2022年04月の記事一覧

初めての事、久しぶりの事は大変です

令和4年4月20日

昨日は10時から一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会として初めての理事会が開催されるので、8時15分には家を出て一旦本部施設に行き資料を鞄に入れてから岐阜県福祉会館へ向けて出発しました。予定時間の30分前には着いたので事務局長さんや坂口顧問との打ち合わせをしていると次々と役員の方がみえたのでそれぞれにご挨拶をして定刻通り10時から理事会を開きました。事務局長さんには新たに岐阜県職員をこの3月で退職された方に来ていただいたので坂口顧問のフォローを得ながらの進行となりました。先ずは私が会長としての挨拶をして、その後事務局長さんとの顔合わせと言う事もあり自己紹介をそれぞれにしてから協議に入りました。私は挨拶の中で一般社団の認可を受けた以上は今まで以上に役員一人ひとりが責任を持った対応にして頂きたい。決して事務局任せの展開にしない。とも強調しました。12時までしっかりと協議にかかり、会を閉じてからこの7月の参議院選挙に組織内候補として2期目に挑む園田議員の岐阜県での選挙体制について話し合いをして、13時45分には大垣市民病院の受付まで行かなければいけないので13時に打ち合わせを終えて病院に急ぎました。とは言え昼食抜きはきついので途中でコンビニに寄りおにぎりを買い車の中で食べて、尚且つ車の中でスーツから普段着に替えて受付に行きました。ただし、午後からと言う事で駐車場は一杯あいているのですが入り口がわからなかったり満車であったりで結局かなり遠い所から歩きました。(健康的で良かったのですが受付がギリギリになりました。)受付に行くと「パスポートはありますか。」と聞かれたので、そもそもパスポートが何たるかもわからないので「スミマセンがパスポートって何ですか。」と多分受付の方にとっては的はずれな事を聞くと、受付の方は多分「この方に説明しても仕方がないな。」と思われたのか「診察券と健康保険証を出して下さい。」と言われて受付でパスポートとやらの書類を出して頂けました。と言う事は私のような方がたくさんみえるのだろうと思った次第です。しばらくすると名前を呼ばれたので診察室に入って行き、お医者さんの問診を受け、MRIの場所を説明して貰ったのですが、その場所は一旦病院の外に出てとの事で正直向かいながらも不安でした。建物は玄関を出た左手側にあるとの事で「ありました。ただし想像していたよりも小さな建物でした。自動ドアが開き受付をしようとすると受付に誰もみえないので少し不安になり、大きな声で「スミマセン」と言うとどこからともなく女性の方が出てみえパスポートやらを提示するとわざわざ私の所に来て下さり検査着を持って来て下さりロッカーの説明をして下さり、素直に着替えを済ませながら思ったのは「こんな事なら車の中で苦労して着替えをしなくても良かったな」と言う事でした。着替えを終えると検査をして下さる先生がどこからともなくおみえになり、MRIのベットのような所に仰向けで寝るとベルトで動かないように固定され、耳当てを耳にしていただきドームのような所に機械が移動して耳当てをしていても大きな音が聞こえてきました。大きな音にも慣れた状態で横になっていたのですが大きな音に負けない位のイビキをかいていたのでしょう、30分の検査だったにも関わらず次に気が付いた時には検査をして頂いた先生から「若山さん。終わりましたよ。」と声をかけられて「えっ。もう終わったのか。リピーターの皆さん。馴れない検査でしたが無事に検査は終了しました。ただし、検査結果なは25日なので、今からドキドキです。検査を終えたので会計をすませようとしたら、全く無知な私は『たらい回しの計』にあってしまいました。おまけにいつも以上に焦っていたのだと思います。ガード支払いにしようとして暗証番号を何度いれてもキャンセルなので現金で支払いよくよくカードを見たらいつものカードと違っていたので暗証番号が符号しないはず。やっぱり私は『昭和オジサン。』いやいや全国老施協の平石会長に言わせると『明治オジサン』だそうです。だとするとリピーターの皆さん。私は一体いくつ何でしょうか。

何の脈絡もなく大学3年の4月の出来事が思い出されました

大学3年の4月と言うのは私が腸閉塞になり、地元のお医者さんの見立てが悪くて手術後執刀医の先生から「あと数時間手術が遅かったら取り返しがつかない状態になっていた。」と言われた時には執刀医の先生が光輝いて見えた記憶があります。そして、手術を終えた3日後に私にとって凄い経験をしたのです。

それはその日が日曜日で手術後の部屋が余程個室がなかったのだと思いますが二人部屋で隣に入院されていた方は翌日に退院が決まっていた若い方で、日曜日と言う事で見舞い客が沢山で大きな声で話をされているのに私の神経が多分苛ついたのだと思います。(その事に因果関係があったと言う確証はありませんが私はそのように理解しているのです。)

突然に私の体が全身痙攣を起こして大きく切ったお腹が反り返るような状態で顔も痙攣を起こしているので口も利けないのです。その時は父進さんは「光子に次いで宏まで私より先にいってしまうのか」と言っているので、「僕はこのまま死んでしまうのか。いやいや、今は口が利けない状態だけどこのまま死んでたまるか。親父そんなな心配するな。」と思ったものです。その後も痙攣が治まらなかったのですが、看護師さんに注射を打って貰ったらしばらくして昏睡状態になりかなりの時間が経って目が覚めた時にはあんなに心配していた父進さんはいなくて養母の英子さんの心配そうな顔だけが確認出来ました・・・。

表題に『脈絡もなく』と書きましたが今回の厳しい状況に少し光が見えてきたので、45年も前の出来事が思い出されたのかもしれません。何故なら死にかけた私が大学3年の時には医学の力で復活して、今回の沢山のネットワークによって復活したのです。今回の場合は不動明王様の目に見えないお力が私を復活させて頂いたと思っています。本日は午前中は一般社団法人が承認されて初めての岐阜県老人福祉施設協議会の理事会が開催され、午後は大垣市民病院に移動してMRIの精密検査をして頂いたのですが、よくわかっていないことをするのはとっても大変な事だと言う事を明日はじっくり書かせて貰いますが、本日はとても疲れたのでリピーターの皆さんこの程度で終了しますがお許し下さい。

私のコラムが大抵は1日遅れの情報になるのは・・・。

令和4年4月18日

今は午前615分でお風呂に浸かりながらコラムをガラケーの携帯で打ってます。と言う事は、まだ本日の新しい情報は仏間に籠った情報のみです。勿論その情報の中にも色んな不思議な出会いがあるのですが、その出会いについては特別に何かがあった時にして、それ以外は昨朝も本日も『午前4時に西の空にピンクムーンを見たけどピンクではなくて白かった。』位で、とても1000文字書けるものではなかったし・・・。と言う事で本日も昨日の話題を書きます。と言うより昨日の『豚汁祭り』の話題を書きたくてうずうずしてますので、これから書かせて下さい。(ここまでが前段とは凄い話や。おおよそ300文字ですよ。長編小説でもないのに。と言うより私は長編小説など書く能力などありませんが)本題に入ります。(ここで360文字です。)

10時に水野相談員がお膳立てしてくれた寸胴への火入れの予定だったので、比較的ゆっくりと施設に行った(9時過ぎに)ところ、施設内のアパートの職員の対応でバタバタとして結果的には10時20分にお酒とお塩を寸胴の回りに撒いてから火付けをしました。火付けをして「上手く火が点いたと思ったら早々に新館の入居者さんが見学にみえたので大慌てです。つまり、火の番をしつつ椅子を並べて入居者さんが安全に座って貰う配慮をしながら元気に冗談を言ってます。一番の冗談は「寒い方は日の側に座って下さい。それでも寒い方は大鍋の中に入って貰います。」と言うと入居者から異口同音のように「鍋の中は敵わんな。ここで大丈夫や」と今まで寒いと言っていた方が椅子に座って「暖かい」の連発です。

鍋の中が釜茹で状態になったタイミングで具材をどんどん入れて、メインの豚肉を入れて、だしの素をたっぷりと入れてから八丁味噌を1キロづつ大きな入れ物に入れ、大鍋からスープをすくいおたまで交ぜて溶けた分だけ大鍋に戻すのを繰り返し、結局5キロの味噌を溶かしてもう一度しっかり煮詰めてからネギを入れて完成です。順番にギャラリーにいた入居者さんには温かいお茶を飲んで頂いた後に熱々のスープをほんの少しづつではありますが飲んで頂きました。そして異口同音に「美味しい」「お昼の味噌汁が楽しみや」と言ってフロアに帰られました。

その後、家庭用にしては大きな鍋に新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスと移してそれぞれに取りに来て貰いました。勿論昼食に喫茶にきた職員にも大きな鍋に入れて食べて貰いました。リピーターの皆さん。元手は大してかからない企画でしたが、沢山の笑顔と笑いを頂きました。今回の企画は豚汁でしたが、本日も雨が降ったので施設北側の竹藪にはニョキニョキと竹の子が出ていると思うので、猪や猿より早くに収穫をして(竹の子堀の名人職員がいますので)またまた、寸胴が活躍するし、タケノコご飯も楽しみにされているので、私は入居者さんと利用者さんの笑顔と笑いの為にまたまた頑張りますので、リピーターの皆さん笑顔と笑いの写真のお裾分けをしますので楽しみにしていて下さい。

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彦根市高宮町の東福寺に行って来ました

令和4年4月17日

東福寺は静慈圓前官大僧正の次男である静慈彰さんが殆ど廃寺状態だった、しかしながら由緒あるお寺を殆ど自力で再興されてご住職をされてみえて、たまたま静慈圓大僧正の事をパソコンで検索していたところ、5年の月日をかけて昨年の12月末に寺としての体裁が整ったとの記事を見つけたので、「これも何かのご縁。しかも、身内の方がこの22日に7時間かけての手術をする事になっているし、杉和会の事業がこれから上手くいくようにと言う事、そして、私も人間ドッグでの結果、精密検査をすることになっているし、あれやこれやを解決する為、そして何より昨年5月16日に盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)の竣工式典に静慈圓大僧正と共に来ていただいた方が立派にお寺を再興されたお祝いに行かなければとの思いで出掛けさせて頂きました。

お寺の中に入らせて頂き最初に思った事は「静慈彰さんのこだわりが至る所にあるな。しかも、資金の無い中でよくぞここまでの事が出来たな。」と言う事です。突然に連絡をさせて貰い来訪した理由を話しさせて貰うと(① お祝い ② ご祈祷)「時間はありますか。」と聞かれたので「1時間は大丈夫です。」と答えると「先ずは般若心経を一緒に唱えさせて頂きましょう。」と言う事で先ずは本尊様を前にしてお参りをさせて頂きました。静慈彰さんの後姿を見ていてつくづくお父上の静慈圓大僧正様にそっくりな体形だとおもいながら般若心経をご一緒させて頂きました。お参りをしている時に本堂に向かって左側に設置してある不動明王様のお姿が気になったのでお経が終了後、静慈彰さんが本堂を離れられたタイミングで私は不動明王様の所まで(いわゆる『内陣』と言われるところ)色んなものが設置してあるのをかいぐくり不動明王様の前でご真言を唱えさせて貰った後、私は横着に、或いは恐れ多い事だったのですが不動明王様のお姿をさすらせて貰いました。(もっともこの様な事ができたのは、静慈圓大僧正様に「若山さんには不動明王が背中についている。」と言われていたからです。これも恐れ多いことですが・・・)

その後改めて静慈彰さんから造作に対する拘りについて説明を受けました。造作については素晴らしいものにする為に寺社仏閣の解体工事の仕事に行っては解体業者の方に断って頂いてきたものを上手く活用して取り入れられているセンスは素晴らしいと感心しました。その後、ホーム炬燵に足を入れながら私の福祉の理念に対する考え方を話しすると静慈彰さんから「補助金がつくから大きな事が出来て羨ましいと思っていましたが、ブレずに実践されたから段々と大きな組織になったんですね。」と言って頂きました。そんな話をしている時にお寺への奉仕をされている女性の方がコーヒーを持ってきて下さり、子ども食堂の事や里親制度についての話をされたので、その話題に対しても私の持論を話させて頂きました。

話が一段落して帰る前に貴重なお札を頂き、4月28日に護摩供養法要があるので護魔木にお願い事を書いてお願いしてきました。きっとお願い事はお大師様が聞いて下さると思っています。なお、リピーターの皆さん。東福寺では毎月28日18時から護摩法要があり、6月15日は14時から『東福寺落慶護間摩法要』があります。(彦根市高宮町2838-8)破天荒な住職に一度お会いになるのも一考かと思いますが・・・。

2枚の写真のお話をします。

令和4年4月16日

1枚目の写真は、コロナ感染症が話題になる2年3ヶ月前までの私は「外でのお付き合いでのお酒をいっぱい飲むので特別な事(大晦日にすき焼きでお祝いをするとか、家でお祭りをしてお客さんをもてなす)(日頃お世話になっている方は勿論、職員も)とかでない限り先ずは家飲みはしない、と言う事だったので、コロナ感染症が話題になりだした頃から飲み会がないわけですのでお酒を飲まない健康的な生活をしていたのですが、流石に3ヶ月位経過した頃に「なかなかコロナ感染は治まらないし外でのお付き合いは無理な事だけど、全くお酒のない生活に耐えられない(決してアルコール中毒ではありませんよ。)と言う事で1週間に一度のペースで高級な日本酒は冷酒をビールグラスに一杯半程度、醸造酒は熱燗で飲むようにして、これも『継続は力なり』と言うのでしょうか1枚目の写真のような状態です。

約2年でほぼ10升(1斗と言った方が適切かな)コロナ感染症が収束しない限り瓶の数は増えていくし、『一人酒』ではつまらないと思っています。『早くこいこいお正月』ではありませんが、気心が知れた者同士で激論したり、大笑いをしながら楽しく飲みたいし歌も歌いたい。本当ににっくきコロナと言う事でしょうか。でも悪い事ばかりではないのです。と言うのはメチャクチャ悪かったガンマの数値がかなりよくなりましたから。う~ん。内蔵も大切だけれども精神的ストレス防止の観点でいくとお酒も必要だよー。と言う事で。

①

2枚目の写真について語ります。この写真に写っているのは蠟燭と線香の空箱です。2月の初めから色々な事で悩み苦しんで寝たと思ったら2時間もしない内に寝汗をかきその後はなかなか眠れない日々の中で、我が家の仏間に2時間水替えをしてから若宮八幡大神様での祈りと仏壇で正信偈を唱え、ウォーキングマシンに乗っての般若心経13巻を唱える毎日の中、空箱が一杯になったのをガラケーの携帯で撮ったものです。写真に写っている空箱の中には、私のコラムを読んで頂いているリピーターの方から贈って頂いたのもあります。2カ月半でこれだけ蝋燭と線香を焚かせて頂いたので、さぞや我が家の仏間は浄化された事と思います。正直私の生き様の中でここまで真剣に仏様、神様と向き合った事はなかったと思います。「仏ほっとけ」とはよく言ったものだと思います。今の状況を立て直してからも、文字通り決して「喉元過ぎれば熱さを忘れる」にならないで頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

②

 

我が家の祈りの部屋を紹介します。

令和4年4月15日

先ずは仏壇ですが、1間の浜仏壇です。(※『浜仏壇』とは長浜仏壇の略称だと思うのですが、豊臣秀吉が長浜城主だった事から少し賑やかな造作の中に遊び心があるように私は思っています。)我が家の仏壇は父上進さんが他界して(平成4年8月12日で30年前です。)忌明け前に滋賀信行会の内藤会長さんの内藤仏壇店から購入たものです。父進さんは「仏壇を購入したい。」と、いつも口癖のように言っていたのに実現しなかったので私が父上進さんに代わって購入しました。だから勿論父上のお金で買いました・・・。仏花はかなりしおれているのを撮ったのですがありのままです。ただし、母秋江さんの祥月命日が16日なので明日花屋さんで手に入れます。(12日が父上の祥月命日ではないか、との考え方もあるのですが、我が家は母秋江さん中心に回っていましたので・・・。)仏壇の隣に床の間があり、今は若宮八幡大神様の掛け軸と西陣織の七福神様の掛け軸が掛かっていますが、七福神様には「宝くじが大きく当たりますように」とお願いしてます・・・。

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床の間の右端には然り気無く四国巡礼の時の『同行二人』の金剛杖が飾ってあります。(この金剛杖は、四国遍路から帰ると何をするよりも最初に綺麗に洗ってから床の間に置くようにしてます。と言う事は最近四国遍路は行けてないので、かなりの期間置いたままになっているので、一度綺麗に洗いたいと思います。左隅には父進さんが叙勲を頂いた額が置いてあります。若宮八幡大神様の掛け軸は今年1年は『若宮講』の順番で祭らせて頂いているのですが、法人運営が大変な時に助けて頂いているので、次の家に引き継がれるのであれば、この掛け軸を手に入れた神社に行き我が家の掛け軸として永久にお祀りをしたいと考えています。若宮八幡大神様の水替えは榊の器と水入れです。。仏壇の方は水入れるのを一番最初に台所の蛇口での対応でしています。

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その後は花立、樒(しきみ)立ての水を洗面化粧台の所で綺麗に洗ってから水を入れています。そして、蝋燭と線香に火を点けると、この対応だけで20分以上かかります。仏壇前の椅子に座ってお経(正信偈)を唱えるのですが、布団から抜け出した時に『でんちこ』(正式には「でんち」と言って京言葉だそうです。「ちゃんちゃんこ」とも言いますが。)を着て仏間に行ったのですが暑かったので椅子に掛けたままウォーキングマシンに乗ったので椅子に掛かった状態を見て「父進さんはでんちこが似合ったな」と言う事を思い出し何故か懐かしさと可笑しさが込み上げてきたので思わず写メで撮りました。

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【蛇足】

我が家の玄関先に綺麗に咲いたチューリップの鉢があったのでこれまた写メで撮りました。このチューリップはこの3日ばかりの急激な気温の上昇で一気に咲いたようです。急激な気温の上昇で忙しく咲くのはタンポポも彼岸花もそうだなと一人で納得しています。

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リピーターの皆さん。私のガラケーの携帯で撮った写真なので適当にしか写っていませんが『雰囲気』だけはご理解下さい。

 

寒暖の差が激しいのは身体に堪えます。

令和4年4月14日

今朝のニュースで、福島県では昨日の最高気温が28、5℃(7月上旬の気温)で本日の最高気温の予想気温が9℃(3月上旬の気温)だとの事で、昨日と本日で20℃近く違うとの事でビックリすると共に、この様な陽気が続くと入居者さんの体調も崩しやすいので、衣服の調整や布団の調整もしっかりしなければと思っています。

本部施設がある今須地区ではなかなか桜の花が咲かないと思っていたら、急激に気温が上がり桜の花が咲いたと思ったら3日もしない内に花が散り出して、これまた3日もしない内に葉桜の状態です。そう言う意味では10日(日曜日)と1⒉日(火曜日)にデイサービスが施設内で花見の企画をしてくれたのは正解でした。花見と言えば9日(土曜日)に本館2階の食堂内での花見の報告が私の手元にきたのを見て当日も嬉しかったのですが本日もそのレポートを見て嬉しかったのでレポートの一部を紹介したいと思います。

先ずは当日の責任者の感想の中に『入居者の方々はとても楽しんで頂けただけでなく、あまりの反応の良さに職員も楽しむと同時にやりがいを実感でき、モチベーションも格段にアップしたように思います。』には、担当責任者の狙いが当たったと言う事で責任者としての自覚を感じられたのを頼もしく思ったしだいです。

次に入居者さんの様子で『普段は食事・水分がなかなか取れない方なのに、生き生きおかわりするご様子が嬉しかった』との報告には、ケアの仕方のヒントを見つけてくれたのならなお嬉しいと思いました。

次に『最初は飲まないと仰っていた方が、皆さんが楽しそうにされているのをみて「私も欲しい」と言われて飲まれました。この事から無理な声掛けではなく雰囲気作りが大切だと思いました。』とのコメントに対して私のコメントは『3杯も飲まれましたよ。一度お酒の武勇伝を聞きたいです.』と書きました。

次に『日頃表情の少ない方なのに花見中は穏やかな表情で笑顔も見せて頂けた。』との事だったので私は「それぞれの楽しみを大切にしたいものです。」とのコメントを書きました。花織を一生懸命にして頂いた入居者さんへのコメントは『いつもはほんの少ししか飲まれないのに今回は沢山飲まれて雰囲気を楽しまれていました。』とのコメントには『入居者さんだからお世話されるばかりではなく、出来た事の達成感を認められる事によってより充実した日々になるものです。』と答えました。

次に『わしはビール派やと言ってみえましたが当日は日本車をたくさん飲まれていました。』に対しては『事前の話題作りは企画を何倍にも楽しいものにしますね。』と答えました。私は本館2階の手作りの桜の木の元での花見には職員のワクワク感に入居者さんが答えられた賜物だと思います。お酒も一役買いましたがそれはほんの少しの洒落です。でも、これからも機会有る毎にお酒も飲んで貰うぞ。そして健康で長生きして貰うぞとリピーターの皆さん私は改めて思った次第です。

 

間違いなく気温が上がっていることを感じています。

昨夜も21時前に爆睡したのですが、「間違いなく暑い。」と思い、毛布を外して布団のみ掛けて寝たのですが、「それでも暑い」と言う事で足や手を出した状態で寝たのですが全く寒いと感じる事なく午前1時30分までは寝ました。(その後はいつもの事ながらうとうとの眠りです。)4時31分にアラームをセットしていたのですが4時15分には行動を開始しました。昨日までは先ず最初にパジャマの上にガウンを羽織っていたのですが、「着なくても大丈夫そうだな。」と言う事で靴下だけ履いて(ウォーキングをするので)着替えを持って1階に降りて洗面だけ済ませて、蝋燭と線香に火を点けてからお水かえをしてから若宮八幡大神様と仏壇にお参りしました。(勿論仏壇では正信偈を唱えましたよ。)実は本日は蝋燭がどれ程の時間点いているのかを確認したくて、ガラケーのストップウォッチ機能をセットしました。結果として1時間24分だったのですが「もうすぐ燃え尽きるな」と思ったので、仏壇で木魚をたたきながら般若心経を1巻唱えると蝋燭は燃え尽きました。本日の朝の実験(恐れ多い事ですが)の結果2つの事が分かりました。1つは若宮八幡大神様から蝋燭を点けて仏壇の蝋燭を点けたのですが、昨日もそうだったのですが、仏壇の蝋燭の方が早く消えました。仏間でのやるべき事をしてから「どうして仏壇の方が早く終わるのかを確認すると「わかりました。」仏壇の蝋燭立ては鶴亀なのですが、蝋燭の溶けたのがべったりと付いていたので「燃えなかった分があったからだ。」と理解して溶けた蝋を綺麗にしました。和蝋燭だった為か非常に柔らかかったです。(すみません。2つ目の理由を思い出せませんので、2つ目は書けませんがお許し下さい。『暑い』と言う話題に戻ります。本日は午前中に県庁の人事異動でお世話になっている方々にご挨拶に行く事になっていたので家を8時30分に出たのですが車の温度計はその時点で24℃ありました。そりゃそうですよね。天気予報の最低気温が18℃と言っていましたから。まだ最近まで元気な職員が施設の中で半袖でいたりすると「元気がいいな。若い証拠か」等と言っていたのに、今日何かは「私も半袖でいたい。でも、県庁へ挨拶に行くのだからスーツを着てかなあかん。」と言う事です。県庁の挨拶が終わってから場所を岐阜県福祉会館に移してこの4月1日から一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会の打ち合わせをしたのですが想定以上に時間がかかり、打ち合わせが終わったのが12時40分で14時から和(なごみ)で打ち合わせがあるので昼食を和(なごみ)で用意してくれているので13時15分位になることを和(なごみ)に連絡しておいたところ、吉澤施設長は昼食を食べずに待っていてくれたので申し訳なかったと思いつつ一緒に急いで食べました。14時10分前にメンバーが揃い打ち合わせをしました。課題が山積しているので二時間たっぷりかかりましたが終了後本部施設に戻ると地元でお世話になっている方が山の斜面に苗木を植えて頂いているを確認したのでお礼の挨拶をしました。リピーターの皆さん。最後に地元の方のご厚意が嬉しくて、改めて24年の重みを感じた次第です。

春・ハル・はる・・・の話題です。

令和4年4月12日

朝、本部施設の駐車場に着いて車から降りるといきなりウグイスが上手に「ホーホーホケキョ」と綺麗な声で鳴いたのです。それも何度も何度も・・・。その時に4月10日の日曜日に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)でお客様を待っていて、あまりに天気が良かったので会議室から外に出て椅子に座っていると「ホーホーホケキョ」とウグイスが鳴いたのに感動して、改めて「素晴らしい所に素晴らしい施設をつくらせて貰った。今は大変だけれど10年後には日本一の施設になるから頑張って行こう。」と思ったものです。そして本日は本部施設の方で上手にウグイスが鳴いているのを聞いて本部施設と和合の施設を含めて恵まれた環境なのだから日本一の法人になるまで頑張るのみと強く思った次第です。そう言えば次の日曜日は(4月17日)はかつての職員が手土産で持って来てくれた豚肉を寸胴の大鍋で『豚汁』をつくる事になっています。

本日は施設内の満開の桜が風が吹くと桜の花びらが舞い、文字通り桜吹雪の遠山の金さんの主題歌を歌わなければいけない状態です。所によっては「タケノコを掘って来たのでお裾分け」等との会話がうまれて、「初物のタケノコの頭の部分はお刺身で食べると最高。」との声が聞こえてきそうですが、本部施設北側の竹林にはイノシシやサルより早くに掘りたい職員が偵察したところまだだと言う事で、今須ではタケノコの話題はもう少し後になりそうですが、ここは一休さん宜しく「あわてない。あわてない。」と言う事で。春の訪れは雪が無くなった所から出てくる『福寿草』が筆頭株なのでしょうが、私のコラムを毎日見て頂いていて、私の活動をはらはらドキドキと見守って頂いている埼玉県志木市の先生が広報誌を送って下さり、私のコラムで書かせて頂いた福寿草の一節を紹介して頂いていたのでお礼のメールを送らせて頂きました。

今年の本部施設の桜は大垣が満開だと言っている頃はつぼみも小さくて「いつになったら咲くのか」と思っていたら、ここ3日の急激な気温の上昇で「満開になった」と思ったら散り始めると言うせわしなさ。でもそれこそが『桜らしさ』なのかも知れません。もう少しタケノコの話をします。本部施設では大抵日本全国ゴールデンウイーク前後に毎日の様に収穫が出来て、タケノコをメインにした味噌汁を寸胴の大鍋で入居者さん、利用者さんと職員だけでは食べきれないくらいの量の味噌汁を最低3回は作って喜んで貰っていますし、10升焚きの大釜でタケノコご飯も作ります。(流石に10升は食べきらないので5升程度を炊くのですが不思議な事に『お焦げ』から売れていきます。

本部職員はお祭り男が多いのか春の祭りの様にさせて貰っています。う~ん。そう言えばクリスマス会で「来年は私が花魁になる。」と宣言してからコロナの影響で2年間スルーされています。ひょっとすると神様が「お前が花魁になるのは見たくない。」と言う事で世界中にコロナを流行らせて私が花魁になるのを阻止している・・・。リピーターの皆さんそんな事は絶対にないですよね・・・。

 

昨日のコラムのセントレアの追加から書きます。

令和4年4月11日

6時5分にはセントレアの駐車場に着いていたので5時50分前後の事だと思うのですが(もう少し早い時間だったかも知れません。)国際空港を計画するなかで埋め立てがされた所を走っているときに(勿論車に乗ってですよ・・・。当たり前か)車の窓越しに外を見ると大きな太陽が姿を現したので思わずガラケーで写真を撮ろうと構えるのですが、撮ろうと構えると高い建物に或いは小高い林に邪魔されたりして、なかなか撮れずにいて苛々している時にピンポーンと思い付いたのが『下手な鉄炮数打ちゃ当たる。』でした。そこで本当に適当にバチバチと太陽がある方向にシャッターを押して何とかそれなりに写ったのをホームページにアップします。

朝日

リピーターの皆さん大きな太陽だと思いませんか。海の中に沈んでいた太陽が元気に登場したと思うと、海なし県に住んでいる私としては感動なのであります。そしてもう一つ思ったのは「太陽の出てくるのが早くないか」と言う事です。「う~ん。かなり東に走ったので太陽の出るのも早いのか。いやいやそれもあるけど私が住んでいる今須は盆地なのでなかなか太陽が昇ってこんのか」とも思いました。そう言えば私が小学生の頃今須の一番奥の地区が「天気の良い日でも太陽が拝めるのは4時間位だ」と聞いた事があります。『住めば都』とは言え「とほほ・・・。」の話だとリピーターの皆さん、そのように思いませんか。

本日は月に1回の『てるてる座』のボランティアです

蔓延防止が発令している期間にはボランティア活動を自粛して頂いていたので、久しぶりのボランティア活動です。ちなみに午前中には盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)でのステージを終えて昼食を済ませて本部施設に来て頂いたわけです。てるてる座は色んな施設での公演の他にも地域イベントでも引っ張りだこで、東洋健康ランドのようなところにも出演される団体です。歌や踊りが上手いのは勿論の事、衣装も小道具もしっかり準備してきて下さり1時間たっぷり入居者さんを楽しませて下さいます。残念ながらコロナの為に自粛が続きましたが、毎月必ず来て頂いていたので入居者の盛り上げ方も上手なので、てるてる座の皆さんもきっと乗りまくってくださる事と思います。14時から本番です。あいからわずめっちゃ歌は上手ですし、何よりも入居者さん、利用者さんの気持ちをとらえるのが上手い。そして自分たちも楽しんでいて下さる。

最後の『とり』をとのことだったのですが恐れ多いとお断りしたのですがどうしてもと言われたので気分が乗れない時の歌は『ラビュー東京』だと考えてそれなりに歌えて、気分が少し高揚してきました。それもてるてる座の皆さんのお陰です。来月には私も心身共に元気な状況になっていて、てるてる座の皆さん共に盛り上げれたらと考えています。

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