2022年03月の記事一覧

口内炎が出来ていると思っていたのですが

3日前から口の中に違和感があり舌の下側にけっこう大きな口内炎が出来ていて「食事をしても、痛いし食べにくい」と思いながら3日目である今朝ようやく口内炎の薬を見付けて朝から指に薬を乗せて塗っていて「少し楽になった。」と思って15時30分に全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会のリモート会議が終り再び薬を塗る為に手を洗いうがいをして薬を塗ろうとして、少し口の中が楽になったからだと思うのですが口が大きく開けれた為か舌の奥まで指が入ってビックリです。と言うのは口内炎が出来てるより奥に大きくて痛いのを見つけたのです。見つけた瞬間から心配になったのですが、17時から垂井町で面談をお願いしていたので、先ずは面談を優先させて(お約束をしてあったので当然ですが)17時45分に面談を終えて、外までお見送りをして頂いたので、近くの空き地まで移動していつも診て頂いている歯科医院の院長先生の携帯に連絡して、無理無理に診て頂くお願いが出来ました。診察の予約の方もあるので今は待ち合いで待っているのですが、果して診て頂いて院長先生から何を言われるのかドキドキしながら待っています。この結果については家に帰ってから書くことにします。(今午後7時26分に家に帰りお風呂に入りながら結果報告をします。)しばらく待ち合いで待っていると診察室に案内され、院長先生がまだみえなかったので、取り敢えず歯の掃除をすることになり、歯科衛生士の方に口の中の掃除をして頂く事になり、取り掛かろうとされた時に院長が来てくださり(わざわざ私の為に来てくださったようです。)歯の掃除では無くて口内炎の状態を診て頂く事になりました。舌の下側の口内炎は直ぐに見付けて頂いたのですが、私が15時30分の時に発見した大きなのがなかなかわからなかったので、私が自分の指で場所を示すと院長先生が「本当に大きいですね。」と言われたので私は思わず「このでかいのは何ですか。」と不安な顔でお聞きすると「でっかいですが口内炎ですよ。」と言われて一先ず安心しました。だって「癌かも知れませんので大垣市民病院か口腔外科のある朝日大学に行って下さい。」とでも言われたらどうしようかと正直思っていたものですから。「取り敢えず薬を塗って様子をみましょう。唾液があるところに塗ると効果が薄れるのでティッシュかガーゼで唾液をとってから綺麗な指で塗って下さい。」と言われました。院長先生に塗って頂いて今は少し痛みがやわらいた様に思いますが、夕食を食べた後は口の中を綺麗にしてからティッシュで唾液を取って薬を塗ったらお話をしないでお休みします。リピーターの皆さん、その後の様子は明日のコラムでお知らせします。

蝋燭の火と溶けた蝋燭の事

令和4年3月10日

本日はいつもの様に4時には目が覚めず4時44分に目が覚めたのですが、ベッドから脱出すると、鼻水がタラタラ・・・。(決して綺麗な話で無くてリピーターの皆さん御免なさい。)そんな時に限って枕元においてあるティッシュボックスは空っぽで起きて直ぐなのに焦った、あせった。何とかその場は切り抜け(決してパジャマでねたぐる様なことはしていませんから・・・)仏間に行き、若宮八幡大神様と我が家の仏壇のお水を替えて蝋燭と線香に火を点けながら「今日は今一体調が優れないのでウォーキングマシンに乗っての歩きは止めにしよう。と言う事は必然的にお風呂は無しになるので若宮八幡大神様へのお参りと仏壇でのお経はいつも以上に丁寧にしなければ。」と思いながら色んな願いを込めてお参りをしました。

先ずは蝋燭の話なのですが若宮八幡大神様の蝋燭と仏壇の蝋燭はリピーターの方がわざわざ送って頂いた『心願成就』の祈りが書いてある大きな蝋燭を殆ど同時に火を点けたのに本日のお経が終わった段階で仏壇の蝋燭は丁度燃え尽きたのです。しかしながら、若宮八幡大神様の方の蝋燭立ての蝋燭は「まだまだ大丈夫ですよ」と言う感じで火が点いているのです。蝋燭の火は一生懸命に祈りながらお参りをしていると炎が突然大きくなったようになるのは私の思い込みなのでしょうか。(でも、事実なのです・・・。)若宮八幡大神様の蝋燭立てはいつも綺麗に燃えるのですが、仏壇の鶴亀の蠟燭立ては色んな所に蝋が溶けてこびり付いているのです。

だから私はいつもお経を終えて蠟燭の火を消した後は必ず私の爪を駆使して蝋燭の塊を取り、取れた蝋燭は線香立ての灰の中に入れる様にしています。ところが本日は少し様子が違ったのです。と言うのは今日は特にこびり付いた蠟が多かったので一生懸命に取っていると(鶴の足まではよくあるのですが本日はどういう加減なのか亀の方にも付いていたのです。)線香立ての中で多分蝋が燃えてだと思うのですが勢いよく白い煙がモクモクと立ち込めました。私にはその意味を図り知る事は出来ませんが不思議な現象でした。勿論少し考えれば灰の中で燃えている線香に燃え移ったと言う事なのかも知れませんがこの事を深読みしてしまう私は何者なのかと悩んでいる私はリピーターの皆さん『変』なのでしょうか。

 

ロシアのプーチンについての私見

令和4年3月9日

今の地球上で一番悪いやつ或いは憎まれているやつと言えば十中八九『ロシアのプーチン』と答えると思います。では、その理由は「あそこまで非情な行為をよく決断して、命令できたな」と言う事ではないでしょうか。戦争は合法的な殺しあいです。昔無差別殺人事件と言うのがありましたが、そんなのとは違い、けた外れな殺戮がくりひろげられていることはリピーターの皆さんも周知の事だろうと思います。どうしてあそこまでの命令をして実施させるのか。プーチンなりの考え方はあると思います。私なりに理解しているのは、東西冷戦時に旧ソビエト連邦に賛同する国もたくさん存在したのにソビエト連邦が崩壊して東側諸国が西側にどんどんついて、今のロシアは丸裸にされつつある事への危機感のような気がしてます。しかしながら、味方につかないからと言って、殺戮によって強引に屈伏させた結果、土地が焦土となっていたとしたら意味があるとは思えない。1つだけ言えるのはロシアに向けて弾道ミサイルが飛んできた時に焦土となった土地を飛んで来るときの時間稼ぎでしかないと言う事くらいかな。たったそれだけの為にいたいけな子ども達が犠牲になるのは決して許すことが出来ないと思います。※リピーターの皆さん、すみません。今、21時38分ですが余りに眠くて10文字を打つのも大変です。明日に譲ります。ごめんなさい。

移動販売の『だるまや』が来てました。

令和4年3月8日

海津市での会議が15時からあり、老人施設の立場でしっかりと意見を言わせて頂きながら、第三者として客観的なものの見方で意見を言うときにはしっかりと言えるのに、自分の施設での対応では上手くいかない事があることを痛切に感じながら、16時30分に会議が終了した車の運転をしました。

17時30分に施設に着くと移動販売の『だるまや』の車が玄関先に停まっていたので「今日はだるまの日だったのか。と言う事は火曜日なんだ。」と言う事で曜日もわからない生活に減なりしながらも、「今日はだるまでしっかりとおつまみを買って熱燗を飲むぞ。」と思いました。おつまみを買おうと思い品定めをしていると、「私に食べてくれ」と言わんばかりの品物があり「これ全部今夜のつまみにするのか」と自分でも呆れる程に買い込みました。

移動販売の品物を馬鹿にしちゃいけませんよ。『生の刺し身』『たらこ』『長芋』『あられ』を買ってから「熱燗の後には甘い苺を食べたい。」と言う事で買い物籠に1パック入れました。お酒を飲むと異常なまでの食欲になり、しっかりと夕食で食べて飲んだ後に大きなあられを何枚も食べてしまうのかとお酒を飲む前からそんな事を考えています。つまり、お酒を飲むと意志が弱くなって際限なく食べてしまうのだろうなと思っています。でも、たまには良いのかとも思っています。

眠れない日が続き、1ヶ月で4キロ体重が落ちて正座も楽勝になったのに、先日次男と2年ぶりにお酒を飲んだ翌日にも体重が増えていたので今日もそのパターンになってしまうのかとも思っています。明日は東京から弁護士さんが急遽来て頂く事になったのですが、不思議な事に紹介して頂いた翌日が大垣での仕事があると言う事で突然決まった予定なのですが、この機会を逃すわけにはいかないので明日の午後の予定をキャンセルするのに大忙し。でも、このような偶然があると言う事はまだまだ私の思いは通じると言う事なのか。だからこそのささやかな熱燗を飲んでのおつまみです。しっかりと飲んで食べて明日の活力を得て、元気な私で行きますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

厨房をクックチルに変更します。

4月から大きなセントラルキッチンで調理した物を施設の厨房で冷凍を解凍して味付けを加えて盛り付けをしたものを提供する方式に変えます。既に本部施設においては契約は4月からなのですが3月から試行的に開始したのですが、入居者さんや利用者さんのご意見は賛否両論です。

「不味くなった。」の意見の中には「ご飯が不味い。」と言う方もおみえになりましたが、お米は今までの地元『今須米』を今まで通り作って頂いているのだから「不味くなった。」と言うのは変なのですが、食べる側の思い込みでその様に思われてしまうのだと改めて思いました。

私は本日の昼食を頂き、焼き魚が出てきたのですが、かつての物と違って全く臭みを感じなかったので美味しく頂く事が出来ました。確かにセントラルキッチンですから味の画一化は歪めません。しかしながら無難な味になっていてそれなりに美味しいと思います。

食事を作る職員の方も介護業界と同じく職員不足が目の前まで来ています。先般魚のフライが固かったと言う事で食べれなかったとの連絡を貰いましたが、今は試行的期間なので、解凍の仕方によってはそう言う事もあり得るので、気が付いた事はしっかりと意見として上げていかないといけないと考えています。

クックチル方式に変えますが、月に1回のバイキングは継続して行きます。その時は精一杯楽しく選んで頂きながら目を輝かせて食べて頂きたいとも思っています。厨房の職員さんも冷凍で来たものの対応だけではモチベーションが上がらないと思いますので月に1回のバイキングでは精一杯腕を振るって頂きたいと思っています。

本日は午前中にクックチル方式で実施していただく会社の責任者との話し合いをしました。最終的な料金設定を決めなければいけないのでしっかりとした意見や突っ込んだ意見を提案しました。だって、1日365日✖120食として=43800ですから一食で10違っても438000円ですから、大変な違いになるのですからいい加減な話し合いにするわけにはいかないのです。施設には多くの方がおみえになるので、一人にしたら少ないものでも大きな金額になるのです。だって、10円の差額で40万円以上になり、その分を楽しいイベントに変えていけばワクワクしてくるとリピーターの皆さんも思いませんか。

リッドは私の中にもしっかりと残っています。

令和4年3月6日

このコラムで我が家の猫『リッド』が満20歳(人間で言えば97歳)で天寿を全うしたことは書きましたが、今も私の心の中に強く残っている為か元気な時の残像を度々見てしまうし、元気な時のリッドの為にしていた事をついついしてしまい思わず苦笑いをしてしまう事が度々です。確実に見てしまう残像は我が家の玄関を入り廊下を見るといるはずがないリッドがいつものように座って迎えてくれているように感じてしまうのです。そして、眠りが浅い時には布団を動かす度にリッドが私のベットに乗って来たように思ってしまうのてす。

また、私がついついしてしまうのはリッドが私の寝室に入れるように入り口の戸をリッドが入れる分だけ開けておく習慣がいまだ抜けなくてこれまた苦笑してしまいます。また、1階の洗面所に行くときも戸を閉めていかないと廊下を悠々と闊歩して元に戻すのが大変なので必ず戸を閉めて行く習慣がついていて、戸を閉めなくて良い事に気付きこれまた苦笑してしまいます。そして、私は信じている不思議な体験の話をします。それはリッドを火葬していただき骨になり骨壺に入ったはずのリッドが深夜に私の寝室に来たお話です。(私はその様に信じてます。)

それは、眠りが浅くいつものように午前2時に夢うつつの中で、リッドが来たように思っていたところ、箪笥に立て掛けてあった足を乗せるマットが転がったのです。私は夜中にマットを転がす者はいないのでリッドがお別れに来たと確信しています。リッドが私のベットにくるようになったのは随分前からだと思っていたのですが、昨夜次男とリッドの話をしていて「かなり前から来るようになった。」と話をしていたら私の奥さまかをりさんが「今年の2月になってからです。」と言われて、と言う事は本当にリッドと仲良くなったのはほんの1ヶ月にしかならないのかと自分の記憶の危うさを理解しました。つまり、人間の記憶のいい加減さに驚いています。リピーターの皆さんもそんなことを考えた事はありませんか。もし良い事例があれば教えて下さい。

2年ぶりに二男とお酒を飲みました

令和4年3月5日

色々な事があり二男とは2年間疎遠にしていたのですが、二男がめちゃくちゃリッドをかわいがっていたので、リッドが命を全うしたことの連絡を二男にした事により、実に2年ぶりに我が家での夕食会が出来ました。夕食会は殆どつまみに近いもので、地元では人気のウナきやさんの蒲焼きと魚屋さんのお刺身にほうれん草のおひたしとおつけものと言う、まるで居酒屋さんのメニューでとっておきのお酒である久保田の萬寿をしたたか飲みました。

2年ぶりと言う事で最初はぎこちない会話から始まったのですが、お酒と言うのは本当に良いものですね。段々と饒舌になり段々と本音が話の中に出て来るようになって、私にとっては最高に有意義な時間となりました。久保田の萬寿は二人で空になり、私はスコッチウイスキーを二男は冷酒の瓶をそれぞれに開けて楽しみました。聞けば次男は病院を退職をして、市の社協に仕事を代えたとの報告を得て、私はつくづく「ようやく自分の足で立つことが出来た」と内心嬉しくなりました。

次男は現在32歳で、私が人生自ら立てたのは38際だからある意味嬉しく思いましたし逞しく思いました。久しぶりに次男と一緒に飲んで酒も強くなったけど、色んな意味で逞しくなったと思いました。仕事と言うのは単なる市社協の一員になったと言う事で安心したと言うよりも自らの足で立ったと言う事を評かしたい。いつかは親ばなれしなければいけないのですが、その事を寂しく思う気持ちよりも、倅を頼もしく思いました。リピーターの皆さんまだまだ甘いばかりのわたしですが、おもいっきり親としての顔をしめすだけです。大変申し訳ありませんが今後ともに宜しくお願い致します。

 

困っています。と言うか困らなくていいのかな

タイトルが意味不明から始まってしまいリピーターの皆さんは「何のこと」と思われているのではないかと思います。(説明します。)本日は人間ドックの二日目で大腸検査があるので、昨夜は強烈だと思われる下剤を飲みました。いつもだと夜中に強烈な痛みと共にトイレに駆け込むパターンなのですが、只今午前7時01分現在でも全くお腹が痛くなることもなくトイレに駆け込まなくてもいいのです。お腹が痛くならないのは有り難いのですが本来大腸検査をして頂くにはお腹の中を空っぽにしないといけないので日頃飲むことがない下剤を飲むのです。しかしながら、お腹は反応しない。ここ1ヶ月のストレスが私の体を異常体質にしてしまったのかと悩んでいます。しかしながら悩んでも仕方がないし体の事は病院に任せるしかないので、予定は9時までに受付をすれば良いのですが早めに病院に行って相談して対応策を考えて頂く事にします。そうです。わからないことは相談して対応して頂くのが一番です。多分8時30分であれば病院も機能していると思うので8時15分頃に病院に着くように家を出ることにします。(その後の展開はリアルに書くことにします。)病院に8時15分に着き玄関を入ろうとするとドアが開くのは8時30分からと書いた貼り紙があったので、車に戻って8時30分になるのを待ちました。8時30分に入る事が出来て手指消毒と検温をして、受付に行くと担当の看護師さんが来てくださり事情を話すると「10時過ぎからしっかりと下剤を飲んで頂きますから心配いりませんよ。」と言われて一件落着。その後はあっちこっちに行って、いろいろな検査をして頂き10時に院長先生から今までの検査結果の説明を受けて、その後場所を移して看護師さんの説明を受けて『経口腸管洗浄剤』を2時間かけて2リットルを飲むように指示をされて時間を開けてコップに入れて飲んでます。今、3杯目を飲みましたが一向にお腹が反応しなくて困ってます。チェックシートを見ていて、1リットル飲んだ段階で排便がない場合の注意点が書いてあり、ますます不安になりました。私はストレスによって異常体質になってしまったのか。いやいや必ず反応するはずだと信じて様子をみます。11時15分になり6杯目を飲みましたが4杯目を飲んだ段階でトイレに行きましたが普通の弁が少しだけ。今、看護師さんが来て下さったので「大丈夫ですかね。」とお尋ねすると「全部飲まれたら大丈夫ですよ。」と言われて「こんな状態で本当に大丈夫なんかな。いやいやいつもお世話をされている方の話だから大丈夫なんだ」と思うことにしました。結果的には2リットルの下剤を飲んで椅子に腰掛けて様子をみることにすると、ここからが忙しかった。と言うのは、トイレに駆け込み部屋に戻るとまたまたトイレに・・・。(不浄な話でスミマセン)14時にはトイレに行く事もなくなり、14時30分からの大腸検査痛み止の注射を打たずに頑張りましたが少しだけ痛かったのですが無事に終えて、会計を済ませて自分の運転で帰りました。自分の運転で帰れたのは痛み止の注射を打たずに頑張ったから。お陰様で16時からの海津市からのお客様に迷惑をかける事がなかったです。しかしながら、改めて書きますが強烈な下剤を嫌と言う程に飲んだのにお腹が痛くなることがなかったのは不思議で仕方がありません。きっと、この1ヶ月で我慢強くなったんだと思います。リピーターの皆さん。私はきっと『災い転じて福と成す。』をやり遂げて今のピンチをチャンスに変えて行きますので益々の応援を宜しくお願い致します。

久しぶりにウォーキングマシンで歩いて般若心経を唱えて汗をかきました

昨日は午後からリモート会議があり頭の中は真っ暗闇の状態で話を聞いていた時に携帯がなり、その一本の電話は真っ暗闇の世界に一糸の光を当てて頂く有り難い電話でした。私は正直リモート会議も大切なものですが、今の状況の中では優先順位は一本の電話によって闇から脱出することが優先なので、会議の主催者事務局に退席することのお断りを入れて、今後の進むべき方向を明確にする為のアクションを起こしました。何も出来ないから一変してやるべき事がある事の喜びでバタバタと対応策の手を打って行きました。そのようにアクションが起こせる喜びで、今まで重くのし掛かっていたものが一機に解けたような気分になりました。

だから、夜は寝汗を書くこともなく、22時から午前3時までの5時間をしっかりと眠る事が出来ました。流石に3時に起きるのは「1日が長過ぎる。」と考えて4時20分に起きて、1階に降りて先ずはリッド君に挨拶をして、榊の水かえをして(仏壇の花が買いに行けてない)若宮八幡大神の蝋燭に火をつけ大きな声で「若宮八幡大神様」と3回唱えてから、仏壇に移動して新しい蝋燭を袋から出して蝋燭に『心願成就』と書いてある蝋燭に火をつけました。その後正信偈をゆっくりと唱えて一生懸命に昨日のお礼と今後の展開に対してお願いしました。

リピーターの皆さんの中には「何を格好つけとるのや」と言われる方もおありだと思いますが私は真剣そのものです。正信偈に引き続き般若心経を唱えました。般若心経を唱えたタイミングで若宮八幡大神様の蝋燭が燃え尽きたので仏壇の蝋燭の火からこれも新しい『心願成就』の蝋燭に火をつけて、改めて若宮八幡大神様にお願い事をしました。その後ウォーキングマシンに乗り『般若心経』をウォーキングマシンがセットしてある30分間を繰り返し繰り返し唱えました。そして歩きながらいつもとは違う感覚を背中に覚えました。それは、背中を汗が流れたのです。ストレスがかからずイケイケの時はしっかりと汗をかいていたのに、夜の眠りが浅くなったここ1ヶ月はどれだけ歩いても汗が出なかったのに、今朝は滝のように流れたのです。この現象は長いなが~いトンネルを脱したと思いました。正直に思うのは「リッドが私の大変の身代わりになってくれたから。リッド本当にありがとう。」の気持ちになりました。

汗をかいてお風呂に入り、朝食を頂いてからスーツに着替え、本部施設へ資料を取りに行き、打ち合わせをしてから『和』(なごみ)へ行きました。3施設の責任者に集まって貰い、今後の展開について話し合いました。その話し合いの結果を持って岐阜県高齢福祉課に相談に行きました。今後の方向性が見えてきたのでこれからやるべき事が山積みですので頑張りたいと思います。リピーターの皆さん私はやるべき事があって幸せです。

リッドを火葬して頂きました

令和4年3月2日

最近は動物のお葬式をして頂く業者さんも増えて、中には悪徳な業者もあるようですので、リッドを診て頂いていた動物病院の院長先生に相談して紹介して頂いた業者さんにして頂く事になりました。連絡をして昨夜18時に家に来て頂き、先ずはリッドを囲んで業者さんの話を聞きました。説明は丁寧で納得のいくものでしたし、こちらの意向を聞いて頂けたので業者さんの車まで私がリッドを運ぶ事になりました。家から車に運ぶ前に私がお経を唱えさせて貰いました。

眠るようにしているリッドを見ながら、20年の出会いが走馬灯のように蘇ってきました。玄関先でリッドを業者さんに預け車に乗ったリッドを見送りました。火葬には、おおよそ1時間30分かかると言う事だったので、その間、一生懸命に世話をした奥さんの話を聞きました。私はほんの最近から異常な位に仲良くなって、息をひきとる前日の朝まで私の顔の所まで来て私の足元で寝ているのを私の足でリッドを上げ下げして戯れました。業者さんから火葬が完了して玄関先に着いたとの連絡を貰い、玄関を開けると2つのトレイに白い布を被せたものを私が受け取り仏間に運びました。

布をどけるとあきらかに頭の骨だとわかるのが中心にあり、人間寿命で97歳になっているリッドなので、骨は殆どないと思っていたので、正直感動しました。業者さんは部位により綺麗に分けて頂いていて、先ずはしっかりとしていた頭の部分を私が骨壺に入れました。次に喉仏を奥さんが入れて、肩の骨は大型の猫だったのでこれまたしっかりとしたのを骨壺に入れました。あばら骨は意外に細かったのですがたくさんありました。脚の骨もしっかりしていて長かったです。

そして、頬骨を業者さんが取り出して、「顎のところに癌があったのでしょうか。癌であった部分は無くなっていますね。」と言われたので「1ヶ月前から食べることが殆ど出来なかったけど、その前から癌で食べ辛かっただろうに、よく頑張って食べていたな」と思うと新たな涙が出てきました。そして、業者さんが「これが尻尾の骨です。」と見せて頂いた時に「よく尻尾は動かしていたな」と思うとこれまたリッドがいとおしくなってきました。

最後にしっかりとした歯をお箸で摘まんで頂いた時に97歳にして立派な歯が残っていたと感心しました。業者さんの協力を得て無事に骨を骨壺に入れて、業者さんを玄関先で見送り、家の仏壇に骨壺を置こうとすると、奥さんが「みんながそろう賑やかな所に置いてあげたい。」と言う事で、食事をするところに若山家の写真が一杯飾ってある所に置きました。そして、私が出掛ける時には、「リッド行ってくるよ」と声を掛け、そして先程家に帰ってきた時にも「リッド、今帰ったよ」と声を掛けました。リピーターの皆さん。私の意外な面を本日はコラムにしましたが、私にもこんな面があることをご理解下さい。

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