2022年09月の記事一覧

人間の記憶は甦るし、忘れてしまうこともある

令和4年9月30日

昨日の線香の話からです。

昨日も線香を買う事を忘れてしまい、匂いのよい小さな箱から取り出そうとした時に箱を裏返しにして記憶が甦りました。と言うのは今年の企画で職員による手作りの神輿が完成して『祈りのものを』と言う事で妙応寺の方丈様にお札を頂いたので『志』を持ってお礼に伺った翌日に我が家の隣に妙応寺さんに毎日の様にお手伝いにいかれているおばさんが方丈様から預かってきたと言って届けて頂いた品物の中の一品の線香だった事を思い出したのです。その事を理解した瞬間に改めて思ったのは、『人間は出来事を忘れてしまうし、甦るらせる能力も備えている。』と言う事を。

昨日岐阜まで行った帰りに線香を売っているお店は何軒もあったのに買わずに帰って来てしまって、蝋燭を点けようとした時にしか思い出さないのは情けないとは思うのですが、昨日も岐阜からの帰りの運転はいっぱいいっぱいの状況だから仕方が無いのかな。ちなみに本日も岐阜県老人福祉施設協議会の事務所に17時30分の約束で林副会長と事務局長との緊急の打ち合わせ会があり、「本日も買う事を忘れてしまうのかなあ。」(妙応寺で頂いたお線香がまだ少しあるので安心してしまっているのかなあ。)リピーターの皆さんであれば表題で私が言いたい事は理解して頂いていると思っています。

さて、話は変わって朝の妙応寺経由の我が家のお墓に行く時の話をします。5時30分に幸福地蔵菩薩様がおみえになる駐車場に入ると、既に幸福地蔵菩薩様の前でお参りをされてみえる方があるので近づいて行くと、こちらの方に振り向かれて以前にもコラムに登場している中学までの同級生だったので挨拶をすると親しく話しかけられたので色んな話で盛り上がったのですが、今須の田圃の状況になった時に同級生だった彼が力を込めて話したのは『米の味がわからない若者が増えて米の質に拘らないお店が多くなり、自分が外食した時に「まずい」と思った時には箸入れ袋に『米に拘って欲しい。』と書くようにしている。」と力を込めた話をしてくれたので私も「施設の米は今須米を週に一回突いて貰って来ている。入居者さんからは『ご飯が美味しい』と言って貰っている。」と言うと「その拘りが大切だね。」という様な話で盛り上がったのですが関ケ原町の広報で6時の音楽が鳴ったので、お互いに「長話をして御免ね」と言って別れてから妙応寺の本堂に入ると流石に線香は燃え尽きていましたが、しっかりとお参りをしました。(いつもよりは少し早い読み方だったかも知れませんが)

本日はスズメバチの大きな巣を水野相談員が見つけたとの報告を昨日貰っていた時には「協力ジェットで噴霧する殺虫剤を購入して退治しよう。」と言っていたのですが一晩寝て「スズメバチに刺されたら大変だ。」と考え直して「こちらで業者に頼む」と朝一で連絡したりして、10時からのかつての入居者さんの葬儀に参列をして、終了後家で着替えをして急いで施設に戻り11時から吉澤施設長との打ち合わせをして昼食後(時間がある限りコラムを打ってました)の13時30分からは本館1階でのお参りで想定外にカラオケを1曲させて貰い、2階では事前に伊藤主任がカラオケのオファーに来ていたので5曲を歌わせて頂いたらアンコールが入ったので結局6曲歌わせて頂きました。

何とか岐阜に出発予定の16時15分までにはコラムも何とか打てました。リピーターの皆さん私の一日は早く進むのですが充実している事に感謝です。

9.30

モグモグ雲です。

令和4年9月29日

(表題の話題は後半で書きますので・・・)昨朝の仏壇の参りの時にお線香を全部使いきったので「必ず買いに行かなければ。」と思っていたのに今朝のお参りで蝋燭に火を点けようとして、昨日に思っていたことを思いだし「しまった。線香を買いに行ってない。」と狼狽えながら仏壇の前の所に置いてある箱を見て「ひょっとしたら」と蓋を開けると香りのよい線香が入っていました。「そうだ。高級なお線香だと思い大切に残していたのをすっかり忘れていたし、いつも目にしているはずなのに気にも止めていなかったんだ。」と思い改めて、「目にしていながらも意識の中にない為にスルーしている事が一杯あるのではないか。」と思った次第です。とにかく本日は臭いの良いお線香でお経をあげさせて頂きました。

その後妙応寺からお墓へのコースの中で本日六地蔵様のお賽銭がそれぞれのお地蔵様に5枚の硬貨が並んだので、硬貨が溜めてある大きな鉢に全部入れて新たに10円硬貨を並べる事にしました。と言う事は5枚の硬貨を六地蔵様に並べるわけですから丁度30日かかるので、「新たな気分でお参り出来るな。」とワクワクしています。しかしながら私『若山宏』はいつの間にこんなに根性のある人間になったのかと自分の事ながらしみじみ感心しています。(ようやく表題の事を書く事にします。)若山家のお墓のお参りが終わり帰りの道で最近、毎日の様にお会いする方があります。

最初の内は「おはようございます。」と挨拶をすると「おはよう」との挨拶が返ってきただけだったのですが、何回かの内に「理事長さん毎日大したもんやね」等の投げかけがあり、本日は指を空に向けて「立派なもくこく雲だね。」と言うアクションが入ったので私も指をさされる方を見て「本当ですね」と答えると「完全に秋の雲だね。」と言われたので「そうですね。」と返しました。私はお別れしてから改めて空を見上げて写真に収めました。

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本日は午後から(14時~)優・悠・邑 和合で全体会があり、終了後は岐阜県老人福祉施設協議会が10月3日の常任理事会の為の事前打ち合わせがあるので、午前中にコラムを打ちました。その合間に全国老人福祉施設協議会事務局とデイサービス部会での検討事項(総合支援事業にへの要介護1・2への意向反対)の打ち合わせをしたり、昨日の岐阜県議会において、施設に対して給食補助(1食当たり30円)が決定した事に対して岐阜県高齢福祉課にお礼の電話をしたり、他団体への情報提供をしたり、一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会事務局に会員施設に情報の提供の為にホームページにアップする打ち合わせもしました。リピーターの皆さん自画自賛ですが時間を有効に使っていると思いせんか。(追加です)お墓参りから帰り家の玄関を開けようとすると、ビニール袋に入ったピーマンが置いてあったのです。誰から頂いたのかは今は分かりませんが『感謝』です。

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行くと決めたら行けるものです。

令和4年9月28日

本日は28日で彦根東福寺の護摩炊き祈祷の日です。今年の1月に新規事業の収支が大変な状況だと気付き(もっと早くに気が付かなければいけなかったのですが)有名な企業のトップの方に熱いあつい思いで手紙を何通か書きました。その行為は『藁をも掴む』と言う心情だったと思います。しかしながら当然の事として何の響きもありませんでした。当然の結果と受け取りながら私が最後に手紙を書いたのは高野山の大僧正にして前官の静慈圓先生でした。

手紙を出して1ヶ月くらいして静先生から郵便が届きました。その中には静先生が私の為にご祈祷をして頂いたお札が入っていました。そのお札には『諸障退散』『七難消滅』と書いてあり、厳しい状況の私に沢山の勇気を頂きました。(当然の事ですが、頂いて以降には祈願の一つとして念じております。)手紙を頂いてから改めて静慈圓大僧正様の事を改めてインターネットでの情報を得ようとして、当然の事ながら改めて「凄い方だ」と思いつつ検索していくと静慈先生の次男さんである静慈彰さんの情報を見つけました。

静慈彰さんは並外れた思考と行動力と器用さを持ち備えた方で人間としての魅力を感じる方なのですが、平凡な私から見ると「並外れた精神力の持ち主で理想を現実にしていく方だ」と思うと共に「私に出来る事はないのか。」と考えた時に「彦根は高野山とは違い近い所だ。何らかの形で関りが持てたら。」と言う事で、インターネット情報で毎月28日に護摩祈祷が行われていると言う事で正に本日が28日なので参加させて頂きます。本日も間違いなく参加出来ると思いますが勿論私の口癖である『予定は未定であり決定ではない』と言う事があるかも知れませんが、今のところ行きだしては皆勤賞です。

高校2年の夏休みから年に2回の四国巡礼の歩き団参は26歳の夏までは欠かさずに参加出来ました。「参加したくても参加してはいけない時には何らかの事情が出来て行けなくなる。」とよく言われたものです。しかしながら一度として『障り』(さわり)と言うものは無かったのです。これは「しっかりご縁を頂きなさい。」と言う事だったのだと思います。

本日の護摩祈禱会も同じような事が言えるのでは無いかと思っています。静慈圓大僧正様の代わりとの考えは全く思っていません。静慈彰さんには全く違うパワーを感じていますし、魅力たっぷりの方です。だから、恐れ多い事ですがこれからも長いお付き合いをさせて頂ければと思いますし、リピーターの皆さんの中でも参加したいと思われる方は毎月28日に(彦根市高宮町2838-8)ナビに住所を入れて頂いたら行けますし予約もいりませんので参加してみては如何ですか。

 

本日、安倍元総理の国葬に対する私感

令和4年9月27日

憲法にしてもルールや規則にしてもその時々の権力者が作るもの。だから、時の権力者によっては苦しめられる事もあるし、とんでもない状況におかれる事もあると言う事です。今のウクライナで起きているロシアによる侵略もそうだと思います。ロシアの場合は今のロシアでの権力者は『プーチン』です。プーチンが絶大な権力を掌握したことにより、反対したら強制的に拘束される。『核』のボタンを押す権力者であり誰一人プーチンを押さえる事が出来ない。だから戦争状態が終わらない。日本の歴史の中でも江戸時代の5代将軍徳川綱吉が『生類憐れみの令』を出して庶民を苦しめたと言われているし、第二次世界大戦に日本が突入した時は軍部が絶大な力を持ってしまったからだと思います。

確かに参議院議員選挙中での応援の為に訪れた奈良県で凶弾に倒れたと言う非業の死は同情すべき点はありますが、だからと言って『国葬』に値するかと言うのは別問題だと思います。安倍元総理の国葬を早々に決めた岸田総理の思惑通り国葬報道がされた当初は支持率も万全だったものの『旧統一教会』との関係や旧統一教会の選挙協力や、旧統一教会関連の組織と政治家のつながりがどんどんと明るみになる中で、岸田政権の支持率が急降下している中で私が一番思う事は、「安倍元総理の権力は絶大だったんだ。」と言う事です。

『森友学園』『加計学園』『桜を見る会』等の疑惑について、ワイドショー等で大きく取り上げられても安倍元総理が司直の手にまで捜査がいかなかったにもかかわらず、安倍元総理が亡くなられてからどんどんと明らかになっていくと言うのはとても分かり易い図式だと思いました。本日のお昼のワイドナショーでは、国葬を前にして諸外国の要人との会談が報じられていました。私は国葬を前にした会談を持つことにどれほどの有効性があるのか甚だ疑問を持っているのですが、その様に思われている方は私だけではないと思います。確かに岸田総理の『顔見せ外交』としての意義が全くないとは言いませんが、国葬前の少しの時間で何か有益なものが花開くとは思えない・・・。「国葬に多くの予算が注ぎ込まれてけしからん。」との声も多いように思いますが、私はそのことはともかく「費用対効果がどれだけ見込めるのか」と言う視点で考えても正直「・・・。」と言うような気がしています。

私は、宗教が政治に結びつく事が悪いとは思いません。但し、宗教とは拠り所とするものであり、救って貰う存在です。私の知り合いにも新興宗教にのめり込み、商売が上手く行かずに破産して、本人は大病の末に若くして亡くなってしまった方がいます。私は救われる為の拠り所である以上困った時に救いの手を差し伸べるのが肝要だとかんがえているので、多額の寄付等を強要するのは宗教の仮面をつけただけの詐欺師集団だと思います。勿論一生懸命の中で救われた方もあるのかも知れませんが家が破産状態になって、子どもや孫にまで強要するのは考えられない。そんな集団が脈々と組織として認められていたのは許しがたい。但し、『人の噂も七十五日』と言う事にならない様にしていかないといけないと思っています。私は安倍元総理自身が国葬を求めていたのかは甚だ疑問なのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。

昨日お風呂に入って見つけました。

何を見つけたかと言うと『週刊現代』の記事の中でコラムのネタを見つけたのです。その記事の『医者いらずで100まで生きる』の大見出しの中の『寿命が決まる「朝の45分」にやるべきこと』の中に【「朝の時間を有意義に使わなければ、体のリズムを整えることができず、うつ病や不眠症などのリスクが上がってしまいます。」(東北大学特任教授の村田裕之氏)しかし、だからといって「朝から活発に動こう」と起き抜けに運動を行うとは非常に危険だ。「高齢者にとって朝、起きてからの45分は心筋梗塞や脳卒中のリスクが高い危険な時間帯です。ラジオ体操や散歩などの運動を行うのは避けておくべきでしょう。」(東京疲労・睡眠クリニック院長の梶本修身氏)朝の45分はあなたの生死の分かれ目とも言えるわけだが、具体的にはどのようなことを実践すれば良いのだろうか。「一日を元気に始め、健康状態を保つための鍵となるのが、精神を安定させる精神伝達物質の『セロトニン』です。この分泌を促進させるためには、医薬品に頼るのではなく、自宅での生活習慣を見直すことが重要なのです。(前出・村田氏)理想の「45分」の過ごし方を時系列で紹介しよう。まず実践して欲しいのが、「一日イメージトレーニング」だ。目が覚めてからの数分間で、前日の反省やその日の健康チェックを行う。精神科医の樺沢紫苑氏が解説する。「目を開けるとセロトニンの分泌がスタートし、脳は覚醒状態に移行します。その上で『昨日飲み過ぎて体調が悪いので60点、今日はアルコールを控えて運動をしよう。』など、点数付けをしながら目標設定を行う。すると、幸福物質である『ドーパミン』も分泌され、脳が活性化し、一日のモチベーションを高めてくれるのです。」布団から出たら、カーテンを開けるか、ベランダに出るなどして朝日を浴びることを意識してほしい。これは、起きてすぐに行うことに意味がある。眠りを誘う「メラトニン」というホルモンの分泌をコントロールすることができるからだ。「雨や曇りの日であっても効果が見込めます。毎朝5分以上は太陽の光を浴びましょう。この際、併せて息を大きく深く吐き出すような呼吸をすると、さらに効果的です。」(前出・村田氏)寝起きの体は軽い脱水状態にある。そのまま放っておくと血圧が上昇し、起きてからの45分間で最も発生しやすい心筋梗塞や脳卒中といった重大疾病のリスクがさらに高まってしまうのだ。「寝ている間に、皮膚や呼気からは200㏄程度、膀胱に溜まる分を含めれば約500㏄の水分が放出さえます。その為、起きてからすぐにコップ1杯程度の水分を補給する必要があるのです。白湯か常温水を飲む事で、自律神経を優しく起こしてあげます。冷水や熱いお湯は、休息状態にある胃腸に負担をかけてしまうため、避けた方がいいでしょう。(前出・梶本氏)(中略)朝風呂や朝シャワーも、自律神経を整える上で重要な習慣と言えるだろう。「寝ている間は副交感神経が優位になります。朝風呂で体温を上げることで、この切り替えを促進することができるのです。」(前出・村田氏)同居する家族がいる場合、朝食はなるべく一緒に摂ることを心がけたい。村田氏が続ける「近しい人と話しながら食べることでストレスが緩和され、セロトニンの分泌が促進されます。一人暮らしの場合は、近所の人と井戸端会議をするなどして、会話の機会をつくりましょう。】

長々と記事を書いてしまいましたが、私の今の生活が『健康』の理に叶っている事が分って思わず書いてしまいました。私の日課はいつも4時25分のアラームでの行動開始なのですが、目覚めるとペットボトルの水を飲み、ベット上で瞑想をして着替えを終えてカーテンを開けて5時までに洗面と仏壇等の水替えをしてその後お経を約20分唱え、外に出てゆっくりと妙応寺と今須稲荷でのお参りをして、六地蔵様、関ケ原与一の墓等々へのお参りと水替えを終えての我が家他3軒のお墓参り。そして軽く汗をかいてのシャワーの後の朝食では私が殆ど一人でしゃべってます。週刊現代の記事をみて私の生活は理に叶っている事を確信しました。「だから、風邪一つひかずに頑張れているのだと。本日もデイサービス、新館1階、新館2階でお参りの導師を勤め、デイサービスでは1曲、新館2階では6曲カラオケで歌わせて頂きました。「みんなの為にと言いながら皆に健康になる様に配慮して貰っている事に感謝です。19時からは全体会が本部でありますのでその前にコラムが完成出来ましたので、これから17時から行われている烏野先生の介護福祉士受験講座が会議室で行われているので少し顔を出してきます。リピーターの皆さん、この様な生活を送れる私は幸せ者だと思っています。

ボストン会の報告

令和4年9月25日

昨日お約束をしたボストン会の報告をします。先ずは、米原駅に合流する為に11時30分に水野相談員に車と運転を提供して貰い本部施設を出発。途中で昼食するつもりで早く出ると、福岡の花田先生から「名古屋開催だと思い飛行機で来たので今は名古屋なので在来線で間違いなく13時には着きます。」との事だったので、太田先生も名古屋で前泊されていたので、その旨を伝える為に電話をすると太田先生の返事は「既に米原駅に着いている。」との返事に私は「昼食をどうされますか」と聞くと「私は1日2食しか食べないのでここで待っています。」との返事が返ってきたので、私が思ったのは「急いで昼食をとって太田先生との合流をなるべく早くしなければいけない。」と言う事で途中にあったお店で味噌カツ定食を急いで頂き、米原駅に向かい、水野相談員に車で待機して貰い、2階の改札口に向かい太田先生と合流が出来て先ずは一安心。

しばらくすると花田先生が在来線の改札口を出てみえて、またまた一安心。3人で話をしていると太田先生のスマホに大久保先生から、「予定の列車に乗れなかった。」との連絡に「大阪を出られたら連絡下さい。」との対応の後はまたまた3人で話をしていると再び大久保先生からの連絡があり米原駅に向かわれた事がわかり(予定より30分遅れ)、ほっとして再び3人で話をしていて、到着時間になり、3人で改札口でお迎えして水野相談員の車で本部施設へ。

施設内の案内はコロナの関係で出来ないので、施設の外周を車で回り、本館・新館・アパート・事業所内保育所兼アパート・アパート・コミュニティハウスと見て頂いてから施設に入って頂き、会議室でケーキと紅茶を頂いて貰いながら積もる話と共に本部施設の状況を話させて頂きました。

30分の予定でいたのですが1時間近くの滞在となり、次の盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)に行き措置施設故の厳しい状況を話ししながらも今後へのビジョンを話すると、今回参加の方での最長寿の大久保先生が「25年前に施設を計画していると言うので正直止めた方が良いのではと思っていましたが、ここまで良く頑張ったね。今回の厳しい状況も若山さんなら必ず打開されると思いますよ。」とのお言葉を頂き本当に嬉しかったです。そして太田先生からも「若山さんは何も基盤の無い中でここまでされたと言うのは素晴らしい。」とのお褒めの言葉を頂き嬉しさは倍増しました。お話と当法人のホームページに掲載しているユーチューブを大きな画面で映しながら見て貰いました。

この時点で予定より1時間以上遅れているので、施設最後の優・悠・邑 和合については『3施設で唯一の理事長室の見学』の様な感じで20分程の滞在でホテルのチェックインは17時20分を回っていて、17時48分に大垣駅に着かれる気仙沼からの参加の小原先生を迎えに水野相談員と伊藤主任に行って貰い、私はその間にシャワーを浴びて18時30分からの懇親会に供えました。

「持ち込みOK」を頂いていたので、石川県の久藤会長から頂いた取って置きの『菊姫』を1升持ち込んでの懇親会でした。私の好みで和食だったのですが何よりも話が一番のつまみで沢山頂きました。2次会は私の部屋で職員が準備してくれたつまみと果物で(こういう時には伊藤主任の元洋食屋の料理人は大活躍です。)またまた話で盛り上がり結局持ち込んだ菊姫は小原先生と私で飲んでしまいました。(残りの3人は専らビールです。)

23時にお開きになり、即爆睡して朝起きてしっかり水を飲みシャワーを浴びてシャキッとして、7時14分にホテル前から出るバスで小原先生が出発されるので、朝食会場で挨拶をして、バスも見送りその後片付けをして8時からの朝食の約束の朝食会場で大久保先生・太田先生・花田先生をお待ちして私も入れて4人で朝食を頂き、花田先生が9時10分過ぎの電車に乗られると言う事で8時45分に水野相談員の車に大久保先生と花田先生をお乗せして(太田先生はもう少しゆっくりしているとの事で。)花田先生を大垣駅で降ろし、大久保先生は米原駅までお送りして無事にボストン会の幹事役は終わりました。

お客様が満足して帰って頂けたのは職員の色んなサポートがあったればこそと思うとリピーターの皆さん、当法人も設立して25年が経過した結果だと思うと考え深いものがあります。

いよいよボストン会です。

本日、13時に米原駅に西は福岡と大阪から、東は愛知から(遅れて気仙沼から)集まって来ます。昭和最後の年に私は35歳で参加した海外研修団『ボストン会』も当時は17人の団員がいたのですが、亡くなられた方や体調が優れない方もみえて、今回の参加は私を含めて5人ですが、34年も続いているのは素晴らしい事だと思います。

バタバタの毎日で・・・、いやいや充実した毎日の中で、なかなか受け入れ側としてのイメージも出来ずぼんやりと『3施設の見学と私の思いを語り、旧交を温めればいい。』と考えていただけだったので、本日午前2時に目覚めてからは色々とイメージを膨らませていて、4時25分のアラームで飛び起きて、いつもの様に仏間での祈りとお墓参りを済ませて朝食後は施設に行き、3施設で準備すべきものを指示して、新しく出来た関ヶ原古戦場館に行きミニ屏風を手土産に購入してこなければとも考えています。ただし、台風の影響が心配ですが、気仙沼からは無理だとも考えられますが最悪でも4人のメンバーは揃うのでこじんまりにはなりますがおみえになった方々に喜んで頂けるように最善を尽くしたいと考えています。

35歳で資生堂さんがスポンサーで児童施設等で秀でたメンバーが集い、アメリカに行かせて頂いたのですがその時の研修が私の生き方を大きく変えたと言っても過言ではありません。と言うのは問題を抱えている子どもに対しての支援の仕方が半端ではなくて「5年後の日本もアメリカの様になるのではないか」と言う大いなる勘違いによって私は38歳の時に児童養護施設の指導員退職して今に至っているのです。

さてさて、本部施設での段取りをして後の2施設に連絡すると、盲養護老人ホームの吉澤施設長は私と同じことを考えていてホームページにユーチューブに張り付けてあるのを画面に映すように指示をすると、「既に準備してあります。」との返事が返ってきて、尚且つ飲み物の話をすると「コーヒーとケーキを準備してます。」と言うので「私もケーキを予定しているけどどこのケーキ」と聞くと「勿論メルシーです。」との事で「どんなケーキを予約したの」と再び聞くと「苺ショートです。」と言うので絶句と共に苦笑いです。と言うのも私が予約したのも全く同じだったからです。

ここ2年は吉澤施設長との密度が高く苦しい状況も共有しているし、吉澤施設長の運転で出掛ける事も多く色んな話をしていると言う事は「ここまで思考が同じになるものなのか。」と思うと頼もしくもなりました。「『1言って10を知る。』を吉澤施設長は実践出来る様になったのか。」と思うと厳しく指導してきた甲斐があったと意外な所から感じた次第です。

さて、久しぶりに開催されるボストン会については明日のコラムで書く事にして、お迎えする体制にしますのでリピーターの皆さん、明日のコラムを楽しみにしていて下さい。

 

一本の電話にこだわってます

令和4年9月23日

昨日、五次部長から「就職希望の電話です。」との事で電話を代わったら、2ヶ月ほど前に面接の日時まで決めて待っていたにも関わらず、何の連絡もしないで面接に来なかった方だとわかったので、「前回は何の連絡も無しでキャンセルされたのは如何なものですか。」と聞くと間髪入れずに「ガチャン」と電話を切られたのです。確かに今の介護業界の人材不足は深刻ですが、そのような対応しか出来ない方だと採用する前にわかったのは幸いだったと思っています。それは決して強がりでは無くて、本当にその様に思っています。しかしながら、自分の方に非がある事は間違い無いにも関わらず、非を認めず謝る事もしないで、自分の用件が通らないと言う事で一方的に電話を切ってしまう事がまかり通ると考えている方が、介護の世界に入ろうとされているのには非常なる違和感を持ったので、午前1時過ぎに目が覚めてからずっと眠れませんでした。

と言うのは、昨日家に帰るとテレビが点いていて東京北区の特養で入居女性が死亡、介護職員が指名手配されてその追跡がされているとのニュースを見たからです。関連付けてはいけないのですが、戦後間もない頃『学校の先生にでもなるか』(『でも』『しか』)的な風潮があったと聞いています。私が大学を卒業した頃の採用試験は非常に難関だったので、レベルの高い先生が多かったように思います。(私は落ちこぼれましたが・・・。)一般論として景気が悪く就職氷河期と言われた時期の離職率は低く、景気が良くて安易に採用された時期の離職率は高いように思います。話を戻します。

東京北区の事件をインターネットで情報収集すると、入居者の方への暴行の結果、司法解剖をしたところ、「頚髄(けいずい)・脳幹損傷の可能性があり、胸椎(きょうつい)や腕の骨が折れていたほか、胸や背中などに熱湯をかけられたみられるやけどの痕もあった。」との記事と共に「容疑者は今年の6月から非常勤職員として勤務しており、7月に入居された本人の介助を担当していた。」との記事も掲載されていた。施設での状況の詳細が明らかになってこないとわからない事が多いので本来コメントをすべきでないし、結果的にピント外れなものになるかも知れませんが敢えてコメントをさせて頂きます。

同じ様に特別養護老人ホームを運営している立場で述べさせて頂くなら、入職して3か月の経験しか無い職員が夜勤帯でフロアに1人になり責任ある立場になる業務を任せて良いのか。(他の施設での経験があるのならば話は別ですが。ただし、容疑者は50歳と言う事ですから、もし経験者だとすると『非常勤職員』と言う事は無いと思いますが。)東京では人材不足がそこまで顕著だと言う事なのか。施設に任せると言うのは『専門性がある』と家族の方は信じられていると思います。但し、この様な記事が出た今、「どこも同じ様な現状があると思われたら一生懸命に頑張っている施設にとっては悔しい思いになってしまいます。また、解剖の結果の記事からは介護を業とする資格は無いと思われるが、運営者はその事を見抜けなかったのか。また、いきなり殺人にまでエスカレートする事は考え難いので、3カ月の間に他の職員が何も気付いていないとは考えられない。

「う~ん」考えれば考える程特養での出来事とは思えない。仮に『認知症』が顕著な方だったとしても「有り得る事」と言えない。特別養護老人ホームには認知症の方は多く入居されているのだから、認知症に対する知識をしっかりと持った対応が望まれる。「そこまでの余裕が無い」と言うのであれば、稼働率を落としての対応も必要なのではないか。

重い話になったのでリピーターの皆さん、少し明るい話をして本日のコラムを終えたいと思います。本日は家族にコロナ陽性者が出てデイサービスの運転手が足らないと言う事で、朝の送迎の運転を買って出て送迎に出て、利用者さんが乗られる度に(3人だけでしたが距離は30キロ位ありました。)お声掛けをすると、最初の利用者さんは私の母親代わりの姉光子さんの事を良くご存じの方で、元役場職員だと言う事で盛り上がりましたし、二人目の方は私が坂内中学に勤務していた時の校長先生の話をすると「音楽の先生だったね」との話しから盛り上がりました。3人目の方は私を四国遍路に導いて下さった伯父さんの話をすると、これまた盛り上がりました。その様にそれぞれ盛り上がったのは、その地区その地区に私に関わって下さった方が見えたのと、私も積極的に話をしていったからだと思います。送迎の運転も「また楽しからずや」と言う事で。

ゆっくりしようとしたのですが・・・。

令和4年9月22日

昨日は朝イチで薔薇を購入に行ってからバタバタの一日で岩田理事の税理士事務所での打ち合わせを終えて施設に寄らずに家に帰ったのが18時30分で「本日は一日頑張ったので、お風呂にゆっくり入ってご褒美として熱燗を一杯だけ飲もう。」と言う事でお風呂に入って脱衣場で服を着ようとした時に携帯が鳴り、その電話は施設からで「看取りの入居者さんが息を引き取られた。」との事だったので、取り敢えず裸のまま、多賀先生に連絡すると多賀先生が「直ぐに行きます。」との事だったので、急いで着替えて施設に向かいました。施設に着いて30分後には多賀先生に続いてご家族の方もみえたので、多賀先生に死亡診断書いて頂き、家族にお話をして頂いたので、その後、多賀先生をお見送りしてから、ご家族の方と今後施設側が出きる事の話をして、役場や葬儀を取り仕切って頂く業者さんに対してお手伝いさせて頂いて「明日9時に家へ亡くなられた入居者さんをお送りする。」とのお話をさせて頂き、家族の方が帰られてから家に帰らせて頂きました。

お酒を飲むのも食事をする気にもなれずパジャマに着替えて寝ることにしました。もっとも、施設に着いてから多賀先生とご家族を待っている間に前日移動販売で買ったパンを食べたから決して痩せる事はありませんが、つくづく私の生き方は『予定は未定であり決定ではない。』と思った次第です。朝はいつもの様に妙応寺経由のお墓参りの後に朝食をとり、9月26日の介護保険審議会に委員として参加する小泉副会長との緊急打ち合わせが10時から行われるのでその前に昨夜亡くなられた方を8時45分にお送りしようと出発をする前に連絡すると、家の方がまだ準備が出来ていないとの事でお送りするのを代わりの職員に任せて玄関前でお見送りだけさせて頂き10時からの緊急打ち合わせの下準備をして会議に挑みました。会議の進行はデイサービス部会担当副会長の私が担いました。

1時間と言う比較的短い時間での取りまとめなので、密度良くそれぞれの立場で話をして頂けることを念頭において会議を進めていきました。今回の話は『介護保険の根幹』を揺るがしかねない問題なので、財務省と厚労省の考え方を今は事務局の立場ですが元厚労省審議官をされていた専務さんからも意見を聞いて戦略を練り、最終的には小泉副会長に審議会で発言して頂くので最終的取りまとめをして頂くように話をすると共に今後は世論を味方に付けた展開と国会議員の協力も得ていかなければいけないと思いました。

さて、明後日24日には私が児童養護施設の指導員をしていた35歳の時にアメリカ研修に行かせて頂いた時の仲間が岐阜に集まります。何と言っても34年前の研修団ですので17名いた団員の内の5名しか集まりませんが(されど35年です。北は宮城県から南は福岡県の強者が集まり、当法人の3施設を見学して宿泊をするフォーラムホテルで懇親を深める予定で、本日フォーラムホテルの総支配人との打ち合わせをしてきました。リピーターの皆さん、何事も手抜きが出来ない私ですのでやるべき事は頭を切り替えて頑張りますのでその報告は「いずれまた。」と言う事で。

 

朝のお墓参りは6月5日から続いてます。

令和4年9月21日

本日が9月21日ですから、コロナの4回目の予防接種のあと熱を出して1週間の中断はありましたが、それでも、丸々3ヶ月は朝のお参りとお墓参りが続いてます。昨日は台風が厳しいと言っていたので「流石に駄目か。」と思っていたのですか、予想を覆して青空だったので連続記録も途切れる事がなくて、本日は朝のお墓参りとウォーキングを終えて朝食後は薔薇農園のある神戸町まで車を走らせます。この神戸町のハウス栽培は私の記憶を遡ると私が小学6年の時に父進が西濃教育事務所に勤務しており、その当時の農業を営む青年会組織にハウス栽培でのしっかりとした組織を作る指導に力を入れていたのをおぼろげながら覚えています。

50年以上前に父進が力を入れていたのが今も脈々と続いている事に感動を覚えながら私が今正に展開している『社会福祉法人』の展開が50年後にも語り継がれていたいと考えています。そうなる為には今を大切に頑張りたいと思っています。本日のウォーキングは爽やかで汗を少しだけかく程度で。そう言えば仏間でのお参りの時に昨日までは腕にまで汗をかいていましたが、本日は全くかかないので、気温がぐっと下がっているのだと思います。高齢者の方にとっては寒暖の差が激しい時期は体調を崩される事も多いのでより充実をしたケアに取り組まなければと考えています。ただし、本部施設では本日も薔薇湯で楽しんで頂きます。元気で活性化されれば病気も逃げて行くと根拠があるようなないような事を思っていますが、「今日一日楽しかったよ」を徹底して展開して行けばより良い施設になると確信しています。企画を立て実践していくのは『職員』であり、私は理事長・施設長として、出なければいけない時には躊躇しないで出て、不充分な対応があった時にはフォローに入るスタンスでこれからも頑張っていきます。薔薇農園からは9時過ぎに施設に着き、玄関ホールで購入してきた薔薇をひろげて各フロアに40個づつの予定で購入したのですが毎年購入させて頂いているので何と各フロア70個づつ渡す事が出来たので、各フロアから取りに来た職員の顔を見るとワクワク感がみなぎっていました。

さてさて、実際のお風呂での様子は明日職員から聞くとして、11時過ぎから全国老施協デイサービス部会長と9月26日に開催される『介護保険部会』での老施協の意見陳述の骨子をまとめる為の会議が明日あるので、そのまえの下打ち合わせを部会長とさせて頂き、(先程も会長の意向を確認しました。)13時30分からは岐阜県老人福祉施設協議会の理事会が岐阜県福祉会館で行われるので、その対応をします。役割を与えて頂けると言う事は大変ありがたいので、これからも与えられた役割を頑張って行けばこのコラムの題材にも事欠かないと思いますのでリピーターの皆さん、これからもご愛読よろしくお願いいたします。(11時以降の予定が目一杯なので早々と書いてしまいました。リピーターの皆さん、『時間は作るものと言う事で・・・。』)

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