2022年02月の記事一覧

老猫リッドが午前0時15分に息を引き取りました。

一昨日のコラムに久々に登場したリッドが昨夜、午前0時15分に静かに息を引き取ったと、こよなくリッドを可愛がっていた私の奥さんであるかをりさんから聞きました。不思議なのは私は21時には眠りにつき目が覚めたのが23時45分で、何と無くリッドが気になったので1階に降りて行くと奥さんがリッドに寄り添って横になっていたのです。私がリッドに声を掛けると健気にも尻尾を挙げて答えてくれました。元気な時のリッドだったら「手を抜くな」と思うところなのですが、息も浅い状態のリッドには『健気にも』との言葉しか見当たりません。

いつものように4時に起きてリッドを探すといつも気持ち良さそうに寝ていたソファーの上のリッド専用のベットに毛布にくるまれていました。まるで「眠るように」と言う表現がピッタリでやすらかな顔でした。今から考えると「もっと早くから仲良くなっておけば良かった。私のベットに来るようになったのは最近だし。・・・」しかしながら一言で言い尽くせない感情が湧いてきました。

昨日の朝は私の頭の所に来てから私の布団を縦断して私の足がある所の布団の上で寝ているのを私の足で上げ下げをして遊んでいたのに。最後の夜でめっちゃえらい思いをしていただろうにトイレの場所まで必死に歩いて行ったし、最後にたくさん嘔吐した時も寝ている所ではなくて掃除しやすい板間にまでよたよたと行く律儀さ。今から考えると本当に可愛くて頭の良い猫だったと思いました。

毛が長くて10キロの体重があった時はお腹が床につきながら威風堂々と歩いていて、宅急便の方が玄関先に立たれたりした時に凛々しく座っていたりすると「大きいですね。一瞬虎かと思いました。」等と言われているのを自慢げに聞いていたのに最後は4、5キロの体重になってしまい、先程もリッド専用のベットのまま、「申し訳ないけど」と言いながら温度が低い仏間まで運んだのですが余りにも軽いのに驚いてしまいました。(ひょっとすると2月になってから殆ど食べていなかったので4キロも無かったかも知れません。)

いつもお世話になっていた動物病院の先生に埋葬等の相談を奥さんであるかをりさんが朝一でしてきて、羽島の専門業者さんを紹介して頂き明日私の都合に合わせて18時から我が家の玄関先で埋葬をしていただく事になりました。私もこの5月になれば69歳です。と言う事はこれからは色んな方に支えて貰った生活になることを自覚しました。

最後にリッドは私が調子が出ない分を背負って逝ったのかと思うと申し訳ない気持ちです。11月23日には21歳で猫年令の100歳になりまたまたメロンの汁を飲んで貰う事は叶いませんでしたが、やすらかな死に顔にほっとしてます。リピーターの皆さんも天寿を全うしたリッドに手を合わせて頂ければうれしいです。

入居者さんから元気を頂きました

令和4年2月27日

先ずはかつての入居者さんの本葬前にお参りだけさせて頂いて、棺の中のお顔があまりに柔和だったのでその事をお参りをさせて頂いた後でお話をするとお孫さんから「寝ている見たいに穏やかな顔をしてるでしょ。きっと亡くなった後でお風呂に入れて頂いたので浮腫もなくなって綺麗な顔になったんだと思います。」と言って頂いたのは亡くなられた入居者さんから力を頂いたように思いました。

葬儀まえのお参りから施設に帰り、しばらくすると本日は本館1階と2階のお参りで導師をさせて頂く事になっていたので、先ずは2階に行くと既に入居者の皆さんがデイルームに集まってみえたので簡単にご挨拶をしてから先ずは正信偈とお文さんを腹に力を入れて大きな声で唱えました。入居者の方の中にも本当に大きな声で唱えて下さる方もみえて、ますます大きな声で唱えました。お文さんの後は氷水が用意してあったので入居者さんに飲むことをお断りをして喉を潤してから般若心経をこれまた大きな声で唱えました。

お経を終えると当然のようにカラオケが準備してあったので遠慮なく『兄弟船』を歌いました。私は今、大きな重石が体の中にある状態だと思うのですが、自分でもビックリする位に大きな声で歌えました。歌い終わると拍手と共に「アンコール」の掛け声が上がったので山崎ていじさんの『お前しか愛せない』を歌わせて貰いました。この歌では振り付けもあるので少し照れながらも振り付けも披露してしまいました。2曲歌い終わってから最後の締めの挨拶で、「今月は2月なので2曲でしたので、3月は3曲歌わせて頂きます。そうすると12月は12曲歌う事になるのか」とやや調子に乗った挨拶をしてから3月3日はひな祭りバイキングですので楽しみにしてください。」と話をしてから、1階に降りて同じようにお経とカラオケをここでもちゃっかりと2曲歌わせて貰いました。

 ちなみに曲は『祭り』と『雪国』の2曲でした。午前の役割を終えて昼食をとってから家族会の会長さんが来て下さり家族会主催の誕生会で4つのフロアを会長さんと一緒に回らせて頂いたのですが、本日は101歳になられた方が2名もみえて、くす玉があったり千羽鶴があったりで盛り上がりました。そしてつくづく感じたのは、朝一の本葬前のお参りから家族会の誕生会まで、全て私は入居者さんに元気と力を頂いたと感じました。そして、1998年からの24年の積み重ねは間違いなく私の財産になっているし力を頂いていると感じた次第です。まだまだ至らない私ですがこれからも切磋琢磨して頑張っていきますのでご理解ご協力をお願い致します。

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2001年11月23日生まれの我が家の老猫の事

令和4年2月26日

猫年齢を人間の歳に換算すると、1年で20歳になり、その後は1年で4つ歳をとる計算なので、20年3ヶ月だから20+19×4+1=97歳になる計算です。猫が20年も生きていてくれるのは凄いことだとおもうので、昨年の11月23日の人間で言う20歳の時には私がわざわざ立派なメロンを買ってきて身は私が食べて汁のみ『リッド』にあげた事はこのコラムで掲載しましたが、最近は耳が遠くなったのか呼んでもなかなか振り向いてくれなくて大きな声で呼ぶとようやく振り向いてくれるような状態です。我が家に来た頃は私の事が怖かったのか、1階でのんびりしていたのが、私の車の音がすると慌てて2階に上がっていく様子がありました。しかしながら、今朝は私が朝食を食べて2階の部屋に行くと私の布団の上で寝ているのです。私の事を安心な人間と理解した証拠だと思うと猫の感性には驚かされます。ただし、最大10キロあった体重が今は4、5キロと半分にもない体重になったのは少し寂しいし心配ですが97歳と言う年齢から言えばやむ無しかな・・・。ただし、最近はあまり食事がとれていなかったのでお医者さんの所に行ったところ、口の中に癌が出来ているので食事をするときに癌に当たったりすると痛くて食欲がなくなるとの報告を受けました。脱水もひどくて点滴を打って貰ったとの事。出来たらしばらくは点滴を打って脱水の状況を無くす事によってある程度元気になると食事もとれるようになるとの事。私は97歳のリッドは文字通り超高齢者なので癌の細胞の成長がゆっくりだと考えられるので癌が厳しくなるのにも時間がかかると思うので、癌で死ぬのではなくて老衰での寿命での死に様を見たいと思っています。私としては最近私の布団の所へきての仲良しになれたのだから少なくても、今年の11月23日には誕生日を迎えて満100歳を迎えるので最高のメロンを買ってきてリッドを喜ばせたいと考えていますので、リッドは楽しい日々を送って下さい。本日は昨夜はあまりしっかり眠れなかったので、よく寝るためにくぼたの萬寿をコップ3杯飲んでしまい、飲む前にコラムをしっかりと書いておけば良かったのですが、書けなかったので布団にもぐりこんで何とかかけたのですがリピーターの皆さん。明日になってメロメロな文章になっていたら御免なさい。明日こそはしっかり書くぞと思いつつメールで送信したら爆睡したいな。

『思い』が強い施設何だと改めて思いました。

令和4年2月25日

昨日のコラムでご家族様の希望により亡くなった方をお風呂に入れさせて頂くと書きましたが、亡くなられた方の娘さんに「既にお風呂に入って頂きました。」と話し掛けると娘さんが涙を浮かべながら「本当に有り難かった。」と言われ尚且つ「最後の看取りをしていただいた所が優・悠・邑さんで本当に良かった。」とも言って頂き、改めて24年間頑張って来たことが間違い無かったと感じています。昨日は19時から全体会議があり、当施設がしている当たり前の行為の中に素晴らしいものがあり、その実践を継続して貰っているのは大変有り難い事だとも話をしました。

しかしながら、コツコツと積み上げてきた実践の充実が職員の勝手な判断で変わってしまっている事がある事も否定できない事実としてある事が優・悠・邑 和(なごみ)の施設長が認知症及びトランスファーのスーパーバイズに入って貰い顕著に分かってきました。その指摘は昨夜の全体会の中で報告がされました。一つの現象としは介護用品が必要な時に活用が出来る体制になっていない。例えば、跳ね上げ式の車椅子でないとスライディングボードでの移乗が出来ないにも関わらずスタンダードの車椅子が使われている。それでは跳ね上げ式の車椅子が無いのかと言えば新館には6台も使用していないのがあると言う事。この現象は1つには、フロア間の連携が出来てなくて有効活用が出来ていない。

2つにはトランスファーが出来なくても平気でいる体制。との耳の痛い事を言われてしまいました。しかしながら、指摘を受けた事は真摯に受け止めて体制の再構築をしなければいけない事。そこで、『1つの現象の中にいくつかの問題が内在している』と考えると修正しなければいけない事が色々あるなと考えさせられました。吉澤施設長は本部施設、和合の施設、そして和(なごみ)と3拠点を経験して本部施設を離れて本部施設を客観的にみる事が出来るのと、トランスファーについては法人を代表して北欧式トランスファーの本場デンマークまで行って研修を積んできたし、認知症の指導者の資格も取得して、その事を活かして実践をしてきた自信が今の吉澤施設長の展開に繋がっているのだと思います。

そこで、本部施設職員も和合の職員も吉澤施設長に刺激を受け切磋琢磨していけば、法人全体のスキルが上がり、入居者さんとその家族が喜んで頂けると同時に地域での貢献と信用度も今以上に上がって行くと考えています。職員も千差万別ではありますがそれぞれの良さを活かせれるようにしていく事も私の大切な役割です。いやいや、私は元々そう言う事がしたくて今があるのに少し足元が見えていなかった事を吉澤施設長に教えて貰った様で頼もしい存在になったと思います。私もいつまでも『昔の名前で出ています』的な言動を封印して頑張って行きたいと思いますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

さっそく、昨日私の手元に届いたろうそくを使わせて貰いました

 

私のコラムを読んで頂いているいわゆるリピーターの方から頂いたろうそくを朝のお参りで使わせて頂きました。ろうそくは小袋に2本入っていて、中袋に2組で4本がセットになったのが2セットあり、合計8本のかなり大きなろうそくでした。2セットには、それぞれに『身体健全』と『心願成就』が書いてありました。私はとっさに『心願成就』のろうそくから使わせて貰おうと考えたのですが「心の中でお願い事をする前に、先ずは健康が大切だろう。」と考え直し「先ずは身体が健康でなければお願い事の成就もへったくれもない。」と考え直し『身体健全』のろうそくから使わせていただく事にしました。ろうそくが家庭用の蝋燭立てでは対応仕切れない程に大きなものでしたが、仏間と若宮八幡大神様とにしっかりと固定して火を点けさせて頂きました。そうすると仏間が華やかな感じと共に敬厳な雰囲気を醸し出してくれました。だからいつも以上に気合いを入れて正信偈をゆっくりと唱えました。その後は四国八十八ヶ所で習得した般若心経を唱えました。その後はウォーキングマシンに乗り、般若心経を声が出る限りの声で挙げました。

本日は早昼を食べてから和(なごみ)に行き、岐阜県健康福祉部主催の『人材』をテーマにしたリモート会議に参加させて頂きました。何故、和(なごみ)で参加したかと言うと会議終了後吉澤施設長の運転で16時までに岐阜市黒野まで行かなければいけなかったからです。リモート会議では地域福祉課、高齢福祉課、人材センターの説明があり、その後は意見交換の場になり、座長の中部学院大学の飯尾教授が私が途中で退席するからと一番に意見を言うように計らって下さったので、しっかりと意見と質問をさせて頂きました。終了予定は15時だったのですが、15分だけ早く退席させて頂きました。結果的には16時よりもかなり早く行けたのですが、待ち合わせをしていた方は既にみえていたので予定よりも早い時間から話が出来ました。17時30分に本部施設に帰ると亡くなられた方の家族の方が会議室にみえたので急ぎ会議室に入って行くと家族の方(亡くなられた利用者さんの娘さん)が私に向かって「若山さんですか」て言われたので、事前に吉田部長から利用者の方も娘さんも滋賀信行会の信者さんだと聞いていたので、「四国八十八ヶ所で一緒でしたか」と声をかけると「若山さんは当時大学生で私は高校生でした。」と言われたのてすが45年以上前の事でしたが、その当時の記憶が蘇ってきましたが、私はあの当時痩せていたので面影すらないでしょう。と正直に話をすると本当ですねと返されてしまいました。その後は今後の予定についての相談に乗ったのですが、その中で「亡くなってからお風呂に入れて頂けたのは有り難かった。」と言われたので「当施設では当たり前にさせて頂いてます。」と話をしました。19時前に葬儀やさんの車が来たので19時からの全体会に殆どの職員がいたので大勢で玄関先で見送る事が出来たので、私は「四国八十八ヶ所に何度も参加されている方だから、みんなに見守られながらの対応になるのかと肝心しました。本日もとりとめのない話題になりましたが22時を回りましたのでお許し下さい。

朝食を食べて休憩する事なく施設に行きました

令和4年2月23日

8時過ぎに施設に行ったのですが、あいからわず雪が降っていて、走り辛い事この上無し。後6日で3月だと言うのに春はまだまだ遠そうです。事務所で書類の整理をしていると、先般亡くなられた方のお身内の方が手続きに来て下さりご挨拶をして、荷物を車に積まれるのを確認して車を見送り、事務所に戻ると9時30分に約束をしていた業者の方が見えて来年度の機械設備の計画の打ち合わせをして、終了したタイミングでデイサービスを利用している方が奥さまの荷物の確認に同席して欲しいと言う事で立ち会っていると、新館からお参りの準備が出来たと言う事で事務所に戻りおりんだけ持って新館に急ぎ、先ずは1階でご挨拶をした後、お参りの導師をさせて頂きました。

家の仏間でのお参りよりはしっかり声が出ていたので「入居者さんから元気を頂いている。」と感じました。正信偈とお文さんを唱えてから般若心経を唱えて、お経が全て終わってから少しお話をさせて頂きました。その話とは「昨年末から断続的に雪が降っていて屋根は前に降った雪との間で段差が出来ているが、必ずや春がきます。雪が溶けて土が見えてくると黄色い花である福寿草が顔を出します。」と私にとって、花と言えば『菊』『ひまわり』『菊』くらいしか知らない私が『福寿草』とは、私にとっての異変が起きているのか。新館1階で続いて2階でもお経の後のお話は同じ事を話しました。

ちなみに13時30分からのデイサービスでも同じ事を話しました。3ヶ所のお参りを終えて本当に元気を頂きました。私が改めて思ったのは「自分一人で生きているのではない。みんなの理解があって生かされているのだと・・・。14時30分に 3施設の施設長と事務方のトップが集まり月次報告と決済をして、14時30分からは処遇改善の方向性を社労士の先生にも入って頂き検討しました。出来るだけ経験年数の若い職員に手厚くなる仕組みを検討しました。検討を終えて社労士の先生が帰られてから私自身が理事長としての読みが甘かった事を正直に話をすると、異口同音に「力を合わせて今の苦難に頑張って対応していく」と言ってくれたので、会議前のモヤモヤな気分が晴れたように感じて、次への戦略についても明確になり、打ち合わせを終えてからの対応もてきぱきと行う事が出来ました。

もちろんこれからも苦難は一杯あると思いますがみんなの協力を得て解決していきたいと思います。それと、私宛に宅急便が届いていて、中を開くと手紙が添えてありろうそくと念じゅが入っていました。手紙の中身のなかで「コラムに眠れない」「ろうそく」と書いてあり、尚且つ「私も4時30分に起きて写経を毎日書いていて一年になります。」と書いてあり、私は「私以上に強い意志を持っている方がおみえになることを知りました。リピーターの皆さん。こんな激励の仕方があるのに感謝です。素直に話が出来たし、みんなが協力していくと言ってくれたので、久々にゆっくり眠れそうです。

『ホワイトアウト』と言う言葉をしりました

令和4年2月22日

北海道の雪のニュースの中で私にとっては耳慣れない(聞きなれない)『ホワイトアウト』と言う言葉を聞き、興味を抱き少し、インターネット情報を調べてみました。先ずは『ホワイトアウト』を日本語に置き換えると『白い闇』と言う言葉が当てはまるそうです。私は『闇』と言えば『真っ暗闇』しかイメージ出来なかったのですが『白い闇』もありなんだと思いました。私も先般の道路からはみ出し田圃の土手にはまったのは文字通り『白い闇』つまり、『ホワイトアウト』の現象だったと言う事なんだと思いました。

(インターネット情報です。)1.気温が低くて風が強いとき・・・「気温が低く雪がパラパラとしていて舞いやすいときに強い風が吹くと、雪が車のドライバーの目線の高さまで吹き上げられ、視界が奪われます。」2.道路の雪堤が高くなっているとき・・・「風はそれほど強くなくても除雪で道路脇に積まれた雪堤が高い場合は、その雪堤から吹き出す雪で視界が悪くなると言うことです。」3.周囲が開けた平地にある道路・・・「周囲が開けた平地にある道路では吹雪を遮る建物や樹木が少なく、強い風が吹くと大量の雪が吹き込んできます。」とありました。そして札幌市にある研究機関・寒地土木研究所によりますと。「長さ200メートル以上の雪原があると地吹雪によって吹き込む雪の量が多くなるということで、畑や水田、牧草地が広がる平地にある道路は特に注意が必要です。」とありました。

この情報を見て、「私が遭遇したのも同じような状況だった。」と思いました。私が道路から大きくはみ出して右側の田圃の土手を乗り越して車がにっちもさっちもいかなかった時が正にそうでした。その時は運転席から何とか車の外に出て少し雪が小降りになりしみじみ思ったのは「何でこんなところに車を突っ込んだのか」と言う事でした。そしてつくづく思ったのは自然の力は想像以上に凄いと言う事です。そして、「怖い」と思ったら運転しないに越したことはないとも思いました。特に私は両目共に白内障の手術をしていて尚且つ右目は『網膜剝離』左目は『黄斑円孔」の手術もしているので、他の方以上に見にくいのだと思います。そしてよ~く考えてみたら先程の3つの視点が全部揃った状態だったわけだから・・・。

基本的には吹雪の日は施設への運転は控えたいと考えています。だって、国道21号線から施設に向かう道路は田圃を縦断する形での真っすぐな道路で田圃には「これでもかー」と言う位に雪が積もっているし、運転をする時の目線以上に道路の両サイドには雪があるので・・・。

只今は14時30分ですが施設のガラス越しに外を見ると雪が深々と降ってます。そう言えば昼食の検食をした伊藤係長が昼食案内の放送の中で「春の訪れが聞こえてきます。」と言っていたので、放送を終えた伊藤係長を捕まえて「雪がしっかり降っているのに、何が春の訪れなの。例えば雪の間から福寿草が芽を出したと言うのならわかるけど」と言うと「大垣では結構春めいていますから」と言われて思わず絶句です。リピーターの皆さんは本日は取り留めのないお話をしてしまいましたが、雪の為に外に出ての活動が出来ないものですから明日が良い天気であれば、もう少し活動的な事をかきます。

 

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午前9時半から和合で会議があります。

令和4年2月21日

我が家がある、関ケ原町今須門前では、朝から雪がしっかり降っていたので8時15分には家を出たのですが、国道を走っていて私は後ろに車がピタッとついたとしても『安全運転』です。但し、本日は私以外の車も慎重運転でした。途中不破郡内では一番価格が安いと思われる垂井町内にあるセルフのガソリンスタンドで給油をしました。その時にガソリン価格の表示を見ると『159円』だったので、「今どき凄い」と驚いてしまいました。ちなみに私の車はディーゼル車で軽油なので『135円』でした。(リピーターの皆さん経済的だと思いませんか)

垂井町を抜けて大垣市に入り暫くすると青空がのぞき気温もグッと上がってきたように思いました。(家を出た時にはマイナス2℃でした。)9時30分から優・悠・邑 和合で『戦略会議』があり、幹部職員の提案に対してしっかりコメントをさせて頂き10時半から夜勤看護師の面接が入っていたのですが、会議が15分延長したので、急ぎ理事長室で佐藤施設長と若山副施設長と私の3人で行いました。本日の面接者は和合の立ち上げ時の介護職員で子どもさんが自分の事は出来る年齢になり、若い頃の夢であった看護師を目指して准看護師資格を取得(合格発表はまだだとのことですが)して、この4月から看護師学校に入学するので、8時30分から12時までの勤務と状況が理解出来た段階からは夜勤を希望されての面接です。質問に対しても意欲的に答えられ、なるべく早い時期からの勤務を希望されているので、その場で内定を出しました。

面接を終えたのが11時15分だったので急いで本部施設に帰る事にしたのですが、和合の施設に着いた時には青空だったのに雪がしっかり降っていました。本部施設に向けて車を走らせているとますます雪が激しくなって来て、関ケ原町の交差点で停車している時に本部施設から「夜勤者からの情報で、国道21号線の山中からの(マニアックな話題ですみません。)峠に大型車が10台程立ち往生していて西方向は渋滞しています。」との連絡を貰ったので連絡してくれた職員から改めて私に連絡を貰うと、『大周りをしてでも待っているよりは早いと思います。』との事だったので、関ケ原中学の入り口から旧道に入り365号線まで戻り国道から、地元の方しか通らない山越えの道に雪は20㎝程ありましたが、ゆっくりゆっくり走りました。(殆どはセカンドで走りました。)いつもなら、10分程度のところを25分はかかりましたが事故をすることもなく走り切りました。

但し、施設に行く為の道路からは、先般雪の中で横道に突っ込んだ時と同じ様に道と雪との境がわからないような状況に『ディジャブだ』と思いながらも道路の脇に立ててある棒を頼りにゆっくりと走り、結局、倍近くの時間がかかりましたが何とか本部施設に着くことが出来ました。しかしながら、この雪はいつまで降るのでしょうか。リピーターの皆さん、雨を無しにするのは『てるてる坊主』ですが、雪は何でしょうか。ご存知なら教えて下さい。

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自責の念で一杯ですが、良い方向になる様に頑張ります

理事長としての判断ミスで今は押しつぶされそうで、昼間は仕事があるので比較的安定しているのですが、夜一人になり寝ついたと思うと、頭の中に色んな思いが交差して寝とれませんので本日も午前3時30分から仏間に籠りました。仏間に入り、一生懸命にお経を唱えていると何故か睡魔が襲ってきて・・・。かつての私の虚弱体質だったら一発で高熱を出すところなのですが、緊張感が半端でないのか、責任感の賜物なのかは定かでありませんがこの様な状態が10日以上続いてます。

本日の朝食は食欲が沸かずに食べる事が出来なかったのですが、7時から1時間ほど眠る事ができたら、気力が沸いてきました。気力の源は「今、理事長として出来る事を精一杯やる事」と言う至ってシンプルなものですが、施設に行き私を含めて3名の幹部職員と色んな話をして、ぼんやりしていた頭がすっきりとして、お陰様で能率よく文章をまとめる事が出来ました。寝不足で頭が逆に冴える事もあると改めて理解しました。お陰様でかなり気力が湧いてきたので昼食は美味しく頂く事が出来ました。

昨日のコラムを確認していて大谷徹奘師の言葉についてコメントしていたにも関わらず、カレンダーの言葉も写真も掲載されていなかったのでリピーターの皆さんは「なんのこっちゃ」状態だったと思います。(冴えてない時はこんなもんなんです。)改めて昨日の大谷徹奘師の言葉は『覚悟のない道は行き止まる』です。・・・リピーターの皆さん御免なさい。言葉は書いてありました。やっぱりまだまだ冴えてないですね。でも、写真が添付してなかったので本日載せさせて頂きました。

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そして本日の大谷徹奘師の言葉を見て思わず絶句です。その言葉とは『成功のカギは「予」のつく言葉 予習・予測・予備・予定・・・』とありました。全く大谷徹奘師の言葉には『ずきっ』ときました。今回の失敗を糧にして頑張ります。

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さて、話題をガラッと変えて北京オリンピックのカーリング女子の決勝戦の話題をします。日本は残念ながら決勝戦にはイギリスに敗れて2位になりました。ある番組では世界のランキングで日本が7位でイギリスが8位。前回のオリンピックで3位決定戦でイギリスに勝って銅メダルだったので勝ちますよ。と司会者が言っていたとのこと。確かに日本が金だったら嬉しいけどオリンピックはそんなもんではないですよね。もしそのような結果になるのならば前回の結果が全てになってしまう。しかも日本は準決勝進出を諦めていたところへ韓国が負けた事によって準決勝進出が決まり、予選の最終戦に負けた予選1位のスイスとの対戦だったのですよ。結果としては予選1位のスイスは4位に終わったんですよ。勝負ごとに「あの時は上手く行った」とか「あの時はだめだった」と言いうのはあり得ない事。やっぱりオリンピックは特別なものなんだと思いました。リピーターの皆さんはどのように思われますか。

仏間は特別な空間だと思います。

午前4時前には若宮八幡大神様と仏壇の水かえとろうそくと線香に火を点けて、正信偈と般若心経を唱えてからウォーキングマシンに乗り般若心経を30分間歩きながら唱えました。我が家で一番長いろうそくと2番目に長いろうそくが燃え終わるまでには30分のウォーキングマシンだけでは終わらなかったので再び仏壇の前で般若心経を唱えました。そして改めて「やはり仏間は凛としていて、自分をさらけ出せる場所だな」と思いました。

丁度6時の関ヶ原町の広報がなり、仏間を出て、ジャンパーだけ羽織り玄関先の雪を少しでもどけようとしたのですが6時の段階の温度はマイナス5℃でツルツルのバリバリ。雪をどけるのは諦めました。朝食を食べた後、施設に行き、事務所内にある薬師寺の大谷徹奘執事長のカレンダーの本日の言葉を見て、「今の私に贈る言葉としてはピッタリだ。」と思うと共に、改めて「仏様はよく見て頂いているな」と思いました。その言葉とは『覚悟のない道は行き止まる』と言うものでした。正に今の私が置かれている状況を言い当てていると言えます。今の状況を作り出したのは理事長である私なのだから現実から逃げる事なく問題を解決すべく根回しをするだけです。確かに厳しい状況ではありますが、今までの努力やそれに付随したネットワークを駆使した展開をして、皆さんに協力と理解を得た展開をしていきたいと考えています。

本部施設のある関ヶ原も大垣の和合も地域に寄り添った展開が出来ていて、職員もそれぞれに頑張っているのだから中心者である私がウダウダしていては洒落にならないので、私の生きざまを信じて頑張ります。昼間はこのように考えれるのですが、夜寝てから目が覚めると色んな事を考えてしまい眠れなくて困ってしまうので、眠れない時は仏間に閉じ籠って自問自答しながらご先祖様にお願いしてます。リピーターの皆さん。これからも宜しくご支援を下さい。お願い致します。

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