異様が異様でなくなった
令和4年10月31日
タイトルだけでは何の事かリピーターの皆さんわかりませんよね。私はあいからわず自分だけの世界に入っていてスミマセン。だから今から解説をします。(そんなに大袈裟な事では無いのですが。)
それは、昨日のハロウィンでの事です。と言うのも、今回北島部長が着た紫色のドレスは私が昨年着たものなのです。その時には「理事長はあそこまでするの。」と言う雰囲気があったのですが、今年のハロウィンでは北島部長の他にも早瀬主任も白のドレスを着たし、その他の職員もそれぞれに工夫を凝らしたものになっていました。だから、入居者さんも利用者さんも大いに喜んで頂けたと思います。一時流行った言葉の『赤信号みんなで渡れば怖くない。』ではありませんが、みんながあれだけの奇抜な仮装をして貰うと(昨日のホームページ『今日の優・悠・邑』と『今日のえりかの里』及び『理事長コラム』を見て下さい。)「私の布袋様の仮装がかすんでまう。」と言う嬉しい悲鳴です。そして、「率先垂範をした宏君は偉い」そして「その気になって頑張っている職員達にブラボー」です。
本日の岐阜新聞で見つけました。
めっちゃ懐かしい方の記事が写真と共に岐阜新聞に掲載されていましたので、記事の主である『平方浩介さん』について語ります。
私が平方浩介さんにお会いしたのは、私が教員を辞し父進さんに実質上の勘当をされて、今須の地にはいられないと言う事で、大学時代に柳田民俗学の流れを受けた『郷土研究の会』と言うサークルにも所属していて(他に『落語研究会』とか『世界民族研究会』とかにもウロウロしてました・・。)徳山村の調査に2年間関わっていたご縁で、その当時の徳山村で民宿をされていた増山たづ子さんの家に居候を決め込み、5カ月間殆ど民宿で泊にきたお客様と酒を飲んでいた時に増山たづ子さんの甥っ子である平方浩介とも何度かお酒をご一緒させて頂き、平方浩介さんの徳山村への熱い思いを何度となく聞く機会を得ました。
当時は地元徳山村の教員をされていたのですが、新聞記事の写真でも髪は白かったのを記憶していて「殆どあの頃と変わられていないな。」と思いながら年齢を確認すると86さいとなっていて「えっ、私と17歳しか違わないのか。と言う事は私が当時25歳だったのだから平方浩介先生は42歳だったわけですか。う~ん、もっとはるかに年上だと思っていました。」あれから44年の年月が経過しているのですが、記事を読む限り「平方浩介先生のエネルギーはあの頃のままだ。」と思いました。記事を読みながらあの頃からの葛藤を今もされているのに感銘した次第です。と言う事で早速新しく出版されたものを購入したいと思いました。
リピーターの皆さんのなかでも考えを共有出来たらと思いますので是非に本を手に入れて下さい。しかしながら86歳で本を出版されるとは素晴らしいエネルギーの持ち主だと改めて思った次第です。