昨日の写真で一部説明が出来てないお話から追加も含めて語ります
令和4年4月30日
昨日は東福寺の話しだったので朝の祈りの時に初めての四国遍路の歩き団参の時に作って頂いた納経帳が目につき思わずガラケーの携帯で撮ったのですが、その説明が出来ていない事にお参りをしている時に気付き「今日のコラムで書かなければ」と思ったわけです。コラムの内容を考えていて(時間があるといつも考えているのです。そうでないと毎日は続きません。)改めて追加の写真も撮りました。
1枚目の写真は『奉納経』と書いてあり『昭和四十五年七月』『美濃國不破郡今須 若山宏』と書いてあるのです。【説明します。】先ずは『奉納帳』と言うのは一般的には『納経帳』と言うものです。『納経帳』と言うのはそれぞれの札所でお参りをした証しとして残すものです。昭和45年7月と言うのは私が初めて四国の歩き団参に参加した時期が明記してありますので間違いなく高校2年夏からの参加と言う事です。と言う事は50年以上前からご縁を頂いていると言う事です。
2枚目の写真は1番札所の『霊山寺』の納経帳のページを写したものなのですが赤く重なっているのは何回か参加しているので重ねて判を押して頂いているのです。こんなに重なっているのはそれだけ何回か参加している証です。ちなみに阿波一国(今の徳島県)は1番から23番で阿波は『発心の道場』と言って私は特に歩きたいところですし、私自身なかなか『発心』から抜け出せなかったのと、基本的に「歩き団参」は学童中心の団体に参加してた関係で阿波一国が多いのです。もう一つの理由は阿波一国は起伏の多い歩くには最適なコースだったのも回数が増えた理由だと思っています。
3枚目の写真は24番札所の納経帳の写真ですが24番から39番が土佐の高知県なのですが海岸端を歩くコースで23番から24番へは90キロが殆ど海岸端を歩く事になり目標とするところまでがなかなかなのは辛いものがありました。だからこそ『修業の道場』と言うことなのでしょうが「修業は毎日でも出来る。」等と生意気な事を考えていたのかも知れないので1回しか行けてないのです。この事は40番から65番の伊予の国愛媛県(菩提の道場)も同じ理由です。
4枚目の写真は四国遍路結願の寺『大窪寺』なのですが写真の通り66番から88番の讃岐の国香川県は『涅槃の道場』で、この香川県は徳島県と同じ様に山の起伏があり徳島県に次いで好きな県だったのですがあまり『ご縁』頂けなかったと言う事なのでしょうか。それとも「まだまだ結びとするのは早すぎる。」と言うことなのでしょうか。
リピーターの皆さん今日のコラムは少しマニアックなものになってしまいましたが、私の『福祉』への起点がここにあるのでご理解下さい。なお、このコラムで「蠟燭と線香を」と書いたところ早速持って来て下さった方がありました。「そんな貧乏くさい事をするな」との考え方もありますが、四国には『お接待』をするとお参りしている方の幸せを共に頂けると言うのがあります。こじ付けのように聞こえるかも知れませんが朝2時間仏間に籠っている私の幸せを共有したいとの思いからですからご理解下さい。