2022年02月の記事一覧

長い1日でした。

令和4年2月8日

朝食を7時にとり、7時30分にはスーツに着替えて岐阜県庁に向かう前に、国道から町道に入った道の除雪を本部施設の除雪をお願いしている地元の材木屋さんが除雪をしてくれたとの報告を昨夜の内に北島部長から聞いていたので、自分の目で確かめてお礼を言わなければいけないと考えて、国道から町道に入った途端に昨夜のままの凸凹状態で「あれっ。北島部長からの連絡は違っていたのか」と凸凹にハンドルを取られながら100メートルほど走って名神高速道路のガード下を抜けて私は正直感動しました。と言うのも、余りにも見事に除雪がしてあったからです。

感動したあとはUターンをして、岐阜県庁に向けて走りながら、思わず関ヶ原町長さんの携帯に連絡をしてしまいました。と言うのも、地元の材木屋さんが共助の思いで「地元の方が難儀をして車を運転されるのは忍びない。」との事で除雪をしていただけた事の事実を伝えなければいけないと考えたからです。町長さんは「依頼している業者の方も頑張っている。」とは言われましたが、昨日の事実を伝えると共に地元の方の為に頑張って下さったのだからお礼の電話は入れて欲しいと伝えました。次に除雪をして下さった方の責任者の方に電話をすると「11時までかかった。昼間の内に除雪をしたらもっと楽にあけられたと思うが自分は仕事で遠くに行っていたから夜にしか出来ずに、ガードから国道までは流石に疲れて出来んかった。」と言われて「本当にありがとうございました。」と心からお礼を言いました。

9時30分から陳情に行くお約束がしてあり、遅れてはいけないと思って時間には余裕を持って出掛けたのと、道も空いていたので8時45分に岐阜県庁の駐車場に着き一緒に行く、吉澤施設長と合流して9時20分には陳情を受けて頂き、その後は高齢福祉課で介護職員の処遇改善の流れの確認を岐阜県老人福祉施設協議会の制度政策委員長とお伺いをして、その後は岐阜県福祉会館に場所を移し、岐阜県老人福祉施設協議会の正副会長委員長会議の打ち合わせをして、急ぎ昼食を食べて13時からの東海北陸ブロックカントリーミーティングのリモート研修に参加して当番県会長としての開会の挨拶をして、その後は若手リーダーの意見交流を聞いていて、18時5分に終了して、終わると同時に次の会場である大垣フォーラムホテルに18時30分開始のいつもお世話になっている県議会の先生の後援会総会に3分前に着き、いつもお世話になっている秘書の方に案内して頂き滑り込みセーフ。コロナ禍と言うことで懇親会等はなく、20時前に終了して、色々な方にご挨拶をして、車に戻り、一目散に自宅に着いたのが20時40分。

夕食がまだだったので、うどんのみ食べて、お風呂に浸かりながら少しはコラムを書き、今(午後1004)何とかコラムを完成させ長い、なが~い1日が終わります。リピーターの皆さん何とかコラムを継続出来ました。この頑張りに拍手を・・・。

 

悲惨な状況です。

2022.2.7

関ヶ原町の積雪記録としては最高の88センチとの報道に色んな方から『大丈夫ですか』の電話を頂いたのですが、観測場所は多分関ヶ原町の中心地。つまり、本部施設がある『今須』はそんなもんじゃない。』間違いなく1メートルはありますよ。施設の一番北側にある保育所のところは下手をすると1メートル50センチはあるのではないかと思います。地元の材木屋さん3軒に除雪を頼んでいて、重機3台がフル稼動で除雪をして貰い駐車場はきれいにして頂いたのですが、昼間の青空で山肌の雪がごそっと落ちて、またまた本日も除雪を依頼して恐縮至極ですが施設内の除雪は完璧な状態です。

明日は岐阜県庁に8時前に家を出て行かなければいけないので、内閣府のリモート会議を聴講させて貰ってから、明日の資料の打ち合わせを盲養護老人ホームの吉澤施設長としていて、気が付けば18時30分。職員に「早く帰るように」と言っている手前慌てて車に乗って「いざ、我が家へ」と施設を出て町道に入ると雪の上を車が通りわだちで凸凹になっていて、走りにくい走りにくい。しかも時間帯が悪かったのだとは思いますが対向車とのすれ違いが出来なくてにっちもさっちもいかなくて、しかも私の後ろに本部施設の職員の車が4台も続いていて・・・。「ここで地元の方々に迷惑をかけてはいけない。」と思い、車から降りて私も含めて凸凹の道を百メートルくらいバックして何とか広い場所で4台が待機。かなり遠くにいる車も待って、ほっとして、前進するとまたまた、ぎりぎりの所まで走ってくるのがあり、何とかかんとかすれ違いをして、遠くから走ってくる車に申し訳なかったのですがハイビームをして「すれ違いをする所が無いので停まっていて」と知らせて、何とか国道に出てほっとした次第です。

2回目のすれ違いをした時に村の長老的な方で施設の除雪をお願いしている方に、「町長に連絡をしておいたのに」と言われて憤慨されていたので、本部施設から我が家まで4キロしかないにも関わらず一時間かかってしまったので家に帰って、思わず役場に連絡をしました。その後施設に帰宅が最後なった職員が無事に国道に出れたら私に連絡するように連絡しておいたら、北島部長から「国道に出ました。」との報告と共に「いても本部施設の除雪をしていただいている方が3台の重機で町道の除雪をして頂いているとの事で、「当施設の職員が苦労しないように」との配慮だと思うと感謝の言葉しか出てきません。私は朝の5時過ぎから家の前の雪解けをしてから本部施設に行き、最後にだめ押しのくたくたがありましたが、最後に素敵な報告を貰い少しは気持ちが楽になりました。リピーターの皆さん。除雪をしていただいた地元の方の『相手のみになって』に接する事が出来たのは良かったです。

『宏くん』、いやいや『ひろっちゃん』は随分強くなりました

小さい頃の私は冬になると血液の循環が悪かったのか、それとも行動的な活動をしなかったためなのかはわかりませんが(多分両方だと思いますが)手は肘の辺りまで(手は軍手をはめたような状態)足は膝下まで(当然ながらいつもの靴は履けません。)いわゆる霜焼けで赤ちゃんのように真っ赤かで、夜になると痛くてむず痒くて母秋江さんにしくしく泣きながら甘えていました。もちろん母秋江さんは私が中学1年の1月16日に他界しているので当然ながら今甘える事は出来ないのですが。霜焼けは間違いなく高校1年の冬まで痛い思いをした記憶があります。高校2年から霜焼け一切ない理由は一つしか考えられません。その理由とは高校2年の夏休みに四国巡礼の団参に行き、健康が頂けたからだと思っています。(ご利益を頂いたとの考え方もありますが)本日はウォーキングマシンには乗らずに玄関先の雪解けをすることにしていたので、あまり早くからだと近所迷惑になるといけないとの考えで5時30分から行動に移すことにしました。雪解けは以外に汗をかくのでなるべく薄着でいることを心掛けましたが、流石に軍手をはめないわけにはいかないなと考え、軍手がしまってありそうな引き出しを探すのですが見つからないので、軍手は無しで頑張りました。多分・・・いやいや、絶対に小さい頃の私ならこの段階で挫折していると思います。と言うより、母秋江さんが雪解け自体を許してくれなかったと思います。(こんな調子だったので姉の春子さんがいじけていたんだと思います。「あっ、こんなことを書くとまたまた怒られる。いやいや今の春子さんがは穏やかな方になられたのでそんな事では怒らないよね。春子おねえさま」軍手も無しの素手で雪が激しく降っているなかで2時間頑張りました。汗びっしょりになり、作業を終えてお風呂に直行しました。湯船に浸かる前に温いシャワーを体にしっかりと浴びせました。手の指はお湯をかけるとしびれたような感覚になりましたがその後は湯船にゆったりと浸かり「極楽、ごくらく」本日は自宅から施設への指示を出して、基本的には我が家の雪解けに専念しました。朝2時間でしっかりと家の前の雪はどける事が出来たのですが、再び15時から雪解けの為に家の外に出ると、朝の段階と同じ位の雪があり、がく然。よく見ると屋根の雪が落ちたのもあったからなのですが。18時までの3時間をしっかりと雪解けしました。最後には足が動かないような状態でしたが頑張りました。母秋江さんがいたらきっと「頑張ったね。えらいよ宏は」と言ってくれた事だと思いますがそれは無理なのでリピーターの皆さんで大合唱して欲しいな。

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『完全復活です。』『地元の方に感謝です。』

『完全復活です。』

予防接種をした1月27日の朝のウォーキングをした後、ひさしぶりに歩きました。予防接種してから12時間後に寒気を覚えてから3日間は高熱に悩まされ、31日には面接のみの対応をして、2月1日には長久手市と名古屋市への挨拶に行き、3日の日こそ岐阜県福祉会館へ行きましたが、それ以外の日はリモート会議が殆どで口内炎に悩まされながらも何とかやるべき事をこなしてきたのですが、流石にウォーキングマシンに乗ってのお経は出来なくて(布団の中での声を出さずにのお経はしましたが・・・。)「本調子ではないな」と自覚してました。と言うのも、今の私は小さい頃の私では無いので『貫くべきは貫く』事が自分でも出来ていると思っているから。

まだ4時50分のアラームはセットしてなかったのですが、今朝は5時前にめざめたので「これは起きるべし」と言う事で、ベット上での体操から仏壇の花の水かえと若宮八幡宮大神の水かえをして、それぞれに燈明を点けてからウォーキングマシンでのお経を30分して、完全復活です。来週は岐阜県庁に行き、岐阜県老人福祉施設協議会会長の立場でと、杉和会理事長としての交渉や相談があるので、本日の完全復活は嬉しい限りです。元々私は虚弱体質ですので無理は利かない体質なのですが、体をスケジュールに合わせて動く事が出来る事に感謝です。

『地元の方々に感謝です。』

朝から半端なく雪が降っていたのと週明けから色んな折衝や会議が目白押しにあるので、15時過ぎに帰らせて貰う事にしたのですが、車に乗って運転をしだしたら激しく雪が降ってきて、土曜日と言う事もあったのか、あまり除雪がしてなくて、道が何処かがわからない状態で何とかゆっくり走っていたのですが結果的には道ではないところに入ってしまい、車が傾いてから「大変な事をしてしまった。」と思ったら前にも後ろにも動かなくなり、施設の除雪を機械でしていた方に連絡をしてもらい急遽現場に来て貰い引っ張っぱりあげて貰いました。

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とは言え、私の車は重いし引っ張っりあげてくだれる方も私の車を傷付けてはいけないと慎重に対応をして下れていて、気が付くと地元の方がそれぞれにスコップを持って救出に来て下さり異口同音に「雪が激しくて道がわからない状態だったので仕方がないよ」と言って下さったのですが、誰もが田んぼに落ちているわけではないので、目の手術を何回もしているので普通の方以上に見にくいのだと自覚しました。これからは雪が激しい時は運転をしないようにしなければと考えています。結果的には怪我もないし車も無事にあがったので、ほっとすると共に地元の方々に感謝です。これも25年近く地道に施設の事をしてきた証しかなとも感じています。リピーターの皆さん。ここは平生往生と言う事でしょうか。

コロナ予防接種について思うこと

令和4年2月4日

コロナの第6波は凄まじい勢いで数を増やしていて、陽性者の存在はより身近なものになってきています。予防接種に対して「治験がしっかり出来ていない。」とか「何年後かに副作用で大変な事になる。」等と言われる方もあるのは事実です。しかしながら、治験をして納得がいくまで待っている間に陽性者がどんどん増えて、亡くなる方がたくさん出た時には、どう対処していくのか。治療薬が未だ存在しない以上予防接種での対応しかないのではないか。もちろん、予防接種をしないと言う自己選択の自由はあります。また、情報が錯綜していてる事も分かります。しかしながら予防接種の接種率が上がってから、第5波が沈静化したのは事実です。「沈静化した理由がわからない。」との考え方もあるようですが、私は沈静化したのは予防接種率が上がったからだと言う事実を評価すべきだと思っています。私は3回目の予防接種で39、7℃まで上がり大変な思いをしました。また、熱が高かった後遺症だったからだと思いますが歯茎の所と舌に口内炎が一杯できて、食事をするのも大変な思いをしました。今は普通に食事もできるようになり、コロナ対策が出来たと言う安心感を持っています。もちろん、機会ある毎に手洗い、うがい、手指消毒はしっかりと実施してます。確かにオミクロン株は増えていますが、毎年冬の期間の乾燥期には、コンコンと咳をされる方が多くいるものですが、そのような方を周りで見掛ける事は皆無です。統計的にも風邪をひかれている方は少ないし、肺炎で亡くなられる方の情報もありません。これは、コロナ禍における予防対策がしっかり出来ている証だと思います。これは私自身でも暴論だとわかっていて敢えて書くのですが、予防接種を頑なに拒否されている方も外出時にはしっかりとマスクをされていると思うし、外出後の手洗い、うがい、手指消毒もしっかりとされているのではないでしょうか。コロナはいずれ収束します。(100年に一度位にいわゆる流行やまいはありましたが必ずや収束してますので)喉元すぎればのような事なく、これからも感染症対策をしっかりと実施していく事によって、より生活環境が良くなり、健康で長生きが出来るようになると私は確信してます。リピーターの皆さんにも色んなご意見が頂けたら嬉しいです。

一般社団法人が認可される意義について熱く語ります.

令和4年2月3日

私は『岐阜県老人福祉施設協議会』の副会長を10年させて頂き、会長に就任して9年になるのですが、会長に就任してから強く感じていた事は単なる名称を名乗るだけの組織では岐阜県社協の支援を受けなければ確固たる意志を持った対応が出来ず、忸怩たる思いでの活動しか出来ないと言うことで長く温めていた考えを形にする為に何年もかけて検討を重ねると共に会員の皆さんに理解を得られるように準備を進めてきました。そして本日はその集大成の一つとして、リモートではありますが岐阜支部の会員施設の説明会を開催させて頂きました。私は決して長く会長職に就いているから独善的な考え方で会を運営したいと考えてのものでは決してありません。

何事もそうですが、前を踏襲するやり方が楽な運営だとは思います。しかし、単に前の踏襲ではどんどん先細りしていくのが世の常だと思います。県社協を頼りながらの対応には限界があり自由な発想は出来ないのです。現実的な話としては、補助金事業を受諾しようとしても、無認可の組織だから出来なくて結局県社協を噛ませての受諾しか出来ないので、県社協の下請けのような形でしか出来ないのです。もちろん会員の皆さんの考え方も一つではなくて色んな考え方があります。特に多くの会員の方が「会費が上がってまで、一般社団法人の認可を受ける必要がない。」と言われました。

そこで、会費を上げなくても大丈夫の根拠を作るために岐阜県等に対して補助金が頂けるよう水面下で根回しをしたり、「事務局体制をきちっとしなければ、今より劣化してしまう。」との指摘にたいしては、人事担当の副知事さんにお願いに行き、確約を頂いたりとのこれまた水面下での活動を会長としてさせて頂きました。本日の岐阜支部会でのリモート会議でもきちっと説明させて頂きました。もちろん定款等についての検討にもかなりの時間を費やしましたし、途中経過の段階でも意見を聞く場面を繰り返し設けてきました。何事も完璧なものは最初からは出来ませんが、出来る限り会員の方々の意見に耳を傾け誠意を持って説明してきました。

もちろん、『今のままで良いのではないか。』との考えの方も根強く有ることは理解していますが、一般社団法人の認可が出来てから確実な実績を築いていく事によって理解して頂けるようにしていきたい。とも考えています。リピーターの皆さん。変革をするには色んな意味でエネルギーがいります。何事にも全力で立ち向かう宏くんに拍手をお願い致します。

10時からリモート会議があるので少しゆっくりしていたのですが・・・。

昨年の暮れに看取りになり、夜中や明け前に連絡が入るのではないかと毎日構えていたのですが1ヶ月以上点滴1本、腕にふしゅが出てきてからは点滴も無くて、凄い生命力だと思っていた方が本日8時前に亡くなったとの連絡を貰って、急ぎ施設に行きました。本日は10時から全国老人福祉施設協議会制度政策検討会があり、午後からは21世紀委員会の研修の開会の挨拶をして、途中で研修を抜けて総務・組織委員会の4役会議に参加して終了後はカントリーリーディングの実行委員会がある予定で(終了は16時30分)1日バタバタの日だと考えていたので、少しゆっくりしようと考えていたのですが、「体調が良くなったのなら頑張りなさい」と言う事なのか、連絡を貰って急ぎ施設に行きました。多賀先生の死亡診断書には『老衰』と書かれていて、「1ヶ月以上よく頑張られた。」と思っているとご家族の方がおみえになり、家族の方々と今後の対応をどのようにするかとお話をする前に「この1ヶ月は本当に頑張られたので私は本当によい勉強をさせて頂きました。」と正直に話をすると、ご家族の方から「平成29年9月に優・悠・邑さんにお世話になる前にいた老健では、全く元気がなくて、施設を変わっても長くは置いて貰えないと思っていたのですが、優・悠・邑さんにお世話になり、しばらくすれて驚くほど元気になり最後までしっかりと看取りまでして頂きありがたかった。」と言って頂き、私は「この事を職員に伝えたら励みになるな。」と思いました。当施設においては当たり前になっている湯灌もさせていただき葬儀の段取りのお話も出来た段階で9時45分。最後のお見送りはリモート会議があり出来ないことをお断りわをして、事務所に戻り、リモート会議の準備をしました。10時からの検討課題は大きくは2つでした。一つには『認知症』への対応についてで、私は認知症について、あまりに医療に重点がおかれる事なく介護の重要性を大切に出来る体制を構築しなければいけないと改めて思いました。2つ目は『介護・看護の配置基準』の問題です。リピーターの皆さんの中でもご理解されている方はあるかと思いますが、現在の配置基準は『入居者3人対職員1』なのですが、当施設では『2対1』でないと色んな展開が出来ないと思っての体制を維持している中での『4対1』の提案を『損保ジャパン』が提案していると言う事が示されての検討に入っているとの事。『3対1』でも考えられないし、現実にそのような体制を取ったならば職員は月に8回は夜勤をしなければならないし、当施設の大きなイベントである夏祭り等は絶対に出来ない。確かに効率化は求められるが『無断』のなかに楽しみがあり、入居者さんや職員の生きざまに効果があると私は考えているのですが。国は効率化の先に何を求めているのか。私は国が言った事でも駄目なものは駄目なものとはっきりと示していきたい。

施設から長久手市役所まで一時間です。

令和4年2月1日

先般盲養護老人ホーム『和』(なごみ)へ長久手市役所と包括支援センターのお骨折りで長久手市からの入居があり、お礼と今後のご配慮をお願いに吉澤施設長の運転で行きました。事前に10時30分からのお約束を吉澤施設長がしてくれていたので「時間に遅れるのは失礼だ。」と時間に余裕を持って出掛けた事は間違いないのですが急いで走ったわけでもないのに10時前に市役所の駐車場に着き「流石に早すぎる。」と車の中で吉澤施設長と二人で「せめて10時5分まで待とう。」と言う事で10時5分になり担当のかたがみえる部署に行きました。

事前に予約を入れてくれていたので、すんなりと担当の方にお会い出来ました。担当の方から正直に「視覚障害者の方の養護老人ホームの存在すら知らなかったので吉澤施設長さんに色々と教えて頂き、しかも機敏に動いて頂けたので助かりました。」と言って頂けた時は私自身、吉澤施設長に教えて来たことが生かされたようで正直嬉しかったです。このような展開を積み重ねて行く事によって80人の部屋を満床にするには、20人も入居に至っていない現実の中で大変な道のりで有ることは理解していますが、地道な活動こそが大切だと改めて感じています。改めて担当の方に色んな説明をさせて貰うと共に今後の展開に対するお願いもして、しっかり一時間を裂いて頂けた事にも感謝です。このように好意的にお話を聞いて頂けたのは「愛知県の方からも連絡を貰ってます。」との話には岐阜県庁高齢福祉課のサポートが成果を出しつつあるとも実感しました。

長久手市役所を終えて、最初に情報を頂いた地域包括センターに飛び込みの形で行ったのですが、幸運にも紹介して下さった方がおみえになり、ここでは、熱く語らせて頂きました。その後は名古屋市唯一の盲養護老人ホーム『瀬古マザーズ園』にここもアポなして行ったのですが施設長さんにもお会い出来、「お陰さまで長久手市から一人入居をしていただけました。」とお礼を言うと「理事長さん自らがこれだけ活動的に動かれているから、名古屋市老人福祉施設協議会からも連絡が来ているし当然の結果ですよ」と言われて正直「有り難い言葉だ。」と思いました。

施設を出る前に「これから情報文化センターにも行かせて貰います。」と話をさせて頂いていたのですが私たちが着く前に所長さんの方に連絡が行っていて、近藤施設長さんのご配慮に感謝です。本日の大きな成果は名古屋市及び長久手市が実際に車で一時間と言う事もありますが、何度かおじゃまさせて頂く事によって色んな方々にとって盲養護老人ホーム『和』(なごみ)が近い存在に思って頂けるようになって来たことが本当に嬉しいです。リピーターの皆さん。これからも、一歩一歩確実に頑張っていきますので変わらぬご声援宜しくお願い致します。

 

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