2022年06月の記事一覧

昨日の『供養祭』について語ります。

令和4年6月20日

供養祭の準備について仏壇の花の手配をするのが私の役割としてあったので、施設に行ってから地元の花屋さんである花茂(はなしげ)さんにお店が開いてるかの確認をすると「お待ちしてます。」との事でお店に向かうとご主人が待っていて下さったので、花瓶を渡すと既に電話連絡をした段階で段取りが出来ていたようで私が見ている前で講釈をしながら立派な仏花を作って下さいました。立派な仏花を作って頂いたので作って頂いているときに「これ程にこだわって頂いたなら蝋燭や線香もこだわらなければいけない。」と考えて施設に戻る前に我が家に寄り、以前に頂いた和蝋燭と東福寺で頂いたラベンダーのお線香を家から持って行きました。

施設に戻り仏間の最終確認に行くと既にお供え用のお饅頭は届いていて綺麗に供えてあり、職員がきちっとしていてくれているのに感謝です。全ての確認を終えて事務所に戻り書類の確認をしているとかつての入居者さんの家族の方が長浜からわざわざお供えを持って来て頂いたので、仏間に案内してお参りをして頂きました。昨年も来て頂いたのですが、昨年は仏間には上がらず会議室の所から手を合わされた記憶があるので、「今回は是非に」と話をして仏間に上がって頂きお参りをして頂きました。お参りを終えた後で「木魚が大きい。」との話になり、「理事長が強く木魚を叩くのでこの木魚は3代目(3台目?)」等との話で盛り上がりました。なお、「理事長さんが『たねや』のバームクーヘンがお好きだと聞いていたので」と言う事で毎年の事何ですが沢山に頂きました。沢山持って来て頂いたのも嬉しい事なのですが、案内状を出すと必ずお供えを持って来て頂けるのは本当に有難いです。

昼食を頂いて待っていると家族会の吉田会長が来て頂けたので話をしていると、本館と1階の入居者さんが会議室に誘導されるのを見て、コロナ感染に伴いなかなか合同での開催は出来なかったのが少し緩和されたのには正直心が熱くなりました。但し、本館2階、新館1階2階についてはテレビを見ての参加だったので、完全に合同開催出来る日を切に望みたいです。本館1階とデイサービスの皆さんが揃われた段階で理事長である私から「施設にご縁を頂いたかた441名のお名前が書かれていますが、お名前を一人ひとり見ているとそれぞれの出会いが走馬灯の様によみ返ってきます。とご挨拶をさせて頂き、引き続き家族会の吉田会長さんからもご挨拶を頂いた後、地元法忍寺のご住職であり当法人の監事でもある皆田さんの読経と講話を皆さんが一生懸命に聞いて下さいました。

その様子を見ていてつくづく思う事は当施設の入居者さん、利用者さんは色んなイベントへの参加は上手だし良い顔されていると思いました。リピーターの皆さん。当施設の職員は常に一生懸命です。機会があればコロナも収束したら来てみて下さい。

 

『恩返し』と共に『叱咤激励』です。

令和4年6月19日のコラムにつきましては、諸般の事情で削除させていただきました。

 

 

今の時間が、1日で一番爽やかな瞬間です。

『今の時間が、1日で一番爽やかな瞬間』と言うのは、朝早くに起きて、我が家の仏間に籠り(『籠り』と言うほどおおげさな事ではありませんが。)お参りをした後、数珠と金剛杖とペットボトルの水を持ち、妙応寺にある我が家のお墓まで行ったあと「ほっ」としつつ、お風呂に浸かった瞬間です。今朝は気温が高かった為か服を脱いだ時に背中にじっとりと汗をかいているのがわかりました。洗い場で頭から全身に水のシャワーをかけた瞬間は格別な思いになりました。

本日は当法人杉和会の評議員会が13時30分からあり、私は理事長として、盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)が大きな赤字を出していることに対する今後の方向性をしっかりと説明して理解して頂かなければいけないので朝からプレッシャーです。定刻より5分早くに皆さんが揃って頂けたので、事務局長が開会を宣言して、議長と議事録署名者を指名させて頂いた後、理事長挨拶の所で厳しい状況ではありますが、収入をあげつつ、節約に努めると共に特養への変換をなるべく早くに出来るように今は色んな手立てを講じていることを話させて貰いました。『節約』する中でも入居者さん、利用者さんに不利益にならない配慮はしていく事を話させて貰いました。話をしながら「赤字が出ることがわかっていながらも岐阜県の視覚障害の方の安心の為に実行した事には決して後悔しない。」との思いを再確認しました。それと共に老人福祉法の根幹を成した昭和38年の弱者救済の信念が今はないがしろにされている事を強く訴えていかなければいけない。とも思っています。

令和3年度の決算も承認され、無事に評議員会を終えると15時から開催予定の園田参議院議員の7月の選挙で関ヶ原で多くの票を取るための打ち合わせを関ヶ原で協力して頂ける方にお願いして開催しました。時期的にはもっと早くに開催すべきだったのですが、私自身身動きが出来ず今日になった事を先ずはお詫びしてから論客揃いの方々に話を聞きました。どのような結果になるかはわかりませんが悔いのない戦いをしていきたいと考えています。

リピーターの皆さん。私の1日の中では色んな形で切り替えをしなければいけない毎日ですが、くじけず頑張りますのでこれからも私を見守っていて下さい。

山門が開いてない

令和4年6月17日

昨夜はお腹が張った状態だったので、夕食はパンと牛乳のみにして、20時過ぎには眠りにつきました。まだ少しお腹は重い感じはありましたが、いつもの4時31分のアラームで爽やかに起きて行動開始。水かえとお参りを終えて、5時20分にはペットボトルに入れた我が家の水とお賽銭の小銭と杖と数珠を持ち我が家を出発。いつもの様に歩いたのですがいつもと違っていたのが2つ。

1つ目は「仏間の蝋燭は消してないのでは。」と言う事で若宮神社の出張り所から戻った段階で一旦家に帰り、確認すると仏壇の蝋燭は消してなかったのでしっかりと消してから再び家を出て、妙応寺に向かいました。幸福地蔵菩薩様でもしっかりお参りをして、トンネルも快適に歩けました。

いつもと違う2つ目の事なのですが、『お寺の山門が開いてない。』と言う事で、山門の前で般若心経を1巻を唱えてお寺の境内が通れないのでぐるっと回ってお墓に向かいました。若山家のお墓に行く前に六地蔵さんの所で中央のお地蔵さんから一人ひとりに挨拶をして、お墓の方からだと本堂にいけると言う事で改めて本堂に向かうと鐘が鳴ったので「うん」と思うと続いて木魚の音が本堂から響いてきましたので、改めて本堂の前で手を合わせてから(この段階では山門は開いていました。)今須稲荷に行き小銭を賽銭口から入れると軽やかな音が響きました。

再び六地蔵さんの所を通り我が家のお墓に行きペットボトルの水を若山家、吉澤家、及川家、柴田家と入れて回り改めて我が家のお墓で般若心経を中心にしたお経を唱えて再び六地蔵さんの前を通り「うん、何か忘れて無いか」(頭をポクポクと叩いて思い出しました。「六地蔵さん前の草を3本ずつ抜くのを忘れていた。」と言う事で「一日坊主になるところだった。」と思いつつ「継続は力だ。」と思うと同時に「毎日少しずつにしていけばきっと綺麗になる。」と思いつつ爽やかな気分になりました。

再び本堂の所を通って家に帰りました。家に帰る間に「一体だれが山門の戸を開けられたのか」と色々と考えていました。本堂で鐘が鳴り木魚が叩かれて読経が聞こえてきたので、妙応寺の方丈(一般的には住職と言いますが)が開けられたに違いない。と思いながらもだったら毎日読経が聞こえてきても良いはずではないか。と思ったりしました。

さて、本日は10時から全国老人福祉施設協議会による制度政策検討会議が行われました。この会議は今後の全国老人福祉施設協議会の進むべき方向性を決めて行く大切な会議で、私は会議に参加された論客揃いの皆さんの意見を聞いていて最後に私なりの意見を言わせて頂きました。「社会福祉法人の担うべきものが希薄になっているのではないか。」「かつて施設で当たり前にしていたことが出来ていない施設があるのではないか。」との意見を言わせて頂きました。

話をしながら単に嘆いているだけでは何も変わらない。だから私は全国老人福祉施設協議会副会長として何をすべきかを明確にしながら頑張らなければと考えていますのでリピーターの皆さん、私の動きにも注目していて下さい。

今朝は木魚の音が響いていました

令和4年6月16日

昨日は早朝4時から大車輪の様に動き回り(ただし、大垣市民病院では椅子に腰掛けて順番を待っている時間も長かったのですが。)家にたどり着いたのは20時を過ぎていて、『へとへと』と言う表現がぴったりの状況でした。あまりにえらかった為か、直ぐにお風呂に入れば良いものを何と無くウダウダしていて、何とかベットに横になったのは21時過ぎ。流石に直ぐに眠りに入り何故かアラームが4時15分に鳴り、(前日のセットのままだったのだと思います。)「まだいつもの時間より早いので後15分寝ましょ。」と言う事で再び寝て再びアラームがなった4時31分に行動開始。外を見ると靄がかかっていましたが「雨は降っていない。」と言う事で仏間での水替えとお参りをしてから(5時20分まで)我が家の水道水をペットボトルに入れたのと金剛杖を持って家を出ました。

先ずは村社『若宮八幡神社』の出張りに向かいました。この時間だと必ず新聞配達の少年に会うのですが、「おはようございます。」の声が大きくなってきているのを嬉しく思っています。出張り所には3社あるので1社ずつしっかりお参りして、再び我が家の前を通り妙応寺に向かいました。妙応寺の駐車場北に設置してある『幸福地蔵菩薩』にしっかり手を合わせトンネルの中の杖の響きを楽しみながら妙応寺の山門が開いているのを確認して「確か2,3日前の17時30分頃に通った時には山門が閉まっていたと言う事は少なくても5時30分前には山門を開ける方がおみえになると言う事か」と思うと私が4時50分に厨房の従業員に鍵をお渡ししたように年中無休の施設だとかお寺はしっかりとした体制をとっていなければいけないと言う事かと思いました。

本日も本堂での般若心経を1巻と今須稲荷でのお参り(先日小銭を戸の隙間から入れるとカネの音がする事を知りましたので1円玉、10円玉、50円玉をジャージのポケットに忍ばせていなのを順番に入れました。予想通り10玉が一番大きな音でした。)関ケ原与一の墓では、「私にも力を」との言葉を掛ける様にしました。六地蔵さんでは右から3番目、次にその隣、と、右へ左へと手を合わせながら本日も左から2番目のお地蔵さんが「一番良い顔してはる」と思い、手を合わせたあと、六地蔵さんの前の所に草がたくさん生えていたので「本日からお参りした後に3本づつ抜いていこう。」と言う事で結構硬い草でしたが何とか抜きました。

我が家のお墓に着き湯飲みの水を替えて500ミリリットルのペットボトルなのでまだまだ余っているので、吉澤家(春子さんのいえのお墓)及川家(かつての入居者さんのお墓)柴田家(同級生のお墓であり私を可愛がって下さったおばさんの墓)の湯飲みにも水の入れ替えをしてから、若山家のお墓の前で般若心経を中心にしたお経を唱えてから再びお寺に向かうと(この段階で町報のチャイムが鳴りました。)本日は重々しい木魚の音が響いていたので本堂に向かって手を合わせてから家に帰りました。朝の散歩は歩数は伸びませんがリピーターの皆さん楽しいです。だってこの様な歩き方は『子どもの道草』と同じだと思うので・・・。と言う事は私の知的能力は小学生レベルなのか・・・。いやいや「これも楽しからずや」

 

今は5時50分ですが本部施設でコラムを打ってます。

昨夜は前日が朝早くから夜遅くまでハードだったので20時45分には眠りの中だったのですが、21時に携帯が鳴り「施設で何かあったのか」と言う事で無理やり眠りから覚め携帯に出ると本部施設の宿直者からで「家で父親がコロナの陽性が出て保健所から宿直業務を止めて直ぐに自宅待機をしなさいとの事なのですがどうしたらいいでしょうか」との事で、一先ずは入居者さんの緊急対応では無かったので一安心してから「保健所から帰る様に指示を受けた以上は帰らなければいけないので、夜勤責任者に協力を得て自分が帰っての戸締りを依頼すると共に外線用の携帯を持って貰う事にするので取り敢えず夜勤責任者から私に連絡を下さい。」と言って一旦電話を切り、夜勤責任者からの連絡を待ち連絡が来た時に夜勤責任者に「宿直者が施設を出てからの戸締りと私が4時30分には行くので私が施設に入れるように頼みます。」と言って再び眠りにつきました。

(いつもの4時31分のアラームではいけないので4時ジャストのアラーム設定をしました。)4時のアラームで行動開始。4時20分に施設に着くと既に事務所の電気が点いていて夜勤責任者の芝崎課長に労いの言葉を掛けて、芝崎課長には現場に戻って貰い事務所で待機(決して時間は無駄なく活用しています。)4時50分には厨房の従業員が鍵等と取りに来て玄関を開ける作業をしました。久しぶりの宿直業務に「平成10年5月に開所してから1年位は少なくても週に2回は宿直業務をしていたな。あの頃は私が宿直をすると宿直手当て1回3600円が要らないし、自分がしていた方が安心だと言う理由で宿直をしていたな。」と懐かしく思うと同時に「今は幹部職員が宿直を担っていてくれて有難い。」(あくまで当施設は管理宿直に拘っています。)としみじみ思った次第です。

そして、もう一つ思った事は1階のフロアが静かな事です。私が宿直をしていた時は4時を過ぎると1階のフロアには多くの入居者さんが起きてみえて、親切過ぎる入居者さんがデイサービスのエリアも含めて電気を付けて回られる方がおみえになり、点けられる後ろからモップで床拭きをしながら電気を消して歩いた事も懐かしく思い出していました。(館内の湿度が高いのと新しい建物と言う事でコンクリートから水が吐き出されていたからだと思います。この現象は1年程続きました。)水野相談員が気を聞かせて6時過ぎに来てくれたので久しぶりに全館の皆さんに挨拶をして回りました。

その時には一杯楽しい出来事がありましたので2つのみですが報告します。一つは常に樹木の事を気にかけて下さる入居者さんから、「枯れたような木はなるべく早く切った方が良い。」とか「1本元気のないモミジがあるのだけれど、多分虫が入っているので消毒した方が良い」などと丁寧に教えて貰いました。また、車椅子の女性入居者さんが、腕をさすってみえたので声を掛けると「腕が痺れていて痛い。」と言われたので私が暫くさすって差し上げたらその入居者さんが「痛いのが無くなった。」と言われたので私は「私の手は神の手かな」等と話をして盛り上がりました。久しぶりに一人ひとりにご挨拶をして回ると楽しい雰囲気になります。朝のお墓までの散歩も大切だけれど、朝の清々しい中での挨拶をして回るのも有意義なものだと改めて思いました。

リピーターの皆さん。私は身体を半分に出来るのんらして沢山の事を頑張りたいのですが、そんな事は出来ないので時間を無駄にしない事を心がけたいと思っています。

昨日の出来事あれこれです。

令和4年6月14日

新幹線の中でおむすび弁当とお茶を購入した事は昨日の内に書きましたのでその後の展開をご報告します。無事に東京駅に到着して、(当たり前の事ですが、これが考え方によっては奇跡とも言えるのです。)八重洲口から銀座1丁目にある顧問弁護士事務所に吉澤施設長のスマホのナビで歩きました。お陰さまで吉澤施設長のスマホがいい加減なのかスマホのナビはそんなものなのかはわかりませんが、無茶苦茶大回りをして何とか弁護士事務所にたどり着きました。(お陰さまでで歩数は結構な数字になりました。東京とはしっかり歩かされます。)6階までエレベーターで行くと事務所の玄関口に出て受付の方に「岐阜の若山です。」と言うと既に話が通っていたのだと思います。

打ち合わせが出来る部屋に案内して貰いました。しばらくして弁護士の先生が部屋にみえて早速打ち合わせをしました。打ち合わせを終えて吉澤施設長とは玄関先で別れて地下鉄の銀座1丁目駅はと探すまでもなく、玄関を出て直ぐ左手にありました。銀座には何本もの地下鉄が走っているので『有楽町線』と書いてある方に進み、改札前に永田町への地図を見て、『170円』と言う事を確認してから切符を購入して改札口を通過して、右に行けば良いのか左に行けば良いのかがわからずもう一度改札の所にみえた駅員さんに「永田町はどちらに乗ったらいいですか。」と聞くと、「左手に進んで下さい。」で無事に地下鉄に乗れました。地下鉄で永田町は直ぐだったのですか、出口がわからず、うろうろしながらも、何とか目指す全国老人福祉施設協議会事務所がある平河町塩崎ビル7階に行き事務局の職員に挨拶をしてから昼食休憩にカツ丼と蕎麦のセットしめて900円を頂き、その後、代議員総会会場の砂防会館に向かいました。

砂防会館には13時前に着いたのですが受付は既に始まっていたので受付を済ませて会場に入って行くと何人かの役員の方がみえたのでご挨拶をしていると、続々と役員の方がみえたので順次ご挨拶をして、定刻の13時30分になり代議員総会が始まりました。私は副会長なので代議員の方々の向かいに座らせて頂いているので、少し窮屈な感じですが、これは致し方がないこと・・・。

16時前に総会は終了して、同じ会場で園田参議院議員の励ます会が18時から行われるので会場替えもあると言う事で本部事務所に移動して7月に行われる参議院選挙の打ち合わせをして、17時過ぎに再び砂防会館に移動して18時までの一時間は知りうる限りの方々にご挨拶をしました。(と言うよりも、皆さんから挨拶をして頂くのでそれぞれに話をした形です。)励ます会は会場一杯の大盛況で平石会長の挨拶の後はメインゲストの元総務会長の佐藤勉衆議院にして頂き、その後は支援団体の代表の方々に挨拶を頂き(それぞれに1分の持ち時間と言う事でしたが、なかなかそんなわけにはいきませんでした。)それぞれの支援団体の挨拶を受けて、園田参議院議員が挨拶をして、最後の締めとして、田中全国老人福祉施設協議会副会長であり東京都会長が先頭に立っての『頑張ろう』があり散会になりました。

私は施設の看取りの入居者さんが他界された対応をしなければいけないし、今は浮かれて酒を飲んでいる状況にないと言う事で岐阜羽島に一本で帰れる『ひかり』20時12分に乗るべく永田町駅から地下鉄に乗り、取り敢えず『銀座1丁目駅』まで行ったのですが、正直そこでどうやって東京駅に行ったら良いのかがわからず(情けない話しですが・・・)通りかかったお店の方に「東京駅はどの様に行ったら良いですか。」と聞くと親切に教えて下さったので「歩いたらどの位かかりますか。」と再び聞くと「10分以上かかりますよ。」と言われたので、「うろうろ迷っていて列車に乗れないと大変だ。」と思い、タクシーに乗り「近いと思うのですが東京八重洲口までお願いします。」と言う事で基本料金420円ではなく500円だったので、タクシーは正解だったのですが、私の対応の悪さに「もっとメカに強くならねば」と思っています。

ただし、昨日の歩数は12403歩と言う事でこのガラケーの歩数新記録です。夕食も食べずに(お茶はリュックサックお茶は入っていたので飲みました。)くたくたの体で高速道路を何とか運転して23時前に家に着きお風呂に直行をして寝ました。正直今も疲れが無いと言えば嘘になりますが、園田さんの選挙も近いし、法人の課題等々やるべきことが山積みなので咤激励で頑張ります。リピーターの皆さん皆さん「69歳若山」はこれからも頑張りますのでご支援宜しくお願い致します。

 

本日は久しぶりに東京出張です。

令和4年6月13日

本日は全国老人福祉施設協議会の代議員総会が13時30分からあり、16時に終了後は会場設定を替えて『園田しゅうこうを励ます会』があり、本日は日帰りの為に岐阜羽島に最終便になる新幹線で帰る事になると思うのですが、せっかく東京に行くのならば東京駅から歩いても10分位(銀座1丁目)の所にある顧問弁護士事務所に行くべしと言う事で吉澤施設長と岐阜羽島から一番早い列車(7時5分)に乗りました。いつもだと4時31分のアラームで起きて水の入れ替えとお参りに続いて我が家のお墓までの散歩なのですが、先に述べたように岐阜羽島に一番早い列車に乗り、最終列車で帰る強行軍。(しかも、緊張する事ばかりです。)朝の4時31分のアラームは無しにして、アラームは5時30分に設定をして、いつもだと4時前後には目が覚めるのに本日は5時過ぎまで眠ることが出来て5時30には爽やかに起きる事が出来ました。

ところが、私の悪い癖が出てしまいました。と言うのは、洗面とうがいをしてから仏間に行ったのですが、「水かえの前に線香たての灰を綺麗にしよう。」と言う事で、先般数珠の直しと共に手に入れた灰をこす道具と新聞広告を持って仏間に行き灰を綺麗にしだして、「これは大変だ。」と作業して直ぐに気が付いたのですが、やっている内に楽しくなってきて、「気が付けば時間がない!」と言う事で半分は残したまま「家に帰ったらやろう。」と言う事で、途中で作業を止めて慌てて水かえと共に超特急でお経を唱えてからご先祖様に手を合わせ、これまた超特急でスーツに着替えて車に乗り込みました。ラッキーだったのは朝早いので道は空いていたのでスムーズに走れて6時40分には駐車場に車を預けて吉澤施設長の分も含めて往復切符を購入して(私は決して吉澤施設長のマネージメントではありませんから)窓口を出た所で吉澤施設長に合流出来、今は顧問弁護士さんとの打ち合わせを終えてコラムを書いてます。

東京に着いてからはコラムを打てるタイミングがないと思った方が賢明だし、全てを終えて新幹線に乗ってからでは疲れてしまって、なかなかイメージが湧かなくてコラムの原稿にならなくて、コラムを施設に送信するのが遅くなると宿直者に迷惑をかけてしまう事も考えられるので、リピーターの皆さん。申し訳ありませんがあまり中身のないコラムになってしまいました。そうだ1つだけ、新しい話題を。家で朝食を摂らずに新幹線の中で『朝のおむすび弁当お茶付き500円を食べるのを楽しみにしていたのですがなかなか販売に来てくれない。「このまま来なかったら飢え死にするぞ。」(そんな事は絶対に有り得ません。)ようやく来ました。販売員の方に元気よく「おむすび弁当お茶付き2つ」と頼むと「1個しかありません。」と言うので吉澤施設長はコーヒーとサンドイッチのセットを購入して一件落着。しかしながら、久しぶりにおむすび弁当お茶を頼みましたが、今もワンコイン500円とは嬉しい限りです。

リピーターの皆さん。どうでもよい話題でスミマセン。とにかく、本日は1日緊張感の中で頑張ってきます。数珠もリニューアル出来て新しい展開になる予感があります。リピーターの皆さん。私のこれからの展開に対しても応援宜しくお願い致します。

改めて『週刊現代』の話題を書きます。

令和4年6月12日

今回の興味あった記事は『脇役稼業―加藤嘉―孤高のロマンス』と言うものでした。私が知っている加藤嘉さんは『ふるさと』と言う映画で認知症のお爺さん役を熱演された知識くらいしかありません。『ふるさと』と言う映画には少なからず私との因縁があったから覚えていただけで、普段は主役を張った方くらいしか記憶に残らないものだと私は思うのですが(『ふるさと』では主演を熱演されていますが)リピーターの皆さんはどのように思われますか。

ただし、今回の特集記事を読ませて頂いて滅茶苦茶人間としての魅力を感じたのでコラムの題材にさせて頂いた次第です。(ここまで書いた段階で方向転換する事にします。と言うのは加藤嘉さんの魅力を一杯書くつもりでいたのですが、『ふるさと』をインターネット情報で検索して私の記憶のいい加減さがわかり、『ふるさと』に特化する事にしました。)『ふるさと』の舞台になったのはリピーターの皆さんの多くもご存じだと思うのですがダムで沈んだ『旧徳山村』です。

徳山村は私の青春の1ページでもあります。既にご存じの方も多いと思いますが、私が父進さんに教員を勝手に退職して勘当されて(とは言え勘当期間は5か月間だけですが)勝手気ままな生活を送ったところで、撮影のメインになった所は私が居候をしていた民宿(増山たず子さん)がロケ地の中心だった事を後から知りました。私の記憶のいい加減な所は『ふるさと』の映画は私が居候をしていた時期よりも後だったにも関わらず前だと思っていて都合の良い記憶になっていたのです。『ふるさと』の上映は1983年ですから私は30歳。つまり私は26歳から児童養護施設の指導員をしていたわけですから、居候をしていた時代から4年は経過しているのに・・・。

多分、私が記憶違いをしているのは『ふるさと』の映画をみてから何度か徳山村を訪れていて、原作者がその頃徳山村で教員をされていた平方浩介さんで何度となくお酒を酌み交わして徳山村の将来について激論をした記憶が年代をがぐちゃぐちゃにしてしまっているのだと思います。週刊現代の記事で改めて加藤嘉さんの凄さを書きます。小見出しに『本当に死んだと誰もが錯覚した』とあり、『ふるさと』で監督をされた岐阜市出身の神山征二郎さんの記事をそのまま書きます。【嘉さんの役柄に没入する姿勢は群を抜いていました。代表的なのは今井正監督の映画『米』です。

当時43歳の嘉さんは半身不随の老人を演じるんですが、今井監督のダメ出しが続いた。そこで健康な前歯を全部抜いて現場に現れたと言うんです。似た話は三國連太郎さんにもありますが、同じことを嘉さんはしていた。私は監督作『ふるさと』で嘉さんに認知症の老人を演じてもらい、彼の没入ぶりに凄みを感じました。嘉さんは撮影中、ロケ先の村に一軒だけある喫茶店でコーヒーを飲むのを日課にしていました。

ある時、村の道の真ん中をふらふらと歩く嘉さんを見た住民がこう言うんです。「あの人は本当にボケているんでねえのか?こりゃあ映画が終わるまでに、村で葬式だぞよ」と本物の認知症の老人に見えていたわけです。亡くなる場面も見事でした。嘉さん演じる老人が山奥の釣り場で倒れ、息子の背負子(しょいこ)で下山する途中、命が尽きる。それまで生きていた人間の力が抜けて、ただの“モノ”になる。嘉さんは、生と死の境の瞬間も演じられるのです。

上映会で頂いた感想文の中に「加藤嘉さんのご冥福をお祈りしています。」と書かれたものがあったほどで、黒澤明監督からも「加藤嘉は絶品だ」とお褒めの言葉を頂きました。演じると言う感覚を超越して、「本当に呆けた」「本当に死んだ」と思わせる。嘉さんこそ本物の役者です。』私がコメントする余地が無い程のまとめ方を神山監督がされているので差し控えますが、余談のような事だけ述べさせて下さい。最初に結婚されたのがその当時既に大女優だった山田五十鈴さんで4回の結婚歴がある事も書いてありましたが、私が思うには『芸』に対する真剣さに魅力を感じられてとその情熱の純粋さ故だと思いました。私は『福祉・介護』の世界で『馬鹿になってこれからも仕事をしたいと考えていますので、リピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。

『園田修光を励ます会』の報告をします。

令和4年6月11日

昨日は15時から、ハイブリット(リアルとリモート)でのコロナ感染対策の研修があり、私は主催者の責任者としてリアルでの参加をしました。この研修では、2年半前に日本で初めて発症したコロナ感染からその変遷までの経過を、感染症対策の岐阜県の責任者である、岐阜大学医学部名誉教授の村上先生からお話頂き『施設の職員として留意すべき事』をお話頂きました。今、猛威を振るっている『オミクロン株』は感染力が強いが重症化は減っている、が、予防については今迄以上に徹底しなくてはいけない。と何度も話して頂きました。また、コロナ陽性者が出た時の初期対応の大切さについても諭すように話して頂きました。

研修については急遽な実施だったにも関わらず、タイムリーな企画であった為に参加者は130人を数え、尚且つ岐阜県高齢福祉課長さんも急遽来て頂き、ご挨拶の中で岐阜県としての対応についても話をして頂きました。村上先生の講演の後の質疑についても活発にされましたので、それぞれの施設がしっかりと取り組まれている事が伺えました。

16時40分に講演会場を出て『園田修修光を励ます会』の会場である岐阜都ホテルに移動しました。開始は19時からなのですが17時過ぎに2階の会場に行くと既に会場内は400の椅子が整然と並べられ会場の内外に園田修光参議院議員のポスターが張られていて準備万端になっているのに『感謝』です。会場責任者の田中信輪会理事長と打ち合わせしていると、司会を担当してくれる私の姪っ子の大倉幸子さんが来て進行の打ち合わせをすると言うので、私は来賓控室等の確認の為に会場がある2階のフロアを行ったり来たり・・・。実に落ち着かないのです。18時にはグループホーム協会の加藤会長さんが、18時30分には老健協の長縄会長がおみえになり、18時40分の段階で会場の確認に行くと続々と参加者が会場に入って行かれ、それを確認してから再び来賓控室に行くと園田参議院議員本人がおみえになっていたのでご挨拶をしました。

時間を確認すると18時50分だったのですが、その段階で来賓挨拶をして頂く予定の岐阜県自民党の村下幹事長のお顔がみえない事に気付き、携帯に連絡すると渋滞が酷くてとの事だったので玄関先まで迎えに出てホテルの係員の方に駐車スペースの確保をお願いしていると、18時58分に着かれて19時には会場に入って頂けたので「ホッ」として自分も指定された席に座りました。(正直、この辺の事を私に代わって出来る様にしなくてはいけないと痛感してます。)

一瞬部屋の中が暗くなり大きなスクリーンから映像が流れだしてプログラムが開始されました。映像が終了すると共に会場が明るくなり、園田参議院議員が拍手の中入場されました。開会宣言を林副会長がされた後、来賓挨拶を村下自民党幹事長にして頂き、来賓紹介と祝電披露がされた後を受けて主催者挨拶のトップバッターで私がさせて頂きました。挨拶の中では介護に関わる者すべてにおいて園田参議院議員に当選して頂いて組織の為に汗をかいて頂く必要性を話させて頂きました。椅子席は全て埋まり立ち見の方も多く見える中でしたが、私なりに誠意を持って話させて頂きました。そして話をしていて感じたのは、前回以上に手応えがありました。私の主催者挨拶のあと3団体の会長さんの挨拶があり、いよいよ園田参議院議員本人からの話です。園田参議院議員本人の話は実際の実績に基づいた話しなので、皆さんの頭の中にもしっかりインプットされた事と思います。

1 2 3

全てのプログラムを終えて園田参議院議員本人は勿論の事、主催者代表の4人の他にも村下幹事長も来賓の県議の方も退場口に並んで感謝の意を表す事が出来たのにはまたまた『感謝』です。片付けも大方終わった段階でお手伝いを頂いた方々に感謝の挨拶をさせて頂き全てが終了した時には急にお腹が空いていたので  帰る途中で『餃子の王将』に寄り、夜も遅くていつもだったら寝ている時間だったのですが、ラーメン、チャーハン、餃子のセットされたのを美味しく頂きました。流石に布団に入ったのが23時を過ぎていたので、いつもの4時31分には起きれなくて(アラームは停めておきました)6時に起きてのお仏壇でのお参りはしましたが、歩く事は出来ませんでした。リピーターの皆さん、つくづく思ったのは票を積み上げるのも事業を頑張るのも地道な活動以外にはないと言う事でしたので、これからもご支援宜しくお願い致します。

 

 

1 2 3 4