2022年04月の記事一覧

帳尻が合いました。

本日は4時30分に本部施設にEPA(国際経済連携)で3年介護の職員としてインドネシアから来てくれて頑張っていてくれた女子職員が来月にインドネシアに帰って結婚すると言う事で水野相談員の運転で帰国するため中部国際空港セントレア7時50分発と言う事で本部施設を4時30分に出発すると言う事で私も同行することにしたので、いつもはアラームセットが4時31分なのですが、3時55分にセットして昨夜も21時には寝て本日は3時過ぎに目覚めて3時55分まで瞑想をしようとしていたのですが、ふと考えが変わりました。(いつもの事なのですが『予定は未定で決定ではない。』にまたまたなりました。と言うのは「今、行動を開始すれば若宮八幡大神様とお仏壇のお水替とお参りが出来る。ただし、 お参りは短くして、ウォーキングマシンでの般若心経13巻は無理だな。」と思いながら「エイ、ヤー」と起きて行動開始しました。爽やかに起きたので洗面から水替えもスムーズに出来て、若宮八幡大神様へのお祈りをして、仏壇に移動しての正信偈と般若心経を唱える事が出来ました。ただし、正信偈は短いものでしかも早口に、般若心経は1巻のみにして唱えさせて貰いました。時間を確認すると4時10分だったので本部施設に急ぎ行きました。宿直の吉田部長は事務所の電気を点けて待っていてくれて、しばらくすると水野相談員が来てくれ、アパートへ様子を見に行ってくれて4時30分過ぎにはセントレアに向けて出発する事が出来ました。道路がすいていたこともあり、6時過ぎには車を駐車場に入れて第一ターミナルに歩いて行くのですが、水野相談員が入れた駐車場はめっちゃ空いていました。空いているはずです。何故ならその駐車場は第一ターミナルから一番遠い所にあったので、正直結構歩きました。(ようやく表題にたどり着きました・・・。)その駐車場は歩く歩道が無いとことから始まりました。正直歩く歩道がないところから歩いたのは初めてです。但し今回のお見送り責任者は水野相談員ですから彼の指示に従うのは当然の事です。何とか第一ターミナルの受付の所にたどり着き、カウンターでの手続きと荷物検査を本人がするのを見ていて(コロナ感染症対策で手続きが煩雑な分、お客さんも少ないように思いました。手続きを全て終えた段階で職員互助会からのプレゼントのチョコレートを渡し、私からは「まだ飛行機に乗るには時間があるので何か食べたら」と少しだけですが餞別を渡して搭乗口を入って彼女が振り向いたので手を振ると、それに応えてくれたので『3年間ありがとう。また日本に来る機会があれば、当法人に来て下さい。』と思った次第です。見送りを終えて再び駐車場に戻るのもかなり歩きました。お陰様で毎日ウォーキングマシンに乗っての歩く歩数である3600歩は歩けたので「歩きの帳尻はあったな」と思った次第です。リピーターの皆さん。3600歩と言うと約2キロですから、駐車場から第一ターミナルまで約1キロ。改めて空港は大きいと思った次第です。わざわざ一番遠い駐車場に止めてくれた水野相談員に感謝と言う事で。

 

昨日のコラム『書き出しと途中から内容が変わる理由』

令和4年4月9日

私はコラムを毎日千文字以上書くようになってから常に『いつもと違う何か』が閃いた時には、今、打っているガラケーの携帯にメモすることにしています。そのタイミングがたとえ夜中であってもなのです。と言うか、夜中の方が思い付いたタイミングで書かないとそのまま再び寝てしまうと先ずは忘れてしまいます。これは夢も同じだと思います。

本題に戻ります。閃いた題材について、落ちついたタイミングで書くのですが、閃いた題材が乗りに乗って一気に千文字以上になるときは一つの題材で起承転結までいけるのですが、なかなかそんな風にはいきません。だって私は文筆家では無いのですから。だから、タイトルは一つでも、途中から脇道にそれたまま一機に最後までいくこともあるのです。最近は『題材①』『題材②』と言う書き方にしている事もあります。統一した書き方に決めていません。だって、何年もの間、毎日千文字以上書こうと思ったら「この程度の適当な考え方でなければ続かないよ」と偉そうな言い方をしてしまいました。リピーターの皆さん「偉そうな」と思われるなら私と同じように「やってみなはれ」等と居直っている私なのであります。さて、(ここで話題が変わるのは、最初の話題が限界だからです。)本日は本館2階の食堂で14時から花見の宴(うたげ)があるのですが、午前中は時間が空いたので左手の人差し指が日によってメッチャ痛いのと(本日は押さえるとピリピリする程度なのですが)左足の小指が痛くはないのですがボーンとした感じなので、関ヶ原診療所の整形に来ています。先程、お医者さんの問診を受けて、「左足の小指は靴が小さいのかも知れません。左手の人差し指は取り敢えずレントゲンを撮りましょう。」と言う事で今はレントゲンの待ち合いで待っているところです。リピーターの皆さん。結果を心配して頂いているのなら、この後のコラムを読んで下さい。(この様な感じでいつも書いているので、毎日千文字以上書けるわけなのであります。)レントゲンを撮って頂き再び整形の待ち合いで待っています。(もうすぐ診断が下されます・・・。そんな大袈裟な事ではないのですが。)レントゲンの結果が出て、再び診察室に入りお医者さんの話を聞いて安心しました。左手の人差し指は異常がなくて、知らない内にぶつけたのではないかとの事で、ビタミン剤のみ処方されました。

ほっとして先ずは我が家に行き、午後2時からの本館2階の桜の宴の為のお酒を1升瓶から4合瓶に漏斗(じょうご)で2本移してから施設に持って行きました。(岐阜県多治見市の『三千盛』と言う辛口の酒です。)先ずは昼食を頂き、本館2階の本日の責任者に「どの位の時間を予定しているのか」と内線電話で聞くと「理事長の喉が大丈夫ならどれだけでも大丈夫です。」との返事に私のギアは完全に入り、選曲と衣装を考えるのに力(リキ)が入りました。結局アンコールも入れて13曲も気持ちよく歌わせて貰いました。勿論歌の合間にはお酒が好きな入居者さんにお酒を注いでまわりの大忙しでしたが、私にとっても楽しい時間となりました。

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どうして今回本館2階のみが食堂で桜の宴が出来たかと言えば、食堂に入居者が色花紙で作って下さった桜があまりに立派だったからです。特別扱いをするつもりはありませんが、「何かをして差し上げないと入居者さんも職員もモチベーションが上がらないし他のフロアへの刺激にもなる。」との判断からです。お酒は良いものだと改めて思いました。と言うのは最初は遠慮されていた方もお酒の好きな方が飲まれているのに刺激されて「少し飲んでみるか。」との事で入居者さんの表情がそれぞれ輝いていたのは最高でした。リピーターの皆さん。優・悠・邑はそんな施設です。益々のご理解とご支援を宜しくお願いします。

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本日4月8日はお釈迦の生誕日と聞いてます。

令和4年4月8日

私が児童養護施設『誠心寮』に児童指導員としてお仕事をさせて頂いていた26歳から38歳まで、母体は通玄寺と言う、妙心寺派のお寺だったので、4月8日前後の土曜日に『花祭り』と言う事で寮のこどもだけでなく地域のこども達にも参加して貰って花祭り行事として行っていました。先ずはこども達と一緒に近くの田んぼに行って(勿論、田んぼの所有者には事前に了解を得ています。)レンゲやタンポポ等を摘む作業から始まり、お寺に戻り小さなお堂に花をつけて完成したらお釈迦様に甘茶をかけるのです。その後、お寺の住職でもある寮長が導師となってみんなで般若心経を唱えてお菓子などを食べるイベントです。私はこのイベントだけでなくて、色んなイベントを通して地域の方々に来て頂く事が施設を地域に理解して頂くのに大切な事だと言う事を施設での展開の中から学びました。

(ここからはグーグル情報です)

【花祭りはもともと、お釈迦様が生まれたとされるインドで広く行われ、その後に中国、そして日本へ伝わったと言われています。日本では奈良時代の誕生仏(花祭りで使われる仏像)が残っていて、この頃すでに花祭りが行われていたと見られています。花御堂を作って仏様へ甘茶を注ぎ、自分たちもいただく。花祭りでは法要に加えて、花で飾り付けた小さなお堂(花御堂)を作り、中に誕生仏と呼ばれる仏像を安置します。誕生仏に柄杓(ひしゃく)ですくった甘茶をかけるのですが、これはお釈迦様の誕生時に竜が天から降りて香水(こうずい)を注ぎ、洗い清めたと言い伝えにちなんでいます。また、花祭りに甘茶を頂くと無病息災で過ごせるとも言われ、寺院の行事で配られることもあります。】

グーグル情報は花祭りを毎年経験してきた私としては「当たり前の事が書いてあるなあ」と正直に思ったのですが、その様な経験のない方にとっては「ふ~ん。そうなんだ。」と言う事になるのだろうと思います。つまり、自分にとって『当たり前の事』だからと言って『ぞんざいな』説明をすると、相手の方からは「知ったかして」とか「偉そうに」と言う受け止め方をされてしまう事があるので留意しなければいけないと自戒を込めて思いました。

今はコロナ感染防止の為に東京へ出掛ける事が無いのですが、頻繁に東京へ出掛けて初めて行った駅で、駅員の方に道順を聞いたりした時に、多分その駅員さんは1日に何回も同じように聞かれるので「また同じような事を聞いてきて」と言う事でぞんざいは対応をされた時などに私は思わず「(そんな駅員さんに)あなたは何回も同じ質問を受けてうんざりかも知れませんが、私にとっては初めての質問ですしわからないから聞いているのに」と思います。この事を理解していると、その応用で認知症の方の対応で役に立ちます。と言うのは認知症故に同じ事を繰り返される方であります。そんな時に私は同じ話であっても新鮮な気持ちで話を聞きます。その様に対応すると認知症の入居者さんは生き生きと話をして下さいます。

リピーターの皆さん。いつものパターンですが、タイトルとは違うものになってしまっていますが、とにかくコラムが継続している事を評価して頂いてお許し下さい。

 

本日は6歳年上の『みっちゃん』の命日です。

令和4年4月7日

私が高校2年の新学期を迎えた時に『みっちゃん』は新婚生活半年と言う幸せの絶頂期でなければいけない時に急逝しました。51年前の『みっちゃん』が23歳の時です。何度もこのコラムで書きましたが、『みっちゃん』は私の6歳年上の長女だったのですが、68歳になった私はまだまだ姉『みっちゃん』の域を越せてないと思っています。何故ならば、私にとっての姉光子はあまりに大きくて頼りがいのある姉だったからです。

小学3年の頃に私を目の中に入れても痛く無いように育ててくれた母秋江さんの体に癌がある事が判り、その後私が中学1年の1月16日に他界するまで、甘えん坊で何も出来ない私の母親代りとして頼もしい存在の姉『みっちゃん』だったのです。急逝したのが51年も前なのに、私の頭の中には、豪快でありながら包容力があった姉光子でした。今朝も4時20分に行動を開始して4時40分からは祈りの時間になったのですが、いつもよりもほぼ20分早いスタートでしたがその分、姉光子との会話を多くして、お経も『みっちゃん』の為にしっかりあげることが出来ました。改めて本日のタイトルである『本日は6歳年上のみっちゃんの命日です。』を見て、書き出しに51年前と書きましたので「23歳+51年=74歳」と言う事で改めてビックリです。

と言うより74歳の姉光子がイメージ出来ません。と言う事は早くに亡くなった姉光子は、一切歳をとらなくて元気なイメージのままなのです。それで私はと言うと「17歳+51年=68歳」ですからどう考えても私の方がはるかに年をとっているのですが、「おねえちゃんはおねえちゃん」であり「みっちゃんはみっちゃん」なのであります。『みっちゃん』の命日なので姉光子が私にとってどんなに頼りになった存在だったかと言うエピソードを書く事にします。多分このエピソードについては以前にも書いたと思うのですが少し違う角度で書いてみます。

それは、私が中学1年の8月の事です。私はその当時卓球部に所属していて『不破郡中学校体育大会』の応援に行くのを、親に内緒で行き終了が大幅に延びて、帰りが遅くなってしまい、関ケ原駅からのバスがなくなり、家の方では息子が帰ってこない事で大騒ぎになり、家から学校へ問い合わせると「多分応援に行ったんだと思います。」との返答に対して母秋江さんが「駅まで迎えがいる」と言う事で隣の家のおばさんに依頼したりして家の方はてんてこ舞い。迎えにきてくれたおばさんは「ひろっちゃん。お母ちゃんがものすごく心配してたので、ちゃんと謝らなあかんよ。」と言われた段階でその頃のひろっちゃんは既に涙ぐんでいて・・・。家に帰るとあまりに心配したためか父進さんも母秋江さんもがんがん強い言葉で叱ってきて、最後には勢い余って「勝手な事をしたんだからご飯食べんでええ」とまで言われた時に『みっちゃん』だけが冷静に「宏は謝ったんだし、ご飯抜きはあかん」と毅然に言ってくれたお陰で父進さんも母秋江さんも冷静になる事が出来て1件落着。本当に姉光子さんは今から考えても頼りになる存在だったな。

私が13歳の時だから姉光子さんは19歳。つまり高校を卒業して役場に就職した社会人1年目の歳ですよ。「う~ん。今の私にあの頃のみっちゃんのような度量があるのかなあ」リピーターの皆さんはどう思われますか。

 

盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)は桜が満開

令和4年4月6日

昨日は和(なごみ)での打ち合わせがあり14時過ぎに本部施設を出て行ったのですが、和(なごみ)は少し高台に建っており、車を降りて駐車場から眼下を見下ろすと桜が見事に咲き誇っていて、改めて垂井町を一望出来る所に建てることが出来た事を満足感で一杯になりました。入居者が少なくて苦戦をしていますが入居していただいた方は必ず『幸せになって頂ける。』と確信しながら施設の中に入って行きました。新たに入居して頂いて幸せな日々を送って頂く為にもより早くに入居者の方が増えるように頑張りたいと強く思った次第です。

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① ②

本日の朝日新聞の朝刊に『高齢者施設で医師治療』と大きく掲載されていました。

蔓延防止が解除されたとは言え、まだまだ油断が許されない中で、朝日新聞によると、「高齢者施設で発生したコロナ感染症に対しては医療体制の協力を得て施設の中で解決していく方向にしていく事を自治体に要請した。」との記事が掲載されていた。施設で完結させる理由として「住み慣れた場所での療養が大切」との理由が書いてあり、そうする事によって『身体機能の低下を防ぐ』とか『認知症の進行を防ぐ』との耳障りの良い言葉が並んでいました。確かに一つの考え方としては否定するものではありません。しかしながら、当法人が運営している『介護老人福祉施設』(特別養護老人ホーム)での医療体制での考え方は嘱託医にしても看護職員の体制にしても、あくまで『健康管理』が主なものであり、決して治療に特化した体制が取れるものではありません。と言う事で今までの考え方は『原則入院』でした。

岐阜県においては、感染症対策チームが施設へのアドバイスをして貰う体制が確立され岐阜県老施協も色んな形で連携を構築してきました。この体制が私はベストだと考えています。マスコミの影響は絶大です。新聞を読んだ方の中には「確かに施設には専門家がいるのだし、医療の協力が得られるのであれば大丈夫なのではないか」と思われる方もあろうかと思います。しかしながら、施設の職員は日々の生活を守り、充実させていく事で精一杯なのです。この2年間コロナ対策に追われながら、目に見えないコロナに翻弄されながらも頑張ってきた職員に「施設の中で医療の協力を得て対応しなさい。」と言われても現実的には対応仕切れないと言うのが私の結論です。どこまで行っても『原則入院』の体制を堅持して欲しいと思います。そして、高齢者施設がどの様な施設なのかと言うのを理解して頂けるように私も今まで以上に汗をかいていきますのでリピーターの皆さんもご理解とご協力をお願い致します。

 

今日の話題「1.2.3」

令和4年4月5日

【話題1】空気が澄んでいるからでしょうか。

4時過ぎに目覚め布団の中でもぞもぞしている時に私が寝ている2階の部屋からほぼ百メートル離れた所にJR東海道本線が通っているのですが、多分貨物列車だと思うのですが通って行く音がいかにもリアルに聞こえるのです。つまり、鮮明に聞こえるのです。昼間はそれ程気にならない音が気になるのは、昼間と違って静寂だからなのでしょうか。いやいや我が家がある今須と言う所は昼までの静かな所ですから、「昼間と違って」は当てはまりません。と言う事は『空気が澄んでいるとしか考えられません。

 

【話題2】桜の話し

 

岐阜市内の桜はちらちら散り出したとか、大垣市内の桜は満開だとかのニュースで聞くのですが、本日垂井町まで出掛ける機会があり、相川の堤沿いに車を走らせていると、見事に桜が今にもこぼれる様な感じで咲いていました。そして本部施設に帰る車の中で西にむかって走らせて行くと、桜の咲き方が段々と『貧弱』いやいや『まだまだこれから』と言う感じでした。具体的に報告するのなら、垂井町から関ケ原町に入ると満開ではなくて⒏分咲き程度になり、関ケ原町の町中を抜けて藤古川の桜までは8分咲きだったのですが、我が今須に入ると途端に5分咲にも程遠くましてや本部施設の桜はつぼみもつぼみで「ほんの少し走るだけでこんなに違うのか」と思いました。「そりゃそうだ、今年は雪が多くて、ようやく雪が解けたところだからな」でも、水野相談員に午後2時の段階で施設内の写真を撮って貰ったら「朝よりも花が開いて来ましたね。」との報告に、「本日は春の陽気だからだな。」と思った次第です。

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【話題3】我が家の紅梅の木はピンク色です

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私の最近のコラムで紹介した『紅梅』の話し何ですが、『紅梅』と言ってますが、どんな風に見ても『紅梅』では無くて『桃梅』だと思います。岐阜県が誇る『淡墨桜』も『薄い色』だから『淡墨桜』なんですが、樹齢1500年は経っていて幹の周囲は9.9メートルと言う化け物のような桜で我が家の紅梅と比較するのは全く論外ですが、老木になると花の色は『薄く』なるのでしょうか。私は植物のことは詳しくありませんし、ましてや植物学者でもないのでいい加減な事は言えませんがリピーターの皆さん、『事実なんです』私が小さい頃の紅梅の花はもっと赤かったですよ。

昨日は藤下の高木さんとのジョイントコンサートで本日はバイキングです。

令和4年4月4日

昨日は『えんかでええんか』と銘打ったジョイントコンサートを行いました。(既にホームページに掲載されていますのでリピーターの皆さんはご承知の事と思います。「いつもご愛読ありがとうございます。」)この企画は月に1回実施しているのですが高木さんは80歳近い方だと思うのですが、昨日はアンコールも入れて21曲をえらがる事なく歌われました。高木さんの凄いところは一曲一曲自分の声に合わせてキーをあわせて歌われるところです。私も最近は高木さんを見習ってキーが高い曲は下げるようにしてます。例えば北島三郎の『まつり』は原曲のままでも大丈夫だけど、『函館の女』は2つ下げるとか。山崎ていじの曲は2つ下げるとかです。

13時30分にデイサービスから初めて基本的には、高木さん➡私➡高木さん➡副施設長➡高木さん➡私➡高木さんの7曲です。これでだいたい30分です。デイサービスが終わると本館1階へ、次は本館2階へ。ところが本館2階では高木さんへのアンコールが入り合計8曲で、次に新館1階へ、最後に新館2階で。つまり、5会場でのカラオケの梯子です。私は1会場2曲ですから合計10曲を歌わせて頂いたのですが自分で言うのも変ですが、自分の歌に酔っています。16時終了予定が16時30分になり、社労士の先生との打ち合わせを予定していたのを少し延ばして頂く事になってしまいました。

さて、本日はお昼がバイキングですので、入居者さんや利用者さんがどんなご様子になるのかが楽しみです。(バイキングの様子は後程に書きます。だって、ここまでは朝の段階で書きましたので・・・。)

9時30分から日清医療食品の名古屋支社長以下4人の方がおみえになり、食のこだわりについて色々な話をして、最後には高野山の静慈圓大僧正様の話でもりあがり、11時からのお客様がみえるまではなしていました。

13時30分には盲養護老人ホーム 和(なごみ)に移動して地元の町つくり協議会の役員の方との話し合いがあるので、バイキングを頂きながら話し合いをしました。バイキングのテーマは『春の味覚祭』と銘打って主食は深川飯とロールパン(あんこ・玉子)、主菜は春食材の天ぷら(ふきのとう・つくし・よもぎ・タラの芽)、かつおのたたき、副菜は新キャベツとちくわの煮物、ホタルイカと菜花の酢味噌和え、つくしの卵とじ、汁物はかきたま汁(さくらの塩漬け入り)、デザートは果物の盛り合わせ(いちご・オレンジ)と言うメニューで月に1回とは言え満足のいくものでした。特につくし・ふきのとう・よもぎは職員と入居者さんが採ってきたもので、つくしのはかまとりは入居者さん・利用者さんが一生懸命にしていただいたものです。今

回のバイキングは久々に話題性の多いものになりました。単なる『据え膳』でないんも良いもんだと思いました。リピーターの皆さん、バイキングの時の入居者さん・利用者さんの素敵な顔を見て下さい。

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昨日は昼食後に施設西奧に出来た砂防ダムを見に行きました

令和4年4月3日

昨日、午前中は外国人材受け入れ機関の方のご挨拶があり、午後は比較的ゆっくりとした時間が出来たので施設西奧に完成した砂防ダムを見に行きました。(早朝のウォーキングマシンに乗っての歩きが出来なかった事もあり、但し、お経はやりました。)

保育所の入り口からはしっかりと道路が舗装されていて、砂防の入り口は施錠されていたのを開けて(勿論帰るときにはしっかりと施錠しました。)『びっくりです。』全く綺麗にしかも大型ダンプも楽勝に通れる広くて綺麗な舗装がされていました。舗装されていたので傾斜はかなりあるのですが、楽に歩く事が出来ました。ちょうど半分ほど歩いた所で後ろを振り返ると、かつては鬱蒼とした木々が生えていた所が(蛭も一杯いました。)スカッと伐採されて50メートルの砂防が完成していて、「これで、かなりの土砂が流れてきても、砂防から下へ土砂が流れることはないな。」と思うと共に本部施設のアパート、保育園、コミュニティハウス、新館、本館がスカッと見えて今まで以上に建物が美しく見えたのは本当に嬉しい限りです。

岐阜県の事業として実施していただいたのですが、多くの方々が生活するところの安全への配慮、本当にありがたい限りです。先般、伊藤係長が企画して実施してくれた『夜間想定をした土砂災害による避難訓練』が実際にならない為の手だてをして頂いたと思うと感謝です。(決して油断は出来ませんが)

さて、本日は朝の8時から地元竹ノ尻地区の空き家になっていた所を優・悠・邑家族会の吉田会長が安価で改修工事をして頂き、ネパールからきて職員になった4人が4月1日から生活していて、地区の集まりで紹介して頂けると言う事で私も同行することになっています。(この報告は後程書きます。)地域の中にある社会福祉法人としては、24年の中での評価の証しと考えています。私は7時40分に集合場所に行くと何人かの地元の方がおみえになっていたので挨拶をしてから会所の中に行き、役員の方々に挨拶をすると共に優・悠・邑の名入りの煎餅をお渡しして、再び外に出て行くと吉田家族会会長が見えたので話をしていて、地元の方が殆ど揃われているのに肝心のネパールの職員が来ない。いらいらしながら待っていると悠々と歩いてきたので急ぐようにジェスチャーで指示して4人が着いた段階で区長さんが開始の挨拶をされ、(この段階は7時55分だったのですが)4人の紹介を吉田家族会会長がして下さりその後を受けて私も挨拶をさせて頂き4人の職員もそれぞれに挨拶をしてい取り敢えずホッとしました。

但し、私は施設に着いてから、国民性かもわかりませんが、「自分たちの紹介をして貰う時に相手を待たせる事はいけない事だ。」と言う事を教えていかなければいけないと事務所にいた職員に指示を出しました。とは言え、地元の方が施設内のアパートではなく地域の中で受け入れて頂いた事は有難い事で24年間の成果の現れだと考えています。リピーターの皆さん、私はそんな考えの持ち主ですがこれからも応援宜しくお願い致します。

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文字通り灰に返しました。

令和4年4月2日

意味不明のタイトルから始まった事を先ずはリピーターの皆さんにお詫び致します。(今の)私は思い付いた事は最後までやり遂げないと気が済まない、ある意味嫌な性格になってしまっていると自分自身でも思っています。(今の)とわざわざ( )書きにしたのは小さい頃の私は真逆だったと思うものですから・・・。

本題に入ります。朝のアラームを10分早くして4時28分にしてあったのですが、既にかなり前の時間から布団の中で、もぞもぞしていたのでアラームが鳴って直ぐにベット内体操(『体操』と言うより『タコ踊り』)をして、「今朝は寒いと聞いている。」(テレビの天気予報情報)と言う事で、上も下も1枚余分に着て、1階へ降りていきこれまたいつものように階段下の踊場にある、日めくりを(昨日のコラムでは大活躍でした。)1枚めくり、これまたいつものように、目やにを取り、うがいをしてから若宮八幡大神様と仏壇のお水替えをしてと・・・、ここまではいつもと同じだったのですが、いつもと違ったのはお水替えをしている時に線香立ての中が汚れているのが気になったのです。

「綺麗にしよう。」と考えた私は「どっち道やるのであれば線香立ての中の灰を全部出してしまい金網の灰をこすのできちっとやろう。」と言う事で新聞チラシを持って来て座敷テーブルに敷き、灰を全部新聞チラシにあけてから「我が家の線香立てはでかいので灰も多いな。灰の多さに比べると金網のこす道具はあまりにも小さいな。」と思いながら作業を始めました。こす作業を開始して不思議な事に気が付きました。と言うのは小さい金網で灰をすくってこす作業を何回しても、本当に短くなった線香が必ず残るのです。何回しても必ず出てくるのです。と言う事は毎日お参りをして2時間近く線香を焚き続けるので2ヵ所に2本ずつ3回は立て直すので1日12本は立てるのですが、完全に最後まで燃えて灰になる事は殆どないのか、時々線香立ての中に指を突っ込み灰を交ぜて線香の残りを取り出して短くなった線香を燃やしていたのに・・・。

短くなった線香がたくさん出たので線香立ての真ん中に集めて全部が灰になるようにしました。最初はほんの少しの煙だったのですが、しばらくすると勢いよく煙が上がり、こじ付け的な言い方になりますが、『諸障退散』を見ているような気になりました。勿論、クリアしなければいけない事は山積みですだ、灰の中の小さな線香を綺麗にしたようにクリアしていきたいと考えています。リピーターの皆さん、灰をこした作業のみでコラムの原稿にしてしまう私は自分で言うのも何ですが「ええ根性をしている。」と思ってしまいました。

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お風呂で日めくりの情報を見てます

令和4年4月1日

本日は4月1日。年度が新しくなりました。気分一新で4時40分に階段を降りて日めくりをめくると4月1日の表示の前に1枚ついていました。それは『4月の二十四節気』とあり、2つの解説がしてあったので紹介します。

一つ目は『清明(毎年4月5日頃)』・・・「全ての生命が生き生きとする頃。気候もすっかり温暖になり、澄みきった空のもと新芽が芽吹き、小鳥がさえずるにぎやかな季節です。」とあり、二つ目は『穀雨(毎年4月20日頃)』・・・「しとしとと春の恵みの雨が降る時期。百穀を潤すので『百穀春雨』とも言われます。日ごとに木々の緑が鮮やかになってゆきます。穀雨の終わりは八十八夜が訪れます。」『清明』の説明を読んで改めて日本中が活気つく月なのだと思いました。私自身の中でも高野山の静慈圓大僧正様から頂いたお札の通り『諸障退散』「七難消滅」でガンガンと躍進できる予感で一杯です。また『穀雨』については、私は昔の諺である、『雨降って地固まる』と自分の今の状況の中で考えるべきものがあります。

本日10時から法人本部施設の会議研修室で『入職式及び辞令交付式』が行われました。新規採用者が3名、施設間異動者が3名と施設内事業者異動者が6名の合計12名の職員それぞれに理事長である私から辞令を渡しました。辞令を渡す時に法人事務局長(和合の副施設長)が名前を呼び職員が私の前に来て辞令を手渡すのですが、名前を呼ばれた職員から返事が返ってこないのでその事を指摘して指摘後は返事が返ってくるようになりました。このように指摘すべきは間髪入れずにしていかないと徹底しないと考えて率先的に話をしました。

辞令交付式を終えてから、1時間『理事長講話』をさせて頂きました。昨日までばたばたしていてレジメがしっかりと出来ていなかったので、施設に早く行き『職員としての心構えと実践』についてを中心に作成しました。①指示された事が理解出来ないままに返事をしない。②何事もメモをとり、その後時間が空いた時にしっかりとノートにまとめる。そのノートは自分の財産になる。③先ずは入居者さん、利用者さんの名前を覚える事から始める。名前を覚える為には、入居者さん、利用者さんとの接点を多く持つ事。それは、例え寝たきりの方であっても大切にして欲しい。④とにかく一生懸命さと優しさを持ち『今日1日楽しかった』と思って貰えるようにして貰いたい。と話をしました。

本日辞令を受け取った職員の中には本館施設が開設した当時からの職員もいたので、敢えて「施設を開所して24年が経過する中で結婚・出産・育休を経験して、お子さんはこの春から高校に入学する子がいても頑張って働いている職員もいます。これは、当法人が働きやすい法人である証しです。皆さんも長く働いて頂けるように支援していきますので頑張って下さい。」と話をまとめました。リピーターの皆さんも職員の新しい門出を応援してあげて下さい。

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