垣での用事を済ませて家に帰ったのが20時10分でその後お風呂に入りながら考えた結果、「先代の家でお守りが出来ないのであれば、私の家でお守りすれば良いのではないか。」との結論に達した時に今後やるべき事がスカッとしました。それは「仏壇はどうするか」「お参りはどうするか」です。

お風呂から上がり、早速奥様に私の思いを話しすると「その様にして貰えたら有難いです。」との事だったので私は改めて自分の配慮の無さを恥ました。リピーターの皆さん思いませんか。位牌になったとしても暗闇の中で放置しているのは如何なものかと。なるべく早くの対応で義父、義母、叔母さんに喜んで貰える様にしたいと考えています。今日のコラムは私勝手の話で申し訳なくおもいますが、私はこう言う人間ですがこれからもよろしくお願いします。

 

今朝は一段と冷えていたように思います

令和4年10月19日

仏間での祈りを終えて、水の入ったペットボトル5本をリュックサックに入れて背負い、金剛杖を右手に持ち外に出ると、東の空がほんのり明るくなっていて、西に向いて歩きだした時には街灯の灯りがまだまだ元気でした。それより何より外に出た瞬間に「今朝は一段と冷えているな。頭に毛糸の帽子が欲しい。」と思った次第です。

さて、前々から「膝が弱くなってきたな。」と感じていて1週間ほど前から(それまでにも、時々はしていたのですが。) 施設にある手摺を使っての屈伸運動をしていたのですが、3日前からは朝の歩きの時に橋の欄干、今須稲荷のおきつねさんの台座、本堂と今須稲荷を結んでいる廊下の下の石垣を利用しての屈伸運動を加えたのですが、わずか3日目なのですが、膝の動きが良くなって来たように感じています。と言う事は何もしなければ良くなる事はないけど、少しの時間でも工夫する事によって良い方向に向く事があると言う事なのだと改めて思った次第です。その事はこのコラムの連続更新にも言える事だと思っています。

例えば朝食が終わってから施設なり出張等に出掛ける前の僅かな時間でも、ガラケー携帯の画面に向かって原稿を打っているのですがその時の100文字、200文字、時には300文字がある事によって、毎日の原稿になっていると思います。勿論、毎日書く事によってスムーズに原稿が書ける様になった事と歩きながらでも話題となるものを見つけようとしたり、構想を練る事が常態化しているのも大きいと考えています。

本日は午前中に外部からのお客様が2人みえたので2人目をお見送りして事務所に戻ったら12時になっていて、13時30分からは全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議が開かれ(リモート会議)16時までの予定で17時30分からは大垣に移動しなければいけないし、多分家に帰れるのは20時30分過ぎになると思うのでそれからコラムを書くのはしんどいので、昼食を急いで頂いてからパソコンに向かって今(13時10分)コラム原稿を書いている次第です。

小学生の時には夏休みの宿題も、夏休みも残す所あと3日位になるまで殆ど手付かずで、怖~い春子お姉さま(断っておきますが今はとてもとても優しいですよ。)に怒られながら半分泣きべそをかきながら、結局読書感想文とか工作などの宿題は春子お姉さまに手伝って貰ってと言うより完璧にして頂いた私だったのにと思うと、私は小さい時には成長せずに今になって成長しているのかと思っています。しかしながら、私も児童養護施設の指導員時代には小学生の感想文などは私が下書きをして正書だけを書かせた事を思い出しました。その時は小学1年生ならこの程度の文章だろう。6年生ならこの程度だろうと考えながら書いていたので、『相手の身になって』はこの頃身に付けたのかも知れません。と言う事はリピーターの皆さん「何事も無駄なし」。本当にありがたい事です。(ここまで書いて13時25分で本日もクリアと言う事で・・・)

東の空から明るくなってきました。

令和4年10月18日

家でのお参りをして妙応寺経由の我が家以下4軒のお墓参りの為に外に出るとまだまだ暗くて(5時25分)空気が透き通っているからだと思いますが、まだ暗いと言う事もありお星さまをいくつか見ることが出来ました。そして、いつもの事ですが東の空に向かって手を合わせると、東の空がうっすらと明るくなっていたのですが、西の空を確認するとまだまだ暗いので、間違いなく東の空から明るくなる。つまり、東の空から太陽が上ることが理解出来ました。と言う事は『天才バカボンのパパ』が言っている事は「ちがうのだー」と言うくだらない事から書き出してしまいました。

本日は13時30分から全国老人福祉施設協議会による、『第一回代議員等の選出に係る制度検討特別委員会』があるのですが、この委員に会長を含めて5人の委員の中に選ばれたのは総務・組織委員会担当副会長の任にあるからだと言う事を理解しているので「ここはしっかり意見が言える様にしておかなければいけない。」と言う事で午前中にしっかり資料の確認をしました。私は全国老人福祉施設協議会の役員になったのが平成18年8月ですからすでに15年以上直接的な関りを持っているので、役員さんのなかで色んな考え方を持ってみえる方がある事は理解出来るだけに、全国老人福祉施設協議会が今後も高齢者福祉の中で中心的な役割を担って行く為にも精一杯自分なりの意見を述べて行きたいと思っています。

13時20分からパソコンの前に座ってスタンバイしていると平石会長が画面に入られたので昨日相談させて頂いた事のお礼を話していると、外部委員の弁護士の先生と全社協の常務理事の2人の方も入ってみえたので本日が初会合の為進行をされる平石会長がお互いの緊張を取る為だと思ったのですが「若山副会長は自己紹介する時に必ず『岐阜の若山です。』と言われる方で、朝6時30分からお経をあげられている方なんです。」と紹介して頂いたので「ここは、リラックスする為に」と考えて「会長6時30分からでは無いですよ4時30分からです」と言うと平石会長が「流石に年寄りだ。朝が早い」と切り返され外部委員の2人の先生に「何時ですか。」とふられたら一人の方が「6時です。」と言われてもう一人の方が「私はもう少し若いので6時30分です。」と答えられたところで定刻の時間になり雰囲気よく検討会が始まりました。

初めての検討会議と言う事もあり本日は事務局からの説明が中心になりましたが、そんな中でも外部委員の方からは専門性のある意見を多く頂く事が出来ました。私は役員として15年の経験を生かした提案をさせて頂きました。人数が限られている中での会議なので密度良く進行したので次回の会議でもしっかりとした参加をしたいと考えています。リピーターの皆さん緊張感ある時間が持てている事に感謝なのであります。

雨が降っていましたが頑張りました。

令和4年10月17日

前日に10時間以上しっかりと寝たので昨夜は眠りが浅かったのですが不思議な事にアラームセットの4時25分の1分前に時間を確認してアラームがなってからてきぱきと行ったので本日は5時25分には外に出ることが出来ました。外に出ると雨が降っていたので傘を左手に右手には勿論金剛杖を持ち、背中にはリュックサックに5本の水が入ったペットボトルを背負い、お墓へのお参りまでしっかり頑張りました。本日は岐阜県庁に9時30分までにいかなけれはいけないし、14時からは和合で幹部会とお参りがあり、17時15分からは本部施設の幹部会があるので1日充実した日になりそうです。

昨日、1昨日の土日は比較的ゆっくりさせて貰ったので何と無く帳尻があっているように思っています。本日9時30分までに岐阜県庁に行くのは、岐阜県庁が来年(1月4日)から新しい庁舎に移る事になっていて、私は設計の段階から『ユニバーサル検討会委員』として関わらせて頂いていて、あと2ヶ月になった段階での見学会と共に検討会が行われるのです。この様な企画は素晴らしいと思います。と言うのは建物が完成してからでは仮に使い勝手が悪い所が見つかったとしても、なかなか直せるものでは無いからです。勿論殆ど完成に近い段階で直す事は難しいとは思いますが私なりにしっかりと見て指摘すべきは指摘していこうと考えています。

家を8時10分に出たので充分に時間があるはずだったのですが、大垣辺りまで車を走らせるとナビでの到着時間がいきなり9時40分になったので焦ってしまいましたが、穂積の道なら児童養護施設時代にくまなく走っているのでコース変更をして、何とか9時10分に着いたのですが、いつもの駐車場から新庁舎に向かったのですが何処が会場なのかがわからず工事の誘導をしているガードマンの方に聞いてもわからなくて急ぎ高齢福祉課に連絡すると「確認します。」と言う事で5分程待っていると迎えの方が来て頂けて事なきを得ました。

会場内はスリッパに履き替えるようになっていて、午前と午後にグループ分けがしてあり、午前は障害と高齢者の4団体のみで、県庁舎開設準備課長さんの挨拶に引き続き係長さんからの説明を受けたあと新しい建物の議会棟及び県庁舎を詳細に渡って説明を受けながら議会棟及び庁舎を見させて頂きました。検討会は平成29年から継続的に7回開催されましたが視覚障害者の方の立場や身体障碍者の立場に立っての意見はしっかり言わせて頂いたので指摘した事に対しての配慮はかなり組み込まれていて、バリアフリーもしっかり出来ていました。

私の素直な感想は「とにかく広い」と言う事(最上階の20階はオープンスペースで約3000㎡)と「岐阜県の物が多く使われている」事には驚きました。県産の物は美濃の和紙、東濃檜、多治見の陶器等です。12月16日には竣工式典がありご招待を頂けるとの事なので楽しみにしています。岐阜県が誇る岐阜県庁舎としての機能をしっかりと果たして貰う事を期待してます。リピーターの皆さんも来年の1月4日からは新庁舎での事業開始です。一度見学などされたら如何でしょうか。ちなみに駐車した所から雨にぬれずに行けるようになると聞いてます。

 

飲みすぎは色々と支障をきたします。

令和4年10月16日

一昨日も一週間ぶりに強かお酒を飲んで、一週間前のしんどさが全然反省につながっていないのは自分自身の事ながら如何なものかと思っています。しかしながら、世の中にはお酒の強い方は沢山おみえになるとつくづく思っています。と言うか私も決してお酒は弱い方では無いのでいやいや、強い方だと思いますが『類は類を呼ぶ』と言う事なのでしょうか。

昨日は二度寝をして流石に運転は控えた方が良いと思い迎えに来て貰い、「最低限度の仕事はしよう。」と考えて、書類の決裁とコラムは書くことにして、昼食は二日酔いには最適な味噌煮込みうどんを作って貰い、少しは味噌にお酒が吸収されたのか少し気分が良くなった様で、少しは頑張れました。但し、15時過ぎには頭が全く働かない様な状態になり、「このまま施設にいるとだらだらしてしまい職員に示しが付かない状態になってはいけない。」と思い家まで送って貰い、直ぐに自室で横になると直ぐに眠りにつき、気が付いたのは19時30分が過ぎていて「今ならお風呂に入って夕食を食べる事が出来るな。」と考えて1階に降りて行くと、奥様から「20時過ぎたら自分だけ食べようと思っていた。」と言う事でお風呂にゆっくりと浸かり夕食もしっかり食べる事が出来ました。

3時間位しっかり寝たにも関わらず21時30分には眠りにつき本日はアラームセット前の4時15分に爽やかに目覚めました。そして、仏間での水替えをしながら昨日は仏間での水替えもお経も出来てない事をお詫びしていつもは2本の線香に火を点けるのですが、本日は昨日の分もと思い4本のお線香に火を点けて気合を入れてお参りをしました。気合が入っていたからか本日が気温が高かったかはわかりませんが、ほんのりと背中に汗をかきました。そして一番理解した事は妙応寺の本堂でのお参りをしている時に痛感した事ですが、お経を唱えようとしても声が出なくて立ったままいるのも辛くて、大きな賽銭箱に持たれるようにいたのです。勿論本日はしっかり立って手を合わせながら大きな声でお経を唱える事が出来ました。

昨日から気になっていたのですが、確認するのが怖くて出来なかった事をお参りを終えてシャワーを浴びて朝食を済ませてから恐る恐る確認したのがガラケーで撮った写真です。大変な所を強調する為にめっちゃ左足が巨大に写っていますが、それ程でもないのですがリピーターの皆さん「痛々しい」と思いませんか。「どうやってこんな傷が出来るの」と思われるかも知れませんが私の右足は特に器用なのです。お酒を飲んで体が火照って文字通り『痒い所に手が届く』と言う事ですが『過ぎたるは及ばざるが如し』との格言通りです。今回は『3日酔い』にはならずに本日は元気ですので午後からの藤下の高木さんとのジョイントカラオケは頑張りたいと思っています。

R4.10.16

家族が増えました

令和4年10月15日

昨日は午後から法人事務局長(和合の副施設長)と一緒に、職員募集のお願いの為に大学周りをして、和合の施設に着いたのが16時で大垣18時の約束での飲み会には少し時間があると言う事で一旦我が家に帰る事にしました。大垣と自宅への往復をするわけですから多分30分も家に滞在する時間は無いとはわかっていたのですが、家に帰りたい理由がありました。それは我が家に新しい家族が増えたのが気になっていたからです。我が家に着き早速2階の猫部屋に直行すると部屋の一番奥の窓際のガラス戸の所で寝ていました。私は思わず「豆腐、豆腐。ご主人様だぞ。」と声を掛けたのですがしっかりと寝ていたのか全く無視をされてしまいました。

20年前に『リット』が来た時には「ちゃんと挨拶せんかい。」と言って抱きかかえると毛を逆立てて怒っているのが分かったので「最初が肝心」とばかりに厳しく対応したので全く嫌われてしまい、仲良くなれたのは今年に入ってから・・・。だから「ここは我慢、我慢」と遠くから真っ白な猫を見ているばかりでした。17時5分になったので1階に降りていくと、ピアノの生徒さんが帰られたのか奥様がいたので「豆腐が寝とったぞ。」と言うと「『豆腐』ではありません。『お餅』です。」と言うのでいつもの事ながら私は「奥様の話はいい加減に聞いているんだな」と思いつつ「私の中では『豆腐』とインプットされてしまっているからこれからも『豆腐』と言いそうだ。」と思っている次第です。

P1000779

昨夜の飲み会も強か飲んだので「4時25分のアラームで起きるのはキツイ」と考えてアラームのセットを解除しておいたのですが5時20分に目が覚めて5分程悩んだ末に妙応寺経由のお墓参りには出掛けました。歩いていてもふわふわした感じでしたが頑張って歩きました。歩くと言うのは良い事です。家に着くとほんのり背中に汗をかいていたので昨夜はお風呂に入らずに寝たのでシャワーを浴びてからゆっくりと湯船に浸かりました。お風呂に入った後でもまだまだ完全にお酒が抜けていないので朝食は食べずに眠る事にしたので猫部屋の前を通った時に部屋をのぞいたのですが猫を見つける事が出来ませんでした。

これは、まだまだ我が家の一員になり切っていない為に部屋の隅っこに隠れて寝ているのだと思うと早くに我が家族となれる様にしたいと思った次第です。昨日の飲み会では当法人の事や岐阜県老人福祉施設協議会の今後の展開についても議論を交わしましたので、本日は頭の回転があまり良くないので、(何とかコラムは書けましたが)本日は早くに仕事を切り上げて明日からはしっかり頑張りますのでリピーターの皆さん、本日はここまでとします。

私の奥様はるんるんです

令和4年10月14日

昨夜夕食前に私の奥様かをり様に一本の電話が入りました。話の内容はわからないのですが、嬉しさが溢れるような話ぶりに「嬉しい用件なんだろう」と思っていたら、最後に「改めてご返事します。」と電話を切り、目を輝かせながら「猫を譲ってもよい。」との獣医の先生からの連絡だったとの事で、猫を飼う話の決定権は私には無いのですが、(私は猫よりは犬が好きなのですが、毎日の散歩など私には物理的に無理なので、奥様が全ての世話をすると言う条件で猫を飼うのです。)取り敢えず報告があったので「明日にでも受け取りに行ったら」と言うと早速折り返しの電話をしていて『ルンルン』さが伝わってきます。

そして電話を切ると直ぐに『11時に行く約束をしたけど結構大変だ。』と言うので私は「猫を受け取りに行く体制を優先すればいいんじゃないか。」と言うと「そうするわ」と言ってからは「名前を付けなければ」と言ったかと思うと「遊ばせる道具が一つしかない。」等と『ルンルン』さが伝わってきます。名前については『リット』にすると言いだしたので「リットは20年以上いた猫の名前にするのは少し抵抗があるな」と言うといつもと違って素直に「だったら今『豆腐』と呼ばれている」と言うので「既に決まっているのであれば豆腐で良いのではないか」と言うと「真っ白な毛の猫なので豆腐とみんなが言っている。今度こそしっかり抱かれる猫にしたい。」と既に夢を馳せているのに私は「しっかり躾をしないと三味線の皮にするぞ」と言ったのですが全然意に返さなくて、つくづく思ったのは「我が家での生活は私より猫様が優先される生活になるのかな」と思った次第です。

今朝も私がお参りから帰ってくると、会話は猫様の事ばかり。「名前は豆腐で良いのかな」と聞いて来るので「真っ白だと言うのであれば『ホワイト』の方がカッコよくないか」と言うと「横文字は駄目」と言うので「だったらいっそのこと『お餅』にしたら」と言うと「『お餅』は・・・」と言うので「だったら『豆腐』で決定」ときりが無いので話を打ち切りました。我が家の飼い猫『リット』は20年間以上マイペースな生活を送ったのですが『リット』が我が家にやって来た時は私が酔っぱらって帰って来て多分乱暴に扱ったのだと思います。私の事を『天敵』の様に思っていたのか、1階でのんびりしていたのが私の車のエンジン音がすると2階に慌てて行くばかりでしたが今年になり20年の経過の末にようやく私にも甘える様になり、私の布団の所にも来て甘えてくれたのを今も懐かしく思っています。

そう言えば本日も大垣まで飲みに行くんだった。『リット』の時の様にいきなり酔っぱらった勢いで気合を入れて『躾』をすると豆腐君にも嫌われるかな・・・。いやいや、私も20年前とは違うので「優しく、やさしく・・・」リピーターの皆さん。今夜酔っぱらって帰ってから豆腐君に優しく出来ると思いますか。

私はこんなにロマンチストだったかな

 

 

今朝も、いつものように歩いたのですが、歩きながら月が面白い所にいるのを楽しみながらガラケーの携帯で写真を撮りました。

P1000774 P1000775 P1000776 P1000777

いきなり何となくの風景が並んでいてリピーターの皆さんは「何のこっちゃ。あいからわず若山はワケわからん奴だな」と思われた方もおみえになったと思います。我ながら「お月さまと戯れるとは心にゆとりが出てきた証しかな」とも思っています。厳しい状況の時でも鮮やかなお月さまを見ることが出来たはずなのに、その事を楽しむ事が出来ていない。人間とは正に感情の生き物としみじみ思った次第です。そんな時に何の脈絡もなく思ったのは、少しの努力も継続すると何かが変わると言う事です。と言うのは、6月初めから始めた妙応寺経由の我が家への水を持ってのお墓参りは歩数にすると2500歩程度なので大した運動になっているとは思えませんが2500歩×120日=300,000歩で300,000歩×0.7メートル=210.000メートル(210キロメートル)急にこんな計算をしたのは突然自分を褒めてみたくなったのかな・・・。

さて、本日は10時から本部施設のフロア責任者会議があり、各フロアからそれぞれに提案がなされて、その提案に対して会議に参加した職員との討議をして最後に私が方向性の決定と評価をしていくものです。回数を重ねていく毎に中身が濃くなっているのを感じながら、『幹部会』『フロア責任者会議』に続くメンバーを育てていかなければいけないと痛感しています。『人材=人財』だと考えていますので職員のキャリアアップをしていく事は施設がより良くなることだと考えていますのでこれからも頑張って行きたいと思っています。

昼食後は全国老人福祉施設協議会による制度政策検討会議が13時30分からあるので資料の確認をしていて時間調整をしました。政策検討検討会議はそうそうたるメンバーが参加されるので資料の理解もして参加させて頂きましたが議題には①要介護1・要介護2を軽度者と認識している財政審議会への対応。②施設管理者の考え方(ローカルルールの整理)③物価高騰に対する対応。④小規模特養の収支状況等調査研究⑤特養の入居申し込みについてのアンケート調査。⑥特養の配置医師の協力体制に関する調査研修⑦認知症の評価尺度の在り方の調査研究。と多岐に渡る検討が2時間行われました。全国老人福祉施設協議会副会長として初めて参加させて頂いた時には全く意見が言えない状況がありましたが本日は私なりにしっかりと自信を持って発言出来たので正直充実した時間を共有出来ました。正直少し疲れを覚えたのですが「ほっ」とする間も無く平石会長と参与であり認知症の権威である鴻江さんから電話を頂き自分の役割りを果たせた事を実感することが出来ました。リピーターの皆さん。知識人の集まりの中に加えて頂いている事によって69歳若山宏はますます進化しております・・・。なんちゃって。

一本の電話をして驚きました。

令和4年10月12日

一本の電話の相手は本部施設本館が事業開始をして(平成10年)1年間の大変な時期を乗り越え(施設が売りに出ている等と言うデマを大学の先生で流す方がいたと聞いています。)2年目にようやく施設も落ち着いてきた頃の事業開始をして3年目を迎えた頃に施設見学をさせて頂いてからのご縁で、それ以降その施設の重鎮の方で素晴らしいご経歴を持たれた方に時にはお教えを頂きながら、施設間交流をさせて頂いて、最近はその法人の若き理事長とも親しくさせて頂いているのですが、しっかりとした考えをお持ちだと思っていたら、流石です。

全国老人福祉施設協議会の役員としてのご縁を4年前から持たせて頂いていて、私は少しは全国老人福祉施設協議会の事がわかるので、時にはアドバイス等をしていたのですが、最近はコロナ感染症対策の一貫でお会いする機会がなかったのですが、本日全国老人福祉施設協議会の総務・組織委員会主催の『2035の会』(将来を見据えた意見交流をするもので各委員会の幹事が参加するもので、私も総務・組織委員会担当副会長として参加させて貰ったのですが、昨日「明日の2035の会では頑張って」との思いを込めて電話をさせて貰ったのですが、久しぶりに話をしてびっくりしました。

と言うのは、以前からの落ち着いた話しぶりは変わらないのですが、「今正に頑張っている。」と言う事が理解出来る自信に満ちた話しぶりに舌を巻く思いでした。そして本日の2035の会は平石会長も参加して頂いての会議だったのですが、平石会長から質問を投げかけられた時には少し緊張されているのは画面の中でも分かりましたが実践している自信からだと思いますがしっかりと尚且つ堂々と答えられているのを頼もしく思って会長とのやり取りを聞いていました。

昨日の電話でのやり取りの中でも自分がやるべき方向が明確で何年か先に対する目標もしっかりしていたのには頼もしさと共に驚嘆の思いを覚えた次第です。明日は午後から全国老人福祉施設協議会制度政策検討会議があり、総合支援事業に要介護1、要介護2を組み入れる事を財政審議会が画策している事に対して絶対反対の声明を出し戦っていく事をしっかり提案していきたいと考えています。

この問題は単に事業所の経営の問題ではなく、結果的には要介護1,要介護2の方の重度化につながり、結果的には余計にお金を使う事になる愚策だと言う事を明確にしていくと共に介護保険の根幹を覆す事になる事もしっかり訴えていきたいと思います。若い方々の息吹も大切にしながも、歴史的背景や知識を活かせるものがバランスよく活動していく事が大切だと考えています。リピーターの皆さんのご意見をお聞かせください。

 

1 2 3 4