2022年10月の記事一覧

異様が異様でなくなった

令和4年10月31日

タイトルだけでは何の事かリピーターの皆さんわかりませんよね。私はあいからわず自分だけの世界に入っていてスミマセン。だから今から解説をします。(そんなに大袈裟な事では無いのですが。)

それは、昨日のハロウィンでの事です。と言うのも、今回北島部長が着た紫色のドレスは私が昨年着たものなのです。その時には「理事長はあそこまでするの。」と言う雰囲気があったのですが、今年のハロウィンでは北島部長の他にも早瀬主任も白のドレスを着たし、その他の職員もそれぞれに工夫を凝らしたものになっていました。だから、入居者さんも利用者さんも大いに喜んで頂けたと思います。一時流行った言葉の『赤信号みんなで渡れば怖くない。』ではありませんが、みんながあれだけの奇抜な仮装をして貰うと(昨日のホームページ『今日の優・悠・邑』と『今日のえりかの里』及び『理事長コラム』を見て下さい。)「私の布袋様の仮装がかすんでまう。」と言う嬉しい悲鳴です。そして、「率先垂範をした宏君は偉い」そして「その気になって頑張っている職員達にブラボー」です。

本日の岐阜新聞で見つけました。

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めっちゃ懐かしい方の記事が写真と共に岐阜新聞に掲載されていましたので、記事の主である『平方浩介さん』について語ります。

私が平方浩介さんにお会いしたのは、私が教員を辞し父進さんに実質上の勘当をされて、今須の地にはいられないと言う事で、大学時代に柳田民俗学の流れを受けた『郷土研究の会』と言うサークルにも所属していて(他に『落語研究会』とか『世界民族研究会』とかにもウロウロしてました・・。)徳山村の調査に2年間関わっていたご縁で、その当時の徳山村で民宿をされていた増山たづ子さんの家に居候を決め込み、5カ月間殆ど民宿で泊にきたお客様と酒を飲んでいた時に増山たづ子さんの甥っ子である平方浩介とも何度かお酒をご一緒させて頂き、平方浩介さんの徳山村への熱い思いを何度となく聞く機会を得ました。

当時は地元徳山村の教員をされていたのですが、新聞記事の写真でも髪は白かったのを記憶していて「殆どあの頃と変わられていないな。」と思いながら年齢を確認すると86さいとなっていて「えっ、私と17歳しか違わないのか。と言う事は私が当時25歳だったのだから平方浩介先生は42歳だったわけですか。う~ん、もっとはるかに年上だと思っていました。」あれから44年の年月が経過しているのですが、記事を読む限り「平方浩介先生のエネルギーはあの頃のままだ。」と思いました。記事を読みながらあの頃からの葛藤を今もされているのに感銘した次第です。と言う事で早速新しく出版されたものを購入したいと思いました。

リピーターの皆さんのなかでも考えを共有出来たらと思いますので是非に本を手に入れて下さい。しかしながら86歳で本を出版されるとは素晴らしいエネルギーの持ち主だと改めて思った次第です。

 

大難を少難にして頂いた事に感謝。そして、本日は一日早くのハロウィンです。

昨日は午後から先代の理事長の家に真っ暗な中で寂しく飾られている先代理事長の叙勲の額と西国三十三ヶ所の掛け軸を我が家に移して皆さんに見ていただこうと搬入をしたのですが、先代理事長の本宅玄関前に車をつけようとして、50センチ位の頑丈なポールに左のドアをぶつけてしまい、その時は「良いことをしているのにどうして」と苛ついていたのですが今朝の朝のお参り前に我が家の玄関の廊下の所に放置してある状態だったのを仏間に運んで若宮八幡大神様のお祈りを終えて仏壇に手を合わせた瞬間に「大難が少難になったんだぞ」の声がして心のつかえが取れると共に「自分が運転していたのを誰のせいにしようとしていたのか」と恥ずかしさも覚えてしまいました。車は修理して貰えば元通りになるのだし、と思うと心軽やかになり朝食後は本日の一日早くのハロウィン企画のモードになりました。

私は「布袋様になり切る」との使命があるのですが、施設に行くと本部施設職員のお祭り男が(本部施設職員ではこう言う事に対しては男性職員が頑張るのです。)ワイワイと準備していてくれて私は衣装替えをする事になっている新館2階のボランティア室へ行くと既に着替えを済ませた職員の姿を見ると「それぞれに工夫していてくれて気合が入っているな」と私自身もテンションが上がりました。

新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスの順番に移動しながら行ったのですが、職員の気合の入れ方に温度差がありましたが、どのフロアも盛り上がりました。私は水野相談員の運転でリヤカーに乗ったままの移動でしたがどのフロアでも「私はこのハロウィンで布袋様になり切る為に何年も掛けてお腹を成長させてきました。明日からはガリガリになる為に頑張りますが、このお腹の見納めと言う事で、本日は特別に私のお腹をさすって頂きます。布袋様のお腹をさすれば健康長寿は間違いなし。」と言いながら各フロアで因幡の白兎の大国主命の様に白い大きな布袋を持ち袋からお菓子を入居者代表の方にお渡ししました。

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5会場を回り玄関前の地域交流スペースに各フロア代表で仮装をした職員が集まった所で職員の仮装の評価をする中で、北島部長と早瀬主任のドレス姿は絶品だったと話をしました。勿論その他の職員も工夫を凝らして頑張ってくれて入居者さん利用者さんも滅茶滅茶喜んで下さった、笑顔が健康の元だからこれからもみんなで楽しい企画をしていきましょうと話をしました。

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リピーターの皆さん。入居者さん、利用者さんの笑顔は最高ですからこれからも施設の動向をしっかりチェックしていて下さい。

昨夜の護摩供養は凄かったです。

令和4年10月29日

東福寺で滋賀信行会が『子ども団参』を本日から2日間されて、企画の中心者として本部施設の西川課長が青年会に所属していることもあり、『準備を兼ねての前夜祭』で昨日は護摩供養の参加に合わせて準備の為に青年会のメンバー東福寺に泊ると聞いていたので、護摩供養は18時からなのですが、準備の為に集まる青年会の方々への差し入れと本日からの子ども団参に参加する子ども達へのお菓子の提供の為の買い物を東福寺に近い所に『ビバシティー』と言う大きなショッピングモールがあるのでいつもより1時間30分早くに施設を出ました。

施設を出て先ずは我が家に寄ってお手製の梅酒を2本(青年会用と静慈彰師の分)と祈りの書いた護摩木と数珠を持ち、先ずはビバシティーに行きビールや冷酒(大吟醸)も含めてつまみになる様なものを中心に購入して、子どもの参加者については参加者4人と聞いていましたので1人余分になる5人分を購入しました。

遺影の移動の為に来てくれた内藤会長と17時30分み合流する約束をしていたのに丁度お互いに東福寺の駐車場で合流する事が出来ました。昨日は滋賀信行会の青年会のメンバーも参加すると言う事で参加者がいつもより多かったのと、それに合わせたわけではないかも知れませんが静慈彰師の高野山大学大学院の同級生の方等も来て見えて護摩供養が始まる前から賑やかな雰囲気でした。(ここから本題ですので悪しからず。)静慈彰師から背の高い同級生の僧侶を紹介されました。

その方はお寺さんの家に生まれた方では無くて所謂『在家』の方が「宗教を学びたい」と言う事で高野山大学を卒業してその後大学院でも学ばれ15年を高野山で過ごされ、今は和歌山県で『魚供養の為の護摩供養』を毎日の様にされているとの事で、尚且つ1年間は金剛峯寺の管長のお付きを(ご本人は「秘書の様なものです。」とサラッと言われていました。)されていたと静慈彰師から紹介をされた時にその僧侶の法衣の至る所に穴が開いていて「これは護摩供養の時の火花によって出来たものだな。」と思うと「凄まじい毎日をなされているのだ。」と理解すると共に改めて「類は友を呼ぶ」と思った次第です。

18時になり護摩供養が開始されたのですがいつもと違い導師は至る所に穴が開いている法衣をまとったお坊様が(後で名前は『高橋』さんと分かりました。)されて、(簡単に住職の仕事を譲られる静慈彰師の器の大きいのには舌を巻く思いです。)太鼓や鐘を静慈彰師が、もう1人のお友達がクラリネットで雰囲気作りをされると言うのでお経を唱える我々も気合が入ります。高橋師の導師で18時から護摩供養が始まりました。いつもとは違い高橋師の導師は粛々とされているのですが護摩木に火が点くと凄まじい勢いで炎が上がり尚且つ火の粉もバンバンと飛んでいるのが分りました。

その間に静慈彰師の鐘と太鼓は激しく叩かれ、クラリネットの音色はさり気無くではありますが雰囲気良く聞こえてきました。その間に参拝者の般若心経も声を枯らして唱えるのですが静慈彰師の鐘と太鼓に打ち消されてしまう事も度々で・・・。護摩木を炎の中に入れるのを内藤会長の次にさせて頂いたのですが、炎がいつもより遥かに凄くて尚且つ護摩木を炎の中に祈りを込めて入れている時に火の粉が飛んできて、護摩木を一生懸命に祈りながら入れている時に足の所が「熱い」と思って思わず火の粉を払った後でそこの所を確認すると直径1センチ程の穴が開いていました。

この現象は不動明王様が私に何を語りかけていらっしゃるのかまでは分かりませんでしたが、護摩木を入れ終わった時にはいつも以上に幸せな気分になりました。リピーターの皆さん。私はこの様な思考の仕方をする人間なのですがこれからも宜しくお願い致します。

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昨夜は早くに寝ました。

令和4年10月28日

いつも寝るのは早いのですが、昨夜は特に早くに寝ました。20時20分に横になり、直ぐに眠りにつきました。「しっかり寝たかな」と思い時間を確認すると23時過ぎだったので「再び寝よう。」と思った時の23時14分に施設からの電話が鳴ったので「血圧も計れない状態になったとの報告を受けていた看取りの入居者の事か」と思いながら電話に出ると、管理宿直の北島部長からで、「先程心停止しました。」との事だったので「多賀先生に連絡をして、その結果を下さい。」と言って暫く待っていると「多賀先生と連絡が取れて6時前には行きます。との事ですしご家族の方もその時間に合わせて来て頂けるとの事です。」との連絡を受けたので「アラーム4時25分の行動開始と仏間でのお参りはいつもの様にしてお墓参りは看取り対応が終わってからにしよう。」と朝の行動をシュミレーションしてから再び眠る事にしました。

今までならこんな状態の時にはなかなか眠れなかったのですが最近『ヤクルト1000』が良いと言う事を大リーガーの大谷翔平さんが言っていたとの話題があり月2回販売に来ているヤクルトおばさんに購入して飲んでいる為かそれともたまたまの事なのかはわかりませんが直ぐに眠りにつけて4時25分にはしっかりと目覚める事が出来ました。本日から昨日のコラムで写真で紹介した仏間の写真6人に挨拶をしてから若宮八幡大神様での祈りと仏壇での正信偈と般若心経を唱えさせて頂いたのですが本日も蝋燭の炎は高く上っていました。お経を終えてからリュックサックを2つ持ち金剛杖を来るに載せて施設に向かいました。施設には5時30分に着いて多賀先生と家族の方をお待ちしていると 5時40分に多賀先生が来て下さり、死亡確認をして頂き事務所で書類を整えて頂いていると家族の方がおみえになり、多賀先生から家族の方にお話をして頂き、その後多賀先生をお見送りをしていると、家族の方が居室から戻ってみえたので会議室に案内をして今後の対応でお手伝い出来る事を話させて頂きました。

結論としては、家での準備もあるのでご自宅へは13時に施設が責任を持って運ばせて頂く事。職員の体制が出来たらお風呂に入って頂く事。荷物等の引継ぎは葬儀も終わって落ち着いてから等々のお話をさせて頂きました。手際よく対応が出来たので一旦家に帰る事にして、「いつもの様に幸福地蔵菩薩様、六地蔵様や我が家も含めて4軒のお墓に水を届けて本堂でのお墓でもお経が充分唱える時間がある。」と言う事で妙応寺の駐車場に車を停めさせて頂きお参りをする事が出来ました。

本日は彦根東福寺に於いて護摩供養の他にも滋賀信行会の青年部が明日からの子ども団参の準備と言う名の前夜祭を開くと西川課長から聞いているので少なからず子ども達にはお菓子を青年会の方には前夜祭用の差し入れを持って参加したいと考えています。リピーターの皆さん。毎日が充実している事に感謝しながらも日々精進をして頑張りますのでこれからもこのコラムのご愛読をよろしくお願いいたします。

 

今朝の蝋燭の炎は凄まじさを感じました。

昨日の静慈彰師のお参り中での蝋燭の炎も凄かったのですが、今朝のお参り中の炎はそれを凌ぐ勢いが有りました。本日、内藤会長が9時に来てくれて先代理事長夫婦、つまり私の義理の両親の遺影を若山家の父進、母秋江、姉光子、養母英子さんが並んでいる所に取り付けに来てくれる事になっているのですが、朝のお参りでは仏壇の前に並べてお参りをしたのです。先代の理事長夫婦も喜んでいてくれるのを表現するかのように蝋燭の炎が勢いよく上っているのだと思っています。そう言えば昨日、静慈彰師が我が家の仏壇でお参りをして頂いた後に然り気無く「仏さんも喜んでみえるようです。」と言われていた事を思い出してますます「迎い入れて良かった。」と思った次第です。9時過ぎに内藤会長が来てくれてもともと飾ってあった四人の写真も全体に手際よくかけ直してくれて「少しは仕事をしとるんや」等ととても失礼な事を言いながら作業を見ている中、紐の長さも調整して綺麗に6人の写真が並び仏間が賑やかになりました。もっと嬉しかったのはバランスの関係か父進と母秋江の間に柱があったのですが、めでたく二人の写真が同じスペースに並んだのは嬉しい限りです。内藤会長が全て作業を終えてからお茶を飲んで貰いながら『お大師様の不思議』について、内藤会長から熱く語って頂きました。私と同じ38歳の時に(同級生なのです。)内藤会長は5月に私は8月にお互いに父親を亡くしています。)お互いに父親を亡くしていて、内藤君は父親の跡をついで滋賀信行会の会長になられたわけですが、会長になられて既に30年の年月が経過していて、あまり『お大師様の不思議』等と言う話をしてなく、どちらかと言うと仏壇店の経営者としての話が多かったのですが、改めて内藤会長ほ凄い奴だと思った次第です。(気が付くのが遅すぎた様にも思います。)明日は静慈彰師の寺坊である東福寺で毎月28日に開催される護摩供養があるのですが、29日から30日に滋賀信行会の子どもを中心にした合宿が行われるのに合わせて滋賀信行会の青年会のメンバーが準備の為に集まるとの事だったので、青年会のメンバーとも親しく出来るのを楽しみにしていると共に滋賀信行会の会長として内藤会長がどんな振る舞いをされるのかも楽しみにしてます。コロナ感染症対策の一貫で集まる事が出来なかったので、今回の子どもさんの参加は4人と聞いていますが、「団参の復活」として生き生きした顔が紹介されると、間違いなく参加者は増えて行くと思うので「参加が少ないから今回限り」等と言う事で無く「継続していく」事の大切さを明日は私も熱く語りたいと思っています。リピーターの皆さんまとまりのないコラムになってしまいましたが、私自身は今後の色んな意味でワクワクと充実の日々でなる予感を感じていますので、このコラムでも適宜お話をしていきますのでこれからもよろしくお願いします。

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御守りが出来る事に感謝です。

令和4年10月26日

本日は先代の家から遺影を我が家に迎えいれる日です。「偉いな」との見方もあろうかと思いますが私は「御守りが出来る喜び」で一杯です。だってね。私が今を元気でいられるから出来る事。勿論、先代の理事長である義父にも義母にも叔母にも計り知れないくらいに感謝をしているからの本日の遺影の迎い入れだと考えています。考え方によっては「もっと早くに気がつけ」との考え方もありますが「その考え方が出来るようになった今がその時」と思い「やろう」と決めたらトントン拍子で本日を迎える事が出来ました。

昨日は19時から本部施設で全体会が開催されたのでいつもよりも遅くの眠りだったにも関わらず午前3時には目を覚まし、いつもの様に朝の日課を行いました。(作朝と同じく外に出ると星は5つ確認が出来ました。)家に帰り(家に入ると温かかったです。)シャワーを浴びてから朝食を頂いてからは、お迎えモードに入り、先ずは施設に行き、昨日購入した『松茸のお吸い物』(永谷園)とスリッパを借りに行きました。そして、そのままメルシーに行きお供えを貰いに行って、家の仏間の再点検をしていると9時い5分に静慈彰さんが来て下さったので仏間に招いてお話をしていると仏壇に参って下さり、お経をあげて下さいました。9時30分には内藤会長さんと小倉さんが来て下さったので静慈彰さんは私の車に乗って頂き、先代の理事長の家がある養老町に向かいました。

本宅は電気が停めてあるのですが本日は快晴と言う事で静慈彰さんのお経にも迷惑をかける事なくあげて頂き、さてさてメインイベントのお仏壇の搬入は幅は90センチだったので、それほど苦労することなき作業が進むと考えていたのですが、昔のしっかりとした仏壇であった為か高さがあり、重量もしっかりあり、内藤会長と小倉さんプラス静慈彰さんが悪戦苦闘して何とか軽トラ一杯いっぱいだったですが積む事が出来ました。「えっ私はどうだったか」とリピーターの皆さんは聞かれますか。私は・・・。迷惑がかからない程度に参加すると共に近所対策をさせて頂きました。

12時前に我が家に到着して静慈彰さんには早速僧侶に変身してもらい性根入れのお経を唱えて頂きました。お経をあげて頂いている時に仏壇の蝋燭の火を見ているといつもより勢いよく上っていたので、先代の理事長も喜んで頂いているような感じました。性根入れが終わってから準備しておいたお弁当を皆さんで食べて頂き、食べ終わってから仏壇の中にあった軸に静慈彰さんに法名を書いて頂き、無事に魂の移動を無事に終える事が出来ました。

静慈彰さんと内藤会長さんらをお見送りをすると、大して仕事をしていないと思うのですが、疲れがどっと出たようで、施設には行かずに言えでゆっくりさせて頂きました。そして、眠りから覚めてからお風呂に入っている時にコラムが書けていないことに気が付き夕食後の今(20時15分)何とか書くことが出来ました。さて、明日からは先代の理事長も我が家に来て下さったのでより頑張っていきたいと考えています。

お墓参りに行くために外に出ると・・・

令和4年10月25日

東の空は少し明るくなっていましたが、西の空は暗くて空気が清んでいるためか西の空にお星さまを5個見つけました。妙応寺の駐車場まで行くとお星さまは3個しか見つけられなくて、幸福地蔵菩薩様でお参りをして本堂の前で再び確認するとお星さまは全く見えなくなっていました。(このような、どうでもよい様な話題にリピーターの皆さん付き合って下さり、ありがとうございます。)

昨日は午前中に岐阜県福祉会館へ行き、午後は関市の施設に行くまでの時間でコラムを打ちバタバタと出掛けた関係でコラムの入力を頼まずに出掛け、その後もバタバタの中依頼の為の一本の電話をする配慮も出来ず、朝のお墓参りの時に「ふと」その一言の言葉かけもしていない事を思いだし施設に電話をすると、管理宿直の水野相談員が機転を利かせて23時過ぎに入力してくれたとの事で「有り難い事だ。」と朝から私の失敗をフォローしてくれた事を嬉しく思いました。

本日は明日が仏壇の『お休み』があり、朝食を済ませた後は蝋燭立てに蠟が至る所にこびりついていて尚且つ鶴亀の蝋燭立てなのでなかなか取れなかったので、かなり時間はかかりましたが何とか綺麗にして明日のシュミレーションをして、自分なりに頭の中で整理をしてから施設へ出掛けました。そして、先ずは明日の軍資金の確保の為に銀行でお金を下ろし、昼食用の木曽路のお弁当代、お供え用のメルシーのお菓子代、内藤仏壇への支払い、静慈彰さんへのお礼を封筒にそれぞれに振り分け、今は13時30分からのお参り(本日はデイサービス、新館1階、新館2階の3ヵ所です。)までにコラムを打ってしまおうと頑張っています。と言うのはお参りが終わった後は、17時の約束で花を購入に行くのです。(火曜日が定休日なのですがお店に無理を言って開けて貰う手はずになっています。)

どうして花の手配が本日なのかと言うと当日の朝だと、先代の理事長の家の方の準備が不安なのと静慈彰さん、内藤会長らとの集合場所は我が家なのでその場でバタバタするのは考えものだと思ったからです。昼食を貰いには副施設長に依頼して、メルシーへは私が当日の朝8時前に出れば何とかなるとの段取りをしたのですが、それぞれに無理なお願いをしているのですが、日頃のお付き合いのなかで何とかクリア出来ました。明日は、我が家に9時30分までに集まって頂き、義父、義母、叔母の魂を迎える事と先代の家のお仏壇の「お休み」が無事に終わったら、11月からは今まで以上にギアを上げて行きたいと思っています。

リピーターの皆さん。つくづく思うに、私の生き方は息が止まるまでギアを上げた状態なのかと自嘲気味に思っているのですが大丈夫ですよね。と言うのはニュースを聞いている中で「大臣が辞められて経済の専門性を持った方にしていかなければ」のような事が聞こえて来たので、私は「専門性の無い方でも大臣は務まるのか」と逆に思ったものですから・・・。

 

家の中は有り難い

令和4年10月24日

今朝も妙応寺経由のお墓参りから帰り、家に入った瞬間に「温かい」と思うと共に「外気温が低くなればなる程に家に入った瞬間はより温かく感じるのだろうな。」と思いました。それと共に夏は家に入ると『涼しい』と感じ、冬は逆に『温かい』と感じることが出来る、家と言うのは本当に有り難いと思いました。今、家に入ると温かいと言う事を書きながら、施設の入居者さんが「寒い」と言われた時に入居者さんを外の散歩に連れ出して施設に入ると「温かい」と言われる入居者に温かい飲み物を提供する事を提案して実践したのが現在、盲養護老人ホーム『優・悠・邑   和(なごみ)の吉澤施設長だったなと思い出しました。

発想の転換が出来る弾力性に富んだ職員は改めて頼もしいと思います。そう言う意味では本格的な神輿を手作りしようと提案してくれた伊藤主任も有り難い存在です。勿論一人一人輝いたところを持った職員ばかりなので、それぞれの良さを引き出しながら『チーム力』で、これからも頑張っていきたいと考えています。

さて、昨日は15時30分の約束で彦根東福寺の静慈彰さんに会いに行きました。慈彰さんは私の話を一生懸命に聞いて下さり、10月26日(つまり、明後日ですが)一日のスケジュールを開けて頂きました。そして、「この様な話は早いに越したことが無いし、私と若山理事長と内藤会長の3人の都合が付く日がこんなに早い時期に有ると言うのは素晴らしい。」と言って頂けたので、正式に仏壇の『お休み』と『性根抜き』と『性根入れ』も含めて出来る予定が立ち正直ホッとしています。先代の理事長の家の仏間は電気も点かない状態で改めて「先代に申し訳ない事をしていた。」と思った次第です。「10月中に下準備を整えて11月からはガンガンと活動していきたいとも思いました。

そんな状況の中、昨夜は20時30分と言う驚異的に早い時間から爆睡したので午前1時40分には目が覚め(しっかり5時間は眠れたと言う事です。)その後は目が冴えていたので10月26日の準備について色々と考えている内にアラームが鳴ったので(4時25分)行動を開始して午前には岐阜県福祉会館内にある岐阜県老人福祉施設協議会の事務局に行き、15時のお約束で関市にある施設に行くので、14時までに諸々の事に対処しておく為に昼食は5分位で済ませてバタバタと対応しながら開いている時間でコラムを打っています。「時間は有効に使うべし」が実践出来ている事に幸せを感じながら、11月攻勢を頑張りますのでリピーターの皆さん『社会福祉法人 杉和会』の今後の展開にも留意して頂けると嬉しいです。

 

明快な方向が決まりました。

令和4年10月23日

本日午前中に私の奥様の実家に行って義兄と先代の義父と義母と叔母の遺影を我が若山家でお祭りする話と共にお仏壇及び神棚については若山家に二つ設置する事は物理的に出来ないので滋賀信行会会長で仏壇店を経営されている内藤会長にお願いをして奥様の実家の物は「お休みして頂く事にしました。」(「処分」と言うのは如何なものかと内藤会長にお伺いするとその様な言い方が良いとの事でした。)義兄は私の話にしっかり理解を示して下さったので、その場で仏壇を「お休み」して頂くのと、我が家への迎い入れの為のお参りとして『性根抜き』と『性根入れ』の両方を同時に実施して貰う為に「この様な事をしっかりして頂けるのは彦根の東福寺の静慈彰師(静慈圓大僧正様の次男)が一番だと思い、その場でアポイントメントを取る為に電話をすると、本日は午前と午後にそれぞれ法事が入っているとの事で15時過ぎのアポイントメントが取れましたので14時30分には施設を出てお願いに行く事にしました。

電話でお願いすると言う方法もあるとは思いますが、私の性格上その様な対応は出来ないのです。先代の理事長の家には義兄が一人で生活をしているのですが、本宅の隣の家に住んであて仏壇が設置してある本宅は電気もきていないと聞いていたので、懐中電灯を持参して仏間の中を確認すると、仏花は枯れ枯れのまま入れてある状態であるのをみて、申し訳ない気持ちで一杯になりながらも、今迄配慮出来なかったのを申し訳なく思いました。部屋の中を懐中電灯で照らすと生前に天皇陛下から頂かれた叙勲の額があり、折角の物が勿体ない状態でした。

また、四国八十八か所の掛け軸が床の間に掛けてあったのも「折角の物が勿体ない」と言う事で施設において飾らせて頂く事で了解を得ました。その他にも義母は真多呂人形の先生でもあったので、素敵な物があちこちにあっても大切にされていないので「この様な事では人形も泣いている。」と思ったので近い内に頂きに来て3施設で皆さんにお披露目をして喜んで貰える様にしていきたいと考えています。私が配慮出来なかったのと同じ様に義兄には色んなものに対する配慮をする余裕が無かったのだと思います。そう言う意味では私も同罪です。

6月から我が家でのお参りとお墓参りが毎日出来る様になり、心に拠り所が出来たのか視野が広くなったと自分でも思っています。『半沢直樹』の番組の中で大和田常務が「施されたら施し返す、恩返しです。」などと言う大袈裟なものでは無くて、当たり前の事が出来ていなかった事を挽回するとの気持ちです。義父、義母、叔母の3人も若山家の一員として迎えれる事に喜びを持ってこれからはしっかりと供養していきたいと考えています。リピーターの皆さん。私はこんな人間ですがこれからもよろしくお願いします。

静慈圓大僧正がまたまた凄い事になっています。

令和4年10月22日

滋賀信行会の内藤会長から一昨日、「静慈圓大僧正からのご招待を頂いた。」との連絡を貰い、いつもはゆったりとした話し方の内藤会長がいつもになくテンション高い話し方で静慈圓大僧正からのご招待について話をしてくれているのです。しかしながら、雰囲気的には「凄い事」とはわかりましたが、具体的内容が全く理解できなかったので、その案内状をそのまま掲載したいと思います。

【大伽藍金堂内陣両壁画完成披露会のご案内   謹啓 清秋の候 御尊台益々御隆祥の段、大慶至極に存じ上げます。さて来年は、宗祖弘法大師御誕生千二百五十年を迎えます。総本山金剛峯寺は記念事業の一つに、大伽藍金堂内陣正面の仏画「弘法大師御尊影」と「四社明神」の二幅の描き換えを決定し、高野山清涼院静慈圓前官様へ、この大仏画二幅の制作をご依頼いたしました。約一年をかけて取り組んでいただいた仏画は、草木染めの手法を用いて染めた絹布を使用し、岩絵具によって重厚さを増す工夫などが施された、高さ450センチ・幅220センチの大作となって、今秋完成いたしました。金堂に納まれば容易に拝見する機会がありませんので、この度は静前官様のご意向を伺い、有縁の皆様方にご披露させていただく会を催したく存じます。ご多用中誠に恐縮では御座いますが、ご来駕賜りますようご案内申し上げます。  合掌】

とあり、発起人には高野山真言宗の宗務総長、総務部長、教学部長、法会部長、財務部長、山林部長と高野山大学学長の名前があり、後援が総本山金剛峯寺となっていたので、招待を頂けたのは全く持って恐れ多い事ですが、有難い事ですので11月18日は万難を排して参加させて頂こうと思っています。

そして詳細書きの中に【静前官様は「曼荼羅芸術制作会」を立ち上げて活動されています。こらはデジタルフォトの伝道師として独自の境地を開く小川勝久氏とのコラボ芸術で、世界に例がない新分野を開拓した「屏風の写真アート」作品群です。自然界をテーマにして描写される花や木や水や鳥の一つ一つの、細かな自然描写に驚かされます。この屏風作品に、静前官様が即興で墨書することによってコラボ作品となり、芸術をより高めようとするものです。】そのまま文章を書かせて頂きました。

そして、改めて静前官様の凄さを実感すると共に、昨年5月16日の盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)での竣工式典において書のパフォーマンスをして頂いた事が如何に恐れ多いことだったと思っています。しかしながら静前官様に思いが無ければ高野山のお山を下りてわざわざ来て頂く事は無いのだから静前官様思いを裏切るわけにはいかないので、今は厳しい状況であったとしても必ずや視覚障害者の方にとってかけがいのない施設として日本の中で無くてはならない施設になる様に杉和会に関わる皆々様のご協力と頑張りで今まで以上にギアを上げて頑張っていきますのでこれからもご支援宜しくお願い致します。

  •  静前官様の直筆の書は本部施設にも和合の施設にもありますが特に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)には多く書いて頂いています。是非にご来場下さい。そして、益々のご支援を重ねて、よろしくお願いいたします

 

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