2022年04月の記事一覧

昨日の写真で一部説明が出来てないお話から追加も含めて語ります

令和4年4月30日

昨日は東福寺の話しだったので朝の祈りの時に初めての四国遍路の歩き団参の時に作って頂いた納経帳が目につき思わずガラケーの携帯で撮ったのですが、その説明が出来ていない事にお参りをしている時に気付き「今日のコラムで書かなければ」と思ったわけです。コラムの内容を考えていて(時間があるといつも考えているのです。そうでないと毎日は続きません。)改めて追加の写真も撮りました。

1枚目の写真は『奉納経』と書いてあり『昭和四十五年七月』『美濃國不破郡今須 若山宏』と書いてあるのです。【説明します。】先ずは『奉納帳』と言うのは一般的には『納経帳』と言うものです。『納経帳』と言うのはそれぞれの札所でお参りをした証しとして残すものです。昭和45年7月と言うのは私が初めて四国の歩き団参に参加した時期が明記してありますので間違いなく高校2年夏からの参加と言う事です。と言う事は50年以上前からご縁を頂いていると言う事です。

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2枚目の写真は1番札所の『霊山寺』の納経帳のページを写したものなのですが赤く重なっているのは何回か参加しているので重ねて判を押して頂いているのです。こんなに重なっているのはそれだけ何回か参加している証です。ちなみに阿波一国(今の徳島県)は1番から23番で阿波は『発心の道場』と言って私は特に歩きたいところですし、私自身なかなか『発心』から抜け出せなかったのと、基本的に「歩き団参」は学童中心の団体に参加してた関係で阿波一国が多いのです。もう一つの理由は阿波一国は起伏の多い歩くには最適なコースだったのも回数が増えた理由だと思っています。

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3枚目の写真は24番札所の納経帳の写真ですが24番から39番が土佐の高知県なのですが海岸端を歩くコースで23番から24番へは90キロが殆ど海岸端を歩く事になり目標とするところまでがなかなかなのは辛いものがありました。だからこそ『修業の道場』と言うことなのでしょうが「修業は毎日でも出来る。」等と生意気な事を考えていたのかも知れないので1回しか行けてないのです。この事は40番から65番の伊予の国愛媛県(菩提の道場)も同じ理由です。

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4枚目の写真は四国遍路結願の寺『大窪寺』なのですが写真の通り66番から88番の讃岐の国香川県は『涅槃の道場』で、この香川県は徳島県と同じ様に山の起伏があり徳島県に次いで好きな県だったのですがあまり『ご縁』頂けなかったと言う事なのでしょうか。それとも「まだまだ結びとするのは早すぎる。」と言うことなのでしょうか。

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リピーターの皆さん今日のコラムは少しマニアックなものになってしまいましたが、私の『福祉』への起点がここにあるのでご理解下さい。なお、このコラムで「蠟燭と線香を」と書いたところ早速持って来て下さった方がありました。「そんな貧乏くさい事をするな」との考え方もありますが、四国には『お接待』をするとお参りしている方の幸せを共に頂けると言うのがあります。こじ付けのように聞こえるかも知れませんが朝2時間仏間に籠っている私の幸せを共有したいとの思いからですからご理解下さい。

 

彦根にある高野山東福寺の護摩供養に行ってきました

令和4年4月29日

昨年5月16日に開催しました盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)の竣工式典で、高野山静慈圓前官大僧正に書のパフォーマンスをして頂いた時に随行で来ていただいた次男の静慈彰さんが住職をされている彦根の東福寺については以前のコラムでも書きましたが、その折護摩供養が毎月28日に行われている事を知り昨日参加させて頂きました。18時からの開始と聞いていましたので、早めの夕食をどこかで食べてから東福寺に行くつもりで4時30分に本部施設を出発したのですが、お腹が空いてない状態だったので夕食をスルーした為に、早くに着いたのであまり早くに行ってもご迷惑だろうと思い屋敷の外をウロウロとしていると慈彰さんのこだわりがあちらにもこちらにもあったので、ガラケーの携帯で適当に撮った写真も少し紹介します。

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とは言え17時30分に玄関を入ると戸に仕掛けがあって、綺麗な音でのお出迎えで慈彰さんも迎えて下さり玄関先でご挨拶をしてから本堂に上がらせて頂きました。しばらくお話をさせて頂いていると、参加されるお客様がみえて、かつて滋賀信行会でご一緒させて頂いた方だったので18時前まで慈彰さんも参加して頂いてのお話し合いをさせて頂き、18時前に慈彰さんは、リモートでの参加の為の準備をされて(一人何役もされて大変そうです。)奥の部屋に行かれて着替えをされてから護摩供養が始まりました。

こじんまりとした内陣の中で一生懸命にお経を唱えられ護摩木に火がついた段階から参加者5人は一生懸命に般若心経を唱えさせて頂きました。私は一生懸命に般若心経を唱えながら、燃え上がる炎を見つめていると一瞬ではありますが炎の中に『龍』の姿が見えたように思いました。その後は不動明王様の形がゆらゆらとしているように思いながら見つめていました。静慈彰さんの合図により内陣の不動明王様の所で手を合わせてご真言を唱えてから護摩木が燃え盛る中に私がお願い事を書いた護摩木3本をご真言を唱えながら入れさせて頂きました。私が入れさせて頂いた護摩木によって炎は勢いを増したので不動明王様が「願い事を聞き入れた」と応えて頂いた様に思いました。(自分でその様に納得したのですから大丈夫です。)

無事に護摩供養を終了して静慈彰さんが内陣の導師の席から降りてみえて静慈彰さんを入れての雑談会が始まりました。滋賀信行会でご一緒させて頂いた女性の方が静慈彰さんが東福寺の復興に5年の歳月を費やされたご苦労話をして下さいました。静慈彰さんは『苦労を苦労と思われない稀有な方だからやり遂げられたのだ.。』と思っていますが、「ガスや電気が来るようにするには床や天井をめくることから始めなければいけないけれど、床をめくってのシロアリ退治からだったのはビックリだった。」とか「ガスと電気が来たのは昨年の10月だったからそれまでは車の中で寝泊まりをしていました。」との発言には舌を巻くばかりでした。

リピーターの皆さん今回東福寺での護摩供養の参加は初めてでしたが素晴らしいの一語なので良ければ毎月28日18時から行はれるので参加されたら如何ですか。場所は彦根市高宮町2838-8です。ナビでしっかり案内してくれますので安心してお出かけ下さい。

 

調子に乗ってしまいました。

令和4年4月28日

昨日は『たけのこ祭』を終えてお裾分けのたけのこの味噌汁とご飯をタッパーに入れて、和(なごみ)の14時からのお参り及び全体会に間に合うように出掛けました。14時からのお参りの前に吉澤施設長と打ち合わせをしてから、お参り会場である会議・研修室に行き皆さんにご挨拶をして仏間に上がりました。

仏間に上がりながら「最初の頃と比べると随分雰囲気が柔らかくなったな。」と感じました。和(なごみ)の入居者さんは毎日お経を唱えられていることもあり、皆さんが大きな声で唱えて頂けます。お経を終えてお話をさせて頂いた後、間髪を入れず「理事長さん歌って」の声を頂き「私もそのつもりでいました。」と答えて「いつもいつもサブちゃんでは申し訳ないので今日は布施明さんの『シクラメンのかほり』を歌います。と言う事で皆さんが一生懸命に手拍子をして頂き気持ち良く歌わせて頂きました。

但し男性入居者の方で手拍子もされないし一見寝てみえるのかと思える方があり、しかも一番前に座って見えたので気になっていました。そんな中で歌い終わるとこれまた間髪入れず「アンコール」の声と共に皆さんからの手拍子を頂き、私が「アンコールはやっぱりサブちゃんでいきますか。」とつぶやくと、今迄寝てみえたのかと思っていた男性入居者の方が「今の布施明の歌は上手かったのでもう一曲布施明で頼みます。」と言われたので私はめちゃくちゃ嬉しくなって「そんなに上手でしたか。」と男性入居者の方に投げかけると「布施明より上手やで」との答えに「そんな事はないと思いますがそれではもう一曲も布施明さんの曲で『霧の摩周湖』を歌わせて頂きます。」と言う事で2曲目も布施明さんの曲を歌わせて頂きました。

これは全く持って私にとって想定外の展開でまるで「豚もおだてりゃ木に登る。」の様な状態で気持ちよ~~~く歌わせて貰いました。歌い終わるとしっかり手を叩きながら「本当に上手や。プロみたいや。」と言って頂いたので「CDを作ったら買って下さい。」等と軽口を叩いていました。私は今後私の為にも上手だと言って頂いた男性入居者の方の事を『歌の審査委員長』と言う称号を差し上げたい気分でいます。この様な会話が出来るのも昨年5月に垂井町梅谷地区に施設を設立させて頂いたからだと思うと嬉しくなりました。ただし、施設がハード面もソフト面も素晴らしい所だと言う事を広く知って頂いて健全な経営・運営が出来るように頑張って行きますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

なお、先般このコラムで「私の祈りの時間の蠟燭と線香が家で余っていたら送って下さい。」と書いたら早速に届けて頂く事がありました。これは、決して蠟燭と線香を買うお金がないと言う事ではなくて、私の願いを共有して頂きたいとの思いですので悪しからずご理解下さい。

 

本日は『たけのこ祭』なのですが

いつものように4時過ぎに起きて2階の廊下の窓から外を見るとどんよりとした曇り空。いやいや、よ~く見ると雨が降っているではあ~りませんか。「たけのこ祭なのに・・・。」と思い、「天気が良くないと折角のイベントも盛り上がらないな。ここは、『諸障退散』をしっかりとお願いしなければ。」とこれまたいつものように仏間に籠り若宮八幡大臣様と仏壇でしっかりと本日の事もお祈りしました。

お風呂からもあがり再び自室に戻り7時前の天気予報を見ると、何と「関ヶ原市に雨雲がありますが雨雲は8時には名古屋の方に行きます。」と言ってはる。この時瞬時に2つの事を思いました。

1つ目は『諸障退散』の祈願は凄いな。2つ目は『関ヶ原市』と放送していたけど関ヶ原は7千弱の人口なので『町』何だけど…と言う事です。

9時に施設に行くと喫茶の調理場では吉田部長と伊藤主任が小気味良くたけのこを刻んでいる包丁の音が・・・。伊藤主任は異常なくらい長い包丁を使っているので、その事について投げ掛けると「理事長に黙っていましたが20年ほど前にコックをしていて、その時の包丁を持参しました。」との事。「得意な事が生かされて良かったな。」と話をすると「頑張ります。」との返事が返ってきて、よりパワーアップした動きになりました。

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よく考えてみたら、本部施設の職員の中では女子職員より男子職員の方がこう言う時には張り切って頑張ってくれるのです。と言うより役にたちます。

10時になり味噌汁用とご飯用の寸胴の2ヶ所の回りに盛り塩とお酒を振る舞ってから点火式を行いました。2つ共順調に火がつきました。

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この段階から入居者さんがギャラリーで賑やかになりました。軽口を叩きながらお茶を飲んで頂いたりお菓子を食べて頂き、順番にフロアの入居者さんに見学にきて貰いました。味噌汁については前回も上手く行ったので大胆に具材を入れたり薪をくべたりしたのですが、ご飯の方は昨年『お焦げ』を沢山作ってしまったので薪の調整をしながら火の番をしました。

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今回は前回とは違い『ただ米』7、5キロに2、5キロの『もち米』を入れての新たな挑戦をしました。結果はお焦げは前回よりも少なくて(窯で炊いているし、味付けに醤油も入れているので絶対にお焦げ無しにはなりませ~ん。)少しもちっとした食感で入居者さん利用客さんからも大好評でした。自分で言うのも可笑しいですが「私はなかなかいける『料理人』かもしれません・・・。

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本日のような時に生母秋江さんがいたら今須中に「宏が上手に釜飯と味噌汁を作った。」と言いまくるのではないでしょうか。リピーターの皆さん。私はこんな人間ですがこれからも宜しくお願い致します。

正信偈の一行に『煩悩障眼すい不見』があります

令和4年4月26日

『ぼんのうしょうげんすいふけん』と唱えるのですが、『すい』の字がガラケーの携帯では出て来ないので解体をして説明しますと《ひだりの上に『口』下に『虫』で右は進むのしんにょうが無い字です。(説明が下手でスミマセン。そうなんです、私は『教養』が少なくて・・・。いやいやここでは『知識』が正解でしょと一人で『ボケ』と『ツッコミ』をやってます。『すい』の意味が私にはわからないので全体の意味が正確にはわからないのですが、リピーターの皆さんの中でお分かりの方があれば是非とも教えて下さい。私の今までの生き方は『わからなければ誰かに聞く。教えて頂く』と言うスタンスでしたし、これからもその生き方を変えるつもりはありません。

確かに今はパソコンやスマホで直ぐに情報は手に入る時代ではありますが、パソコンやスマホの答えは平板でインパクトがないので、その場では理解したつもりでいても自分のものとしての知識になることが少ないように思えて仕方がないのです。リピーターの皆さんの中には「わからなかったらまたパソコンやスマホで調べれば何も問題ない。」と思われる方もおみえになると思います。しかしながら私は『泥臭く』いきたいのです。全国老人福祉施設協議会の平石会長の言い方だと「若山さんは昭和の男と言うよりは明治の男だね。」と言われているのですが・・・。しかしながら『明治の男』とはどんな感じなんでしょうかね。お互いの情報はスマホのラインで済ませてしまうのはあまりにも味気無いと思うのですが。

そう言えば私が40歳の頃(ほぼ30年前ですが)、ある名古屋市内の女子短大で非常勤講師をしていた時でさえ直ぐ前の席にいるお友だちに携帯を使って(その頃は当然ながらガラケーの携帯ですが)メールで挨拶のやり取りをしているのを見て「おいおい」と思ったものですから「やっぱり明治の男ですかね。」しかしながら泥臭く生きていないとコミュニケーション能力は育たないし劣化するのではないかと私は一人で嘆いています。

ガラッと話題を変えます。私は1月の後半から事業が上手くいって無いことで、心身のバランスがおかしくなり、しっかりと眠れず寝たと思ったら寝汗をかき、4時過ぎには起きて2時間は仏間に籠り一心不乱に祈る毎日で、我が家にたくさん頂き物の蝋燭や線香があったのですが蝋燭は完全になくなり地元のドラッグストアで購入して、或いは私のコラムを見てわざわざ送って下さったのも残り少なくなりました。本日は14時から和合の施設で全体会があり、その帰りに行き付けの仏壇屋で購入するつもりで本部施設の19時からの全体会には時間があったので大回りをしたのですが、定休日で購入出来ませんでした。「今日が定休日で買えなかったのにはわけがあるはずだ。」と考えました。その結論は「私の思いを形にするにはリピーターの皆さんの協力を得なさい。」と言う事ではないかとの結論に達しました。

察しの良いリピーターの方ならお分かりかと思いますが「リピーターの方の中で家であまっている蝋燭や線香があれば送って下さい。そして私の思いを共に形にするのを協力して下さい。虫の良い話ですがリピーターの皆さん私はマジですので宜しくお願い致します。

 

ガラケーの携帯がポカポカいやいやビカビカしてます。

 

 

朝、いつものように4時31分のアラームで目覚めるとガラケーの携帯が青色でポカポカいやいやビカビカしている。「しまった。メールを見過ごした。これでは、幹部職員にしめしがつかない。」と慌ててメールを開くと本部施設の宿直者の吉田部長からの就寝時の報告でした。皆さん落ち着いてみえる報告に「ほっ」としながら「何時の送信だろう。」と確認をすると『20時08分』と言う事で私は思わず絶句と言うより苦笑です。だって20時8分には爆睡していて気が付かなかったと言う事なのですから。『寝付いだ直ぐにはグッと寝る。』とは良く言ったものだとしみじみ思った次第です。

本日は、いつものように起きたものの大垣市民病院の受付が8時30分で駐車場が混むといけないと言う事で6時30分には朝食をとる事になっているので「お参りをしっかり唱えてウォーキングは無し」と決めていたのでお水替えと蝋燭と線香に火を付けいつも以上に丁寧にお経を唱えているのですが「何と無くいつもと違うな。」と思いつつですが不動明王様のご真言を3回唱えた後に「諸障退散、七難消滅」と大きな声を出して気合いを入れました。大垣市民病院の患者さんは桁外れに多いので何をするにも行列に並ばなければいけないのです。ただし、前回と違い診察券を機械に入れて『パスポート』なるものを出すことが出来ました。「どうた偉いだろう。」と勢い良く受付に行ったらパスポートを返されて「先に検尿をして来てください。」と言われて「おいおい、先に言ってくれよ。受付に行く前に済ませてしまったぞ。」と思ってからパスポートに書いてあるのを確認すると『検尿をしてから問診』と書いてあり「何も言う事ありませ~ん。」検尿を済ませてから待ち合いで待っていると診察室に呼ばれて先般の検査結果をお医者さんから聞くと結局再検査と言う事で検査の日と検査結果を聞きに行く日を予約しました。5月は色々な予定が入っていたのですが今のところ上手くスケジュールがはまったので、「またまた検査か。今度の検査はかなり痛いと聞いている。」と言う事なので、お医者さんに正直に聞くと「麻酔を打ちますからそれほどでもありませんよ。」といわれたので正直に言えば「先生、前回の説明と違うやないですか。」と言う事になるのですが、そこはグッと気持ちを押さえました。

病気の事はお医者さんに任せて、取り敢えず今できる事を頑張ろうと言う事で施設に行くと岐阜県庁高齢福祉課から原油高に伴って施設として困っている事は無いかとの連絡があったので、ここは全国老人福祉施設協議会副会長としてのネットワークを駆使して情報収集と今後の戦略の骨子を事務局の方にも協力を得て厚労省にも相談をして貰い夕方までにまとめて改めて岐阜県庁へも連絡しました。色々なやり取りをしている間にもリモートの会議をこなしたり電話対応もして大車輪でしたので、病気の事を考える暇もなかったのでクサクサすることもなく頑張れました。リピーターの皆さん。元気に蠢いていると病気も何処かに行ってくれると考えているのですが、果たしてどうですかね。

昨日のトピックから

①本館1階のお参りから・・・本館2階でのお参りをして(勿論、お参りの後にカラオケで2曲は歌わせて頂きました。)スターのように登場したくて敢えてエレベーターに乗りました。***エレベーターは基本的には経費がかかるので乗りません。基本的には入居者と荷物がある時と決めています。***

1階に降りて登場すると拍手が沸いたので「これからお参りをするのに・・・。」と若干苦笑気味でしたが、元気に「これから4月のお参りをしますので大きな声でご一緒下さい。」と言ってからお経を始めました。そうすると一番前に陣取った男性入居者さんが大きな声で「なんまいだ~。なんまいだ~。」と言って下さり、しかも、私のお経のタイミングに絶妙に合わせていただけるので、私は「この方はただ者ではないな。」と思いながらお経を唱えるギアを上げました。

お経を全て終えて少しお話をしようと思いながら入居者さんの方を見ると間髪を入れずにあの「なんまいだ~。なんまいだ~。」と大きな声で合いの手を入れて下さった男性の入居者さんが「歌を歌って」と言われたのには正直私は面食らいました。勿論喜んで歌わせて頂きましたが・・・。ちなみに2曲共に元気に歌いたいと言う事で、北島三郎さんの『函館の女』と『まつり』だったのですが、いつもは本館2階の方が活気があって歌いやすいのですが、今回ばかりは本館1階の方が正直歌いやすかったです。(決して本館2階が歌いにくかったわけではありませんから)

②嘱託医の先生の話です。・・・嘱託医の先生は24年前に事業を開始した当初は関ケ原病院(現存、関ケ原診療所)だったのですが、緊急時の対応が救急で行くしか手立てがないのに疑問を持ち、開業医の先生にお願いする事にした時に、その当時、介護審査会で親しくして頂いていた多賀誠先生に(老先生の事です。)お願いしに行ったところ「若が帰って来るので若に嘱託医は任せる」と言う事で、それ以降多賀真先生に嘱託医はお願いしているのですが、私の思いの中で多賀誠先生にも昨年開設した盲養護老人ホームを見て頂きたくて昨日自宅までお向かいに行き、お連れして施設内を見て頂きました。

天候にも恵まれたので施設から臨む外の風景を非常に気に入って頂き、勿論高野山の静慈圓大僧正の書もしっかり見て頂き、祈りの面に対しても理解して頂けたと思います。施設見学とお話を終えてから改めて多賀誠先生に「大変失礼とは思いますが先生は昭和何年生まれですか。」とお聴きすると「昭和10年ですよ。」と言われて私は思わず計算してしまいました。「私が昭和28年生まれで68歳で18歳年上と言う事は86歳なんだ。80歳を超えているとは、とても見えない・・・。」と思わず絶句です。しかもまだゴルフもお酒も楽しんでいるとの事。果たして今の私が18年後に今の先生のような心身でおれるのかと若干の不安がわいてきました。そう言う意味では、86歳の老先生にパワーを頂いたように思いました。

リピーターの皆さん私は明日先般のMRIの結果を聞きに行くことになっているのですが、そんな事にくよくよしている場合でないと思った次第です。

身体に悪いこと一杯してる・・・。

令和4年4月23日

諸般の事情で2月からの2ヶ月で4キロ体重が落ちて「体が軽くなって若宮八幡大神様の前での祈りの時の正座が楽になった。」と感じていたのに、4月に入り無性に口が寂しいのか満腹感が無いためか本部施設の事務所でパソコンに向かっているときも、大好きなあられ等をムシャムシャ食べて口を動かしていることが多くなったように思います。(これは決して良いことではありません。)また、夕食を食べた後もあられを食べたりして、気が付けば4キロ減ってお腹回りが少し細くなったり、背中の肉の盛り上がりが少なくなったと感じていたのに今朝、いつものお参りとお風呂を終えて体重計に乗ったら2キロも戻っていて、「そう言えば、若宮八幡大神様の前での正座が少ししんどくなったな」と思った次第です。

その他にも最近はゆっくりと食事をとる時間がなくて、コンビニのおにぎりを車の中で食べる事も度々で、リピーターの皆さんの中にも経験されている方があると思うのですが、おにぎりをパクパクと食べていると満足感がなかなか得られずに沢山食べてしまうことってありますよね。その他にも昼食を食べてからパンだとかカップ麺を余分に食べてしまったりと、体重が増える事を色々としてしまっています。減量をしたくてしたのではないのですが、せっかく体が軽くなったのにリバウンドが激しく押し寄せるのは無しにしたいです。でも、これは私自身の豆腐のような意志を鋼のようにするしかないのですが、大丈夫と言う自信はありません。

私がコラムで書く前に既に『たけのこの湯がき』の紹介は杉和会のホームページでされていると言う事ですが、私なりに新情報(多分)を書く事にします。

たけのこを湯がく時には必ず『米ぬか』がいるので、午後から水野係長、北島部長、吉田部長のたけのこほり部隊が20本ほど収穫した段階で、田中運転手が米ぬかを手に入れてくれたのを使わせて貰ったのですが、田中運転手の話として「最近は猪の餌に必要で3つの所(垂井、関ヶ原、今須)を回って何とか確保出来ました。」との事。(これはこれで素敵な情報だと思いませんか)

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一時間以上薪を燃やし続けて私が「もう大丈夫と違うか。」と言ったのにも関わらず水野係長がたけのこにお箸を指して「駄目ですもう少し。」と言う事で追加で15分薪を燃やし続けてようやく水野係長のゴーサインが出て、仕事を終えた、伊藤主任が加わったので、伊藤主任と言えば酒にまつわる楽しい話は山ほどあるので、私が「今夜の酒のつまみに湯がきたてのたけのお刺身は最高だね。」と伊藤主任に話題を振ると伊藤主任も乗ってきて、その話を聞いていた吉田部長が手回し良く包丁を準備して副施設長か酢味噌を用意してきたら、水野係長が釜の下の方にあった小さめのたけのこを取り出したので試食をみんなでしながら異口同音に「酒が飲みたい。」ここは忍・にん。 

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本日湯がけたたけのこは私のスケジュールで午前が空いている水曜日にたけのこの味噌汁とたけのこご飯を振る舞う事に決定。17時に送迎車に乗られる前のデイサービスの利用者さんともその話題で大盛り上がり。リピーターの皆さん。このような話題で盛り上がれる施設なのです。まだ来たことがない方は是非一度来てみて下さい。狙い目は来週の12時前後が宜しいかと思います。

 

かつての今須宿は凄かったと突然思いました

かつてのこのコラムで紹介しましたが、我が村『今須宿』は江戸時代は中仙道の美濃街道にある宿場✳13宿場町✳の中で岐阜城の麓にある『加納宿』についで人口が多かったとの事です。ようく考えてみると我が家があるのは旧中仙道添いにあるのですが多分江戸時代には、当然の事ながら当時の絶対的権力者は江戸幕府なので街道は江戸が起点ですから『関ヶ原宿』から『今須宿』に入った所が『門前』で本陣や脇本陣があった所が『中町』であり中町を越えた所が『西町』で宿場の終わりが『門間』と言う分かりやすい地名が今に至っているのです。ちなみに我が家は宿場の入り口に当たる『門前』にあるのです。と言う事は世が世なら我が家の生業(なりわい)は『お茶屋』か『旅籠屋』と言う事なのでしょうか。(✳ここでインターネット情報を検索して私の思い込みが発覚しましたので・・・)冒頭で『13宿』と書きましたか『16宿』だと気が付きました。一体『13宿』はどこから出てきた数値かわかりませんがずっとそのように記憶してました。「思い込みとは恐ろしいものです。」と居直ってます・・・。今須宿の記事を紹介します。《妙応寺の門前町として栄えた『今須宿』は、美濃路最後の宿場町。宿場の長さは1189メートルあり、『加納宿』、『関ヶ原宿』に続く大きさを誇った。宿の規模に比べて旅籠は13軒と少なかったが、問屋場が7軒あり、商業地として相当な賑わいを見せていた。現在の宿場町は、静かな山間の里といった風情で、問屋場家屋として現存する山崎家の古民家に往時の繁栄ぶりを垣間見ることができる。》この記事からわかるのは宿場としての長さは関ヶ原宿に次いで3番目だけれども、商業が発達していたので人口は2番目と言うのは興味を引くところです。また、別の記事では《今須宿から滋賀県境・・・中仙道美濃路の最西端の区間です。「車返しの坂」や「寝物語の碑」など数々の伝説が残っています。》等との記載に色んな事を思ったので以下に述べます。先ず特筆すべきは『今須宿が商業地として栄えていたと言うのは考えられない事ですが事実なのでしょう。次に気が付いたのは『静かな山間の里と言った風情』と書いてあり「ものは言い様だな」と感心してしまいました。そしてだめ押しで思ったのは、その時代、時代のリーダーによって栄えたり、衰えたりするのだと言う事です。私も社会福祉法人杉和会の理事長として舵取りを間違えないようにしていかなければいけないと改めて思いました。ただし、盲養護老人ホームの経営は今は厳しいものがありますが、今の厳しさを切り抜けて10年後、20年後の評価を待ちたいと考えているのですがリピーターの皆さんはどのように思われているのか知りたいです。

誠意ある対応にしなければ

令和4年4月21日

今年の7月に参議院選挙が行われ全国老人福祉施設協議会の組織内候補として2期目を目指す『そのだ修光』さんが自民党公認候補で出るのですが、そのだ参議院議員はこの6年間介護の代表者として頑張って下さったし、これからも国会の場でしっかりと存在感をしめして頑張って貰いたいので、岐阜県においてしっかりとした票を出すために頑張らなければいけないと考えています。そこで、岐阜県そのだ修光後援会として各事業所に推薦状の依頼状をお願いしたところ、お願いした当初はせいぜい50事業所からの推薦状がきたら御の字と考えていたのが実際には86事業所から送られてきたので驚くと共に感謝です。

しかしながらこれだけ多くの推薦状が送られてきた背景にはそれぞれの事業所が厳しい状況を理解して『制度は政治で決まる。』と言う事が理解されてきたのと、そのだ修光議員自体の貢献度が理解されてきたからだと考えています。そのだ修光議員は前菅総理大臣に近い存在でそう言う意味では官邸に行く事になんの違和感も持たずに対応出来たのは大きかったとも思いますし、今のコロナ感染症の中で政策をどんどんと提案できたのは確かに有り難かった。その事に気付いて下さった結果が多くの推薦状につながったと考えています。

そんななかで、本来であればそれぞれの事業所にお礼の連絡をすべきなのでしょうがあまりの推薦状のおおさに一軒一軒ほのお礼の電話をすべきなのですが出来ないので本日誠意ある手紙を書かせて頂きました。また、そのだ修光議員本人が5月9日の日に岐阜県入りをされるので、より多くの票を入れて頂けるような対応をしたいと考えています。いみじくも明日は5月9日の日の打ち合わせをする事になっているので私なりに精一杯効率的な計画を立てて行きたいと考えています。リピーターの皆さん。正直今は頭が働いていなくて何も考えが沸いて来ないのでここまでにしておきます。私としては不本意なのですが、継続出来たことでよしとして下さい。

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