2021年11月の記事一覧

独居で家に閉じこもっている方の生活を推察します

令和3年11月20日

今週はたくさんリモートによる会議や本部施設での打ち合わせがあり、インフルエンザの後遺症から何とか抜け出して(左腕はまだ腫れていますが)元気に飛び回らなければいけないのに、ガラケーの携帯の機能による万歩計の数値が伸びないのです。(なかなか本題に入らないのが私の真骨頂。これは尊敬していた井上ひさし先生の影響か、それとも私の能力のなさか。多分、後者だと思いますが・・・。)数字を列挙して本題について論じてみます。

11月11日はインフルエンザの予防接種を受けた日ですが、その日の歩数は6720歩です、これは予防接種をして頂いた日なので朝のウォーキングで3000歩を稼いでいたので妥当な数字です。12日は1754歩しか数字が出ませんでした。これは朝のウォーキングは無しで本部施設のフロア責任者会議と優・悠・邑 和(なごみ)の会議のみの対応。13日は2278歩で、午前中に来年3月に介護専門学校を卒業する方の面接とそれに引き続いての決済のみに出掛けたのみの数字です。14日は1253歩しか歩けてなくて、15日は全国老施協総務・組織委員会が午前中にあり、16時からは18時からの花火の打ち上げの為にウロウロしていた為か4043歩は歩けました。16日は午前中にOKBふれあい会館に市長会事務局及び町村会事務局へ挨拶に行き、その後岐阜県福祉会館へ移動して岐阜県老施協正副会長・委員長会議に出席をして終了後は優・悠・邑 和合に移動して昼食を頂いた後は幹部会に出席をして場所移動こそありましたが歩数は3413歩でした。

次の日である17日は最も酷い現象で午前中は全国老人福祉施設協議会による四国ブロックの役員懇談会、午後は全国老人福祉施設協議会正副会長委員長がいずれもリモート会議で行われ、地元の『やすらぎ』での会議があり、頭の切り替えは大変でしたが歩数は1366歩でした。流石に17日の歩数には考えさせられるものがあり、前日の内に決心をして朝のウォーキングを再開したのと午前中に岐阜市に介護労働安定センターでの会議があり、13時30分から東海北陸ブロック正副会長会議が行われ、終了後は社労士の先生との打ち合わせをしたこともあり18日の歩数は5634歩でした。19日も朝のウォーキングをしたのですが10時30分から16時過ぎまで全国老人福祉施設協議会臨時常任理事会があった関係からか4877歩に留まりました。今朝も朝のウォーキングをして今現在(16時)の歩数が4419歩です。

本題の結論に移ります。リモート会議は移動がなく仕事としてしているのですが、体の動きにはつながらないので体調を管理するのには最低でも朝のウォーキングは欠かせないものだと思いました。そう言う意味では独居で家に閉じこもっている人を如何に外に出て貰うかを当法人の機能を有効に活用して提案して実践していく事をしていく事も地域貢献になると今回の出来事から思いました。リピーターの皆さん私は改めて無駄な事は無いと理解しました。

 

ようやく、通常の生活に戻りました

令和3年11月19日

11月11日にインフルエンザの予防接種を打って、元々虚弱な私は(自慢して言う事ではありませんが・・・)37度前後の熱と打った方の左腕がぼんぼんに腫れて、それでも必要最低限の対応はしていたのですが、流石に4時50分に起きてのウォーキングとお経は出来ず、昨日からようやく4時50分のアラームによる行動開始を復活させて、本日もすんなりと4時50分のアラームでの生活に戻ることが出来ました。ただし、昨夜はあまり熟睡が出来なかったのですが、頑張りました。

そしてつくづく思うのは「私がこんなにも頑固な人間だったかな」と言う事です。「体が虚弱だったように精神面も軟弱な人間だったのに」と思うと改めて、17歳で母親替わりの姉光子が他界した試練と26歳で児童養護施設に縁を頂き、世の中の厳しさと楽しさを知って人生が変わったと考えています。そう言う意味では理不尽な経験をブラス思考で頑張って来たことにより今の私があると言っても過言ではないと言えるのかも知れません。

昨夜の眠りが浅かった性か頭が重い感じでしたが、10時30分からリモート会議で全国老人福祉施設協議会による臨時常任理事会があり、時間に間に合わないのではいけないので9時からの歯科診療予約の為に早くに家を出たので8時40分に着いたので当然のように一番に診て頂き、10時には施設に着いて自分の椅子に座った瞬間に「資料がない」と言う事でパソコンの画面でメール受信の画面を見ると昨日は忙しくて確認していなかったのでびっくり。10件以上きているのです。

目的の画面を開き印刷をするとこれまたびっくりです。150ページにも及ぶコピーになりました。印刷を終えて再び椅子に座りIDとパスワードを入れると10時25分で既に画面に入られている方にご挨拶をして「ほっ」とすると会議の宣言がなされ平石会長の挨拶に続き会議が始まりました。一つ目の議題がしっかりとした討議が必要なものだった為に午前中しっかりかかり12時過ぎに昼食休憩になり急いで食事にしました。12時50分に再びリモート画面に入ると既に雑談のような話がされており私も乱入することにしました。

13時になり会議が再開され14時45分にこの会議は終了して、この会議が終わるのを待っていて違うメンバーも加わった会議があると言う事で一旦14時55分に再び事務局が退出して新たなメンバーが加わり再開されるとの事でしたが私は画面を切らずに何人かのメンバーと雑談して再開まで待ってると、時間になり会議が再開されました。結局リモート会議は10時30分から15時40分までの長時間になりました。会議が全て終了してから、会議で課題になった事で直ぐにでも対応出来る事を電話連絡をしたりして一日の出来事を終了しました。リピーターの皆さん。施設の対応以外の事を一日中出来るのは職員が頑張っているからと改めて『感謝』です。もちろん何か問題が起きたら直ぐに頭を切り替える覚悟はありますよ。

父進と祖父春吉のDNAを間違いなく受け継いでいます

令和3年11月18日

私の父進は戦前に新聞配達等をしながら(いわゆる苦学生)師範学校を卒業して教育者としての道一筋の人生を歩み、60歳で自分が卒業した垂井町立垂井小学校の校長を退職してから引き続き垂井町教育長を勤め、後進に委ねた後は関ヶ原町歴史・民俗資料館の設立から初代館長を勤めて、館長を辞した後も指導員として80歳で他界する(8月12日)年の6月22日に入院した日まで古文書を読んだり解読したものを書き写したりしてました。父進の後半生は脳梗塞で入院する事が度々でしたが、同居していた私には症状が悪化する前兆が分かったので、極端な形で救急車を呼んで入院するような事は一度もなかったように記憶してます。

前兆を具体的に言うと①真っ直ぐに歩いているつもりなのに真っ直ぐに歩けなくなる。②いつも整った字を書いているのに下手な字しか書けなくなる。の症状が現れるのです。そんな症状が現れた時には大垣市民病院に連れて行くと入院治療の点滴で治して頂いた事が何度かありました。父進のDNAの内『勤勉』と『几帳面』は残念ながら受け継ぐ事は出来てませんが、『仕事優先』のDNAは引き継いだようです。これは姉春子さんから聞いた話ですが(6歳だった私には覚えがないのですが)昭和34年の伊勢湾台風の時には父進は赤坂小学校の教頭として、「学校が心配だ。」と言って、母秋江さんと私を含めた子供3人を母秋江の実家である祖父春吉の家に送り届けて、自分は雨が降る中自転車で赤坂小学校に行ったと言う逸話があるのです。

この一つの逸話だけでは無くて一杯あるのです。父進にしたら決して家族を蔑ろにしているのでは無くて父進なりの使命感からの対応だったと思います。だったら息子である私はと言えば、嫁さんを旅行に連れていくわけでもなく、家の事は殆ど嫁さんに任せて、私の都合で朝食の時間も決めるし見方によっては傍若無人の対応です。しかしながら、「地域福祉の為に頑張っているのだから」と納得して貰っているのです。

次に母方の祖父春吉の話をします。春吉じいさんは今風に言えば今須では珍しい職業であった相場師だったようです。大きく儲けては養老町の有力者との共同出資で『高田劇場』なる映画館を作ってみたり、垂井町で当時としては大規模な工場を作ってみたりと言葉を選ばずに言えば殆ど博徒に近いやり方だったようです。社会福祉事業は博打のようには出来ませんが、『無謀だ』と言われる事を成し遂げてきたのは春吉じいさんの思いきりの良さを受け継いだのかも知れません。そして祖父春吉と私に共通にある存在は仕事を支える奥たまがいるのです。

祖父春吉の奥たまは私にとっての祖母『おますばあさん』です。おますばあさんは春吉じいさんが家にいない時に、或いはおお負けした時の為に家で機織りの仕事を経営していたのです。それでは私の奥たま『かをりさん』は我が儘一杯の私が家にいないときに養母英子さんのいびりをものともしないで私を信じていてくれた。つまり、底抜けの信頼を持っていてくれている。リピーターの皆さん。本日は昼食の味噌ラーメンを丸飲みにしなければいけない位に忙しかったのでお許し下さい。

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昨夜は余り眠れなくて改めて昨日のコラムを読んでみました

令和3年11月17日

昨夜は長男夫婦との話し合いがあり、私自身色々と考えなければいけない事や考え方を変えなければいけない事等を夜中にずっと考えていてうつらうつらとしか眠れなかったし、無理矢理眠るのにも疲れたので4時過ぎから今後のスケジュールの確認等をしていて、ふと昨日のコラムを読み直して見て余りにも誤字や脱字では無くて余分な文字が入っていたりして(この現象は携帯のシステムによる間違いです。とは言え確認しない私のミスなのですが)いつも私が言っている『確認が大切』を自分自身が出来ていないことにますます落ち込んでいます。私の生き方が勢いだけではいけない事の証だと痛感して、ますますブラックホールに入っていきそうです。

ボーッとした頭では有りますが本日も午前中に全国老人福祉施設協議会による四国ブロックの役員さんとの懇談会がリモートで10時からあり、13時30分からは同じく全国老人福祉施設協議会による正副会長委員長会議が16時まで行われ16時からは関ヶ原町の会議があるので少し遅れてではありますが会議が開催される『やすらぎ』まで急ぎ行く予定にしています。こんな風な毎日を送っているから「家庭を軽んじている」等と言われるのだと分かってはいるのですが『自分で決めた生き方』を今更軌道修正出来ないから・・・。

いやいや今から軌道修正すると多くの方に迷惑がかかるからそれも出来ない。やっぱり突き進むしか私には選択肢が無いのだと自嘲気味に考えています。一時『健康管理の一貫だ。』と言って、打ちっぱなしのゴルフに度々行くようになり、その流れの中で生まれて初めて養老カントリーでのゴルフを楽しんだ事がありました。その時は「メッチャ楽しくて」最高に気分がハイになってゴルフの後に飲みにも行き意気軒昂になりました。お酒も入った段階で一緒にゴルフをした方から「次はいつにしようか」と言われて私は一辺にお酒が抜ける思いでした。と言うのは次の日程がことごとく合わなくて、しかも、私のスケジュールは殆ど空いていないのです。

生まれて初めてコースに行った時は「若山さんの都合が空いているのならこれから行こう」的な形で行ったので行けたのですが、私の場合は「お約束をしていても何が仕事が入ったら仕事を優先してしまい多分誘って下さった方に申し訳ない事になってしまう。打ちっぱなしのゴルフなら一人でも大丈夫だけれどもコースを回るとなるとそんな分けにはいかない」と考えて、それ以来、打ちっぱなしも含めてゴルフは一切辞めてしまいました。

こんな生き方しか出来ない私は他の方からは「ばかじゃないの。もっとゆったりとした生き方をしたら」と言われてしまいそうですが、仕事中心の考え方しか出来ない私ですから。「そんなんで何が楽しいの」と言われそうですがリピーターの皆さん。決してそんなことは無いのですよ。だって私が今の事業をさせて頂いてあることによってたくさんの笑顔を見させて頂いたし、感謝の言葉も頂いたから。決して格好を付けてでは無くて本当にそう思っています。それに一生懸命にさせて頂いていると時には素敵な時間も取れるし。私はこれでも幸福者と思って日々感謝なのであります。

朝から大車輪です。

9日時にOKBふれあいセンター内にある町村長会事務局へ22日に盲養護老人ホーム和(なごみ)の説明をする時間を頂いたので、事前資料を届けに行き、9時30分のお約束で市長会事務局へも説明依頼のお願いに行く事になっていたので、朝食を6時50分 から頂き、背広に着替えて車に乗り出発をしました、若干渋滞をしていた所がありましたがそれなりには走る事が出来たのですが、瑞穂市に入ってて、あと2、5キロになった所でぱたっと停まってしまいその時の時間が8時20分だったのですがナビゲーションの到着予定時間が9時6分を示したので私はその時には真っ青になってしまいました。「だって約束の時間に着かんじゃないですか。脇道にそれる知識もないし。」こんな時は1分が長く感じるのは不思議です。と同時に「もう30分早く家を出れば良かったのに。私は何をモタモタしていたのか」と自分を叱責するしか無いのです。極端なノロノロが15分程続いたのですが、その後はそれなりに走れて結局8時45分には駐車場に着き合流する事になっている所に着いたのが8時55分で既に吉澤施設長は来ていて、間も無く坂口顧問も合流する事が出来たので先ずは町村会事務局で資料をお渡ししてから隣にある市長会事務局へ行き事務局長さんと次長さんに名刺交換をした後、和(なごみ)についつ熱く語らせて頂きました。最初は「法人の説明をする時間を作る事は出来ない。」の一点張りだったのですが、私が色々と話して行く中から「県庁の担当者の方から話をして貰う事は可能だ。」との言質を頂けたので、高齢福祉課に改めてお願いに行く段取りをつける事にして、お礼を言って退席しました。その後は10時30分から開催される岐阜県老人福祉施設協議会正副委員長会議に参加する為に岐阜県福祉会館に移動しました。12時までの予定の会議は12時40分までになり、急ぎ和合の施設に移動して、事前にお願いしてあった昼食を(メインはカレーライス)慌てて食べて、13時30分からの幹部会に挑みました。会議では幹部職員の提案を聞いた後で私がコメントをする形で進めて行き、14時50分に終了して、部屋換えをしてショートステイ利用者の方と共にお参りをしました。月に一回の催しですが皆さんのお経をあげる声が大きくなってきたようで嬉しくなると同時に私自身も気合いが入りました。お経が終了後は直ぐに垂井町役場高齢福祉課に行き和(なごみ)の件で担当係長さんと打ち合わせをしました。18時30分からは長男夫婦との話し合いがあるので、今は(午後6時19分)は遅くなるとコラムを打つのが厳しくなるので、必死にコラムを打ってます。リピーターの皆さん。頭の切り替えは大変ですが公使ともに頑張っている事をご理解下さい。

地元大垣の花火製造元のご厚意で施設の近くの田圃で花火を打ち上げて頂きました

令和3年11月15日

本日は11月15日ですので、花火の計画を花火製造元の社長さんから話を頂いた時には正直「寒かったらかなわんな。」と言う事が一瞬頭をよぎったのですが、無償でして頂けるので、安全な場所の確保と地域の方々の理解を得て貰えればやって頂けるとの事で最初に話を持って来て頂いた関ヶ原町商工会青年部の方に通行止めの許可申請等の手続きもして頂き、私は田圃の所有者へのお願いをするだけで良いとの事で、しかも田圃の所有者は当法人の職員ばかりですんなりと話が決まり、後は地元住民への了解を得る為に今須地区長さんにお願いに行き4地区の住民に企画書を作成して区長さんに各戸配布をお願いする事のみ私がさせて頂きました。各戸配布をして頂いた中で予想以上の反響がありました。そして本日が本番でした。

本日は10時から12時30分まで全国老人福祉施設協議会による総務・組織委員会があり私は担当副会長としてリモート会議に参加しました。総務・組織委員会では会員の入会促進が大きな使命で密度の濃い話し合いが出来、私もしっかり意見を言う事が出来ました。会議が終了して、ゆったりと昼食を頂いた後は、花火の打ち上げ準備に16時には来て頂けると聞いていたので何と無くソワソワした状態だったのですが、色々と手伝って下さる方にせめておにぎりやパン位は食べて頂こうと買い物に行ったりしていると16時を向かえ、関ヶ原町商工会青年部会の世話役の方が(と言っても色々と施設の仕事をして頂いている方です。)施設に来て頂いたので花火を上げる予定地に歩いて行くと既に花火を上げて頂く方がみえたのでご挨拶をして花火の準備に取り掛かって頂きました。

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17時には通行止めの役割を担って頂く方も来て頂いたので準備したパンとおにぎりと温めておいたお茶を感謝の意を持って配りました。17時30分を過ぎると子供達の元気な声が多くなり施設の大駐車場にもどんどんと車が入ってきて、それと同時進行で施設の入居者さんも本館1階、2階、新館1階、2階の窓越しのギャラリーも一杯になり18時丁度に大きな音と共に大きな花火の輪が綺麗に頭の殆ど上に上がり感動しました。その後は65発の花火が順次上げられ最後には最高に大きな花火が上がりました。

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「わずか10分、されど10分だった。」と感じました。この2年近くなかなか元気を頂くワクワク感動を得る事が出来なかったのですが、地域の方々の為にも勿論入居者さんの為にも素晴らしい企画が出来たと思いました。そして何より風もなくて、心配していた寒さもなく出来たのは良かったと思います。リピーターの皆さんの中で本日の花火の為にてるてる坊主を作って下さった方があったのなら本当に感謝です。

 

藤井、最年少四冠に思う

今朝の岐阜新聞一面のトップ記事で副タイトルは『19歳3ヶ月、竜王を奪取』。『四冠を達成したのは史上6人目でこれまでの最年少は1993年、羽生善治9段の22歳9ヶ月だった。将棋界は藤井新竜王、渡辺明3冠=名人、棋王、王将(37歳)豊島前竜王、永瀬拓矢王座(29歳)の4強と言われていたが、若き四冠保持者が一つ抜け出した格好だ。』との書き出しに私は「とんでもない19歳3ヶ月だ」と思うと同時に、将棋など全く無縁で興味がない私でも30年程前の羽生さんの偉業については記憶にあるので「これは大変な事何だ」と思いました。今年度中に5冠の可能性もあるとも書いてあり、どこまで記録を伸ばすのかは将棋など全く興味がない私でも気になるところです。藤井竜王の記者会見で『身が引き締まる思い。将棋はどれだけ考えても分からないものではあるが、指すごとに新しい発見がある。今後、精進してこれまで以上におもしろい将棋をお見せしたい。』のコメントには19歳3ヶ月の若者のコメントではないし、私はその頃何をしていたのかと考えると恥ずかしくなってしまいます。尚且つ最後に『竜王の重みを感じるし、それにふさわしい将棋を指していきたい。これまでと換わらず、強くなることを目標に捉えて取り組んでいきたい。』には思わず絶句です。19歳3ヶ月と言う考えられない早さでの四冠達成だから記事にもなるのかも知れませんが、人はそれぞれだから・・・。

私は今、68歳ですから藤井四冠とは50歳近くの歳の差がありますし、生き方も違うので比較する事は出来る事ではありませんが、私は私での役割があるのでその役割を全うしていきたいと考えています。

11日の日にインフルエンザの予防接種をして、4日間もあまり体を動かさず最低限しなければいけない事しかしなくて、ある意味だらだらとした生活をして改めて理解したのは『寝てばかりいると腰が痛くなる。』と言う事と『動かないでいるとますます動けなくなる。』と言う事です。だらだらした生活をしたからこそ、ばりばりとした生活をした事によって、明日からの過密で過激なスケジュールにワクワクしてます。ただし、これは健康であればこそで奈良薬師寺の執事長の大谷徹奘師の講演をパクった言い方をすれば、『病気をして初めて健康の有り難さを知る』と言う事なのでしょうか。リピーターの皆さん。布団の中での生活の中で視野が狭くてコラムの中身も狭いものになってしまいましたが明日からは体調も良くなってきたし、明日からのコラムも期待して下さい。(自分でプレッシャーをかけてしまいましたが、これが私の生き方なので、まっ言いか)

インフルエンザの報告です

令和3年11月13日

11月11日の介護の日の12時過ぎに私も入居者さんや職員に交じってインフルエンザの予防接種をしました。以前に腕がボンボンに腫れて39℃近くの熱を出し大変な思いをしたので、「今回の予防接種はスルーしようか」とも思ったのですが、「コロナ感染症の関係があるので頑張って打とう」と言う事で多賀先生に相談すると多賀先生が打ちながら「ナンマイダブ、ナンマイダブ」と真面目な発想なのかどうかはわかりませんが、とにかくインフルエンザの予防接種をしていただき「これからが心配」と思うと共に腕に少しでも異変を感じるとイライラとして・・・。11日の夜も12日の夜も37℃前後の熱で本日は3日目になるのですが朝起きると頭が痛くて10時30分からの介護専門学校の来年3月卒業予定の50代の男性の面接と盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の事務長の決済と14時30分からの社労士の先生との打ち合わせと言う必要最低限の対応だけさせて頂き、それ以外の時間は家でゆったりと過ごさせて頂きました。基本的には私がゆったりと過ごすのはこんな時だけだと自重気味に思いましたが「趣味が仕事だ」と言っているので当たり前なのかも知れません。さて、インフルエンザの予防接種の話はここまでにして、本日面接をした50代の専門学校生の話をします。面接の打診の為の連絡を受けたのが理事長である私自身だったのでその時の電話のやり取りをしっかり覚えています。そのやり取りとは、「介護福祉の専門学校を来年3月に卒業するので出来たら和合の採用試験を受けたいのですが受け付けていますか。」との事だったので「施設見学はされましたか。」とお聞きすると「外観は見させて頂いたのですが、施設内はまだです。」との事だったので「一度和合の施設に連絡をして見てから採用試験を受けるかを決められたらどうですか」と言うと「そのようにしますが、私は50歳を過ぎているのですが大丈夫でしょうか」との質問が返ってきたので「今でも65歳が定年の規定ですが近い将来に70歳定年にしたいと考えていますし、現に70代の方も80代の方も元気に働いていますよ。年齢では無くて優しさと一生懸命さがあれば大丈夫ですよ。」と話をして、「どんな対応をされるかな」と思いながら受話器を置いたのですが、翌日には和合の施設見学の為の連絡がきたので面接日を決めたいとの連絡が和合の副施設長からきたので「意欲的だな」と思い本日面接となりました。面接の時も年齢の事を気にされていたので改めて優しさと一生懸命が大切と話をしました。拘られる理由を引き出しました。それは10年以上前にハローワークで介護職を希望したら「採用はたくさんありますが、年齢が高い方は直ぐに辞められる。」と言われて諦めた事があったとの事でした。話の流れがわからないのでハローワークの方を一方的に批難するつもりはありませんが、確かに離職率が高い事は歪めません。しかしながら今回の場合は専門学校まで行って専門職を目指されたわけだから、本日の内に採用通知を送付しました。リピーターの皆さん。当法人の考え方をどう思われますか。

何もしないで寝ているのは『拷問と同じだ』と感じてます

昨日のコラムで書いたように、インフルエンザの予防接種を打って頂き、高い熱を出した前科があり「ゆったりとしていた方が良い」と考えて、昨日は14時前には帰らせて貰い(最初から予定が入って無い日を選んだので)家に帰ったものの何もする事が無いので寝る体制になる為に着替えをしてベットに横になり「久しぶりに半沢直樹のビデオでも見よう。」と見ていて、不思議な事に10分もすると眠りについていて、16時30分頃に携帯がなっているので慌てて目を覚まし携帯に出ると「明日にでも病院にお連れしたい方がある」との連絡で「早くの対応をするには私が対応しなければいけない。」と外出着に着替えて出掛ける事にしました。

と言うのはその方は生活保護の方なので新たに病院にかかるには『医療券』が必要なので、元の住所の垂井町で手続きが必要だったのです。垂井町高齢福祉課の係長さんに直接連絡を取ると18時15分までは対応出来ますので気を付けて来て下さい。との事。その時思ったのは「関ヶ原町でも18時15分までの対応をしてくれるのか」と下らない事を考えてしまいました。(今度確認したいと思います。)

垂井町役場に行くと係長さんが直ぐに出て来て下さり、担当の方が書類を持って対応して下さり、短時間で医療券を作成して下さいました。頑張って垂井町役場まで行ったものの何と無く熱っぽいので、施設には行かず書類は明日持って行く事にしました。再び家に帰って夕食はとったもののお風呂はやめにして寝ることにしました。

タイトルは『何もしないで寝ているのは拷問と同じだ』と書いたのですが、改めて訂正をします。調子が悪いときは『拷問』ではなくて、「いくらでも眠れる」今も眠くて仕方が無いので、多分まだまだ本調子では無いのだと思います。本調子ではありませんでしたが、午前中には本部施設で『フロア責任者会議』午後は盲養護老人ホーム和(なごみ)で会議がありましたがそれぞれの会議で熱く語りましたから、最低限の役割は果たせたのではないかと思います

。本部施設でのフロア責任者会議では、かなり食らいつきの良い職員が増えてきたように思いますし、和(なごみ)の施設では、まだまだ未知数な事が多いので走りながらの対応が多いのですが、話を聞きながら微調整をしながらの展開をしばらくはしていかなければいけないと改めて感じた次第です。リピーターの皆さん。色んな考え方があるから面白いのですが理事長として舵取りは大変ですがこれからも頑張りますのでこれからも宜しくお願い致します。

一晩しっかり寝たら体はしゃきっとし、本日は介護の日です。

令和3年11月11日

いつものように、ウォーキングをしながらのお経をした後、お風呂に入り、しばし休憩後の7時の朝食で1階に降りて行く時に、いつもだとテーブルに直行するのですが、本日は『介護の日』と言う事で岐阜新聞に岐阜県老人福祉施設協議会としての特集が掲載されているので、新聞受けに行き新聞を開くとしっかり3面に渡って掲載されていました。今回は外国人介護人材の特集にさせて頂いたのですがタイムリーな企画が出来て読み手へのアピールあるいは今後外国人材の雇用を考えている事業者にとっても有意義なものになったと思います。

例年ですと掲載予定日の3日くらい前に出来たがったものを見させて頂くのですが、9日から東京へ出張に出掛けてしまい、9日の新幹線に乗って東京に向かっている時に連絡が入ったのですが、物理的に無理だとお断りしていたのですが、本日午前中に掲載が出来た事の報告に岐阜広告の棚橋社長が来て頂いたので「とっても良い出来上がりなので全国老人福祉施設協議会や東海北陸ブロックの事務局にも見せたいので何部か提供して欲しい。」とお願いしたのですが14時には「30部手配出来たので岐阜県老人福祉施設協議会事務局に届けておきます。」との連絡を頂き、改めて「出来る方は仕事が早い」と思った次第です。

この掲載には岐阜県老人福祉施設協議会田中21世紀委員長が尽力してくれたので「良い特集になってありがとう。」との連絡もさせて貰いました。さて、話題は変わるのですが本日から3回に分けてインフルエンザの予防接種を施設内で嘱託医の多賀先生にして頂く事になっていて、昨年は一昨年に予防接種をした後に腕がボンボンに腫れて39度近くの熱が出たのでスルーしていたのですが、コロナ感染症の一貫でインフルエンザの予防接種をして頂きました。正直今も(午後6時59分)腕が痛いので熱が出ないようにドキドキしながらいるのですがリピーターの皆さん、私が熱が出ないように祈って頂けると嬉しいのですが。熱が出ると困ります。

だって明日は午前中に本部施設でフロア責任者会議があるし、午後も盲養護老人ホームでの会議があるので。本日の予防接種をする前に多賀先生に相談すると「理事長は基本体質が弱いよね。でも打ちましょう。」と言われて腕に針を刺しながら「ナンマイダ、ナンマイダ」と言われていて笑ってしまいました。無理をすると駄目なので本日はゆったりと眠る事にします。明日の早朝のウォーキングは中止にしてお経だけを唱える事にします。だけど予防接種にこれ程気を使わなければいけない体質の私は面倒臭い人間ですが、それでも小さい頃に比べたら丈夫くなったのだから文句は言えませんが・・・。

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