2022年06月の記事一覧

『園田修光を励ます会』の報告をします。

昨日は15時から、ハイブリット(リアルとリモート)でのコロナ感染対策の研修があり、私は主催者の責任者としてリアルでの参加をしました。

この研修では、2年半前に日本で初めて発症したコロナ感染からその変遷までの経過を感染症対策の岐阜県の責任者である、岐阜大学医学部名誉教授の村上先生からお話頂き『施設の職員として留意すべき事』をお話頂きました。今、猛威を振るっている『オミクロン株』は感染力が強いが重症化は減っているが予防については今迄以上に徹底しなくてはいけない。と何度も話して頂きました。また、コロナ陽性者が出た時の初期対応の大切さについても諭すように話して頂きました。

研修については急遽な実施だったにも関わらず、タイムリーな企画であった為に参加者は130人を数え、尚且つ岐阜県高齢福祉課長さんも急遽来て頂き、ご挨拶の中で岐阜県としての対応についても話をして頂きました。村上先生の講演の後の質疑についても活発にされましたので、それぞれの施設がしっかりと取り組まれている事が伺えました。

16時40分に講演会場を出て『園田修修光を励ます会』の会場である岐阜都ホテルに移動しました。開始は19時からなのですが17時過ぎに2階の会場に行くと既に会場内は400の椅子が整然と並べられ会場の内外に園田修光参議院議員のポスターが張られていて準備万端になっているのに『感謝』です。

会場責任者の田中信輪会理事長としていると司会を担当してくれる私の姪っ子の大倉幸子さんが来たので進行の打ち合わせをすると言うので私は来賓控室等の確認の為に会場がある2階のフロアを行ったり来たり・・・。実に落ち着かないのです。18時にはグループホーム協会の加藤会長さんが、18時30分には老健協の長縄会長がおみえになりました。

18時40分の段階で会場の確認に行くと続々と参加者が会場に入って行かれるのを確認し、再び来賓控室に行くと園田参議院議員本人がおみえになっていたのでご挨拶をし、時間を確認すると18時50分だったのですが、その段階で来賓挨拶をして頂く予定の岐阜県自民党の村下幹事長のお顔がみえない事に気付き携帯に連絡すると渋滞が酷くてとの事だったので、玄関先まで迎えに出てホテルの係員の方に駐車スペースの確保をお願いしていると18時58分に着かれて19時には会場に入って頂けたので「ホッ」として自分も指定された席に座りました。(正直、この辺の事を私に代わって出来る様にしなくてはいけないと痛感してます。)

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一瞬部屋の中が暗くなり大きなスクリーンから映像が流れだしてプログラムが開始されました。映像が終了すると共に会場が明るくなり園田参議院議員が拍手の中入場されました。開会宣言を林副会長がされた後、来賓挨拶を村下自民党幹事長にして頂き、来賓紹介と祝電披露がされた後を受けて主催者挨拶のトップバッターで私がさせて頂きました。挨拶の中では介護に関わる者すべてにおいて園田参議院議員に当選して頂いて組織の為に汗をかいて頂く必要性話させて頂きました。椅子席は全て埋まり立ち見の方も多く見える中でしたが私なりに誠意を持って話させて頂きました。そして話をしていて感じたのは前回以上に手応えがありました。

私の主催者挨拶のあと3団体の会長さんの挨拶があり、いよいよ園田参議院議員本人からの話です。園田参議院議員本人の話は実際の実績に基づいた話しなので皆さんの頭の中にもしっかりインプットされた事と思います。

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全てのプログラムを終えて園田参議院議員本人は勿論の事主催者代表の4人の他にも村下幹事長も来賓の県議の方も退場口に並んで感謝の意を表す事が出来たのにはまたまた『感謝』です。

片付けも大方終わった段階でお手伝いを頂いた方々に感謝の挨拶をさせて頂き、全てが終了した時には急にお腹が空いていたので帰る途中で『餃子の王将』に寄り、夜も遅くていつもだったら寝ている時間だったのですが、ラーメン、チャーハン、餃子のセットを美味しく頂きました。流石に布団に入ったのが23時を過ぎていたので、いつもの4時31分には起きれなくて(アラームは止めておきました)6時に起きてのお仏壇でのお参りはしましたが、歩く事は出来ませんでした。

リピーターの皆さん、つくづく思ったのは票を積み上げるのも事業を頑張るのも地道な活動以外にはないと言う事です。これからもご支援宜しくお願い致します。

お参りの後は外を歩きましたの報告と週刊現代の話題を。

令和4年6月10日

無理の無いコースにしてからは爽やかに家に帰り着き(大抵は携帯の6時のアラームがなり、その後間髪を入れずに関ヶ原町のスピーカーから6時のチャイムがなります。本日も我が家の水道水をペットボトルに入れて我が家のお墓に持って行きました。若宮八幡神社の分神社でかしわ手を打ちお願いをして再び我が家の前を通り過ぎ妙応寺の入り口に掲示板があり『真実    生まれたものは    必ず死ぬ』と書いてあったのが、本日はいやに気になり写真に納めました。

言葉としては簡単な言葉ですし、「当たり前やないか。」と言ってしまえば当たり前の事ですが、本日の私はいたく感銘したのです。「深すぎてついて行くのが大変だ。」と・・・。『死ぬまで生きる。』と言う事は『生きている限り精一杯生きなさい。』と言う事を示しているのだとすると「この言葉は重い!」と思ったからです。

確かに私は体調が悪いとき(目の手術をしたり、予防接種の後で熱が出たりした時など)以外は休まずに仕事をしてます。でも、常に全力かと言えば、そうでもない日があるのも事実です。人間が常に百パーセントで生きるのは難しいと言うよりも不可能だと考えています。しかしながら、『死ぬまで生きる』のだから「生きている限りは精一杯に生きなさい」と言う事何だと思います。

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実は今は22時30分を過ぎて家に帰って来ました。しかしながらコラムは半分も書けていません。タイトルの後半部分の週刊現代の話題は手付かずですが、本日は10時から全国老施協のデイサービス部会がリモートであり、昼食後は15時から岐阜市に移動して感染症の研修会があり、開会の挨拶をしなければいけないし、

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終了後は場所を岐阜都ホテルに移して『そのだ修光参議院議員を励ます会』が19時からあり、その主催者責任者として会場準備があり、来賓の対応と本番で今から本格的に書くのは無理です。リピーターの皆さん。明日は週刊現代の話題も含めて頑張りますので本日はここでお許し下さい。

自分の歌に聞き惚れました・・・。

令和4年6月9日

本日は月1回の地元藤下の高木さんとの『ジョイントコンサート+ONE 』があったのですが、感染症対策の一貫でデイサービスと本館2階のみだったのですが、(いつもは5会場)その分多くの曲を歌う事が出来ました。

最初にデイサービスで、トップバッターは藤下の高木さんで私より9歳年上の78歳なのですが声量もあり歌も実に上手い。これは、若い頃に余程授業料を払っているなと思った次第です。次に私が歌を歌ったのですが、正直自分の歌に自分で言うのも可笑しいのですが聞き惚れてしまいました・・・。歌いながら「これほど上手に歌えるようになったのはどうして何だろうか。」と考えていて思い当たったのは「低音の音域が広くなり、歌うのに余裕が出て来た事による相乗効果と、カラオケ機器を1年前に購入したのが性能が良いからだ。」と言う事です。デイサービスの利用者さんは聞き上手なのでちゃっかりとアンコールまでしっかり歌わせて貰いました。低音の音階が広くなったのは毎日仏間に1時間以上籠ってお経を唱えている事による相乗効果だと思っています。だって自分で言うのも可笑しいですが確かにお経も上手になりましたから・・・。

 

デイサービスを終えた勢いで本館2階でもガンガン歌おうと思ったのですがカラオケの機械操作がしっかりわからない職員ばかりで、尚且つデイサービスの機械より性能が劣る機械だった為にトップバッターの高木さんの「音階を5つ下げて」の要望に応えれなくて10分程時間が無駄になってしまい、その繋ぎで高木さんがマイクを持ってお話を始められて「私と理事長はどれだけ年が離れていると思いますか。」との声掛けに入居者さんの方から「理事長さんが3つ上」との答えに私は思わず『絶句』です。私の方から思わず「私の方が9歳年下です。」と言いたかったのですが「ここは大人の対応をしよう。」と言う事で「高木さんは若く見えますから本当に羨ましい。」と答えながら「私はよっぽど貫禄があるのかな」と自分自身を慰めにならない慰めを考えている私なのであります。

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2会場のカラオケを終えて会議室でお茶を飲みながら『カラオケ談義』をしました。その中で高木さんが「若い頃は、しっかり声が出たけど今はあかん」と言われたので私は「78歳にして10曲以上歌ってもしっかり声が出ているのに何を贅沢な」と言ってから「だから私より9歳も年上なのに私より若い等と入居者さんから言われるのですかね。」と返すと高木さんは満更でもない顔をされていました。リピーターの皆さん。私は老け顔ですか・・・。

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雨の中でしたが、しっかり歩きました。

家を出た時には雨は降っていなかったのですが、若宮八幡神社の分神社にお参りをしていると太陽は出ているのに雨が降って来ました。分神社から我が家の前を通り過ぎようとした時にはかなり雨が強くなってきたので歩くのをここでやめるかどうかと迷ったのですが、「えい、やー。」で歩き続ける事にしました。(結果的には続けて良かったです。)

ただし、首に巻いていた山崎ていじの赤いタオルを頭にかぶる事にしました。(泥棒さんではないですから悪しからず)

段々と雨は激しくなってきましたが、妙応寺の駐車場の所まで行くと西の空に虹が見えたので「ラッキーだし、吉兆の現れ」と思うと何と無く、昨日も色んな事があって、早くに寝たのですが午前1時以降はしっかりと眠れなかったのが吹き飛んだ気分になりました。

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本日も『幸福地蔵菩薩様』に『幸福』を念じてトンネルを抜け出て妙応寺の山門を入り、本堂前で『般若心経』を1巻唱えてから『諸障退散』『七難消滅』を一生懸命にお願いしました。今須稲荷では『心願成就』をお願いしてお墓に向かう途中にある六地蔵さんで少し雨宿りをしながらお地蔵さん一人一人に『おん、かーか、せんだり、まり、そわか』を唱えながら一人一人の顔を見て、「左から3番目のお地蔵さんが一番色男だな。」とわけのわからない事を思っていました。

雨宿りを終えて(とは言え、まだ雨は降っていたのですが)改めて西の空を見たら、先程より虹が綺麗に出ていたので、ここでも写真をガラケーの携帯で撮りました。

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我が家のお墓に着き、ここでも般若心経を1巻あげて、亡くなった順に(秋江さん、進さん、英子さん)に私の今の厳しい状況を話してから、お墓でも『諸障退散』『七難消滅』をお願いしました。昨日は本堂に再び向かうと木魚の音が響いていましたが、残念ながら本日は聞こえて来ませんでした。本日は雨が降っていた為なのか誰にも会う事はなかったのですが、その分『虹』がずっとお付き合いしてくれたのは本当に幸福な気分になりました。

家に帰ってお風呂に直行をしました。少し体も冷たくなっていたし、頭も濡れていたのですが、改めて水のシャワーを頭から浴びてから、ゆっくりとお湯に浸かると「正に極楽、ゴクラク、ごくらく」そして朝食は昨日の夕食の残りとは言え『朝カレー』元気モリモリ頂きました。朝歩いているから朝食は最高に美味しいし、昼食も朝食が7時と早いのでこれまた美味しいし、夕食はお風呂に入ってゆったりと美味しく頂いているので、これではお腹の肉を凹ませる事など出来ませ~ん。このコラムで『がん』の告知をしたので、色んな方から心配のメッセージを頂いていますが私は「体の外に出来たのが『吹き出物』で体の中に出来たのが『がん』だと思ってるから気にしてませ~ん。」等と訳の分からない事を言ってます。リピーターの皆さんの中には「若山と言うのは困ったものだ」と思われている方もみえると思いますが、『死ぬまで生きる』のだから『生きている限りは120パーセントで頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

本日は晴れていたので外を歩きました

令和4年6月7日

昨日の失敗をしないように、(凄い雨だったのに歩くつもりだった。)アラームでの行動開始で2階の廊下から窓を開けて外を確認すると濡れた感じは有りましたが雨は降ってないと言う事で、仏間と洗面台を4往復をして水かえをして、蝋燭と線香に火を点け、いつものように若宮八幡大神様に『心願成就』を七福神には『ドリームジャンボの当選』を祈願して(言い続けます。)仏壇に移り、正信偈とお文さんを唱えてから外に出ると最高に爽やかです。先ずは家の前で東の空に向かってかしわ手を打って祈りをあげてから本日は村社若宮八幡神社の分社にお参りをしようて東に向けて歩きました。分社は直ぐなので手を合わせた後は妙応寺に向けて歩くために西に向けて歩きました。今日は金剛杖の他にお墓に御供えする水を我が家の水道水をペットボトルに入れて持って行きました。東に向けて歩きだして我が家の前を通り過ぎようとすると私の影がしっかりと地面に写りだされたので思わず写メールを撮ろうと杖を置き携帯を構えたら急に太陽が隠れてしまい撮れなくて・・・。本日も妙応寺の駐車場内にある『幸福地蔵』にお参りをしてお地蔵さんのご真言である「おん、ころころ、せんだり、まり、そわか」を一生懸命に唱えました。

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本日も門は開いていたので本堂前で般若しんぎょうを1巻唱えてから、今須稲荷にもお参りをしてからお墓の方に向かうと途中に大きな五輪塔があり説明がきの看板を見ると『関ヶ原与一』なりる人物が泥水を牛若丸にかけて殺されたとの事で、その為の五輪塔が明治15年に関ヶ原駅舎を建てる時にみつかったとの由来が書いてあり私は何度もその五輪塔をみていたにも関わらず気が付いていなかったのか、単に忘れているのかは定かではありませんが、改めて「関ヶ原与一なる人がいたんだ。」と理解したわけです。

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そして、父進さん、母秋江さん、養母英子さんが眠るお墓に行き、先ずは持参したペットボトルの水を供えようとして「うん、一昨日器の中の水は捨てたはずなのに一杯に入っているのは・・・。あっそうか。昨日の凄い雨で器の中が一杯になったのか。」と言う事で雨水は捨ててペットボトルの水を器に入れました。そして、野草のように咲いていた花を切って花入れに入れました。それから般若しんぎょうを1巻唱えてから父進さん、母秋江さん、養母英子さんとお話をしてから帰り道を再び妙応寺の境内を通って帰る事にしました。と言うのは、日が射していた天気が小雨ではありますが降ってきたので「少しでも濡れないために。」と言う事だったのですが、本堂に近づくと本堂の方から木魚の音が響いてきたので「ラッキー」と思いながら歩きました。家に帰るまで雨は降り続けだったのですが、「小さい頃の私だったら、この状態で熱を出してるな」等と考えながら家に入り、お風呂に直行をして頭から水のシャワーを浴びました。リピーターの皆さん。「やっぱり、ヒロシ君は丈夫くなりました。」と言う事で。

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ウォーキングマシンの大掃除をしました

令和4年6月6日

『大掃除とは大袈裟な。』とリピーターの皆さんの中には思われた方もおありかと思いますが、私にしてみたら『大掃除』なのであります。だって、私のお腹の出方では拭き掃除は至難の技なのですから・・・。そこで、ウォーキングマシンの大掃除をしたお話を本日はします。昨夜も21時30分には爆睡体制に入り一度目が覚めたとは言え、4時にはぱっちりと目が覚めたので、アラームの4時31分にベット上での体操をして行動開始をしました。

いつものように仏間での水を替えて蝋燭と線香に火を点けお参りを。ただし、まだウォーキングマシンの修理が出来ていないので「外を歩こう」と昨日同様に金剛杖を持って玄関を出ると雨音がするほどに激しい雨。「2階の窓からの状況で気が付かない『わたしが♪わるい♪』」と山崎ていじの歌のリズムで思わず歌ってしまいました。(リピーターの皆さんの殆どの方にはわからない話題でした。)そして、「本日は外を歩くのは無理だな。」と再び家に入り、「このまま何もしないのは面白くないな。」とウォーキングマシンの所に行き「少しは動くだろうから止まるまで歩こう。」と考えて歩きだしたのですが直ぐにトラブル・・・。「う~ん。どうすべ~。」と言う事で前々から気になっていた、ウォーキングマシンの周りがベルトのゴムがボロボロと剥がれていて汚れた状態だったので綺麗にすることにしました。

先ずはバケツと雑巾を確保しなければいけないのですが、「さてさてどこにあるのか」とありそうなところを探しても無いのです。そして何気なく外を見ると花用のバケツがあるのが目に留まったので家の中からガラス戸を開けると取れるところにあったので「取り敢えずバケツをゲット。」雑巾はお風呂の脱衣場にあるのをゲット。と言う事でバケツに水を入れてからウォーキングマシンの置いてある北側の廊下へ。床に点在している黒い物体を綺麗にするにはどうしても座り込んでの作業です。リピーターの皆さん想像して下さい。この作業をするには私の腹がつかえて少しの作業にも「フーフー」と言わなければいけない状況に「歩いたほうが楽だ。」と思わず叫んでいました。

ウォーキングマシンを購入して以来の拭き掃除ですから雑巾は直ぐに真っ黒。「フーフー」と言いながらもバケツの水を何回も換えて何とか綺麗になりました。だから、リピーターの皆さん、私にとっては『大掃除』だったわけなのです。中学生の頃は同じ慎重で40キロ。今は恥ずかしながらバブルスコア。40キロだった頃は若秩父(その頃の人気関取)のお腹に憧れていたのに、今の私は若秩父のお腹と遜色がなくて今のお腹が妬ましい。でもね、病気でガリガリになるよりはましかと思いながら・・・。「世の中はままならない。」とつくづく思っている次第です。と言う事は『トホホホホ』の世界と言う事でしょうか。リピーターの皆さん。こんな私なのですがこれからもよろしくお願いします。

 

 

『過ぎたるは及ばざるが如し』

令和4年6月5日

いきなりのタイトルにリピーターの皆さんの中には「何のこっちゃ」と思われた方もおありかと思いますが、これから書きますので「慌てない、あわてない」(漫画の一休さんのようにお願いします。)

昨日は次男が仏間に寝ていたので外を歩いたと報告しましたが、実はいきなり外を歩いたにもかかわらず無謀なコースを歩いてしまい、昨日は全く仕事に成らず(土曜日と言う事もあり会議等もなかった。)13時30分には家に帰らせて貰いました。家に辿り着いたら「滅茶苦茶眠い!」と言う事で横になりました。「少しテレビでも見よう。」とテレビを点けてはみても、全く頭に入ってこないのでシーパップのマスク(肥満の私は大変なのであります。)を装着して本格的に寝ることにしたら直ぐに爆睡をして目が覚めたのは16時30分で、目が覚めた時には頭の重かったのも無くなっていました。

と言う事はマジに疲れが貯まっていたんだと思いました。しっかり昼間に寝たにも関わらず21時には眠くなり、またまた眠る事が出来ました。今朝は4時に目が覚めたので、アラームの4時31分より前の4時20分から行動開始。ただしまだウォーキングマシンがなおっていないので、若宮八幡大神様と仏壇の水かえをしてから若宮八幡大神様に手を合わせ「心願成就」をお願いして、仏壇に移り『正信偈』を唱えてから外を歩く事にしました。ただし、昨日のような無謀な事をしないで金剛杖を片手に歩く事にしました。

コース的には、先ずは家の前で東の空の太陽に手を合わせ西に向けて歩きました。先ずは妙応寺を目指しました。妙応寺の駐車場内に交通事故で子どもさんを亡くされた方の寄進で建立された『幸福地蔵』の所で「おん   ころころ   そんだり   まり   そわか」のご真言を唱えて21号線とJR東海道本線の下にあるトンネルを歩きました。金剛杖を突いてトンネルの中を歩くと素晴らしい音が響きました。特にJRのトンネルはレンガ造りだからか素晴らしい音が響きました。妙応寺の山門は開いていたのでお寺の敷地の中には入れましたが本堂の戸は開いていなかったので、戸の前で般若心経を1巻唱えました。次に稲荷神社が併設されているので手を合わせると共に、戸の所にお賽銭を入れる所があったので本当は本堂で納めるつもりだったお賽銭を入れました。2礼⒉拍手1礼をしてから、若山家のお墓に向かいました。

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若山家のお墓でも般若心経を1巻唱えてから父進、母秋江、養母英子とお話をしてから家へと帰りました。昨日は必死に歩いたので疲れてしまいましたが本日はあちらこちらと道草をしながらのウォーキングだったので決して疲れる事は無かったです。但し、歩数は昨日の3分の1でしたが、「朝の冷気の中を歩く」事の清々しさは満喫しました。昨日の様に疲れては何にもなりませんので改めて『過ぎたるは猶及ばざるが如し』だと思った次第です。

リピーターの皆さんようやくタイトルに行きつきましたが本日のお話はここまでと言う事で「おあとよろしいようで。」と言う事で。(私のお話は『落語』か)

 

久しぶりに外を歩きました

令和4年6月4日

昨日のコラムでウォーキングマシンが壊れた事を書きましたが、その他に我が家に次男が3月依頼久しぶりに帰って来て仏間で泊まったので朝一の仏間への出入りを遠慮してウォーキングについては天気も良かったので外を歩く事にしました。昨夜の夕食は久しぶりに次男が帰って来ると言うので次男が好きなエビフライを奥様が息子たちが家を出て以来の8年ぶりに手作りしてくれました。私はと言うとお刺身や唐揚げ等を買って来ました。ビールもストックが無いので酒屋さんで冷えているのを買ってきました。何と親ばか何だと自分の事ながら思っています。

先ずはビールで乾杯をして色んなものをつまみながら先ずは私の体調について心配してくれていて話をしていて「流石に看護職員として仕事をしているので知識があるな。」と思いました。ビールを何本か飲んでから大切にしていた頂き物の『久保田の万寿』の封を切って改めて乾杯をしました。「久保田の万寿は最高のお酒だから下手に冷たくするよりは常温で飲んだ方がお酒の味を味わえる。」との私の持論で飲むことにしました。次男も今月で33歳、お酒の味がわかる歳になったようで「お父さんこのお酒は美味い。」と言って何倍もおかわりを言ってくるのを「飲め飲め」と言って一升瓶からついでいた私がいました・・・。結局一升瓶の半分くらいを空けて酒盛りを終えたのですが残りのお酒は持って帰る様に言うと嬉しそうにしていました。

(本題に入ります。)4時50分に家の外に出ると気持ちの良い天気で半袖のポロシャツの腕に当たる冷気が心地よくてたまりません。目的地を今須にある『村社 若宮八幡神社』と『聖蓮寺』に決めて歩きだしました。しばらく歩きだして気づいた事は「殆ど下り坂になっているな。」と言う事です。「何を今更」と思われるリピーターの方もおみえになるかと思いますが、事実ですし、もしかしたらかつてもその様に感じたかも知れませんがそうだとしたら忘れてしまっていて改めて新鮮に感じたのだと思います。

下り坂が続くので軽やかに歩きながらガードレールの2本の足の間を6歩で歩いて行くとますます軽やかに歩けました。歩いて行って初めて出会ったのは一生懸命にキャベツの収穫をされている女性の方に「おはようございます。」と元気に声を掛けるともう一人(多分ご主人)の方からも挨拶を頂いたので「朝早くからご苦労様です。」と改めて声を掛けました。(改めて挨拶をすると言うのは気持ちの良いものだと思いました。)目的地の一つである『村社 若宮八幡神社』に着き下社から上社へ38段の階段を一機に上がる予定が20段目で手をついてしまう情けなさ。でも思い直して頑張りました。

そして、2礼⒉拍手をしてから「心願成就」と大きな声でお願いして1礼をして下におりました。引き続き聖蓮寺に行ったのですが大きな門は時間が早いので閉まっていたのですが、隣の小さな戸は開いていたので「いつでも入って大丈夫ですと言う事か、流石にこのお寺は素晴らしい。」と思いながら体を小さくして中に入りました。

このお寺は親鸞聖人が逗留された由緒あるお寺で『八房の梅』でも有名なお寺です。(田舎のお寺ではありますが、素敵なお寺ですからリピーターの皆さんも一度来てみて下さい。)本堂の前で膝まづき般若心経を1巻唱えてから「諸障退散」「七難消滅」を念じました。お寺のお参りも終えて一路我が家へ。帰りの道は殆ど上り坂でなので今の私の心情の中では『苦あれば楽あり』で「これからは、良い事があるぞ」との思いになりました。家に着いて歩数を確認すると『6828歩』ここでも末広がりの『8』が2つもあって益々『吉兆』これからも頑張ります。

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ウォーキングマシンが動かなくなりました

いつものように4時31分のアラームで行動を開始して、神棚に手を合わせ、仏壇と若宮八幡大神への水かえと蝋燭と線香に火を点け、先ずは若宮八幡大神様に『心願成就』を七福神様に、『ドリームジャンボ5億円』を祈願して(あからさまのお願いは失礼かとも思いますが、今はそんなことを言っとれんのです。)仏壇の椅子に腰掛けてお経を唱える体制になったのが5時ちょうど。

お経は20分で読み終えて、ウォーキングマシンで歩きだして10分程でウォーキングマシンが動かなくなりました。多分歩く所の布地の部分の左側が機械に食い込んでしまったからだと思います。最近食い込んだものを少しづつ引っ張っては使用していたのですが、とことん食い込んでしまっていたので本日のウォーキングマシンに乗っての歩きはこの段階で中止にして再び仏壇にいき般若心経を木魚を使って唱えていると仏壇の蝋燭が今、正に終わりかけていたので蝋燭立てを手に持ちながらお経を唱えていると「もう少しだ。」と思っていたのが以外に長く燃えていて、結構な時間お経を唱える事が出来ました。

蝋燭が燃え尽きたのを見ていると、鶴亀の燭台に蝋燭がこびりついているのがわかったので綺麗に蝋を取ることにしました。取る時には一本の爪楊枝を使う事にしたのですが、実に上手く蝋を取ることが出来たので「何事も道具があれば上手くいくのだ。」と思うと、閃きました。ウォーキングマシンの布地を引っ張るのもペンチのようなものを使って引っ張ればもっとしっかりと元に戻るかもしれないなと思った次第です。その時にはペンチがどこにあるのかがわからなかったので明日にはしたいと思います。(本部施設ならば大抵の事はわかるのに我が家の事は全くと言って良いほどに「わかりませ~ん。」)

話はガラッと変わって、本日施設の職員との溢れ話をひとつさせて頂きます。それは、私が短大の非常勤講師をしていた時の教え子が施設を開始した当時からいる職員との会話です。「理事長は女性ホルモンの薬を飲まれているとコラムで知りました。私は逆に男性ホルモンの薬を飲んでいます。」と言うので、「そうなんや、だからおっぱいが膨れてくるかも知れんのやと。」と言うと、「私は男性ホルモンの薬を飲んで髭か生えてくるようになって困ってます。」と切り返されたので私は正直「マジかよ。」と即座に思いながら「二人の病気を足して2で割ると上手くいくのだけれどそんな調子にはいかんわな。」と思った次第です。そんなことを考えていて、リピーターの皆さん。私がつくづく考えたのは世の中思い通りにいかんから頑張ろうとの気持ちになれるのだと思いました。とにかく、一生懸命に頑張って活路を見つけるしかないのだからこれからも頑張りますので宜しくお願い致します。

大変ですが頑張ります

既にコラムでも書きましたが本部本館1階でコロナ陽性者が職員にも入居者さんにも出てしまいました。大変申し訳ないことです。昨日別件で岐阜県高齢福祉課に行った時につくづくお話をしたのが、感染症に対するBCP(事業継続計画)作成の重要性でした。確かにマニュアル的なものはどの事業所も作成していると思うのですが、「それぞれの事業所に踏み込んだものになっているのか」と言う事です。当施設では西濃保健所、西濃振興局福祉課及び全国老人福祉施設協議会感染症対策本部との連携を密にして、ひとつひとつの対応をしっかり実施してます。その時に有り難かったのは当施設の職員が機敏に動いてくれる事です。確かに非常事態ですから『当たり前』と言えば当たり前なのですが、現実にはなかなかそのようにはいかないものです。ただし、コロナ感染症対策について『予防的対策』については万全を尽くしていたと考えていたのですが、いざコロナ感染が複数出たとわかった時には正直頭が真っ白になりましたが私があたふたしたら、職員が機能不全に陥ってしまうので、動揺した様子は微塵にも見せないで、「先ずは対応の仕方を学ぶべし。」と言う事で公的な機関である大垣保健所と福祉課に相談すると共に、全国老人福祉施設協議会へも相談を持ちかけました。保健所では、集団で生活している施設についての把握はなかなか難しくて問題をひとつひとつ解決していく形のアドバイスでした。そのアドバイスに対して機敏に対応してくれる幹部職員には頭が下がるばかりでした。ただし、私が得意とする対応として『災い転じて福となす。』を必ず形にしていきたいと考えています。本日嘱託医の先生とも話をしました。その中で「体調が悪いときに無理をしないで休んで貰うべきだ。」とのご指摘に対して私は、「無理な事はさせていないが、もしかして体調が悪い事を言えない雰囲気があるとすると問題だ。」と思いました。しかしながら、無理をした結果がもっと迷惑をかけることになると言う事を理解させていかなければならない。しかしながら悔しいです。今まで陽性を出さずにきたのに。自粛に対する油断だったら残念な事ですが、どこにコロナがいるのかはわからないのだから今まで以上に手洗いうがい消毒を徹底していきます。リピーターの皆さん、お互いに気を付けていきましょう。

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