2022年03月の記事一覧

宝くじ売り場で当たりの確認をしました

宝くじは『夢を買う』ものなのに、私は「七福神様にも若宮八幡大神様にも仏壇のお父ちゃん、お母ちゃん、光ちゃん、英子さんにもお願いしてるのだから当たりが当然」と考えていたのです・・・。よ~く考えてみたら「そんなんで当たるのなら夢を買うので、神様仏様ご先祖様をいったい何だと考えているのだ。」と言う事になると言う考えに至りました。そしてもう1つ、「世の中そんなに甘くない。」と言う事ですよね。リピーターの皆さんも、そう思われてますよね。ただし、「宝くじも買わなければ当たりませんよ。」と言う事です。

そして、昨日は私のおこづかいの範囲で買ったのと、私の夢に協力してくれた方のものを90枚持って宝くじ売り場に行き当たりの自動確認機で確認して貰った結果1万5千7百円が手元に戻ってきました。私は結果がかなり不満でしたが、良く良く考えてみたら、90枚✖300円は=27000円の元手で15700円が戻ってきたのだから半分以上が返ってきたのだから『よし』のすべきだと考えるようにしました。だって、大抵は3000円の元手が300円しか戻らない方が殆どなのだから。90枚の中に当たり札が『10000円』と『3000円』の2枚もあったのだから、これは「若宮八幡大神様、ご先祖様のお導き」だと思わなければ駄目だと考えました。「でも、次回には億単位の札が当たりますように。」と懲りずにお願いしようと考えている私なのであります。

話題はガラッと変わって本日13時30分からの本館1階及び2階のお参りについて書くことにします。午前中には祭日であったにも関わらず役員の日程が平日では会わなくてリモート会議がありました。私は年中無休の生活ですから一向に構わないのですが。と言うより土日祭日大歓迎なのですが・・・。だって、公的な役割は絶対にないので。とにかく10時30分から12時30分までリモート会議があり、その後昼食を食べてから、パソコンで事務連絡の確認と連絡を打ち込んでいたりしていると、13時30分になったので本館1階のフロアに行くと、既に入居者さんは集まられていて、私の導師で正信偈と般若心経を唱えさせて頂いて、改めて私の「私のお経が進化している。」と思うと共に「お経さんの上手な方が結構おみえになるな。」と思いました。

本来ならお経と私の終りお話が終わった後は「カラオケで一曲」の流れなのですが「本日は2階でたっぷり歌って下さい。」と言う事で2階に行き、このフロアでもしっかりとした声でお経を唱えていて「このフロアにもお経の上手い方が何人かおみえになるな。」でお経の後のお話を終えるとカラオケがしっかりセットされていて、西村課長に「何が入っているの。」と聞くと「北の漁場、まつり(北島三郎さんの曲です。)、お前しか愛せないの3曲が入ってます。」との事で正直嬉しくなって、気持ちよく3曲を歌い終わると「アンコール」の声があがり、遠慮なく『酒よ』(吉幾三)を歌わせて頂き、次は私の方から「4曲は縁起が良くないのでもう一曲歌わせて貰います。」と言うと拍手が沸いたので鳥羽一郎の『兄弟船』をこれまた気持ちよく歌って終わろうとすると、「理事長さん。お願いだからもう一曲歌って」との声があがり、気が付けば入居者さんはそれぞれの手に応援用のうちわまで持たれているのです。

「これは歌うべし」と言う事で、新館では上手く歌えなかった『函館の女(ひと)』を選曲して歌ったのですかこれまた上手く歌えました。またまた「もう一曲」との声が出たのですが、この企画を終えてから若山家のお墓にお彼岸のお参りに行く予定をしていたし、この雰囲気だと皆さんが「あと一曲」となりそうな雰囲気だったので「来月も必ず歌いますので」と言って帰ろうとすると1番前で聞いて下さっていた入居者さんが「うちわにサインが欲しい。」と言われて西村課長が準備よくマジックを用意してくれたので、私の名前と入居者さんの名前を書くと「私も」と言う方が多くて私は思わず「私はスターか」と思いつつ6人の入居者のうちわに書いたところ、後ろの方にいた方が自分には回って来ないと思われたのか怒り出されたので私は直ぐ様その入居者さんのところに行ってうちわを渡して貰い目の前でサインをすると喜んで下さり、一件落着。

リピーターの皆さん。よかったらサインを書きましょうか・・・。

昨日17時15分から本部施設の幹部会(経営戦略会議)が行われました。

令和4年3月20日

昨日は午後からデイサービスと新館2階及び新館1階のお参りがあり(新館ではそれぞれにカラオケで歌も歌いました。)その後、幹部会が行われる(17時15分~)前にコラムの原稿を書かないと家に帰ってからだとコラムの執筆が挫折するのでは無いかと考えて、お参りから事務所に戻り急いでコラムの原稿を打っていたのですが16時に打ち合わせの約束をしていた和(なごみ)の吉澤施設長が来たので15分ほど打ち合わせを待って貰って取り敢えずコラムを打ち終えて会議室に移動し吉澤施設長と打ち合わせをしていると烏野先生もみえたので話し合いに同席して貰いました。17時10分になったので打ち合わせを終了して幹部会が出来る体制にして、幹部会のメンバーが揃った段階で軽めの夕食としてパンとカップ麺を食べてから会議を私の進行で始めました。

メインの課題は①経費の削減の為の提案②職員の資質向上の為の研修③デイサービスの事業の方向性等について、密度よく話し合いが行われました。20時過ぎに終了して若干の打ち合わせをして家に帰ったのが20時40分。そのままお風呂に直行して、いつもの様に頭から水をかぶりその後ゆったりと湯船に浸かりました。この瞬間こそ一日で一番リラックスする時間です。本来であれば布団に入って熟睡している時間が一番リラックス出来るのだと思うのですが、最近は色んな事を寝ながら考えている為か眠りについて3時間もすると寝汗をかいて着替えをしてからは、熟睡出来ない毎日でした。

昨夜は寝汗こそかきませんでしたが午前2時には目を覚まし4時過ぎまでうとうとして4時30分に起きていつもの様に若宮八幡大神様と仏壇んでの祈りの時間を6時30分まで持ちました。お仏壇の前に座って『正信偈』をあげている時にふっと感じたのは自分で言うのもおかしな話ですが「お経の声が良く通り上手になった。」と言う事です。これは私自身のステージが1段上がったのかも満足している自分がいます。そんな事を考えながらウォーキングマシンで30分歩きながら『般若心経』を唱えて(本日も13巻)からお風呂に入り、その時に一昨日本屋さんから届けて頂いた『週刊現代』の『東洋占術研究家 美鳳の週間運気予報』で私の生まれ月の5月を見ると『運気指数』どの月よりも高い92%で「勘が働くので最善を尽くして・・・何が良くて何が悪いのかわからない状況から抜け出せる。勘も働くので、今できる最善を尽くせば確実に成果を残せるはず。

吉方位は北東」とあったので、『吉方位は北東』とあったので私は「北東の方位には優・悠・邑 和(なごみ)があるので素晴らしい。と思いましたし、『勘が働くので、いまできる最善を尽くせば確実に成果が残せるはず』とあったので私は電話をしても問題がない7時30分に協力をして頂きたい方に電話をすると「今日は10時に関ケ原に行く用事があるので用事が済み次第お伺いします。」との返事を頂き「今はアクションを起こして活路を見出す時」と思いました。その事を施設に来た吉澤施設長に話をすると「理事長はそう言う事を信じられる方では無いと思っていました。」と言うので「自分にとって都合の良い情報で安心したいの。」と話をすると吉澤施設長も「なるほど」と言う風に理解してましたので『思いは同じだ』とも思いました。リピーターの皆さん、復活の兆しが見えて来た事に祝福をして下されば嬉しいです。

〈余談〉ちなみに、吉澤施設長の生れ月は2月でその運勢は「運勢も雪解け。計画が進みだす・・・周囲の理解が得られて希望が通りやすい時期。前に話は出たけれど進まなかった計画について、『そういえば』と切り出してみよう。」とありました。これは二人ともに目的に向かって進む事が出来る吉兆の証し。藁おも掴みたい2人にとっては何よりのエールと考えています。今の難題がクリアしたら寝汗をかかずにしっかりと6時間は寝る事ができると考えています。

寒暖の差が激しい日が続きます

令和4年3月19日

3日程前の昼間は20℃近くまで上がって車を運転している時等は思わず「暑い」と感じていたのに昨日は雨が降っていたこともあって「冷たい雨じゃあ」と身震いしなければいけない様な状態でした。今の時期のこの様な状況を『三寒四温』と言うのでしょうか。 そう言えば昨日が(3月18日)が『彼岸の入り』だったので、「いよいよ春到来」と言う事でしょうか。私はさり気無く『彼岸』と言う言葉を使いましたが良くは知らないので『彼岸』をスマホのグーグル情報で検索してみました。(私でもその程度は出来ますよ。)〈彼岸とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間である。この期間に行う仏事を彼岸会と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼ぶ。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。〉と書いてありました。そしてまたまたわからない事が出て来たので、これまたグーグルで調べました。何かと言うと『六波羅蜜』と言う言葉です。『六波羅蜜』とは〈この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修業を言います。〉とあったので、今度は『六つの修業』とは何なんだ。と言う事で調べました。六つの修業とは『布施』『持戒』『忍辱』『精進』『禅定』『智慧』だそうです。一つひとつの説明はいつかするとして、今パソコンの画面に打ちながらつくづく思ったのは「私はこんなに探究心が旺盛だったか。」と言うことです。何をするのにも淡白で直ぐに諦めてしまう『宏君』だったのにと思っています。但し、今は自分自身厳しい状況に置かれているので昨夜も凄い寝汗をかいて目が覚めたのですが寝ながらも色んな事を考えなければいけないので今は理屈っぽくなっているのかも知れません。早く淡白な自分に戻りたい。でも今の自分がより成長する為の時間だとすると貴重な時間なのかも知れません。リピーターの皆さんもがき苦しんでいる私に温かいご支援をお願いします。いやいや。他力本願では無くて自力本願で頑張りますのでせめて見ていて下さい。

岐阜アソシアの評議員会に参加しました

令和4年3月18日

正式名称は『社会福祉法人岐阜アソシア視覚障害者生活情報センターぎふ』と言う組織だと思うのですが、私自身評議員になってと山田所長さんから依頼を受けて、当法人である盲養護老人ホーム『優・悠・邑   和(なごみ)も事業開始したのでと言う事で評議員をお受けしたものの、全く要領がわからないので「本日はなるべく早くにアソシアに着いて新参者として来られた方々に名刺を持ってご挨拶をしよう」と考えて、家を8時15分に出ました。国道21号線を走ると時間がかかると考えて、ナビが示す案内を無視して池田トンネルを通って行きました。やはり、この行き方が正解でした。

渋滞もなく、信号にも殆ど引っ掛からずスイスイと行けたので9時25分に着き、受付でご挨拶をするとわざわざ山田所長さんが出迎えて下さり、しかも山田所長さんとお話が出来る部屋に案内して下さり、和(なごみ)の話を聞いて下さいました。その後3階の会議室に移動すると、既におみえになって座られている方々に名刺を持って挨拶をしました。10時の定刻の時間に山田所長さんの進行で始まりました。最初に初めての参加である私の紹介があり、少しお話をさせて頂きました。山田所長さんから議題の説明がなされたのですが、山田所長さんは(会議でのお立場は『常務理事』)指で点字(多分ですが)を確認しながらも全く違和感なくお話をされたのには全く驚きと感動でした。

議題が全て終了した後、私から改めて和(なごみ)の入居者がなかなか入らない状況と措置控えの現状と、緊急で入られる方は地域で或いは家において問題を起こされた方だと言うお話もさせて頂きました。全ての話し合いが終わってから、お隣の席におみえになった監事であり、岐阜大学の先生としばらくお話をさせて頂き、会場におみえになった方にご挨拶をしてから1階におりて行くと、山田所長さんが私を待ってて下さり、「溝口副会長が若山理事長にご挨拶をしたいと待ってみえますので」と言う事で朝案内して頂いた部屋に入りご挨拶をすると、和(なごみ)への入居を希望されている方を二人も紹介して頂けました。溝口副会長の行動力にはいつも舌を巻く事ばかりなのてすが、和(なごみ)の状況を理解されていて、また、私のコラムは毎日読んで頂いているとの事で改めて嬉しくなりました。

本部施設で15時から当法人の理事会があるので急ぎ車を走らせたのですが、溝口副会長から二人も紹介して頂けたのが嬉しくて早速吉澤施設長に連絡をしました。このように色んな方々のご協力があって、少しづつ和(なごみ)の入居者も増えてくるのだと改めて感じました。ただし、当法人の理事会では厳しい経営の実態について誠意を持って話をさせて貰い経営が安定する為の提案をしっかりと説明させて頂きました。説明した計画が絵に書いただけのものにならないように頑張っていきますので、リピーターの皆さん今後のご支援を宜しくお願い致します。

本日も般若心経を13巻唱えました。

令和4年3月17日

昨日はリッドが枕元に来てくれてから(多分・・・)5時のアラームで元気よく起きたのですが、本日は4時に目覚めてからウトウトとしていて5時のアラームでもったりと起きたのです。「これでは気合いが入らない。」と思いベットの上でベットを軋ませながら足を中心にした体操をして、テンションを上げてから、朝の日課を粛々とこなし、仏壇で正信偈を唱えて(勿論、その前に若山家のルーツである若宮八幡大神様に手を合わせました。)からウォーキングマシンに乗り般若心経をタイトルに書いたように13巻唱えました。私が13巻にこだわるわけではないのですが、ちょうと良いタイミングが13巻なのです。

それで『13』の数字について考えてみました。そして直ぐに思い付いたのは四国八十八ヵ所の札所の13番さんか『大日寺』で、阿波一国(今の徳島県)23ヵ寺の歩き団さん(1週間で歩けます。)の3日目の宿坊になるお寺です。(ちなみに1日目の宿坊は6番『安楽寺』で2日目は11番の門前宿の『さくら屋』です。)この2日目の宿を出て11番『藤井寺』の裏山を一気に一時間登り、その後下って、登って、またまた下ってから最後に再び標高1200メートル(正確な数字は覚えていますん。)登った所が12番の札所である『焼山寺』なのです。11番の藤井寺から12番の焼山寺までの距離は約13キロなのですが山の登り下りが険しいので早く歩ける方なら4時間なのですが遅い方だと7時間の行程になる難所です。(早く着いた時にはうどんを頂くのですが私は大抵しんがりを務めていたのでなかなか食べれなかったです。今はロープウェイで行けるようになったのですが私が頑張っていた頃は有りませんでした。(なかなか大日寺の話にならないなあ・・・)焼山寺でのお勤めを終えて一気に山を下りて町に出た所に13番大日寺があります。そのお寺ではとんでもない経験をしました。

と言うのは私が大学2年の時には団さんの参加者が多くて先発隊80人が行かれた後の2組の50人を今の内藤会長と私が先達てして行ったのです。(もちろん、その他にも5人ほどね青年会のメンバーはいました。)13番の宿坊での夕食で団さんでは初めてお刺身が出たのです。いつもの私ならば美味しく頂くのでしょうが「修行中にお刺身を食べても良いのか」と怒りを込めて言った私に皆が同調して「住職に文句を言いに行こう」と言う事で住職に話に行くと、私たちが来ることを予測していたように住職は一升瓶と湯飲みを用意して待っていて、「今の時代に何を言っとるか。とにかく飲め。」とコップ酒を青年会のメンバーで強か飲まされ翌朝は二日酔いのフラフラで・・・。私はフラフラなのをわからないようにするために地面に転がり「地球をつかんだ。」等と馬鹿な事をしたのを今でも覚えています。

そうなんです。リピーターの皆さん。私がお酒を好きになったのは大日寺さんのお陰なのです。何か最後は酔っぱらったような締まりのないコラムになりましたが・・・。たまには良いですよね。

リッドが枕元に来てくれたように思ってます。

12日は内科の受診の日で何故か体力温存との考えになってしまい、お参りもウォーキングも水かえもしなくて、翌日は流石に若宮八幡大神様とお仏壇の水かえとお参りは6時に起きて復活したのですが毎日の万歩計の歩数が3000歩程度で「これでは駄目だ。」と思いながらも、そんな状態が3日続きました。本日は16日。リピーターの皆さんがどのように思われるかはともかくとして5時に枕元の辺りがごそごそしているようで半分虚ろな中で私は「リッドが早く起きて水かえとお参りとウォーキングをしなさい。」と言っているような気がしてベットから跳ね起きて暖かいかっこうをしてから1階に降りて、先ずは洗面とうがいをしてから若宮八幡大神様と仏壇のお水をかえて蝋燭と線香に火をつけようとしたのですが今日に限っての現象だったのですが、線香立ての中の灰がいかにも固いので灰を人差し指でかき回してみると、線香の短いのがたくさんあることがわかり、1本づつ灰の中から出して蝋燭の火で短い線香に火を点けました。線香立てに並べてみるて何と10本も灰の中から出できました。たまには灰をかき回していたのですが、今までにはない現象に「これはどういう事なのか」と思っています。私なりに考えたのは完全燃焼しなかった最近の行動に対して仏様が「しっかりとやり抜け」と叱咤激励して頂いているようで、10本点けた短い線香が一斉に煙を勢いよくあげているのを見て、私が上げ潮になっていく証なのかと自分にとって都合の良い事を言っているようですが、真剣にそう考えている私をリピーターの皆さんはどのように思われますか。話はガラリと変わって、昨年末から2月にかけて、今須に嫌と言うほどに降った雪もようやく田んぼや屋根からも消えました。私はまだ確認してませんが『つくし』も一杯生えてきたと言うし、埼玉県の先生から送って頂いた福寿草の花も黄色く色付いてきたし、梅の木も白い花を一杯付けてきたし、春を感じる事が一杯出来るようになりました。昼間は20℃近くまで温度が上がり上着などがいらない位です。ただし、朝起きた時は5℃前後なので寒暖差は15℃位になるので体調を崩さないようにリピーターの皆さんも気を付けて下さい。私はコロナ感染症対策が出来るようになって手洗いとうがいと手指消毒を徹底している為か喉が痛くなる事もありません。つまり、弱味その私が風邪一つひかないのです。(油断は大敵ですが・・・。ただし、うがいをしても手洗いをしても今の時期になるとダメな事が有ります。それは杉花粉のアレルギーです。最近鼻水がよく出るので「風邪かな」と思っていたのですが違います。その現象はズバリ『アレルギー性鼻炎』です。本日はその事を確証しました。何故ならば「メッチャ目が痒いのです。」目を擦りたいけど擦るとますます痒くなるので我慢して我慢の限界になったら洗面所に行って目が飛び出すくらいに目を洗ってます。リピーターの皆さんも杉花粉にご注意下さい。

盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の経過報告

全国47都道府県の中で岐阜県を入れて4県のみ盲養護老人ホームがないと言う事で岐阜県視覚障害者福祉協会さんからの強い要望を受けて当法人の杉和会で建設計画を立てて施設が完成し運営が始ました。私は視覚障害者の方々に施設がない事による不安を持った生活を払拭して貰うと共に日本一快適な施設を目指して昨年5月21日から事業を開始しました。

それからほぼ10ヶ月が経過した今、80床の内19人しか入っていない現状には経営面で全く成り立たない状況があり私は理事長として色んな事に悩みながらも何とか経営の建て直しをしなければいけないと歯を食い縛って頑張っています。

そんな中で学んだ事は『制度として市町村からの措置の対応に温度差があり、他国の中で評価されている措置制度としてのセーフティネットの役割が形骸化されているのではないかと思っています。勿論、憲法第25条に謳っている『最低限度の文化的生活は保障されている。」の考え方はしっかりとあるにも関わらず国からの財源が措置費は一般財源の中に組み入れられてから所謂『措置控え』を否定出来ない状況があることを否定出来ない状況があるのではないかと考えています。特に視力障害の方は一人での外出もままならない状況の中で、在宅での厳しい状況を強いられている方が多くみえるのではないでしょうか。日本のルールはあくまで申請主義が基本なので視覚障害者の方の状況を全て把握できているのかも甚だ疑問に思っています。つまり、何か家庭の中で或いは地域でトラブルでも起こさない限り行政が動かないのではないかとも思ってしまいます。さて、そんな中でも入居されている方々の様子を見ていると、どの入居者さんも毎日を快適に過ごされている姿を見るに付け「計画が実行出来て良かった。」とは思っています。

例えば、ショートステイが会わないと家に帰ってきたら今までご主人の世話をされていた奥さまの認知症が進んでいて、帰ってきたご主人に対して混乱するような言葉を投げ掛けられ視覚障害のご主人は状況を飲み込めず混乱され杖を振り回されて息子さんにも危害を加えられて警察の出動となり、和(なごみ)に警察車両で連れてこられ、施設の駐車場からシートベルトにしがみつき一時間以上車から降りられずある意味無理矢理車から降ろされた時に皮膚剥離を作られ混乱の中で施設に入られてからも大きな声で二時間以上混乱されていたとの報告を受けました。疲れられて眠られ「ここは刑務所ではない。」と理解され吉澤施設長が前夜に引き続き丁寧に話をしての対応に朝食もしっかりと摂られ、自分以外にも視覚障害者の方がおみえになり、声をかけて頂く中から落ち着きを取り戻され「ここのご飯は旨い。」とか、元々活動的な方だったようで、広い廊下をよく歩かれてます。勢いよく歩いて誰かとぶつかると迷惑がかかると言われて、自ら足に鈴をつけられ歩かれてます。これは凄いことだと思いました。と言うのは『相手の事にも配慮出来る。』と言う事だからです。

施設に来ていただければ木の香りと祈りの多い施設で朝から仏間にお経が響き、ラジオ体操を元気にされている姿は涙が出るほど嬉しいです。最高の施設です。リピーターの皆さんも一度来て下さい。そして素晴らしさを理解して頂ければ嬉しいです。

大垣市民病院のレポートです。

令和4年3月14日

朝は6時のアラームでさっと起きて、「本日は大垣市民病院の受診なので普段着をきてからにしよう」と着替えをしてから1階におりて、先ずは洗面を済ませてから若宮八幡大神様と仏壇の水かえをして、(3往復です。)灯明と線香の対応をして、2礼2拍手1礼で願いをこめて若宮八幡大神様に祈りを込めてお祈りをしてから仏壇に移り正信偈をゆっくりと丁寧に唱えて、続いて般若心経を7巻唱えてから一生懸命に心願成就でお願いしました。

本日は先般の人間ドックを受けてのフォローを大垣市民病院で地域連携でして頂くので、特にその事についてお願いしました。本日はかをりさんがお休みだし私の検査がどんな風に進むかわからないので8時過ぎに病院まで送って貰いました。久しぶりの大垣市民病院で車の多さと人の多さに圧倒されながら、取り敢えず総合受付に行くと親切に対応して頂き、「地域連携受付前にいると名前が呼ばれますから待っていて下さい。」と言われて、9時の受付が9時10分になり正直ジリジリ・・・。9時15分にようやく名前を呼んで頂き、ここでの受付を済ませたのに「また、お名前を呼びますのでお待ち下さい。」またまた椅子に腰掛け待っていて、またまたジリジリ・・・。だって、受診予約時間は9時30分なので。

取り敢えず再び名前が呼ばれて尿検査の指示が出て、2階の検査室へ。正直に思ったのは「目が見えて良かった。」と言う事です。だって情報は掲示板頼りだから。取り敢えず検尿を済ませてから泌尿器科の受付へ。今は泌尿器科前の椅子に腰掛けて待っている状態です。この後の展開がどうなるのかドキドキどきどき・・・。

一時間近く待合室にいてじっと座っているだけなのに「暑い」我慢出来なくて、洗面所に行って中に着ていたのを1枚脱いで再び待合室に戻ると私の番号が掲示されていたので中待合室に入って行くとしばらくして診察室に通して頂き、ドキドキしていると先生が「癌の確率は30%で70%は大丈夫です。針を刺すと痛いしリスクもあるので取り敢えず今日は採血と超音波をしていずれMRIをする事になりますが、投薬で様子をみることになると思います。と言われて、採血を済ませてから超音波が地下1階なので2階から地下に階段で降りていったのですが足がフラフラ・・・。

超音波での受付をすると「尿が貯まったかんじですか」と聞かれたので内心「暑くて汗が出そうな感じだったので無理」と思い正直にそのように言いました。すると、「トイレに行きたくなってから受付して下さい。」そこで私は、600ミリリットルの麦茶を購入して一気に飲み干し様子をみてます。流石に冷たい麦茶はてきめんです。600ミリリットルの効果は絶大で無事に超音波も終えて今は泌尿器科の先生による診断を待っています。本日は地域連携の受診なので、比較的順調にいったと思うとこれから先も大垣市民病院通いをしなければいけないかと思うと気が重い・・・。いやいや、健康でなければ何も出来ないのだから大垣市民病院通いも頑張ります。

検査結果がなかなか出来なかった為か12時15分にようやく先生に呼んで頂き話を聞くと取り敢えず4月になってからMRIの検査をしてから治療方針を決めましょう。との事なので「取り敢えず緊急性はない。」と言う事はわかりました。ピロル菌はみつかり明日から毎日朝夕に薬を飲む事になっているし、心身ともにダメージが大きいですが必ずや復活しますのでそれまでは忍耐強く頑張ります。そして、本当の意味で良い方向に行きだしたら浴びるほど美味しい酒を飲むぞと強く誓っている宏君なのでリピーターの皆さん。これからの宏君の展開に目を光らせていて下さい。

 

体力温存とは言え・・・。

令和4年3月13日

昨日の早朝は『体力温存』と考えてお参りもウォーキングもしなかったのですが、今朝は「お参りもしないのはおかしい。単なる怠慢だ。」と考えて、今は午前6時21分なので6時30分から若宮八幡大神様と仏壇の水かえをしてしっかりとお参りとお経を唱えたいと考えています。でも、正直に言って4時に起きての行動は一日中夢遊病者の様でしたが昨日は少しだけ生き返った気がしてます。(朝食後の報告)6時30分からの行動開始は出来たのですが、水かえとお参りとお経を30分で終わるのは無理でした。(少し考えればわかることなのですが・・・。)結局朝食の時間は7時からではなくて20分送れになりました。ただし、口内炎がかなり治まってきたので朝食はスムーズに食べれたので家を出る8時15分には十分なので「時間が勿体ない。」と言う事でコラムをガラケーの携帯で打っている次第です。健康だからこそ食事が美味しいと言う事を改めて理解しました。本日は日曜日です。私の生活は月月火水木金金の生活なのですが日曜日には会議等がないので事業が好転するように色んな根回しをしたいと考えています。いやいや、考えているだけでは次には進まないので行動あるのみ。ただし、むやみな行動は裏にはまることもあるので(今回一杯体験しました。)色んな方に相談しながら頑張ります。昨日施設に行き大切な手紙こそ書いて打ち合わせ等はこなしましたが、比較的にゆっくりさせて頂き自分の中の整理がようやく出来て頭がスッキリしたように思っています。8時10分になりましたので行動開始します。今日の成果は家に帰ってからとします。家を出て和(なごみ)で9時お約束の方をお待たせしないように8時30分過ぎには着きました。(日曜日と言う事で空いていたのだと思います。)早くに着きましたしお約束の方もまだだったので、駐車場の東端に設置してあるお地蔵さんにお参りしてから施設内に入りました。既に吉澤施設長が来ていたので事前の打ち合わせをしていると、日曜日にも関わらず相談にのって頂く方もおみえになったので、早速具体的相談にのって頂きました。相談にのって頂いた方が帰られてから再び吉澤施設長と今後の進め方を検討しました。結構具体的に詰めることが出来ました。話をしている内に吉澤施設長がかなり成長したのを感じました。打ち合わせを終えてから大垣郵便局が午前中の営業をしているのを確認しておいたので、なるべく早くに送りたい郵便があったので大垣郵便局に行きました。驚いた事に日曜日にも関わらず次から次にお客さんがみえるのには驚きました。地元の郵便局は当然の様に日曜日はお休みだし、平日にたまに私が行ってもお客さんがいることは滅多にないので、流石に16万都市は違うなと改めて感じました。郵便局での手続きを終えて本部施設に向けて帰って行く途中で11時30分近くに垂井町にある丸亀うどんのみせで「食べていくには少し早いし、よし、生まれて初めてのテイクアウトをしよう。」と言う事で、何回か利用した時に出口の所でテイクアウトの品物を受けっているお客さんを見たことがあるので裏口から入り「テイクアウトをしたいのですが、注文はどうしたら良いのか。」と聞くと(わからないことは聞くべし)「並んで注文してお金を払ってここに来てください。」と言われたので、お客さんの列に並ぶと同時にテイクアウト注文表に印を付けました。(私だけ食べるのはいかんと考えて四人分を頼みました。注文表を店員さんに渡してお金を払って最初に行った出口で待っているとぶっかけうどんの二個が出来てきたので、蓋を開けてしっかり『ねぎ』と『生姜』を入れて改めて蓋をしていると後のうどん天婦羅弁当も出来てきたので、溢さないように車に積み慎重な運転で無事に運ぶ事が出来て、事務所にいた職員に渡すととても喜んでくれて、楽しく頂く事が出来ました。私はぶっかけうどんを頂いたのですが、弁当の海老天婦羅だけちゃっかり私の丼に入れてから渡しました。(勿論その事は断りましたよ。)改めて思いました。それは、初めての経験はこの歳になっても心踊ると・・・。うどんを食べてから(うどんだけでは物足りなかったので食パンを二枚トーストで焼きイチゴジャムで食べました。(食べ過ぎじゃ・・・。)その後は仕事を効率的にしたいとのおもいで書類の整理とシュレッターをかけて、結局90リットルのビニール袋に2つも出来ました。その後は4月からの体制について打ち合わせをして、18時20分に終了。明日は大垣市民病院の予約受診がありますので、リピーターの皆さん明日はその報告をしたいと思います。

口内炎報告②です。

自分では大きな口内炎の場所がわかっていたつもりだったのですが夕食を終えて歯磨きをして手もしっかりと洗って院長先生が言われたように口の中をティッシュで唾液をとり舌の下側は直ぐに塗れたのですが、口の右奥にあるでっかい口内炎がどこにあるのかなかなかわからない。これは「痛いところに触りたくない。」と言う無意識な現象なのか、それとも単に私の指が不器用なのか。どちらにしても、でっかい口内炎にしっかりと塗ることが出来なかったのですが、余分に塗りたぐったので多分それなりに塗れたように思います。だからでしょうか。朝食時にはめちゃめちゃ痛かったのが昼食時には少し食べやすかった様に思いました。

さてさて本日は比較的早く帰らせて貰ったので今は(18時29分)はお風呂に入ってコラムを書いているのですが、さてさて夕食では昼食時よりも楽になっているでしょうか。口内炎の話題から変わってこれも健康面の話なのでお許しください。ただし、ここまで書いて良いのかと判断しかねる話題ですが・・・。書きます。

それは、先般して頂いた新生病院での人間ドックの胃カメラ検査をして頂いた時に『ピロリ菌』が見つかったのです。そう言えば、かつて関ヶ原病院(今は診療所)で胃カメラ検査をして頂いた時には検査をして頂いている先生が「胃のところか少し荒れてますね。」と言われたと思ったら先生が大きな声で「胃の中で虫が這いずってる。」と言われて、「虫を掴んでしまいましょう。」と言われて、ハサミのようなもので摘まんで体内に出していただいた時に小さくて白い虫が入れ物に入ったのを見せて頂いたのを覚えています。今回のピロリ菌があの時のものと一緒なのかは定かでありませんが、今回はピロリ菌退治の為に一週間一日二回三錠づつ薬を飲む事になりました。

今回の薬を飲めば90%ピロリ菌はいなくなるとの説明を受けました。このまま放置したら胃潰瘍とか胃癌になる事もあると言う事でここは、しっかりと一週間飲み続けたいと思います。それと薬がキツイので下痢になったり、蕁麻疹が出る副作用があるかも知れないとの説明を受けました。そしてもう1つ「決してお酒は飲まないように。」と何回も言われたので私は余程酒飲みと思われているのかと「ここは反省するしかない。」改めて私はどんな事が起きたとしても「健康であれば大丈夫だ。」と考えています。

これからも健康に留意して頑張りますのでこれからもリピーターの皆さん宜しくお願い致します。

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